2020年8月14日 (金)

公園保存蒸機 玉城町城山公園に保存されているC58形414号機

2017年8月の愛知三重方面の旅行で訪問した公園保存蒸機、今回は参宮線田丸駅から5分ほどの城山公園に保存されているC58形414号機です。

170805 2017/8/5  駅名標
170805_20200813183501 奥が多気方面
170805_20200813183502 駅舎は木造駅舎

170805_20200813183601
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この説明にあるように田丸の街は南北朝時代に南朝の拠点として城下町となり、織田信長がさらに城下町として整備、江戸時代は伊勢参りの宿場として栄えた街です。

C58414号機は沖田祐作氏の機関車表データによると
1947-5-14 汽車製造大阪工場 製番2550
札幌局配属 配置苗穂
1949-3-1現在 苗穂
1955-8-1現在 苗穂
1973-4-24廃車 苗穂
1973-9-1保存場所到着 汽車製造大阪工場で落成後、札幌局配置となり、一時滝川区に配置されたこともありましたが、苗穂機関区配置で活躍しました。走行距離は1,301,409.9km でした。

C58形は1938年から1947年にかけ、汽車製造と川崎車輛で合計431両が製造されました。414号機は1947年製造の最終グループ17両(408号機から427号機)に属します。製造は戦中の1944年までと戦後の1946年以降に分かれ、後者はボイラー径の拡大(1,364mm → 1,396mm)、炭水車を6-17型(石炭6t・水17t)から10-20型(石炭10t・水20t)型に拡大、無台枠の船底型に変更、台車の変更(軸ばね形プレート式 → まくらばね形鋳鋼製)とするなどの設計変更が行われました。

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デフレクターは北海道機特有の切り詰め式となっています。

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前照灯はシールドビームの補助灯付きです。ナンバープレートは赤く塗装されています。

Dsc06853 潅水清浄装置は搭載されていません。

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炭水車は拡大された10-20型で、

Dsc06851 台車は戦時形D51などでもみられる まくらばね形鋳鋼製を履いています。

Dsc06844_20200813190501 少々字が小さく見えずらいですが、「昭和21年~22年にC58二次形45両製造、うち39両が終戦後軍供出として樺太に接収」とあるのは誤りで二次形(戦後形)は42両、樺太向けは昭和16年~18年製造の14両、戦後ソ連に接収。軍供出は改造工事が行われたものの輸送されないものも多く、実際供出されたのは25両。とのことです(こちらのサイトから)。

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2020年8月13日 (木)

公園保存蒸機 津市偕楽公園に保存されているD51 499号機

全国の公園等に保存されている蒸機を見て歩くシリーズ、今回は2017年8月の愛知・三重の旅で立ち寄った三重県の県庁所在地津市の津駅から歩いて5分ほどの偕楽公園に保存されているD51形式499号機です。JR東日本の動態保存蒸機D51498号機の一番違いの番号機です。

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Dsc06775
Dsc06757
2017/8/5 形態的な特徴はなんといっても後藤式G-3タイプのデフレクターです。

D51-498-100429 2010/4/29 安中~磯部 G-3タイプのデフレクターは1番違いの498号機にも新製されたのもが装備されたことがあります。通常タイプのデフレクターに比べ、スタイルが精悍に見えます。

沖田祐作氏の機関車表による車歴データでは

D51499 国鉄鷹取工場=27 1941-02-01 S77.60t1D1T(1067)
車歴;
1941-02-01製造→納入;国鉄;D51499→配属[鉄運乙第252号];広島局→1941-02-10配置;糸崎→1943-10-01広島→1943-12-15糸崎→1950-08-13鳥取→1953-12-10集煙装置取付(後藤工場)→1954-12-22重油併燃装置取付→1957-07-09後藤工場にて切取式除煙板G-3型装備;鳥取→1958-09-17福知山→1972-04-01(3/31?)亀山→1972-05-20借入;奈良→1972-10-01奈良→1973-09-18(9/17限)廃車;奈良

(最終走行距離205万km=概数)→
1973-10-09保存;三重県津市「偕楽公園」

となっており、製造は鷹取工場(製番27号機)、広島局配置を皮切りに山陰本線、関西本線等で活躍し、最後は奈良機関区で廃車となっています。

 Dsc06756 砂撒き管のタイプは前2本が若干前方に曲がり、3本目は途中から45度下がるタイプ、逆転器リンクプレートの穴は小穴タイプです。

Dsc06771 潤滑油バルブの箱はランボード下にありますが、6連のバルブは見えません。

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機関助手席前のランボードに潅水清浄装置が搭載されています。

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ドーム後方に重油併燃装置の重油タンク、煙突には集煙装置が装着されています。炭水車の前照灯はケースだけで中身が欠損しています。

普通型以外のデフレクターに関してはこちらのサイトのデータが大変参考になります。

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2020年8月12日 (水)

豊川海軍工廠について

これまでの4記事において日本車輛製造豊川製作所に保存されている、同所で製造され、保存された車両についてみてきました。最後に、豊川製作所の広大な敷地を含む周辺の地域の歴史に触れておこうと思います。

日本国憲法下の陸・海・空・自衛隊においては兵器の開発・製造は民間企業に委託されていますが大日本帝国憲法下の帝国陸・海軍は直属の軍需工場を持っていました。

陸軍は陸軍造兵廠として
東京砲兵工廠 1871~1935 現在、後楽園遊園地など、小石川後楽園
火工廠    1937~1945 現在、ふじみ野市の中核部分
大阪砲兵工廠 1870~1945 現在、大阪城公園
名古屋工廠 1941~1945  現在、イオンモール熱田、名古屋市体育館、神宮東公園
小倉工廠   1894~1945 現在、北九州市立中央図書館、勝山公園など(広島に続く原爆の投下目標でした)
南満工廠   1940~1945 奉天市文官屯                   がありました。

一方、海軍は海軍工廠を    (数字は開設年)
呉海軍工廠 1903    現在、ジャパン マリンユナイテッド呉工場
横須賀海軍工廠 1903  現在、在日米軍の横須賀海軍施設(通称横須賀基地)
佐世保海軍工廠 1903  現在、佐世保重工業佐世保造船所、一部はアメリカ海軍の施設(通称佐世保ベース)
舞鶴海軍工廠 1903   現在、ジャパン マリンユナイテッド舞鶴事業所
広海軍工廠 1923    現在、王子マテリア呉工場
豊川海軍工廠 1939   後述
高座海軍工廠 1943   座間市、海老名市にまたがった地
光海軍工廠 1940    現在、新日鐵住金光鋼管工場、武田薬品工業光工場
多賀城海軍工廠 1943  現在、陸上自衛隊多賀城駐屯地他
鈴鹿海軍工廠 1943   現在、旭化成、カネボウ、本田技研工業、鈴鹿サーキット
沼津海軍工廠 1943   現在、沼津市立第一中学校ほか
川棚海軍工廠 1943
相模海軍工廠 1943
津海軍工廠 1944

各地に造って行きました。
海軍工廠の開設の歴史を見てみると日露戦争開戦前に呉、横須賀、佐世保、舞鶴が設置、広、豊川、光と続き、戦局が苦境になった1943年秋以降、各地に増設されています。

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2017/8/4

豊川工廠は1937年頃、航空機用機銃の生産のために計画され、当初は鈴鹿航空隊が近い鈴鹿が有力候補でしたが、起伏などの問題から豊川が選ばれました。開廠は1939年12月15日で当時の宝殿郡豊川町、牛久保町、八幡村にまたがる約200haの土地に5番目の海軍工廠として設置されました。従業員は1500名で1940年には南東側の土地を買収し、拡張されました。太平洋戦争では航空機が戦闘の主役になったことから航空機用機銃と対空機銃の需要が高まり、工廠は大発展をとげ、1945年2月の時点で従業員は職員400名、工員10,000名、徴用工員40,000名、動員学徒6,000名、計56,400名となり東洋一の規模となりました。
周辺の交通網の整備も進み、引き込み線(豊川鐡道西豊川支線)、通勤のための名古屋鉄道国府駅~市役所駅(現諏訪町駅)の開通などがなされ、1943年6月1日に国府町も含めた3町1村が合併して豊川市が成立となりました。

しかし、太平洋戦争の戦局悪化で本土空襲が始まると軍需工場は米軍機のターゲットとなり、1944年11月1日には偵察機が飛来、1945年8月7日、サイパン、テニアン、グアムから飛来したB29爆撃機124機による大規模空襲を受け、僅か30分間に250kg爆弾3256発が投下され工廠は壊滅しました。この空襲でおよそ2500名が犠牲となりました。当時アメリカ側は広島、長崎以外にいくつかの原子爆弾投下候補地を選んでいましたが、豊川海軍工廠もそのひとつでした。

敗戦後、工廠は再建されることなく1945年10月5日に廃止されました。跡地は警察予備隊豊川駐屯地(現陸上自衛隊豊川駐屯地)、日本国有鉄道豊川分工場(現日本車輌製造豊川製作所)、千代田光学(現コニカミノルタ瑞穂サイト)、豊川市役所、名古屋大学空電研究所(現名古屋大学太陽地球環境研究所)、熊谷組豊川工場(現テクノス株式会社)などになりました。

軍需工場のおかげで街は発展しましたが、そのために戦局が悪化すると攻撃目標となり、多くの犠牲者を出してしまいました。戦後75年が過ぎ、あの戦争の悲惨さを身をもって体験した人々がどんどんこの世を去って行き、戦争の悲惨さを知らない人間が大半占める世の中になっています。まして今の政権は唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約には批准せずアメリカなどの核の傘に依存する姿勢を貫いています。

日露戦争開戦から太平洋戦争敗戦までの戦争の歴史をきちんと学び、軍拡が如何に無駄なことか、そして戦争を起こすことが如何に悲惨な結末をもたらすかを風化させずに後世に伝えるのが我々の締めではないかと感じました。

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2020年8月11日 (火)

日本車輌豊川工場の保存車両 4 名古屋鉄道モ811

関東在住の鉄道ファンであるため名古屋鉄道の車両に関する知識は殆どなく、乗車経験もさほどありません。
本来ならこの4月に名鉄2日間有効の全線フリー乗車券を利用して名鉄全線乗り潰しの旅を敢行する予定でしたが、新型コロナウイルス蔓延のためあえなく中止となり、この夏も第二波の到来なのか再びの新規感染者増加で夏休みの旅行も断念の日々が続いております。

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2017/8/4

日本車輛製造豊川製作所、メモリアル車両広場に保存されている車両、最後は名古屋鉄道モ800形電車です。
この車両は1935年4月、名古屋鉄道の前身、名岐鉄道に押切町~新岐阜間の特急運転開始に伴い、10両納入されたデポ800形です。当時としては大型の18m車体に最新鋭の機器を装備し、801~805が1935年4月に806~810が1936年3月までに両運転台式、セミクロスシートの電動車として製造されました。
その後、2両は電装解除、再電装化され、車番の入換も行われました。戦時中にはロングシート化、さらに1948年東西直通で1500V昇圧がなされ、編成固定化による片運転台化や主制御器の交換、ドアステップの撤去などの改造も受けました。1996年までに全車が運用を終えました。

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モ811は当初デポ804として登場、1938年6月にモ802に改番され、戦後はク2312と編成を組み、1957年に岐阜方の運転台を撤去、1962年11月、重整備の際に豊橋方が高運転台に改造され、1981年9月、3880系の廃車による増結車確保で両運転台に戻り、モ811に改番され、岐阜側も高運転台となりました。1996年4月の廃車で正面窓やダークグリーン塗装,前照灯,室内白熱灯などの復元がなされ、日本車輛製造豊川製作所に保存となりました。

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2020年8月10日 (月)

日本車輌豊川工場の保存車両 3 新幹線0系 22形ー2029

  先日の記事に続いて日本車輌製造豊川製作所の保存車両、今回は0系新幹線22-2029です。

Dsc06522 2017/8/4

22形といえば0系編成における東京方先頭車で、1964年から1986年までに0番台1~143、外観的には客用窓が小型化され、主制御器をCS46に変更し、ステップ数が17段から20段になった1000番台1001~1051、内装を200系に準じて変更し、客用窓周りをFRP化した2000番台、2001~2030の合計224両が製造されました。パンタグラフ、主変圧器、整流装置、空気圧縮機が搭載されています。定員は0番台、1000番台が80名、2000番台はシートピッチ拡大で1列減で75名となりました。自重は0番台が57.4t、1000、2000番台が58.9tです。

2029号は第38次(0系として最後の増備)車として22ー2030とともに1985年12月から1986年4月にかけて16両が製造されました。製造当所は0系初期車の置き換え用としてSk26編成に組み込まれ、16両化でYk26編成、晩年はJR東海Yk8編成に組み込まれ1999年9月1
8日
、東海道新幹線における0系最後の営業運行「こだま473号」に使用されました。翌月の廃車に際して製造所の日本車輌製造が譲り受け、保存となりました。

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製作所公開の際には近くで写真が撮れるようです。

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2020年8月 7日 (金)

日本車輌豊川工場の保存車両 2 8620形58623号機

昨日に続いて、日本車輌製造豊川製作所に保存されている車両、今回は8620形式58623号機です。

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この機関車、こういった状態で展示されているために、周囲を観察することは通常はできません。

Dsc06533 日本車輌製造製の特徴的なマークと製番54が確認できます。

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日本車輌製造で製造された鉄道省向け制式1号機関車であるために保存されたようです。ただ、ここにある機関車の歴史には大きな誤りがあります。沖田佑作氏の機関車表の車歴によると
1922-5 日本車輛名古屋工場 製番54
名古屋局配属
1931/1/31 人吉庫
1934/5 正明市 正明市は現在の長門市で山口県です。さらにこの後、稲沢庫、稲沢区に1936年に移動、さらに1937年には高知区へ移動
1955-8-1現在 松山
1957-6現在 松山
1964-4-1現在 小松島
1970-5-28 小松島 廃車

ということで「一度も四国を離れることなく」は誤りのようです。

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2020年8月 6日 (木)

日本車輌豊川工場の保存車両 1 東京都交通局懸垂式モノレールH形

2017年8月の愛知・三重旅行では昨日の豊橋総合動植物公園を訪問した後、豊橋から名鉄名古屋本線、国府から豊川線を乗り継ぎ、諏訪町へ、同駅から徒歩10分ほどの日本車輌製造豊川製作所へ行きました。

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アポも何も取らない訪問なので正面玄関から先は入っていませんが、玄関付近には
上野動物公園のモノレール
0系新幹線
8620形蒸気機関車
名鉄モ811 が保存展示されています。

最初は上野動物公園のモノレールです。2019年11月1日、日本初のモノレールだった正式名称「東京都交通局上野懸垂線」(上野モノレール、上野動物園モノレール)は1957年12月17日開業から62年弱の運行の歴史が途切れました。営業距離300mで日本最短の路線で東京都懸垂電車条例に準拠した輸送機関で動物園西園と東園を結んでいました。

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1957年に全線開業した際の車両がH形で今回紹介する豊川工場に展示されているものです。

その後、1967年1月1日から2代目車両M形、1985年4月2日から3代目車両30形、2001年5月31日から4代目車両40形で運行されてきました。私も上野動物園のモノレールは幼少の頃、親に連れられ動物園を訪問した際に乗車したのを憶えており、モノレールの下を都電が走っているのが見えました。乗車したのはこのH形でした。そして自分が親として子供を連れて上野動物園を訪問したときに乗車したのは3代目30形だったと思います。

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2020年8月 5日 (水)

豊橋総合動植物公園「のんほいパーク」内に保存されているD51 89号機

豊橋総合動植物公園は動物園・植物園・遊園地・自然史博物館の4ゾーンからなる複合施設で1899年に安藤政次郎が開園した動物園を下に発展し、1992年から現在の形態となりました。のんほいとは三河方言の~ですねにあたる「のん」とやあ、おいの「ほい」を合わせたものだそうです。
Dsc06456

Dsc06455 2017/8/4 
最寄り駅は東海道本線二川駅で、同駅から徒歩で6分の距離です。

D51-89-170804 D5189号機
同機は1~100号機までのナメクジスタイルのD51の中にあって101号機以降の標準形のスタイルの異色機です。また正面からみて右側のデフレクターが切り込まれている特有のスタイルです。ナンバーは形式入で緑色に着色されています。スノープラウは北陸仕様です。

沖田祐作氏の機関車表データによる履歴は
1938-3-26 国鉄浜松工場 製番22
名古屋局配属
1938-4-3配置 稲沢
1944-9-21 浜松
1948-5-15 静岡
1949-9-5 金沢
1962-6-29 富山
1965-8-2借入 糸魚川
1965-9-30返却 富山
1965-10-1 金沢運転所
1971-4-17 廃車 金沢  となっており、浜松工場で製造され、終生、東海、北陸で活躍し、最後は金沢で廃車されました。

いわゆるナメクジタイプのD51は第1動輪の軸重が13.17tと第2~4動輪の軸重よりも1t以上軽く、重量列車引き出し時に空転が多発するため、重量配分に問題がありました。1937年1938年に浜松工場でこの問題を解決するため、86-90号機において給水温め器を煙突前に枕木方向に載せ、担いバネの釣合梁の支点位置を変更し、動輪重量の配分を可能な限り変更する改良試作が行われました。
この改良によりナメクジタイプよりは空転問題は改善されたものの、D50形に較べると第1動輪の粘着性能に問題があり、北陸本線や信越線の勾配区間を担当する機関区からは嫌われたようです。

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デフレクター後のオイルバルブの位置はランボード上に線路方向に並ぶタイプ、逆転器リンクプレートの穴は大穴タイプ、砂管は前二本が若干前に傾斜、3本目は途中から折れるタイプです。

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機関助手席前の潅水清浄器はキャブから少し距離を開けて前に取り付けられています。

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炭水車は8-20A、台車は軸バネがコイルバネ、側枠が一体鋳鋼製のTR24形類似タイプ

Dsc06469 炭水車の前照灯、尾灯は装備されています。


Dsc06477 キャブに立ち入ることはできませんが隙間から内部を覗くことは可能です。

Dsc06468 説明板も用意されています。

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2020年8月 4日 (火)

磐越東線小川郷駅に隣接して置かれている軽量客車のカットボディ

2017年7月21日、つくばから常磐線を北上、いわきから磐越東線で郡山に抜け、郡山から会津若松を訪問し、会津鉄道、野岩鉄道、東武鉄道で東京に戻った際に、磐越東線小川郷駅で車中から見かけた車体です。

170721 2017/7/21 小川郷

撮影当時はカラオケボックスとして使用されていたようです(もう既に3年の年月が過ぎているので現在も存在しているかどうかは定かではありませんが)。
この車両は1957年に1~30の30両が製造されたナハ11形ナハ10形の室内灯を蛍光灯化した形式)の緩急車ナハフ11形(定員80名)でした。そのうちの29が電気暖房化され2029となり、郡山工場で1975年に交直流電車の教習車に改造されナヤ11形1号になりました。

因みにナヤ11 2はナハ11 2061から郡山工場にて、ナヤ11 3はオロネ10 25から幡生工場にてそれぞれ改造されました。ナヤ11 1と2は水戸に配属され、水戸鉄道学園にて2両1組で使用され、ナヤ11 3は広島に配属され電気機関車用の教習車として使用されました。1987年のJR移行直前に3両とも廃車となり、形式消滅しました。

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2020年8月 3日 (月)

開発が進む虎ノ門界隈を歩く

虎ノ門エリアといえば霞ヶ関の官庁街の南側で2020年6月6日には東京メトロ日比谷線の新駅「虎ノ門ヒルズ」駅が開業、この辺に多くのビルを持つ森ビル株式会社が2014年6月11日に地上52階、地下5階、塔屋1階の超高層ビル虎ノ門ヒルズ森タワーを開業、

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2020/7/30 虎ノ門ヒルズ森タワー

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環状2号線 築地虎ノ門トンネルの入口 
環状2号線は江東区有明2丁目の国道357号線(湾岸道路)接続部から豊洲6丁目、、中央区勝どき陸橋、築地大橋、地下トンネル未供用(旧築地市場、新大橋通り、海岸通り、第一京浜、)、地下街路でこの入口に至り、以降、外堀通りとして、神田佐久間町に至ります。

180405 2018/4/5 虎ノ門病院 旧館

Dsc01673 2020/7/30 新館は後方の土地に建設され、旧館は取り壊されました。

さらにこのビルを中心としたビジネス、商業施設がこれから続々オープンする予定だそうです。
国家公務員共済組合の虎ノ門病院も2019年5月にそれまでの旧館から新館に移転しました。年に4回、同病院に通院する関係で地下鉄の新駅を訪問し、今回、虎ノ門周辺を見学してきました。

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地下鉄虎ノ門、虎ノ門ヒルズ駅の位置関係

この周辺を通っている地下鉄は溜池山王から虎ノ門を通り、新橋へ抜ける黄色い線の銀座線と上の地図を縦方向に桜田通り(国道1号)の下を走る日比谷線で虎ノ門ヒルズ新駅は桜田通りと環状2号線が交差する交差点に設けられました。

Dsc01683 桜田通りの日比谷線北千住方面行き入口 A2

Dsc01684 階段、もしくはエレベータを下ると改札口がありますが、入場しても反対側のホームに連絡する階段はありません。

Dsc01690
地下鉄の駅ではしばしばありますが、この入口は北千住方面行きにしか乗車出来ない入口です。反対側のホームにはA1とB1口があり、B1口は改札を通って、銀座線虎ノ門駅と地下通路で繋がっています。しかしその距離は3ブロック分あります。

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2020年7月31日 (金)

公園保存蒸機 大森山公園のD51 232号機

公園保存蒸機シリーズ、今回も2017年6月末から7月頭にかけ、秋田県を旅行した際に訪問した公園から、羽越線新屋駅が最寄り駅となる大森山公園に保存されているD51形232号機です。

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2017/7/1 大森山公園案内図

大森山公園は秋田市浜田にあり、秋田市が管理する公園です。公園内には秋田市大森山動物園、大森山遊園地、大森山展望台、グリーン広場などの市民向け施設のほか、県内のテレビ・FM放送局の親局送信所があります。アクセスは今回の旅行ではレンタカーを使いましたが、公共交通機関としては秋田駅前、新屋駅前から「新屋線/大森公園行」のバスで終点下車となります。

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Dsc05513 訪れた時はちょうど補修直後だったのか、写真のように非常に美しい状態で、ランボード横や手摺りが白く塗装されていました。
潤滑油バルブの形態は昨日のD51370号機と同じです。

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残念ながら炭水車側の灯火類は欠損していました。

Dsc05507 砂管のパターンは前2本が垂直、3本目がなだらかに後方に落ちるタイプです。強いて言えば、梅小路機関区に保存されているD511号機に似たタイプかといえます。逆転器モーションプレートの穴は小穴タイプです。

D51232号機は1938年12月8日、国鉄土崎工場で製番1として落成しました。同年12月12日に仙台局に配属となり、配置は青森から始まり。1948年1月21日に弘前、1967年3月11日、借入で秋田、同月15日正式に転属、1970年4月1日青森、1971年3月9日土崎工場に保管となり、1971年4月1日付けで青森で廃車となりました。1971年7月から当所に静態保存されています。

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Dsc05516 キャブ内も見学可能で、メーター、バルブもきちんと揃っていました。

Dsc05503 この機関車の保存、維持に関しては土崎工場製1号機であることや、終生奥羽本線北部で活躍したこともあるのか、秋田市が力を込めて維持していることが感じられました。

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2020年7月30日 (木)

公園保存蒸機 土崎街区公園のD51 370号機

全国の公園等に保存されている蒸気機関車を見学するシリーズ、今回は2017年6月末から7月頭にかけ、秋田県を旅行した際に訪問した公園から、最初は土崎駅そばの土崎街区公園に保存されているD51形370号機です。

Dsc05449 2017/7/1

Dsc05473
公園の開園は大正4年(1915年)とのことですから、訪問時に既に開園100年を過ぎていました。

Dsc05474 公園の奥の方にD51370号機は保存されていました。

土崎街区公園はJR奥羽本線土崎駅東口から南西方向に伸びる駅前通りを1ブロックほど進んだ左手にあり、土崎神明社や日影稲荷神社に隣接する公園です。

Dsc05452

Dsc05453
Dsc05454

形態的には標準スタイルのD51で、給水温め器の向かって右側のカバーやボイラー下のカバーが欠損していました。尾灯を掛けるフックもありません。

Dsc05455 7連の潤滑油のバルブは箱がランボード下、バルブがランボード上に出ており、線路方向に並んでいます。逆転器のリンクプレートは大穴タイプです。砂管のパターンは栗東市手原稲荷公園に保存されている403号機と同じです。

Dsc05457 キャブはこのように鉄製の網で閉鎖されています。後方の屋根が長く伸びているのが特徴です。期間助手席前のランボードにある潅水清浄器は搭載されていません。

Dsc05459
炭水車の台車は標準台車(鋳鋼と鋼板による組み立て式台車)です。灯火類は前照灯、尾灯ともにありません。

D51370号機は沖田祐作氏の機関車表データによると1940-5-18 日立製作所笠戸工場にて製番1249として落成、新潟局配属されますが当初配置は不明です。1948-7現在、酒田、1955-8-1現在、山形、1957-11現在、山形、1968-4現在、新庄、1972-3-31現在、秋田、1972に秋田で廃車となりました。

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2020年7月29日 (水)

新金谷駅SL広場に保存されているC12 164号機

拙Blogの過去の記事を見返してみると、保存車両に関する記事は2019年9月9日の元吉原小学校に保存されている東京都電7024号車の記事が最後となっています。これからしばらく、保存車両の話題で行きたく思います。


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2017/3/12 大井川鐡道新金谷駅


Dsc00056


最初は2017年3月に三島、吉原から岳南鉄道、吉原小学校、そして大井川鐡道を訪問した際に新金谷駅のSL広場で見学したC12形164号機です。


Img_7815
この機関車は1937年9月に製番484で日本車輛名古屋工場で落成しました。当初の配置は不明ですが、1941年から1947年にかけて上諏訪に配置、1948年には岡山に転属、1955年には宇部支区、1962年には厚狭区、1973年には木曽福島区に所属となり、同年9月20日同区にて廃車となりました。


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Dsc00059
これまでに各所でC12形を見てきましたが、C12287号機(小櫃公民館)のような炭庫の風穴はこの機関車にはありません。

同月24日、貸与され本川根町の大井川鐡道千頭駅で保存となり、1987年2月、日本ナショナルトラストが購入、同年5月14日解体整備が開始され、7月25日復元発車式を済ませ動態保存車となりました。2005年4月23日、ATSが未取り付けのため本線運転は終了し、2011年10月から写真のようにSL広場のターンテーブルにて静態保存となりました。2016年には大井川鐡道と日本ナショナルトラストの間で再び動態保存運転を目指す合意が交わされたそうです。


Dsc00074
C12形は1932年から1947年までに282両製造され、日本車輌製造110両、日立製作所55両、三菱造船所17両、川崎車輛56両、汽車製造44両を担当しました。製造期間における設計変更は38号機以降のアーチ管(ボイラー火室内に装備して伝熱面積を増大、蒸発量の増加のため)の装備、制輪子の変更(1933年製以降)、先輪、従輪のスポーク輪心からディスク輪心への変更(276号機以降)と少ないのが特徴です。2つの瘤は前が砂箱,後が蒸気溜です。

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2020年7月28日 (火)

首都圏の駅の変化 その4 飯田橋駅 後編

飯田橋駅、そもそもは前の記事にあるように駅間の近かった牛込駅と飯田町駅を統合することで大きくカーブする線路に沿ってホームを設置し、1928年11月15日に開設された駅でした。

200711 2020/7/11 旧ホーム最後の日

200711_20200727150601 車輛とプラットホームの隙間

現実にはこのように車両とホームの隙間が大きいため、これまでにこの隙間に転落する事故がしばしば発生していたそうです。

190128_20200727151001

190128-6
190128-4 2019/1/28 牛込橋から

そういった問題を解決するために2016年8月から200mほど市ヶ谷寄りの直線部分にホームを新設する工事が開始されました。元々、この場所には飯田橋折り返しの電車が一旦引き上げる引き上げ線が存在し、上下線の線路間隔が広く設定されていました。

200711_20200727152101 2020/7/11 それまでは飯田橋駅の西側には古レールで組み上げた特徴的は階段が見えましたが、この工事の過程で仮設の跨線橋・階段に置き換えられたようです。

2020年7月12日に新ホームが供用開始となりました。

Dsc01616 新西口から仮設の跨線橋を見る。やがては撤去されるのでしょう。

Dsc01615 仮設の階段は7/27の時点では途中から上が残されていました。

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カーブ部分に残された旧ホームは両側が囲われ東口に続く長い通路となりました。

Dsc01605_20200727153201

Dsc01606新ホームの西端から市ヶ谷方面

ここから中央快速線、緩行線の車両を撮影するのも良いかと思います。

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2020年7月27日 (月)

首都圏の駅の変化 その4 飯田橋駅 前編

首都圏の駅の変化シリーズ、今回は飯田橋駅です。

180219
2018/2/19

今回、飯田橋駅は曲線部にあった島式ホームを約200m市ヶ谷方面の直線部に移設し、車体とホームの間隔の広がりを無くしました。

190128 2019/1/28 飯田橋駅の西口側に線路、外堀を超す橋が牛込橋

その歴史を辿ってみると、1894年10月9日、甲武鉄道新宿~牛込間の市外線が開通した際に牛込駅として開業しました。場所は現在の飯田橋駅西口に接する牛込橋から少し四ッ谷寄りでした。1895年4月3日には飯田町まで延伸されました。1904年8月21日、飯田町~中野間が直流600Vで電化開業し、電車の運行が開始されました。1906年10月1日、甲武鉄道が国有化され、牛込、飯田町の両駅は官設鉄道の駅となりました。1909年10月12日、線路名制定で中央東線、1911年から中央本線となりました。1928年11月15日、関東大震災の復興と客貨分離を目的に新宿~飯田町間が複々線化、このときに牛込と飯田町は駅間が近いため統合され、飯田橋駅となりました。

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2019/1/28 地下鉄の飯田橋駅 東西線、有楽町線、南北線、大江戸線のマークが見えます。

その後、1964年12月23日には地下鉄東西線、1974年10月30日には地下鉄有楽町線、1996年3月26日には地下鉄南北線、2000年12月12日には地下鉄南北線の駅が開業とJRは中央・総武緩行線しか停まらない駅ですが、地下鉄4路線と交わる駅となりました。

101-820211 1982/2/11 かつて飯田橋駅の水道橋よりカーブからはこのような写真を撮影することが出来ました。

1983年の早春、大学院の博士課程を間もなく修了し、つくばに就職が決まっていた頃でしたが、ちょうど首都圏の国電のうち、中央・総武緩行線では中央快速線から103系の高運転台冷房編成や201系編成が緩行線に転属となり、オレンジ塗装のまま緩行線を走っていました。

103-830203
1983/2/5 ブタ鼻ライトと揶揄されたシールドビーム化改造ライトの103系

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豊田区から転属した戸袋窓のある非ATC高運転台103系

201-830205-edit 201系 量産形編成

4月から東京を離れるという思いもあり、それらの編成を記録しておこうと思い撮影したのが飯田橋駅の水道橋よりのカーブでした。しかし、その数年後、この場所からの撮影はできなくなりました。

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2020年7月24日 (金)

首都圏の駅の変化 その3 渋谷駅

このシリーズ、3回目は渋谷駅です。

Dsc01342 2020/7/18 埼京線ホームの駅名標

この駅は1885年3月1日、日本鉄道の駅として、赤羽~品川間の開業とともに開設されました。ただ、開業日に利用する人は誰も居なかったそうです。1906年11月1日、日本鉄道の国有化で官設鉄道の駅となりました。

Dsc01326_20200723135201

Dsc01332_20200723135201

Dsc01327 新埼京線ホームの原宿側端からの眺め

現在渋谷駅にはJR東日本の山手線、埼京線、湘南新宿ライン、さらに山手貨物線を走行する成田エクスプレス、東海道本線のホームライナー、踊り子、サフィール踊り子、昨年11月から相互乗り入れを開始した相鉄線が停車し、京王井の頭線、東急東横線、東急田園都市線、東京メトロ銀座線、半蔵門線、副都心線が乗り入れています。

歴史的にはこれらの中で最初に渋谷駅に乗り入れたのは今は無き玉川電気鉄道玉川線で1907年8月11日のことでした。わたしも小学校の頃、大橋まで玉電で通っていたことがあり、現在も残る玉川口の先、JR線と同レベルのホームから玉電が発着していたのをよく憶えています。尤も、あのような乗り入れ形態となったのは1937年7月27日の玉川線と天現寺線の分離以降でそれまでは国電のガードを潜っていたはずです。

Dsc01334
この扇(東急のシンボルマーク)が残されているのはかつてこの場所に東横線ホームがあったことへのオマージュか?

1909年10月12日、線路名称制定で山手線の所属となりました。1923年3月29日、東京横浜電鉄東横線が開業し、島式ホーム1面2線の高架駅が併設されました。1933年8月1日、帝都電鉄渋谷線(現在の井の頭線)が開業し、同年11月1日には東横線渋谷駅に東横百貨店が開業しました。1938年12月20日、東京高速鉄道線(現在の東京メトロ銀座線)が開業。

戦後の1955年12月27日、都営トロリーバスが渋谷駅に乗り入れ、1957年には都電の渋谷駅前停留所が東口に集約され、ループ線上のターミナルとなりました。トロリーバスは1968年3月31日限りで廃止、同年9月29日には都電青山線も廃止されました。1969年5月10日、東急玉川線が廃止、同年10月26日には都電天現寺橋線も廃止され、渋谷から軌道線が消えました。

1977年4月7日、東急新玉川線が開業、1978年8月1日のは営団地下鉄半蔵門線が青山一丁目まで開通しました。2000年8月16日、に新玉川線は田園都市線に編入されました。

1980年10月1日、国鉄駅での貨物取扱が廃止され、1996年3月16日、埼京線ホームが山手貨物線の貨物ホーム跡地に新設されました。

2008年6月14日、東京メトロ副都心線の駅が開業、2013年3月16日、東横線の駅が地下化され、副都心線との相互直通運転が開始されました。

Dsc01320

これによって山手線渋谷駅に対して、それまでは南にずれていた埼京線、湘南新宿ラインのホームを併設するスペースが確保され、2020年6月1日に併設された新ホームの供用が開始されました。将来的には現在、内回り外廻りで別のホームとなっている山手線ホームを一本化するそうです。


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2020年7月23日 (木)

首都圏の駅の変化 その2 千駄ヶ谷駅

今回は昨日の原宿駅同様にそれまであったホームを常設化し、上下分離した千駄ヶ谷駅のケースです。所在地は渋谷区千駄ヶ谷一丁目で、渋谷区内の鉄道駅としては最も東に位置します。

160418 2016/4/11

駅周辺にはかつて南側に青山練兵場(現在は神宮外苑)、北側には輜重大隊(現在の慶応病院)があり、それらのための軍用駅として1894年9月23日に新宿駅~青山軍用停車場間に線路が敷設され、同年10月9日には甲武鉄道市街線として新宿~牛込間が開業しました。

1904年8月21日で、甲武鉄道の駅として開業しました。1906年10月1日、甲武鉄道が国有化され、官設鉄道の駅となりました。1909年10月12日、線路名制定で中央東線(1911年から中央本線)の所属となりました。1945年5月の東京大空襲では駅舎が被災し、同年12月に木造バラック駅舎が建造されました。

1958年1月、アジア競技大会開催により改築され、1964年9月には東京オリンピックに合わせて線路の南側に臨時ホームが新設されました。1986年10月23日、16:30頃、国立競技場からの観客5000人が改札に殺到し将棋倒し事故が起こり、46名が負傷しました。

160418_20200722182201

160418-2 2016/4/18 1964年に設置された臨時ホーム

170911 2017/9/11 臨時ホームの常設ホーム化工事

200719 2020/7/19

原宿駅同様、2020年の東京オリンピック、パラリンピックの開幕にあわせ、2016年9月18日、駅ホーム、駅舎等の改良工事が発表され、2019年10月27日、新駅舎の供用が開始、2020年3月22日、緩行線西行きのホームが新ホームとなり、同年6月13日からはホームドアの使用が開始されました。

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2020年7月22日 (水)

首都圏の駅の変化 その1 原宿駅

2020年7月、8月にそれぞれ開幕する予定だった東京オリンピック、パラリンピックで海外から多くの人間が日本に来る予定であったため、首都圏のJR東日本のいくつかの駅では改良工事が進められました。その中から、今回は原宿駅の改良工事について触れようと思います。

原宿駅は渋谷区神宮前一丁目にあります。駅名の由来は開業当時、近隣にあった東京府豊多摩郡千駄ヶ谷村大字原宿に由来するそうです。開業は1906年10月6日日本鉄道の駅として開業しました。同年11月1日には日本鉄道は国有化され、国有鉄道の駅となりました。貨物営業も同時に開始されました。1909年10月12日、線路名称制定で山手線所属の駅となりました。所在地は現在の場所より、代々木よりにあったそうです。

開業当初は乗降客が少なかったようですが、1920年11月1日に明治神宮が完成し、乗降客がふえました。現在地に移動したのは1924年6月のことで、このときに鉄道省技師の長谷川馨の設計によるイギリス風木造駅舎が竣工しました。

141011-2 2014/10/11 原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)有効長217m、ホーム長171mで敷地内にはホームの他に信号扱い所、貴賓室、待合室があります。

1925年10月15日に大正天皇が日光、沼津、葉山の御用邸へ静養に出発する目的で原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)が完成しました。実際に大正天皇が利用されたのは1926年8月10日の葉山御用邸に向かわれるときことで、同年12月25日に葉山御用邸で崩御され、生前のご利用は1回限りでした。同27日、皇居に戻る際の霊柩列車が同ホームに到着したとのことです。

昭和時代は昭和天皇・香淳皇后が那須御用邸、須崎御用邸、全国植樹祭に向かわれる際に運行されるお召列車が年に数回発着していました。天皇がこのホームを利用される際には三権の長、国務大臣、国鉄総裁、東鉄管理局長が揃って「お見送り」するのが国鉄時代の慣わしでした。さらに1979年201系試作電車展示、1988年のパビリオン列車「アメリカントレイン」などの各種イベントにも用いられました。

平成時代になると天皇・皇后は東京駅を利用することが多く、お召列車の運行も稀となり、最後に皇室専用ホームを利用したのは2001年5月21日の第52回全国植樹祭からの帰途であり、それ以来皇族の皇室専用ホームの利用はありません。近年は埼京線の延伸、湘南新宿ラインの開通などで山手貨物線のダイヤが過密となり、お召列車の運行には不適切となっている事情もあるようです。

141011 2014/10/11 工事開始前の臨時ホーム

171209 2017/12/9

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Dsc00396 2020/5/1

一方、原宿駅には外回り線の反対側に明治神宮の参拝客で混雑する年始用の臨時ホームがありました。今回の駅改良工事では1924年6月に建てられた木造駅舎の解体、新駅舎建設、そして年始用臨時ホームの外回り用ホームとしての常設化がメインテーマでした。

工事は2016年6月8日に発表され、常設化されたホームにはエレベータ、エスカレータが設置され、トイレ、表参道改札口と通路の拡張がなされました。2020年3月21日から供用開始となりました。

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2020年7月21日 (火)

中央・総武緩行線のE231系0番台 現状

中央・総武緩行線は最初にE231系が投入された路線でした。
まず1998年10月に東急車両製造(1~5号車)とJR東日本新津車輛製作所(6~10号車)で製造された209系950番台が1編成投入されました。この編成は1992年901系(後の209系900・910・920番台)、209系E217系E501系などからなるVVVF制御、交流誘導電動機駆動の系列に次ぐ第二世代のVVVF制御車両の試作車として試験が行われ、2000年3月27日から営業運転に投入されました。10両編成においてMM'モハユニットが2組あり、一方は三菱電機製の3レベルインバータ(後に通勤タイプで採用)他方は日立製作所製の2レベルインバータ(後に近郊タイプで採用)の2種類が1ユニットずつ搭載されました。

E231-901-070103
2007/1/3 市川 E231系901B 試作(量産先行)編成

試作編成の試験の結果は良好で、同線における103系、201系編成の置き換えが急務であったことから、2000年3月13日からは量産形0番台編成も投入され、同年6月にはE231系900番台に改番されました。

E231-1-091004 2009/10/4 市川 量産1号編成

量産形編成の1~3は東急車輛製造で製造されましたが、27・28編成を除く4~42編成はJR東日本新津で製造され、その後、0番台は常磐快速線・成田線用に投入され、その後301系の廃車代替で57編成(2002年12月改正)、2006年10月・11月の京浜東北線209系試作車編成の置き換えで209系500番台3編成の浦和転属補充で80~82編成が再び総武・中央緩行線に投入されました(これら4編成は東急車両製造製)。所属も初期の編成21本は習志野電車区所属でしたが、2003年12月209系500番台、E231系は三鷹電車区に統合されました。

201604209500

209系500番台 C501~C511、C515 ,C516の13編成

201604e231
E231系0番台 B1~B42,B57、B80~B82、B901編成の47編成

2016年4月時点での三鷹車両センタ―配置編成

2017年春から山手線にE235系が投入されることになり、それまで山手線で活躍中のE231系500番台11両編成からサハE231形4600番台を抜いた10両編成が中央・総武緩行線に投入されることとなり、0番台は209系500番台とともに武蔵野線、川越線、八高線に転属することになりましたが、山手線のE231系500番台は52編成しかなく、8編成分不足することになります。さらにE231系500番台は6M4T編成のため、0番台も性能を揃えるために6M4Tに組成を変更する必要があります。

E231
6M4T化されたE231系基本番台

E231-b26-200705 2020/7/5 秋葉原 6M4T化されパンタが3丁となったB26編成

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2020年7月20日 (月)

中央快速線E233系基本番台 12年3ヶ月ぶりの10両貫通編成製造

JR東日本の中央快速線用E233系基本番台編成は2020年4月1日の時点では10両貫通のT編成(T1~T42)と6+4分割のH編成(H43~H59)から構成されていました。最初に落成したのはH43編成で2006年9月22日でした。T1編成は2006年11月1日落成、最後に登場したのはT42編成で2008年2月29日に落成でした。

E233系基本番台としては青梅、五日市線用に6両、4両編成(青660~669)、(青460~467)編成も10両編成とは別に製造されており、これらは2007年11月から2008年3月にかけて製造されました。青661編成の東京寄り5両は踏切事故で廃車となり、同じ番号の車両が後日新製されました。また青670編成2016年11月に大宮総合車両センターに入場し、南武線用に改造され、ナハN36編成になりました。

E233系の特徴のひとつは編成の各形式の末尾2桁の番号を揃えていることでE231系の10連などでは10両編成中にTcが2両、MM'ユニットが2組もしくは3組、Tが2両、もしくは3両の場合、編成中で続き番で番号が進むため、末尾2桁の番号は揃いませんでしたが、E233系では3組のモハユニットを東京寄りから、0番台、200番台、400番台とすることで編成内で番号が進むのを抑え、サハ2両も5号車CP搭載を500番台、6号車CP不搭載を0番台とすることで編成内で別番号としました。もっとも6+4分割編成に関しては6,7号車のクハE232 、クハE233は500番台となり、H43から501の番号が振られ、4連のモハユニットも601から番号が振られることで、編成内下二桁番号の一致は崩れました。

E233-t71-200711
E233-t71-200711-6
2020/7/11 中野 E233系 T71編成

そしてグリーン車2両の挿入、トイレ設置の改造工事が始まり、入場に伴う車両不足に対処するため、常磐緩行線/東京メトロ千代田線乗り入れ用に活躍していた209系1000番台2編成(マト81、82)を中央快速線に転属させましたが、E233系を12年3ヶ月ぶりに新製することになり、2020年6月11日に新編成1編成がJ-TREC横浜で落成、T71 10連貫通編成となり、7月6日から営業運転に入りました。

Dsc01349

Dsc01350  22020/7/19 千駄ヶ谷

トイレ設置工事はされておらず、最大の特徴はこれまでの10連T編成では東京寄りクハE233と高尾よりクハE232の番号は揃っていましたが、クハE233は青670編成の続きで71番となったのに対し、高尾よりクハE232は青467編成の続きで68となっている点です。サハE233-500、-0に関してはT42の続番で543、43、モハE233-400 番台もT42の続番で443となりました。中央快速線10両貫通、6+4分割、青編成による複雑な事情を反映した結果、複雑怪奇な番号構成の編成となりました。

 

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«2020年3月14日のダイヤ改正で登場した「サフィール踊り子」用E261系

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