2020年12月 2日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 49 長野電鉄、懐かしの車両 2000系 その3 小布施駅に保存された りんご電車

2018年晩夏、信州の旅で長野電鉄を訪問した大きな目的の一つは、先日の記事で紹介したトレインギャラリーに保存されている2500系(元東急5000系)の見学とこの小布施駅「ながでん電車の広場」に保存された2000系D編成との再会でした。

Dsc05791 2018/9/1 小布施駅の側線に屋根をつけた「ながでん電車の広場」

2000系D編成がここに保存されたのは昨日の記事にあるように2012年7月7日ですが、それ以前、ここには電機ED502、廃車当時はED5002,デハニ201、廃車当時はモハニ131、モハ604、モハ1003の4両が保存されていたそうです。これらの車両は2000系の展示で屋代線信濃川田駅に移動、さらにデハニ201とモハ604は安曇野ちひろ美術館に移設され、ED5002は、JR長野工場の解体を請け負っている、長野市大豆島の直富商事に引き取られて、クモハ252-1、DD16 303とともに保存されているとのことです(情報はこちらから)。

Dsc05779

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Dsc05781 長野よりの3号車はドアが開放されており、車内立ち入りも可能なようでした。


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2020年12月 1日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 48 長野電鉄、懐かしの車両 2000系 その2 りんご電車

昨日に続いて長野電鉄2000系の話題です。

2007-091231  2009/12/31 須坂 1990年までのりんご電車カラーに復元されたD編成、車両基地にはマルーン色のA編成

1957年2月に第12編成が落成・導入され、3月15日から長野~湯田中間の特急として1日5往復の運用が始まりました。各列車には「しらね」「よこて」「しが」「かさだけ」「いわすげ」といった志賀高原にちなんだ列車愛称が付されました。後に「奥志賀」に一本化されましたが、いつの間にか消滅しました。1980年代までは長野電鉄のロマンスカーとして広告されていましたが、当系列の場合、座席が集団見合い配置に固定されているため、いつの間にかその愛称も消えてゆきました。2本配置、予備車確保のため1日1編成使用であったので、効率が悪く、増発も出来ない状態でした。
1959年、この問題を解決するため1編成の増備が決まり、1962年3月1日からは長野~木島間特急「のざわ」が運転されましたが、利用者が伸び悩んだため、1965年4月には廃止され、その後復活しましたが、長野~木島間直通列車の廃止で、消滅しました。

2008-091231

観光客が増加する中で、新たな特急電車として名鉄7000系パノラマカーと同様な2階運転席による「前面展望」電車3000系が計画されましたが、タブレット交換方式などの問題から2000系が増備され、第4編成では空気バネ台車、スカート装備となりました。その後は通勤型電車の増備が続きました。1981年の長野線長野~善光寺下間地下化では難燃化対策や誘導無線取り付け工事が施工されました。1989年から1990年にかけ、全編成の冷房化が行われ、大型の集約分散式CU-113形冷房装置が1両につき2台屋根上に搭載され、補助電源装置もMGからSIVに交換されました。2連窓もユニットサッシ枠に交換され、前照灯はシールドビーム1灯化されました。

2008-091231-4
2005年、東急電鉄から8500系を譲受、長野電鉄8500系として運用開始するにあたり、B編成(モハ2003 - サハ2052 - モハ2004)が8月28日を以って運用離脱し、2006年10月に解体されました。2005年8月には小田急電鉄から10000形4両編成2本が無償譲渡され、2006年12月9日のダイヤ改正から2代目1000系としてA特急「ゆけむり」として運用開始するにあたり、C編成(モハ2005 - サハ2053 - モハ2006)が運用離脱となりました。
2007年は特急運用開始から50周年の記念すべき年でA編成2月17日より塗装をマルーンに塗り替え復元運転を開始しました。D編成1990年まで使用していた「りんご色」に塗り替え、8月25日から運用に就きました。
2011年2月26日、JR東日本253系2100系「スノーモンキー」が運転開始となり、同年3月27日A編成は運用を離脱しました。最後に残ったD編成は2011年4月以降のイベント時などに臨時列車として運転され、2012年3月31日、屋代線の廃止時に最終営業列車として運転され、2000系としてのフィナーレを飾りました。
A編成は2011年3月の営業運転終了後、須坂駅構内に留置されていましたが、2019年春、解体されました。D編成は2012年7月7日より、小布施駅構内の「ながでん電車のひろば」に展示されています。その様子は明日の記事に載せます。

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2020年11月30日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 47 長野電鉄、懐かしの車両 2000系 その1 マルーン色

長野電鉄の懐かしの車両、今回からは2000系です。2000系は志賀高原を観光地として開発した長野電鉄が輸送力を確固たるものにするために1956年5月に導入に踏み切った新型特急電車で、これまで長らく協力関係にあった日本車輌製造とともに1957年から1964年まで、3両編成4本が製造されました。

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2009/12/31 須坂 特急運転開始50周年を記念して2007年2月17日より、マルーン色に塗り替えられたA編成

先日のOSカーとともにこちらも地方私鉄の電車としては希有の存在でした。開発に辺り、長野電鉄が日本車輌製造に提案した条件は
・電動車2両ユニット間に付随車1両を挿入した3両編成を基本とし、必要に応じて付随車を抜くか挿入した4両編成でも運転可能とする。
・車体は軽量にしながら強度を確保するため、準張殻構造(セミ・モノコック構造)とする。
・外観は流線型とし、客室設備にも配慮、観光鉄道に相応しい斬新な車両とする。
・軽量かつ高速に適する防震台車を用いる。
・主電動機は75kW級とし、狭軌用のWN駆動装置を用いる。
・強力迅速なブレーキ力を確保するため電空併用ブレーキを用いる。
・下り坂で発電ブレーキを効かせることのできる制御スイッチ:降坂抑速ノッチを設ける。         でした。

この提案を受けて日本車輌製造の設計陣が考慮したのは名古屋鉄道が1955年に製造した5000系で図面は一から引き直したそうですが、ボディスタイリングは5000系を意識したものになりました。台車は富山地方鉄道14770形1955年製造)に装備して実績のあった日本車輌自社製のNA-4P形(ゲルリッツ方式ウィングばね型)台車を装備し、電空併用ブレーキについては1954年以降に小田急電鉄や近畿日本鉄道、名鉄などで採用されていた最新式の「HSC-D」電空併用電磁直通ブレーキが採用されました。
電装系は三菱電機が担当し、同社がライセンスを有していたアメリカのウェティングハウス・エレクトリック社とナッタル社の共同開発したWN駆動方式が採用されました。もともと京阪1800系など1435mmの標準軌に適合した方式で、狭軌に適合させるのは至難の業でしたが、WM継手とモーターの小型化で対応させました。1956年12月に就役した富士山麓電気鉄道(現、富士急行)の3100形で55kWモーターで実現し、1957年、長野電鉄2000系で75kWモーターで実現しました。その後、1959年には小田急2400形では120kWモーターに、1963年には近鉄6900系(後の6000系)135kWモーターでも実現しました。先日の記事にあるように長野電鉄OSカーにも使用されました。

1957年2月
第1編成A編成 モハ2001-サハ2051-モハ2002
第2編成B編成 モハ2003-サハ2052-モハ2004
1959年11月
第3編成C編成 モハ2005-サハ2053-モハ2006
1964年8月
第4編成D編成 モハ2007-サハ2054-モハ2008

第1~3編成は蕨市にあった東京支店で製造されましたが、第4編成は新幹線開業前の量産等で多忙であったため名古屋本店が担当しました。

主要諸元
起動加速度 2.6 km/h/s
減速度 3.5 km/h/s
全長 18,600 mm
車体 普通鋼
台車 日本車輌製造 NA4P・NA4
主電動機 三菱電機 MB3032-A
主電動機出力 75 kW × 4基
駆動方式 WN駆動方式
制御方式 抵抗制御
制御装置 三菱電機 ABF-108-15
制動装置 電空併用電磁直通ブレーキ HSC-D

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2020年11月27日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 46 長野電鉄、懐かしの車両 0系、および10系

地方私鉄の中でも長野電鉄は長野駅~善光寺下間の地下化のように他の地方私鉄とは一線を画す奇抜なものを感じます。車両面でも今回紹介するOSカーはかなり異色です。

OSカーとはOfficemen & Students Carの略で、0系が企画された際、逼迫していた朝ラッシュ時の通勤・通学輸送を意識したものだそうです。
1966年に20m車体4扉の0系が登場しました。制御電動車モハ0形と制御車クハ50形の2両編成が2本製造されました。FRPを車両正面全面に採用した日本初の車両で、地方私鉄として積極的にラッシュ対策を施したことが評価され、1967年鉄道友の会からローレル賞が授与されました。

座席はロングシート、定員は160名、座席定員は54名でした。リンゴのイメージさせる赤2号とクリーム4号による塗り分けは警戒色の意味も兼ねて本系列にあわせてデザインされたもので、在来車にも及んで行きました。FRP製の前面は、踏切破損の防止のため前照灯、尾灯、方向幕を上部にまとめており、方向幕は種別表示と行き先表示を上下二段で表示しました。行先には分割運転を見越して「湯田中・木島」の表示を第一編成登場時から備えており、側面にも電動で操作できる行先・種別幕を装備しました。

台車は枕ばねがオイルダンパ併用のインダイレクトマウント式コイルばね、軸箱支持はペデスタル式のNA-18A(モハ0)、NA-18AT(クハ50)でした。車輪径は電動台車は910mm、付随台車は860mmでした。135kWの主電動機でWN継ぎ手による駆動方式のため、電動台車の車輪径は大きく設定されました。朝ラッシュ時には4連で運転されるため、先頭部には回り子式密着連結器が装備されていました。2500導入で4連運用が置き換えられてから後は密着自動連結器に交換されました。2編成導入後、さらに5編成が導入される計画でしたが、乗客数の減少で増備は中止になりました。
長野~須坂~信州中野~湯田中間で運用されましたが、ワンマン運転対応改造が難しく、発電ブレーキを装備していない点も仇となり、長野オリンピックを目前に控えた19973500に置き換えられる形で廃車となりました。

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2009/12/31 廃車後、須坂駅構内で物置代わりとして留置されていた10系 OS11編成

1981年3月1日の長野線長野~善光寺下間の地下化に備え、半鋼製車の置き換えを目指し、A-A基準を満たす車両として日本車輛製造で1980年に製造されたのが10系OSカーです。当初は0系、2000系、モハ1500形以外の全車両を置き換える計画でしたが、製造コストの点から東急5000譲受、改造による2500系導入の流れとなり、1編成の製造に留まりました。本系列以降、自社用新造車はありません。

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系に対する変更点は
・前面のFRP構造をやめ、一般的な鋼板製の三面折妻の三窓式形状への変更
・正面貫通扉からの隙間風による冬季の運転環境悪化を防止するため、非貫通化
・冬季の車内保温を目的に、4扉から3扉へ変更
・主電動機出力を150kWにアップし、抑速発電ブレーキを採用  です。

定員は160名で同じですが、ドア数の減少により、座席定員は62名に増かしました。

台車は、軸箱支持は0系同様のペデスタル式ではあるものの、枕ばね周りは、オイルダンパ併用の単列二重コイルばねと組み合わされた、やや旧式のスイングハンガー式(揺れ枕+揺れ枕吊り)が採用され、台車形式はNA-36形(モハ10)、NA-36T形(クハ60)となりました。木島線や屋代線がワンマン化されて以降は長野線専用となりましたが、0系同様ワンマン化改造が難しいため、製造から23年の2003年に廃車となりました。
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OS11
モハ11 - クハ61

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2020年11月26日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 45 須坂駅、廃止になった屋代線の思い出

臥竜公園、須坂市動物園を見学した後は徒歩で須坂駅に向かいました。

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2018/9/1 須坂駅 駅前ロータリー 連絡橋の左奥が駅舎

091231_20201125185901 2009/12/31

須坂駅(駅番号N13)は現在は長野線の駅ですが、2012年3月までは、屋代線が分岐しており、駅番号もNY13でした。以前、記述しましたが1922年6月10日河東鉄道が屋代~須坂間を開通させたときに開業しました。1922年3月26日には信州中野まで開通、同年6月28日には長野電気鉄道が権堂~須坂間を開通させ、同年9月30日、長野電気鉄道と河東鉄道の合併で長野電鉄の駅となりました。

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2009年当時の1.2番線ホーム 屋代線は4番線発着でしたが、2番線にも屋代線方面の出発信号機リレー灯が見えます。

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信州中野・湯田中方面の4番線と5番線の間にはホームの無い線路(8番線)があり、写真のように編成が留置されています。
 
単式ホーム1面1線、島式ホーム2面4線で5番線までありますが、長野線が使用しているのは1~4番線で5番線は臨時ホーム、イベント時などに使用されます。
ホームは 1番線2番線 上り 権堂・長野方面
     3番線4番線 下り 信州中野・湯田中方面
     5番線 臨時ホーム  で屋代線は4番線が専用ホームでした。


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車両基地も近接して設置されており、3500系や元JR東日本253系2100系の姿が見えます。

3500-3532-091231 2009年の須坂駅で屋代線表示の車両が写っていないか調べたところ、唯一この写真に写っている奥の3500系編成の方向幕に屋の字が見えました。

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2020年11月25日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 44 臥竜公園内須坂市動物園に保存のD51401号機

須坂長野東インターから徒歩で約1時間、須坂市の東部にある臥竜公園には動物園が併設されており、D51401号機が保存されています。

Inked_li-small 村山駅からトレインギャラリー(青)、須坂市動物園(黄)、須坂駅(赤)までの行程 Yahooサイトの地図をベースに加工しました。

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Dsc07446 2018/9/1 最初に到着した場所は南口でした。

臥竜公園は明治神宮や日比谷公園を設計した日本最初の林学博士の本多静六氏1926年に設計、1931年に築造されたもので、この時期は1929年世界大恐慌が製糸業の街、須坂にも多大な影響を及ぼし、多くの失業者が出ていました。公園の築造事業が失業対策の一環でもあったそうです。歴史は繰り返しますが、今の政府はここまで一般国民のことを考えて政治をやっているのか疑問に感じる今日この頃ですが。

公園は日本さくら名所100選にも選ばれるさくらの名所で。他にもアヤメ・フジ・ツツジ・アジサイがそれぞれの季節に咲き競います。

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D51401号機の履歴は沖田祐作氏の機関車表データによると
1940-2-1 日本車輛名古屋工場 製番776
名古屋局配属 配置米原
1943長町
1948-7現在 長町
この間重油併燃装置取付
1955-8-1現在 長町
1966会津若松
1967-7-21大館
1971-9-29木曽福島
1973-9-20廃車 木曽福島
1973-11-20保存

日本車輛名古屋工場製のD51は塩尻市役所の153号機で触れました。

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煙突には集煙装置が付き、潤滑油のバルブはランボード上に線路方向に並んでいます。

Dsc07460 砂管のパターンは3本とも垂直に落ちるタイプで、これまで見てきた同工場製の大きな末広がりパターンからすれば異端のようです。
逆転器リンクプレートは小穴タイプです。

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助手席側キャブ前の潅水清浄装置は無装備で、炭水車の前照灯、尾灯は片側欠でした。

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なぜか蒸気が蒸汽になっている説明版

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キャブ内も見学可能で、メーターのガラスやハンドルが良く保存されていました。

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2020年11月24日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 43 須坂長野東インターそばのラーメン店に保存される2両の車掌車

レストラントレインギャラリーNAGANOにて長野電鉄2500系を見学した後は長野県下の都市公園で動物園も併設されている臥竜公園に向かいました。その前に立ち寄ったのが、村山駅からこちらに来る際に須坂長野東インターそばのラーメン店「蔵」の駐車場に保存されている2両の車掌車、ヨ5000形13581と13824でした。

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Dsc07407 2018/9/1 喜多方ラーメン店「蔵」の駐車場に保存される2両の車掌車

番号的にヨ5000形にこれらが属するのは不自然ですが、ヨ5000形式は、1959年に汐留~梅田間で高速貨物列車を運転するに当り、それまでの主力車掌車であったヨ3500形軸箱支持装置を二段リンク化改造し、最高許容速度を75km/hから85km/hにしたのがヨ5000形式でした。

Dsc07406Dsc07408

ヨ13581に関しては元々ヨ3500形として製造されたのではなく、最初は戦時設計の3軸無蓋貨車トキ900形として国鉄多度津工場にて製造されたものだそうです(情報はこちらから)、1951年にヨ3500形に改造されたそうです。トキ900形はヨ3500形以外にも暖房車マヌ34形、ヌ100形、有蓋車ワ10000形、ワム90000形、豚積車ウ300形、陶器車ポ300形、長物車チサ1600形、操重車ソ50形、雪かき車キ950形等に改造されています。

番台区分
5000番台 ヨ5000~ヨ5011
1959年、東海道線高速貨物列車用にヨ3500形から改造されたグループ。5005~5011はコンテナ特急「たから号」専用車両として車体が淡緑3号、台枠が赤3号に塗装されました。

5500番台 ヨ5500~ヨ5149
ヨ3500形式に代わる新しい車両者として1962年に東急車両製造と協三工業で100両新造された区分。車体が全溶接構造となり、リベットが無くなりました。

5800番台 ヨ5800~ヨ5828
北九州の石炭列車の緩急車として従来のセフ1の老朽代替として、5500番台29両を1977年から1979年にかけ若松工場で改造したもの。

13500番台
1967年以降にヨ3500形を二段リンク化改造した車両。元番号に10000を加え、ヨ5000形式に編入したもので本来は13500~14844となる筈ですが、未改造の車両も200両程度あり、欠番が存在します。

Dsc07402
1986年の貨物列車緩急車連結廃止で大半が余剰となり、1987年の分割民営化で5両がJR東日本に継承されるものの、既に廃車となっています。
 

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2020年11月23日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 42 地方私鉄に譲渡された東急5000系初代

東急5000系初代1954年10月16日東横線で運用開始後、1970年田園都市線から急行用に7000系が転属し、入れ替わりに一部が田園都市線に転属するまで105両全車が東横線で活躍しました。私が高校通学で東横線を利用していた頃は急行運用に7000系が入っていましたので既にこの頃は東横線における5000系初代運用の終盤期に入っていたことになります。1979年8月、田園都市線・新玉川線大井町線の運転系統分離で前者は8500系に統一、5000系は大井町線に配置となりました。1980年3月29日のダイヤ改正で5000系の東横線での活躍は終わりました。

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2015/2/14 東急 電車バスの博物館の車両の歴史紹介の展示から

5000-1500214

大井町線の主力時代も東横線線に8000系や8090系が増備されたことで初代7000系が大井町線で転属し、1985年3月中で終了しました。目蒲線では1980年4月から運用が開始されましたが、1986年6月18日7200系の転属で営業運転が終了しました。先輩の3000系よりも先で東急線から姿を消しました。池上線は車長の関係で入線ができませんでした。

5000-150214

1977年、最初の地方私鉄譲渡として長野電鉄への譲渡が始まり、1980年には福島交通への譲渡も始まりました。福島交通には1980年と1982年に2両編成2本が譲渡されましたが、1991年飯坂線の昇圧で7000系に置き換えられました。

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岳南鉄道には1981年、2両編成4本が譲渡され、1997年7000形に置き換えられ、2006年には予備車として残っていた編成も廃車になりました。

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熊本電気鉄道には前回の記事のように1981年から譲渡が開始され、1983年には上田交通サハ5350形2両を制御車改造したクハ290形が譲渡され、1986年には別所線の昇圧でデハ5001を含む2両編成4本が譲渡されました。1993年には7200系に置き換えられ廃車となりました。デハ5001は廃車後、静態保存のため東急に返却され、緑塗装に戻され、長津田検車区に保存、さらに東急車輌製造構内に保存され、2006年10月26日からは渋谷ハチ公口前に保存されました。長らくハチ公口のシンボルとなっていましたが、2020年8月、秋田犬の里へ移転しました。

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5001-130113-42013/1/13 渋谷駅 ハチ公口


松本電気鉄道には1986年2両編成4本が譲渡され、2両は両運転台化されましたが、2000年京王井の頭線3000系の導入で全廃されました。

TS301台車も譲渡されており、1982年には伊豆急行に譲渡されサハ173と174の台車が振り替えられました。1986年には西鉄に譲渡され宮地岳線の120形のカルダン駆動化に使用されました。

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2020年11月20日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 41 熊本電鉄に譲渡された東急5000系初代

昨日の記事で長野電鉄に譲渡、2500系として活躍後、トレインギャラリー駐車場に保存されている元東急5000系初代を紹介しました。なかなか東急の車両について触れる機会も無いので、2010年に熊本に行った際に熊本電鉄にて乗車した5000形につて触れておこうと思います。

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5101a-100320-2 2010/3/20 上熊本駅に入線・到着する5101A 「平面ガエル」の姿を初めて見たときはそのユーモアたっぷりの愛称に思わず笑いました。

熊本電気鉄道には1981年に2両編成(デハ5043+デハ5044)が譲渡されました。譲渡に際して、600V降圧改造と、主抵抗器の冷却をMGからの送風とは別に行うため、MGを主抵抗器送風機付きのCLG-107からCLG-333に交換し、主抵抗器送風機を新設しました。社紋を熊本電気鉄のものに交換しましたが、車体塗色、台車は東急時代のままとしました。改造は東急長津田車両工場で施工、1981年11月25日に北熊本に搬入、12月2日から試運転、12月21日から営業運転に入りました。
1986年、ワンマン運転対応改造が施工され、1988年には5043が両運転台化改造され、5105に改番されましたが、5044は改造されず休車扱いとなりました。

5101a-100320_20201119192701
オリジナル側運転台 ワンマン運転対応機器もだいぶ年季が入っています。

1985年、東急電鉄からデハ5031・5032・5053・5038の4両が譲渡されました。その際に、連結面側にも運転台を増設し、両運転台化し、ワンマン運転対応用の機器が設置されました。これらは5101-5104となり、上述の5105もこれに倣って自社工場にて改造されました。連結面側は車端部の側窓を埋め、運転室、運転台を設置、側面には小窓が新設されました。3枚窓貫通スタイルで「平面ガエル」と呼ばれました。新設運転台の機器は東急で廃車となったデハ5007-5010のものが流用されました。MGもTDL-359A1に、CPも交換されましたが、それら以外は東急時代と同じでした。

5101a-100320-4 サイドビュウ 後から付けた運転席側窓

5101・5103は既設運転台が上熊本側、5102・5104・5105は既設運転台が御代志側となりました。5101-5104と同時に部品確保用としてデハ5019・5120が譲渡されましたが、当初より車籍は与えられず、北熊本駅構内に留置され、後に解体されました。ワンマン対応であることの識別のため、黄色・橙色の帯が加えられ、側面ドア脇には「入口」「出口」「締切」を示す表示灯が新設されました。前照灯もシールドビームに変更されました。

5102a-17-100320-2 故障がちの5102Aは庫に居ました。

就役後、主力車両として使用され、1991年には水色と青の塗装に変更されました。しかし超軽量車体のため老朽化の進行が速く、冷房装置の搭載も困難なため、1995年以降、都営地下鉄三田線で使用されていた東京都交通局6000形が入線すると置き換えが開始され、最後に5101・5102の2両が残りました。2004年、全線でATS運用が開始された際、この2両にもATS機器が設置され、5101A、5102Aと改番され、東急時代の塗色に戻されました。運用は北熊本~上熊本間専用となりましたが、非冷房のため夏場の平日は元南海22000系を譲受した200形3代目が代走することが多くありました。車体や機器の老朽化で故障も頻発し、2015年から翌年にかけて東京メトロ01系が導入され、置き換えられる形で運用が終了しました。5102Aが最初に廃車対象となり、2015年3月8日に最終運行、4月1日から3日にかけ解体されました。5101Aは2016年2月14日、最終運行、引退後は解体されず北熊本駅構内で動態保存となっています。

5101a-100320_20201119193401
5101Aの車内の様子 ワンマン運転用の機器は小田原機器製、それ以外はオリジナルのままでつり革には東急百貨店、東横のれん街、渋谷の109といった広告が残っていました。

因みに今回の記事の写真はビデオカメラの写真モードで撮影したものです。

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2020年11月19日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 40 トレインギャラリー駐車場に保存される長野電鉄2500系

「信州十割そば処 レストラン トレインギャラリーNAGANO」にて昼食の信州そばを堪能した後は、駐車場に保存される長野電鉄2500系をじっくりと見学しました。

Dsc07412_20201118183101 2018/9/1

この車両は言わずと知れた元東急5000系初代で、私も高校時代の1971年4月から1974年3月は東横線を利用していましたので毎日お世話になっておりました。地方私鉄に譲渡された東急5000系初代に遭遇するのは、熊本電鉄5000形に続き2度目ですが、高校時代に東横線で活躍する5000系初代の写真を撮っていなかったことは今でも悔やまれます。

Dsc07417

保存されているのはC10編成 モハ2510+クハ2560で東急ではデハ5015、デハ5016だった車両です。譲渡の際にデハ5016は電装解除改造されました。

Dsc07434

以下の記述にあるように通過標識灯が尾灯となり、オリジナルの尾灯が撤去され、ジャンパ栓が増設されています。

初代5000系は1954年から1959年にかけ、東急車輛製造において105両、内訳は

デハ5000形式 制御電動車 5001-5055
デハ5100形式 中間電動車 5101-5120
クハ5150形式 制御車 5151-5155
サハ5350形式 付随車 5351-5375 製造当初はサハ5051-5075としてデハ5000形に挟まれ3両編成でしたが、1959年にデハ5000形5051-5055が製造され、番号重複が起こるため、同年8月1日付でサハ5350形に改番されました。

が製造され、3~6両の編成で1954年10月16日から1986年6月18日までの32年弱に渡り、運用されました。

湘南スタイルの正面2枚窓、航空機のモノコック構造を応用した超軽量構造で下膨れの愛嬌ある車体から「青ガエル」の愛称で親しまれました。丸みの強い車体形状は通常の電車に較べ、断面積が小さく、混雑時の詰め込みに適さないことや冷房化などによる大規模な設備の改修に向かないこと、部分的な荷重や応力に弱いことなどで鉄道車両にはあまり普及せず、準張殻(セミ・モノコック)構造の車両が多用されるようになりました。

Dsc07435 直角カルダン特有の構造が見えます。

我が国で初めて本格導入された直角カルダン駆動方式でインダイレクト方式の揺れ枕にボルスタアンカを併用したTS-301台車を履き、その重量は1基あたり4500kgと軽量でした。主電動機は定格速度の高い東芝製SE-518形直巻きタイプ(定格出力110kW、端子電圧750V、電流162A、定格回転数2,000rpm、最高許容回転数4,500rpm、最弱め界磁率50%)が採用されので高速性能が確保されました。起動加速度はMT比2M1Tで2.7km/h/s、1M方式の電動車のため、MT比を自在に変えることができました。PE-11形電動カム軸式抵抗制御器は、直列12段、並列11段、弱め界磁3段、発電制動20段で後に国鉄のCS12形制御器のモデルとなり、さらに改良されて国鉄の電車用抵抗制御器の決定版となるCS15形へと発展しました。
制動には発電制動併用自動空気制動が採用され、発電ブレーキ抵抗器の冷却風を客室内に導き、温風として暖房に使用する設計が取り入れられました。尤もこの方式は動き出した当初はなかなか温まらないため、後年、通常の電熱式に改造されました。

Dsc07420 東横線時代から印象的だったTS-301形台車

主要諸元
車両定員 先頭車140(座席58)人 中間150(座席64)人
自重 デハ5000形 (Mc) 26.6 t デハ5100形 (M) 27.0 t サハ5050形 (T) 20.0 t クハ5150形 (Tc) 21.5 t
全長 18,500 mm
車体長 18,000 mm
全幅 2,740 mm
車体幅 2,700 mm
全高 4,120 mm
車体高 3,640 mm
台車 TS-301
主電動機 SE-518形
主電動機出力 110 kW(端子電圧750V)
駆動方式 直角カルダン駆動方式
歯車比 52:9 (5.78)
制御方式 電動カム軸式抵抗制御
制御装置 東芝PE-11形(弱め界磁起動1段、直列12段、渡り2段、並列11段、弱め界磁3段、発電制動20段)
制動装置 AMCD、手ブレーキ 発電併用自動空気ブレーキ
保安装置 東急形ATS

Dsc07421
5000系と5200系は主抵抗器はカバーで覆われ、MGに取り付けられたファンで冷却する強制風冷式が採用されました。

長野電鉄は1981年の長野線長野~善光寺下間の地下化に対応し、A-A基準1969年5月15日付通達の地下線を運転する車両、地下鉄線に乗り入れ運転する車両に対する火災対策基準、実際には後述のように、大都市およびその周辺の線区で長大トンネルのある区間を運転する車両に対するA基準が適用されました。)に適合する車両が大量に必要となり、1977年から東急5000系の導入を進めました。東急側は3000系初代を譲渡する方針でしたが、長野電鉄の強い要請、東急百貨店(長野県経済の要衝でした)の口添えもあり、5000系の譲渡となりました。1977年1月25日に借入扱いでモハ2601+クハ2551(デハ5036+クハ5155)が入線し、試運転や乗務実習が繰り返され、同年2月9日から営業運転に入りました。

導入に際して長津田車両工場にて以下の改造が施されました。

出力増強改造:信州中野 - 湯田中間の連続勾配区間に対応するため、2両編成については主電動機を東芝SE-626(定格出力115kW)に交換。3両編成については元来搭載する東芝SE-518の磁気容量拡大により対応。
・電動発電機 (MG) と蓄電池を制御車・付随車に移設。固定編成化
A基準適合改造
・ワイパー増設。
・2両編成へのジャンパ線増設。
・尾灯を移設。東急時代は窓下に尾灯、窓上に通過標識灯を配していましたが、譲渡改造時に通過標識灯を廃止し尾灯を窓上に移設。
耐寒耐雪工事改造
・警笛を移設、前面窓下にふた付きのものを設置。
・通風器を押し込み式に取替え。ドアレールヒーターを設置。戸袋を密閉式へ改造。
・乗務員室を200㎜拡張し、仕切り扉を中央へ移設。
・台車を改造することで床面を30㎜下げて、床面高さを1140㎜に変更。

500025002600_20201118160001

最終的に2両編成2500系10本(モハ2500形クハ2500形C編成)、3両編成2600系(モハ2600形サハ2650形T編成)3本の計29両が譲渡されました。
クハ2500形についてはオリジナルのクハ5150形が5両しかなかったので、デハ5000形を5両、電装解除・制御車化改造を施し、対応しました。塗装は写真のように従来車に準じたファーストレッド(国鉄赤2号と同色)とストロクリーム(国鉄クリーム4号と同色)のツートンカラーに塗り替えられ、「赤ガエル」の愛称で親しまれました。1991年頃に塗り分けが変更され上部の赤帯が前面まで回るようになりました。

1980年代から1990年代にかけて長野電鉄の主力車として運用されてきましたが、1980年代から1990年代にかけて長野電鉄の主力車として運用されてきたが、1998年の長野オリンピック輸送に向けた車両保守の合理化を目的に、1993年から帝都高速度交通営団日比谷線用の3000系(3500系)への置き換えが始まり、1998年までに全車廃車となりました。

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2020年11月18日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 39 長野電鉄村山駅から千曲川沿いを南下し、トレインギャラリーへ

再び2018年晩夏、信州の旅に戻ります。村上駅で下車した後、目指したのは上信越自動車道須坂長野東インターチェンジそばにある「信州十割そば処 レストラン トレインギャラリーNAGANO」でした。2012年の長野電鉄屋代線廃止以前は同線の井上駅が近かった(徒歩15分とのことです)と思いますが、残念ながら廃止されてしまったので、村上駅から上信越自動車道沿いの道を歩くことにしました。地図で調べると道なりに4km程あります。

Dsc07398 2018/9/1 道沿いにはリンゴ畑が多くあり、リンゴの木にはすでに大きな果実がつき、赤く色づいていました。

Dsc07410 村上駅を出てから40分くらい歩くと県道58号に出てます。この写真の右隅に写っている車掌車ヨはインター入口の喜多方ラーメン店「蔵」に保存されているもので後日紹介します。

Dsc07439
この光景は喜多方ラーメン店からから須坂方向に向かった際に見えるものです。

Dsc07414 
県道58号を少し西へ行った北側にトレインギャラリーがあります。大きな看板があるので見逃すことはありません。

Dsc07426

Dsc07427

建物の外観は蕎麦屋風で、実態も蕎麦屋ですが

Dsc07428
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Dsc07430 鉄道模型館には3000両を超える鉄道模型が展示されており、思わず童心に帰ってしまうような見事なコレクションでした。

ちょうどお昼の時間帯でもあったのでこちらで昼食を摂りました。食事の後、同館の駐車場に保存されている長野電鉄モハ2510+クハ2560(元東急デハ5015+デハ5016 5016は長野電鉄に入線する際にTcに改造されたそうです。)を見学しました。その様子は明日の記事にアップします。

新型コロナウイルス蔓延の影響で一時は閉館されていたようですが、10月20日から模型館は再開されたそうです。

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2020年11月17日 (火)

西武多摩川線、多磨駅の変貌

昨日に続き、西武多摩川線の話題の続きです。

101n-1247f-180713-21
2018/7/13 多磨駅に到着する1247F

101n-1251f-180713-3 2018/7/18 1251F
2019年3月15日までは早朝・夜間に列車交換が行われていたため、交換設備が残されていましたが、ダイヤ改正でなくなりました。

拙Blogでも2018年7月17日記事で当時の多磨駅の様子について触れました。府中市のホームページによると、同駅は西口駅前広場の整備、大規模商業施設の開業などで駅利用者の大幅な増加が見込まれ、本来は今年に予定されていた東京オリンピック・パラリンピックの競技会場周辺駅として多くの来訪者が予想されることから利便性を良くするため、駅舎の橋上化、東西を結ぶ自由通路の整備を2020年度供用開始に向け開始したそうです。

Dsc03820 武蔵境方面

Dsc03821 2020/11/14 是政方面

私もほぼ1年ぶりに多摩川線を訪問し、同駅の変貌ぶりに驚きました。この変化を時系列的にみてみると
2019年5月26日から下り2番ホームを上り下り共用にして、1番ホームは工事に伴い閉鎖された(1番ホームに設置のトイレは利用可能でした)。上り線路の撤去、1番ホームの拡幅工事が行われました。
列車に乗車するためには構内踏切を渡る必要があり、発車間際に改札口を通っても間に合わないことがあるため、2分以上余裕を持っての利用が告知されていました。

Dsc03815
構内踏切が無くなったことを知らせる案内板

2020年10月24日、始発から拡張された旧上りホームの供用が開始され、それまで上り下り供用だった旧下りホームおよび構内踏切が廃止されました。

Dsc03817 橋上駅舎の構造もできあがりつつあり、旧2番線の解体が進んでいました。

Dsc03810 こういった列車案内システムも導入されています。

Dsc03823 線路に覆いかぶさるように設置されている高圧線鉄塔、ケーブルは多摩川線の初期からあるのではないかと思います。

昨今のコロナ感染の「第三波」と思われる感染者数の増加、国内はもとよりアメリカ大陸やヨーロッパの各国が再び人の移動の制限をせざるを得ない状況になっている中で、我が国はこの夏から開始されたGoToキャンペーンの予算を増額し、延長するという政府方針が伝えられており、さらには2021年に延期された東京オリンピック・パラリンピックも絶対に開催すると政府は考えているようですが、果たしてこんなことをで良いのかと考えさせられる昨今です。

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2020年11月16日 (月)

西武101N系 1249F 列車無線更新済みでした。

2020年11月14日、晴天の土曜日、午後から久しぶりに多摩川線を訪問しました。多摩川線訪問は2019年11月2日以来、ほぼ1年ぶりとなりますが、今回も新小平から武蔵野線で府中本町、府中本町から徒歩で是政というルートをとりました。

この日の運用は赤電塗装1247F、近江鉄道湖風号塗装1251F、赤電塗装1253Fの3本で、イエローベージュ1249Fは白糸台の基地で休みでした。

101n-4-1250-190425-4

101n-4-1250-190425 2019/4/25 萩山 1250の列車無線機器と列車情報表示装置 この時点、さらに2020年の7月に多摩湖線に戻って来た時はこのタイプでした。

訪問の目的は1249Fの列車無線装置、一式の更新確認と多磨駅改良工事の進捗状況の見学でした。

まずは白糸台駅ホームから基地で休む1250の先頭部、運転台の見学

Dsc03796 2020/11/14 白糸台 基地で休む1249F

Dsc03795 下向きに設置されたアンテナが見えます。

Dsc03802 列車無線機器も新しいタイプになっています。

Dsc03801 列車情報表示装置も新しいタイプになっています。

Dsc03797
列車無線アンテナ

1249Fの列車無線機器の更新、更新されなかった1257F、1261Fの廃車で在籍する101N系8編成(263F, 1241F, 1245F, 1247F, 1249F, 1251F, 1253F, 1259F)はすべてデジタル列車無線機器への更新済みとなりました。

263Fは甲種輸送などの牽引車としての役割があるので、当面廃車されることは無いと考えると、今後の101N系4連は検査期限が切れたものから廃車となって行くのでしょうか?

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2020年11月13日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 38 長野電鉄に乗って村山駅へ

長野電鉄に乗車するのは3回目で、1980年代の終わりに大学時代の友人の結婚式に招かれて夜間瀬まで行ったのが最初、二度目は昨日の写真にあるように2009年の大晦日、そして今回でした。今回はまず村上駅まで長野線に乗車しました。

Dsc07387
2018/9/1 長野電鉄長野線 路線図

Dsc07384
長野駅から乗車したのは日比谷線用元営団3000系を3両編成に短縮した3600系L2編成でした。昨日の記事にあるように3両編成の3600系3編成は既に鬼籍に入っています。

Dsc07386

3600 地下駅である長野駅を出発すると複線の地下線のまま、市役所前、権藤、善光寺下と停車し、その先で地上に出ます。この辺の雰囲気は仙台の仙石線とも似ている気がします。善光寺下と本郷の間にかつて地上線時代の線路の分岐点があります。地上線時代は市役所前駅は無く、長野の次に錦町ー(市役所前)-緑町といった順序で駅がありました。長野基点6.3㎞地点の朝陽駅までが複線化されています。

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180901-3_20201112192001 後方展望 現在の村山橋は全長837.8m、車道幅3.25mの4車線、歩道幅3.5m両側歩道、鉄道幅4.8mロングレール、6径間下路ワーレントラス橋と5径間鋼連続箱桁橋を組み合わせた構造となっています。

柳原~村山間で千曲川を渡りますが、ここに架かる村山橋は鉄道道路併用橋です。現在の橋は2009年、前回の訪問時の直前に竣工しており、それ以前の橋も併用橋で1926年、開通時から使用していたものでした。

村山橋を渡ると程なくして村山駅に到着しますが、
Dsc07391 長野電鉄の場合、多くの交換駅での入線方式が右側通行方式、すなわち、列車の進行方向の右側の線路に入線する方式となっています。
何でこうするかと言えば、運転台の位置が列車の左側にあるため、交換駅で運転士と対向列車の車掌同士のコミュニケーションが取り易いからだそうです。

Dsc07392 村山駅を発車する長野行き8500系編成。

Dsc07394駅構内には保線用機械の姿も

Dsc07395 ピンぼけ写真ですが、木造駅舎の駅でした。

ここから千曲川東岸の道を下り、上信越自動車道須坂長野東インターそばのトレインギャラリーを目指しました。

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2020年11月12日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 37 長野電鉄長野駅あれこれ

再び、2018年晩夏、信州の旅に戻ります。飯山から長野に戻った後は、長野電鉄線に乗車、沿線の保存車両を見て回りました。

Photo_20201111084801Photo_20201111184901
     長野株式会社のロゴ       と    社紋

まずは、地方私鉄としては珍しい地下駅となっている長野電鉄長野駅の紹介です。

091231 2009/12/31 長野駅入り口

まずは長野電気鉄道の歴史から。

1920年5月30日、千曲川東岸の須坂、中野などの河東地域と国鉄線を接続し、産業輸送を近代化させる目的で河東鉄道が設立され、同年9月6日には1919年に小諸~小海間の後の小海線を開業した佐久鉄道が保有していた(埴科郡埴生村 - 上高井郡須坂町間)の免許譲受の認可を受け、1921年5月26日、(上高井郡須坂町-下高井郡木島村間、蒸気鉄道、下高井郡中野町 - 同郡平穏村間電気鉄道)という形で河東鉄道に免許が下付されました。1922年6月10日、同鉄道は屋代駅 - 須坂駅間を開業しました。さらに1923年3月26日、 須坂駅 - 信州中野駅間が開業しました。1925年7月12日には 信州中野駅 - 木島駅間が開業しました。

一方、県都長野との接続を目指し、1922年11月25日長野電気鉄道が設立、1923年6月22日、長野市~須坂町間の免許が下付され、1926年6月28日、権藤駅~須坂駅間が開業しました。1926年9月30日、河東鉄道が長野電気鉄道を合併し、長野電気鉄道株式会社に社名変更 、
権藤駅~須坂駅間 長野線
屋代駅~須坂駅~信州中野駅~木島駅間が河東線となりました。

1927年4月28日、平穏線として信州中野駅~湯田中駅間が開業、同年8月27日には山の内線に名称変更されました。1928年6月8日に、長野市-更級郡八幡村間の鉄道免許が下付され、同年6月24日、長野線権藤駅~長野駅間が開業しました。

中小私鉄として戦後初の地下化となった長野線長野駅~本郷駅間は1981年3月1日、同区間の連続立体交差事業として完成しました。
2002年4月1日、河東線信州中野駅~木島駅間が廃止、同年9月18日には運行形態に合わせ、長野駅~須坂駅~湯田中駅間を長野線、屋代駅~須坂駅間を屋代線に名称変更しました。
2012年4月1日、屋代線が全線廃止となりました。

Dsc07378 2018/9/1 地下1階の改札口

長野線長野駅は1928年6月24日開業で、地下化は1981年でした。地下1階がコンコース、ホームは地下2階にあり、櫛型ホーム2面3線構造です。

Dsc07382 1番線 元東急8500系 長野電鉄8500系

Dsc07383 2番線 元小田急ロマンスカー10000形 長野電鉄1000系(ゆけむり)

Dsc07380  元営団地下鉄3000系 長野電鉄 3600系 
3600系は現在も走っている3500系の3両編成版でしたが2020年9月25日を以って引退しました。

といった首都圏でおなじみだった顔ぶれに再会しました。

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2020年11月11日 (水)

西武101N系1261F 横瀬に廃車回送

2020年10月の編成交換に続き、101N系に関する悲しいニュースが飛び込んできました。
今年3月1257Fに続き、1261F11月9日、横瀬基地に廃車回送となったようです。

1261Fは西武所沢工場で101系第11次車の101N系4連(TcMMTc)グループの最終編成として1255F~1259Fと共に製造され、1980年10月23日に竣工しました。

1981年以降、1253Fから1261Fについては701系冷房改造車グループとの併結が可能なように抑速ブレーキの無効化、戸締め装置などの電気回路の変更改造がなされ、新宿線系統に転属しました。

101n-070812-2

2007/8/12 萩山

1998年11月からは多摩湖線の国分寺~萩山間のワンマン運転開始により、1257F、1259F、1261Fの3編成がワンマン対応改造がなされました。

101n-261f-110101
2011/1/1 一橋学園~国分寺

101n-261f-121231-5 2012/12/31 東村山 西武園線運用に この頃の西武園線への出入りは小平経由であったので、編成向きは新宿線と同様に西武新宿寄りが奇数車

2005年3月にはリニューアル工事が施行され、2009年3月には新造当時のイエローベージュツートンカラー塗装が施されました。尤も、1261Fは最初の写真のようにウオームグレーよりも濃いこげ茶色の前面で新造されており、この塗装になるのは初めてでした。

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2015/6/7 多摩湖線 萩山~西武遊園地間 折り返し運用

2016年8月22日には台風9号による土砂崩れに遭遇し、西武遊園地~武蔵大和間で脱線事故を起こしてしまいました。101N系編成の中でベンチレーターが(1261の屋根上になぜか1基)撤去されずに残されたのも1261Fの特徴でした。

101n-4-1261-190202-2
2019/2/2 萩山~青梅街道間

101n-4-1261-190623-4 2019/6/23 南入曽へ入場のため、新宿線本線を上石神井まで上り、一旦車庫に入場

以降、263Fも含めた101N系10編成体制のなか、多摩湖線専用編成として、今日まで活躍して来ました。

101n-4-1262-200405 2020/4/5 最後まで更新されなかった1262の列車情報表示装置

101N系編成においてはデジタル無線等への更新が行われる中、1261Fについては更新が行われず、この10月からは9000系4連も投入され、廃車が近いことが予測されました。目撃情報では先週金曜日11月6日まで営業運用に入っており、11月9日、横瀬基地への廃車回送となった次第です。

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2020年11月10日 (火)

西武多摩川線から1245Fが多摩湖線へ,1249Fが多摩川線に行った10月の車両交換

この10月からは9000系改造4連、9018F、9105Fが投入され、101N系の時代が徐々に終わろうとしている西武多摩湖線ですが、3か月ごとの年に4回行われる西武多摩川線~多摩湖線間の編成交換、今年3回目は多摩川線から1245Fイエローベージュが多摩湖線に戻り、多摩湖線からは1249F同じくイエローベージュが多摩川線に復帰するという交換でした。

1249Fはほぼ3か月前の7月1247F赤電と交換で多摩湖線に来ており、約3か月の滞在で多摩川線に戻りました。あくまでも個人的感想で週末に限った印象ですが、今回の1249Fの多摩湖線滞在期間(2020/7/4~10/24)における営業運転は戻ってきた当初の7月、8月はよく見かけましたが、9月以降はあまり見かけませんでした。

101n1249-200803-3_20201109120601

101n1250-200803-2
2020/8/3 青梅街道~一橋学園間を行く1249F
 
そこで、運用情報サイトの過去ログデータを見てみると、

0718、0719、0720、0721、0722、0723、0724、0725、0726、0728、0729、0730、0731
0801、0802、0803、0804、0805、0815、0816、0817、0818、0819、0820、0821、0822、0823、0824、0825、0826、0827、0828、0829、0830、0831
0901、0902、0903、0904、0905、0906、0907、0908
1009(回送9881)、1021(回送)

目撃情報的にも7,8月は連日、運用に入っていましたが、9月9日以降10月9日の回送9881レ、10月21日の回送9856レでの目撃情報しかありませんでした。Twitterの情報では9月11日に南入曽~9852レ~所沢~9801レ~武蔵丘という入場回送情報があります。

武蔵丘入場で、列車無線の更新等が行われたのか、機会があれば多摩川線に行って調べてみようと思います。

101n-4-1245-201103-2
101n-4-1246-201103-3 2020/11/3 萩山 ほぼ1年ぶりに多摩湖線に戻った1245F

一方、1245Fは2019年10月の編成交換で多摩川線に行って以来、1年ぶりの多摩湖線復帰となりました。こちらは2019年の多摩湖線時代に塗装がイエローベージュとなり、列車無線も更新されています。

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2020年11月 9日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 36 飯山線快速「おいこっと」

JR東日本長野支社は2014年12月下旬、長野総合車両センター所属のキハ110系を改造し、2015年春から飯山線の観光列車を走らせ始めました。愛称は「おいこっと」でその由来は東京のローマ字表記TOKYOをOYKOTと逆読みしたものでした。2014年12月23日に飯山駅にてお披露目の車両展示会、2015年1月2日から定期列車として運行開始、同年4月4日から観光列車として走り始めました。

110235236-180901-2 2018/9/1 豊野 飯山からの帰り、乗車した長野行き列車と豊野で交換した快速「おいこっと」

種車はキハ110形気動車、-235、-236(それぞれ313、314からの編入改造車)で300番台から改造された際には座席の一部(東側)またはすべてがレール方向(東向き)に向けて、飯山線沿線の景色が楽しめるように改造された車両で、「眺望車"ふるさと"」と命名されていました。

再改造では番台区分の変更、改番は行われず、200番台番号のままとなっています。

「おいこっと」として運転される際は長野~十日町間を1往復、停車駅は
長野駅 - 替佐駅 - 飯山駅 - 北飯山駅 - 戸狩野沢温泉駅 - 森宮野原駅 - 津南駅 - 十日町駅 です。
冬季は「冬のおいこっと」として運転され、長野~戸狩野沢温泉間を2往復しています。

「おいこっと」としての運転がない日にはほかの車両と共通運用が組まれ、飯山線および北しなの線・上越線・信越本線で運行しています。

Dsc07369
Dsc07367 飯山駅でも観光列車「おいこっと」をアピールする展示がありました。

2017年には飯山市内における避難指示の影響で戸狩野沢温泉駅 - 森宮野原駅間の長期不通に伴い、5月27日から6月25日まで運休となり、2020年は新型コロナウイルス感染拡大で4月8日から7月22日まで運休となり、7月23日から運転が再開されました。

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2020年11月 6日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 35 飯山駅あれこれ

昨日の記事でも少し触れましたが、2015年3月14日のダイヤ改正による北陸新幹線の長野~金沢延伸開業で飯山駅は大きく変わりました。

180901_20201105183501

2018/9/1 豊野駅のスタイルとは異なり、よく見かけるJR東日本の駅名標

180901_20201105183801 長野方面に続く北陸新幹線高架橋と新幹線駅

180901_20201105183901 上越妙高方面は飯山駅を出発するとすぐに短い長峰トンネルに

従来の信越本線(現在の北しなの鉄道線)長野~豊野~直江津間は豊野から先は飯綱町、信濃町、野尻湖の西側、妙高高原、妙高市を通り、上越市の直江津に至っていましたが、北陸新幹線のルートは長野を出て豊野の先までは並行するものの千曲川の東岸に出、中野市から飯山市に向かい、ここで進路を北西に取り、飯山で飯山線とクロス、長峯トンネル(154m)と飯山トンネル(22251m)で県境を越え、新潟県に入り、上越妙高で北しなの鉄道とクロスし、海岸まで至らずに西進し、糸魚川であいの風とやま鉄道(旧北陸本線)と合流します。

180901-2 飯山線越後川口方面 先の方に見えるポイントに挟まれた場所が旧駅のあった場所 昨日の記事で紹介したC56の姿もちらっと見えます。

110226-180901-22 飯山線の顔、こちらは両運転台タイプのキハ110、226はかつて秋田リレー号に使用された300番台からの編入改造車

新幹線の高架工事は2008年6月に起工され、2014年7月5日から6日にかけてと11月8日から9日にかけ、飯山駅の線路切り替え工事が実施され、11月9日、旧駅から長野よりに300m移転した場所の新駅が供用開始となりました。

180901-2_20201105184501
在来線(飯山線)改札口 列車頻度は2時間もしくは1時間に1本程度 快速「おいコット」に関しては後日触れる予定です。

180901-3 180901_20201105185201 貨物列車の緩急車(車掌車)で実際に使用されていたダルマストーブが展示されていました。

180901_20201105185401 駅ビル内部 土曜日の早朝だったせいか人影はまばらでした。

180901_20201105190601

180901_20201105190701
こちらは新幹線改札口と料金表、長野まで出かける場合、新幹線を使うかどうか、ちょっと迷う料金設定。

1646-180901 駅前ロータリーには有名な野沢温泉まで観光客を運ぶのざわ温泉交通バス「野沢温泉ライナー」が客待ちをしていました。

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2020年11月 5日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 34 飯山駅そばに保存されるC56 129号機

豊野駅から飯山線の列車に乗り換え、千曲川沿いの風景を楽しみながら約30分で列車は飯山駅に到着します。飯山駅に関しては以降の記事で触れますが、北陸新幹線の開業で駅は300m長野方に移動したそうで、C56129号機が保存されている鉄砲町児童公園がまさに旧駅の横だったそうです。

Dsc07343 2018/9/1 飯山

まずはいつものようにこの機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表データから
1938-2-21 日立製作所笠戸工場 製番972
仙台局配属
1938-2-21配置 盛岡
1941現在 釜石
1943現在 中込
1947現在 中込
1955-8-1現在 飯山
1965現在 飯山
1971現在 長野
1973-1-10廃車 長野

Dsc07345edit
以前はナンバープレートもない状態だったそうですが、残念なことに煙室扉のハンドルがありません。

製造は日立製作所笠戸工場で新製配置は盛岡でした。東北地方、釜石線などで活躍の後、長野へ、そして1973年の廃車まで長野で活躍しました。1072年3月19日の飯山線さよなら蒸機牽引旅客列車を111号機と柔連で牽引しました。因みに貨物列車は1972年9月30日まで運転されました。111号機は兵庫県宝塚市の雲雀丘学園小学校に保存されているようです。

Dsc07348
Dsc07349
Dsc07351
石炭積み増し用の囲いは骨だけが残っています。

Dsc07350 よく読んでみると説明板の記載と履歴データの違いに気づきますが、こうして説明板が付いていることは重要に思えます。

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