2024年9月 6日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その82 22機目の-446 中短距離用 JA8910

京都の旅から無事帰宅しました。金曜日の記事なのでこれまで通りにJAL B747シリーズの記事ですが、京都からの帰り、JR東海、静岡地区にも315系3000番台4両編成が投入されているのに気がつきました。編成はUシリーズでこの6月1日から営業運転が開始されたようですね。浜松から熱海までU2編成に乗車しました。

さて、cn26355/ln1024として1994年3月7日に初飛行、1994年3月29日にJALに引き渡された22機目の-446がJA8910です。この機体とJA8911、JA8912の3機は国際線仕様の-446ですが、交代乗員用のクルーレストがなく、ギャレーのキャパもホットミール1食分とし、中・短距離国際線仕様機として導入された機体です。エンジンや着陸関連の機器類に関しては超長距離用と変わりありませんが、機内サービスや乗員のサポート体制が異なる機体でコンフィグもC76パターン(F/19、C/66、Y/346)で、就航路線は成田発午前便の香港線、3クラスのホノルル線、上海線で活躍しました。

Ja8910-jal-b747446-cn26355-ln1024-9605061996/5/6 NRT

Ja8910-jal-b747446-cn26355-ln1024-9604291996/4/29 NRT

Ja8910-boeing-747446-26355-1024-050114-n 2005/1/14 NRT

20110年3月、退役し、Aersale管理下でN356ASとリレジ、2011年12月16日からGeneral ElectricsのフリートとなりレジはN747GFとなりましたが、こちらも2020年12月に退役、現在も解体されることは無く保管中のようです。

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2024年9月 5日 (木)

速報版 2024年晩夏 京都の旅 3日目 嵐電から始まり、阪急PRiVACE、JR、阪急2300系で締めくくり

京都の旅、3日目は壬生川通が嵐電と交差する「四条大宮2号」踏切で6:10発の始発から約2時間、朝のラッシュ時間の嵐電併結編成の撮影を敢行しました。6:10発の始発編成は四条大宮駅に滞泊する編成が無いために西院車庫からの回送が6:01頃やって来ます。

Dsc00363

2024/9/4 四条大宮2号踏切 モボ106+モボ101

この編成が6:10発の嵐山行で嵐山まで行き帰ってくるのが7:06でした。その間に
左の時刻が大宮方面、右の時刻が嵐山方面
6:16 625+632 6:25
6:35  104+622   6:45
6:45  631+102   7:01     
7:06  106+101   7:17
7:16  301+614   7:25
7:27  625+632   7:36
7:31  633+616   7:40
7:41  104+622   7:48
7:49  612+501   7:56
7:58  631+102   8:05
8:06  2001+2002 (8:13)      まで撮影しました。

嵐電の場合、朝の併結編成の相手はVVVF車の2000形以外は共通運用なので毎日、違う車両と併結しているようです。

Dsc00493_20240904192701 2024/9/4 梅田 9306F

嵐電を満喫した後は大宮駅にて阪急・阪神1日フリー切符(¥1600)を購入し、阪急京都線で大阪梅田に向かいました。ちょうど大宮から乗車した準特急は9300系9306Fでしたが、PRiVACEと書かれたHMの意味は、2024年7月に登場した2300系の座席指定有料サービス車両を暫定的に組み込んだ編成であることでした。9300系11編成のうち、9303F~9308Fの6編成のT2車9880~を外し、2300系の座席指定車2350~を暫定的に組み込んだ編成にこういったHMが掲示されています。

Dsc00617_20240904192801 2024/9/4 茨木市 9305Fに組み込まれた2360

2300系の製造、運用投入に関しては今年度は2300F、1編成のみですが、PRiVACEカーの2350の他に2356~2361の6両が製造され、9300系に暫定的に組み込まれ運用に入っているようです。

十三にて京都線、宝塚線、神戸線の編成を30分程度撮影した後、神戸線で三宮に向かいました。

またEF200が現役でEF66の0番台などが活躍していた頃、元町駅の神戸よりで複々線の外側線を走る貨物列車をよく撮影したものでしたが、最近はとんとご無沙汰でした。今回、富山機関区のEF510が岡山まで行き、帰りに1086レを牽引して12時32分に神戸貨物ターミナルを出発するのをまだ撮影していなかったので元町で狙うことにしました。Dsc00581 2024/9/4 元町 1086レ EF510-17
台風10号の影響でJR貨物の列車も運休が長引いたため、EF210牽引の貨物列車に関しては訳の分からない時間に通過する中、1086レはほぼ定刻にやって来てくれました。

本来は宝塚線から能勢電鉄線も訪問する予定でしたが、今回はパスして一旦、ホテルに戻ることにしました。その前に阪急の駅員に2300系編成の運行予定を聞いてみると、17:23茨木市発の準特急で走るとのこと。

夕刻、再び阪急京都線で茨木市に向かい、正雀方面から回送でやって来た2300Fを無事撮影することが出来、さらに河原町まで、そして折り返し大宮まで乗車することが出来ました。

Dsc00667 Dsc00672_20240904195001 2024/9/4 茨木市 2300F 同駅始発の準特急 河原町行
2300系と1300系を並べてみると、2300系は独特の形態の窓枠をしていることが分かります。

Dsc00670_20240904195401 梅田より4両目に2350形,PRiVACEカーが連結されています。

Dsc00681 車内は車端部を除き、転換クロス式シートで最終的に12編成まで増備され、京都線の特急車両として活躍することが運命付けられています。

Dsc00680_20240904195901

車端部はロングシートと車椅子スペースとなっています。

Dsc00689_20240904200201

運転台は大型ディスプレイが2基設置され、Tハンドルタイプのワンハンドルブレーキ・マスコンとなっています。

というわけで京都での2日間を満喫しました。明日は東海道をひたすら東上します。

 

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2024年9月 4日 (水)

速報版 2024年晩夏 京都の旅 2日目 午前中は嵐電、午後は叡電を満喫

新型コロナの時期を除いて、関西の旅は現役時代からよくしてきましたが、京都に宿泊するというのは随分、久しぶりの気がします。

今回、四条堀川のホテルにしたのは、旅の目的が昨年、西院で撮影し、その魅力に嵌まった嵐電(京福電気鉄道嵐山本線と北野線)の撮影を一番に考えたからでした。四条堀川から嵐電の始発駅である四条大宮へは歩いて数分の距離です。

四条大宮の交差点といえば東西南北の碁盤の目のような道路に対して斜めの後院通(こういんどおり)が北西の方向に伸びるのが特徴的な交差点ですが、嵐電四条大宮駅を1階部分に持つビルも、嵐電の線路の方向に合わせるように南西~北東を向いて建っています。
Dsc00006_20240903182501 2024/9/3 四条大宮交差点に建つ嵐電駅が1階部分にあるビル

Dsc00184_20240903182901 出札口で1日フリー切符¥700を購入

Dsc00008_20240903183201 ホームで待っていたのはモボ501+モボ502の併結編成でした。

嵐電初の冷房車として1984年に登場、都電7000形車体更新車を参考とし、ドア配置もワンマン運転を考慮し、前中扉構造としたものの、他車との配置の違いが災いし、厄介者扱いされ、リニューアル工事で扉配置が従来車と揃えられた歴史をもつタイプです。

Dsc00018
この編成で嵐山まで行き、渡月橋などを観光したのち、有栖川にて朝の併結編成を撮影、

Dsc00038 京紫を纏ったモボ106

Dsc00070 朝のラッシュ時間にしか見られないといっても過言ではないモボ301 現役最古の形式

Dsc00079 江ノ電とのコラボのモボ631

などを撮影し、懐かしい吊り掛けサウンドを満喫した後、帷子ノ辻から北野線に乗車しました。

Dsc00111 2024/9/3 北野白梅町 モボ621

こちらは一部複線区間はあるものの、殆ど全線単線で狭い用地に何とか駅を用意したという駅が何駅かある路線です。ニュースによると9月2日には脱線事故があり、今朝は始発から運行しているとのことでした。北野線を1往復して、帷子ノ辻から再び、嵐山本線へ

Dsc00141 三条通の併用区間を走る山之内電停の幅の狭すぎる安全地帯を撮影し、

Dsc00150_20240903190701

併用区間を行くモボ106

Dsc00172

最後は昨年同様に西院車庫の様子を見て、四条大宮に戻りました。

一旦、ホテルに戻った後、午後からは叡山電車の撮影に出町柳駅に向かうことにしました。

Dsc00191_202409031913012024/9/3 叡山電車 出町柳駅

四条堀川から出町柳、電車で行くなら大宮から阪急で京都河原町、四条祇園まで歩き、京阪で出町柳に向かう方法がありますが、市バスなら3系統で乗り換え無しで行けるのでバスによる方法を選択しました。幸い渋滞に巻き込まれること無く無事到着しました。こちらの鉄道にも1日フリー切符「えぇきっぷ」¥1200があります。路線は八瀬比叡山口に向かう叡山本線と宝ヶ池で分岐して鞍馬に向かう鞍馬線があります。
出町柳の出発ホームから叡山本線と鞍馬線は別れています。それは叡山本線が通常1両の運行、鞍馬線が2両編成の運行となっているためです。

Dsc00206_20240903193501 2024/9/3 元田中~茶山京都芸術大学間 叡山本線の700系 722

Dsc00226

宝ヶ池に到着する900系 903+904 鞍馬線

Dsc00214

叡山本線の終点、八瀬比叡山口に到着

Dsc00241 鞍馬線の終点、鞍馬駅

どちらの終点もかなり標高の高い地点にあるため、電車は急坂を登って到着すると言った様子でした。

Dsc00293

車両基地は修学院駅に隣接してありますが、今回のお目当てであった700系732「ひえい」の姿はどこにもありませんでした。

出町柳に戻った後は京阪電車で三条、地下鉄東西線で蹴上へ行き、南禅寺の水路閣を観てきました。

Dsc00340
琵琶湖疏水の分流として南禅寺の境内を流れる水路をローマの水道橋のように煉瓦アーチの構造物にしたもので実際に水が流れており、煉瓦アーチの風情もなかなか見応えのある構造物です。

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2024年9月 3日 (火)

速報版 2024年晩夏 京都の旅 1日 台風の進路に悩まされた往路

2週間前の新潟の旅に引き続き、18切符の残り2日分を使って京都の旅を敢行しています。

今回ほど台風の進路に悩まされたことはありませんでした。8月22日午前3時にマリアナ諸島で発生した台風10号(サンサン)は発生時点では鹿児島付近に上陸後、日本列島を縦断する形で進み、8月中には北海道方面に抜けて行くと予想されていました。日本近海の海水温が平年よりも高かったことにより、台風は発達し、勢力を強め、鹿児島県薩摩川内市付近に上陸したものの、台風を流す風の力が弱く、移動速度は著しく低下しました。そのため、九州から関東にかけて発達した雨雲が断続的にかかり、宮崎県のえびの高原也静岡県の天城山では総雨量が900mmを越えるなど各地で記録的な大雨となりました。結局、台風10号は九州から四国へ、さらに東進し、9月1日正午に東海道沖で熱帯低気圧になりました。台風から熱帯低気圧になる条件は最大風速が17.2m未満になることです。また熱帯低気圧は海上の強い日差しで発生した水蒸気が上昇気流となり、出来た渦によるもの、温帯低気圧は南の暖気と北の寒気の温度差で起きた渦によるもので、熱帯低気圧に寒気は関与していません。

私も今回の京都旅行の出発を控え、先週、列車の運行状況が気になっており、特にJR東海の在来線の運行状況を毎日のようにチェックしていましたが、9月2日朝の時点で、東海道本線静岡~掛川間が雨による規制で列車の運行が止まっていました。

いつもなら関西に行く場合は、東京発6:30の1521E熱海行、熱海から沼津1423M、沼津から豊橋755M、豊橋から大垣2319F、大垣から米原229F、米原から京都3483Mで京都に15:43に到着出来るのですが、静岡~掛川間がいつ復旧するか出発時点では読めなかったので、中央線塩尻経由で名古屋まで行くことにしました。

Dsc09902

2024/9/2 早朝の国分寺駅 中央線列車案内 東海道経由の場合は5:28発の東京行に、中央線経由の場合は5:32発の高尾行に
      塩尻での接続待ちを考慮するともう少し遅い高尾方面でも間に合ったはず

Dsc09906 2024/9/2 高尾 1450M 高尾から塩尻まで 塩尻着9:18

Dsc09940_20240902194801 2024/9/2 塩尻 しなの3号 A102+A202

Dsc09944 Dsc09948_20240902195101 2024/9/2 塩尻 しなの6号 A204+A3

Dsc09959_20240902195401 2024/9/2 塩尻 あずさ5号 

Dsc09960 2024/9/2 塩尻 2080レ EH200-19

塩尻では90分の接続待ちとなり、その間に中央西線の特急「しなの」、中央東線特急「あずさ」、さらに南松本から蘇我までEH200が牽引する2080レなどを撮影

Dsc09962 2024/9/2 塩尻 313系 B504編成 1826M

塩尻から中津川間は東海道でいうと沼津~豊橋間のような、編成両数も運行本数も少ない区間ですが、景色は絶景です。

Dsc09974_20240902200201 2024/9/2 中津川 315系C6編成 

中津川から先は名古屋近郊区間で最新鋭の315系8連が投入されています。13:16に出発して14:36に名古屋駅に到着。東海道経由より、2時間弱の遅れです。塩尻での接続を短く、すれば乗車時間的には殆ど同じかも知れません。

あとは東海道新快速で大垣、大垣から米原、米原から新快速で京都駅には17:12に到着、堀川四条のホテルには18時前に到着しました。新幹線を使えばドアtoドアでも4時間弱の旅ですが、中央線、東海道経由の鈍行の旅も色々な見聞があるものです。

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2024年9月 2日 (月)

2024年度になって増えた西武新宿線の珍編成

西武鉄道では界磁チョッパ車である2000系の廃車、2000N系の廃車、編成の短縮化が続いていますが、その影響なのか、今年度に入り、平日の新宿線運用における2000系(もはや2連2編成を残すのみ)、2000N系による細切れ編成が頻繁に登場しています。今回は目撃情報サイトの情報を基にそれらをまとめてみました。

まず、以前は珍しかった2+4+4の10連はほぼ連日登場しており、これは珍編成には含めないことにしました。

最近の傾向として頻繁に登場するようになったのは2連と6連による8連が各停を中心とした運用に入る例です。

 日付                編成内容(左側が西武新宿側)   
2024/3/5-3/8 3/11-3/15               2047F+2463F
2024/4/1                        2051F+2417F
2024/4/8,4/9,4/11,6/11,6/24           2047F+2417F
2024/5/1                                     2053F+2457F
2024/5/7-5/9                               2453F+2053F
2024/5/17                                   2049F+2419F
2024/7/25,7/26                       2049F+2461F
2024/8/13,8/14                    2051F+2465F
2024/8/21-8/23                    2419F+2049F
2024/8/26-8/29                    2047F+2419F

池袋線では2連と8連で10連を組む場合、2連の連結は池袋~飯能間の場合、ほぼ飯能側(8連の奇数車側)に限定されていますが、新宿線ではどちらにもありでしたが、2+6による8連においても2連はどちら側にも連結されていることがわかります。また一度編成を組むと同じ編成が数日間に渡って運用に入る場合がありますが、6連や2連のどの編成が特異的に連結されるといったことは無いようです。また出現はいまのところ平日運用に限定されています。これらのことからこういった編成は8連貫通編成の代用としてやむを得ず組成されたものと想像されます。

2000-2-2420-240828-2

2000n-6-2047-240828

2024/8/28 井荻 西武新宿側2047F、本川越側2019Fで組成された8連

2000n-6-2047-240828_20240901043401 2024/8/28 沼袋 同編成

2000n-6-2047-240828_20240901043501 2024/8/28 小平 同編成

2047Fにとってみれば同編成の通常の働き場所は国分寺線で時たま、4連と併結で10連となり、本線の急行・準急運用に入ることもありましたが、2連と組んで8連の各停運用はこれまでに殆ど無かったと思われます。

さらにもっとレアなケースとして3編成による8連、10連(2連2組と6連からなる)も登場しています。

2+6+2
日付                編成内容(左側が西武新宿側) 
2024/6/13,6/14                         2457F+2049F+2465F
2024/6/25,6/26                         2419F+2047F+2417F

2+2+6
日付                編成内容(左側が西武新宿側) 
2024/7/3                                  2451F+2453F+2077F
2024/7/10                                2455F+2461F+2051F

2+2+4
日付                編成内容(左側が西武新宿側)
2024/6/11-6/14                         2461F+2453F+2523F
2024/7/4                                  2451F+2453F+2531F

4+2+2
日付                編成内容(左側が西武新宿側)
2024/8/8                                  2533F+2455F+2465F

これらの編成が登場したのは2000系8連の消滅、2000N系8連の減少によるものかと想像されますが、今後どうなるのか見守ってゆきたく思います。

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2024年8月30日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その81 21機目の-446 JA8909

cn26353/ln980として製造、1993年5月21日に初飛行、6月7日にJALに引き渡されたのがJA8909でした。

JALにとって最初に国際線用に導入したJA8101~JA8103の3機の-146が退役したのが1992年6月から12月でした。JA8101は終生、JAL機で、JA8102とJA8103は1982年から1986年までJAAに移籍していますが、これら3機のリプレイス用として、「ジャンボの後継はジャンボで」というポリシーで導入された機体のようです。

2005年夏にはサッカー日本代表応援ステッカーが機体に添付されました(写真はこちらをご覧ください)。日本代表チーム(監督はジーコ)
2005年6月8日にアジア最終予選B組1位となり、ドイツで開催される本大会FIFA WC 2006の出場権を獲得しています。これは世界で一番のりでした。

本大会はグループFに入り、初戦オーストラリア戦は1-3、第2戦クロアチア戦は0-0、第3戦ブラジル戦は1-4と勝ち点1、グループ4位で予選リーグ敗退でした。決勝はイタリアとフランスの戦いとなり、120分で決着がつかず、PK戦となり、5-3でイタリアが勝利しました。イタリアは6大会ぶり4回目のWC優勝となりました。

Ja8909-jal-b747446-cn26353-ln980-981025-

1998/10/25 NRTJa8909-boeing-747446-26353-980-040414-nr 2004/4/14 NRT

JA8909はMAGIC-II装備の3クラス機として欧米線、東南アジア線に就航、2006年12月には旅客型から貨物機に改修され、-446BCFとなりました。2009年8月に退役、2010年12月6日からKalitta Airのフリートに加わり、レジはN744CKに。現在もActiveです。

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2024年8月29日 (木)

西武鉄道 2000N系 6連化された2091Fが国分寺線・拝島線運用に

2024年7月2日、池袋線で使用されていた2000N系8連,2091Fが横瀬基地に回送というニュースがありましたが、同編成は2291,2292を抜かれ6連化された後、武蔵丘車両検修場に入場、抜かれた2291、2292は7月16日に横瀬車両基地から廃車・解体施設へ陸送されました(情報)。6連となった2091Fは8月20日、武蔵丘車両検修場を出場し、試運転が実施され(情報)、翌8月21日より、これまでに6連化された2077F, 2081Fと同様に国分寺線、拝島線での運用に投入されました(情報)。私も8月26日に国分寺線で運用に就く姿を撮影しました。

2000n-6-2092-240826


2000n-6-2091-240826


2000n-6-2091-240826-2


2024/8/26 小川 2091F 6662レ

2000n-6-2091-240826-21
2000n-6-2092-240826-21 2024/8/26 小川 6661レ

2000n-6-2092-240826-31 2000n-6-2091-240826-31 2024/8/26 小川 6668レ

この日は国分寺線運用に2077F、2051F(貫通扉窓小)の3編成、拝島線運用に2053Fが入っていましたが、小田急8000形改造のサステナ車が入線するまでにはこれまで国分寺線で活躍してきた2000N系オリジナル6連でバリアフリー対応未更新の2051F,2053F,2049Fは淘汰されるのでしょうか?

000N系8連の廃車(部分廃車)に関して

2057F 2023/1
2059F 2022/5
2061F 2023/2
2063F 2021/11
2067F   2024/3
2077F 2023/8 (2277・2278の廃車)
2081F 2023/12 (2281・2282の廃車)
2091F 2024/7 (2291・2292の廃車)
2097F 2016/9

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2024年8月28日 (水)

速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その3 焼島貨物

一ノ木戸(現、東三条)方面から延伸してきた北越鉄道の路線は1897年11月20日 、信濃川の川幅が1km近くあったことから架橋が出来ず、新潟市東部の沼垂に駅を設け、終着駅としました。新潟市民の反対は強く、開業前には沼垂駅で機関車と貨物庫、新栗ノ木川の鉄橋が爆破される騒動まで起きました。
 その後も鉄道誘致活動が続き、1904年5月3日、市の中心部に近い弁天公園付近に新潟駅が開設されました。これが初代の新潟駅ですが、1937年に日中戦争が勃発し、太平洋戦争を経て、戦後になると新潟駅は大陸からの引揚者などで常に人が溢れる状態が続き、さらに沼垂を出発した列車が大きく迂回をして新潟駅に入る時間的ロスや越後線の連絡も考慮し、信越線、白新線、越後線の3線の統合される現在の場所に移転となりました。新駅駅舎の完成は1958年4月29日でした。Photo_20240827095701

沼垂駅、旧新潟駅、現在の新潟駅と焼島貨物駅の位置関係を示した地図
Yahooの鉄道路線マップをベースに作成しました。

今回の旅行の2日目に東新潟、越後石山付近を歩いた後、新潟貨物ターミナルから焼島貨物駅に至る信越貨物支線を探して歩きました。新潟駅前から1ブロック北の東西に走る明石通りを東に歩くと栗の木バイパスとの交差点(栗の木橋)があり、さらにそれを越えて東進すると道路は立体交差となり、線路跡を越えます。

Dsc09220

2024/8/19 廃線跡 北側

Dsc09221_20240827100901 2024/8/19 廃線跡 南側

この廃線跡がかつて沼垂駅に通じていた信越線の線路跡で、南側の写真の奥に見えている新幹線の引き上げ線の高架付近で現在の信越線・白新線から分岐しています。

Dsc09222 2024/8/19 沼垂駅に続く信越線が水路を渡っていた跡、橋梁は撤去されていますが、橋台は残っています。

これをさらに南下し、信越線、白新線の下を潜り、線路に沿って進むと2日目の記事で紹介した都市計画道路出来島上木戸線の信越本線・白新線オーバクロスポイントに出ます。

3日目は明石通りをさらに東進し、現在もActiveな焼島貨物駅に通じる信越貨物支線を目指しました。

Dsc09407_20240827102001 2024/8/20 
榎町の歩道橋、日産自動車のディーラーの前を過ぎ、東消防署を右手に見て進むと、道路は線路を越えるため上り坂となり、その手前に左に分岐する道があります。

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Dsc09413

2024/8/20 焼島貨物駅で出発準備をするDD200-22号機牽引 7082レ

Dsc09406_20240827102801
焼島貨物は北越コーポレーション新潟工場で生産された紙製品を隅田川駅のエフ・プラザ隅田川へ送る業務を担当しており、新潟貨物ターミナル駅と焼島貨物駅間のコンテナ貨物の牽引を愛知機関区配置のDD200形が担当しています。

新潟タ 843ー7251レー859 焼島
焼島 1058ー7252レー1116 新潟タ
新潟タ 1134-7253レー1150 焼島
焼島 1452-7082レー1510 新潟タ   と2往復設定されています。

かつては日本鋼管新潟製造所や旭カーボン本社工場などへ続く専用線もあり、旭カーボン線からは西武鉄道小川駅(ブリヂストン東京工場)向けのカーボンブラックの発送もされていたとのことです。2010年10月までは紙製品はワム80000形有蓋車で輸送されていました。

Dsc09428

2024/8/20 焼島貨物駅から上沼垂信号所へ
新潟タまで5.2kmと短い貨物線ですが、「乗れない鉄道」として産業に貢献していることが分かりました。

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2024年8月27日 (火)

速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その2 直江津駅 part2

JR東日本とJR西日本の共同使用駅から北陸新幹線の金沢延伸で、第3セクター・えちごトキめき鉄道の駅となった直江津駅について、昨日の記事では同駅に乗り入れる第3セクターの車両について紹介しましたが、今回はJRの車両、列車について触れようと思います。

Dsc09352
Dsc09355edit Dsc09354_20240826073101 2024/8/20 直江津 E653系1100番台 特急「しらゆき2号」

北陸新幹線金沢延伸で金沢~新潟間の特急「北越」5往復、新井~新潟間の快速「くびき野」が廃止された代わりに新井・上越妙高~新潟間に計4往復設定されたのがこの「しらゆき」です。車両は既に何回か登場しているように常磐線で活躍していた「フレッシュひたち」のE653系4連です。
個人的には新幹線延伸の影響で直江津~新潟間の信越本線は大きくサービスダウンしたのではと感じています。開業前は特急「北越」5往復、快速「くびき野」3往復、いずれもかなり老朽化が進んではいましたが485系特急電車が使用されていましたが、開業後はこの「しらゆき」5往復のみとなり、2022年3月のダイヤ改正で1往復減便されました。

新幹線がいくら開業しても線区によって分断されることなく運行を続けているのがJR貨物です。もちろん、線路使用料の問題はあるかと思いますが、朝8時台の直江津駅は貨物列車の撮影時間帯でもあります。

Dsc09317_20240826082001 2024/8/20 直江津 3092レ
最初にやってきたのは所定、3:50着,3:52発のところ、4時間半の遅れでやってきた新潟タ発、福岡タ行、3092レでEF510-513号機牽引でした。

Dsc09323 2024/8/20 直江津 4091レ

続いて、3分遅れで到着した下り吹田タ発札幌タ行4091レはEF510-514号機牽引でした。

Dsc09343 2024/8/20 直江津 4076レ

撮影場所を1番線の西寄りにして写したのが、定刻より2分早く到着した八戸貨物発百済タ行4076レでEF510-5号機牽引でした。

最後に直江津駅の東側には1894年8月に発足した直江津機関庫をはじめとする直江津運輸区2015年3月14日限りで長岡運輸区に統合され、設備はえちごトキめき鉄道に譲渡された車両基地があります。

Dsc09361_20240826084101 2024/8/20 えちごトキめき鉄道の車両基地

この設備の一部が2021年4月29日から「直江津D51(デゴイチ)レールパーク」としてオープンし、年に何回か公開されていることをテレビの鉄道関連番組でしており、WEBサイトで調べてみたところ、8月の公開は10、11日で次回は9月14日とのことでした。

Dsc09372_20240826085001 2024/8/20 直江津駅南口

Dsc09367_20240826085201
Dsc09368 2024/8/20 直江津D51レールパーク

直江津駅南口を出て、案内標識に従い、進むと施設の入口にたどり着けます。

次回、オープンのタイミングに合わせて再訪したく思いました。

直江津から9:51発の1329Mで長岡へ、長岡から443Mで新潟に戻り、午後は沼垂駅に通じる貨物線、さらに焼島貨物駅にてDD200牽引の7082レを撮影しました。

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2024年8月26日 (月)

速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その2 直江津駅 part1

8月18日から21日にかけての新潟旅行、前回の2013年8月7日から10日の旅行で撮影した写真と見較べてみると、115系、E127系の姿は無く、特急「いなほ」の485系E653系に置き換わり、特急「北越」快速「くびき野」に代わって特急「しらゆき」が登場し、気動車もキハ40系かGV-E400系となり、JR貨物の牽引機もEF81の姿は無くなりました。10年ひと昔と言いますが、11年の年月が過ぎると車両もこうも変わるのかと驚かされた次第です。

そしてもっと驚かされたのが3日目に訪れた直江津駅の変貌ぶりです。直江津駅は2010年7月17日から19日にかけて訪れていますが、当時の写真を見ると

日本海縦貫線:急行「きたぐに」(大阪~新潟)581系、特急「北越」(金沢~新潟)485系、臨時特急「トワイライトエクスプレス」(大阪~札幌)24系 特急「はくたか」(金沢~越後湯沢)681系683系
信越本線:快速「くびき野」(新井~新潟)485系

北陸本線~信越本線:419系475系

信越本線:快速「妙高189系、115系(新ニイ、長ナノ)

ほくほく線:HK100形681系2000,683系8000

JR貨物:EF81、EF510    などが登場します。

Dsc09360 2024/8/20 直江津駅通路 

直江津駅を中心とした鉄道の発展の歴史を振り返ってみると、1886年8月15日官設鉄道により、 関山~直江津間が県内最初の鉄道として開業し、直江津駅はその終着駅として開設されました。その後、高崎方面には1888年5月1日に関山~長野、8月15日に長野~上田、12月1日に上田~軽井沢間が開通、1893年4月1日、軽井沢~横川間が開通し、1885年に開通していた高崎~横川間と繋がり、全通しました。
 一方、北越鉄道1897年5月13日、春日新田~鉢崎(現在の米山)を皮切りに、8月1日には柏崎、11月20日には柏崎~北条、沼垂~一ノ木戸(現在の東三条)、1898年6月16日には一ノ木戸~長岡、12月27日には北条~長岡を開業、1899年9月5日には直江津~春日新田間が開業し、1904年5月3日の沼垂~新潟(初代)間の開業で直江津~新潟間も全通しました。
 富山方面には1911年に7月1日に名立まで開業、1912年12月16日には名立~青海川間が延伸し、1913年4月1日、青海川~糸魚川間の開業で米原~直江津間が全通しました。このとき、糸魚川~直江津間を信越線から北陸本線に編入されました。

まさに新潟の鉄道は直江津から始まったと言っても過言ではありません。

Dsc09314 2024/8/20 直江津駅 駅名標

直江津駅は国鉄時代は在来線の拠点駅であり、民営化後はJR東日本とJR西日本の共同使用駅でしたが、2015年3月の北陸新幹線金沢延伸で駅舎や車両基地等の構内施設の大部分はえちごトキめき鉄道に移管され、路線名もJR東日本管理だった妙高高原~直江津間は妙高はねうまライン、JR西日本管理だった市振~直江津間は日本海ひすいラインとなりました。JR同士の共同使用駅が2社ともに撤退して第3セクターの管轄になった例としては初のケースとなりました。

Dsc09298 2024/8/20 直江津 ET122形 0番台 K4編成

この車両は直江津からあいの風とやま鉄道の泊駅までを結ぶ気動車でえちごトキめき鉄道がJR西日本の協力を得てキハ122形をベースに8両投入したもので、電化されているものの糸魚川~梶屋敷間のAC20kV60Hz/DC1500Vの交直切換えが存在し、交直両用車両を投入するよりも気動車を投入した方が車両製作費用が少ないことから、この方式となりました。沿線は頸城トンネル(11353m)等、6割がトンネル区間で「万が一火災が発生したら大変危険だ」という意見も出されましたが、JR西日本の最新の気動車系列をベースにした新造車両を投入するということで対処したようです。

Dsc09302
2024/8/20 直江津 ET127系 V4編成

この車両は元来、JR東日本が新潟地区用に投入したE127系0番台13編成(うちV3編成は2008年9月18日、越後線内で発生した踏切事故で廃車に)で信越線妙高高原~直江津間の第3セクター化「妙高はねうまライン」用に10編成を改修の上、譲渡したものです。残った2編成は弥彦線専用で活躍した後、南武支線の205系1000番台置き換えのため鎌倉車両センター中原支所に転属しました。
ET127系10編成のうち、V1編成は「懐かしの新潟色」、V8編成は「横須賀色」とインパクトのあるラッピングとなっています。

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2024/8/20 直江津 JR東日本 E129系A13編成 北越急行ほくほく線 HK100形 H-101 H102編成

2010年の訪問の際にも撮影していますが、北越急行のHK100形が直江津駅に乗り入れています。JR東日本のE129系の運用も直江津まで来る編成は終日、長岡との間を往復しているようです。

JR車の到着に合わせて、ひすい、はねうま、ほくほくから車両がやってきて、それぞれ散って行くのを繰り返しているようです。

JRの車両が乗り入れていますが、改札等、駅の業務はえちごトキめき鉄道の社員が担当しているためか、18切符で出場するときは「どこから来たか?」、入場するときは「何時の列車に乗車するのか?」といちいち尋ねられる点、多少ストレスを感じました。

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2024年8月23日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その80 8機目の-446D JA8908

cn26352/ln978 として製造、1993年5月11日に初飛行、6月1日にJALに引き渡されたのが、8機目にして最後の-446DとなったJA8908です。
引き渡し後、直ぐに興銀リース他4社に売却され、JALがリースするという形で運航されました。

Ja8908-jal-b747446d-cn26352-ln978-960924 1996/9/24 HND

Ja8908-jal-b747446d-cn26352-ln978-980102 1998/1/2 HND

Ja8908-jal-b747446d-cn26352-ln978-000910 2000/9/10 NRT

シドニーオリンピック応援ステッカー「がんばれ!ニッポン!2000」(2000.6~2000.9)や

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2002/6/7 HND

JAL日本代表サポーターズ号」(2002.3~2002.8)としてFIFA Worldcup 日韓2002 ステッカーが貼られた機体ですが、

Ja8908-jal-b747446d-cn26352-ln978-010506

2001/5/6 HND

なんといっても驚かされたのは2001年1月30日からJAL50周年、ウォルトディズニー生誕100周年を記念した「JAL Dream Express21 Friends号(1号機)」となったこと(2002年3月まで)でした。

2010年10月、退役し、レジはN806DBとなり、ますが第二の就職先は無く、2012年には解体されました。

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2024年8月22日 (木)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 4日目 

新潟からの帰路は予告したように磐越西線経由にしました。

昨日同様に新潟駅に朝5時に到着、5時14分発の420Mで新津に向かいます。

Dsc09434

2024/8/21 新津駅 SLばんえつ物語・25年の軌跡展@新津鉄道資料館開催のポスター

Dsc09437_20240821203101 歴代のHMのポスター

8月19日C57180号機のHMも25周年記念でしたが、上記の展示を告知するポスターとC57DD51DD53、そして客車に花を添えた歴代HMのポスターが掲示されていました。

Dsc09433_20240821203701 2024/8/21 新津 6:00発会津若松行 列車案内

新津からは磐越西線の初発224Dに乗車しました。

Dsc094462024/8/21 新津 新津運輸区からホームに入線するGV-E401+402-12

Dsc09448車内の様子 車体中央部に3組のクロスシート(1+2)が配置され、他はロングシートとなっています。

車両はGV-E401+402の2連で、勿論、初めての乗車です。ディーゼルエンジンで発電機を回し、得られた電力でモーターを回す、ディーゼル・エレクトリック方式2018年から川崎重工業で製造され、2019年8月19日に営業運転が始まりました。ちなみにこの方式は小海線に登場した蓄電池搭載のキハE200形シリーズ式ディーゼルハイブリッド方式とは別物です。

構造、仕様の詳細は後日、記述しますが、車体はステンレス無塗装で一見、武骨な印象があります。6:15には、同タイプの編成が羽越本線酒田行として出発します。酒田までは電化されていますが村上以北の交流区間対応は交直流車両を新製するより、気動車が有利との判断からですね。

磐越西線の新潟~会津若松間に乗車するのも初めてですが、阿賀野川に沿って走る風景は絶景の連続で、C57 180号機が牽引するSL磐越物語に素晴らしい舞台を提供していると感じました。

Dsc09458 2024/8/21 五泉付近 山が近いせいか気流の逆転層が発生している様子が伺えます

新津駅を出発し、信越本線から別れ左にカーブするとC57180号機が引退後、静態保存されていた新津第一小学校の前を通過します。しばらくは宅地が続きますが、新関駅あたりからは新潟平野の美田の中を進みます。新津を出発してからほぼ南に向かって進んでいましたが五泉駅で進路を東に変え、山が近くに迫ってきます。

Dsc09465 2024/8/21 三川~津川間 阿賀野川の流れ、美しい植林の風景

Dsc09479 2024/8/21 SL磐越物語停車駅にはこういったレトロ調の駅名標が準備されています。

Dsc09512 2024/8/21 喜多方 駅名標

阿賀野川の流れを右左に見ながら、風景が山線から盆地に入ったなと思うとラーメンで有名な喜多方に到着します。

喜多方と言えば、2022年3月のダイヤ改正でJR東日本は会津若松~喜多方間の電車運行を止め、架線を撤去すると発表し、地元から猛反対の声が上がったというニュースを耳にした記憶がありますが、

Dsc09511 2024/8/21 喜多方駅ホームから会津若松方面
果たして通電されているかどうかは不明ですが、ビームや架線は残っていました。

列車は喜多方駅で16分間停車した後、会津若松に向かって快速列車となり。8:47に到着します。

Dsc09528 2024/8/21 会津鉄道 AT-751

Dsc09524 2024/8/21 会津若松 只見線 キハ110-223

会津若松からは9:30発3234M郡山行に乗車しましたが、待ち時間には同駅に到着する只見線424D、同駅を出発する会津鉄道2307Dなどに遭遇しました。

ここから先は郡山~新白河~黒磯~宇都宮~浦和~南浦和~新小平と乗り継ぎ、我が家に帰り着いたのは16:45、ちょうど新潟のホテルをチェックアウトしてから12時間後でした。

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2024年8月21日 (水)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その1 越後線の旅

新潟の旅、3日目は18切符を利用して新潟から越後線で吉田、さらに柏崎、そこから信越本線で直江津まで行きました。

Dsc09238 2024/8/20 新潟駅 朝4時34分 
1番線から越後線、4番線からは白新線、5番線からは信越線の初発列車がそれぞれ出発します。車両はすべてE129系、前夜、最終もしくは回送で到着した車両が滞泊したものです(こちらのサイトに詳しいです。)

Dsc09241 2024/8/20 越後線 吉田方面 120MはA30編成でした。

越後線の新潟~吉田間は以前に乗車したことがありますが、吉田~柏崎間は今回が初の乗車でした。新潟を出発すると直ぐに信濃川を渡ります。かつて越後鉄道が柏崎から越後線の前身である路線を敷設した際、資金不足で信濃川を越える橋梁の架橋が出来ず、やむを得ず白山をターミナルとしました。新潟を出発し、しばらくすると進行左手に密集した住宅地を見下ろす景色が展開し、内野西が丘まで続きますが、そこから先は穀倉地帯新潟平野を感じる美田が広がっています。

Dsc09248 2024/8/20 越後曽根~巻間
進行方向右手の車窓に角田山、弥彦山が見えて来ます。地図で見るとこれらの山々は海岸縁に聳えています。

Dsc09251 2024/8/20 吉田

Dsc09255 2024/8/20 吉田駅 駅名標 西燕、矢作は弥彦線

新潟を出発して49分、列車は弥彦線との連絡駅、吉田に到着します。車両の運用は吉田で分断されており、大半の列車は吉田で折り返しています。あるいは内野で折り返しています。一方、新潟側も信越線から越後線へ、あるいは白新線から越後線へ、あるいはその逆といった運用をよく見かけました。

引き続き柏崎方面は122Mでホームに入線している、左の編成で1分の接続です。

Dsc09253 2024/8/20 吉田 柏崎方面122M A14編成

Dsc09257 2024/8/20 分水~寺泊間 信濃川の2大分水路のひとつ大河津分水路の鉄橋を渡ります。ちなみにもう一つの分水路は関屋分水路で関屋~青山間で越えています。

Dsc09267 2024/8/20 刈羽 駅名標

妙法寺から西山にかけては丘陵地帯を通り、刈羽で平地にでますが、「刈羽」という地名から分かるようにこの駅の海岸側には東京電力柏崎刈羽原子力発電所があります。

Dsc09270 2024/8/20 吉田を出発して1時間14分、柏崎に7:08到着です。

Dsc09280 2024/8/20 柏崎 越後線0番ホーム

柏崎は1975年最初に来ましたが、ホームの構成は今も同じ、0番線が越後線、1番線と2,3番線の間に4本の線路があります。

Dsc09285 長岡駅でも見かけましたが、観光列車「越乃Shukura」の停車する駅にはこういった駅名標が設置されています。

ここからさらに信越線で直江津に向かいました。直江津は2010年頃に来て、駅のそばのホテルに数泊しましたが、あの頃と駅の構造は同じですが、2015年春の北陸新幹線金沢延伸で信越本線長野~妙高高原間はしなの鉄道北しなの線に、妙高高原~直江津間はえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに、さらに直江津~糸魚川間の北陸本線のうち、市振~直江津間はえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインとなり、旅客輸送はDC-AC60Hzのデッドセクション越えの問題から気動車対応となっています。さらに越後湯沢と直江津を結ぶ北越急行ほくほく線も乗り入れており、直江津駅はJR東日本、えちごトキめき鉄道、北越急行、そしてJR貨物の貨物列車も走る駅となっています。

さらに長岡経由で新潟に戻った後は、2日目の貨物線巡りの延長で焼島貨物駅まで歩き、14:52に同駅を出発する新潟貨物ターミナル行DD200牽引の7082レを撮影しました。

あまりに話題が多すぎて、今回の記事では書ききれないので、これらはは帰京後に廻します。

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2024年8月20日 (火)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 2日目

新潟の旅、2日目は新潟駅周辺を歩き回りました。

信越本線に乗って越後石山を過ぎると、新潟貨物ターミナルに分岐する線路があり、新潟車両センターが右手に見え、やがて白新線の新潟に向かう線路が頭上を越え、さらに新幹線の高架も見えて来ます。さらに焼島貨物駅に向かう貨物線が分岐し、90度左に曲がって高架となり新潟駅に到着します。越後線や上越新幹線はその先に伸びています。また新潟貨物ターミナルと信越本線を結ぶ線路はデルタ線を形成しています。非常に線路構成が複雑な地帯ですが、鉄道駅は新潟駅、越後石山駅、東新潟駅(白新線)しかなくじっくり観察するにもなかなか出来ないのがこの辺りの特徴です。


そこで今回は東新潟から越後石山まで線路伝いに歩き、新潟から焼島貨物線方面を目指しました。




まずは新潟駅で朝の撮影、E653系1000番台いなほ」に関して、標準色はこれまで秋田駅で撮影していましたが、新潟駅では1日目にU106編成「瑠璃色」を撮影しましたが、標準色、U101,U103,U104,U105は撮影しておらず、ハマナス色U107も未撮影でした。

Dsc09125 2024/8/19 東新潟 駅名標


Dsc09129 2024/8/19 東新潟駅と新潟貨物ターミナル


Dsc09126


白新線のホームの北側は新潟貨物ターミナルでこのDD200-22号機牽引のコンテナ貨物は当駅から焼島貨物駅に向かう7251レでした。

東新潟駅から白新線の線路に沿って新潟駅方面に歩くとやがて越後石山駅手前で信越本線に合流する線路と信越本線方面から新潟貨物ターミナルに向かい白新線をオーバクロスする線路に遭遇します。

Dsc09143 2024/8/19 石山踏切
奥が東新潟方面、オーバークロスしている線路が越後石山で信越本線から分岐して新潟貨物ターミナルに向かう線路、白新線から信越本線に向かう線路は右手奥で分岐

Dsc09144 2024/8/19 石山踏切反対側
左の線路は新潟に向かう白新線、信越本線上下線をオーバークロスするため勾配が設定されています。右手の線路は白新線新発田方面。

Dsc09135 2024/8/19 卸団地踏切を通過する焼島貨物駅行 7251レ

Dsc09139 2024/8/19 石山踏切を通過する特急「いなほ4号」U103編成

石山踏切から越後石山駅に向かう貨物線に沿って歩き、信越本線越後石山駅の新潟より県道290号線の踏切がありました。ここは結構、見晴らしも良く新潟貨物ターミナルに分岐する貨物線、新潟車両所に入線する車両を観察することが出来ます。


Dsc09148


2024/8/19 新潟車両所に入区するE129系B6編成

Dsc09149 Dsc09150 2024/8/19 しらゆき1号 E653系1100 H202編成

越後石山駅から信越線に乗車、再び新潟駅に

Dsc09182_20240819163901 2024/8/19 新潟 特急「いなほ3号」はE653系1000番台U101編成

Dsc09207_20240819164201 2024/8/19 新潟 特急「いなほ6号」はE653系1000番台 U107編成ハマナス色でした。

午後は焼島貨物線を探して馬越付近をブラブラした結果、上越新幹線の引き上げ線と信越本線、白新線が交差するあたりで

Dsc09223 2024/8/19 新潟~越後石山・東新潟間 都市計画道路出来島上木戸線の信越本線・白新線オーバクロス
4本の線路の外側2線が白新線、内側2本が信越本線 奥が新津、新発田方面 4本の線路から左へ分かれて行く非電化の線路が焼島駅に向かう貨物線と思われます。高架線は上越新幹線引き上げ線


Dsc09232


2024/8/19 同ポイントで撮影したE653系1000番台U104編成 回送列車

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2024年8月19日 (月)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 1日目

前回、新潟を旅したのは2013年の夏でした。あれから11年、新潟駅を始め、新潟周辺の車両事情も大きく変わりました。それを見てみようと往路は上越線経由(新幹線では無く、在来線で)、復路は磐越西線経由で3泊4日に旅をすることにしました。

行程と時刻
新小平6:08-南浦和6:33/6:39-浦和6:41/6:45-高崎8:15/8:25-727M-水上9:31

と計画しましたが、以前、横川からしなの鉄道方面の旅をした際に武蔵野線の遅れのため、高崎~軽井沢間を新幹線を使うはめになった経験から、水上には高崎発7:45の725M:211系3000番台A51編成で到着しました。

Dsc08871_20240818195601 2024/8/18 水上 1721Mで水上に到着したE129系 A30+A25編成

新潟を朝一番の信越線420Mで出発すると長岡で7分の連絡でこの列車に乗ることが出来、725Mの折り返し732Mで10:03に高崎に到着できます。115系が一戦を退いてから、新潟地区の近郊形電車はE127系もえちごトキめき鉄道に譲渡され、今はE129系の天下となっています。2連のA編成100番台34本、4連のB編成0番台27本が新ニイに配置され、信越本線直江津~新潟間、白新線、羽越本線新津~村上間、越後線、弥彦線、上越線水上~宮内間で運用されています。1721Mの折り返しが水上発9:43の1731Mで長岡には11:48に到着します。ただ越後湯沢では15分の停車時間があります。

Dsc08905 2024/8/18 越後湯沢 北越急行ほくほく線 HK100形 H-102 Echigo-Tsumori Art Field ラッピング

停車時間中に831Mが到着、折り返しは832M直江津行

Dsc08916 2024/8/18 長岡駅 越乃Shu*Kuraの駅名標

水上から2時間5分(11:48)に長岡到着。長岡からは12:40発の445Mで新潟を目指しましたが、途中、東三条で弥彦線の電車を撮影するために下車。
Dsc08930 2024/8/18 東三条 弥彦線0番ホーム E129系 A5編成

115系時代は弥彦線カラーがありましたが、今は車両が共通運用されているので他と同じカラー

さらに「しらゆき6号」が13:38に停車するのでそちらも狙うことに

Dsc08940

Dsc08950

2024/8/18 東三条 E653系1100番台 H-202編成 上沼垂色

やって来た編成は新潟駅開業120周年、羽越本線全線開通100周年の今年、4月に登場した上沼垂色の編成でした。E653系4連の「しらゆき」を撮影したのは今回が初めてでそれがいきなりスペマーとは驚きました。

新潟到着後はしばらく列車の出入りを観察しましたが、高架ホームになって最大の変化は新幹線のホームと秋田方面からの特急「いなほ」が到着する5番線がJR九州の新八代や武雄温泉のように同一レベルで繋がったことでしょうか。

Dsc08976 2024/8/18 新潟 通常カラーのE653系1100番台「しらゆき」 H-203編成

新潟駅では磐越西線や羽越本線の交直デッドセクションを超える区間(新津~酒田)、米坂線、信越本線(新津~新潟)用に配置されたGV-E400形、GV-E401+E402形も初めて見ました。さらにE653系1000番台、U-106編成も撮影出来ました。

Dsc08986 Dsc08989 2024/8/18 新潟 GV-E401+E402の併結

Dsc09035Dsc09036

2024/8/18 新潟 E653系1000番台 U-106編成 瑠璃色

最後は新津駅まで行き、18日に運行されたSL磐越号の新津到着を撮影しました。日没時間を過ぎてかなり厳しい条件でしたがなんとか撮影出来ました。

Dsc09058

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2024年8月16日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その79 7機目の-446D JA8907

cn26351/ln963として製造、1993年2月16日に初飛行、3月2日にJALに引き渡されたのがJA8907です。同時期に引き渡された-446Dと同様に導入後、住銀リース他4社に売却、JALがリースする形で国内幹線に就航しました。

Ja8907-jal-b747446d-cn26351-ln963-961218 1996/12/18 HND

Ja8907-jal-b747446d-cn26351-ln963-970302 1997/3/2 HND

Ja8907-boeing-747446d-26351-963-020825-c 2002/8/25 CTS

日韓共同開催となったFIFA Worldcup2002のステッカーが貼られた機体でもありました。2003年6月から2004年1月には読売巨人軍の松井秀喜選手がNewYorkヤンキースに移籍したのを記念する特別塗装機”Dream Skyward"となりました。

Ja8907-boeing-747446d-26351-963-031209-h

2003/12/9 HND

2004年2月から8月にはJALのDC-6B沖縄線就航50周年を記念し、胴体後部にDC-6Bの機影が描かれた特別塗装機にもなりました。このときのベースの塗装はJJ塗装でした。ちなみに「松井ジェット」の2号機はAirbus A300B4-600JA8377でした。

2010年8月に退役、WFBN(Wells Fargo Bank NORTHWEST)の管理下、レジはN893DBとなりますが、再就職先はなく2012年に解体されました。

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2024年8月15日 (木)

2023年晩夏の関西旅行 大阪メトロ編 その1 大阪の地下鉄網はどのように形成されたか

2023年晩夏の関西旅行、早朝の阪急、午前の嵐電に続いて訪れたのは大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)の路線のひとつである中央線でした。

181201_20240814103701
2018/12/1 谷町九丁目駅柱 大阪メトロ路線図

大阪の地下鉄は第7代大阪市長で都市計画学者でもあった關 一 (せきはじめ)(1873年9月26日~1935年1月26日)(東京高等商業学校(現、一橋大学)の教授から大阪市役所幹部に転身、20年間市助役を務めた後、市長に「大大阪時代」を実現し、「大阪の父」と慕われるも、在職中に死去)が大阪市高速度交通機関計画を策定し、1933年5月20日、日本初の公営地下鉄として御堂筋線梅田(仮駅)~心斎橋間が開業しました。

1号線 御堂筋線 路線記号M:江坂~中百舌鳥間 20駅 24.5km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1933年5月20日 梅田~心斎橋間開業
 1970年2月24日 江坂~新大阪間の開業、北大阪急行電鉄と相互直通運転開始
 1987年4月18日 我孫子~中百舌鳥間が開業し全通

3号線 四つ橋線 路線記号Y:西梅田~住之江公園 11駅 11.4km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1942年5月10日 大国町~花園間開業
 1972年11月9日 玉出~住之江公園間が開業し全通

4号線 中央線 路線記号C :コスモスクエア~長田 17.9km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1961年12月11日 大阪港~弁天町間開業
 1986年10月1日 近鉄東大阪線(現、けいはんな線)長田~生駒間開業で大阪港~生駒間で相互直通運転開始
 1997年12月18日 大阪港~コスモスクエア間開業で現在の中央線が全通

2号線 谷町線 路線記号T:大日~八尾南 26駅 28.1km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1967年3月24日 東梅田~谷町四丁目間開業
 1983年2月8日 大日~守口間が開業し全通

5号線 千日前線 路線記号S:野田阪神~南巽 14駅 12.6km 軌間1435mm 第3軌条方式 DC750V
 1969年4月16日 野田阪神~桜川間開業
 1981年12月2日 新深江~南巽間が開業し全通

6号線 堺筋線 路線記号K:天神橋筋六丁目~天下茶屋 10駅 8.5㎞ 軌間1435mm 架空電車線方式 DC1500V 
 阪急千里線の前身、新   京阪鉄道は1925年10月25日に天神橋(天神橋筋六丁目)~淡路間を開業していました。
 1969年12月6日 天神橋筋六丁目~動物園前 阪急千里線、京都本線と相互直通運転
 1993年3月4日 動物園前 - 天下茶屋間が開業し全通

ニュートラム南港ポートタウン線 路線記号P:コスモスクエア~住之江公園 10駅 7.9㎞ 自動案内軌条式旅客輸送システム (AGT)
 三相交流600V
 1981年3月16日 中ふ頭~住之江公園間開業
 1997年12月18日 OTSニュートラムテクノポート線コスモスクエア~中ふ頭間開業、相互直通運転開始

7号線 長堀鶴見緑地線 路線記号N:大正~門真南 17駅 15.0km 軌間1435mm 架空電車線方式 DC1500V
 1990年3月20日 鶴見緑地線 京橋 - 鶴見緑地駅が開業
 1997年8月29日 大正 - 心斎橋駅、鶴見緑地 - 門真南間が開業し、全通

8号線 今里筋線 路線記号I:井高野~今里 11駅 11.9㎞ 軌間1435mm 架空電車線方式 DC1500V
 2006年12月24日 井高野 - 今里駅 が開業

2018年3月31日、84年の歴史に幕を下ろし、市営地下鉄事業を大阪市高速電気軌道へ譲渡

大阪の地下鉄の特徴は路線が南北は新大阪-梅田-難波-天王寺を結ぶ御堂筋線から始まり、東西は中央大通りの地下を走る中央線を嚆矢に東西・南北一定間隔に碁盤の目のように路線が増えて行き、現在のネットワークが形成されていることで、東京のように中心部に皇居があるためそれを迂回する形で銀座周辺に過度に路線が集中しているのとは異なっているのが最大の特徴かと思います。設備的には東京の地下鉄に較べ、標準軌、第3軌条方式が多いこと、そのため国鉄・JR線との相互乗り入れは無く、民鉄線との相互乗り入れも少ない(阪急千里線と堺筋線、近鉄けいはんな線と中央線のみ)ことです。長堀鶴見緑地線(7号線)、今里筋線(8号線)は鉄輪式リニアモーター方式でこれらも既存の民鉄車両の乗り入れは不可能となっています。

それぞれの路線にラインカラーが1975年から導入されており、
御堂筋線は大動脈で臙脂色(赤、クリムゾンレッド)、
谷町線は沿線に寺院が多いことから高僧の袈裟の色で京紫(紫、ロイヤルパープル)、
四つ橋線は御堂筋線の静脈的存在で青縹色(はなだいろ、青、ビクトリアブルー)、
中央線は大阪城公園の側を通ることから木々の緑(スペクトリウムグリーン)、
千日前線は夜の繁華街の下を通るので桃色(紅梅色ピンク、チェリーローズ)、
堺筋線は相互直通運転を行う阪急電鉄に合わせて茶色(ビビッドブラウン)、
南港ポートタウン線は海と空を模して水色(セルリアンブルー)、
長堀鶴見緑地線 - 鶴見緑地で開催された国際花と緑の博覧会のテーマカラーである黄緑(萌黄色)、
今里筋線 - 朝に東から昇る太陽の様な暖かさをイメージした色ゴールデンオレンジ(柑子色)に決められたそうです。

西院駅から阪急京都線で淡路駅へ、千里線に乗り換え、天神橋筋六丁目から堺筋線へ、堺筋本町から中央線を西へ進み、コスモスクエアまで行きました。今回の訪問の目的は2023年6月25日から供用が開始された400系電車や老朽化で置き換えが進む20系、他線への転用が決まっている24系2022年から運転が始まった30000A系、そして近鉄けいはんな線から乗り入れてくる7000系7020系の撮影でした。

230829_20240814104501 2023/8/29 駅名標 堺筋本町

230829_20240814104601 2023/8/29 駅名標 コスモスクエア

個人的には大阪の地下鉄は東京のように東京メトロと都営地下鉄のように営業主体が複数存在しないこともすっきりしていると思います。ただ、御堂筋線に対してほぼ平行に南北に走る四ツ橋線のようにほとんど利用したことの無い路線もあります。

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2024年8月14日 (水)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part5 モボ2001形

2000年の嵐山本線開業90周年を記念し、モボ501形の置き換えのため登場したのがモボ2001形でした。武庫川車両工業で2両が製造されました。それまで長く続いてきた吊り掛け駆動式から嵐電初のカルダン駆動方式(WNドライブ)となり、制御方式も2レベルIGBT-VVVFインバータ制御方式になりました。ただ、形式名は以前として1929年以来のモボが付いており、沿線への誘導障害対策から回生ブレーキは装備されませんでした。2023年になり、回生電力貯蔵装置が導入されたことから回生ブレーキが付加されました。制御方式が他の形式とは異なるため、朝夕のラッシュ時の併結運転はモボ2001+2002の併結で実施されています。

2002-230829
2002-230829-2 2023/8/29 西院 モボ2002

嵐電の車両の紹介は今回で終わりますが、2023年5月に発表された「KYOTRAM」が2024年度から2028年度にかけ計7両導入予定されており、それによってモボ101形、モボ301形が置き換えられるそうです。わたしも近いうちに再度、嵐電を訪問し、風前の灯火となっているこれらの車両を撮影しておこうと思います。

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2024年8月13日 (火)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part4 モボ631形

モボ631形1995年から1996年にかけ、ク201形の代替車両として3両製造されました。主電動機はモボ121形121-124(それぞれ45kW、4基搭載)のものを各車2基ずつ流用し、台車は新品の住友FS93を履きました。パンタグラフは631がシングルアーム型、632,633がZ型です。2000年に床下制御機器が更新されました。

632-230829

632-230829-2 2023/8/29 西院 モボ632

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2024年8月12日 (月)

2023年晩夏の関西旅行 嵐山電鉄編 その3 嵐電の車両 part3 モボ611形

モボ611形モボ111形の台車・主要機器を流用し、1992年から1993年にかけ武庫川車両工業で6両が製造されました。吊り掛け駆動方式、間接自動制御車で最大寸法:全長15.00m、全幅2.64m、主電動機:45kWx2、制御器:電制付縦軸式主幹制御器、制動方式:SME 直通空気ブレーキ、集電装置:シングルアーム式パンタグラフです。

車体は普通鋼製で扉はモボ501形の反省から前後配置に戻されました。車体の塗色は2011年3月25日に嵐電開業100周年を機会に613号が「京紫」に塗色変更されたのを嚆矢に6両とも同色に変更されています。

2014年までに台車はインダイレクトマウント方式の住友FS-93に換装されました。

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611-230829-23

2023/8/29 西院 611

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