2019年8月25日 (日)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その2 編成の多様性~ダブルパンタグラフ編成

仙石線205系3100番台のバリエーション、今回はダブルパンタグラフ編成です。
205系3100番台が仙石線に投入された当初、モハ205形の集電用パンタグラフは205系通常の菱形PS21でした。18編成のうち、3112、3114、3116、3118に関しては寒冷地ならではの霜取り運転用シングルアーム式パンタグラフ(PS33C)が増設され、菱形とシングルアームのダブルパンタスタイルでした。後に、集電用も全編成シングルアーム式に交換されました。

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2016/10/22 髙城町
ダブルパンタ編成に関しては4編成とも撮影しているのですが、パンタが2個付いているのが確認できるのはこの写真くらいでした。

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2019年8月24日 (土)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その2 編成の多様性~2WAYシート編成

仙石線205系3100番台のバリエーション、今回は2WAYシート編成です。
編成番号M-2, M-5,M-8のクハ205-3102、-3105, -3108がクロスシート、ロングシート転換可能な2WAYシートを装備していました。オリジナル車のドア間の7人掛け座席を撤去し、2人掛け2WAYシートを3基配置した構造でしたが、仙石東北ラインの開業で仙石線の快速列車が廃止されたため、2015年以降はロングシート固定で運行となりました。連結面寄りの座席は車椅子スペースとトイレ設置スペースとなっているため座席はありません。さらに本来座席下スペースに設置されているドアエンジンも座席が無いため、ドア上部収納の直動式ドアエンジンに改造されています。

2016年10月の旅行ではM-2編成とM-5編成に遭遇しましたが、M-2編成は「マンガッタンライナー」として記事にしますので、今回はM-5編成を紹介します。

2053100-m5-1610222WAYシート社はノーマルシート車と違い、4両各車両ごとに色をかえてあり、クハ204形は仙台の市と木であるケヤキと杜の都をイメージした、モハ204形は塩竃港で水揚げされるマグロなどの魚をイメージした、モハ205形は松島の朝日と夕日、扇谷の紅葉をイメージしたオレンジ、クハ205形は石巻の花であるツツジをイメージしたとなっています。

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窓が塞がれているのはトイレの設置のため。クハ205形の石巻のツツジ


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3枚とも2016/10/22 小鶴新田

こういったタイプの車両としては近鉄のL/Cカー2610系、2800系、5800系、5820系などが有名ですが、1972年に当時の国鉄・吹田工場においてクハ79929号にロング/クロス可変機構の試作装備が行われました。ただ、当時の輸送事情では機構的問題もあり、導入が見送られた経緯がありました。

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2019年8月23日 (金)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その2 編成の多様性~ノーマル編成

2009年にM19編成が加わり、仙石線の205系3100番台は19編成体制となりましたが、2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震による津波で野蒜駅~東名駅間を走行中だったM9編成が流され脱線、同年5月1日かけて現地で解体されました。さらに石巻駅では駅に到着していたM7編成が冠水する被害に遭い、2012年9月に総合車両製作所に回送され入場しましたが、修理不能との判断で2014年12月25日付で除籍、廃車となりました。
以上の経緯から現在はM-1~-6,M-8,M-10~-19の17編成が活躍中です。

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東日本大震災による津波被害でM-7,M-9編成は廃車となりましたが、現在、仙石線では17編成が活躍中で、通常のロングシート編成の他、クハ205がクロスシート/ロングシートに転換可能な「2WAYシート」編成、架線の霜取り運転時用にモハ205形にシングルアームパンタを増設した編成、そして石ノ森章太郎作のマンガ作品をラッピングした「マンガッタンライナー」編成などのバリエーションが存在します。

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2019/10/22 小鶴新田 M1編成

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2016/10/22 西塩釜 M6編成

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2016/10/22 西塩釜

1日の訪問であったため、運用に就いている編成が限られていましたが、まずはノーマル・ロングシートの編成を集めてみました。

あれから15年、山手線にはE235系が投入されており、E231系500番台は中央・総武緩行線に活躍の場を移しつつあり、それまで活躍していた209系500番台、E231系0番台武蔵野線、八高・川越線、常磐快速線への転用が進められていますが、仙石線への転用の動きは現時点では見えません。


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2019年8月22日 (木)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その1 種車と周辺の動き

現在、仙石線で活躍中の205系3100番台

クハ205形3100番台
モハ205形3100番台
モハ204形3100番台
クハ204形3100番台 

からなる4連(2M2T)でモハユニットは全て元山手線用、クハは元山手線用または埼京線用サハ205形に運転台を設置した改造車で2002年から2004年にかけて18編成(M-1~M-18)が準備されました。

これら18編成の改造は
・ドアスイッチを装備した半自動ドア機構
・クハ205形に車椅子対応大形洋式車内トイレの設置
・耐寒仕様、側引戸レールヒータ、耐雪ブレーキの装備
・ATS-Ps、後年ATACS保安装置
・停車駅通過防止装置の設置 でした。

モハ205形の一部の車両には霜取り用シングルアームパンタグラフ(PS33C)を装備しました。

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2002/11/4 恵比寿 5,6号車がM-18編成のモハに改造されたヤテ5編成

2053100_20190821183801
山手電車区の所属車両から仙石線用3100番台に改造された車両

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2012/6/16 赤羽 M1編成用サハ205-160とナハT11編成用サハ205-161が抜かれ、6扉サハ204-11と-902が入ったハエ8編成

2053100_20190821183901
川越電車区の所属車両から仙石線用3100番台に改造された車両

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2002/4/7 恵比寿 M-16、ナハ48>M-19の改造種車となったヤテ7編成

2051200-48-060211
2006/2/11 尻手 ナハ48編成 205-4-041226
2004/12/26 矢向 モハユニットが235,236だったころのナハ4編成

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2010/9/11 モハユニットが235,21に交換された後のナハ4編成

103系の運転が2004年に終了後も多賀城付近の連続立体交差工事による予備車両の増加で103系1編成RT-235編成が運用復帰していましたが、2009年、その置き換え用に南武線に配置された205系1200番台(ナハ48編成)を1本4両編成に短縮し、3100番台化してM-19編成として仙石線に投入し、103系を完全に淘汰しました。

ナハ48編成は元々、上の図でヤテ7編成から改造された編成でモハユニット205/204-19が3119となり、21はナハ4編成に組み込まれました。ナハ4編成は元々、クハ205/204-88,モハ205/204-235,236からなる6連でしたが、2008年10月26日、中原電車区の交番検査庫でMG故障検査を受けている最中に工具による電気回路の短絡で低圧系回路にDC1500Vが流れ込み、作業員が重症、自力走行不能の状態に陥っていました。ナハ48編成から捻出されたモハユニット205/204-21を組み込んで復帰となりました。モハ205/204-236は2010年6月15日長野総合車両センターに廃車回送されました。(今回の記事に関してはサイト「4号車の5号車寄り」の記述を参考にまとめました)。

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2019年8月21日 (水)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系が導入される前の車両たち

1925年に宮城電気鉄道として開業した現在の仙石線は開業当初からDC1500Vで、最初こそ丸屋根、木造車でしたが、延伸の際の増備車は半鋼製となり、ウェスティングハウス・エレクトリック(WH)式のHL(間接非自動制御)でパンタグラフも仙台地下駅での架線高さの関係により、空気上昇・バネ降下式が採用されました。

形式は 
モハニ101形 1925年2月 蒲田車両製 101-103 並等荷物合造制御電動車 
モハニ201形・モハ220形 1925年2月 蒲田車両製 201・202 並等荷物合造制御電動車 当初はデハニ201形
クハ301形 1926年3月 日本車輛製造東京支店製 301-303 木造並等制御車 当初はサハ301形
クハ401形 1927年7月 汽車製造東京支店製 401・402 片運転台型半鋼製並等制御車 当初はテサハ401形
モハ501形 1928年3月 汽車製造東京支店製 501・502 両運転台型半鋼製並等制御電動車 当初はテデハ501形
モハ601形 1928年3月 汽車製造東京支店製 601・602 両運転台型半鋼製特等並等制御電動車 当初はテデロハ601形
クハニ701形 1928年3月 汽車製造東京支店製 701・702 片運転台型半鋼製並等荷物合造制御車 当初はテサハニ701形
モハ801形 1937年日本車輌製造東京支店製 当初はクハ801形 1937年日本鉄道自動車製 クハ881形
      1941年製 両運転台型半鋼製並等制御電動車
モハ810形 宮城電気鉄道が発注、国有化で国鉄が受領
モハ901形 1922年6月 汽車製造東京支店製 デハ33526 鉄道省から宮城電気鉄道へ

これらの車両は1950年代宮城電気鉄道で廃車後、弘南鉄道、高松琴平電気鉄道、大井川鉄道、新潟交通、日立電鉄等に譲渡されました。

国有化後、宮城電気鉄道からの引継ぎ車両を置き換える目的で首都圏などで余剰となった車体長17mの30系、31系、33系、50系、そして車体長20m級の40系が投入されました。その後、17m車の置き換えの過程でクモハ54、クハ68、モハ70などが一時的に活躍しました。これらは72系の投入で他線区へ転出、あるいは廃車となりました。

72系を仙石線で運用するにあたり、グローブ形通風機では冬期に雪の吹込み等の問題があるので、押込形通風器に交換する改造が1969年から1972年にかけて72系45両(モハ72形7両、クモハ73形20両、クハ79形15両、サハ78形3両)およびクモハ54形6両、モハ70形4両、クハ68形4両に施行されました。

1975

1975/3/31 時点での陸前原ノ町電車区配置表

1979

  1979/4/1時点の陸前原ノ町区編成表

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2002/1/2 拝島 足元を見ない限りは103系高運転台車と見間違う3000番台

1974年、老朽化した72系のアコモデーション改良車としてモハ72形970番台クハ79形600番台が72系新製車の改造で製作されました。車体は103系高運転台クハ車と同じで1979年に通常車が置き換えられた後も1985年まで残存し、川越線の電化で機器類を103系のものに交換し、103系3000番台に編入され、八高線・川越線に活躍の場を移しました。

1979年から72/73系置き換え目的で103系が投入され、当初はクモハ103を含む編成でした。

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1986/8/6 仙台駅地平ホームに入線したスカイブルー塗色の103系

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1986年11月改正時点での陸前原ノ町電車区編成表、72系アコモ改造車は全て転出済みで、それまでの103系先頭車はタブレット交換時にガラス破損を防ぐために戸袋窓を塞いでいましたが、薄青の先頭車は1984年にアコモ改造車の代わりに導入された先頭車で戸袋小窓が塞がれていない車両です。薄緑セルは両栓車です。

1987年にクモハ103-149を先頭とする4連が分割され、郡山工場にて
クモハ103-149 → クモハ105-101
モハ102-315 → クモハ105-601
サハ103-240 → クハ105-601
クハ103-599 → クハ105-105   
中間車に運転台が設置され、105系100番台、600番台に改造され2連2本となり、石巻~矢本間の区間列車運用に使用されました。1998年に103系高運転台編成の配置で書類上、廃車となり2008年まで八王子、横浜支社内で訓練車として活躍しました。

1997

1997年時点での103系編成表で1979年に導入されたグループは1993年に淘汰されています。オレンジ色のセルは新製時からのシールドビーム2灯車、他の先頭車はブタ鼻改造車です。

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2006/8/20 郡山 2002年から2004年にかけ、大方の103系が205系投入で淘汰された後、1編成だけ残されたRT235,236編成

仙石線の車両の配置区ですが、以下のような名称の変化の歴史を辿っています。
1956年 仙台鉄道管理局仙石線管理事務所として設立(仙セン)
1971年4月1日 陸前原ノ町電車区発足(仙リハ)
1987年4月1日 国鉄民営化
1991年 仙台~苦竹間の地下化工事で福田町付近に移転、宮城野電車区に(仙ミノ)
2003年 検修部門は仙台電車区宮城野派出所、運転士、車掌部門は宮城野運輸区(仙セン)
2004年 仙台車両センター宮城野派出所

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2019年8月20日 (火)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その1 宮城電気鉄道として開業後の歴史

2016年10月の旅の本来の目的は新利府駅そばの新幹線総合車両センターの公開に参加することでしたが、これまでに記事にしたように仙台周辺の保存車両の訪問、仙台市電保存館を見学しました。

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2016/10/21 仙台駅

もう一つ重要なのが仙石線でした。仙石線は2016年8月に東北本線に隣接する松島海岸駅~高城町駅間に連絡線を設け、仙台駅と石巻方面を結ぶ「仙石東北ライン」が開通したところでもありました。当時の速報編でも記事にはしてありますが、もう一度振り返ってみようと思います。

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まずは仙石線の開業からの歴史について。宮城電気鉄道1881年設立の貿易商社高田商会から余剰電力を活用するために1922年9月9日に設立され、1925年6月5日、仙台駅~西塩釜駅間が開業、1928年11月22日、石巻駅まで全線が開業しました。1925年に開業した同鉄道の仙台駅は東北本線と交差するため地下駅として建設され、仙台駅に至る数珀メートルの区間は地下路線として建設されました。この区間の開業か日本最初の地下鉄と言われる東京地下鉄道(銀座線の浅草~上野)の開通よりも2年半も早く、郊外電車の地下乗り入れとして神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄有馬線)の湊川地下線開通よりも3年早いものでした。外国人技師の指導によるトンネル建設で県庁付近への延伸も視野に入っていたそうです。架線電圧も600Vではなく、1922年に大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)が導入したばかりのDC1500Vが導入され、レールは国鉄幹線級の37㎏、踏切などでは50㎏のものが使用され、色灯式自動信号機が採用されました。

太平洋戦争中の1944年5月1日に国有化され仙石線となりました。

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国有化後、1952年に宮城、山形、福島3県で国民体育大会が開催されるのを契機に仙台駅のプラットホームは地上に移されました。そして2000年に地下ホームが完成されると1面2線の行きどまり式ホームは廃止となりました。

路線データ

管轄・路線距離(営業キロ):全長50.8km(第一種区間。支線含む)
東日本旅客鉄道:
あおば通駅 - 石巻駅間 49.0km(第一種鉄道事業)
日本貨物鉄道:
陸前山下駅 - 石巻港駅間 1.8km(第一種鉄道事業)
陸前山下駅 - 石巻駅間 (1.4km)(第二種鉄道事業)
軌間:1067mm
駅数:33
旅客駅:32(起終点駅含む)
仙石線所属の旅客駅に限定した場合、仙台駅(東北本線所属)と石巻駅(石巻線所属が除外され、30駅となる。
貨物駅:1(石巻港駅)
複線区間:あおば通駅 - 東塩釜駅
電化区間:あおば通駅 - 石巻駅間(直流1500V)
陸前山下駅 - 石巻港駅間の貨物線をのぞき全線電化。
閉塞方式
あおば通駅 - 東塩釜駅:移動閉塞式
東塩釜駅 - 石巻駅:自動閉塞式(特殊)
保安装置
ATACS(あおば通駅 - 東塩釜駅)
ATS-SN(東塩釜駅 - 石巻駅[2])
運転指令所:仙台総合指令室(仙石CTC、JR宮城野総合事務所内)
最高速度:95km/h

支線をのぞく全線がJR東日本仙台支社の管轄となっている。

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2000年3月11日に使用を開始した仙台駅仙石線地下ホーム

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2019年8月19日 (月)

仙台市電保存館を訪問 その3 路面電車から地下鉄へ

 8月12日(月)記事で市電後史の展示に触れましたが、1976年3月31日で市電全路線が廃止されたのち、市電の軌道はアスファルトに埋め込まれましたが、時間の経過とともにアスファルトがすり減り、軌道が露出、スリップ事故が起こるようになりました。一方で、市内の公共交通はバスが一手に担っていました。

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2016/10/21 市電時代の電停標識

仙台市における地下鉄の検討は1960年代からで1963年に設置された仙台市交通対策委員会は1967年に提出した報告書で路面交通の代替として地下鉄を検討すべきと報告しました。同委員会は将来を見据えた交通体系として、「大量高速輸送機関」の整備を諮問し、1972年には全7路線、総延長45.5kmに及ぶ地下鉄網を1985年を目標に整備すべきとの報告を出しています。その7路線とは

1 北仙台線 仙台駅前~七北田 7.34km  
2 長町線  仙台駅前~鍋田  4.98km
3 川内線  仙台駅前~泉ヶ丘 8.09km
4 七北田だ線 七北田~桂島  4.76km
5 鶴ヶ谷線 瓦山~鶴ヶ谷   3.76km
6 茂庭線  鍋田~茂庭    8.82km
7 名取線  鍋田~小泉    7.90km でした。このうち、北仙台線と長町線の一部が現在の南北線に相当します。

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昭和から平成にかけての南北線の歩み

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2016/10/21 南北線の車両 1000系 2M2Tの4連 軌間1067mm DC1500V 1985年から1996年にかけて川崎重工業で21編成が竣工
IGBT素子VVVFインバータ制御方式 1988年にローレル賞受賞、2004年度より更新工事が行われ現在は1000N系となっています。

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長町駅 駅名標

1975年に泉市(現、仙台市泉区)と仙台市内結ぶ輸送手段として、地下鉄が計画・認可され、1981年に着工、1987年7月15日に地下鉄南北線富沢駅~八乙女駅間が開業しました。1992年7月15日には八乙女駅~泉中央駅間が延伸開業しました。

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東西線のあゆみ

第二の路線として2003年9月、東西線事業が認可、2007年11月東西線本体工事着工、2016年12月6日、東西線八木山動物園~荒井間が開業しました。

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東西線は鉄輪式リニアモータ方式の地下鉄となっており、以前の記事で触れたように駆動方式、トンネル断面の狭小化などの特徴を持っています。

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2019年8月18日 (日)

仙台市電保存館を訪問 その2 写真展示車両 モハ2000型・モハ3000型

仙台市電、400型より番号は大きい型式として2000型、3000型がいましたが、これらはいずれも呉市交通局(呉市電)から譲受した車両でした。

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2014/12/19 呉市海事歴史科学館(戦艦大和ミュージアム)における呉市電の紹介

モハ2000型:呉市交通局2000型1961年ナニワ工機製造のワンマン用ボギー車、前中扉タイプで2001-2003が製造されました。2001号は1967年12月18日の呉市電全廃後、保存車として入船山記念館に据え付けられ、その後阿賀町の豊栄交通公園(現、豊栄公園)に写されましたが、1001号を呉ポートピアパークに展示する際に、損傷が激しかったために解体されたそうです。2002、2003号は仙台市電に1968年に譲渡され、全線廃止まで運用されました。

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2016/10/21 仙台市電保存館

モハ3000型1961年から1962年にかけて呉交通局阿賀工場にて木南車両製600型601形3扉車601ー607を2扉(前中扉)ワンマン対応に改造したもので3001ー3007を名乗っていました。1968年に仙台市電に譲渡され、全線廃止まで運用されました。前頭部が絞られていない車体であったため、カーブでは対向車と接触する恐れがあり、運転には気を遣ったそうです。

3000

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2019年8月17日 (土)

仙台市電保存館を訪問 その2 展示車両 モハ400型

仙台市電の型式、今回は実際に展示されている400型です。

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2016/10/21 仙台市電保存館

仙台市電最後の新造形式として1959年から1963年までに15両(401-415))が製造されました。全長はモハ200型よりも短い11,700mmで、定員はモハ100型、モハ200型と同じ88名、408号以降は84名でした。

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ワンマン化対応改造工事を前提に設計された車内

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側窓上段もゴム支持方式(バス窓)として部品調達を容易にしています。

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台車の2軸、手前は従輪、奥が動輪で車輪径が異なります。

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主電動機の回転軸がレール方向になり、それを自動車のディファレンシャルギアと同じ方式で車軸に回転力を伝えています。

吊り掛け駆動を基本としていましたが、405号~410号の6両は直角カルダン方式が導入されていました。

スタイル的には東京都交通局8000形や函館市電710形800形と共通しています。

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2019年8月16日 (金)

仙台市電保存館を訪問 その2 写真展示車両 モハ130型からモハ300型

仙台市電で活躍した型式、今回はモハ130型からモハ300型までです。

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2016/10/21 仙台市電保存館 なぜか、136号の前面窓が2枚窓出ない点が気になりますが?

モハ130型は茨城交通水浜線の車両で、水浜線では129-138と付番されており、いずれも新潟鐵工所(現、新潟トランシス)製で
129、130は1951年製、茨城交通に社名が代わってから最初の新製車両でした。
131、132は1953年製、129,130と同様ですが屋根が木造から鋼板張上げ式に変更されました。
133、134は1954年製、側窓の上段がHゴム支持になりました。
135、136は1957年製、前面窓が3枚から2枚となり、側扉の腰部羽目板がガラス窓に、行先表示器の位置も変更されました。
137、138は1960年製、前面窓が3枚に戻り、側扉の1枚扉化、オールコイルバネ台車への変更がありました。
1965年の路線短縮後、6月30日付けで仙台交通局に譲渡され130型131-140として使用され、ワンマン化の際、対象から外れ余剰となり、1972年3月に131-135、1974年4月に136-140が廃車となりました。

180

モハ180型は琴平参宮電鉄の元デハ80形(81-88)で1950年広瀬車両製、1954年および1958年自社工場製の半鋼製ボギー車、定員80名です。1964年8月、このうちの82、84-88の6両が仙台市電に譲渡され180型181-186となりました。ワンマン化改造は受けず、1974年まで運用されました。ちなみに81、83は1963年12月に北陸鉄道金沢市内線に譲渡され、モハ2060形2061、2062となっています。

200

モハ200型1954年から1957年製の前中扉の車体で流線形車体、前面2枚窓で1968年にワンマン化改造を受け、全線廃止まで運用されました。最初はピューゲルによる集電でしたが、Zパンタ、菱形パンタに換装されました。208号が保存館に収蔵予定でしたが、屋根が腐食していたため、解体されました。

300

モハ300型は連接車で1955年モハ1型2両を1編成に改造したもので1965年まで運用されました。それにしても創世記から活躍しているモハ1型が連接車に改造されるとは、と驚かせられる改造かと思います。

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2019年8月15日 (木)

仙台市電保存館を訪問 その2 展示車両 モハ80型改めモハ100型

仙台市電、昨日の記事のようにモハ1型からモハ70型まではすべて単車でした。最初のボギー車として登場したのがモハ80型でした。この車両は第二次世界大戦後の戦災復興や外地からの引揚者で人口増加、利用客の増加に対処するため、輸送力増強の手段として1946年から1950年にかけて新潟鐵工所に大型ボギー車として発注されました。

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2016/10/21 仙台市電保存館

前面3枚窓、張り上げ屋根の半鋼製車体で車体前後に片側2枚の扉を有しましたが、1948年発注の最初の5両(80-84)は資材不足の中で製造されたため、天井はベニヤ板張り、車内の座席も粗末な作りのまま登場となりました。1950年までに24両が製造され、1954年に改番が行われ、モハ100型(101-124)となりました。

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ワンマン運転対応に改造された車内

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初期車の5両は原形のまま1974年に廃車となりましたが、残り19両は1969年以降のワンマン運転に対応した工事が行われ、扉配置が変更され、前面窓も右側の窓が大きい左右非対称の2枚窓となり、1976年の市電廃止まで運行されました。

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長崎電軌時代の1051号

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シドニーに行った1054号

廃止後、117-119、121,124が長崎電気軌道に譲渡され、仙台から昭和51年に譲渡されたことにちなみ1050形に変更されました。元117の1051以外の4両は2000年までに廃車され、動態保存車として残された1051は2019年3月31日に引退となりました。1054(元121)は1990年12月5日、長崎電軌を除籍後、オーストラリアに渡り、シドニー路面電車博物館にて動態保存されているそうです。

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2019年8月14日 (水)

仙台市電保存館を訪問 その2 写真展示車両 モハ30型からモハ70型

仙台市電保存館では仙台市電で活躍した車両の実物展示以外に、歴代の型式の写真が展示されています。

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2016/10/21 全体写真

1925年製のモハ1型に続いて、1934年製のモハ30型

30

1938年製のモハ45型

45

1948年に東京都より譲渡されたモハ70型

70

1940年から1942年にかけて江ノ島電鉄、名古屋鉄道から譲受したモハ60型が活躍しました。これらは皆、モハ1型同様、単車でした。

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2019年8月13日 (火)

仙台市電保存館を訪問 その2 展示車両 1号車(モハ1型)

今回からは仙台市電保存館の展示車両です。

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2016/10/21 スタイルは単車で集電はポールで行っていたようです。

初めは市電創業のときから約40年間、仙台市民の足として活躍し、1976年の市電廃止時に創業当時の姿に修復されお別れ運転を行った1号車(モハ1型)です。

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車内には運転士と車掌のマネキンが乗っています。

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床は板張り

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制御装置は直接式のEE

・定員:40人(内座席18人)
・最大寸法:7,924mm(長)×2,200mm(幅)×3,518mm(高)
・自重:7.63t
・速度:28.2km/h
・製造価格:9,450円

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2019年8月12日 (月)

仙台市電保存館を訪問 その1 概要・仙台市電の歴史・その後

2016年10月の仙台方面の旅では1926年11月25日に開業し、1976年3月31日まで営業した仙台市電の姿を未来に伝えるべく1991年4月25日に地下鉄富沢車両基地内に開館した仙台市電保存館を訪問しました。

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Dsc048542016/10/21 仙台市電保存館は仙台地下鉄南北線終点、富沢駅から歩いて数分の富沢車両基地の中にあります。

仙台市は1907年から「上水道整備」「電気事業」「市区改正」「市街電車敷設」「公園設置」を五大事業として推進しました。市街電車事業は多大な経費がかかるため、市は1918年交通調査委員会を設け、東北帝国大学教授に調査を依頼しました。報告書によれば、一周線、長町線、原町線からなる路線が提案されました。1923年、総額265万円の設置費用を見込み、軌道免許を取得、1925年着工に漕ぎ着けました。

Dsc04857

Dsc04860軌間は国鉄と同じ1067mmの狭軌で、電化方式はDC600Vでした。そのため、仙台市電で活躍した車両は同じ軌間だった呉市電、茨城交通水浜線、琴平参宮電鉄からの譲渡車両がいましたし、仙台市電廃止後は長崎電軌に譲渡された車両もいました。

路線は1926年に循環線が開通、1928年には芭蕉の辻線、1936年に長町線、1937年に北仙台線、1941年に八幡町線、1948年に原町線と調査委員会の報告書の通り、循環線を中心にその内側に伸びる線と、四方に伸びる線が出来て行きました。しかし、短い支線だった芭蕉の辻線は戦中の金属回収令により、レールが撤去されてしまいました。
1957年度までは黒字経営でしたが、1958年度からは職員の賃上げに運賃が追いつかず赤字経営に転落、さらに1960年代に入るとモータリゼーションの発達で定時運行が妨げられるようになり、北仙台線の利用者減少が著しくなり、この線が最初に廃止対象となり、1969年3月末で廃止となりました。
Dsc04868

市電全廃後は車両の譲渡、軌道の撤去、当分の間、バスが市電の役割を担っていましたが、1987年、地下鉄の開通と続きます。市電保存館は、市電廃止後、車庫に残されていた車両などを展示する形で1991年に開館しました。

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2019年8月11日 (日)

公園保存車両 C58 354号機 利府森郷児童公園

昨日の記事で紹介した利府森郷児童公園にはC58 354号機も保存されています。

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2016/10/22 利府森郷児童公園

蒸機C58形式は1938年から1947年にかけ、国鉄向けに427両、天塩鉄道向け2両、三井芦別鉄道向け2両の計431両が汽車製造と川崎車輌の2社で製造されました。

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保存後、2003年に整備が行われたそうですが、かなり傷みが出てきています。煙室扉ハンドルが欠損すると何か正面からの姿が引き締まりません。

沖田祐作氏の機関車表データによると
1944-1 川崎重工兵庫工場 製番2927
当初配属不明
1945-8現在 和歌山
1946-12-31現在 和歌山
1955-8-1現在 奈良
1964-4-1現在 奈良
1967-3-31現在 竜華
1968-3-31現在 竜華
1972-3-27 会津若松
1974-5-28廃車 会津若松
1975-8-1 保存
同機は1944年1月、川崎重工兵庫工場で竣工、和歌山、奈良、竜華と関西周辺で活躍した後、東北地方に転じ、会津若松で最後の活躍をしています。

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C58の特徴は密閉型のキャブの採用で炭水車との間がかなり接近していることです。この機関車には助手席前ランボードに潅水清浄装置が搭載されています。

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2019年8月10日 (土)

公園保存車両 ED91 11号機 利府森郷児童公園

昨日の記事で紹介した利府駅から廃止された「山線」に沿って少し歩いた場所にある利府森郷児童公園には我が国の交流電化用に試作されたED91形11号機C58形354号機が保存されています。今回の記事ではED91形11号機について紹介いたします。

Ed91-11-161022

2016/10/22 利府森郷児童公園 車体の形態は東武鉄道ED5000形の設計が応用されているそうです。

国鉄は将来交流電化による鉄道の運行を目指し、1953年「日本国有鉄道交流電化調査会」を立ち上げました。翌1954年には仙山線北仙台~作並間が交流電化の試験線に指定されました。指定された理由は、機関車の負荷試験に適した勾配があったこと交流電化で生じる通信線障害やトンネル改修の費用が少なかったことからでした。さらに作並~山寺間は直流電化されており、交直切換試験を作並駅で行えること、また列車ダイヤに余裕があり、電力供給が安定していることなどからでした。地上施設関係に4億4000万円、車両等に2億4000万円が投じられました。1954年10月、陸前落合~陸前白沢間で試験が開始され、1955年4月には北仙台~作並まで試験区間が広げられました。

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台車、主電動機は高速試験用に設計されたEH1015号機を基礎としています。


当初、国鉄はフランスから試作機導入を目論みましたが、不調に終わり、交流で交流整流子電動機を駆動する直接式、交流を整流して、直流モーターを駆動する間接式の交流機関車(ED44形、ED45形)、さらに交流用電車クモヤ790形が国内で試作されました。

第1次試験では直接式のED441(1955年7月20日、日立製作所水戸工場製、低圧タップ切換、吊り掛け式)と間接式(整流器式)のED451(1955年9月28日、三菱電機・新三菱重工業製、送油風冷式変圧器、水冷式イグナイトロン整流器、低圧タップ切換)の性能が比較され、直接式は高速域では高出力を発揮するものの、起動トルクが弱く、加速力も間接式に劣ること、25‰勾配での列車引き出し能力もED44が420tに対してED45が600tであることと大きな差がありました。整流子電動機のブラシ接点から火花により、1運用ごとに接点を磨く必要が認識されました。水銀整流器では位相制御が可能でタップ制御と組み合わせることで連続的な電圧変換が可能、起動時に有利で、空転しても端子電圧が上昇しにくく、空転が自然に収まるというメリットも確認されました。以上から、直接式と間接式の比較では間接式に軍配が上がりました。ED451のイグナイトロン整流器も振動に弱く、点孤子:イグナイタが脱落する事故が頻発し、寿命が短く、交換頻度が高い、水冷式のため整備に手間がかかるとの問題点が指摘されました。

第2次試験では整流器方式の異なる交流機として、ED45111956年12月21日、東芝製、整流器は保守の楽な乾式、風冷式、ED4521、1957年2月、日立製作所製、エキサイトロン整流器を搭載、高圧タップ方式で制御電流量が増大、弱め界磁併用で出力は1640kWの大出力機となりました。駆動方式はクイル式。試験の結果、ED4511は試運転での成績不良でイグナイトロンを交換、ED4521は同じ理由から機器配置の変更がなされ、その後は好成績が残されました。

それぞれの方式は量産機に技術移転され
ED451 ED70形 ED71形3号機
ED4511 ED71形2号機 ED72・73形
ED4521 ED71形1号機 ED71形4号機以降  と続きました。

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1961年の形式称号の変更では
ED441 → ED901
ED451・11・21 → ED91 1・11・21 となりました。

仙山線の試験が終了し、正式に交流電化された1957年9月以降、ED44は保守・整備に手間がかかるため1961年以降、休車状態となり、1966年に廃車となりました。ED45形3両は1968年の仙山線全線交流電化以降、長町機関区に転属し、運用が続きました。ただ、製造後10年が経過し、老朽化が始まり、保守部品の確保に難が生じていました。重連総括制御が出来ないことからED78形の運用が始まるとED45形単機で牽引可能な旅客列車の運用に限定され、冬季の運用ではEGもSGも未搭載であるがため、暖房車が必要でした。1970年、仙山線試作交流機の取り替え名目でED7810・11が製造されると全機廃車となりました。

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2019年8月 9日 (金)

東北本線の盲腸線 通称「利府線」について

東北本線には岩切~利府間に盲腸線があります。通称、利府線と呼ばれていますが、日本鉄道が1890年4月16日、岩切~一関間を開業した際、岩切から先は利府経由のルートでしたが、16.7‰の勾配があり、長大列車は補機を連結する必要があり、列車の遅れ、運休がしばしば発生する問題路線でした。1894年1月4日、利府駅が開業しました。

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2016/10/22 岩切駅の駅名標 上は利府方面、下は現在の本線

太平洋戦争の激化で貨物輸送を船舶から鉄道に転移させるために、鉄道の輸送力を増強するため、各地で勾配を緩和する新線が建設されました。東海道本線、大垣~関ヶ原、函館本線、大沼~森などがそういった新線で岩切~品井沼間においても勾配緩和が計画され、1943年4月、塩竃を経由する新線がの建設が決定し、1944年11月15日、陸前山王~品井沼間に新線が開業しました。当初は貨物列車のみが塩竃線を通過していました。

利府経由が「山線」、新線は「海線」と呼ばれ、しばらく併存していましたが、1947年には海線の複線化と駅の設置が決定し、1962年4月20日、松島(旧駅)~品井沼間が廃止され、同年7月1日には利府~松島(旧駅)間が廃止されました。

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2016/10/22 新利府駅 ホームと駅名標

本線となった海線は1968年10月のヨンサントウダイヤ改正で複線電化されましたが、利府線が電化されたのは1978年、交流電化後も気動車が運用され、電車が走るようになったのは1995年3月24日のことでした。1982年の東北新幹線開業では仙台工場・仙台第一新幹線運転所(後の新幹線総合車両センター)が利府線沿いに設置され、通勤の便を図るため、同年4月1日、新利府駅も設置されました。

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161022_201908081828012016/10/22 利府駅 駅名標、ホーム、駅舎

2002年のFIFAワールドカップでは宮城県総合運動公園が開設され、イベント開催に対応して列車が増発されるため、利府駅のホームが増設されました。

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2019年8月 8日 (木)

公園保存車両 ED71 37+オハフ61 2527

2016年秋の仙台方面旅行で撮影した公園等保存車両、今回は東北本線の桜の名所、船岡駅横の緑地に保存される初期量産形交流電機ED71形37号機とオハフ61形客車です。

ED71形1959年から1963年にかけて、日立製作所、東芝、三菱電機・新三菱重工業により、55両製造された50Hz交流機で、北陸本線用に登場したED70形の実績を踏まえ、25‰勾配において単機で1000t、重連で1200t貨物列車の牽引が可能な性能を求められました。

試作機として3両が製造され、
1号機 日立製作所 送油風冷式変圧器+風冷式エキサイトロン水銀整流器 を搭載
2号機 東芝    乾式変圧器+風冷式イグナイトロン水銀整流器
3号機 三菱電機・新三菱重工業 送油風冷式変圧器+水冷式イグナイトロン水銀整流器 と変圧器、整流器の組み合わせが異なる方式が試され、黒磯~白河間で試験を繰り返した結果、1号機の方式が量産車で採用されることになりました。2号機の方式は鹿児島本線門司港~久留米間電化で登場したED72.ED73形に採用されました。

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Dsc04803 2016/10/21 船岡

量産1次形として1960年から1961年に4号機から44号機が製造されました。1号機のシステムを継承しつつ、機器構成の見直しで自重が64tから67.2tに増加、重量の吸収のため台車を揺れ枕式DT114に変更しました。客車暖房用の電気暖房電源を主変圧器の3次巻線から取り、運転室ドア脇(1.4位)側に電気暖房表示灯が設置されました。
量産2次形は1962年から1963年に製造された45号機から55号機で、クイル方式から主電動機を防振ゴムを介して車軸に載せる”半釣りかけ式”に変更し、同時にMT101電動機の防振対策問題を解決するためにトーションバーをアンチローリング装置として用いることで問題が解決されました。さらに側面のルーバーの形態が変更されました。

オハフ61形客車は1947年2月25日に八高線東飯能~高麗川で発生した客車列車脱線転覆事故(184名が死亡)を契機に明治末期から大正末期にかけて製造され、製造後20年から40年が経過し、老朽化が進行していた木造客車(当時の国鉄保有客車数10800両の約6割)を1949年から鋼体化として鋼製客車に改造する事業が開始され誕生した形式です。

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この頃は戦後の混乱期でインフレが進行しており、短期間で大量に鋼製客車を新製することは不可能であり、木造客車の台枠、台車、連結器などを再利用し、車体のみを新製し鋼製としました。

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2019年8月 7日 (水)

公園保存蒸機 C60 1号機 仙台西公園 

猛暑の中国地方から、猛暑の関東地方に戻り、一気に4日分アップして、些か脱力状態ですが、通常公開を再開します。

今回からの3記事は2016年10月第31回新幹線車両基地公開参加のためにの仙台周辺の保存車両を訪問した際のものです。思えばこの年の秋は10月15日下関総合車両所公開10月22日に仙台・利府、10月29日には高崎ふれあいデー11月5日は西武鉄道横瀬車両基地公開11月12日富士急電車祭り11月19日は幕張車両センター(マリフェス)、12月4日東武ファンフェスタとほぼ毎週のように鉄道イベントに参加し、東奔西走状態でした。

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2016/10/21 仙台青葉区西公園 訪問したのはオープンを翌日に控えた10月21日でした。

仙台西公園は青葉区桜ヶ丘にあり、裏には広瀬川が流れ、仙台駅前から続く青葉通り、広瀬通りが広瀬川に至る場所にあります。仙台市内で最も古い都市公園だそうです。

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煙室扉やエプロンの形態、九州鉄道記念館に保存されるC59 1号機と共通で、京都鉄道博物館(梅小路)のC59 164号機、広島子ども文化科学館のC59 161号機とは異なっているのがわかります。


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蒸機C60形は特甲線用のC59形が東海道本線、山陽本線などの電化後、他の路線で運用出来るように1953年から55年、60年61年に国鉄浜松、郡山工場で従台車を1軸から2軸に改造し、軸重を軽減した形式で戦前タイプのC59 1~100から改造されたものは0番台1~39、戦後型C59 101以降から改造されたものは100番台101~108とされました。

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動輪径はC59~C62まで国内蒸機最大の1750mmです。逆転器リンクプレートの形態はD51形などとは異なっています。

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炭水車に関しても台枠が見えるのが戦前形C59の特徴です。

東北と九州に配置され、東北本線、常磐線、奥羽本線(秋田以北)、鹿児島本線(鳥栖以南)、長崎本線などで活躍、東北ではヨンサントウのダイヤ改正まで、九州では1970年の鹿児島本線全線電化まで活躍しました。

C60 1号機はC59 27号機からの改造で1968年の引退後、仙台市に移管、翌年から青葉区西公園に静態保存されてきました。2007年から開始された西公園の再整備事業に合わせ車体外観の塗装と運転台内部の改修がなされ、2016年に完成しました。

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2019年8月 6日 (火)

速報版 岡山、広島、鳥取、兵庫を巡る旅 四日目

四日目は早朝、駅北口から見える姫路城見学からスタートです。

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2019/8/5 国宝 姫路城 白鷺城 天守閣

といっても城見学は朝9:00からなので遠目に天守閣を見て終わり。

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2019/8/5 姫路 播但線103系3500番台

駅に戻り、まずは播但線の臙脂色の103系3500番台で寺町へ。この区間には1998年3月14日の電化開業以来、103系3500番台2連(クモハ103-3500+クモハ102-3500)9本が投入されており、種車は片町線木津~長尾間電化の際に3両運転のため改造されたクモハ103-5000(5001から5016)で、これらが同線の長編成化、207系化で自動解結装置を撤去され、クモハ103-48から改造された5001を除き、2500番台2501~2515に改番され、そのうちの9両が播但線用に再改造されました。
クモハ103-2506・2508 - 2515→クモハ103-3501 – 3509

一方、クモハ102はクモハ103-2500番台とユニットを組んでいたモハ102形に1次改良車の運転台を新製、さらに同時期に廃車されたクハ103形の運転台機器や乗務員扉を流用しました。JR東日本のように装甲車のような高運転台顔にしなかった点が良かったと感じます。
モハ102-583・636・641・655・883・885・2027・2029・2037→クモハ102-3501 - 3509

ここからは非電化で百人一首60番小式部内侍の歌「大江(おほえ)山 いく野の道の 遠(とほ)ければ まだふみもみず 天の橋立」で有名な生野を越えて、山陰本線の和田山に至ります。

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2019/8/5 寺前 こちら側はごく普通のキハ47と同じ顔

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一方、こちら側は山陰地方の伝統か、113系3800番台とまでは行かないものの、かなりゲテモノ顔

播但線非電化区間の名物と言えばキハ47改造のキハ41です。便宜的総称のキハ40系気動車は
キハ40形 両運転台 1m幅片開き扉 
キハ47形 片運転台 1.3m幅両開き扉
キハ48形 片運転台 1m幅片開き扉    の3形式から成っていましたが、JR西日本に継承されたキハ47形のうち、播但線の非電化区間向け単行運転用にキハ47形に運転台を増設改造したのがキハ41形2000番台で
キハ47 1009・1010・1024・1039・1105 → キハ41 2001 - 2005
5両が鷹取工場で施工されました。配置は福知山電車区豊岡支所で播但線内と山陰本線豊岡~浜坂間で使用されています。
特徴的な増設川運転台の顔が見物な車両です。速度制限のせいもあるかも知れませんが、生野をサミットにこの区間、キハ40系が思い車体をヒーヒー言わせながら往復しています。

姫路に戻り、山陽本線で加古川に向かいます。ここから北方へ伸びる加古川線は福知山線の谷川駅まで通じていますが、西脇市駅より先は列車頻度が低いため今回は西脇市で引き返しました。

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2019/8/5 西脇市 クモハ102-3551他2連

車両は2004年12月19日の全線電化開業に備え、103系0番台ユニットに運転台を設置したクモハ103形3550番台、クモハ102形3550番台で

モハ103-659・660・714・715・726・728・730・731→クモハ103-3551 – 3558
モハ102-815・816・870・871・882・884・886・887→クモハ102-3551 – 3558

8ユニット準備されました。塗色は常磐線を彷彿させるエメラルドグリーンと黒で貫通扉を有し、105系と近いスタイルです。

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2019/8/5 厄神 クモハ125-10 厄神には車両基地があり、加古川~厄神間の列車頻度は日中1時間2本、厄神~西脇市は1時間1本程度

さらに125系の2次車(9~12)が投入されており、西脇市以北の谷川までの区間は原則的に125系が運用されています。

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2019/8/5 粟生 神戸電鉄 1969年製の1100系

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こちらは2016年から登場した6500系

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こちらは国鉄北条線を継承した北条鉄道 1985年4月1日開業 フラワ3号は2008年4月に廃止された三木鉄道のミキ300-104を譲受したもので、同形のー103は先日の記事で紹介したようにひたちなか海浜鉄道が譲受

途中の粟生(あお)駅では東側に神戸電鉄、西側に北条鉄道が接続しており、加古川線の電車の到着に合わせて両線の車両が接続するようで、乗車はしませんでしたが、両線の車両を撮影しました。

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2019/8/5 新大阪 おおさか東線ホームと201系電車

最後は加古川から新快速で新大阪へ、2019年3月のダイヤ改正でおおさか東線の新大阪~放出間が開業したので、その様子を新大阪駅で見学しました。てっきり従来九州方面寝台特急が発着していたホームが使用されるのかと思って居ましたが、一番北のホームが使用されたのですね。将来的は北梅田駅(仮称)まで延伸計画があるそうですね。
三宮まで戻り、夜の高速バスで東京に戻りました。

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