2020年7月 6日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 16 播但線の旅 非電化区間編

前回の記事に続き、今回は播但線の寺前以北の非電化区間編です。

Dsc03016 2019/8/5 寺前 キハ40 2046 と キハ41 2005の2両編成

Dsc03018
Dsc03017  
近畿地方の日本海側にはかつて113系の3800番台という旧国まがいの顔をした変顔電車がいましたが、キハ41キハ47の連結面に運転台を付けたかなりの変顔の持ち主です。

Dsc03028_20200705212501 和田山でキハ41は切り離され留置線に こちら側から見ると一見、キハ47が1両切り離された様にみえますが

Dsc03029_20200705212601
Dsc03033 サイドからみると窓のない部分が随分長いです。この部分は新造の切妻前面構体が接合されており、運転台の後にはトイレと水タンクが増設されています。

非電化区間を走る気動車は福知山電車区豊岡支所所属の車両でキハ40形2000番台3両、そして最大の注目車両キハ41形2000番台5両が旅客用に配置され、さらに除雪用(事業用気動車:ラッセル車)としきキヤ143形が2両配置されています。キハ47形0番台7両、1000番台4両は山陰本線のみですがキハ40、41は播但線、山陰本線で活躍しています。

キハ41形は1998年の播但線寺前電化の際に非電化区間の気動車単行運転用にキハ47形1000番台に運転台を増設して誕生した形式で5両
キハ47 1009・1010・1024・1039・1105 → キハ41 2001 - 2005
が鷹取工場で改造されました。

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2020年7月 3日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 16 播但線の旅 電化区間編

2019年8月1日に東京を出発し、岡山、広島、鳥取と旅し、最終日のメインは山陽本線と山陰本線をそれぞれ結ぶ、陰陽連絡線、播但線と加古川線の乗車です。

Dsc03000
2019/8/5 姫路 

播但線は地形的には市川、円山川が形成する谷に沿って陰陽連絡をしており、姫路~寺前までの平坦区間が1998年3月に電化されました。

線路にほぼ沿う形で国道312号、播但連絡道路が走っていますが、播但鉄道が線路を敷設するまでは生野銀山と姫路市の飾磨港を結ぶ生野銀山寮馬車道が存在していました。

路線データ
営業キロ 65.7km
駅数 18 両端駅を含む
全線単線
電化区間 姫路~寺前 DC1500V
閉塞方式 自動閉塞式(特殊)
交換可能駅 青倉駅以外の全駅
最高速度 姫路~福崎、寺前~和田山 95km/h 福崎~寺前 110km/h
運転指令所 福知山運輸指令所

Dsc02996

Dsc03004
BH3とBH9編成はパンタグラフが2014年に2基となっています。

電化区間を走るのは103系3500番台(網干総合車両所配置)です。

3500番台はJR東日本でも八高線電化時の1996年3月TcMM'T'cの4連が1編成0番台から改造されて投入されましたが、こちらはMcM'クモハ103形2500番台(元は片町線用改造されたクモハ103形5000番台分割併合装置付きの車両で5001はクモハ103形0番台から、他はモハ103形に運転台を設置:クモハ103-48・モハ103-248・249・241・295・304・427・435・480・485・499・727・729・770・772・780→クモハ103-5001 - 5016)で片町線に207系が投入された1992年に-5001は現番号に復帰、-5002以降は-2501から-2515になり、大和路線などに転用されました。そして1997年から1998年にかけて播但線に投入されるため、クモハ103形3500番台+クモハ102形3500番台(運転台取り付け)に9編成改造されました。103系初の2両編成です。

クモハ103-2506・2508 - 2515→クモハ103-3501 - 3509
モハ102-583・636・641・655・883・885・2027・2029・2037→クモハ102-3501 - 3509

Dsc03068_20200702190301 3501のBH1編成は体質改善40N施工車で乗降ドアのガラスの支持方が205系と同様であり、ガラス周りに金属フチがない異端車で種車のクモハ103-5007時代の延命N40工事時に交換されたものがそのまま残されているからです。

1033506-111226-2 2011/12/26 姫路 かつてはこのような色物編成もありました。

Dsc03014 溝口での列車交換

Dsc03021

Dsc03067 電化区間の終点、寺前 非電化区間に向かい乗客に対して同じホームの反対側に気動車が入線します。

Dsc03009 車内の様子 

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2020年7月 2日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 15 姫路市内散策と姫路城 2

早朝の姫路市内散策、JR姫路駅、山陽姫路駅周辺を見学した後、市街地を北へ進み、姫路城へ向かいました。

Dsc02988

2019/8/5

Dsc02974

姫路城の築城は1336年(元弘3年)村上源氏の血を引き、播磨の地の守護・赤松則村(円心)が元弘の乱において後醍醐天皇の皇子・護良親王(大塔宮)の命で挙兵し、京に向かう途中、姫山(日女道丘)に砦を築いたのが発端だそうです。1346年(正平元年)には円心の次男・貞範により、姫山に本格的な城が築かれました。

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城主はかなり頻繁に交代しており、1441年(嘉吉元年)の嘉吉の乱では赤松満祐父子が足利六代将軍義教を暗殺し、自害したため山名持豊が姫路城主となりました。その後の1467年の応仁の乱では赤松政則が姫路城を陥落し、領国を回復、本丸、鶴見丸が築かれました。後に一族の小寺氏、重心の黒田氏が城を預かりました。

Dsc02978

1580年(天正8年)、羽柴秀吉の中国攻略のために黒田孝高が秀吉に城を献上、このとき3層の天守が建造されました。1600年(慶長5年)関ケ原の合戦後、池田輝政が城主となり、城郭は拡大し、今日のような形態になりました。

1600年~1617年 池田氏 輝政・利隆・光政
1617年~1639年 本多氏 忠政・政朝・正勝
1639年~1649年 松平氏 忠明・忠弘・直基・直矩
1649年~1667年 榊原氏 忠次・政房
1667年~1682年 松平氏 直矩
1682年~1704年 本多氏 忠国・忠孝
1704年~1741年 榊原氏 政邦・政祐・政岑・政永
1741年~1749年 松平氏 明矩・朝矩
1749年~1868年 酒井氏 忠恭・忠以・忠道・忠学・忠宝・忠顕・忠績・忠惇・忠邦

池田氏以降、親藩・譜代大名の城として、西国の外様大名の監視の拠点として、また天守閣を火災で失った江戸城の代わりとして姫路城は版籍奉還までの270年間6氏31代が城主を務めました。

Dsc02992

明治時代初期に百円で払い下げられましたが取り壊し費用が膨大のため取り壊されず、後に陸軍歩兵第10連隊の駐屯地となり、大小天守群・櫓群が国費で保存されました。
1931年、国宝に指定、1956年8年計画で昭和の大修理、1993年ユネスコ世界文化遺産に登録、2009年平成の大修理、2015年に平成の大修理が終了し、グランドオープンとなりました。

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2020年7月 1日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 15 姫路市内散策と姫路城

姫路で迎えた朝、ホテルは姫路駅に近かったので、まずはJR姫路駅、山陽電鉄姫路駅、そして国宝姫路城(白鷺城)を訪問することに致しました。


Dsc03069

Dsc03005
2019/8/5 姫路駅 山陽本線(上)と播但線(下)の駅名標

JR姫路駅は兵庫県下では県庁所在地の神戸駅や三宮駅よりも大きな駅舎、駅ビルを持つ駅で駅長が配置された管理駅として姫路市内にある山陽本線のひめじ別所駅から網干駅までの各駅を管轄しています。山陽本線以外に、播但線、姫新線、そして山陽新幹線が乗り入れる駅でもあります。


Dsc02971 北口

Dsc02967 南口


Dsc02968
北口駅前広場



開業は1888年12月23日で、同年11月1日に兵庫~明石間が開業した山陽鉄道が、姫路まで延長開業したときでした。なお、兵庫~神戸間の開業は1889年9月1日でした。当時、姫路城内には陸軍歩兵第10連隊が設置されていたこともあり、山陽鉄道の駅は市街地の中心に設置されました。1889年には当駅で日本最初の駅弁が販売されたそうです。播但鉄道が乗り入れたのは1894年で同線は山陰地方とを連絡する陰陽連絡線としてのみならず生野銀山の銀を輸送する役割がありました。1903年6月1日には経営状態が苦しかった播但鉄道が路線を山陽鉄道に譲渡、さらに1906年12月1日には山陽鉄道が国有化されました。姫新線は昨日の記事にあるように1930年に開業しました。電化は1958年に明石から姫路まで電化されました。小学生の頃、母の故郷、萩まで東海道・山陽ルートで行った頃はここで電機から蒸機へ機関車交換が行われていたのを記憶しています。


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山陽電鉄 山陽姫路駅 山陽百貨店の2階に頭端式ホーム4面4線を有する

長距離の国鉄に対して近距離輸送を担う本格的都市間輸送を担う鉄道として1923年8月19日に明石~姫路間で開業したのが神戸姫路電気鉄道、現在の山陽電気鉄道です。並行する路線間では乗客を奪い合う熾烈な競争が繰り広げられ、山陽電鉄が1948年に日本における戦後初のロマンスカー車両820形を投入すると国鉄はC62を東灘信号所で転向させ神戸~姫路間で列車増発し、1972年の新幹線岡山開業以降は新快速に153系、165系、そして117系、221系と続々、高速フリークエントサービスを充実させてゆきました。

1995年1月の阪神・淡路大震災では震災で分断された山陽新幹線やJR神戸線の迂回ルートとして播但線が用いられた関係で乗り換え客で駅は大混雑しました。

在来線の連続立体交差事業は1989年から開始され、1995年8月6日から高架化工事も開始、2006年3月26日にJR神戸線・山陽本線のホームが、2008年12月22日には播但線・姫新線のホームが高架化されました。

Dsc02966 姫路駅周辺ではこういったカラーの神姫バスをよく見かけます。


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2020年6月30日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 14 姫新線 津山~姫路間の旅

柵原ふれあい鉱山公園を満喫した後は美好町が展示運転日に津山まなびの鉄道館まで運行するバスで津山駅まで戻りました。

Dsc02956_20200629144901

Dsc02957_202006291450012019/8/4 吉ヶ原駅前

津山に2泊した後、今夜の宿は姫路に予約してあるため、姫新線で姫路に向かいます。
津山~姫路間営業キロ86.3kmですが、通して走る列車は現在なく、上月行き、佐用行き、若しくは美作江見行きとなっています。

津山1725~2834D~佐用1831/1849~876D~姫路1952 

乗車した列車は上記の接続列車で佐用で18分の接続でした。佐用駅は智頭急行智頭線が接続(クロス)する駅で沿線では最も重要な駅となっています。小学生の頃、母親の実家の萩から東京に向かう際に鳥取から因美線~津山~姫新線~姫路のルートを辿った経験(1989年まで姫新線に走っていた急行「みささ」か)があり、この区間に乗車するのはその時以来となりました。

190803-2_20200629145101 東津山における姫新線(右)と因美線の分岐

姫新線、姫路~東津山間の延伸は姫津線として
1930年9月1日、姫路~余部間6.1kmも開業から始まり、
1931年12月23日には余部駅 - 東觜崎駅間 (11.7km) が延伸開業、
1932年7月11日、東觜崎駅 - 播磨新宮駅間 (4.3km) が延伸開業、
1934年3月24日、播磨新宮駅 - 三日月駅間 (14.5km) が延伸開業、
1934年11月28日姫津西線 東津山駅 - 美作江見駅間 (20.7km) が開業
1935年7月30日、三日月駅 - 佐用駅間 (14.5km) が延伸開業
1936年4月8日、佐用駅 - 美作江見駅間 (9.3km) が延伸開業して、全通となりました。

127-2-111226127-1002-111226
2011/12/26 姫路

JR西日本は姫新線高速化事業として電化の推進と軌道強化がによる高速化を目指しており、後者に関してはPC枕木化、カント改良工事が進められています。車両面でも2009年3月14日のダイヤ改正から100km/h運転が可能なキハ122・127系気動車が投入され、姫路~播磨新宮間では8分、姫路~上月間では18分の運転時間短縮が実現しました。

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2020年6月29日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その8 鉱山資料館と鉱山関係車両、機械

柵原鉱山資料館は東洋一の硫化鉄鉱山だった柵原鉱山の採掘の歴史を伝え、鉱山町の商店や住宅の様子をジオラマで再現した施設です。

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2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館の全景

さらに公園内には、トロッコ、牽引機、さらに鉱山特有のポンプなどが展示されています。

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採掘された硫化鉄鉱石を運んだトロッコ

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トロッコを牽引した電気機関車(牽引機)

Dsc02850

Dsc02859ポンプ

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磁鉄鉱石 化学式になんとなく違和感を感じながら調べてみると Fe2+ Fe3+2O4(四酸化三鉄) FeO.Fe2O3 と表記するのが正しいようで金属錯体や混合物ではなく、混合原子価 化合物であります。

Dsc02828
「願い石」なる石もありました。

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2020年6月26日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その7 カットボディ2

柵原ふれあい鉱山公園に保存されているカットボディ2件目はクモハ73の先頭部です。


Dsc02898 2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園

これは可部線で最後の活躍をしたクモハ73383の先頭部だそうです。
1975年3月31日時点の国鉄車両配置表によると可部線や呉線で活躍した広島運転所の72系旧形国電の配置は

クモハ73 001 009 021 027 041 051 061 090 091 094 124 128 148 169 225 259 313 345 383
モハ72  056 066 500 501 503 510 563 673 684 692 934
クハ79  004 108 214 218 308 312 326 328 370 501
サハ78  111 113 117 118 119 120 123 134 
となっています。
クモハ73383は同形の中ではラストナンバーとなっています。


Dsc02899

クモハ73形の0番台、276両はモハ63形からの改造車、400番台4両はモハ63850~63858からの改造車、500番台20両はモハ72形0番台からの改造車、600番台30両はモハ72形500番台からの改造車、900番台1両はモハ63形900番台の改造、2両はモハ73174・73400の更新車でした。


73 広島運転所で休む可部線、呉線カラーの72系 このクモハ73は近代化工事施工車ですが、オリジナルに近いスタイルの写真は首都圏でも撮っていました。


73-2


73-edit


遅くまで72系が活躍していた横浜線 東神奈川


73-edit_20200625193401 青梅線 青梅


73-edit_20200625193501
外房線 千葉

クモハ73383はモハ63811から広島工場で1953年7月29日に改造されました。廃車は1984年7月12日で、カットボディ状態で広島工場内に保存され、広島市内の模型店に譲渡され、2013年に柵原ふれあい鉱山公園に移設されました。クモハ73で車体が残されているのはこのカットボディとリニア館の復元されたモハ63638のみだそうです。

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2020年6月25日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その7 カットボディ

柵原ふれあい鉱山公園の保存車両たち、最後は完全な車両ではありませんが、将来の展示公開に向けて整備中と思われるカットボディを2件、紹介いたします。

Dsc02837
2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園

最初はこの湘南2枚窓の車体です。

電車の世界で湘南2枚窓といえば元祖は国鉄クハ86形(1950年登場の2次車86021-から)から始まり、
1951年 東武5700系/京浜急行500形/小田急1700形 
1953年 京王2700形/京成1600形 
1954年 東急5000系/西武501系/阪神3011形/南海11001系/小田急2200形 
1955年 相鉄5000系/名鉄5000系/近鉄800系 
1956年 京急700形 
1957年 長野電鉄2000系/西鉄1000形 
1958年 遠州鉄道30形
1960年 福井鉄道200形
1961年 西武551系/富山地鉄10020形 
1962年 京王3000系/西武601系 
1963年 西武701系 
1969年 西武101系
1979年 西武101N系 
と思いつくままに挙げても30年近くに渡り、そのスタイルを継承した車両が登場していることがわかります。

気動車の世界では
1952年 国鉄 キハ44000形キハ44100形/島原鉄道 キハ4500形
1953年 国鉄 キハ44500形/夕張鉄道キハ250形→鹿島鉄道 キハ714形 同じく水島臨海鉄道→岡山臨港鉄道キハ7000
1954年 国鉄 キハ10000形等/東武 キハ2000形
1957年 加越能鉄道キハ120形→鹿島鉄道 キハ430形
1958年 同和片上鉄道 キハ310形
1960年 大分交通耶馬渓線 キハ600→紀州鉄道キハ600形/茨城交通 ケハ600形

機関車はやはりクハ86の影響なのか
1952年 EF58改良型(35~)
1953年 DD50
1956年 DF90
といった形式が登場しています。

ということでこの車両は赤字で示した岡山臨港鉄道の主力気動車だったキハ7000形だそうです。

1982年9月に撮影された現役当時の写真がこちらにあります。

714-840000 1984年 石岡~石岡南台 鹿島鉄道 714

714-030211 2003/2/11 石岡駅構内 714

岡山臨港鉄道は国鉄宇野線大元駅と岡山港駅を結んでいた鉄道で1951年8月1日に営業を開始し、1984年12月30日に廃止されました。キハ7000形は水島臨海鉄道で国鉄キハ10形が大量導入されるに当り、余剰となり入線しました。同線としては列車本数が削減された末期の主力車両として活躍しました。

夕張鉄道は現在は夕鉄バスとしてバス事業を行っていますがかつては函館本線野幌駅から室蘭本線栗山駅、夕張線鹿ノ谷駅を経て、夕張本町駅までを結ぶ夕張鉄道線を営業していました。キハ250形は北海道初の液体式気動車として導入された型式で1953年に新潟鐵工所製のキハ251が導入され、1956年に座席配置・窓配置の異なるキハ252形キハ252-254が導入されました。1971年11月に旅客輸送が合理化された際にキハ252,253が廃車となり、水島臨海鉄道に譲渡され、1974年4月1日に野幌~栗山間の旅客営業休止でキハ251,254が廃車され、関東鉄道に譲渡されました。251はキハ714形714、キハ254はキハ715形715となりました。

キハ252,253は1978年まで水島臨海鉄道でキハ303,304として活躍した後、岡山臨港鉄道に譲渡され、キハ7001,7002として1984年12月31日の同線廃止まで活躍しました。ともに美作市に保存されましたが、2012年2月19日に解体が決定し、キハ7001の車体はカットボディとして柵原ふれあい鉱山公園に保存されることが決まりました。

1958年、キハ252形の増備として片運転台方式のキハ300形(301・302)が増備されました。こちらも湘南顔でした。製造は全て新潟鐵工所でした。キハ300形2両は1968年10月から倉敷市交通局1970年2月から鉄道部門は水島臨海鉄道)に譲渡され、302は踏切事故で1975年4月に廃車となりましたが、301は1978年まで使用され、1979年6月30日からはキハ7003として岡山臨港鉄道で活躍しました。

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2020年6月24日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その6 保存車両 移動機

柵原ふれあい鉱山公園の保存車両、今回は移動機(軌道モーターカー)です。

Dsc02860

Dsc02887
2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園

津山まなびの鉄道館の展示車両でも登場しましたが、車両としての登録は無くても移動機、軌道モーターカーは貨車の入換などの作業には必要不可欠の存在です。同和鉱業片上鉄道においてもこういった機械が日中、線路上を走り、保線作業、線路周辺の環境整備等に活躍する姿が見られたそうです。

Dsc02860
奥に見えるホームは吉ヶ原駅で、気動車ではなくDD13牽引の貨物列車が運転されるときにはモーターカーが貨車を展示運転線に引き出すのでしょう。


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2020年6月23日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その5 保存車両 貨車編3

柵原ふれあい鉱山公園の保存車両、貨車編、今回は無蓋車です。トム519、トラ814、840の3両が保存されています。

Dsc02944edit 2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園

519

5192  
トム500形は鉱石輸送の主力として活躍した15t積載の木造二軸無蓋車で70両在籍したそうです。もとは運輸省所属で1950年7月と11月に入線したようです。車歴は各車ごとに複雑であり、記録の不備もあり、製造所、製造年月、前所有者に関する情報がはっきりしない車両が多く、中には南海鉄道からの転属者や若松車輛の銘版を持つ車両もいたそうです。

814

トラ800形は18t積載の木造二軸無蓋車で総勢52両在籍しました。トラ802から806までは元鐡道省所属のトで1954年改造、入線、840以降は1962年および1964年に新造されたグループです。トム500に対して3t積載量の増えたトラを増備したのは当時、鉱石輸送の需要が増大したのに対処するためでした。

840
昨日紹介したワフ102とトム519は写真のように展示運転線とは繋がっていない線路上に保存されているため運転はできませんが、トラ814、840そしてワむ1807は展示運転線上に引き出して運転することが可能です。

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2020年6月22日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その5 保存車両 貨車編2

柵原ふれあい鉱山公園に保存される貨車編、今回は緩急車ワフ100(102)です。

Dsc02829
2019/8/4 柵原鉱山公園

1947年日本車輌製の国鉄ワフ22000形(ワフ22006)を1976年3月に譲受、国鉄時代は片デッキでしたが、両デッキ式に改造しました。2トン分の荷物スペースも残されました。かつては同時期に国鉄から譲受した5両(ワフ101~105)が活躍していましたが、鉱石輸送廃止後に残ったのは102、103の2両でした。

ワフ22000→101
ワフ22006→102
ワフ22012→103
ワフ22143→104
ワフ22925→105 1948年新木南車両製

Dsc02833

ワフ22000形は1947年から1948年までに日本車輌製造本店・支店、近畿車輛、帝國車輛工業、汽車製造東京支店、新木南車輛で975両製造された有蓋緩急車で、全長7830mm、全幅2640mm、全高3685mm、荷重2t、実容積11.7㎥、自重8.9tです。それまでに活躍していた大正期製造のワフ600形、ワフ3300形の木製緩急車の置き換えを目途に製造されました。

走り装置は一段リンク式から二段リンク式に改造され、最高速度も65km/hから75km/hに向上しました。当初、車掌室内に電灯やストーブは設置されていませんでしたが、1963年に車軸発電機および蓄電池箱、ストーブが設置されました。私も小学校時代、国立駅の側線に停車中だった中央線貨物列車の緩急車は、しばしば中を無断で見学した憶えがあります。

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2020年6月19日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その5 保存車両 貨車編

柵原ふれあい鉱山公園に保存されている車両、今回からは貨車編です。

Dsc02894 2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園

Dsc02895
停めてあった場所の関係でこんな写真しか撮れませんでしたが、形式表示は国鉄時代のままだったことが分かります。

有蓋車、緩急車、無蓋車が保存されています。まずは有蓋車のワム1807です。動態保存されています。
同和鉱業片上鉄道ではワム1800形式とされましたが、元国鉄ワム80000形です。
ワム80000形は国鉄が1960年から1981年にかけ製造した15t積載の2軸貨車で26605両が製造されました。製造は日本車輌製造、川崎車輛/川崎重工業、汽車製造東京支店、日立製作所、輸送機工業、富士車輌、ナニワ工機、三菱重工業、協三工業、舞鶴重工業、鉄道車輛工業、若松車輛が担当しました。1959年に汐留~梅田間でコンテナ輸送が開始され、それまで主流だった車扱貨物においても有蓋車の近代化を図る必要が生じ、パレットを使用し、フォークリフトで荷役するパレチゼーションが検討された結果、初代ワム80000形(後にワム89000形)が誕生し、その改良型として量産されたのが本形式でした。側面は総開き式とし、4枚の引き戸方式となりました。

走り装置は2段リンク式、最高速度は75km/h、車軸は12t長軸で軸受は平軸受けです。

同和鉱業片上鉄道には1986年に吉ヶ原、周匝からの肥料輸送用および弁柄輸送用として10両が国鉄から 払い下げられました。

  • ワム1801 ← ワム180570 日本車輌製造 1968年度民有
  • ワム1802 ← ワム181464 川崎車輛      〃
  • ワム1803 ← ワム181842 舞鶴重工業     〃
  • ワム1804 ← ワム183864 汽車製造   1968年度第4次債務負担
  • ワム1805 ← ワム184036 日本車輌製造 1968年度第4次債務負担
  • ワム1806 ← ワム184141 川崎車輛   1968年度第4次債務負担
  • ワム1807 ← ワム184740 川崎車輛   1968年度第4次債務負担
  • ワム1808 ← ワム184746 川崎車輛   1968年度第4次債務負担
  • ワム1809 ← ワム184987 日立製作所  1968年度第4次債務負担
  • ワム1810 ← ワム185970 日立製作所  1968年度第5次債務負担

10両はいずれも第2次量産車グループです。1988年には貨物輸送が全廃されているので活躍期間は2年間でした。
1805と1807が保存され、1805は和気町の和気交通公園横に静態保存されています。

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2020年6月18日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その4 保存車両 客車編2

昨日に続き、柵原ふれあい鉱山公園に保存されている客車編、今回はホハフ3000形です。

Dsc02922 2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園
昨日のホハフ2000形とは異なり、こちらの車体はぶどう色です。

この形式は自社発注ではなく、1981年に2両、元国鉄のオハ35形(1947年日本車輛製造製オハ35 1227:1975年版の国鉄車両配置表では津山派出に所属しています)を購入したものです。入線に際して、便所・洗面所は撤去され、その代わりに車掌室が新設されました。

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非貫通化のために防護柵が設けられ、SGによる暖房が使用できないため独立式燃焼暖房装置が設置されました。車内に立ち入ることも出来、ホハフ2000形とは異なり、背ずりにモケットが付いておりました。昭和30年代、夏休みの家族旅行(帰省)で東京から山口県や秋田県に向かった時によく乗車した夜行客車急行の旅を思い出しました。

ホハフ3001、3002の入線で旧型気動車キハ300形2両が廃車されました。気動車で運転されていた列車を機関車牽引の客車に置き換えることで機関車の有効活用と燃料効率の向上を図ったそうです。

3001は和気郡佐伯町役場に保存されているそうです。

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2020年6月17日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その4 保存車両 ホハフ2000形

柳原ふれあい鉱山公園の保存車両、今回は客車編でホハフ2003、ホハフ2004、ホハフ3002の3両が動態保存されています。

Dsc02921 2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園 客車の案内板

ホハフ2003、2004の2両は1950年6月ナニワ工機で製造された自社発注車です。車長は17mで元国鉄2300系の台枠が利用されています。車両の両端はオープンデッキになっています。ホハフ2002は国鉄スロ3325で富士産業宇都宮工場製でした。

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黄福柵原駅そばに留置されていた車両 スポーク車輪が写っていることからこちらが2004か?

車内はセミクロスシートになっています。クロスシートの背中の部分にはモケットが無い、板張り構造です。かつて国鉄の旧型客車でもスハ32系などでそういった車両がありました。2001~2004は半鋼製、2005のみ全鋼製でした。定員は140名で座席82名、立席58名です。

Dsc02891 もう1両は吉ヶ原駅そばに

2001は1972年6月に、2005は1988年3月に廃車となりました。

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2020年6月16日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その3 保存車両 キハ702

柵原ふれあい鉱山公園の保存車両、気動車編、最後はキハ702です。

Dsc02910 2019/8/4 

この車両は元国鉄キハ07 5で片上鉄道にはキハ07 4,5,8の3両が譲渡されキハ701、702、703となりました。

キハ07形はもともとキハ42000形として昭和初期に鉄道省が開発した形式で、ガソリンカーキハ41000形を基本に大都市近郊輸送向けに車体寸法を拡大し、機関出力を強化したものでした。1935年から62両(42000~42061)が量産され、1937年にはディーゼル機関を搭載した派生形式キハ42500形(初代)も3両(42500~42502)試作されました。製造は川崎車輛、日本車輛製造、新潟鐵工所のほか鉄道省大宮工場も担当しました。これら65両のうち、戦後まで残存した車両について機関をディーゼル機関に換装し、再生改造されたグループと戦後に追加製造されたグループが二代目キハ42500形となりました。戦後は東急車両製造の参加しました。

Dsc02821

前頭部は半円柱の2次曲面で、まだガラスは通常の板ガラスによる6枚窓構成となっています。

Dsc02908 シンプルな台車

製造当時は機械式動力伝達方式のため重連総括制御は不可能で、併結運転では各車両に運転手が乗務し、ブザーの合図で連絡する協調運転方式でした。1940年1月の大阪西成線での脱線火災事故でガソリンカーの危険性が問題となり、戦争による燃料統制もあり、1937年に試作され放置されていたディーゼルエンジンの制式化でDMH17エンジン搭載の黄は42500形(二代目)改造が大宮工場、新小岩工場、長野工場、名古屋工場、多度津工場で43両に対して行われました。1957年、気動車の称号改正でキハ07形に改正されました。

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2020年6月15日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その3 保存車両 キハ312

柵原ふれあい鉱山公園に保存されている気動車、2両目はキハ312です。

Dsc02845 2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園 キハ312  この日はお休みの日でした。

この車両は片上鉄道が1958年に宇都宮車両に発注した車両で基本設計は国鉄キハ41000形に準じていますが、正面2枚窓や張り上げ屋根など外観に相違があります。また乗務員室扉も設置されています。キハ3004、3005と2両が製造されました。宇都宮車両は戦後、中島飛行機が富士産業と改称、1950年の財閥解体から1953年の富士重工発足までの間、存在した会社です。

Dsc02840 残念ながら乗務員室ドアは向かって右側サイドです。

製造当初は機械変速方式のガソリンカーでGMF13エンジンを搭載していましたが、液体変速方式のディーゼルカーになりました。1967年にキハ310形311・312となりました。

Dsc02843 昔懐かし鎧戸が見えます。

キハ311は1985年に廃車となり、菊ヶ峠(国道484号)のドライブインに保存されているそうです(写真はこちら)。キハ312は1991年の鉄道廃止の日まで活躍し、現在も動態保存されています。明日のキハ702を含めて3両のディーゼルカーが保存されていますが、他の2両が美咲町の所有に対して、この車両は片上鉄道保存会のものです。

Dsc02824

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2020年6月12日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その3 保存車両 キハ303

旧片上鉄道の保存車両、機関車は昨日のDD13だけで今回からは気動車編です。最初はキハ300形303です。

Dsc02877 2019/8/4 黄福柵原駅 

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Dsc02884 黄福柵原駅を発車し、吉ヶ原駅に向かう

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Dsc02936 吉ヶ原駅に到着 130mの運転線ですが良く整備された1934年製の旧ガソリンカーが走る姿は見事です。

この車両は1934年2月川崎車輛で機械式ガソリンカーキハ41000形、41071として製造されたもので、1950年にキハ41057、41096,1952年にキハ41071、1959年にキハ05 33の合計4両が入線しました。入線当初はキハ3001-3003・3006になり、1967年にキハ300形301-303・305と改番されました。

キハ303は1936年までに138両が製造されたキハ41000形、さらに試作ディーゼルエンジンを搭載したキハ41500形2両の中でも最後まで現役で活躍した車両です。

入線に際してディーゼルエンジンへの換装、前照灯の移設、機械式変速機の液体方式化などの改造が施されました。

動態保存されている同系列の気動車としても最古のものです。

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2020年6月11日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その3 保存車両 DD13 551号機

同和鉱業片上鉄道の廃止後、片上鉄道保存会の努力で片上鉄道で活躍した車両の一部が保存されていますが、最初は機関車編です。

Dsc02889
2019/8/4 柵原ふれあい鉱山公園 DD13 551号機

非電化だった同線においては1923年の開業から、1965年頃までは蒸気機関車が活躍しており、1965年10月に動力車のディーゼル化に着手し、1968年9月10日、SLは全廃となりました。このときにDD13 551,552,553,555,556の5両が日本車両製造に発注され、1960年から1968年までに製造されました。国鉄ではヤード入換がメインでしたが片上鉄道では同和鉱業小坂鉱山同様に本線で使用されました。DMF31SB1(600PS)を2基搭載し、台車は軸バネ式NL8Bを履きました。塗色は国鉄標準色に準拠しました。

Dsc02896 台車は国鉄DD13とは異なっています。

線内の客車列車、貨物列車を牽引し、556は1978年に小坂鉄道に移籍、553、555は1988年に廃車され、1991年の廃線時には551と552が残っていました。

Dsc02935
551は柳原ふれあい鉱山公演に動態保存機として残され、552は片上駅跡地に静態保存されました。552号機の姿はこちらのサイトに。国鉄ワム80000形2両とともに保存されていましたが、ワム1両(1807)は吉ヶ原駅に移されました。

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2020年6月10日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その2 同和鉱業片上鉄道について

昨日の記事にあるように吉井川の水運、高瀬舟による鉱石の運搬を代替するために棚原から片上まで敷設されたのが片上鉄道でした。

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Dsc02852
2019/8/4 棚原ふれあい鉱山公園に展示されている高瀬舟 鉱石を載せて川を下り、復路は塩、魚、ミカンなどを載せて帰って行きました。最盛期は会社所有の船と個人所有の舟で100艘以上が活躍していました。ただ、初夏から秋にかけての農繁期には吉井川の水が農業用水として利用されるため水位がさがり、和気の上流6km付近の天瀬付近から下流は航行不能となるトラブルや棚原から児島湾の九蟠港までの往復に平均5日を要する問題がありました。

会社は、間762mmの軽便鉄道として1919年3月24日に鉄道大臣に出願されました。同年11月27日に片上鉄道が成立しました。やがて1922年4月17日に免許は軌間1067mmに変更され、線路の敷設が開始されます。
1931年2月1日、井ノ口~棚原間が開業し、全通しました。

路線データ
営業キロ 33.8km 建設キロ 33.997km
設計図より実測が長い場所(ダブルチェイン)が3か所、逆に短い場所(ブレイクチェイン)が1か所存在します。
駅数 17駅
全線非電化、全線単線
閉塞方式 単線自動閉塞式 ARC
踏切 108か所
橋梁 98か所
最小勾配 0.9‰ 最大勾配 28.6‰
最小曲線 半径240m 最大曲線 300m
隧道 3か所 

Dsc02903

駅名     営業キロ
片上      0.0      赤穂線(西片上駅と徒歩5分)
清水      4.1
中山      5.7
和気      8.6      山陽本線
本和気     10.1
益原      11.6
天瀬      14.5
河本      16.3
備前矢田    18.3
(貨)井ノ口  19.4     1931年2月1日廃止
苦木      22.2
杖谷      24.2
備前塩田    25.5
肥前福田    27.2
周匝      28.5
美作飯岡    29.6
吉ヶ原     32.5
柵原      33.8

経営は1950年6月20日藤田興業が片上鉄道を合併し、1957年8月1日には同和鉱業が藤田興業を合併しました。棚原鉱山からの鉱石輸送のみならず、沿線住民の足として旅客輸送も行われました。尾小屋鉄道、三岐鉄道とともに陸運統制令の枠外とし他社への事業統合を免れ、青梅鉄道や群馬鉄山専用線(後の吾妻線)とは異なり、国鉄買収の対象にもなりませんでした。鉱石輸送が主体であったため、交換駅での線路有効長は長く、PC枕木等を使用し、線路規格も高規格でした。車両、施設もよく整備されており、国鉄キハ41000形、42000形が現在も動態保存されています。

硫黄の新しい精製技術の確立やオイルショックなどで棚原鉱山の生産量の激減、貨物の取扱量の減少、旅客輸送も乗用車の普及で減少し、1987年には鉱石輸送はトラック輸送に切り替えられ、地元住民は存続希望を出しましたが、経営困難により、1991年6月30日をもって廃止となりました。

Dsc02900
廃線跡を利用して「片鉄ロマン街道」(県道703号備前柵原自転車道線)が設置され、

Dsc02901
吉ヶ原駅周辺には柵原ふれあい鉱山公園が設置されました。

Dsc02868

さらに吉ヶ原駅から旧柵原駅に向かって約100m展示運転線が延長され、2014年11月2日には黄福柵原駅が開業しました。
次回の記事から、柵原ふれあい鉱山公園に保管されている車両について紹介して行きます。

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2020年6月 9日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その1 公園までの道程

今回の岡山・広島・鳥取・兵庫を回る旅行は毎月第一日曜日に岡山県久米郡美咲町にある棚原ふれあい鉱山公園にてかつて同和鉱業片上鉄道に在籍した車両の展示、運転会が行われているため、8月4日の日曜日に当地を訪問することを前提にスケジュールが組まれたものでした。

Img002_20200608141801 美咲町PRのために町役場が作成したパンフレット

Dsc_0052edit 美咲町のパンフレットから

まずは岡山県久米郡美咲町はどこら辺にあるのかというと、岡山から津山線で岡山方面に向かい、小原駅付近で東西に広がるのが美咲町です。2005年3月22日に中央町、棚原町、旭町が合併して現在の美咲町になりましたが、棚原ふれあい鉱山公園は旧棚原町にあり、美咲町内では南東の端に位置します。津山の町中を西から東へ流れる吉井川が南東に流れを変えて、やがて岡山市の東で瀬戸内海に注ぎますが、その途中に棚原があり、かつての片上鉄道の吉ヶ原駅が公園の中心になっています。

190803_20200608143101
アクセスは津山駅前のバス停3番乗り場から高下行きのバスに乗車し、吉ヶ原(きちがはら)で下車します。

190803_20200608143102 高下行きの朝一番は11:50発です。ですから午前中は時間が有り余っていたので、朝一番の津山線で岡山に向かい、岡山駅で列車撮影を行い、津山に戻りました。因みにバスの運賃は740円でした。

Img003_20200608143601

Dsc02956

Dsc02957
2019/8/4 吉ヶ原駅前

後で知ったのですが、5月から11月の第一日曜日(棚原ふれあい鉱山公園で公開がなされる日)は津山まなびの鉄道館と棚原ふれあい鉱山公園を結ぶバスが運行されており、無料で乗車できるようです。帰りはこのバスを利用しました。

Dsc02817 津山からの往路、バスは吉井川の流れにそって棚原に向かいます。

Dsc02820
吉ヶ原駅の駅舎

棚原鉱山は岩手県の松尾鉱山とともに我が国を代表する硫化鉄鉱の鉱山で古生代ペルム紀中期に形成された火山性硫化物鉱床と考えられており、総埋蔵量は3700万トンと見積もられていました。慶長年間に津山城を築城する際に石材を集めている過程で褐鉄鉱の露頭が見つかったのがきっかけで、明治になって本格的な採掘が開始されました。当初は掘り出された鉱石を吉井川の川舟(高瀬舟)で片上港まで輸送していましたが、次第に船では間に合わなくなり1923年1月に片上~和気間、8月に和気~備前矢田~井ノ口(貨物)間、さらに1931年2月、井ノ口~棚原間に鉄道が開業しました。これが片上鉄道です。

鉱石の質が良く、埋蔵量も豊富、鉱床が掘りやすく、夾雑物も少ないため他の鉱山に比べ競争力が高く、大正時代には日本を代表する硫化鉄鉱鉱山となりました。さらにセルロイド、硫安、化学繊維のレーヨンの需要が拡大し、硫黄の供給源として隆盛を誇りました。ところが1960年代以降石油精製の過程で硫黄が回収されることから硫黄の市場価格が暴落、さらに減反政策で化学肥料の需要が減り、オイルショックが追い打ちをかけ、1991年3月に鉱山は閉山となりました。片上鉄道も鉱山の閉山の3か月後の1991年6月30日をもって廃止となりました。

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