2025年2月10日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その2 遠州鉄道の車両 ED28形電機とホキ800形貨車

遠州鉄道鉄道線(西鹿島線)の保線等の工事用にED28形(ED28 2)ホキ800形貨車を保有しています。

もともとED28形電機は1925年11月に豊川鉄道電機50形、鳳来寺鉄道電機51形としてイングリッシュ・エレクトリック社より、輸入新造した小型電気機関車で鉄道省が東海道本線電化時に輸入したED50形などと同じデッカータイプです。他のデッカーが皆、箱型車体なのに対し、この2両のみ凸型車体でした。

豊川鉄道に導入された電機50形はデキ50形1930年10月に改番、鳳来寺鉄道に導入された電機51形はデキ100形に改番され、さらに1938年1月18日には鳳来寺鉄道のデキ100はデキ50形デキ50に改番され、翌日、豊川鉄道のデキ50はデキ50形デキ51に改番されました。1943年、戦時買収で鉄道省に編入された後もデキ50形として飯田線で使用されましたが、戦後の1952年に国鉄形式ED28形となり、鳳来寺鉄道由来のデキ50がED28 1に、豊川鉄道由来のデキ50形がED28 2となりました。

ED28 1は1956年2月1日、ED28 2は1959年に廃車となり、1は近江鉄道に、2は遠州鉄道に譲渡されました。1は1963年に西武所沢工場に売却、同工場で降圧改造され、山形交通に再譲渡され、ED1形式ED2と改番、高畠線で廃止まで使用されました。2は遠州鉄道入線にあたり、DC1500Vから600Vへ降圧改造されましたが、その後の昇圧でDC750Vに再昇圧されました。

主要諸元

軸配置 Bo - Bo
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式)
全長 8,928 mm
全幅 2,438 mm
全高 3,766 mm
機関車重量 25.4t
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 直流直巻電動機 DK-36 × 4基
主電動機出力 60 kW (電圧650V・1時間定格)
歯車比 5.40 (15:81)
制御方式 抵抗制御、直並列2段組合せ制御
制御装置 電動カム軸接触器式
制動装置 AMM自動空気ブレーキ・手ブレーキ
定格出力 240 kW
定格引張力 3,060 kgf

Ed28-2-240315 2024/3/15 遠州西ヶ崎 同駅構内にバラスト運搬用のホキ800形貨車とともに留置されているED28 2号機

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2025年2月 7日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 6 JA8139

cn21925/ln422として製造、1980年1月15日に初飛行、2月15日にANAに引き渡されたのがJA8139でした。導入後しばらくはANAが保有していましたが、1997年3月24日には昭和リースに売却され、同社からANAがリースという形で運航していました。

Ja8139-ana-b747sr81-cn21925-ln422-961013

1996/10/13 HND 旧国際線ターミナルから

Ja8139-ana-b747sr81-cn21925-ln422-990813 1999/8/13 HND 第一旅客ターミナルから

Ja8139-ana-b747sr81-cn21925-ln422-971207 1997/12/7 HND スヌーピー号 当時はこういったラッピングが珍しい時代でした。

1997年12月から1998年3月まで、当時としては珍しかった「スヌーピー号」スペシャルマーキングとなっていました。2002年2月28日BAHCに売却、レジはN73795となりました。ちなみにBAHCというオペレーターに関しては747Production List上でも詳細が不明のようです。同社は元シンガポール航空のB747-312:cn23029/ln5909V-SKDに関しても同航空を退役後、買い取り、N793BAのレジで運航しています。

JA8139だった機体は既に解体されています。

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2025年2月 6日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その2 遠州鉄道の車両 2000形

1996年までに1000形は7編成出揃い、7編成の30形と合わせて遠州鉄道線の運用を担っていました。しかし30形の老朽化もかなり進行しており、来る21世紀に向けて省エネルギー、メンテナンスの軽減、旅客サービスの向上を図り、「人と地球に優しい21世紀の電車」として導入されることとなったのが2000形でした。

制御方式は1000形の抵抗制御方式からIGBT素子によるVVVFインバータ方式(2C4M方式)となりました。

主要諸元

最高運転速度 70 km/h
設計最高速度 80 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s (150%乗車時)
減速度(常用) 3.62 km/h/s (150%乗車時)
減速度(非常) 4.6 km/h/s
編成定員 260(100)名 ()内は座席定員
車両定員 130(52)名(モハ2000)130(48)名(クハ2000)()内は座席定員
自重 31.2 t(モハ2000)26.4 t(クハ2000)
全長 19,000 mm
車体長 18,500 mm
全幅 2,736 mm
全高 4,183 mm(モハ2000)
4,038 mm(クハ2000)
車体高 3,650 mm
床面高さ 1,150 mm
車体 普通鋼
台車 円錐ゴム式軸箱支持形ボルスタレス空気バネ台車・ND-728(モハ2000形・モハ2001 - モハ2004)
ND-728T(クハ2100形・クハ2101 - クハ2104)
軸梁式台車・ND-746(モハ2000形・モハ2005 - )
ND-746T(クハ2000形・クハ2105 - )
主電動機 三菱電機MB-5081-A形 三相かご形誘導電動機
主電動機出力 120kW × 4
駆動方式 一段減速平行カルダンWN継手方式
歯車比 99 / 14 = 7.07
制御方式 VVVFインバーター方式
制御装置 IGBT-VVVF 2C4M・発電ブレーキ付
制動装置 MBSA形応荷重装置付回生・発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ装置
保安装置 点制御車上時間比較速度照査方式

1000形同様、日本車輛製造が製造を担当し、1999年4月5日から営業運転に投入されました。1M1T(モハ2000-クハ2100)の2両編成、9本がこれまでに投入されており、現在も増備は続いています。ラッシュ時には2000形同士、あるいは1000形と2000形の併結での4連運行が行われています。

2000-2001-2403152024/3/15 積志(せきし) 2001編成 標準色はスパニッシュレッドですが、この編成は空色になっています。またこの駅の交換方式は右側通行方式です。

2000-2102-240315

2024/3/15 上島(かみじま) 2002編成 この編成も広告ラッピングです。

2000-2003-240315 2024/3/15 上島 2003編成 標準色

2000-2004-240315

2024/3/15 西鹿島 2004編成 標準色をベースにしたラッピング編成

2000-2005-240315

2024/3/15 西鹿島 2005編成

2000-2006-240315 2024/3/15 西鹿島 2006編成

2000-2007-240315 2024/3/15 浜北 2007編成

2000-2108-240315-2_20250205171701 2024/3/15 新浜松 2008編成

訪問時は2008号編成までが活躍していましたが、2024年度に2009号編成が増備されたとのことです。

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2025年2月 5日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その2 遠州鉄道の車両 1000形

遠州鉄道は当初、軽便軌道でスタートし、1923年に改軌、電化された際にモハ1形が導入されました。その後、モハの番号に対してクハ+50の番号が附番され、1958年、車両の近代化、旧型車の代替を目的に1980年までに30形(モハ30形16両、クハ80形12両)が製造されました。これらは2扉ロングシート車で湘南型スタイルでした(最終増備車のモハ51-クハ61はかなりスタイルが変化していましたが)。その30形も2018年に形式消滅しました。30形は最終編成のモハ51・クハ61こそ、カルダン駆動、冷房車で登場しましたが、それまでは吊り掛け駆動・自動空気空気ブレーキ方式であり、浜松駅周辺の再開発計画で助信駅-遠鉄浜松駅間が高架化され、遠鉄浜松駅-新浜松駅間を短絡ルートに切り替えるにあたり、新性能の電車が求められ、1983年の会社40周年を迎えて登場したのが1000形電車でした。

主要諸元

最高運転速度 65 km/h(1985年11月30日まで) → 70 km/h(1985年12月1日〜)
起動加速度 2.2 km/h/s(150%乗車時)
減速度(常用) 3.62 km/h/s(150%乗車時)
減速度(非常) 4.6 km/h/s
編成定員 290(112)名()内は座席定員
車両定員 145(56)名 ()内は座席定員
自重 36.0 t(モハ1000形)30.0 t (クハ1500形)
全長 19,000 mm
車体長 18,500 mm
全幅 2,730 mm
車体幅 2,730 mm
全高 4,183 mm(モハ1000形)4,038 mm(クハ1500形)
車体高 3,650 mm
床面高さ1,150 mm
車体 普通鋼
台車 車体直結式空気バネ台車・ND-309(モハ1000形・モハ1001・モハ1002)
ND-309T(クハ1500形・クハ1501・クハ1502)
ボルスタレス式台車(モハ1003 - モハ1007・クハ1503 - クハ1507)
主電動機 東洋電機製造製 TDK-8095-A
主電動機出力 120kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動KD325-B-M
歯車比 85 / 16 = 5.31
制御方式 電動カム軸直並列多段抵抗制御方式
制御装置 ACDF-M4120-777B・発電ブレーキ付き
制動装置 応荷重装置付発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキHRD-1-D・保安ブレーキ装置付
保安装置 点制御車上時間比較速度照査方式

製造は日本車輛製造が担当、1996年までに1M1Tの2両編成7本計14両が製造されました。最初の編成が営業運転に就いたのは1983年11月20日でした。

老朽化の進行で1001-1501編成は2021年1月27日を最後に廃車・解体、1002-1502も2024年9月27日を最後に運用を終了しました。

1000-1002-240315 2024/3/15 新浜松 1002-1502編成 同編成は上記のように約半年後には廃車に

1000-1506-1504-240315 2024/3/15 西鹿島 検車場で休む1004,1006編成 

1000-1005-240315 2024/3/15 西鹿島に接近する車内から 引き上げ線に停車中の1005編成

1000-1007-240315 2024/3/15 西鹿島 検車庫横の側線で休む1007編成

1002編成に続き、残る5編成も検査時期に合わせて淘汰が進められているようです。

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2025年2月 4日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その1 遠州鉄道の歴史

速報版でもレポートしてありますが、2024年3月15日から18日にかけて、浜松の遠州鉄道、大垣から養老鉄道の揖斐まで、名古屋東部、岐阜の樽見鉄道、さらには明知鉄道を巡る旅をしました。その様子を今回から報告しようと思います。

240315_20250203142201
2024/3/15 JR浜松駅北口通路にある遠州鉄道新浜松駅案内

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北口の遠鉄デパートの裏手に新浜松駅があります

240315_20250203142601
遠州軌道から遠州電気鉄道に継承された社章

JR浜松駅から歩いて数分の新浜松駅から天竜浜名湖鉄道の西鹿島駅までの17.8km、駅数18の鉄道路線が遠州鉄道鉄道線です。通称:遠鉄電車、西鹿島線とも呼ばれています。

遠州鉄道は現在、鉄道路線1路線と遠州地方を中心とするバス事業を運営し、さらに関連事業として不動産、保険、介護事業も行っています。同社の母体となった会社のひとつは1907年初代浜松鉄道株式会社として設立されました。翌年には大日本軌道株式会社に吸収され、その浜松支社となりました。大日本軌道株式会社とは鉄道伝説第102回でも紹介された鉄道王、軽便鉄道王と呼ばれた雨宮敬次郎が経営していた軽便鉄道会社で福島、小田原、静岡、浜松、伊勢、広島、山口、熊本に支社があり、静岡支社は現在の静岡鉄道清水線に、浜松支社は遠州鉄道鉄道線に、広島支社はJR可部線として現在も存続しています。


遠州鉄道関係路線図(遠州鉄道のWikipediaから)

1909年3月3日には遠州馬込~中ノ町間の中ノ町線が開業、同年12月6日には鹿島線(二俣線を経て、現在の鉄道線)が開業、1914年4月7日には遠州西ヶ崎~笠井間の笠井線が開業、1919年10月12日、大日本軌道浜松支社の路線を継承した遠州軌道株式会社が設立、1921年8月23日には社名を遠州電気鉄道株式会社に変更、1923年4月1日、二俣線を改軌、電化、1925年4月8日、中ノ町線、笠井線は浜松軌道株式会社として分離、、1927年1月17日浜松軌道株式会社浜松電気鉄道株式会社に社名を変更、同年9月1日、二俣線が全線開業、1937年2月18日、浜松電気鉄道の中ノ町線は全線廃止となりました。

Photo_20250203150201 浜松鉄道の社紋

現在の遠州鉄道のもう一つの母体となった濱松軽便鉄道株式会社1911年に設立、1914年11月30日、奥山線となる元城~金指間を開業、1915年、板屋町まで延伸、さらに金指から気賀までも延伸、1923年に奥山まで全通しました。同社は1915年4月24日2代目浜松鉄道株式会社となりました。

1943年11月1日、遠州電気鉄道株式会社など6社が合併して、遠州鉄道株式会社が設立しました。(いろいろな会社があって複雑ですが、最後は戦争中にまとまったようですね)。1944年12月10日には浜松電気鉄道の笠井線も廃止されました。

1947年5月1日、遠州鉄道は浜松鉄道も合併し、奥山線を自社の路線としますが、軌間762mmの軽便鉄道のままであった奥山線は貨物輸送も低調であり、モータリゼーションの波には勝てず、1963年5月1日には気賀口~奥山間が廃止、1964年11月1日には全線廃止となりました。結局、最後に残ったのが現在の鉄道線、新浜松~西鹿島間となりました。

遠州鉄道が経営する広義の鉄道としてかんざんじロープウエイもあり、運行は子会社の遠鉄観光開発に委託されています。乗り合いバス事業は1986年12月1日、それまで浜松市交通部が担当していた市営バス路線を事業撤退で引き継ぎました。

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2025年2月 3日 (月)

中央快速線E233系にG車連結開始 16週で46編成に

2025年も2月に入り、中央線・青梅線運用情報サイトの表示も「グリーン車組み込み」編成ではなく「グリーン車非組み込み」編成がマークされるようになり、いよいよ大詰めだなと感じさせる毎日です。

前回の記事ではH52編成の12連化まで報告しましたが、今回は

T31編成が国府津車両センターで-37ユニットを組込、12連化(1月20日)
T23編成が豊田車両センターで-3ユニットを組込、12連化(1月21日)
H50編成が幕張車両センターで-28ユニットを組込、12連化(1月23日)
T2編成が豊田車両センターで-4ユニットを組込、12連化(1月17日)
T11編成が国府津車両センターで-38ユニットを組込、12連化(1月29日)
T17編成が豊田車両センターで-19ユニットを組込、12連化(1月29日)
H44編成が幕張車両センターで-39ユニットを組込、12連化(1月31日) 
T6編成が豊田車両センターで-20ユニットを組込、12連化(1月31日)

といった動きがありました。

E2330-t31-12r-250124-2 2025/1/24 東京 12連化されたT31編成

E2330-t23-12r-250124 2025/1/24 東京 12連化されたT23編成

E233-t23-230606 2023/6/6 立川 

T23編成は中央・青梅線用E233系基本番台の中でもTASC(Train Automatic Stop Control:定位置停止支援装置)の設置が遅かったことが記憶に残っている編成でした。多くの先頭車の下隅が切り取られ検知器が設置される中、E233系登場当初の美しさを保持している編成でした。

E2330-h50-2r-250127 2025/1/27 西荻窪 12連化されたH50編成

E2330-t2-12r-250201-2 2025/2/1 東小金井 12連化されたT2編成

E2330-t11-12r-250202 2025/2/2 東小金井 12連化されたT11編成 T11編成は1月29日に国府津から豊田に返却回送されており、2月2日の79T運用が12連化後の復帰運用だったようです。

E2330-t17-12r-250202-2 2025/2/2 東小金井 12連化されたT17編成

幕張車両センターに疎開中だった-39ユニットを組み込んだH44編成、1月31日に豊田に返却回送されたようですが、2月2日昼の時点では、まだ目撃情報はありません。T6編成に関してもまた営業運転に復帰はしていないようです。

E2330-t16-10r-250125-edit 2025/1/25 八王子 10連時代のT16編成

1月31日にはT16編成が国府津に回送されたそうで、10連時代”10 Made To Be"のステッカーを付けていた編成はすべて12連化されるようです。残りは11編成、H編成はH49編成が12連化されないことは明白ですが、T編成で12連化されないのはT71編成とあと1編成、果たしてどの編成でしょうか?・・・

E233系のG車連結対応工事などの期間、不足する編成を補うため松戸センターから転属し、活躍していた209系1000番台、トタ82,81編成も一旦、東大宮に回送後、E493系に牽引されて長野総合車両センターに廃車回送され始めました。

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2025年1月31日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 5 JA8138

cn21924/ln420 として製造、1979年12月18日に初飛行、1980年1月16日にANAに引き渡されたのがJA8138でした。

就航時はモヒカン塗装、1988年ごろトリトンブルー塗装になっています。1997年3月24日、昭和リースに売却され、ANAがリースする形で運航となりました。晩年はB747-400DやB777-300の導入で幹線からローカル線での運航がメインになりました。

Ja8138-ana-b747sr81-cn21924-ln420-920823

1992/8/23 京浜島

Ja8138-ana-b747sr81-cn21924-ln420-961019 1996/10/19 羽田空港旧国際線ターミナル

2001年10月18日、Atlas Airに売却、レジもN1924Nとなりました。既に解体されています。

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2025年1月30日 (木)

立川にて白昼、定期的に見ることができるE233系基本番台、4連ワンマン運転対応 P編成

昨年10月から本格的に始まったG車組込も終盤に差し掛かり、12連が当たり前になりつつあるE233系基本番台貫通T編成、分割H編成に比べると、青梅線・五日市線専用であるだけに些か地味な青編成、そして青梅~奥多摩間ワンマン化対応のため、青400番台から改造されたP編成は普段の運用は青梅~奥多摩間となっているため滅多にお目にかからない編成となっています。それがため、たまに青編成と10連を組んで中央快速線運用に入るとたちまちニュースになる存在でもあります。


E2330p
E233系基本番台4連 P編成 改造等に関するデータ

そんなP編成ですが、2022年5月から9月にかけ、東京総合車両センターと大宮総合車両センターで青400番台編成にワンマン化対応改造が施工され、現時点で5編成誕生しました。

同編成の運用は、平日の場合
03仕業 5時台に豊田車両センターを出区、立川でスイッチバックした後、青梅へ、青梅604発から2243発まで、2321奥多摩着 滞泊
05仕業 奥多摩542発青梅まで、青梅から御嶽まで回送、御嶽714発青梅行き、青梅留置、1639青梅発奥多摩行きから、2338青梅発奥多摩行きまで、0013奥多摩着 滞泊
07仕業 奥多摩0505発から、青梅間往復、2300奥多摩発青梅行き、2337青梅着 滞泊
09仕業 青梅0518発奥多摩行き、3往復して1006青梅に戻り終了 青梅から立川経由で豊田に回送 となっており、休日も発車・到着時間は若干違うものの、似たパターンとなっています。  (データはこちらのサイトから)

ということからP編成は09仕業が終わった10時台から11時過ぎにかけてに立川経由で豊田に回送されています。

E2330-p525-4r-250122 2025/1/22 立川 10:39 西立川駅方面から立川駅に入線するP525編成

E2330-p525-4r-250122-24 2025/1/22 立川駅5番線を出発し、豊田方面に向かうP525編成

E2330-p5244-4r-250124 2025/1/24 立川 11:06 5番線にて待機するP524編成

以前からP編成に関する運用情報が午前11時過ぎに09運用の情報のみがupdateされる訳がわかりました。

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2025年1月29日 (水)

2025年1月27日月曜日、青662編成+P518編成が中央・青梅快速線運用に

1月17日に次いで、1月27日、月曜日にも表題の編成による代走がありました。

今回は97T運用で5:44に豊田を出区、東京~高尾間を1往復した後、豊田に10:22に到着後入区、約5時間強の休憩の後、15:39に再出区、東京~高尾、東京~豊田間をそれぞれ1往復して、22:40に豊田到着で終了という運用です。編成は青662+P518で青は前回と同じですが、P518は青460時代には撮影済みでしたが、P518としては未撮でしたのでぜひ記録しておかなければと思いました。

午前の運用に入っているのに気が付いたのは9時40分頃で既に新宿辺りを走行中であったので、夕方以降も同じ運用に就くことを祈りながら、撮影に向かいました。西国分寺から西荻窪まではG車に乗車しました。

JR東日本のアプリで15:39、豊田始発の1596Tが10連であることを確認、西荻窪は16:15に到着することもチェックし、緩行線、下り快速線に被られないことを祈りつつ到着を待ちます。

E2330-662-250127 2025/1/27 西荻窪 6連は青662編成

E2330-p518-250127 2025/1/27 西荻窪

所定の時刻に通過し、被られることもありませんでした。

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2025年1月28日 (火)

2024年度 新鶴見配置の2番機 EF210-364号機を八王子にて撮影

1月24日の新座でのEF210-365号機に続き、25日土曜日には、2024年度新鶴見配置のEF210-364号機が8097レを牽引し、八王子に到着するシーンを撮影しました。

364号機は2024年12月12日に川崎車両にて竣工、13日にかけ、兵庫~吹田貨物ターミナル間DD200-14,吹田~新鶴見間はEF65 2096号機の牽引で甲種回送されました。

1月23日、A263仕業に入り、稲沢発21:22の1098レで新鶴見、倉賀野、根岸を往復した後、宇都宮タ17:34着の8571レの後、A264仕業に宇都宮から5560レで根岸までタンク車を返送、根岸発6:46の8097レを牽引して八王子に8:42に到着しました。

Ef210364-8097-250125-3
2025/1/25 八王子 
定刻に八王子駅に到着した8097レ

運用に入ってから1か月程度経過していることで車体の汚れもかなりあり、「新車感」はあまりありませんが

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Ef210364-8097-250125-10
Ef210364-8097-250125-11

Ef210364-8097-250125-13Ef210364-8097-250125-15 ホーム近くに停車してくれるので。車体を間近からじっくり観察することが出来ました。

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2025年1月27日 (月)

2024年度 吹田配置の1番機 EF210-365号機を撮影、新座でのEF210の競演

1月9日記事でも書きましたが、新鶴見、吹田機関区ともに東海道・山陽本線で貨物列車牽引に活躍中のEF210形機関車の臨時入場が続いているためか、2024年度新製配置の新造機がどんどん実戦の場に駆り出されています。


2024年度新造3機目となったEF210-365号機は1月8日に川崎車両を出場、吹田機関区に配置されました。さらに1月20日には-366号機も吹田機関区に配置されています。

同機は1月11日から本格的に運用に入り、最初はA251仕業、59レの後部補機仕業で安治川口へ、折り返し58レ牽引で新鶴見まで、1月17日からは2071レを牽引して幡生操へ、さらに稲沢、名古屋タに顔を出してから、1月23日、A110仕業で武蔵野線に乗り入れ、1056レ~4067レを牽引し、倉賀野、高崎操へと進出しました。

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2025/1/24 新座
7:44頃の新座貨物ターミナル、7:35に同ターミナルに到着し、コキの解結、荷扱いを行っているEF210-109号機牽引の73レ(東京タ~墨田川貨物間のシャトル列車)の横を倉賀野に向かう4067レ(福岡タ発、山陽・東海道では1056レ)が通り過ぎてゆきます。73レは61分の停車の後、8:36に出発、次の越谷タに向かいます。
なお、両列車の間に停まっているコンテナ貨車は仙台タから3072レで到着した貨車で、その後、8:45、2062レで大阪タから牽引してきた吹田機関区のEF210の前に3072レ牽引のEH500が連結され、異種重連として新鶴見まで5097レ、その後はEF210単独牽引で沼津まで行きます。新座~新鶴見間のEH500の回送を異色の重連で行っている名物列車です。

Ef210365-4067-250124-8 Ef210365-4067-250124-10 Ef210365-4067-250124-12 2025/1/24 新座
武蔵野線初走行で連結器、スカートなどに「新製機」らしさを漂わせている365号機

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2025年1月24日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 4 JA8137

cn21923/ln395として製造、1979年8月25日に初飛行、9月5日にANAに引き渡されたのがJA8137でした。

JALのSR-46の場合、アッパーデッキのポートサイドには非常口はありませんが、ANAのSR-81には全機、非常口が設けられ機内の階段も直線タイプでした。導入後しばらくはANAが保有していましたが、エヌアイエアクラフトリーシングに売却され、ANAがリースする形で運航されました。

Ja8137-ana-b747sr81-cn21923-ln395-961013 1996/10/13 HND かつてChina Airlines 専用となっていた羽田空港国際線ターミナルからの写真

Ja8137-ana-b747sr81-cn21923-ln395-971026 1997/10/26 HND 第一旅客ターミナルにJAL ANA JASが同居していた頃の写真

1999年2月10日Atlas Airに売却となり、レジもN8078Qに変更されました。その後部品取り状態となり、解体されました。

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2025年1月23日 (木)

西武鉄道 40000系 8連 48151F 営業運転開始

昨年11月1日、準急豊島園さんの「川崎車両で40000系Long seat固定タイプの8連か製造されている」というコメントがあり、その第一編成48151Fが竣工し、甲種回送されたのが12月6日から8日にかけてでした。それから1か月、1月7日に性能確認試運転が行われ、1月13日から営業運転に投入されました。続々と廃車が進む2000N系8連の置き換えということであれば、新宿線に投入かと思われましたが、まずは池袋線に投入、2073Fが新宿線に配置換えとなり、昨日の記事のように2095Fが横瀬基地送りとなりました。

1月21日、久しぶりに池袋線を訪れ、48151Fを撮影してきました。8連のため、池袋線の各停運用、特に豊島園運用がメインかと思われましたが、案の定

501に保谷を出区、池袋、清瀬往復、豊島園2往復、石神井公園往復、豊島園11往復(918~1744)
、保谷往復、豊島園往復、石神井公園往復、豊島園往復、保谷2216入庫  という運用に入っていました。

48150
40000系8連 編成構成 (参考までに40151Fの構成を載せています)

48151Fの編成構成は上の図のように10連の40151Fから4,5号車を抜き、サハ48450にパンタを搭載した形となっています。

40000-48151-250121-44 2025/1/21 練馬 48151 40151と形態的な変化はありません

40000-48251-250121 2025/1/21 練馬 48151と48251
側面の車番の表記が従来の灰色文字から黒文字になったため識別しやすくなりました
40000-48851-250121 2025/1/21 椎名町 池袋より先頭車 48051
これまで同様、パートナーゾーンが設置されています。

今年度中にあと2本、投入の予定だそうです。

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2025年1月22日 (水)

西武鉄道 2000N系 8連 2095F 横瀬基地に廃車回送

昨年3月の2067F以来かと思いますが、西武新宿線で長らく活躍していた2000N系8連の2095Fが1月14日火曜日に横瀬基地に廃車回送となったようです。これは後日レポートしますが1月13日から西武池袋線で40000系8連の48151Fが営業運転を開始したことにより、2000N系2073Fが新宿線に転属となったことによる玉突き移動の結果なのでしょうか。

2095Fは1992年7月31日、東急車輛で竣工しました。これまで更新修繕は受けておりません。

2000n-8-2095f-160508

2016/5/8 東村山

2000n-8-2095f-160530-2 2016/5/30 井荻

2000n-8-2095-190602 2019/6/2 小川~萩山間 減パン。シングルアーム化工事後

2000n-8-2095-240327

2024/3/27 中井

2000N系8連のこれまでの廃車(6連化による部分廃車も含む)。

2057F 2023/1
2059F 2022/5
2061F 2023/2
2063F 2021/11
2067F   2024/3
2077F 2023/8 (2277・2278の廃車)
2081F 2023/12 (2281・2282の廃車)
2091F 2024/7 (2291・2292の廃車)
2095F 2025/1
2097F 2016/9

 

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2025年1月21日 (火)

2025年1月17日金曜日、青662編成+P525編成が中央・青梅快速線運用に

昨日に引き続き中央・青梅快速線E233系の話題です。

平日の運用で本来、本線で活躍しているE233系基本番台がG車組込のため、国府津や幕張に出張し、さらに検査などで運用に入れない編成がある場合に、普段は青梅・五日市線で活躍中の青600番台編成と青400番台編成、もしくはワンマン対応化されたP520番台編成が10連を組み本線運用にまわることがあるようです。昨年11月27日記事でもレポートしましたが、年が明けて1月17日金曜日にもそういった編成を目撃しましたのでレポートします。

今回は青662編成とP525編成という組み合わせでした。

E2330-p525-250117 E2330-662-250117 2025/1/17 P525+青662の10連による21H運用

昨年12月18日水曜日には青662+P521編成が23H運用に入っているのも目撃しています。

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2025年1月20日 (月)

中央快速線E233系にG車連結開始 14週で38編成に + 読書灯のないG車に関して

年末・年始の休暇がありましたが、年明け後も順調にE233系基本番台へのG車組込は進み、1月18日時点では、38編成が営業運用に入っています。57編成のうち、2/3が12連化されたことになります。

このシリーズ、前回の1月6日記事からの変化としては

T4編成  豊田車両センターにて1月7日、サロE233/232-54を組込、12連化 
T20編成  豊田車両センターにて1月9日、サロE233/232-53を組込、12連化
T1編成  国府津車両センターに回送の上、1月10日、同センターに疎開中だったサロE233/232-49を組込、12連化
H52編成  幕張車両センターに回送の上、1月15日、同センターに疎開中だったサロE233/232-27を組込、12連化

E2330-h58-12r-250107-2 2025/1/7 国立 12連化されたH58編成
前回の記事では写真のなかったH58編成 2024年12月28日に幕張車両センターでサロE233/232-32ユニットを組込、12連化されました。

E2330-t8-12r-250106 2025/1/6 武蔵境 12連化されたT8編成
前回の記事では写真のなかったT8編成 2024年12月31日に豊田車両センターでサロE233/232-56ユニットを組込、12連化されました。

E2330-t4-12r-250117 2025/1/17 西荻窪 T4編成

E2330-t20-12r-250118 2025/1/18 西荻窪 T20編成

E2330-t1-12r-250118-4 2025/1/18 西荻窪 T1編成

E2330-h52-12r-250118-4 2025/1/18 西荻窪 H52編成

まだ営業運転に入ってはいませんが、1月17日にT2編成も12連化されたようです。組込まれたユニットの番号は不明です。1月14日にはT31編成が国府津へ、1月17日にはH50編成が幕張に回送されています。

これらG車組込で12連になった編成のほか、1月5日からT40編成とT71編成に「学園アイドルマスター 花海咲季」のラッピングが施されています。

E2330-t71-10r-250107 2025/1/7 東小金井 T71編成

E2330-t71-10r-250117 2025/1/17 高円寺 T71編成

T71編成はグリーン車組込準備工事未施工の編成であることから、12連化完了後は他線区への転属かと思われている編成ですが、同じく未施工のH49編成以外にもう1編成。G車が組み込まれない編成を想像すると、H編成の未組込編成数と幕張残存ユニット数が一致することから、T編成1編成が未組込となると考えられ・・・もしかしたらT40編成かなと思わせる今回の抜擢であります。

あと、昨年9月以来、動きのなかったT49編成が1月17日に豊田車両センターから武蔵小金井派出へ回送されたようです。いずれにせよ57編成の12連化が完了した時点で10連のまま残された編成がどうなるのか気になるところです。

さらに前回のこのシリーズの記事で細井忠邦さんがコメントされていた「読書灯のないG車」ですが、私も乗りました。番号はH47編成に組み込まれているサロE233/232-51でした。

E23251-250118
E2330-g51-250118-2 2025/1/18 サロE232-51の2階席の天井 

これまで何回か乗車したE233系基本番台G車では天井のSuicaグリーン券読み取り部のそばに読書灯が設置されており、ボタンを押すと点灯することも確認していましたが、この車両には読書灯自身が設置されていないのに驚きました。
当初、この車両は試作車で-1なのかと思い国分寺で下車する際に車番を確認して,-51であることに再度、驚かされました。停車時間があったのでサロE233-51の1F,2Fもチェックしましたが、いずれも「読書灯無し」でした。

E233g-2501
帰宅後、駅で配布されているグリーン車導入開始のパンフレットの写真をよく見ると「読書灯のない車両」で写真が撮られていることに気づき、さらに驚いた次第です。

これまでのG車乗車回数からすると読書灯のある車両に乗った回数が圧倒的に多いので、いったいどの車番が「読書灯無し」なのか調べてみる必要がありそうです。ちなみに-51ユニットは2024年9月17日に豊田センターに甲種回送された4ユニット(-49~-52)のうちの1つですから、-49(T1). -50(T29), -52(H56)の3ユニットあたりから調べてみるべきかと考えています。

(追記:2025/1/23)細井氏と私でG車の読書灯の有無を調べた結果、サロE233/232-1,8,12,13,16,30,32,49,56に乗車する機会があり、いずれの車両でも「2階席と平屋席には読書灯はなし、地下階席のみにはあり」ということがわかりました。G車に関しては短期間に同一製作所で製造されていますので設計変更といったものはないだろうと思います。

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2025年1月17日 (金)

海保機・JAL機 羽田空港衝突事故とJeju航空機事故に関して (続報)

2024年に起こった2つの大きな航空機事故に関して、前者は昨年12月27日の記事で、後者に関しては今年1月8日の記事で触れましたが、前者に関しては160頁弱(本文は135頁)の事故調査の経過報告書(令和6年12月25日運輸安全委員会)を読み返し、気づいた点を整理しました。後者に関しては事故機の残骸から回収されたフライトレコーダー(FDR)・ボイスレコーダーCVR)に関してアメリカで解析を行ったところ、衝突4分前に両レコーダーの記録が止まっており、最後の4分間のデータが記録されていなかったというニュースがありました。。

羽田空港衝突事故ですが、報告書では海保機をA機、JAL機をB機とし、他、衝突時刻、離陸、着陸準備にあった機をC,D機としています。この記事では引用文(” ”で囲まれた文章)内の記載もA機を海保機、B機をJAL機としました。

”スポットN957へのトーイング中に、機上整備員Aが補助動力装置(以下「APU」という。)を始動させ、APUジェネレータ(以下「APU GEN」という。)を海保機の電源系統と接続したところ、APUが停止した。”

海保機はエンジンの始動の際に電源を供給するAPU-GEN(APUジェネレーター)のコントロール・ユニットが不調で羽田出発の際に上記のようなトラブルが発生していました。新潟空港を経由して小松空港へ、さらに羽田空港に戻る際にそれぞれの空港でエンジンを始動する際に電源を如何にして確保するするか、新潟空港、小松空港で電源車を借用できるか否か、海上保安庁本庁対策本部及び第三管区海上保安本部の担当者の調整待ちで出発することになりました。

Photo_20250116075501

海保機のタキシング経路 (経過報告書7頁の図1から)

海保機は17時32分頃、スポットN957を離れ、RWY34Rからの離陸に向けタキシングを開始しました。新潟空港までの飛行計画は
計器飛行方式、巡航速度:230kt、巡航高度:12,000ft、経路ROVER~AKGI~Y372(RNAV)~KALON~Y37(RNAV)~GOSEN 所要時間70分 燃料搭載量:6時間30分、搭乗者数6名 でした。

操縦室に機長(PF飛行を担当)左操縦席、副操縦員(PM通信、計器のモニターを担当)右操縦席、機上整備員が後方中央のオブザーバー席に、機上通信員、機上探索レーダー員、航空員が客室に

 タキシング中、まずタワー西とコンタクト、17時44分13秒、グランド東へ、誘導路HからCへ右折、ここからタワー東とコンタクト、この時点で誘導路C上には先行機が2~3機、後続機が1基おり、機長は先行機の離陸後に順番が回ってくると考えていました。17時45分14秒、タワー東から誘導C5の停止位置が指示され、離陸順番が1番目の趣旨で

”「No.1, taxi to holding point C5」” と伝達され、指示を復唱、誘導路C5に向けてタキシングを継続

機長の記憶では

”「Runway 34R, line up and wait, you are No.1(滑走路34Rに入って待機してください。あなたの離陸順位は1番です。)」と言われたと ”

”機長Aは、離陸する他の航空機が誘導路C1に向かっている流れの中で、自機に誘導路C5の指示が来たことについて、運航情報官に飛行計画書を提出したときに自機の飛行目的が震災支援物資輸送であると伝えてあったため、それが航空管制官に伝わっており、離陸の順位を優先してくれたのだと思った。機長Aは、誘導路C5から滑走路34Rに進入した場合に離陸に使用できる滑走路の残距離が海保機の必要離陸距離に十分であることを、副操縦員Aと共に確認した。”   

一方、羽田基地を出発する前の懸案事項だった、新潟、小松空港での電源車の確保に関して、小松空港での電源車の借用は不可能であることがわかり、基地から機長にその旨が伝えられました。代替手段として着陸後、右エンジンを停止せずに回したままにしておくことで電源を確保する手段も連絡されました。機長は管制とのコンタクトと基地とのコンタクトを傍受しており、さらにこの通信中に

”、機長Aの口述によれば、この無線のやりとりに一部重なるタイミングで、海保機に対してタワー東から「Runway 34R, cleared for take-off (滑走路34R、離陸支障ありません)」の許可があったと記憶しているとのことである。 ”

離陸許可が出たと判断した機長は

副操縦員に離陸前点検(Before Takeoff Checklist)を指示、副操縦員はBefore Takeoff Checklistを実施し、タキシング中は赤の点滅だったストロボライトを衝突防止灯(白色点滅)にかえています。これは空港監視カメラの映像にも記録されていました。

”17時46分46秒、海保機は、滑走路34Rの中心線上で離陸方向(北西向き)に正対して停止し(C滑走路南東端から560m付近)、17時47分27秒、滑走路34Rに着陸してきたJAL機と衝突した。”

不幸な偶然として、海保機がタワー東とコンタクトする前にJAL機の着陸許可が出されていたために、機長、副操縦員は着陸進入中のJAL機を認識していなかったことも挙げられます。さらに滑走路進入の際に注意を喚起する停止線灯が事故当時、老朽化のための更新工事で運用を停止していたのも「不幸な偶然」でした。

後から思えば、Intersection Depatureで先行機を追い越して離陸が許可される、能登半島地震の支援物資輸送という任務が優先されているという思い込みと、通信の輻輳という事態が重なり、大きなミスがこの時点で生じたのかと思われます。

衝突後、機長はエンジンが爆発したのかと思い、数秒間伏せた後、オブザーバー席の機上整備員、さらに副操縦員を探したが、姿は見えず、機内が燃えていたので、操縦席上部の非常脱出口から脱出、改めて5名の乗組員を探したが発見できませんでした。滑走路脇の草地から羽田基地に携帯電話でコンタクト、羽田基地から羽田特殊救難基地に連絡が入り、熱傷対応旧機材をの装備したSRT隊員などが現場に向かい、さらに空港事務所からも消防車、救急車が出動、機長は病院に搬送されました。

Photo_20250116090301
羽田空港管制塔の管制卓配置図 (経過報告書12頁の図3から)

海保機とコンタクトしていたタワー東は17時42分ごろ、A滑走路を横断する海保機を認識、

”タワー東は、海保機は海上保安庁所属の航空機であるものの、捜索救難機のように優先的な取扱いの必要がない、物資輸送のための飛行であることを、事前に飛行計画を確認し把握していた。”

ここに海保機の機長の思い込みと管制官の認識の違いを見て取ることができます。

”17時45分10秒、グラウンド東から誘導路C上で通信移管された海保機が、タワー東を呼び込んだ。タワー東は、海保機に対し、離陸順位が1番であることを通報するとともに、海保機の前方に4機の出発機が並んでいたことから、海保機を予定どおりJAL機の着陸後、D機の着陸前に離陸させるため、海保機の位置から最も近い誘導路C5からのインターセクション・デパーチャーをさせることとして、海保機に対し誘導路C5の滑走路停止位置までの地上走行を指示した。海保機は、タワー東に対し、誘導路C5の滑走路停止位置へ走行すること、1番であることを復唱した。タワー東は、海保機の復唱に間違いがないことを確認し、海保機が誘導路C5へ走行していることを目視した。”

タワーが離陸機の順番をこのように割り振ったのは、東京ターミナル管制所羽田出域調整席の管制官(DF)から海保機の離陸のタイミングを相談され、国際線出発機であるC機の離陸の後にD機を着陸させると後方乱気流の影響を受けるので、JAL機の後に海保機を離陸させ、D機を下ろし、次いでC機を離陸させればその影響が少なくなると判断したからでした。そのために海保機をC5からRWY34に入れ、インターセクション・デハーチュアとしたのでした。

このJAL機とD機の着陸の合間に海保機を離陸させるために、D機に対しては着陸進入速度を下げるように指示、JAL機が着陸し、C5前を通過したらすぐに海保機を滑走路に入れ、待機するように指示するため、JAL機の動きを注視していました。このとき、海保機がC5停止位置で待ての指示に反して滑走路に進入していたのを見逃していました。

まさに衝突の15秒前にDFが空港面画面上で滑走路占有重複状態となっているのを2008年3月から導入された滑走路占有監視支援機能が示しているのを東京ターミナル管制所のDFが気付き、タワー東担当の管制官に”JAL機はどうなっているか(滑走路上に海保機がいるがJAL機の復行指示は出したかという意味で)”と問い合わせたものの、タワー東管制官はその意味が分からず対応しないうちに衝突に至りました。ただ、このシステムはこれまで「狼少年的に」滑走路の占有に重複がない状態でも注意喚起が出されるケースがしばしばあり、管制官側ではあまり信用されていなかったようでもあります。

JAL機から炎が上がるのを見た、タワー東管制官は空港事務所空港し、、保安防災課、運航情報官及び東京ターミナル管制所へ通報、着陸体制に入っていたD機に対しては復行を指示、全ての地上の航空機に対しては現在位置で停止を指示、JAL機から脱出した乗客の安全を確保するとともに事故対応車両及び人員の支障にならないように、駐機場所までの移動を指示、さらに東京ターミナル管制所は復行した航空機、および管制下にあった航空機に対し、成田国際、中部国際、関西国際空港等への目的地変更を行いました。

JL516便は16時27分に新千歳空港を離陸、機長のほか運航乗務員2名、客室乗務員9名及び乗客367名の計370名が搭乗していました。右操縦席にA350型式移行訓練中の副操縦士が着座、PFとして操縦を担当していました。機長は左席でPM業務を担当、訓練乗務員の指導を行っていました。さらにA350型副操縦士資格者(セイフティ・パイロット)1名がオブザーバー席に着座していました。

JAL機は新千歳空港から順調にフライトし、タワー東とコンタクトする前からRWY34Rは視認出来ていました。17時44分56秒にRWY34Rへの着陸許可が下りました。PF担当の訓練乗員は高度1140ftで自動操縦から手動操縦に切り替え、高度1000ftを通過した後、風向きが地上でも変わらないことを確認、進入を継続、セイフティ・パイロットは外部監視、管制交信のモニター、飛行諸元のモニターを行っていました。17時47分26秒ごろ、主脚が滑走路に接地、逆噴射のための操作を行い、着陸灯を点灯したとたん、小型の機体が正面に現れ、大きな衝撃が発生しました。最終進入中、3名の運航乗務員はRWY34R上を監視していましたが、滑走路上に小型機が止まっていることにはまったく気づきませんでした。

なぜ、JAL機は滑走路上に停止していた海保機に気づかなかったか、この点に関しては海保機の機体尾部の衝突防止灯、下部尾灯位置灯、垂直尾翼上部の上部位置灯がいずれも白色であり、Intersection Deoartureのため海保機が停止していた場所の周囲には滑走路に埋設された中心線灯、接地帯灯があり、これらも白色等であったことが原因として考えられます。


衝突時の対地速度は120kt(222km/h)、ピッチ角3.5度(上向き)、機種方位337度で前脚は接地していませんでした。

衝突後、操縦を機長が担当、ブレーキ操作を行ったが、減速は感じることがなく、機の進路が徐々に右にずれていったためステアリング及び方向舵で修正を試みるも操縦に応じた機体の動きはありませんでした。滑走路南東端から2118m付近で滑走路を東側に逸脱、草地を走行し、RWY16L用の進入角指示灯に接触、、滑走路34R南東端から2,298m、滑走路中心から東側に56m(滑走路長辺端から26m)の付近、機首方位はおおむね345°(磁方位)で、17時48分14秒ごろ、機体が停止しました。

機内では主脚が接地した直後、異常音が発生、何かに乗り上げる動きが感じられ、大きな減速を感じることはありませんでした。左右の主翼下面付近で火災が発生(乗客が視認)、前方から3番目の出口付近の客室内で異臭が発生し始めました。衝突後、客室乗務員は乗客に対し、「頭を下げて」と衝突防止姿勢を取るための指示を連呼、操縦室とインターホンで連絡を試みるもインターホンでの通話ができませんでした

機長は非常脱出を決定、そのための手順を開始、操縦室に来た客室乗務員から火災発生の知らせを受け、脱出指示装置を試みるも作動せず機内放送システムも使用できなかったため、大声で脱出を指示しました。左右のエンジンを停止する手順、消火剤の放出操作を行った結果、左エンジンは停止しましたが、右エンジンは停止せず、エンジンの作動状況について操縦室内の計器上に何の変化も起こりませんでした

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非常脱出で使用された出口 (経過報告書20頁の図7から)

各出口に配置された客室乗務員はそれぞれの担当出口の外部の状況を見て、L1,R1,L4以外の出口は火災の状況から脱出に適していないと判断し、17時51分60秒頃、L1,R1のドアを開放、脱出用スライドを展開し、乗客の脱出を開始しました。客室内に煙が充満してきたこと、周囲の状況の切迫を受け、L4出口も脱出可能と判断し、17時55分頃、L4ドアも開放され、周囲の乗客の脱出を指示しました。L1,R1からの脱出が340~350名程度、L4からが20~30名程度で、脱出の際に1名が肋骨骨折の重傷、軽傷が4名、12名が体調不良を訴え、医療機関を受診しました。海保機側は機長は火傷で重傷、他5名の死因は現時点では不明とのことです。

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海保機とJAL機が衝突した際の位置関係 (経過報告書70頁の図39から)

両機が衝突した際の位置関係は空港監視カメラの映像、JAL機のFDRデータや残骸の衝突痕から、上図のようであったと推定されています。海保機は胴体上部が激しく損傷、主翼、尾部が胴体から分離、上部後方からの圧力で押しつぶされた形で衝突地点から約90m先の滑走路上に擱座していました。JAL機は機種部分が海保機の尾部に衝突、操縦室床下の電気室の前方部分に大きな損傷を受けたようです。
幸いにも主脚が倒壊しなかったため、機体が横転や回転することなく、大きな進路変更を伴わずに停止することが出来ました。JAL機のFDR(フライトレコーダ)は衝突後約1.9秒後に記録を停止していました。これは、衝突の0.8秒後にFDRに電力を供給する115V AC EMER BUS1の出力が失われたことによると記録されていました。CVR(ボイスレコーダ)は機体が滑走路外で停止した5秒後に停止していました。、滑走路からの逸脱、停止時の衝撃によりCVRに電力を供給する28V DC EMER BUS2の電源が失われたか、EPDC又は周辺配線が損傷したことによる可能性が推定されています。
前脚は支柱の途中で折損、機体から分離し、衝突地点から480m先の滑走路上に脱落していました。支柱が残っていたため機首部胴体下面が滑走中、地面と接触することは避けられました。

これらの損傷が機体滑走、停止、脱出時の操縦性を失わせ、機内でのインターホンでの連絡を妨げた原因になったことは容易に想像できます。

海保機の5名の乗員の方々は誠に残念ですが、JAL機の乗客に犠牲者が出なかったことは正に不幸中の幸いであることがこの中間報告書からもよくわかりました。
亡くなった5名の海保機の乗員の方々の死因に関しては現在調査中とのことですが、5名の遺体は機内、機体周辺で発見されたとのことですが、衝突時になぜ機長だけ助かることが出来たのか、この点に関してはこの報告書では触れられていません。

報告書の末尾に海保機、JAL機の機内での会話の様子が記録されていますが、JAL機が衝突後、停止するまでの状態は、韓国でのJeju航空機の記録されなかった4分、バードストライク~電源喪失~胴体着陸~コンクリート壁に激突までの過程と似ており、あのコンクリートの壁さえなければあのような大事故にはならなかったのではと思う次第です。

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2025年1月16日 (木)

EF210-100番台 第2全検の進行状況

昨日のEF210形基本番台の全検に続き、今回は100番台の全般検査についてみてゆきます。

100番台は2000年3月以降、基本番台の改良型として製造されたタイプでVVVFの素子をGTO、1インバーターで2基のモーター制御する方式(1C2M)から、素子をIGBTとし、1基のインバーターで1基のモーターを制御する方式に改め、主電動機の制御方式を二次巻き線の始動抵抗器の抵抗値を加減し、トルクに一致するよう滑りを加減し、速度制御する「すべり方式」から、モーターの回転磁界の磁束の方向と大きさをベクトル量として制御する「ベクトル方式」にすることで、空転特性を改善し、省エネ性を増し、振動や音の発生を抑えました。また新製時からATS-PFを搭載し、補助電源のSIVが万が一故障した際には主回路制御用インバーターの一群をSIVのバックアップとして使用できる冗長化が図られました。
101~173号機の73両が製造され、108号機までは下枠交差式パンタグラフ(PS22D)搭載でしたが、109号機からはシングルアーム式パンタグラフ(FPS4A)となり(115号機は一時、 PS22Dを搭載)、156号機以降は屋上の列車位置検知用GPSアンテナが省略されました。これらの形態変化を以って、108号機までを1次車、109号機から155号機を二次車、156号機から173号機を3次車と分類しています。

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EF210-100番台 第2全検の進行状況

現時点で100番台の44両(101~142と149、154号機)が2回目の全検終了、もしくは入場中、予定が確定状態となっています。2018年に第2全検を受けた107号機からは白帯入りの新塗装で出場していますが、それ以前に受けている101~105の5両は旧塗装のままとなっています。ただ。これらの第3全検の時期も近いとおもわれるので、第3全検出場時に新塗装化されると思います。

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2016年に第2全検を受けているため、旧塗装で活躍中の104号機

2018年度以降、第2全検を受けた100番台は新塗装となりました。

Ef210120-2073-230728-2 2023/7/28 清州

Ef210120-87-241015 2024/10/15 立川

2022年に第2全検を受けた120号機の場合、ルーバーの形態は旧塗装時代と変わりありません。

2022年9月に出場した122号機以降は側面のルーバーが300番台のルーバーのように帯が切れないような形態となっています。

Ef210125-86-240620-2

2024/6/20 八王子

Ef210125-86-240620-8 2024/6/20 立川

2023年3月に第2全検を受けた125号機の場合、ルーバーは300番台タイプになっていますが、どちらの側面も白帯はルーバー上にはありません。

また2023年11月以降に出場した130号機以降はスカートが濃灰色に塗装されているもの変化として挙げられます。

Ef210135-3090-241218-5

2024/12/18 西国分寺 
ルーバー上まで白帯がひかれ、スカートが濃灰色となっている135号機

Ef210154-5097-241109-9 2024/11/9 新川崎 新塗装化された154号機

Ef210154-5097-241109-10

側面のルーバーの形態 帯がルーバーの上でも切れないようになっている。

Ef210154-100709-2 2010/7/9 吹田 同機の以前のルーバー

以上、100番台の第2全検以降の新塗装には多様なパターンがあります。
落成した順番で全検が行われるわけではなく、さらに全検時期によって形態が変化しているので、見ていると頭が混乱してくるのが実態です。

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2025年1月15日 (水)

EF210 基本番台の旧塗装は間もなく見納めに

昨年6月13日記事でレポートしましたが、試作機を含めて19両製造され全機、岡山機関区に配置されているEF210基本番台ですが、最後の全般検査とされている第3全検を17両が終了しており、昨年11月26日(?)から18号機が広島車両所に入場中で間もなく出場する予定です。それと入れ替り、8号機が入場すると基本番台全機が第3全検を受けることになります。

昨年6月13日の記事では2024年4月に入場し、6月4日に出場し、新塗装化された17号機について触れましたが、その後、予定通りに15号機、5号機が全検を終えていますのでそれらについて今回は触れようと思います。

15号機は1998年10月20日に落成、2006年5月8日に第1全検出場、2014年5月23日に第2全検出場で、第3全検出場は2024年8月22日でした。

Ef21015-0303262003/3/26 新大阪 第1全検前で側面の空気取り入れルーバーがまだ細いタイぷっだた頃

Ef21015-061103 2006/11/3 新川崎 第1全検出場直後、側面の空気取り入れルーバーの形態は同じ

Ef21015-071217_20250114121901 2007/12/17 下関 側面の空気取り入れルーバーが大型のものに

Ef21015-5082-230620 2023/6/20 西国分寺 

Ef21015-5082-241123-5

2024/11/23 府中本町 第3全検で新塗装に

5号機は1998年8月4日に落成、2006年10月6日に第1全検出場、2014年4月3日に第2全検出場、第3全検出場は2024年10月25日でした。

Ef2105-030215-3 2003/2/15 黒磯 当時の直流機の北限の機関車交換のための入換

Ef2105-090404 2009/4/4 浜松 フィルターは大型化

Ef2105-5082-240406-5 2024/4/6 西国分寺

Ef2105-4091-250107-10edit 2025/1/7 新座 第3全検で新塗装に

落成~第1全検、第1~第2全検までの間隔が8年程度に対して第2~第3全検までの間隔が10年程度となっているのは新型コロナウイルス蔓延による影響だったのでしょうか?
100番台の最近の第2全検出場車はルーバーが300番台のように帯線が途切れないタイプに変更されていますが、基本番台の全検出場車にそう言ったタイプに交換されたものはありません。

8号機の入場で1996年の落成以来続いた、基本番台の旧塗装は見納めとなります。

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2025年1月14日 (火)

湘南モノレールの旅 part12

湘南モノレールの旅、大船から約15分で終点、湘南江の島に到着します。


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この駅の5階には「ルーフテラス」と名付けられた展望台があり、富士山の眺めが綺麗です。

Dsc09725 2023/12/29 湘南江の島駅の展望台「ルーフテラス」から見た富士山

駅から歩いて僅かの場所には江ノ電の江ノ島駅があり、


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2023/12/29 江ノ島 1200形1201F 我が国の1067mm軌間の鉄道線では最後となった新造吊り掛け車


Dsc09738 さらに商店街を南に下ると江ノ島の入口に到着します。

Dsc09735 地図をよく見ると 江の島の表記も「江の島」と書かれているものと「江ノ島」と書かれているものが混在していることがわかります。

Dsc09739 小田急の片瀬江ノ島駅駅舎

1999年の鉄道記念日に関東の駅百選にも選ばれたユニークな駅舎は1929年4月1日に大野信号所(現、相模大野駅)~片瀬江ノ島駅間が開業した際に造られました。ただ免許を申請した時点では江ノ島電気鉄道の藤沢~江ノ島~鎌倉(当時は小町)間や大船~江ノ島~茅ケ崎間の建設計画(免許は東海土地電機株域会社に)があり、当駅付近で交差するため予定線が開業した際には撤去するという条件付きの仮設線、仮設駅として建設されました。ただ、江ノ島電気鉄道の大船~茅ケ崎線の免許失効期限が迫っていたことや資金力がないことが明らかだったため、実際は本設物として建設されました。2017年には駅前の都市計画道路の拡張と2020年開催予定の東京オリンピックに合わせ駅舎の建て替えが決まり、2020年7月30日に竣工しました。


Dsc09745_20250113074101 龍口寺前のカーブを行く20形

江ノ島一帯を観光した後、再び湘南モノレールで大船に向かいましたが、帰りは湘南深沢駅で途中下車し鎌倉市梶原にある深沢車庫を見学しました。


Dsc09770 湘南深沢~西鎌倉間の深沢車庫出入庫線分岐部

Dsc09771 出入庫線の先に深沢車庫があります。


Dsc09779 車庫は1階が事務所、運転指令室、2階が車体点検場、3,4階が車両屋上機器と台車の点検修理場 懸垂式のため、機器や台車は「下」ではなく「上」にあります。


Dsc09774 入庫中の5000系 5603Fと5613F

3800坪の農地を買収し、1970年1月15日に完成した車庫は7編成の留置、洗浄、検査業務を行う施設となっています。湘南深沢駅の北西側から出入庫線が分岐しています。留置スペースは18両分なので1編成は本線上の終端駅での夜間滞泊となっているのでしょう。

Dsc09780 軌道や電機関連設備の検査を行う工作車 東京モノレールでは黄色ですが、こちらはオレンジの塗装


Dsc09781_20250113081101
敷地内には2016年に引退した500形551編成のカットモデルが展示されていました。

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