2020年9月18日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 4 諏訪市湖畔公園に保存されているD51 824号機

中央東線、茅野から先、岡谷までの単線区間には上諏訪駅、下諏訪駅があり、それぞれの駅の近くに蒸機は保存されています。しかも茅野C12,上諏訪D51,下諏訪C12,岡谷D51という順に並んでいます。

Dsc07123 2018/8/31 諏訪湖湖畔の風景 

諏訪湖は新生代第三紀の終盤からの中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれることで誕生した構造湖(断層湖)と考えられています。面積は12.81㎢、周囲15.9km、最大水深7.2m、平均水深4.7mの淡水湖で上空から眺めるとプロペラ機の垂直尾翼のような形に見えますが、東側が諏訪市、北側が諏訪郡下諏訪町、西側が岡谷市に属しています。流入河川は31河川ありますが、流出河川は岡谷市の釜口水門から流れ出す天竜川のみです。

Dsc07132

Dsc07164 7月から9月にかけて諏訪湖では週末、花火大会が行われているため、湖畔公園の蒸機にもネットが掛けられていました。

D51824号機は上諏訪駅から歩いて5分ほどの諏訪市湖畔公園に保存されています。
沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1943-3-16 国鉄浜松工場 製番74
配属 名古屋局
1943-3-18 浜松
1945-9-30 静岡
1949-6-26 上諏訪
1957-12-24 重油併燃装置取付 長野工場
1959頃 長野工場で切取式除煙板N-2装備 上諏訪
1960-2-6 換気装置取付
1964-3-14 松本
1964-4-3 長野
1970-7-25 二休指定
1970-8-6 長野 廃車  といった履歴となっています。

形態的特徴は長野工場で装備された長工式N-2デフレクターの装備です。長工式デフレクターはC57,D50,D51の3形式に装備され小倉工場の門デフ、鹿児島工場の鹿工デフ、後藤工場の後工デフとの違いは除煙版の下辺が水平でないことです。D51形でN-2型デフレクターが装備された記録があるのは他に197号機708号機などがあります。

Dsc07126 集煙装置は機関車本体から外されて置かれていました。

Dsc07134 潤滑油バルブはランボード上に線路と平行に並んでいます。

Dsc07136 逆転器リンクプレートの穴は小穴タイプです。

Dsc07138 浜松工場製造のD51は
1937年度 浜松工場(5両):86 - 90(製造番号19 - 23)                  89号機 豊橋動植物公園
1938年度 浜松工場(8両):D51 199 - 206(製造番号24 - 31)              200号機 梅小路蒸気機関車館
1939年度 浜松工場(15両):D51 207 - 210・245 - 250・473 - 477(製造番号32 - 46) 245号機 坂城町(今後公開予定)
1940年度 浜松工場(13両):D51 518 - 530(製造番号47 - 59)
1941年度 浜松工場(5両):D51 531 - 534・685(製造番号60 - 64)
1942年度 浜松工機部(12両):D51 686 - 689・819 - 826(製造番号65 - 76)      688号機 岡崎南公園
1943年度 浜松工機部(12両):D51 827 - 830・848 - 852・861 - 863(製造番号77 - 88)

と私がこれまで見てきたD51では4両が浜松工場製ですが、砂管のパターンでは200号機、245号機、688号機がよく似たパターンを示しています。89号機は標準形の試作的意味合いの強い個体ですので、浜松工場パターンが決まる前のスタイルだったのかもしれません。
また、潅水清浄装置は助手席側キャブから少し離れた位置に設置されています。

Dsc07151
炭水車は8-20Bタイプで軸ばねに重ね板ばねを用い、側枠を鋲接板台枠構造としたタイプです。

Dsc07143 キャブ内も見学可能でメーター類のガラスも残されていました。

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2020年9月17日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 3 茅野駅周辺あれこれ

茅野駅は標高790.3mで諏訪地域の東端に位置し、関東平野では筑波山の標高800mに匹敵する高さにあります。周辺には八ヶ岳、白樺湖、蓼科高原、車山高原などの観光地があり、その玄関口として賑わっています。昨日のC1267号機の説明版にもありましたが、1947年までは諏訪鉄山の鉄鉱石を輸送するために敷設された日本鋼管鉱業諏訪鉱業所専用線(通称・諏訪鉄山鉄道)が乗り入れていました。

Dsc07097 2018/8/31

Dsc07078 ホームの構成は単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の2面3線です。

1905年11月25日、鉄道院中央本線富士見駅~岡谷駅間が開通した際に、旅客・貨物駅として開業しました。1984年1月15日、貨物取り扱いが廃止され、1986年3月31日、駅舎の改築工事が完成しました。

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中央東線線は線路切換えで支線となった辰野支線を除くと、当駅から約3.7kmの普門寺信号所から先、岡谷駅までの区間は依然として単線区間として残っています。普門寺信号所のポイントは両開きポイントのため、通過時は75km/hの速度制限がかかります。信号所の開設は1970年9月2日でした。ダイヤ上ネックにあたる単線区間ですが今のところ複線化の予定はないそうです。

 

茅野市豊平には戦前から発掘されてきた縄文時代中期の集落遺跡尖石・与根尾根(とがりいし・よねおね)遺跡があり、遺跡周辺は史跡公園に指定され、園内に茅野市尖石縄文考古館があります。場所は八ヶ岳西側山麓の大扇状地、標高1050-70mの台地で中央に沢が走っており、北側が与根尾根、南側が尖石で尖石遺跡が報告されたのは1893年のことでした。その後も精力的に発掘が続けられ、1942年10月14日には「尖石石器時代遺跡」の名称で国の史跡に指定され、「縄文集落研究の原点」とされる重要な遺跡と位置づけられ、1952年3月29日には文化財保護法に基づき特別史跡に指定されました。

Dsc07105_20200916163901

Dsc07103
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2020年9月16日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 2 茅野駅前のC12 67号機

2018年8月末から9月にかけての信州旅行、今回は茅野駅東口ロータリーに静態保存されているC12形67号機です。

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2018/8/31
C12形といえば1番違いの66号機が真岡鉄道で動態保存されていますが、66~68号機は1933年製日立製作所製造のトリオです。

沖田祐作氏の機関車表データによる履歴では
1933-12-1 日立製作所笠戸工場 製番518
戦前の配属不明
1949-4-19現在 松本
1955-8-1現在 信濃大町
1962-3現在 松本
1964-4-1現在 松本
この間に上諏訪に移動
1972-4-1 中津川
1973-4-27 中津川 廃車    戦前の配属は不明ですが、戦後は信州地方で活躍しており、上諏訪機関区時代は茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷での入換に従事していたそうです。仕業札入れには入3の札が入っています。

Dsc07090edit またこの説明版にあるように諏訪鉄山から鉄鉱石が採掘され、その輸送にC12が牽引する貨物列車が走っていた線があったことも初めて知りました。

Dsc07093
Dsc07091 九州で活躍したC12形、例えば187号機(常陸大子駅横に保存)、287号機(千葉県君津市小櫃公民館に保存)のような炭庫の通風孔はありません。

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2020年9月15日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 1 大月駅でのE233系の分割・併合

2020年の夏の暑さも漸く終わろうとしていますが、2年前の2018年の夏も猛暑だったようです。この夏は8月31日から、23日の予定で信州地方の公園保存蒸機を見て歩く旅をしました。概要編は2018年9月1日から9月3日までの速報版としてアップされていますが、これから詳細版をアップして行く予定です。

171218 

2017/12/18

早朝、一橋学園を出発、国分寺で中央線に乗り換え、青春18切符を利用した各駅停車の旅で最初に下車したのは大月駅でした。この駅はJR東日本の駅であると同時に富士急行大月線の起点駅で、1902年10月1日、国有鉄道中央本線鳥沢~大月間が開通したときに開業しました。1903年1月17日富士馬車鉄道が乗り入れています。この馬車鉄道は軌間610mmで谷村本社まででした。一方、1900年9月21日には軌間762mm都留馬車鉄道が下吉田 - 籠坂峠間を開業していました。1903年6月12日に都留馬車鉄道あ小沼 - 下吉田間を開業、同年8月14日には富士馬車鉄道谷村本社 - 小沼間開業し、さらに同年9月11日には都留馬車鉄道が籠坂峠 - 静岡県界間を開業し、今日の富士急行の路線が敷設されましたが、2社の間で軌間が異なることから乗り換えを強いられていました。1921年に両社が合併、さらに改軌が行われ、電化もされ、大月~富士吉田間が電車で直通運転されるようになりました。1926年には富士山麓電気鉄道が設立、馬車鉄道の併用軌道は1928年に譲渡され、1929年に鉄道線(23.6km:軌間1067mm)に置き換えられました。

中央線から富士吉田方面に直通列車が運転開始されたのは1934年7月1日のことでした。国鉄、JR時代を通じて富士急行線への乗り入れの歴史は続いており、現行ダイヤではE353系3連「富士回遊」、特急車両E257系500番台車211系、中央快速線のE233系H編成などの車両が乗り入れています。
ちなみに中央快速線の通勤電車が富士急行線に乗り入れるようになったのは1990年3月10日のダイヤ改正からでした。

1997年10月12日、20時2分頃、大月に到着した201系10連が後部4両の河口湖行きを切り離し、構内運転で下り本線に移動するところを本来20時に通過予定のE351特急スーパーあずさ13号が2分程、遅れた通過しているときに停止信号を誤認し、出発してしまい、E351系12両編成の右側面に衝突し、E351系は前から4両目(9号車)から8両目(5号車)にかけて脱線、8号車は横転、201系は先頭車と2両目が脱線するという事故が起こりました。この事故で回送車両の運転士を含む78名が重軽傷を負いました。

03H
 東 京1808┬2106河口湖 
         └1958大 月┐
高 尾2052←2017大 月┘

05H

 高 尾0601→0637大 月┐
        ┌0654大 月┘
┌東 京0852┴0549河口湖 

23H

└東 京1905┬2207河口湖 
         └2055大 月┐
┌高 尾2149←2113大 月┘
└高 尾2155→2231大 月 

25H
      ┌0619河口湖 
┌東 京0857┴0723大 月 

現行ダイヤにおけるE233系の富士急行線運用  03H~05H、23H~25Hと河口湖乗り入れ編成が滞泊する2組の乗り入れ運用が存在します。

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Dsc07070_20200914161801

2018/8/31 大月駅で乗り換え列車を待っていたら高尾からE233系H52編成6連が到着。北側の電留線にもE233系の姿が25H運用の編成でしょう。

Dsc07072_20200914161801 程なくして同じホームに河口湖からH52編成4連が到着。

Dsc07073
Dsc07075 駅員の誘導で両編成がドッキング。10連となって東京へ。

こうやって6連と4連の組み合わせは余程のトラブルが無い限り、編成番号の異なる6連、4連がペアになることが無いように保たれているのですね。

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2020年9月14日 (月)

日本工業大学工業技術博物館の2100形2109号機 その3

今回は日本工業大学工業技術博物館の蒸気機関車2100形2109号、周辺の展示物を紹介致します。

工業技術博物館は1987年、学園創立80周年記念事業の一環として開設されました。

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2017/11/20

2109号の側には、蒸気機関車のメカニズムに関する図解付きの解説がありました。

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弁装置、シリンダーとピストンの関係に関しては模型も用意されています。

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Dsc01897 動輪と主連棒の関係も模型付きで紹介されています。

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2109号が大学に寄贈されるまでの経緯も紹介されています。

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その他、鉄道の安全運行に関するシステム、信号・タブレットなどの閉塞関連システムの紹介もありました。

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2020年9月11日 (金)

日本工業大学工業技術博物館の2100形2109号機 その2

昨日の記事に引き続き、日本工業大学機械技術博物館に保存されている2100形2109号機の話題です。

Dsc01889 2017/11/20

Dsc01922 イギリスで発明され、世界中に広まった鉄道において最初に使用されたブレーキシステムは、機関車と緩急車による手ブレーキで、後には列車全体を鎖でつなぐチェーンブレーキシステムに発展しました。しかし、列車全体に均等にブレーキを作用させることが出来ないという問題点がありました。一方、蒸気機関車特有の蒸気ブレーキシステムも開発されましたが、これもあまり汎用性がありませんでした。1874年にノース・イースタン鐡道の技術者J・Rスミスによって開発されたのが真空ブレーキで、機関車から列車全体にブレーキ管が引き通され、機関車側でイジェクターを操作することで管内の空気圧を真空にし、各車両のブレーキピストンを動かし、ブレーキを掛けるというものでした。ただ、このシステムは管が破れたり。連結が外れたりした際にブレーキが利かなくなるトラブルがありました。この問題を解決するためにブレーキを緩めるために管内を真空にする自動真空ブレーキシステムが開発されました。これによって事故はだいぶ減りましたが、管内を真空にしなくては列車が出発できず、真空にするためにホコリ等を吸い込み、列車が動かなくなるトラブルの頻発や編成が長い場合の応答性の悪さが表面化しました。
最終的にたどり着いたシステムが空気ブレーキでこれはアメリカのジョージ・ウェスティングハウスが開発したシステムで真空ブレーキは大気圧の1気圧と真空の気圧差を利用するものに対して、空気ブレーキは圧縮空気を利用することで1気圧以上の空気圧差を利用でき、ブレーキシリンダーの小型化に貢献出来、機関士からの応答性も格段向上しました。

明治時代に輸入されたB6形も当初は真空ブレーキでしたが、1921年に空気ブレーキの搭載が決断され、コンプレッサー、エアタンクが搭載されてゆきました。

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タンク式機関車であるB6は両サイドに大型の水タンクが装備されています。

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定期的に公開運転がなされている機関車であるため、整備も行き届いており、黒光りしています。

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前部には引き出し、押し込みようのアントが連結されていました。

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2020年9月10日 (木)

日本工業大学工業技術博物館の2100形2109号機 その1

2017年11月の埼玉県宮代町の旅、今回は昨日の町役場から歩いて数分ところにある日本工業大学のキャンパス内にある工業技術博物館(11号館)内に保存されている2100形2109号機です。

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Dsc01882 普段、2109号機が収納されている蒸気機関車館 展示運転用の線路が出ています。

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1907年に創立した東京工科学校を運営する学校法人東工学園が工業高校出身者の受け皿となる大学の設立を目指し、1967年に開学した大学です。キャンパスは宮代町と東京神田にあり、基幹工学部、先進工学部、建築学部などの学部があります。
工業技術博物館は歴史的に価値ある産業の発展に貢献した工作機械等、250台以上の機械を機種別、製造年代順に展示しており、、工作機械の7割は動態保存で、一般に公開されています。

Dsc01886

2100形蒸機はイギリスのダブス社が製造し、1890年に官設鉄道が輸入し、AC形154-164(偶数)と附番した6両、1891年に日本鉄道が輸入し、166-176(偶数)と附番した6両、さらに1894年に関西鉄道が輸入した3両、1903年にダブス社の後身のノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社から輸入した2両があります。1909年の鉄道院の車両形式称号規程で官設鉄道の6両が2100-2105、日本鉄道の6両が2106-2111、関西鉄道の5両が2112-2116となりました。
2100形は性能が良好であったため、1898年から1905年にかけて、同形で動輪径の異なる2120形、ドイツ製の2400形、アメリカ製の2500形を輸入し、これら4形式をまとめてB6形としました。

主要諸元
全長 : 10,203mm
全高 : 3,658mm
軌間 : 1,067mm
車軸配置 : 0-6-2(C1)
動輪直径 : 1,219mm(1914年度版では1,245mm(2106 - 2111)、1924年版では1,250mm、1914年版以降1,270mm(2112 - 2116))
弁装置 : スチーブンソン式基本形(2115, 2116はアメリカ形)
シリンダー(直径×行程) : 406mm×610mm
ボイラー圧力 : 9.8kg/cm2(1924年版では11.3kg/cm2)
火格子面積 : 1.33m2(1924年版では1.31m2)
全伝熱面積 : 93.6m2(1924年版では92.9m2)
煙管蒸発伝熱面積 : 84.2m2
火室蒸発伝熱面積 : 9.4m2(1924年版では8.7m2)
ボイラー水容量 : 3.0m3
小煙管(直径×長サ×数) : 45mm×3140mm×192本
機関車運転整備重量 : 45.47t(1924年版では46.36t)
機関車空車重量 : 35.85t
機関車動輪上重量(運転整備時): 37.85t(1924年版では38.24t)
機関車動輪軸重(最大・第3動輪上): 12.70t(1924年版では12.93t(第2動輪上))
水タンク容量 : 7.73m3(1924年版では7.8m3)
燃料積載量: 1.65t(1924年版では1.9t)
機関車性能
シリンダ引張力 : 6,870kg
ブレーキ装置 : 手ブレーキ、真空ブレーキ

 

日本鉄道が輸入した2109号は国鉄で廃車された後、西濃鐡道に譲渡され1970年まで活躍、その後は大井川鐡道で動態保存蒸機の先駆けとして活躍、1993年に日本工業大学に寄贈され現在も月に一回の頻度で展示運転がなされています(コロナ禍の状況では休止かもしれませんが)。

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2020年9月 9日 (水)

保存蒸機 宮代町町役場に保存されている東武鉄道B4形40号(旧鉄道省5655号機)

2017年10月の九州北部の旅行の約1か月後、訪問したのは東武動物公園駅から徒歩5分ほどの宮代(みやしろ)町役場横に保存されている東武鉄道40号でした。

Dsc01871 2017/11/20 機関車は役場の建物に寄り添うように保存されています。

東武鉄道は明治32年(1900年)に蒸機鉄道として開業しました。大正13年(1924年)からは電化が開始され、その進展とともに旅客は電車になりましたが、貨物は蒸気機関車牽引が続き、1966年にお別れ列車が運転されるまで蒸機の時代が続きました。一時は延べ85両もの蒸気機関車が在籍し、蒸機王国と言われたこともありました。拙blogでも東武鉄道の蒸機は何度か登場しています。板橋区の城北交通公園のKoppel製ベビーロコ号(この車両は牽引力の小ささから本線での営業はなかったようですが)、大田区の萩中中央公園のB3形34号機、いなべ市の三岐鉄道貨物博物館の東武39号機です。

Dsc01865
Dsc01866
前照灯が欠損しているのは残念ですが、車体は美しく整備されていました。

Dsc01867
Dsc01848
このタイプの特徴は後部の途中から斜めに上がって行くランボードです。

Dsc01854
足回りはロッドのみというシンプルな構造です。Dsc01855 キャブ内部にも立ち入ることができます。

Dsc01852 大きめの炭水車です。

今回の40号機は1898年英国シャープ・スチュアート社製SSbt2/4形 で日本鉄道が6両購入し、官設鉄道5650形となった1両で、まさに三岐鉄道貨物博物館の東武39号機の兄弟機です。沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1898 Sharp Stewart 製番4438
納入 日本鉄道212
1906-5-31現在 一ノ関
1906-11-1買収 国鉄212
1909-10-1改番 5655
1915頃 新津
1922-2-20廃車 新津
1922-2-8譲渡 東武鉄道40
1966廃車  となっており、1922年に廃車となった後、東武鉄道に譲渡され、40号と附番されました。東武鉄道では1966年まで貨物列車を牽引して活躍しました。

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2020年9月 8日 (火)

公園保存蒸機 遠賀町総合運動公園の8620形 78626号機

芦屋町には航空自衛隊の芦屋基地がありますが、これは帝国陸軍が建設したもので、戦後進駐軍が接収し、米軍基地となり、その際に遠賀川駅から基地までを結ぶ資材輸送用の芦屋線が敷設されました。それが基地の返還とともに廃線となり1961年に消滅しました。その辺のことは以前、遠賀川駅の記事で触れました。

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2017/10/14 鹿児島本線の煉瓦造りのガード、4輪車は進入できません。

遠賀町総合運動公園は、遠賀川橋梁と遠賀川駅の間、鹿児島本線の線路の南側にあります。

8620形式は1914年度から1929年度にかけ、汽車製造、日立製作所、川崎造船所、日本車輌、三菱造船所で672両製造されました。沖田祐作氏の機関車表では
1923-5-2 川崎重工兵庫工場 製番987
1923-5-12使用開始 配置 宮崎
1927-4-1現在 南延岡
1933-6-30現在 南延岡
1955-8-1現在 西唐津
1964-4-1現在 西唐津
1965-2-1現在 直方
移動時期不明 香椎
1967-6-12都城
1968-10-1南延岡
1971-5-21全検
1974-4-25休車
1974-8-6廃車 南延岡
1974-9-3貸与
1975-2-5保存 遠賀町 となっています。新製配置から廃車ななるまで九州で活躍し、保存も九州の機関車です。尚、Wikipediaでは製造は1924年となっています。

Dsc00167 Dsc00166 前照灯が欠損しています。

Dsc00165
Dsc00171
デフレクターは標準タイプです。

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Dsc00163
キャブの窓には網が張られています。

Dsc00174 かつて整備されたようですが、時間が経過してだいぶ傷んできたようです。

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2020年9月 7日 (月)

芦屋町高浜町児童公園、およびその付近の興味深いこと

先日の記事で福岡県芦屋町高浜町児童公園に静態保存されているD6061号機を紹介しましたが、同公園や周辺には興味深い物がいくつかありました。今回はそういったものをこの機会に紹介しておきます。

Dsc00144 Dsc00146 2017/10/14 まずはこの児童公園のトイレですが、平成13年度(2001年度)の宝くじの助成によって設置されたものだそうで、D60を模したSL形のトイレでした。

Dsc00148_20200906201101

近くには芦屋中央幼稚園がありますが、そこの園児送迎用のばすもSLのスタイルを模したものでした。ナンバープレートも111、333でした。

最後は訪れた時はちょうど衆議院選挙の選挙運動期間で、ここは福岡8区で日本中で知らない人とは恐らくいない候補者の選挙区でした。

Dsc00150

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2020年9月 4日 (金)

公園保存蒸機 芦屋町高浜町児童公園のD60 61号機

第二次世界大戦後の1950年代、戦前、戦時中に量産された乙線規格のD50、D51等の貨物用蒸機は電化の進展などで余剰車がかなり発生していました。一方で丙線区では9600形C58形が貨物列車を牽引していましたが、9600形は老朽化が進み、C58形は牽引力の不足が問題でした。これらの問題を解決するために余剰化していたD50形のうち、状態の良い車両を軸重軽減改造し、丙線規格にしたのがD60形式でした。

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2017/10/14 D50、D60のスタイルは後継機のD51に較べると給水温め器がC55, C57のようにエプロンにあり、ランボード前端もゆったりとカーブしており、煙突もC51の流れをくむ化粧煙突と余裕を感じさせるスタイルです。

他のD60代(D61、D62)と同様に従台車を2軸とし、1D1のミカドから1D2のバークシャーとしました。これにより軸重は14.70tから13.67tに軽減されました。軸重低減による空転を防止するために、シリンダー直径を570mmから550mmとし、出力低下を抑えるためにボイラー加熱面積を64.4㎡から75.2㎡に拡大しました。総重量(炭水車を除く)は81.56tとなりました。

Dsc00120 動輪は大正期のSLらしくスポークタイプです。D50(開発時は9900形式)は箱根越えのために9600を上回るパワーの機関車として当初は1E(デカポット)軸配置案も考慮されましたが、18900形(C51)の成功もあり、1D1になったそうです。

Dsc00126 D60の最大の特徴はこの2軸従台車ですが、当初C62、C61にはLT253が使用され、動輪との干渉を避けるため台枠前部を下げたLT254がC60,D60,D61, D62に使用されました。動輪側の担バネと従台車車軸の担バネはイコライザーで連結されており、イコライザー取り付けピン孔を変えることで車軸への重量配分を変化させることが出来ました。

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D51では給水ポンプはランボードの下にありますが、D50,D60では突き抜けています。潅水清浄装置も装備されています。

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ライト類も欠損なく非常によく整備されています。

1951年から1956年にかけ、国鉄浜松工場、長野工場、土崎工場にて78両が改造されました。この数は2軸従台車改造された60代形式の蒸機では最大となりました。

D6061号機は1928年製造のD50282号機から1954年に浜松工場で改造されました。
沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1928-9 汽車会社大阪工場 製番1027 D50282
札幌局配属
1933-6-30現在 函館
移動時期不明 岩見沢
1954-11-24浜松工場改造 D6061
配置 大分
1964-1頃 小倉工場にて切取式除煙板K-7装備
1970-10-4直方
移動時期不明 若松
1971-4-16全検
1974-6-6休車
1974-8-20廃車 若松 

で、D50時代は北海道、D60改造後は九州で活躍、D60として最後まで活躍した機関車となりました。改造10年後の1964年に門鉄デフK-7が装備されました。

余談ですが、D50形式は380両が製造されましたが、後継形式のD51の登場やD60への改造で、蒸気機関車終焉期にはほとんど現存車両が無く、保存されているのは北見市の25号機、梅小路の140号機の2両です。D60形式は山口県立山口博物館に1号機、福岡県内に27、46、61号機が保存されています。D51形式は178両が保存(一部、解体されたものもあり)、D61形式は6両が改造、保存されたのは3のみで4は解体され動輪のみが残されました。D52形式は285両製造、7両が保存、D62へは20両が改造されましたがこちらは全車解体されました。

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2020年9月 3日 (木)

直方市石炭記念館の保存貨車 ロト22号

直方市石炭記念館の保存車輛(貨車)今回はKoppel32号機に連結されていた砂運車ロト22号です。

貝島炭鉱鉄道でKoppel32号機に牽引されて活躍しましたが、昨日のセムのように石炭を運搬するためのものではなく。石炭を採掘した坑道を埋めるための土砂運搬用に利用されました。

Dsc09987_20200902183501 2017/10/14

連結器はリンク式です。

同形式の貨車としてロト12号が宮若市石炭記念館に、ロト39号が小竹町町民グランドに保存されている様です(情報源)。

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2020年9月 2日 (水)

直方市石炭記念館の保存貨車 セム1

今回は昨日のC11131号機の後ろに連結されて展示されている石炭輸送用貨車セム1形セム1です。

Dsc00009 2017/10/14

拙ブログでは以前に若松駅前に保存・展示されているセム1形セム1000を紹介しました(記事)。セム1、セム1000ともに同形式ですが、履歴は異なります。

北九州における石炭輸送で専用の貨車が使用されたのは1897年以降だそうです。それまでは通常の2軸無蓋車が使用されていました。最初に使用された底開き式石炭車はVan der Zypen & Charuer製の軸距2500mmの木造車で7トン積みでした。その後、5トンから9トン積みの貨車が大量に増備され、1907年の九州鉄道国有化時点では4640両になっていました。この頃は貫通制動が無いため、4~5両に一人の制動手が乗車し、機関車の汽笛の合図で一斉にブレーキハンドルを操作していました。1911年に形式称号が定められ、手用制動器付はフタ、鋼製はテタ、フテタとなりました。

セム1000は9t積テタ3600.4882形から大正3~6(1914~1917)年度に一旦13t積テタ6450形に改造され、大正6~9(1917~1920)年度に再改造されテタ15000M44形になり、昭和3(1928)年の改番でセム1形になったグループでセム655~2181の仲間でした。一方、セム1は1~2181の仲間とともに明治末期に鉄製炭車(テタ)として製造され、大正期に増トン工事が行われ、現在の形態となり、昭和3(1928)年の改番でセム1形になりました。

石炭採掘、輸送の最盛期には3200両在籍し、長らく北九州の石炭輸送に活躍しましたが、昭和29(1954)年から計画廃車が開始され、1978年に消滅、セム1とセム1000の2両のみが保存されました。

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セム1は炭庫が全鋼製で空気ブレーキが装備されているのに対して、セム1000は炭箱上半分が木板で貫通管はあるものの空気ブレーキは装備されていないという違いがあります。

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2020年9月 1日 (火)

直方市石炭記念館の蒸気機関車 C11 131号機

直方市石炭記念館の保存車輛、今回はC11形式131号機です。

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2017/10/14 訪問したときはSL愛好家団体汽車倶楽部による修復作業の真っ最中でした。

沖田祐作氏の機関車表データによると
1938-2-22 日本車輛名古屋工場 製番566
門司局配属
1955-8-1現在 直方
1962-3現在 直方
1964-4-1現在 門司
1970-10-1休車
1971-1-7(1-29?)廃車 門司 名古屋の日本車輛製造で1938年2月に製造され、門司局に配置後、廃車になるまで九州北部で石炭輸送に活躍したようです。

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この機関車の修復作業に関しては汽車倶楽部のサイトによれば2017年9月から2018年3月まで行われ、2018年4月29日に完成お披露目会が行われたとのことです。修復作業の様子がサイトに詳報されていますが、腐食箇所を修理、ガラスは自作して補修、ボイラーの修復こそしないものの、展示静態車両として徹底した修復がなされていることがわかります。

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2020年8月31日 (月)

直方市石炭記念館の蒸気機関車 Koppel 32号機

2017年10月15日記事でアップしたように、2日目のメインは博多駅でのクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」の撮影と直方の石炭記念館訪問でした。同記念館の詳細は2018年1月13日からの記事としてアップしました。

171014 2017/10/14 直方市石炭記念館とその前庭に展示されているKoppel32号機

今回はKoppel製32号機について触れてみようと思います。

Koppel社は正式には オーレンシュタイン・ウント・コッペル (Orenstein & Koppel OHG) 社(以下O&K)といい、1876年4月1日、ベンノ・オーレンシュタインとアルトール・コッペルにより、ベルリンで設立されました。創業当時は一般的な製造業社でしたが、早い段階で鉄道分野に参入、蒸気機関車、貨車、客車の製造を手がけ、さらには建設用削岩機、貨物船、地ならし機、クレーン車、エスカレータなどの製造にも手を広げました。日本には1910年代、軽便鉄道ブームが起こった際に軽便鉄道用機関車が多く輸出されました。ドイツではドイツ帝国軍へ軍用機関車を納入するために設備が拡張されて行きました。

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煙室扉の中心がボイラーの中心と合っていないのもこの機関車の特徴

Dsc09986_20200830093301 小回りが効き、後方視界も良く、バック運転も楽なことから重用されました。

Koppel32号機は宮田町(現、宮若市)にあった貝島大之浦炭坑が同炭鉱の専用線用の資材運搬用機関車として1925年に輸入しました。1C1軸配置のタンク機で日本に輸入されたKoppel機の中でも最大級(50t)の機関車です。
同機は1976年8月の閉山まで活躍し、1977年4月に石炭記念館に移設されました。

ドイツにおけるO&Kは第一次世界大戦におけるドイツ帝国の敗戦、崩壊、ベルサイユ条約で軍用軽便鉄道の接収、製造産業と軍隊規模の制約を課されました。1925年の終わりから3ヶ月間の操業停止を課せられたものの、以後取引状況は改善し、1930年代にはタイプ50シリーズの蒸機、狭軌用、標準軌用の蒸機を製造、ディーゼル機関車の製造も開始し、ドイツ国営鉄道にも納入されました。

ナチスドイツ統治化、ヒットラーのアーリア化政策で1935年、O&Kと関連会社の株式の強制売却、1941年には政府の信託理事会の管理下に置かれました。この時代はMBAという呼称でした。ベルリンの空襲が始まると設備はすべてプラハに移転しました。第二次世界大戦後の東ドイツ時代はVEBと改名、蒸機の製造も開始しました。
しかし1981年には鉄道事業から撤退、1996年にはエスカレーター製造部門をフィンランドのコネ社に売却、建設機械部門はFiatグループに売却され、2006年にベルリン工場はその歴史の幕を閉じました。

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2020年8月28日 (金)

公園保存蒸機 中間市垣生(はぶ)公園に保存されているC11 260号機

2017年10月の九州北部旅行で訪問した公園保存蒸機、今回は筑豊本線筑前垣生駅から徒歩5分ほどの垣生公園に保存されているC11形260号機です。

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2017/10/14 雰囲気のある、木造駅舎の筑前垣生駅

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関東の人間には中間市といってもあまり馴染みが無いかもしれませんが、北九州市八幡西区の西、遠賀郡遠賀町、水巻町に隣接しており、かつては筑豊炭田の一角をなした場所で、炭鉱の閉山等により人口が大きく落ち込んだこともありましたが、最近は北九州都市圏のベッドタウンとして再生しているようです。市のほぼ中心を遠賀川が流れています。また丘陵はかつてのボタ山です。1889年に中間村と岩瀬村が合併し、長津村となり、1922年に町制施行で長津町、1924年に町名変更で中間町に、1932年に中間町と底井野村が合併、1958年に市制施行で中間市となりました。

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Dsc00069 赤い欄干の太鼓橋と垣生神社参道

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この辺りは遠賀川の形成する肥沃な遠賀平野に位置し、古代より稲作が盛んだったことから、遠賀川式土器や弥生時代の農耕文化を伝える遺物が多数出土しています。垣生公園内にも古墳群(垣生羅漢百穴)があり、また約2000本の桜が咲き誇ることから市内外から多くの人々が集まる花見スポットとなっています。

Dsc00076 訪問したときは整備の直後だったのか、大変美しい姿でした。デフレクターは切取式K-7です。

Dsc00093 砂箱が角形、蒸気ドームが丸形という変形機です。半田駅横の265号機も同様の形態でした。

Dsc00074_20200827192101 沖田祐作氏の機関車表による履歴では
1944-3-29 日本車輛名古屋工場 製番1521
当初配属先不明
1955-2頃 小倉工場で切取式除煙板K-7装備
1955-8-1現在 佐々
1962-3現在 佐々
1964-4-1現在 佐賀?
1970-9-1全検
1971-3-31現在 早岐
1972-3-31現在 熊本
1974-5-3行橋
1974-7-17休車
1974-8-20廃車 行橋   とあり、デフレクターは九州に転属してからのようです。

C11の中では247号機以降の4次形に属します。資材と工数の省略から砂箱、蒸気ドームとも角形がこのグループの特徴(戦時設計形)ですが、後年の装備改造で丸形に改造された機もあるようですが、260号機の場合は砂箱までは手が回らなかったのでしょうか?

  • C11 22・23(製造番号268・269)
  • C11 57・58(製造番号334 - 335)
  • C11 69 - 71(製造番号336 - 338)
  • C11 102 - 104(製造番号467 - 469)
  • C11 110 - 112(製造番号486 - 488)
  • C11 126 - 132(製造番号561 - 567)
  • C11 215 - 246(製造番号973 - 984・1108 - 1119・1167 - 1174)
  • C11 252 - 265(製造番号1221 - 1228・1251 - 1256)
  • C11 268 - 381(製造番号1343 - 1372・1380 - 1408・1418 - 1472)

日本車輛製造でつくられたC11形は全部で180両で汽車製造の60両、川崎車輛の88両、日立製作所の53両に比べダントツに多い両数です。


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九州のC11に見られる炭庫の前照灯脇の通風孔が特徴です。
他では広島イオンモール府中に保存されている189号機があり、同機の記事にありますがC12形でも通風孔を持つものがあります。

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直方市の汽車倶楽部とは九州各地に保存されているSLの定期保守を行っておられるNPO法人でWEBサイトにその活動の様子があります。

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2020年8月27日 (木)

公園保存蒸機 北九州市(黒崎)桃園公園に保存されているD51 244号機

2017年10月、新幹線博多車両基地の公開イベントに参加するため福岡県を訪れました。その際に県内各所の公園で保存されている車両に関して紹介します。この旅行の関しては同年12月29日から2018年2月26日までの間、間に別の話題を数件挟みながら、詳報してあります。

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2017/10/14 黒崎駅南口

Dsc09823 国道3号

Dsc09820_20200826184201 市立児童文化科学館前が最寄りのバス停

Dsc09821 桃園公園の奥にある北九州市立児童文化科学館

Dsc09785 ドームはプラネタリウムでしょうか。

最初は国道3号線に沿って並行する鹿児島本線の八幡駅と黒崎駅のほぼ中間に位置する桃園公園に保存されているD51形244号機です。黒崎駅から国道3号を走るバスで現地に向かいました。

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前照灯のガラス欠損、ナンバープレートがレプリカであること以外は塗装がだいぶ劣化していますが、よく整備されています。

沖田祐作氏の機関車表データによると
1939-12-16 国鉄大宮工場 製番14
東京局配属
1939-12-20配置 国府津
1944-8-24広島第一
1953-4-2柳井
1958-10-1長崎
1961-9-28門司
1970-4-9全検
1972-3-15休車
1972-4-28廃車 門司 とのことです。

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履歴を見ると広島工場で整備された時代が結構長いですが、広島工場特有のㇵの字エプロン、前台枠埋め込み尾灯といったスタイルではありません。

浜寺公園に保存されているD51 469号機が1940-1-22 国鉄大宮工場 製番15ですので、年末、年始で製造年は違いますが兄弟関係にあります。以前、D51516号機の記事で纏めてありますが、大宮工場では30両のD51が製造されました。

1938年度 D51 187 - 194(製造番号1 - 8)
1939年度 D51 195 - 198・243 - 244・469 - 472(製造番号9 - 18)
1940年度 D51 506 - 515(製造番号19 - 28)
1941年度 D51 516・517(製造番号29・30)

Dsc09815 デフレクター後方の潤滑油の6連バルブはランボード上に枕木方向に並び、カバーが掛けてあります。

Dsc09792 逆転器モーションリンクプレートの穴は小穴タイプ、白く塗装されています。一方、砂管のパターンは187、469、513、516などと共通のパターンです。

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潅水清浄装置はキャブから少し離れて取り付けられています。

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炭水車の尾灯は欠損しています。

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キャブ内も立ち入り可能でしたが、メータ類のガラスはありませんでした。

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2020年8月26日 (水)

小湊鉄道 五井機関区の保存機 その3 小湊鉄道B10形4号

小湊鉄道五井機関区の保存機関車、最後はB10 4号です。

Dsc08135  2017/8/27 五井機関区

この機関車はC型タンク機の1号、2号とは異なり、B型、四輪連結十輪タンク機関車です。製造元や小湊鉄道に入線する履歴に関しても1,2号機とは異なります。

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元は英国のベイヤー・ピーコック社1894年に製造したテンダ機Pbt2/4形で製造番号は3641です。1895年日本鉄道が輸入し、94号機となりました。宇都宮機関区、上野営業事務所などで活躍し、1910年、形式称号改正で5500形5507号となりました。

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5500形は官設鉄道や日本鉄道により、1893年から1898年にかけて数次にわたって輸入されています。最初は1893年製の6両AF(226-231、組立完了時には142-147に)(製造番号3597-3602)で、東海道線の増強用でした。1898年に二―ルソン社製の5630形とともにD6形に改められました。

1894年には3640-3651の12両、1897年には3889-3924の36両、1898年には4014-4025の12両が日本鉄道により、輸入されました。東武鉄道でも1898年製4026-4035の10両を輸入し、B1形(3-12)としています。これらのうち、6両(7-12)は後年、総武鉄道に譲渡され、16-21に改番されました。1906年の鉄道国有化法で日本鉄道、総武鉄道は国有化され、1909年制定の鉄道院の車両形式称号規程により、官設鉄道のD6、旧日本鉄道のPbt2/4、旧総武鉄道の16-21は5500形となり、それぞれ5500-5505、5506-5565、5566-5571に改番されました。

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1枚目の写真と4枚目の写真を較べるとわかりますが、タンク機に改造された際に装着された側水槽の形が左右で異なるのもB10の特徴です。右側が前方上面を斜めに切り落とした五角形、左側が右側よりやや長さの短い四角形でこれは当時、真空ブレーキから空気ブレーキに変化する過程で空気ブレーキ用のコンプレッサーや空気タンクを取り付けるスペースを確保するための措置でした。この改造で運転整備重量は34.07tから48.43tに増加、軸重も11.62tから13.24t(第一動輪上)に増加しました。

Dsc07988

ローカル線の開業でタンク機の需要が大きくなったため、1929年から1930年にかけ、5500形に側水槽を新設、運転台後方に従輪を追加し、炭庫を設ける工事が国鉄大宮工場にて実施され、2Bテンダ機から2B1タンク機に改造されB10形となりました。このとき、10両 (5506, 5507, 5510, 5512, 5515, 5527, 5534, 5557, 5558, 5565)が改造されました。なお、こういったテンダ機からタンク機への改造は大正時代後期から行われており、5300形を改造した960形、6350形を改造した1000形(2代)、6200形および6270形を改造した1070形などがあり、

新旧番号の対象は5506, 5558, 5512, 5507, 5527, 5557, 5565, 5510, 5515, 5534 → B10 1 - 10 となっています。

改造後は千葉、八王子で活躍、1936年には陸軍千葉兵器支廠に譲渡されました。終戦後の1946年11月、小湊鉄道に貸渡され、1949年正式に譲渡され、1951年2月まで活躍しました。1938年からB10形の私鉄への譲渡が始まり、B109とB1010がラサ工業に、1943年にはB106が東洋埠頭に譲渡されました。一方、国鉄に残ったB10は1950年までに全廃となりました。

主要諸元
全長:11,378mm 全幅:2,061mm 全高:3,672mm
運転整備重量 48.43t 空車重量 36.3t
最大出力 550馬力
実用最高気圧 12.0kg/cm²
汽筒および衝程 406mm×559mm
制動機の種類 手用および空気制動機
連結器の種類 シャロン自動連結機
火床面積 1,330m²
焔管(径×長さ) 45.0mm×3.229m×152本
伝熱面積 73.0m²
水槽容量 6.530m³
燃料櫃容積 2.2m³

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2020年8月25日 (火)

小湊鉄道 五井機関区の保存機 その2 小湊鉄道2号機

今回は昨日の1号機と同時に導入された2号機です。
主要諸元のデータは1号機と同じです。

Dsc07983 2017/8/27 公開中の小港鉄道2号機 連結器は自連に交換されています。

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ボールドウィン機関車会社Baldwin Locomotive WorksBLW は1825年に 宝石や銀細工職人のマサイアス・ウィリアム・ボールドウィンがペンシルバニアで創業した鉄道車両会社で当初は製本機や平織り綿布(キャラコ)の捺染用のシリンダーを製造しましたが、自分用に小型の定置機械を製作するようになり、動力源として蒸気機関に関心を持つようになり、1831年にはフィラデルフィア博物館の要請で展示用小型機関車を製作しました。それがきっかけとなり、フィラデルフィア郊外の支線で使用する小型の機関車の製造を受注しました。

イギリスでリチャード・トレビシックにより、世界初の蒸気機関車が発明されたのは1802年、ジョージ・スティーブンソンのロコモーション号は1825年ですので、既にアメリカのカムデン・アンド・アンボイ鉄道(C&A)にはジョージ・スティーブンソンの息子のロバート・スチーブンソン製の蒸気機関車が輸入されニュージャージー州ボーデンタウンに保管されていました。尤も、マサイアス・ウィリアム・ボールドウィンが訪問した際はまだ組み立てられておらず、部品の寸法を測定したそうです。

当時、蒸気機関車を製作するための工具すら存在せず、大変な苦労のもとに部品の製造から始め、最初の機関車「オールド・アイアンサイド」「剛の者」が完成し、1832年11月23日、フィラデルフィア・ジャーマンタウン・アンド・ノリスタウン鉄道において試運転されたのちに営業に就き、20年の長きにわたり使用されました。

日本向けに蒸気機関車を輸出し始めたのは1887年で、日本の鉄道開通の15年後でした。


Dsc07984
その後、1928年には世界最大の機関車製造会社にまで成長しました。
ボールドウィンの経営は多角的で、機関車製造の傍ら、銃の製造も行い、蒸気機関車のみならず、電気機関車、ディーゼル機関車と手を広げましたが、それが市場占有率の低下を招き、1956年には機関車製造から撤退することになりました。以降は建設機械の製造に特化するボールドウィン・ライマ・ハミルトン社となりましたが、1965年にアーマー社の完全子会社となり、1970年にはグレイハウンド社がアーマー社を買収、1972年にはグレイハウンド社によってボールドウィン・ライマ・ハミルトン社は閉鎖となりました。

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2020年8月24日 (月)

小湊鉄道 五井機関区の保存機 その1 小湊鉄道1号機

2017年8月27日、小湊鉄道のキハ5800形の公開イベントが行われ、五井機関区に保存されている同鉄道会社の創業期に活躍し、保存されている蒸気機関車を見学する機会に恵まれました。

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2017/8/27 五井

機関区には現在の小湊鉄道の主力気動車であるキハ200形気動車14両、JR東日本より譲渡されたキハ40形気動車2両、DB4形ディーゼル機関車1両、ハフ101、デハ101・102、クハ101号客車が所属し、さらに今回からの記事で紹介予定の開業時から1962年まで使用されていた蒸気機関車3両(1号、2号、B104号)、そして1997年まで活躍したキハ5800形が保存されています。

2016年11月18日、機関庫および鍛冶小屋が国の有形文化財に登録答申され、2017年5月2日に正式に登録されました。

Dsc08076 3両の保存蒸機機関車 右から1号、2号、B104号

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Dsc08133

最初は1号機関車です。1924年(大正13年)にアメリカのボールドウィーン社が製造した57776号を輸入したものです。

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Dsc07979

Dsc07980

形式は六輪連結十輪タンク機関車で最大寸法は全長:9,867mm、全幅:2,717mm、全高:3,352mm、運転整備重量37.93t(空車重量、30.1トン)、最大出力は712馬力、実用最高気圧11.5kg/㎠、汽筒および衝程は381mm×508mm、制動機は手用および蒸気制動機、連結器はマルコ式自動連結機、火床面積は1,480m²、焔管(径×長さ)は44.5mm×2.744m×152本、伝熱面積は65.40m²、水槽容量は3.785m³、燃料櫃容積は2.785m³(これらのデータは同社のWEBサイトから)

Dsc07993 キャブ内も見学できました。

Dsc08127 ナンバーに関しては1号機は炭水車に、2号機は先頭部に表示されていました。

1956年まで活躍しました。

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