速報 予土線の旅
12月22日は、宇和島から窪川まで予土線に乗車し、さらに高知へ抜けました。
早朝、夜明け前でしたが、6時11分発の窪川行きに乗車しました。
予土線の宇和島発は一日に窪川までが6本、近永までが5本、江川崎までが2本です。なので、この列車を逃すと窪川までは9:39発までありません。
西宇和島で予讃線と別れます。右が予土線。 (写真は21日の近永往復の際に撮影したものです)。
当日は風に雪が舞うこの季節の四国としてはえらく寒い日でした。宇和島発車から、江川崎までは乗客は私1名、あとは運転士と初発列車で線路の状態を監視されているのか、作業服姿のJR職員1名という状態でした。
途中、吉野生で宇和島行きの列車と交換 2連の後は海洋堂ホビートレインでした(慌てて撮ったため、画像が乱れました)。
予土線の中核駅 江川崎では7:19着、40分発で21分の長時間停車。
四万十市は2013年8月12日に観測史上最高気温41℃を記録した「日本で最も暑い場所」なので、駅にも「日本で最も暑い駅」とありましたが、この日は非常に寒かったです。また、らぶらぶベンチという風変わりなベンチもありました。以前、テレビで紹介されているのを見た憶えがありましたが。
江川崎から先はこれまでの軽便鉄道区間とは違って、1974年3月1日に開業した高規格路線となるため、四万十川沿いを高速で走ります。
この辺には面白い駅名が多く、順序は逆ですが「若い(若井)と言われ喜び、ハゲ(半家)と言われて怒り出す。大正(土佐大正)、昭和(土佐昭和)があって、なぁーせ(方言で何故)明治(、平成と続くことも)がない」などという唄もあるそうで。
土佐大正を過ぎるあたりから乗客が大量に乗ってきて、座席は全部埋まる状態に。さらにそれまでは四万十川の蛇行に沿って線路が敷かれていましたが、蛇行を無視してトンネルで突き抜けて行くように走り出しました。
川奥信号所で交換した土佐くろしお鉄道の列車(TKT-8012)
川奥信号所で中村線と合流になり、若井駅を過ぎて終点の窪川駅に到着します。中村線は1963年12月18日に窪川~土佐佐賀間が開業しましたが、1968年9月国鉄赤字83線に指定され、1970年10月1日、中村までの全線開業するも、国鉄分割民営化の1年後の1988年4月1日にJR四国から土佐くろしお鉄道に移管されました。川奥信号所から窪川駅までは土佐くろしお鉄道の管理となりました。
そういった関係から青春18切符などでこの区間を通過する際は210円を土佐くろしお鉄道に支払わなければならないそうです。
ただ、車内検札があるわけでもなく、窪川でそのままJR土讃線に乗り換えても誰からも呼び止められることがないので、結構、料金の徴収漏れがあるのではと感じました。
窪川から高知まではJR四国の1000形DC(1036)でした。
窪川では江川崎で滞留し、朝一番の列車で窪川にやってきていた鉄道ホビートレインキハ32 3と再度対面
この後、土讃線DCに約2時間乗車して、快晴の高知に到着しました。
明日の記事では高知の路面電車事情を紹介したく思います。
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