通勤電車シリーズ 205系 16 E231系の登場と中央・総武緩行線からの撤退 part2 南武支線101系の置き換え
南武支線、尻手~浜川崎間4.1kmは1930年3月25日、南武鉄道の浜川崎支線として開業しました。当時の駅は八丁畷、川崎新町、新浜川崎でした。旅客営業が開始されたのは同年4月10日でした。1944年4月1日、1941年に公布された改正陸運統制令により、南武鉄道は買収され国有化されます。同じタイミングで青梅電気鉄道も国有化されました。1954年3月21日、尻手駅付近の高架化、1976年3月1日の東海道貨物線浜川崎~鶴見間開業で風景が変化しました。2016年3月26日、川崎新町~浜川崎間に新駅として小田栄駅が開業しました。一方、1971年には浜川崎と川崎を結んでいた貨物線が廃止されており、市域の開発、人口増加の著しい川崎市はこの廃止された線路を川崎アプローチ線として復活させ、臨海部の活性化につなげたいとの構想を打ち出しているようです。
撮影年代不詳(1978年頃) 尻手 クハ16007
クモハ11(番号不詳)
1977年の配置データによると 西ナハにクモハ11は222、244、248、270、クハ16は003、007、211、215がいました。
これら南武支線の旧形国電は1980年に101系2連に置き換えられており、
1983/2/19 尻手 当初は南武線と同じカナリア・イエローの2連でした。
2001/12/31 独自色の101系2連
2002年4月1日時点で南武支線用101系は
ワ1 クモハ101-130+クモハ100-172
ワ2 クモハ101-180+クモハ100-145
ワ3 クモハ101-188+クモハ100-186 の3編成が配置されていました。
205系1000番台投入後も101系2連は活躍していましたが、2003年11月28日を以って定期運用を終了、2005年8月1日にクモハ100-172、クモハ101-130が廃車されたことで形式消滅となりました。
三鷹区に配置されていた205系、ミツ15、ミツ16編成の8連化で抜かれたモハユニット、モハ205/204-279、-282は運転台を設置、クモハ205/204-1001、-1002の2連(ワ1、ワ2)となり、南武支線に2003年4月に投入されました。改造工事は2002年3月29日、鎌倉総合車両所で竣工しました。
2010/9/19 八丁畷 南武支線開業80周年HM ワ1編成
2014/6/22 小田踏切 ワ2編成
205系モハユニットからクハ205/204-1000番台への改造では、種車の妻構体を撤去し、強化フレームを溶接、そこにフェノール発泡体を織り込んで強化したFRP製の前面ユニットを取り付ける先頭車化工事の他、車外スピーカー、車外ブザーの取り付け、クモハ204にSIV(SC72、160kVA)の設置、助手席側へのワイパー設置、ワンマン運転対応のため、運転台にドア開閉SW、クモハ204の助手側に自動放送装置、ルームミラー、自動放送装置と連動したワンマン誤開扉防止装置の設置等が行われました。 2018/12/24 ワ1編成 クモハ205-1001の運転台
乗務員設備の配置等は209系やE231系のスタイルを基本とし、運転台、前部上部、仕切り等がそれぞれユニット化されています。主幹制御器、ブレーキ設定器は左手操作型ワンハンドル・マスコンとなっています。順番は前後しますが、こういったクモハ205/204-1000番台の運転台取り付け改造は同じ2002年3月29日に鎌倉総合車両所で竣工した鶴見線用クハ205-1101(サハ205-161を種車とする)先行改造車での実施例を踏襲して施工されました。鶴見線用205系3連の本格的改造は2004年から郡山、秋田各車両センターで施工されました。相方となるクモハ+モハユニットの改造工事が終了するまでの2年半弱、クハ205-1101は鎌倉総合車両所で保留車状態でした。
表 1999年 サハ204 6扉車のハエ8編成への連結
クハ205-1101先行改造の種車となったサハ205-161はどこから来たかというと、1999年8月6日から川越区のハエ8編成に、1996年3月の改正に向けて山手電車区からはヤテ42編成が転出した際に休車となった試作車サハ204-902が組み込まれ営業運転が開始されました。このときにハエ8編成から抜かれたのがサハ205-161でした。
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