山手線環状運転100周年記念の復刻ラッピング編成を撮影 part1 トウ39編成
現在、山手線は一周約35㎞、全30駅で1周するのに約1時間を要する路線となっていますが、始まりは日本初の民営鉄道会社だった日本鉄道が1885年3月1日に品川~赤羽間の品川線として開業した路線でした。開業の目的は下町を避け、関東地方内陸部と横浜港との間の貨物輸送でした。1903年4月1日、常磐炭田からの石炭を運ぶ土浦線(1901年に海岸線、現在の常磐線)と品川線を結ぶ池袋∼田端間の豊島線が開通しますが、品川線が開通したときに現在の池袋駅はなく、目白駅で豊島線と合流する予定でした。しかし、目白駅は谷間・掘割の駅で拡張が困難であり、周辺住民も駅の拡張には反対でした。目白と池袋の中間に雑司ヶ谷駅を設け、そこで合流する案がでましたが、実地測量すると1895年に巣鴨に移転し、1897年に巣鴨監獄となった旧石川島監獄署にあたることが分かり、もう少し北の池袋に新駅を作り、合流させることにしました。豊島線には王子道と交差する地点に大塚駅、中山道と交差する地点に巣鴨駅が設けられました。このために現在の山手線の線路は目白駅と巣鴨駅を結ぶ直線から池袋方面に北へ迂回するようになっています。1909年10月12日、各鉄道路線に路線名が付与されることとなり、品川線と豊島線が統合され山手線となりました。尤も、品川~赤羽間が山手本線、旧豊島線は山手支線と呼ばれました。同年12月16日、烏森駅(現、新橋駅)が開業し、烏森~新宿~上野駅間の「C」の字運転が始まりました。品川~烏森間は京浜東北線の線路に山手線が乗り入れる形でした。
1919年1月、中央線と山手線を結び吉祥寺~東京~品川~新宿~上野という「の」の字運転が開始されますが、1925年11月1日、東京~秋葉原間の高架線が開業、東京~上野間が複線化され、「の」の字運転は終了、山手線の環状運転が開始されました。
今年、11月1日で環状運転開始から100周年ということでJR東日本は「つながる山手線フェス 環状運転100周年」を開催、10月4日から11月3日まで山手線に103系と205系の復刻ラッピング編成が登場しました。
山手線の電車、幼稚園時代に高田馬場駅でブドウ色の72系を見た記憶はあります。その後、1961年9月から1969年4月にかけてカナリア色の101系が走っていたのはしっかり記憶しています。線名の表示は「山手」でした。1963年12月に103系が登場したときは鮮やかな鶯色に驚き、103系の走行音、スカーという空気が抜ける音にも驚いたものでした。
高校時代頃から鉄道写真を撮り始め、103系の写真撮りましたが、まともな写真はあまりありません。それでも1編成しかなかった試作冷房車、そしてわずか1年の活躍だった低運転台量産型冷房車はしっかり撮っていました。
撮影年月日不詳 鶯谷 15編成
撮影年月日不詳 新宿 臨1編成 試作冷房車編成
1973/3 新宿 低運転台タイプの量産冷房車 イケ2編成
撮影年月日不詳 御徒町 高運転台ATC準備工事車 15編成
103系の活躍は1988年6月26日までで、この頃、私は西ベルリンに留学していました。
2025/10/14 原宿 トウ39編成
2025/10/18 西日暮里 トウ39編成
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