しなの鉄道の115系、色物シリーズ、今回はS16編成とS26編成が纏っている横須賀色です。
2018/8/31 長野 S16編成
1月8日の記事でも紹介しましたが、横須賀線を走る車両はクリーム色と青色の塗り分けになっています。この塗色が採用された経緯は1940年に開催される予定だった東京オリンピック(戦争により中止)のイメージカラーを転用し、当時の国鉄副技師長のコメントにあるように「海に近い地域を走るので砂浜のクリーム色と海の青」を意味してのものだったようです。
この色、当初はクリーム色1号と青2号の組み合わせで、1949年12月のモハ32028の塗装試験(前面と右側は窓回りと扉がクリーム色に幕板・腰板を藤色、左側は窓回りと扉が橙色で幕板・腰板を薄緑、連結面は本来のぶどう色1号で窓回りが左が黄色で右が灰色となり、「お化け塗装」と言われたそうです)が始まりとのことで、1950年1月頃登場した更新修繕車から続々塗り替えられ、1962年の外部塗色標準化でクリーム1号と青15号の組み合わせに変更されたそうです。この更新修繕は東海道線区間で平行する湘南電車に80系が投入されるにあたり、横須賀線電車の格差を是正するために緊急に整備されたもので、元々二等車で比較的状態が良かったサロ45形は塗色変更のみに留められましたが、それ以外の車両は外部塗装を剥離、横須賀色に変更、内装の木部の洗浄、ニスの塗り直し、座席の復旧整備、鋼板製プレスドアへの変更等が実施されました。
以来、32系に続き、40系、42系(モハユニ44形)、50系(サハ75形)、51系(モハユニ61形)、52系(サハ48形)、70系、80系(サロ85形)、111系・113系、E217 系、E235系がこの塗装(帯色)を纏っています。
現在、E235系1000番台への置き換えが進行中のE217系からはステンレス製車体に窓上、窓下に横須賀色の帯を纏うスタイルとなりましたが、デビュー時は従来と同じクリーム1号と青15号でしたが、更新車では青色が明るい色調の青20号に変更となりました。E235系1000番台もE217系の更新車と同じクリーム1号と青20号の組み合わせとなっています。

2020/12/28 長野 湘南色と横須賀色が並ぶ光景は湘南横須賀分離前の東海道線を彷彿させます。
S16編成はクモハ115-1072+モハ114-1170+クハ115-1215から構成されており、1980年3月4日、日立製作所で竣工しています。新製配置は松本運転所でした。1986年の編成表ではR10編成、1993年の編成表ではR8編成で、1993年2月10日に初代長野色に塗装変更されています。2002年の編成表では長野総合車両所に転属しており、同所のN1編成となっています。1999年3月29日に大宮でリニューアル改造を受けており、2002年3月29日にはパンタグラフがシングルアームに変更されています。2007年12月18日に長野工場でATS-P取り付け工事、2010年7月7日、EB装置取り付け工事が施工され、2015年3月にJR東日本からしなの鉄道に譲渡されました。2017年7月16日に、横須賀色に塗装変更されました。
2018/9/2 小諸 S26編成
S26編成はクモハ115-1076+クモハ114-1512から構成され、改造前はモハ114-1182でした。1981年6月19日、川崎重工で竣工、新製配置は北松本で、O4編成としてR編成への増結用編成でした。1988年2月17日、長野工場で改造を受け、先頭車化、引き続きO4編成で1991年4月22日、初代長野色に塗色変更、1994年5月18日に二代目長野色に塗色変更、2002年の編成表では長野総合車両所のN53編成に、2001年3月11日、トイレの設置、2002年12月17日、パンタグラフのシングルアーム化、2008年3月27日,ATS-P取り付け工事、2008年8月8日、EB装置取り付け工事が施工されました。2013年3月にしなの鉄道に譲渡、2015年9月19日、しなの鉄道色に塗装変更、そして2018年10月12日に横須賀色になりました。

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