2016年9月2日から4日にかけての関西訪問で阪和線鳳駅から出ている羽衣線を訪問しました。
1980/12/13 鳳駅
この頃は純正Mc-M'-T'cの3連が投入されていました。
同線は運行距離1.7km、所要時間3分とJR6社でも最も運転距離の短い営業区間です。
開業は京阪電気鉄道や大阪商船が出資した阪和電気鉄道が浜寺に存在した海水浴場への旅客輸送を目的に1929年(昭和4年)7月18日、阪和天王寺-和泉府中間(約20.92km)と同時に開業しました。東羽衣駅の開業時の駅名は阪和浜寺駅で、本線上では阪和天王寺駅(現在の天王寺駅)・南田辺停留場・臨南寺前駅(現在の長居駅)・杉本町停留場・仁徳御陵前停留場(現在の百舌鳥駅)・上野芝駅・鳳駅・信太山停留場・和泉府中駅が開業し、最初から全線複線電化でした。
1985/4/21 鳳駅
1940年12月1日、阪和電気鉄道は南海鉄道に吸収合併され、同社の山手線となりました。阪和浜寺駅も山手羽衣駅に改称されました。1944年5月1日は国有化され阪和線となり、山手羽衣駅は東羽衣駅となりました。同年8月1日には同区間は単線化されました。戦時中の鉄の供出のためでしょう。1951年7月15日から8月19日にかけて天王寺駅から東羽衣駅まで海水浴臨時列車が運行されています。1974年8月31日、鳳駅から東羽衣駅にかけては現在のような高架となりました。これは途中の第二阪和国道(国道26号)の踏切をなくす為のものだったと思います。
2008/12/12 鳳駅
1989年10月20日、同区間はワンマン運転区間となりました。2010年3月、同区間もATS-P化がなされました。
同線で活躍する車輛は旧国の引退後は103系の3連、123系+103系、そして103系の3連という歴史をたどっています。123系は手荷物・郵便輸送の廃止、縮小で余剰化した荷物電車を旅客化改造したもので、1986年から1988年にかけて投入され、羽衣支線でもクモニ143から改造のクモハ123-5,6が活躍しました。ラッシュ時にはクハ103-194を併結した3連という編成形態で運行されました。123系は1995年にクモハ84形を置き換えるため、岡山電車区に転出し、再び103系3連に戻りました。
2016/9/3 鳳駅
←鳳 東羽衣→
Mc M' T'c
5 78 545
26 111 538
109 237 541 1979年4月1日時点
5 78 541
6 79 545
47 143 538 1984年4月1日時点 3連を併結して6連で本線でも運用
5 78 541
6 79 545 1986年11月1日時点
Tc103 Mc123 Mc123
194 5 6 1993年4月1日時点
Mc M' T'c 1997年4月1日時点
23 105 26 L101 L101の検査時には本線用4連J402を3連にして充当
2503 396 162 2009年10月1日時点
阪和線時代は撮影していませんが、岡山に転属後の123系は倉敷で撮影していました。
クモハ123-5
クモハ123-6 二枚とも2002/3/29 倉敷駅
阪和線時代は運転台の妻面が黒く塗られていました。
続きは明日の記事にて。
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