2015年11月 7日 (土)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part2 MT46

前回は吊り掛け式モーターの話題でしたが、今回からは新性能電車に搭載された電動機の話題です。

Mt46_150822
101系など新性能電車第一期車両に搭載されたMT46電動機

101_7803 お茶の水に接近する中央快速101系 1978/3

1957年登場の101系から始まる新性能電車用に東洋電機製造が原設計を担当し、試作車に搭載した直流直巻整流子電動機がMT46形、量産車からはMT46A形となりました。

                      1時間定格    連続定格
出力 kW                          100                  85
電圧 V                           375                 375
電流  A                        300                255
回転数rpm 全界磁              1860      2000
              弱め界磁              3180             3600  

旧形電車に用いられたMT40形に較べ高回転化することで、大幅な小型軽量化に成功し、重量は660kgで1/3に、端子電圧も並列接続時に4個直列となるので、375Vに下げられました。発電ブレーキ使用時には電圧が定格の2倍程度まで上昇するため低電圧化は必要でした。駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式となりました。

主制御器も新開発のCS12(試作)、CS12A(量産)となりました。2両分8個の主電動機を制御する多段式電動カム軸制御器で

制御電圧                   DC100V
制御空気圧力                5.0kg/cm2
制御段数         力行    直列全界磁 13段
                      並列全界磁  11段
                                               並列弱め界磁 4段
             ブレーキ   直列      13段
                     並列      11段

旧形に比較すると段数が増えて、電流変化が減り、運転が円滑になり、発電ブレーキの追加で制輪子の摩耗も減少しました。CS12形制御器はその後、1991年製の415系1500番台最終増備車まで長きに渡って製造されました。

101系試作車は全電動車方式で構成され、混雑度に応じて限流値を変化させ、3.2km/h/sと一定の加減速度が保てる応荷重弁機構が採用されていました。

限流値 空車時 350A 満車時 480A

架線温度の上昇や変電所容量 (10両全電動車でピーク時5600A) の問題があり、試作車営業運転からこの装置の使用は中止となり、乗車状態にかかわらず、限流値ハ280A、ピーク電流は編成あたり、3650Aと固定されました。

全電動車編成でありながら、100%乗車時の起動加速度は2.2km/h/sであり、旧形車6M4Tの100%乗車時の2.0km/h/sと大して変わらないこと、製造コストの高い全電動車方式から中間に付随車を入れ、8M2Tから6M4TへとMT比が下げられて行くことになりました。最終的に6M4Tが限界という結論に達し、中央快速線の場合、限流値は380A固定となりました。山手線は350Aになりました。

101系における全電動車方式が困難になった頃、新たな方式の通勤電車開発のために、1960年、電力回生ブレーキ付きの試作ユニット クモハ101-クモハ100 910番台が1組試作されました。まだ大容量半導体技術が未熟で磁気増幅器による回生方式だったため、制御機器の重量増、保守困難、回生失効が問題となり、導入は見送られましたが、このときに搭載されたモーターがMT50形でした。1964年には電装解除され、クハに改番され、1979年に廃車となりました。

特急形電車では1958年登場の151系がMT46A、1961年度以降の増備車は脈流対策済みのMT46Bとなりました。歯車比は3.50 (22:77)、弱め界磁率は35%でした。

151系時代の1962年6月のダイヤ改正で特急「つばめ」1往復が広島まで延伸されましたが、MT比1:1の編成では瀬野八越えが出力不足となるため、上り列車の広島~八本松間ではEF61が補機として連結されました。

1962年登場の161系では20‰の勾配が続く山岳線の上越線を走破するために157系と同様の歯車比 4.21(19:80) が採用され、主制御器も抑速ブレーキ装備のCS12Cとなりました。

東海道新幹線開業後の転用では151系と161系を共通化するため主電動機をMT46AもしくはMT46BからMT54 (120kW)に換装し、歯車比は3.50、弱め界磁率は40%に統一し、181系化する改造が行われました。制御器もノッチ戻し制御が可能で抑速ブレーキ付きのCS15Bになりました。

出力増強により、10‰勾配における均衡速度は120km/hに上がり、481系と同様になったため、山陽特急では補機連結が無くなりました。

この際に151系から降ろされたMT46A電動機の一部がその時点でまだ製造されていた101系に流用されました。

181_1815_7207_1s 既に181系化されたものですが、帯無し、長スカートと上部ライト付きと151系時代の面影を残すクハ181-5 1972/7 岡山

急行形電車では同じく1958年登場の153系、修学旅行用電車の155系、159系、特別準急電車の157系、交直両用の451系がMT46AもしくはMT46B(451系)で登場しています。153系も最盛期の東海道本線急行 (MT比1:1編成) が広島まで乗り入れる際には上り列車にEF61形電気機関車+オヤ35形控車の補機が連結されました。

これらの系列において歯車比は全て 4.21で共通です。

153_810103_10 保土ヶ谷付近を行く153系 1981/1/3

近郊形電車では1960年登場の交直両用の401系、421系ではMT46BとCS12Bで制御する方式で登場し、1963年111系がMT46A搭載で登場しました。しかし、ほぼ同じ時期に強力型モーターMT54が開発されため、403,423, 113系へ移行しMT46系搭載形式は短期間の製造に留まりました。

これらの系列の歯車比は 4.82 (17:82)です。

401 常磐線 401系 低運転台クハ先頭の4連 上野205_141018_2
奥の車両がデハ205 2014/10/18 高崎

これら以外に101系からの改造、主電動機などを流用した系列として、123系、クモヤ145形、クモル145形、クモユニ147形などがあります(関連記事123系145系)。JR東海の123系7両は、2001年にモーターがMT54に換装されました。

1201_060826_4 上信 デハ1201 2006/8/26 高崎

私鉄では小田急3000系(初代) SE車が東洋電機製造 TDK806/1-Aを搭載しており、規格性能は国鉄MT46Aと同じかと思います。上信電鉄のデハ200形も東洋電機製造 TDK806/4-Dを搭載しています。同社の1000系も改良型のTDK806/6-Gを搭載しており、出力は100kWです。同じタイプのモーターは静岡鉄道1000形にも搭載されています。こうして調べて行くと鉄道友の会 福井支部報 わだち No132に興味深い記事がありました。TDK806シリーズが国鉄では101系に私鉄では上記以外に伊豆急100形 (806/2-B)、京王井の頭線3000形初期車 (806/3-C)に搭載されていたことが分かりました。

101hm_150822今回の展示では101系さよなら運転時のHMも展示されていました。

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2014年11月28日 (金)

尾久車両センター公開 2014 その1 185系 A4編成 part1

2014年11月15日、尾久車両センター公開に行きましたが、速報版に続いて展示車両のレポートシリーズを立ち上げたく思います。

第1回目は185系A4編成です。

まずは185系基本番台の今日までですが、185系は1981年に運用を開始した国鉄最後の優等列車用の電車で、それまでの常識を破って普通電車(通勤型)から特急までの運用に対応できるように設計・製造されました。東海道線向けの基本番台は153系急行型電車の置き換え、1982年登場の200番台は耐寒耐雪装備や横軽対策を施し、165系の置き換えでした。両タイプ併せて、227両が製造されました。

185153_810523

再掲ですが、185系登場時、153系と併結されて普通電車で運用される姿 1981/5/23 東京

185_810523
こちらは急行「伊豆」で運用されるA3編成 1981/5/23 東京

185_810523_2
今は亡き12/13番線や11番機回し線、さらに0系新幹線が懐かしいです。3本のジャンパ栓は153系165系併結用のKE64形ジャンパ連結器で、現在は1本のみ残っています。

185系基本番台は田町電車区に配置となり、1981年3月26日から153系の付属編成を置き換える形で運用が開始されました。同年7月に0番台、115両が出揃い、10月1日からエル特急「踊り子」7往復での運用も開始されました。

185_811002_3
投入翌日の185系A1編成 特急「踊り子」 1981/10/2 東京

1985年3月14日、東北・上越新幹線が上野まで延伸開業し、「新幹線リレー号」が廃止となり、200番台4編成が新前橋から、田町に転属となりました。この異動で183系1000番台で運用されていた特急「踊り子」はすべて185系になりました。このときから、田町区の構成は10両グリーン車2両入りのA編成(A1~A8)、200番台7両編成のB編成(B1~B4)、5両付属編成のC編成(C1~C7)となりました。

1988年3月13日の改正で「新特急なすの」4往復が廃止されたことで、200番台1編成が新前橋から田町に転属となり、1990年3月10日の改正における「湘南新宿ライナー」の増発で2編成がさらに転属となり、B編成は7本となりました。

パンタグラフに関して、1989年度にB編成、1990年度にA6編成が中央東線の狭小トンネルに対応したPS24形に変更され、また1990年度にはC編成が追従性の向上を図ったPS21形に交換されました。

1996年、臨時特急「はまかいじ」運用のため、B4~B6編成にATC装置が取り付けられました。1998年サロ185形の座席がバケットタイプに交換され、1999年から2002年にかけてリニューアルが行われ、普通車の座席がリクライニングシートに、化粧板も交換され、仕切り扉もマットスイッチ方式からセンサー方式に変更され、外部塗装も斜めストライプから湘南色ブロックパターンに変更となりました。

2011年、特急「踊り子」運転開始30周年を記念して、7月14日全般検査を出場したA8編成は登場時の斜めストライプ編成での登場となりました。さらに2012年6月にはC1編成も斜めストライプ塗装に復元され、6月23日より運用を開始しました。現在、懐かしの斜めストライプ編成は、B2(2014/8), B7(2014/4), C4(2014/8), C6(2014/6)と変更されているようです。

185_c1_120715 A8+C1 斜めストライプ併結15連の特急「踊り子号」 2012/7/15 大船

20013年3月16日のダイヤ改正で田町車両センターは廃止され、185系は大宮車両センターに転属となりました。転属後も編成番号等はかわらなかったものの、改正前後から編成の変更や廃車が進められるようになり、B編成はB1編成以外からグリーン車が抜き取られ、さらにB2編成にB7編成のモハ185・184-231が組み込まれ、B2編成は8両に、B7編成は4両になりました。C編成ではサハ185-7が抜き取られ4両となりました。こういった編成変更はこれまで波動輸送に対応していた183/189系の置き換えであり、この夏、名古屋で偶然見かけたように「ムーンライトながら」などにも185系が投入されるようになりました。また同改正では長らく残っていた東海道線の伊東行き普通列車運用(521M)がE231系に置き換えられ、熱海~伊東間に縮小されました。

サハ185-7が2013年4月1日付けで最初の廃車になった他、B編成から外されたサロも7月24日、10月9日付けで廃車となっています。

2014年3月15日の改正では伊東線の普通列車運用も消滅し、編成単位での廃車が開始され、2014年5月13日付けでB1編成が廃車となりました。

10両編成はこれまでA1~A8編成でしたが、200番台のOM07編成にOM06編成からのモハ185/184-221サロ185-211を組み込んだOM07(II)編成2014年5月30日に大宮を出場しており、現在9本で共通運用しているようです。

185系200番台の国鉄時代の活躍に関しては昨年7月8日から12日の記事で触れましたが、基本番台は今回初めてだったもので、その登場から振り返ってみました。

次回は尾久公開での展示について触れ、3回目はA4編成のこれまでの活躍ぶりについて触れようと思います。

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2014年10月22日 (水)

東海道新幹線開業から50年 その3 1966年から1969年頃

1964年10月から、今日に至る新幹線50年の歴史、今回は「ひかり」東京~新大阪 3時間10分運転が実現した1965年11月1日改正以降、大阪万国博開催前までの話題です。

0801213 0系 K40編成 1980/12/13 新大阪

まず最初の話題は編成の変化です。

車両的には1965年10月のダイヤ改正における増発にむけて第3次車として、

3_3

上記の車両が増備され、40編成体制になっていました。

196410_4 「ひかり」「こだま」開業時の編成は車両形式的には同じで、自由席と指定席の構成が違いました。

開業後、運行を続けて行くにつれ、自由席の多い「こだま」の方が混雑度が高く、1等車2両は過剰と判断されたため、7号車を2等車自由席とする「こだま」専用編成を組成することになりました。

196610_3

1966年10月1日の改正から「こだま」は1等車1両(半室自由席)とし、新造された2等車(25形200番台)を従来の1等車と組み換えましたが、半数は7号車が2等車、8号車が1等車の正規編成、残り半数は6号車の次に8号車(15形)1等車、その次に7号車(26形400番台)2等車の変則編成となりました。

45 この編成組換えは第4次、第5次として増備された車両と第3次車として増備された編成に対して行われ、第1次、第2次車はそのまま「ひかり」専用編成となりました。この編成替えで「ひかり」30本「こだま」20本編成体制となり、2-2ダイヤ化が完了しました。

わたしが初めて新幹線に乗ったのは、1966年の夏休みの萩家族旅行で、自由席のあった「こだま」でした。当時は毎夏萩か能代に帰省していましたが、指定券の確保は至難の業で、前の晩から徹夜で並んでも特急はおろか急行の指定席も取れないということを記憶しています。、

0_140812_2 リニア・鉄道館にて撮影した0系 普通車車内 2014/8/12

この夏のリニア・鉄道館訪問の際に0系車内を見学しましたが、1966年夏に初めて新幹線に乗った際のことを思い出しました。当時、小学校5年生で早速、車内探検をしましたが、

0_140812_3 いまでもしっかり憶えているのが、この冷水器です。夏の暑い時期、車内は冷房は効いていましたが、何度この冷水を飲みにデッキに通ったことか。さらに紙封筒のようなコップも数枚記念に持ち帰りましたね。あとは速度計の表示でした。

あの時の萩行きは最近、当時の時刻表を見ていて気付いたのですが、東京~新大阪間の新幹線開通の効果というのは東京~萩間の従来の東京発昼行・夜行急行の旅に較べてあまり時間的メリットがないのですね。従来の急行、例えばその1の記事で紹介した1964年夏の「雲仙・西海」の旅に較べて、朝東京駅を出発する新幹線に乗っても、大阪から先の当時の在来線ではその日のうちに萩に到着するのは不可能だったのですね。

そこで、恐らく旅好きで時刻表好きだった母(旅行のプランや切符の確保は、父よりも母が主導的だったはず)が考えたアイディアは新幹線で新大阪へ、大阪港から瀬戸内海航路で別府へ、別府で一泊した後、九州から萩へという行程でした。ところが、台風の接近で瀬戸内海航路は欠航となり、大阪から先の行程は陸路への変更を余儀なくされました。

そこで乗車したのが
新大阪~広島 急行「はやとも」 205M 時刻 模型での再現
広島~下関 急行「第2関門」 303M 時刻
下関~東萩 急行「しまね」 801レ 編成

でした。結局、夜中の2時前に萩に着くという往路でした。

当時の写真はありませんが、「はやとも」で初めて見た60Hz用の475系交直両用急行型電車、車体の裾にクリームのラインが入った姿が目に焼き付きました。また夕刻の153系急行「関門」ではビュッフェでハムサンドのような軽食を食べたのが記憶にあります。広島で「はやとも」から「第2関門」にわざわざ乗り換えたのは、台風や夏休みで「はやとも」はかなり混雑しており、満足に座席が無かったためと思われます。あの時、広島に到着する前に山陽本線の瀬野~八本松という難所があることを初めて知りました。

0_2 撮影年代不明 東京駅で鼻先を揃えた0系

6_3 6次車としてこだま正規編成が7本増備されましたが、このときから東急車輌が製造に加わりました。

1966年度からは乗車率増加の傾向となり、増発の必要性から東京駅の新幹線ホームが1967年3月10日に増設され、16,17番線発が「こだま」、18,19番線発が「ひかり」と分離されるようになりました。1967年10月1日改正からダイヤもピーク時、3-3ダイヤとなり、ひかり10本、こだま15本が増発されました。

79 この間の車両増備の様子です。圧倒的にこだま用編成増備の時代でした。

1968年10月1日の改正では「ひかり」「こだま」各10本の増発が行われ、3-3ダイヤが終日に拡大されました。1969年4月25日には初の新駅として三島駅が開業しました。地元の工事費全額負担による駅誘致が実現したものでした。三島駅には追い越し設備が設置され、「ひかり」の追い抜きが3回となったため「こだま」の所要時間は4時間から4時間10分になりました。
1969年5月10日、国鉄の運賃法が改正され、明治以来の客車の等級制が廃止されました。1等車がグリーン車となり、2等車は普通車となり、従来の一等運賃の5~6割程度でグリーン車を利用できるようになったため、グリーン車の利用が増えたそうです。

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2012年11月25日 (日)

1975/10 真鶴~湯河原へ 8 153系について

湯河原での撮影、当時の急行型電車の153系、155系や湘南電車について纏めておこうと思います。最初は153系です。

153系は1958年に設計・製造した準急形(後に急行形)電車で1962年までに計630両が製造されました。最初に使用された列車にちなみ、「東海形電車」の別名でも知られ、当初は91系電車と称しましたが、1959年の車両称号規定改正に伴い153系電車となりました。

モハ153形に搭載されたCS12A形電動カム軸多段制御器によりモハ153形+モハ152形2両分8基のMT46A形主電動機を制御する1C8M構成のMM'ユニット方式が採用されました。

駆動システムは中空軸平行カルダン駆動を採用され、歯車比は4.21とし、営業運転時最高速度110km/h、設計最高速度130km/hに対応しました。

台車はDT21系の枕バネをベローズ形空気バネに置換えたスウィングハンガー式車体支持装置を備え、ボルスタアンカーを付加したDT24・24A(電動車)・TR59・59A(付随車)を装着しました。これらは、151系特急電車用のDT23・TR58を基本としつつ急行電車での使用に適した形に修正したもので乗心地の改善に著しい効果を上げました。

クハ153は密着連結器の両側に制御用KE57A形ジャンパ連結器2基を備えており、奇数(東海道本線基準で東京側)・偶数(同じく神戸側)向の区別なく使用できる両渡り構造でしたが、冷房改造車は電源用110kVAMGを搭載し引き通しが片渡り構造となったため向きは固定されました。

153_760925_2153系低運転台(奇数向き) 大井町 

153

153系 急行 伊豆(偶数向き) 鶴見

153_751009
153_751009_2
クハ153 低運転台先頭車 1-80

1961年以降の製造車は踏切事故時に乗務員の安全性を高めるため運転台位置を300mm高くする設計変更が行われたことから500番台に区分されました。
153_2
東京駅12番線ホームにて 横須賀線113系と並ぶ

153_760925クハ153 高運転台車 501-557 大井町 1976/9/25
153_3
急行 伊豆 熱海

153_4急行 伊豆 三島 1974/11

1975年当時の田町電車区には157系、153系、155系、165系、167系、183系1000番台、クモヤ191、クモユニ74、クモニ83、クモヤ90、クモヤ93、クモエ21が配置されており、主力は153系で165系は3連が2本でした。153系の内訳を以下に示します。

モハ153+152     47ユニット
クハ153 低運26両 高運18両
サロ152            9両
サハ153 11両   

計 158両 

で田町以外では、幕張、大垣、宮原、下関に配置されていました。また、サロの113系へ改造編入、クハ153の抑速ブレーキ取り付けクハ164化、サハシの165系、169系化、教習者改造(クヤ165、クヤ153)も既に行われておりました。
165_760102急行「ごてんば1号」の165系3連を併結して保土ヶ谷付近を下る153系「東海1号」

153系の「東海」はTcM'MTsTsM'MTTM'MTcの12連で休日には165系「ごてんば」TcM'Mcの3連を東京側に連結した15連で走っていました。

田町所属車の置換えが決定した1981年には185系が田町区に配置されました。185系は3月より「伊豆」への運用を開始し、しばらくは153系と混用されていましたが、9月には置換え完了となりました。

さらに東京口普通列車運用も10月末で終了。一部車両が幕張区に転属した他は殆どが廃車となりました。 さらに快速運用に入っていた大垣所属車についても置換えが決定し、117系の落成を待って1981年12月より置換えを開始となり、1982年5月までに完了しましたが、「東海」・「比叡」・「大垣夜行」・「伊那」の東海道本線内併結で運用される車両は残存となりました。

185153_810523

153系と185系との併結シーン 東京

1982年11月15日のダイヤ改正において、幕張電車区(現・幕張車両センター)配置の車両も、房総地区急行が全て特急に格上げされた結果余剰となり、廃車されました。

大垣所属車は松本運転所(現・松本車両センター)・神領電車区から転属してきた165系と順次置換えられ、1983年3月を最後に運用を終了しました。1984年3月に最後の4両が廃車され、153系は廃系列となりました。

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2012年11月24日 (土)

1975/10 真鶴~湯河原へ 7 157系

今回は機関車牽引列車ではありませんが、当時の東海道線のスター157系について触れたく思います。

157系は1959年9月の東北本線黒磯、日光線電化完成によるダイヤ改正で東京と日光を結ぶ特別準急電車として登場したグループです。
157_3「あまぎ」として最後の活躍をする157系

東京と日光を結ぶ国鉄の優等列車は1956年より、キハ44800(後のキハ55形)4連の準急「日光」が2時間あまりで結んでいましたが、運転本数、客室設備サービス等で当時の東武1700系特急の後塵を拝していました。電化を機に東武特急をしのぎ、国際観光列車あるいは将来の急行用車輌の試作的意味合いもあったようです。

機構的には153系のシステムを流用しており、主電動機には出力100kWのMT46系を採用、歯車比は1:4.21=19:80とし、勾配の介在する日光線内の運転条件を考慮して抑速発電ブレーキを装備しました。短編成で電動車比率を上げるためMcM'方式を新性能電車として初めて採用し、冷房準備工事がなされていたことも特徴的でした。

153_810103_4157系のシステムのベースとなった153系 1981/1/3 保土ヶ谷

第一次車として1959年6月クモハ157-1~5、モハ156-1~5、サロ157-1,2、サハ157-1,2が製造され、McM'TTsM'Mcの6連が2本、予備のMcM'といった編成構成で登場しました。田町区に配属された編成は1959年9月22日から「準急日光」(東京~日光)「準急中禅寺」(新宿~日光)「準急なすの」(上野~黒磯)、日光~黒磯間快速列車各一往復に使用されました。「準急日光」以外は3月~11月の季節列車で冬季運休車輌を利用して東海道に臨時特急「ひびき」として運用されました。

従来の貴賓車クロ49形に代わる皇室の小旅行用並びに外国賓客用の貴賓車としてクロ157形(クロ157-1)1960年7月に川崎車輌で製造されました。

1960年12月には第二次車としてMcM'ユニット5組(6~10)、サロ、サハ各3両(3~5)が増備され、1960年6月改正で予定臨に格上げされた「ひびき」は1960年12月から1961年1月の間、McM'TTs+McM'TTsM'Mcの10連で運用されました。

1961年3月のダイヤ改正で157系30両は6連(McM'TTsM'Mc)5本に組成され、「準急日光」「準急中禅寺」「準急なすの」、多客期の日光~伊東間季節、「湘南日光」「臨時いでゆ」「第二伊豆」、上野~日光間「臨時日光」に運用されました。

1961年10月のダイヤ白紙改正では157系特急「ひびき」は不定期特急「第1ひびき」「第2ひびき」の2往復体制となりました。1962年の夏に運転された「ひびき」は冷房がないため料金が割り引かれたことから、本格的特急車両への転用のため、1963年1~3月に冷房設置工事と塗色の変更が行われました。一次車として登場したMc車の正面腰板部のクリーム色の部分の幅を広げる塗装変更もこの頃までに終わっていたようです。また春以降のダイヤ改正に備えてサロ157-6が増備されています。その結果、3月から運用開始された季節準急「中禅寺」「なすの」日光~黒磯間快速は165系にモノクラス6連に運用を置き換えられています。

1963年4月のダイヤ改正では下り「第1ひびき」上り「第2ひびき」が定期特急に格上げされて「ひびき」となり、他の一往復は不定期特急「第2ひびき」となりました。さらに「準急日光」はMcM'TTM'Mcのモノクラス6連1本、「ひびき」はMcM'TTsTsM'Mcの7連3本の運用となりました。

1964年4月24日の特急「第1富士」の踏切事故で151系が稼働できない状態となり、157系9両編成を使用した「第2こだま」の代行運転が5月7日から31日まで行われました。これ以後は161系編成が使用されたため、「とき」の編成に157系が組み込まれ、<新潟 157系McM'T+161系MM'TdM'sMsTc 上野>で運用されました。

1964年10月の東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正では11月から「ひびき」用編成は東京~伊豆急下田・修善寺間急行「伊豆」2往復に使用されることになり、下田編成(McM'TsTsTM'Mc)と修善寺編成(McM'TsTsM'Mc)の熱海での分割併合に備えて両栓構造に改造されました。

1968年7~9月の週末には東京~中軽井沢間に「そよかぜ」2往復が運転されました。碓氷峠におけるEF63推進運転対応のため横軽対策工事が施されました。

1969年4月25日、東海道新幹線三島駅開業で157系急行「伊豆」は特急「あまぎ」に格上げされ、定期2往復(McM'TsTsTM'McM'Mc)、季節、臨時各1往復(McM'TsTsTM'Mc)が設定され、157系による修善寺行きは廃止となりました。また同時に「日光」は165系に置き換えられ、10年8ヶ月で日光線での運用がなくなりました。

157_751009真鶴~湯河原間を行く特急「あまぎ2号」 3023M
157_2trim田町から東京駅に回送され11番線に入線する回送「あまぎ1号」

1971年3月7日
長野原線が大前まで延長され電化開業の上、吾妻線と改称されたのに伴い、4月24日から上野~長野原間に土休日運転の予定臨特急「白根」(McM'TsTsTM'Mc)が下り2本、上り1本設定されました.その後、万座鹿沢口まで延長され2往復体制となりました。
157上野駅高架5番ホームから出発する「白根」
157_2特急「白根」 大宮

下降窓方式のため車体の腐食が激しく、少数派という事情もあり1975年11月24日で「白根」としての運用を終了、1976年1月26日には「あまぎ」の運用も183系1000番台に置き換えられ17年の生涯を終えています。
157_4置き換え間近、東京駅出発する「あまぎ1号」 6021M

クロ157牽引用に残っていたクハ157-1,2のユニットも183系に置き換えられ1980年11月に廃車となっています。さらに183系も1985年3月に185系に置き換えられたため、引き通し線改造を受け、塗色も変更となっています。JR化後は特別扱いを嫌う今上天皇の意向もあり、1993年5月13日の運用を最後に運転実績がありません.後継車のE655 系が製造されており、今後の去就が注目される状態です。

E655_e654101_1006172007年に登場したJR東日本の交直流特急形電車E655系 和(なごみ)

以上、157系の歴史を「ガイドブック 最盛期の国鉄車輌 新性能直流電車(上)浅原信彦著NEKO MOOK948 」の157系の記事を参考に纏めてみました。

私自身、小さい頃、親に買い与えられたブリキのおもちゃに157系があり、日光形として慣れ親しんだ憶えがあります.乗車経験はありませんが、「あまぎ」や「白根」として活躍する晩年の姿は今でも記憶に残っています。確か、松本清張原作の「砂の器」の映画でも157系の走行シーンが出てきたのを憶えています。

一方で、157系の後継である185系も登場後、かなりの年月が経過していますが、2012年2月には往年の157系の姿を彷彿させる特別塗装車(OM-08編成)も登場しており、定期運用の他、各種のイベント列車、臨時列車に使用され良きカメラの被写体となっています。

185_om08_120310_2185系 OM-08編成と湘南色OM-03 編成の併結 20120310 大宮

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2012年11月15日 (木)

1975/3 関門・関西へ 13 関西編3

関西編、最後に急行列車を纏めておきたく思います。

まずは、名古屋と大阪を結んだ急行「比叡」です。

Wikipediaの記事を参考に急行「比叡」の歴史を纏めると以下のようになります。

1956.11 準急列車として 405・406 名古屋駅 - 大阪駅間 設定
1957.10 名古屋駅 - 大阪駅間運転の準急列車も3往復に増発されて80系電車使用列車となり、翌月には「比叡」と命名されました。
1958.10 「比叡」は2往復増発されて5往復になりました。「東海」・「比叡」はこの時から153系電車に使用車両を順次変更することになりました。
1961.10 8往復に増発
1965.10 4往復に削減
1966.3 運行距離100kmを越す準急列車は全て急行列車へ格上げすることになり、「東海」・「するが」・「日本平」・「比叡」は急行列車となりました。
1972.3 ビュッフェ車サハシ153は営業休止となり、2往復に削減されました。
1980.10 1往復に減便
1984.2 廃止

153_750306
153_750306_4

大垣区の153系ですが、比叡以外の列車にも使用される関係で、いろいろなHMに替えられるシステムだったようです。
153_500_750306_3上り方は高運転台の500番台です。

歴史にも書かれているように「比叡」の列車そのものは改正後も存続しましたが、HMの掲出はこの改正で終わったようです。

続いて急行「立山」です。

その歴史は

1956年11月 上野駅 - 長岡駅 - 大阪駅間で運転されていた急行「北陸」が上野駅 - 福井駅間に短縮される。その代替として運転開始。
1965年 電車化される。
1975年3月 「雷鳥」とともに湖西線経由となる。
1982年11月 「雷鳥」に編入される形で定期運行がなくなり、583系電車による夜行の臨時列車1往復のみとなる。
1985年3月 廃止

471_750306
471_750306_2
11番線から出発を待つ急行「立山1号」 501M

以上、大阪駅で最後に581/3系寝台特急「きりしま」を撮影して、新幹線で東京に戻りました。

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2012年11月10日 (土)

1975/3 関門・関西へ 8 山陽 玄海

まずは山陽本線 岡山~下関の直流区間を結んでいた急行「山陽」から。

Wikipediaの山陽本線優等列車沿革から「山陽」という愛称のついた列車をピックアップすると
1960年5月 岡山駅 - 博多駅間にキハ55系による気動車急行「山陽」新設
1961年6月 「山陽」(岡山駅 - 博多駅)キハ58系
1965年3月 「有明」 岡山駅 - 熊本駅…「山陽」を区間延長し475系電車化。
「山陽」 広島駅 - 博多駅…準急「長門」を格上げして区間延長し475系電車化。
1968年10月 「山陽」(3往復) 岡山駅 - 広島駅・下関駅 153,165系電車 (「みずしま」・「とも(旧)」を統合) 新設「はやとも」 広島駅 - 博多駅 475系電車 (「山陽」を改称)
1970年10月 「吉備」1往復が山陽本線経由となり「山陽」に編入、「山陽」4往復となる。
1972年3月 「山陽」 岡山駅 - 広島駅、南岩国駅、下関駅間8往復に増発。また、下関駅 - 広島駅間に上りのみ1本運転。「ながと」岡山駅打ち切りとなり、「山陽」に編入。「やしろ」「山陽」に統合。
1974年4月 山陽」(下り7本、上り9本)岡山駅 - 広島駅、下関駅 広島駅 - 下関駅、さらに季節列車・臨時列車で(3往復) 岡山駅 - 広島駅、下関駅
1975年3月 全廃

山陽本線ではかつて急行「鷲羽」が1972年の改正までは定期・季節合わせて11本の設定があったのが、改正で一気に定期1本・季節1本の2往復にまで数を減らしたことがありましたが、今回はそれに勝るとも劣らない大きな変化でした。

それでは「山陽」の写真を

153_750305_2
153_750305_3クハ153の初期(低運転台)車を先頭とした急行「山陽」

153_750305上り特急「まつかぜ」2012Dと並んで発車待ちする急行「山陽6号」、当時の時刻表では同列車は小郡まで快速列車として運行。

つづいて、九州直通の急行の中から「玄海」を、

同じくWikipediaの山陽本線優等列車沿革から「げんかい」もしくは「玄海」の愛称を追ってみると、

1951年4月 大阪駅 - 博多駅間に、臨時急行3033・3034列車を運転開始。関西から九州へ向かう夜行急行列車が誕生した。
1952年9月 臨時急行3033・3034列車は定期急行に格上げられ、「げんかい」と命名された。
1955年7月 「げんかい」は、漢字書きの「玄海」となる。また同月、一等寝台車が利用率の悪かったことから廃止され、それまでの一等寝台は二等寝台A・B室、それまでの二等寝台は二等寝台C室となる。
1956年11月「玄海」は「あさかぜ」に輸送を譲り、京都駅 - 長崎駅間(大村線経由)に運行区間を変更。
1957年7月「玄海」は京都駅 - 鹿児島駅間運転となり「桜島」に改称。
1958年4月「桜島」は博多駅までに区間短縮されて「玄海」と再改称。
1961年6月 不定期で大阪駅 - 長崎駅間に「第2玄海」が新設。「玄海」は長崎駅発着に変更。
1968年10月「玄海」 名古屋駅 - 博多駅 475系電車 (「はやとも」を改称)「雲仙」 京都駅 - 長崎駅 客車寝台 (「玄海」を改称)
1972年3月 「玄海」 岡山駅 - 博多駅、熊本駅間に運行区間が短縮された代わりに、3往復となる。「つくし」 季節の昼行1往復を岡山駅打ち切りとし、「玄海」に編入。「しらぬい」「玄海」に統合。
1975年3月 全廃

 

急行「玄海」のHM付きの貴重なお写真はこちらこちらのサイトで見ることができます。なお、「玄海」という愛称の急行はなんと1991年から1995年にかけてJR西日本による20系臨時急行として品川~博多間で運行された様ですね。私はその頃は旅客機の時代で全く気付かずでした。

471_750305門司を発車する上り急行「玄海」208M

急行「玄海」の歴史を見ていて、思い出しましたが、東海道新幹線開通後(確か1966年の夏休み?)、初めて家族で新幹線に乗って萩に帰省したとき、本来は大阪から瀬戸内航路を使って、別府に行き、そこから萩に行く行程を計画していましたが、台風の襲来で船が欠航となり、急遽、山陽路を陸路でということになりました。その時、新大阪から乗車したのが「玄海」の前身の「はやとも」で当時は、新製間もないといった感じの471系電車で、60Hzを意味するボディ下の線も入っていました。広島まで乗車しましたが、広島直前で雨でしたが瀬野八を通過し、カーブと急坂の連続に驚いた憶えがあります。広島から153系急行「鷲羽」で下関へ。153系にはビュッフェが付いていて、ハムサラダを食べた憶えがあります。下関で山陰線の米子行きだったと記憶していますが、DF50の牽引する急行「島根」に乗り換え、萩に着いたのは午前2時過ぎだったのを憶えています。

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2012年10月25日 (木)

1974年秋 九州一周 2 大阪へ

京都から大阪へは新快速を利用しました。当時は京都~大阪ノンストップ29分で結んでいました。

車輌は153系165系グレー塗装にブルーの帯を入れてブルーライナー塗装と言われておりました。

<<京都駅>>

153_740929_2
153系 低運転台クハによるブルーライナー 京都
153_740929_3
こちらは500番台 高運転台のブルーライナー 京都

<<大阪駅>>

165_165_750306
こちらは165系 ブルーライナー 大阪

153系と165系の高運転台車は湘南色塗装の時は塗り分けパターンで容易に区別出来ますが、ブルーライナー塗装での区別は貫通扉枠の形態で区別が可能です。153系は平面的な枠が装着されているのに対して165系は強化された構造になっています。

<京阪神の新快速の歴史>

初代は113系電車1970年10月1日 - 1972年3月14日の間、運転され
二代目の153系(165系)の時代は1972年3月 - 1980年7月でした。
三代目は117系1980年1月 - 1999年5月10日の間使用され、1990年3月10日に115km/h化改造されています。
四代目は221系1989年3月11日 - 2000年3月10日の間、使用され、
五代目の223系1995年8月12日以降使用されています。2000番台の投入とともに2000年3月11日から130km/h化されました。さらに225系2010年12月1日に運転開始されています。

110901_740929
<サロ110-901について>

153系のサロとして1958年汽車会社で試作されたセミステンレス車です(登場時はサロ95901)。のちに113系に組み込まれる事になり改造され、1968年サロ110-901に改番されました。

101_740929
大阪環状線の101系 大阪駅

当時、大阪環状線は101系もしくは103系、6連(一部8連)で運用されていました。

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DD54 10号機牽引の福知山線 客車列車大阪駅

当時の福知山線は非電化でこういった客車列車が運用されていました。

<DD54形ディーゼル機関車について>

1962年に西ドイツから輸入された機関・変速機などを搭載し、1965年まで山陰本線の京都 - 園部間などで試験運用されたDD91形の試用経験に基づいて1966年から設計・製造された亜幹線用液体式ディーゼル機関車で、1966年に試作車としてDD54 1 - DD54 3の3両が製造され、各種試験に供された後、1968年から1971年までの4年間にDD54 4 - DD54 40の37両が量産車として製造されました。

本形式に先行して設計・製造されたED72形・ED73形交流電気機関車と同様に窓下を突出させた「くの字」状の前面形態が採用され、車体断面も側板の上半分を内側に傾斜させた、ヨーロッパ調の独特のエクステリアデザインとなっています。

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現在も活躍する本家西ドイツ製218形 ディーゼル機関車 2009/4 ハンブルグ中央駅

重連運用は想定していないため正面貫通扉は装備せず、総括制御に必要な釣り合い管や制御用ジャンパー線などを設置していません。

製造時期により外観は前灯の位置と前面窓の形状が異なるほか以下の相違点があります。
DD54 1 - DD54 3(量産試作機) ステンレス窓ガラス支持・前灯窓上・サイドエアフィルター形状・動輪輪芯形状)

DD54 4 - DD54 24 ステンレス窓枠・前灯窓下・連結器解放テコ先端形状・砂箱形状

DD54 25 - DD54 40 窓ガラスHゴム支持・前灯窓下・車体溶接構造の変更

大別で上述3タイプ、各部仕様で細分すると1 - 6次車に区分されるそうです。

搭載機関はDOHC6バルブV型16気筒のDMP86Zディーゼルエンジンで、西ドイツマイバッハ社(Maybach=現・MTUフリードリヒスハーフェン)設計によるMD870を三菱重工業がライセンス生産を行いました。液体変速機は爪クラッチを介在させた4段変速機構をもつDW5で、同じく西ドイツのメキドロ社(Mekydro)が設計したK184Uのライセンス生産品です。

1966年に先行試作車であるDD54 1 - DD54 3の3両が福知山機関区(現・福知山電車区)に新製配置されました。これらの運用結果が良好だったために本格量産が決定し、1968年から1971年までに量産車37両が順次落成し、全40両の内、DD54 1 - DD54 29・DD54 38 - DD54 40の32両が福知山機関区に、DD54 30 - DD54 37の8両が米子機関区(現・後藤総合車両所)に、それぞれ配置されました。

本形式はその新製時の計画通り、当時山陰本線・播但線・福知山線などの列車牽引運用に用いられていたC57形・C58形等の蒸気機関車を置換え、当該路線群における無煙化を促進しました。

1972年3月15日から京都 - 浜田間で、米子機関区配置機6両により寝台特急「出雲」牽引が開始されました。しかし、この頃からエンジン本体や液体変速機の故障が多発、本形式の牽引する列車を当時残存していたC57形蒸気機関車が救援する、といった皮肉な事態が頻発するようになっていました。このため「出雲」運用への充当は2年で終了し、1974年には同運用のDD51形へ置き換えが実施されました。

さらに、本形式での故障頻発が運用・保守の両面で深刻な問題となっていたことと、DD51形が初期故障をほぼ克服し安定した稼動実績を確保していた状況から、本形式はDD51形で代替・淘汰されることが決定され、1975年から1977年にかけて山陰地区へ同形式の新造ならびに他地区からの転入が実施されました。

これにより、その時点で山陰本線用として配置されていたDF50形と本形式の淘汰が実施され、本形式は1976年6月30日に12両、1977年1月17日に10両、同年11月21日に10両 、1978年5月11日に4両が廃車されました。

最後に残った4両も1978年6月18日の播但線645列車を最後に運用から離脱し、同年8月に休車。同月11日に一旦全車廃車となりました。しかし、DD54 12とDD54 33については一旦廃車の後、何故か車籍復活の手配がとられ、同年12月1日に改めて廃車された。これをもって本形式は形式消滅となりました。

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82_740929_3_2
大阪駅に到着したキハ82系特急「はまかぜ」

<特急「はまかぜ」の歴史>

1972年3月15日:新大阪駅・大阪駅 - 鳥取駅・倉吉駅間(播但線経由)で特急「はまかぜ」2往復が運転開始。 「はまかぜ」の播但線内は無停車で、大阪・神戸・姫路 - 但馬地方・鳥取県の輸送を担当する一方、播但線内の需要は急行「但馬」が担当していた。

停車駅:新大阪駅 - 大阪駅 - 三ノ宮駅 - 明石駅 - 姫路駅 - 和田山駅 - 八鹿駅 - 江原駅 - 豊岡駅 - 城崎駅 - 浜坂駅 - 鳥取駅 - 倉吉駅 - 米子駅

受け持ち:大ムコ キハ82系

DcDsDDDDc×7 所要7
かもめ(付属1)、日向(1)、まつかぜ(1,付属1)、はまかぜ(2)
 京都7301848佐世保
 佐世保10502225京都
 大阪7252042宮崎
 宮崎9302243大阪
 京都7201210鳥取12461704大阪18002217鳥取
 鳥取6301044大阪12101624鳥取16552150京都
 新大阪9251417倉吉14421940新大阪


1975年3月10日:「はまかぜ」の倉吉駅発着列車が米子駅発着に変更。食堂車の連結が廃止。
82_1b
1976年10月1日
:「はまかぜ」の米子駅発着列車が再び倉吉駅発着に変更。

DcDsDDDDc×8 所要6(臨時+1)
まつかぜ(1,付属1)、あさしお(4)、はまかぜ(2)(臨時+1)
 京都8521227城崎12571546京都16322159米子
 米子7001222京都13081559城崎16292000京都
 京都9201356倉吉14161854京都
 大阪8001210鳥取12421709大阪18002224鳥取
 鳥取6211049大阪12101629鳥取17012117新大阪
 新大阪9221428倉吉15102024新大阪
 新大阪10061423香住15181925新大阪

1982年7月1日:「やくも」の電車化によって余剰になったキハ181系が運用開始。このときは大ムコと米ヨナの分担受け持ち方式だったのですね。

受け持ち:大ムコ キハ181系

DcDsDDDDDDc×5 所要4(臨時+1)
あさしお(4)、はまかぜ(1)(臨時+1)
 京都8521227城崎12571546京都16322158米子
 米子7001222京都13081600城崎16292000京都
 京都9201357倉吉14171854京都
 新大阪9221428倉吉15102024新大阪
 新大阪10061424香住15181925新大阪

Dc×3 D×3 Ds×2

受け持ち:米ヨナ キハ181系

DcDsDDDDc×3(11/27からDcDDDsDDc) 所要2
まつかぜ(1)、はまかぜ(1)
 米子11131709大阪18002224鳥取
 鳥取6211049大阪12101808米子

Dc×1 Ds×1 Td×7

181
国鉄カラーのころのキハ181系特急「はまかぜ」 大阪駅

1985年3月14日:全列車が鳥取駅発着になる。

1986年11月1日:福知山線電化により、「まつかぜ」の運転が終了する代替として、倉吉駅・米子駅発着列車が運転開始し、「はまかぜ」は3往復になる。大阪駅 - 姫路駅間で120km/h運転を開始し、スピードアップが図られる。

1993年3月18日:「はまかぜ」の全列車が大阪駅発着になる。

1994年12月3日:智頭急行線の開業により特急「スーパーはくと」「はくと」が運転を開始し、「はまかぜ」の運転区間・本数は大阪駅 - 浜坂駅・鳥取駅間のそれぞれ1往復になる。

1995年1月17日 - 3月31日:阪神・淡路大震災の影響により、全列車運休。
18147_050822
編成は短くなり塗装もJR西日本のオリジナルカラーとなった特急「はまかぜ」 2005/8/22 元町

1996年3月16日
:「但馬」が廃止。大阪駅乗り入れの臨時「但馬」81・82号も「はまかぜ」81・82号として特急列車化。
「はまかぜ」が3往復になるとともに、播但線内の福崎駅・寺前駅が停車駅に追加される。特急料金も大阪駅 - 浜坂駅に関しては急行廃止の代替として割安なB特急料金が新たに導入されることになった。

2010年11月6日:定期列車としてキハ181系による「はまかぜ」の運用が終了。
11月7日:新型車両のキハ189系が運転開始。
189_6_111226
最近の特急車両はHMを掲出しないため、列車名がさっぱり分からないのが難点ですね。2011/12/26 島本

12月23日:臨時列車としてのキハ181系による「かにカニはまかぜ」の運用が終了。
2011年2月28日:車内販売の営業が廃止。

その後、環状線で天王寺へ向かいました。

<<天王寺駅>>

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82系特急「くろしお」 天王寺駅

天王寺は今も同じですが、関西線などのホームと阪和線のホームが分かれており、東京の人間にとっては珍しい関西の通勤電車を結構写し、フィルム交換をしようと思って慌てて、フィルムを巻き取らず裏蓋を開けてしまい折角撮った写真を数枚無駄にしてしまいました。そのため、折角の福知山線DD54の写真等が光被りを起こしましたが、幸いにして難を逃れた一枚を上に載せました。

特急「くろしお」の歴史については後日、1975年1月の名古屋旅行1976年3月の関西旅行シリーズで記述する予定です。

今回も京阪神新快速の歴史、特急「はまかぜ」の歴史に関してはWikipediaの記事を、特急「はまかぜ」の編成、運用に関しては「国鉄特急車両 配置および運用の移り変わり」のデータを参考に纏めました。

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