2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 30 「しなの」と言う愛称を持った列車たち
今回は長野駅を発着する名古屋・大阪方面の特急「しなの」の歴史について振り返って見てみようと思います。尤も、拙Blogではキハ181系「しなの」と381系「しなの」に関する記事を以前に上げております。
「しなの」という愛称が列車名に登場したのは1953年11月11日のことで名古屋~長野間を結ぶ臨時準急列車としての運転開始でした。当時は機関車牽引の客車列車で、3年後の1956年11月に定期列車化されました。
1956年12月13日、同列車には当時、最新鋭のキハ55系が投入され、急行列車に格上げされました。キハ55系気動車はDMH17B 160PSエンジン2基とTC-2液体変速機搭載で高速性能を発揮しましたが、冷房装置を搭載するための電源用エンジンを搭載するスペースがなく160PSエンジン2基でも中央西線の勾配区間では非力でした。1966年に新高出力エンジンDML30HSA 500PSを1基装備したキハ91形が試作され、それが新特急型気動車キハ181系に発展して行きました。
1975/1/2 名古屋 2往復キハ181系で残された「しなの」
1968年10月1日、いわゆるヨンサントウのダイヤ改正でしなのは特急列車の愛称となり、キハ181系が全国に先駆けて投入されました。1971年4月26日、大阪~長野間の急行列車「ちくま」の昼行列車が「しなの」に統合され、大阪~長野間の「しなの」が運転開始、名古屋発着を合わせて3往復体制となりました。1973年7月10日、中央西線の電化でしなのの一部は電車化され、振り子式電車381系が初めて投入されました。この時点で「しなの」は8往復、うち2往復はキハ181系でした。1973年10月には自由席が設定されエル特急化されました。1975年3月10日のダイヤ改正で全列車381系となりました。
1975/1/2 名古屋 新製間もない381系が投入された「しなの」まだHMは白地に文字
1984/5/4 大糸線南小谷付近を通過する381系「しなの」 HMは絵入りに
1978年10月2日のダイヤ改正では1往復増発、1982年5月17日には塩尻駅が移転して、同駅でのスイッチバックが解消し、中央西線と篠ノ井線が直通化されました。1982年11月15日のダイヤ改正では「つがいけ」が特急列車化され、「しなの」に統合されて廃止。「しなの」は名古屋駅 - 白馬駅間の1往復が増発され、10往復になりました。1988年3月15日のダイヤ改正ではパノラマ型グリーン車が投入され、6往復の増発も行われました(このうち3往復は不定期列車)。
2014/8/12 リニア・鉄道館に保存される クロ381-11 パノラマグリーン車
1995年には制御付き自然振り子方式の383系が「しなの」にデビュー、1996年12月1日には長野発着の「しなの」定期列車は全て383系となりました。
2018/8/31 長野駅 6番線で出発を待つ383系A1編成 「しなの」
2016年3月26日のダイヤ改正に伴い、利用が低迷していた大阪駅発着の列車の名古屋以西が廃止されて全列車が名古屋駅 - 長野駅間の運転となりました。441.2kmを走破する当該列車の区間短縮により、2020年6月現在最長の営業距離を持つJR定期昼行特急は「にちりんシーガイア」(博多-宮崎空港間、413.1km)となりました。
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