2015年11月 7日 (土)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part2 MT46

前回は吊り掛け式モーターの話題でしたが、今回からは新性能電車に搭載された電動機の話題です。

Mt46_150822
101系など新性能電車第一期車両に搭載されたMT46電動機

101_7803 お茶の水に接近する中央快速101系 1978/3

1957年登場の101系から始まる新性能電車用に東洋電機製造が原設計を担当し、試作車に搭載した直流直巻整流子電動機がMT46形、量産車からはMT46A形となりました。

                      1時間定格    連続定格
出力 kW                          100                  85
電圧 V                           375                 375
電流  A                        300                255
回転数rpm 全界磁              1860      2000
              弱め界磁              3180             3600  

旧形電車に用いられたMT40形に較べ高回転化することで、大幅な小型軽量化に成功し、重量は660kgで1/3に、端子電圧も並列接続時に4個直列となるので、375Vに下げられました。発電ブレーキ使用時には電圧が定格の2倍程度まで上昇するため低電圧化は必要でした。駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式となりました。

主制御器も新開発のCS12(試作)、CS12A(量産)となりました。2両分8個の主電動機を制御する多段式電動カム軸制御器で

制御電圧                   DC100V
制御空気圧力                5.0kg/cm2
制御段数         力行    直列全界磁 13段
                      並列全界磁  11段
                                               並列弱め界磁 4段
             ブレーキ   直列      13段
                     並列      11段

旧形に比較すると段数が増えて、電流変化が減り、運転が円滑になり、発電ブレーキの追加で制輪子の摩耗も減少しました。CS12形制御器はその後、1991年製の415系1500番台最終増備車まで長きに渡って製造されました。

101系試作車は全電動車方式で構成され、混雑度に応じて限流値を変化させ、3.2km/h/sと一定の加減速度が保てる応荷重弁機構が採用されていました。

限流値 空車時 350A 満車時 480A

架線温度の上昇や変電所容量 (10両全電動車でピーク時5600A) の問題があり、試作車営業運転からこの装置の使用は中止となり、乗車状態にかかわらず、限流値ハ280A、ピーク電流は編成あたり、3650Aと固定されました。

全電動車編成でありながら、100%乗車時の起動加速度は2.2km/h/sであり、旧形車6M4Tの100%乗車時の2.0km/h/sと大して変わらないこと、製造コストの高い全電動車方式から中間に付随車を入れ、8M2Tから6M4TへとMT比が下げられて行くことになりました。最終的に6M4Tが限界という結論に達し、中央快速線の場合、限流値は380A固定となりました。山手線は350Aになりました。

101系における全電動車方式が困難になった頃、新たな方式の通勤電車開発のために、1960年、電力回生ブレーキ付きの試作ユニット クモハ101-クモハ100 910番台が1組試作されました。まだ大容量半導体技術が未熟で磁気増幅器による回生方式だったため、制御機器の重量増、保守困難、回生失効が問題となり、導入は見送られましたが、このときに搭載されたモーターがMT50形でした。1964年には電装解除され、クハに改番され、1979年に廃車となりました。

特急形電車では1958年登場の151系がMT46A、1961年度以降の増備車は脈流対策済みのMT46Bとなりました。歯車比は3.50 (22:77)、弱め界磁率は35%でした。

151系時代の1962年6月のダイヤ改正で特急「つばめ」1往復が広島まで延伸されましたが、MT比1:1の編成では瀬野八越えが出力不足となるため、上り列車の広島~八本松間ではEF61が補機として連結されました。

1962年登場の161系では20‰の勾配が続く山岳線の上越線を走破するために157系と同様の歯車比 4.21(19:80) が採用され、主制御器も抑速ブレーキ装備のCS12Cとなりました。

東海道新幹線開業後の転用では151系と161系を共通化するため主電動機をMT46AもしくはMT46BからMT54 (120kW)に換装し、歯車比は3.50、弱め界磁率は40%に統一し、181系化する改造が行われました。制御器もノッチ戻し制御が可能で抑速ブレーキ付きのCS15Bになりました。

出力増強により、10‰勾配における均衡速度は120km/hに上がり、481系と同様になったため、山陽特急では補機連結が無くなりました。

この際に151系から降ろされたMT46A電動機の一部がその時点でまだ製造されていた101系に流用されました。

181_1815_7207_1s 既に181系化されたものですが、帯無し、長スカートと上部ライト付きと151系時代の面影を残すクハ181-5 1972/7 岡山

急行形電車では同じく1958年登場の153系、修学旅行用電車の155系、159系、特別準急電車の157系、交直両用の451系がMT46AもしくはMT46B(451系)で登場しています。153系も最盛期の東海道本線急行 (MT比1:1編成) が広島まで乗り入れる際には上り列車にEF61形電気機関車+オヤ35形控車の補機が連結されました。

これらの系列において歯車比は全て 4.21で共通です。

153_810103_10 保土ヶ谷付近を行く153系 1981/1/3

近郊形電車では1960年登場の交直両用の401系、421系ではMT46BとCS12Bで制御する方式で登場し、1963年111系がMT46A搭載で登場しました。しかし、ほぼ同じ時期に強力型モーターMT54が開発されため、403,423, 113系へ移行しMT46系搭載形式は短期間の製造に留まりました。

これらの系列の歯車比は 4.82 (17:82)です。

401 常磐線 401系 低運転台クハ先頭の4連 上野205_141018_2
奥の車両がデハ205 2014/10/18 高崎

これら以外に101系からの改造、主電動機などを流用した系列として、123系、クモヤ145形、クモル145形、クモユニ147形などがあります(関連記事123系145系)。JR東海の123系7両は、2001年にモーターがMT54に換装されました。

1201_060826_4 上信 デハ1201 2006/8/26 高崎

私鉄では小田急3000系(初代) SE車が東洋電機製造 TDK806/1-Aを搭載しており、規格性能は国鉄MT46Aと同じかと思います。上信電鉄のデハ200形も東洋電機製造 TDK806/4-Dを搭載しています。同社の1000系も改良型のTDK806/6-Gを搭載しており、出力は100kWです。同じタイプのモーターは静岡鉄道1000形にも搭載されています。こうして調べて行くと鉄道友の会 福井支部報 わだち No132に興味深い記事がありました。TDK806シリーズが国鉄では101系に私鉄では上記以外に伊豆急100形 (806/2-B)、京王井の頭線3000形初期車 (806/3-C)に搭載されていたことが分かりました。

101hm_150822今回の展示では101系さよなら運転時のHMも展示されていました。

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2014年2月19日 (水)

九州に渡った485系 鹿児島運転所 その1

前回までの特急「雷鳥」シリーズに続いて、晩年の485系車輌の変遷を辿るシリーズ、今回からは九州内特急を運転所毎に見てゆこうと思います。

485_481500_860219_3
クハ481-502 1986/2/19 小倉 (再掲)
九州に渡った485系の中でも最もインパクトのあったのは181系から改造されて485系に加わったクハ481-500番台ではないでしょうか。 

まずは鹿児島運転所(1997.11.29より鹿児島総合車輌所、2011.4.1より鹿児島車両センター)<鹿カコ>です。

同所に485系が配属されたのは、1975年3月の新幹線博多開業によるダイヤ改正でした。今からおよそ39年前のことになりますが、この改正前までは大ムコ所属だった485系11両編成37本が、東は「はくたか」で上野、南は「なは」「つばめ」「日向」などで西鹿児島・宮崎まで連日のように走り回っていましたが、改正により山陽路の昼行特急は廃止となり、余剰となった車両のうち

MM' 481 1~26
MM'  485 21~33, 44~46
Tc   481 1~18, 31~40
Ts    481 1~18, 26~35
Td    481 1~9, 23~26, 30          の154両が転属しました。

内容的には481系として、昭和39年度第1次民有と同第4次債務予算で製造された車輌すべて(太字)と485系初期車が含まれていました。この転属にあたっては転属に伴う回送を減らすために、改正時に鹿児島や南福岡に到着する編成を転属車両で構成するように事前に周到な計画が練られたそうです。

485_481_850420
ボンネットスタイルでも後期型のクハ481の特急「にちりん」 1985/4/20 大分

改正後は

←西鹿児島
TcM'MTsTsTdM'MM'MTc の編成14本に組成され、有明(7)(臨時+1)、にちりん(4)(所要11本)での活躍を開始しました。

2012年12月13日の記事で記述しているように、当時の特急「有明」は485系による7往復、同改正で門ミフから大ムコに転属した583系による3往復で運行されました。この頃のクハ481のスタイルはオリジナル車にあった髭の省略が印象的でした。

1980年5月には早くもサロ481-1,2,3が廃車となっています。製造から約16年の廃車は早く感じますが、特急用特別車両の宿命でしょうか。さらに1980年9月にはモハ485/484-27,33 サロ481-12が門ミフに転出しています。

1980年10月1日の改正で、編成から食堂車が外され、

TcM'MTsM'MM'MTc×13 といった編成となり、

所要10本で特急「にちりん」の運用はなくなり、特急「有明」を16往復担当するようになりました。特急「有明」の増発はそれまで急行として運行されていた「ぎんなん」「かいもん」の全列車、「えびの」「火の山」の熊本以北の格上げによるものでした。

編成から外された食堂車サシ481は1980年12月から1981年8月末にかけて1~9が廃車となりました。モハ481/480の電動車ユニットも9, 12, 15, 16, 22, 23, 251982年4月から6月にかけて廃車され、サロ481-15, 181982年7月に廃車されています。一方、これらを補うように盛アオ、仙センから17電動車ユニットが転属しています。またクハ481-7, 12, 14, 17が門ミフに転出しています。

1982年11月15日のダイヤ改正では

TcM'MTsM'MM'MTc×11 と編成形態は変わらずとも本数が減少し、所要8本での運用となり、有明(7)(臨時+1.5)、にちりん(1) にちりんの運用が復活しました。

1984年2月1日のダイヤ改正までの間にモハ481/480の電動車ユニットが13, 14, 21を残して廃車され、サロ481も13, 14が廃車されました。一方で門ミフから6電動車ユニットが転入しています。

485_481603_850419_2
現役時代のクハ481-603  1985/4/19 博多 窓のサイズ、個数が特徴

さらに仙センに残っていたクロ481-3, 4, 5が格下げ改造を受けてクハ481-601~603として転入し、希代の珍車と言われるクハ181-109改造の-501 クハ180-5改造の-502(いずれも新潟で改造)が転入しています。181_181109_750000_b

再掲ですが、中央線特急「あずさ」で活躍していた頃のクハ181-109 1975/3 三鷹 クハ181でスカートのタイフォンにシャッターが付いていたのは109のみ

485_481502_850419
クハ481-502 1985/4/19 小倉 
違う系列からの改造のため、車体の高さのずれが生じるという鉄道模型でもありえない改造をしてしまうほど当時の国鉄の財政事情は厳しかったのですね。後年、交直切り替えSWのない状態で下関まで行く運用に入り、小倉で運転打ち切りといったポカもありました。

長崎・佐世保電化による特急「かもめ」「みどり」の復活に合わせて仙センから門ミフに1975年5月から6月にかけて転属したクロ481-1, 2は格下げ改造されることなく廃車になっています。

1984年2月改正時点での鹿カコの485系の配置

モハ485 1-13,1-14,1-21,  21,  22, 23,  24,  25,  26,  27, 28,  29,  30,  31,  32,
              33,  44,  45,  46,  78, 79,  93,  94,  95,  96, 97,  98, 100, 101, 102,
             104, 105, 109, 111, 113, 116, 118, 120, 134, 145

モハ484 0-13,0-14,0-21,  21,  22, 23,  24,  25,  26,  27, 28,  29,  30,  31,  32,
              33,  44,  45,  46,  78, 79,  93,  94,  95,  96, 201, 202, 204, 205, 206,
             208, 209, 213, 215, 217, 220, 222, 224, 601, 602 

<モハ484-600番台>
200番台に車掌室と業務用室を設けたための番台区分で定員は200番台より8名少ない64名となっています。特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用することが多いですが、東北特急では仙センの編成が上野方先頭車にクロ481形を組み込み、盛アオ編成もサロ481形は2号車に連結していたため編成中央部付近に専務車掌室を持つ普通車が必要となり本番台区分が製造されました。この構造は後の1000・1500番台に承継されました。2013/10/19のくろしおの記事でも出てきていますが、1972年製造の601、602は1982年10月27日に盛アオから鹿カコに転属していました。

またモハ484の第二パンタもこの頃から撤去され始めました。

クハ481   1,   2,   3,   4,   5, 6,   7,   8,   9,  10, 11,  12,  13,  15,  16, 18,  20,  33,  34,  35
               36,  37,  38,  39,  40, 501, 502, 601, 602, 603

由来は様々ですが、すべてボンネットタイプで固められていました。

クハ481-6021988年12月4日クロ481-4に復元されました。クハ481-603は引退後、九州鉄道記念館に静態保存されています。

485_48137_850419_2
クハ481-37 ビデオカーに改造された先頭車 1985/4/19 小倉

485_48137_850419
ビデオカーのステッカーと次位のモハ484は第二パンタ撤去済み 1985/4/19 小倉

またクハ481-33・35・37・39の4両は1980年より、サービス向上の一環として運転台仕切にスクリーンの設置・床面を雛壇式とし、出入口付近に「ビデオ特急」のステッカーを貼付てビデオ上映を実施しました。

サロ481  16,  17,  29,  30,  31, 32,  33,  34,  35,  40, 43, 134, 135

サシ481  23, 24, 25, 26, 30

言うなれば、この鹿児島での9年間は485系の長兄である、クハを除いた481系一族の第二の人生であり、最後の時期でありました。

481603_041017
「にちりん」のヘッドマークを付けて静態保存されるクハ481-603 2004/10/17 九州鉄道記念館

車両配置、編成などのデータは「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 鹿児島」のサイトのデータを参考に致しました。

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2013年6月14日 (金)

1975年 新潟の旅 11 189系 特急「そよかぜ」

189系が投入された列車、今回は上野~中軽井沢間の季節列車として活躍した特急「そよかぜ」です。

189
上野駅に入線した189系 特急「そよかぜ」

まずはその登場からの歴史を見てみます。

1968年7月20日:東京駅 - 中軽井沢駅間で季節特急「そよかぜ」が運転開始。 季節特急の「そよかぜ」には当初、運行前年にあたる1967年に横軽対策を施行した157系電車が使用されました。

1975年10月1日:「あさま」が189系化されたことで、この後の「そよかぜ」も189系が担当。

←上野
TcM'MM'MTsTsM'MTc×7 所要5(臨時+1) 189系
あさま(5)(臨時+1)、そよかぜ(2)
 長野18472153上野‥尾久
 尾久‥上野8341133長野12451553上野16342051直江津
 直江津7301152上野12341436中軽井沢18432055上野‥尾久
 尾久‥上野634839中軽井沢10451253上野13341633長野
 長野645950上野10341333長野15471855上野19342235長野
 長野14461752上野20302342長野

Tc×2

189_790929_ret
1978年10月改正後、HMは絵入りタイプに 上野駅での先輩181系「とき」とのツーショット

1978年10月2日:「そよかぜ」2往復のうち1往復が上田行きとして延長運転する日が設定されました。上田駅発着としては最初で最後の特急となりました。

←上野、東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×12 所要10(臨時+2) 189系
あさま(8)(臨時+2)、そよかぜ(2)(臨時+1)、あずさ(5)
 長野19382300上野‥尾久
 尾久‥上野8161132長野12381600上野16462135直江津
 直江津7241200上野13461659長野18382200上野
 上野7161029長野11381500上野15461859長野
 長野7391100上野11461459長野16382000上野‥尾久
 尾久‥上野646906中軽井沢11001330上野14161635中軽井沢18042030上野‥尾久
 尾久‥上野9461259長野15381900上野19462259長野
 長野‥松本9551333新宿14001738松本18162145新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿6401021松本11001433新宿15001839松本19222255新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿9001246松本13401713新宿18002146松本‥長野
 上野10161237中軽井沢1307上田1434中軽井沢15051730上野/上野10161336長野14381800上野
 長野15001830上野20162343長野

Tc×2

1984年7月:横須賀線逗子駅 - 軽井沢駅間を運行する臨時特急列車として、「サロンエクスプレスそよかぜ」が運転されました。 この列車は従前の「グリーン軽井沢」を摸したもので、使用車両としては旧特別二等車群から、改造ながら新車然のジョイフルトレインである「サロンエクスプレス東京」を用いたことが特筆されました。
Ef62_40

EF62 40に牽引され、碓氷峠を登ってきた「サロンエクスプレスそよかぜ」 

1985年3月のダイヤ改正からは2013年1月25日の記事でも紹介しましたように489系9連による「そよかぜ」も運行されました。

1987年8月:「サロンエクスプレスそよかぜ」が廃止。

1997年:「そよかぜ」の運行区間が上野駅 - 上田駅間に変更。
189_3
こちらは兄弟分、183系1000番台「とき」とのツーショット

8月18日:「そよかぜ」が廃止。この後、長野新幹線開業まで運行が設定されることはなく、実質的にこの日が廃止日となりました。

Wikipedia の記事、「183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 長野」のデータを参考に纏めました。

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2013年6月13日 (木)

1975年 新潟の旅 11 189系 特急「あさま」

再び、1975年新潟の旅の話題に戻りますが、今回は183系1000番台の兄弟分といえる、189系です。特急「とき」の話題から、181系、183系1000番台、189系、さらには183系基本番台まで話が跳んで行くと思いますが、いつものことなので。

189_780306
EF63重連に抑速されながら碓氷峠を下る189系特急「あさま」 1978/3/6 熊の平

189系はエル特急「あさま」に使用されていた老朽化の著しい181系を置き換えるとともに、輸送力を増強するために183系1000番台登場からおよそ半年後の1975年6月に登場した系列です。クハ189形0番台(直江津方)、500番台(上野方)、モハ188形、モハ189形、サロ189形0番台(CPのみ)、100番台(MGとCP)の4形式計155両が製造され、新製配置はすべて長野運転所でした。以下にその年度毎の製造に関するデータを載せます。

189_2
昭和49年度第1次債務による1975年上期製造分が「あさま」置き換え用、同第3次債務による下期製造分が「あずさ」置き換え用、昭和52年度第2次債務による1978年、昭和53年度民有と昭和53年度第1次債務による1979年製造分は増発用名義ですが、当初は地上設備の関係から6M4Tの10両での運転をせざるを得なかったのが、問題が解決したため当初予定の12両で運転出来るようになり、一括製造を行い、MM'ユニットが14組28両大量追加になったそうです。
189_2
特急「あさま」は一足先に189系に置き換えられ上野駅では先輩181系とのツーショットも見られました。足元にはボンネット車用のHMが置いてありますが、これは恐らく489系用のものだったのではないかと思われます。

189_750700
189系の上野側のクハは500番台で、一般用KE70とEF63との協調用KE76の二個のジャンパ連結器が装備されていました。

車体構造で特徴的な点は客室窓の車端から2番目を開閉可能な構造(上昇式)にしたことで、停電もしくは冷房故障時対策とのことです。MG・CPの冷却風は183系1000番台では運転室床下から取り入れていましたが、運転室が負圧となって隙間風が入り込んだため、車側の取り入れ口を改良し、温風暖房機を取り付ける改良を行いました。

主制御器はEF63との協調運転時にカム軸が機関車からの指令により途中停止可能なCS15Gとし、誘導分流器は界磁分流率を変えて機関車とのノッチ合わせを可能としたIC58-MR130としました。台車は183系1000番台と同じDT32I,TR69Iですが、軸箱浸水防止のために息抜き管を追加し、雪かき器の強化、歯車箱加圧装置の改良などの変更がなされています。ブレーキ関連では直通予備ブレーキを設置し、抑速発電ブレーキが不能となった場合に動作する抑圧装置を偶数向きT'c車に設置した他、下り協調運転時の前方監視のため、奇数向きTc車運転台側面に車掌弁を設置しました。CPは上記のように、Tc、T'c、Ts、T's車に設置し、1編成4台体制として横軽間で空気バネをパンクさせた後の復元込め時間を短縮することとしました。

189_790505
1978年10月のダイヤ改正前後から189系特急「あさま」のHMも絵入りのものになりました。 尾久

車間の渡りは片渡りで、制御用KE70、協調用KE76、冷房用三相KE9、高圧用KE6を設置し、T'c車は両側にKE70を設置、1位側を一般制御用、2位側を機関車との協調用としました。

189_820103
南浦和 1982/1/3

<特急「あさま」の歴史>

信越本線の列車の歴史で、「あさま」と命名された列車が登場するのは1961年のことでした。
1961年3月1日:小諸駅 - 新潟駅間(小諸駅 - 長野駅間は普通列車)に設定された気動車準急列車が「あさま」と名付けられました。

1962年12月1日:上野駅 - 長野駅間(信越本線経由)の客車夜行準急列車の名称を「妙高」から「あさま」に改め、それまでの「あさま」は名古屋駅 - 新潟駅間の急行列車「赤倉」になりました。

1963年7月15日:碓氷峠がアプト式からEF63形電気機関車を補助機関車とした粘着運転方式に変更する事になり、この時単線で営業を開始しました。
10月1日:碓氷峠での粘着方式による複線運転が開始され、アプト式軌道区間は廃止。これに伴い、準急「あさま」が急行列車化され、「丸池」として運行区間が直江津駅発着(長野駅 - 直江津駅間は普通列車)になりました。

1966年10月1日:上野駅 - 長野駅間に特急「あさま」が2往復で運転開始。「あさま」に充当する車両は田町電車区(現在の田町車両センター)所属の181系電車が使用されました。
運行区間内に存在した信越本線の急勾配区間であった横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)では、EF63形を東京側に連結し電車は無動力にして坂を上り下りしていたので、編成両数に制限がかかり、特急列車の当時の平均的な編成が10 - 12両編成であったのに対し、「あさま」は食堂車の連結も省いた8両編成となりました。

1968年10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、「あさま」が3往復に増発され、1往復は直江津駅まで運行区間を延長し、1往復は東京駅に乗り入れとなりました。

1969年7月:「あさま」に使用する181系電車の所管を田町から長野運転所に移管。

1972年 3月15日:ダイヤ改正により、「あさま」が5往復に増発(2往復は直江津まで運行)。
10月2日:「あさま」がエル特急になりました。

1973年4月1日:東北新幹線・上越新幹線建設工事に伴い「あさま」の東京駅乗り入れが中止され、上野駅発着になる。
10月1日:「あさま」の1往復に「白山」と共通運用の489系電車が運転開始。

1975年10月1日あさま」の181系は新製の189系電車に置き換えられました。 489系同様協調運転が可能で、全列車において最大12両編成での運行ができるようになり、輸送力増強が実現した。ただし、地上設備の関係で当初は10両編成。12両化されたのは1978年10月からとなりました。

1982年11月15日:「妙高」は昼行列車に関しては「あさま」に格上げされ、夜行1往復のみとなりました。使用車両を旧形客車から14系客車に変更。

1985年3月14日:ダイヤ改正により、「信州」「軽井沢」は「あさま」に格上げされて廃止され、「あさま」は15往復になりました。

1986年11月1日:「妙高」の運行区間が上野駅 - 長野駅間に短縮。また、使用車両を「あさま」と共同使用するため189系電車に変更。これによりグリーン車が再び連結されるようになりました。

1992年3月14日:「白山」が1往復に削減。 なお、「白山」のエル特急指定は「あさま」との等間隔運転の一角を成していたため解除されず、「1往復のエル特急」となったまま廃止まで運行されました。

1993年3月18日:「妙高」と臨時急行「越前」が廃止。ともに、上野駅 - 金沢駅間の「能登」に吸収されました。 このダイヤ改正で「あさま」1往復(23,36号)にJR西日本・金沢運転所の489系電車が間合い運用で運用されるようになりました。489系あさま」の写真は既に2013年1月25日付けの記事で紹介済みです。

1996年 - 1997年:品鶴線・山手貨物線経由横浜駅発着の臨時特急「マリンシティーあさま号」が運転されました。

廃止直前は、「あさま」は1日19往復が運転され、そのうち4往復は直江津駅発着となっていました(下り1本は長野駅から快速列車として運行)。夏季や冬季には臨時で妙高高原駅まで延長する列車も存在しました。

1997年10月1日:長野新幹線開業に伴い、特急「あさま」「白山」が廃止。

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2013年6月 6日 (木)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その5

1975年12月の特急「あずさ」の189系化以降、181系は新潟に集結し、特急「とき」で最後の活躍をしていました。

1974年5月24日、新潟駅構内の上越新幹線工事の関係で新潟運転所上沼垂支所が上沼垂信号所そばに開設され、気動車を除く、新潟運転所所属の電車、客車が転属しました。同所は1986年11月1日、上沼垂運転区として独立し、表記も新カヌとなりました。2004年4月1日には、新潟車輌センターになり、略号も20年ぶりに新ニイに戻りました。

1978年10月のダイヤ改正では体質改善と183系1000番台との編成統一がなされ、モロやサハ、サシが廃止されました。以前、485系1000番台の記事489系の記事でも記述しましたが、このときの編成の体質改善の大きな要素は3MG化でした。

181_1811000_801115
485系ベースのサロを組み込み鶯谷を通過する末期の181系特急「とき」編成 1980/11/15

1)車齢の若かった100番台のモロユニット(101~103)は普通車に格下げ改造され200番台のモハユニット(201~203)になりました。

2)長野の保留車、サロ180-101に整備改造と改番を行い、サロ180-1001として復帰させました。

3)他に必要なサロに関しては、鹿カコに所属していたサロ481-26, 27, 28を改造してサロ180-1051, 1052, 1053とし、上越新幹線開業後は485系へのコンバートを前提にサロ181-1100番台6両(1101~1106)を新製しました。これら485系をベースとする付随車は台枠の高さが181に較べて高く、編成に組み込まれると明らかに段違いとなり、編成美は損なわれることになりました。

4)サロ181-1001, 1051, 1052の3両は「とき」運用終了後、サロ110-301,302, 303に再改造されています。

5)サロ181-1100番台6両は「とき」運用終了後、サロ481-1501~1506に再改造され、さらに運転台を取り付けてクロハ481-1501 (今は亡き勝田区K40)、クハ485-703 (リゾートやまどり)、クハ481-1106、クハ484-703 (リゾートやまどり)、クハ481-1108、クロ484-5(ニューなのはな)などに改造されています。

こういった動きで181系の配置両数は64両となり、運用は「とき」14往復中、4往復でした。

手元に1979年4月時点での新潟運転所の181系編成データがあります。

<=新潟                                                                           上野=>
       12    11    10     9      8     7     6       5    4      3     2     1
       Tc    M     M'    M     M'    Ts    T's    M   M'     M    M'    T'c
       45    201  201   42    42  1106 1101 111 111   29   202  0-4
      102   114  114  104  104  1053 1102 106 106  110  110  105
      103   109  109  113  113  1052 1104 102 102  101  101  0-5
      106   203  203   41    41  1051 1105 103 103  107  107  104
     バラ
   Tc         101          109
      M+M'   43-115     108-108   112-112
       Ts     0-1001
       T's      1103
       Td        43             101
       T'c       107
     工場入場車
  M+M'  105-105
   T'c    108

1979年1月モハ181-202は踏切事故に遭遇し炎上し使用不能となりました。その後の対応で、この事故でユニットの相手を失ったモハ180-202は、廃車前提の休車になっていた1962年製造の比較的状態の良かったモハ181-29と新たにユニットを組み運用に復帰しました。モハ181-29は、151系生え抜き最後の1両として1982年の運用終了まで使用されました。一方、同車とユニットを組んでいたモハ180-13と事故車のモハ181-202は、1979年2月20日付で廃車となりました。よって、4月時点での181系の総数は62両となりました(181系における事故廃車はクロ151-7モハ181-202の2両でした)。

この改正で印象深いのは特急などの~号の数字が下り奇数、上り偶数方式になったことと、HMのイラスト化でした。1978年8月頃から、183系1000番台のHMに絵入りマークが登場し、181系ボンネットのHMが絵入りになったのは1979年1月頃からでした。

181_790505_2
181_790505_3
尾久を通過する181系特急「とき」 1979/5/5 あの頃、181系のHMが絵文字化されたのを見て、「じきに廃止されるのになぁ」と正直感じました。

最末期の181系運用は

 上沼垂‥新潟10481503上野15492000新潟
              新潟9481403上野14491900新潟      ‥上沼垂
 上沼垂‥新潟11481603上野16492100新潟    ‥上沼垂

と、いずれも新潟を午前に出て、昼過ぎから午後にかけて上野で折り返すパターンでしたのでこういった写真を撮っていたのだと思います。

1982年11月15日、東北新幹線本格開業と上越新幹線開業のダイヤ改正で特急「とき」は全廃となり、181系も営業運転を終了することになりました。1958年のデビュー以来、24年の活躍に終止符が打たれました。

181_820103
南浦和を行く181系特急「とき」編成 1982/1/3
181_790505_5
489系化された「はくたか」と上野駅高架ホームで並んだ181系「とき」、この頃はクハ180が上野方先頭のケースもよく見られましたが、この編成は100番台のクハでした。 1979/5/5

今回もWikipediaの記事、181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 新潟 のデータ、そしてJRR発行「国鉄電車編成表」のデータを参考に纏めました。

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2013年6月 5日 (水)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その4

1973年5月26日、山陽本線で唯一181系で運転していた「しおじ1/4号」が485系に置き換えられ、山陽路での181系の歴史は終わりました。東海道特急としてのデビューから14年半でした。これ以降、181系は新潟、長野に集結し、「とき」「あさま」「あずさ」の定期運用の他、「そよかぜ」「新雪」などで活躍しますが、151系として製造されたメンバーの活躍はあまり長いものではありませんでした。

181_751100
1975.11の新潟旅行、長岡駅で撮影した181系特急「とき」 1975/11/3
181_751100_2_2
同列車の後追い撮影
1973年10月の改正では13往復まで成長した181系「とき」もわずか2年で、すっかり信用をなくすような形で後輩、183系1000番台にとって替わられ、6往復まで減少しておりました。

ここでまず151系のメンバーとして製造された先頭車、改造先頭車の活躍について纏めてみようと思います。

クハ151

1  向日町 1968.3 田町へ 1969.7 新潟へ 1973.9 長野へ 1976.1 廃車 (保存川重)
2  向日町 1968.7 田町へ 1969.7 新潟へ 1973.9 長野へ 1975.11 廃車
3  向日町 1972.2 長野へ                      1975.11 廃車
4  向日町 1972.3 新潟へ                      1975.5 廃車
5  向日町 1972.9 長野へ                      1975.11 廃車
6  田町   1969.7  新潟へ                      1975.11 廃車
7  向日町 1972.3 新潟へ                      1975.8 廃車
8  田町   1969.7  新潟へ                      1975.11 廃車
9  向日町 1972.9 新潟へ                      1975.8 廃車
10 向日町 1972.10 新潟へ                      1975.8 廃車
11 向日町 1973.9 長野へ                       1976.1 廃車
12 向日町 1972.11 新潟へ                      1975.8 廃車

クハ151-1~6は1958年、7~11は1961年、12は1962年製ですが、いずれも1976年1月までに廃車となっています。クハ181-3,5,7,11は終生赤帯は巻かなかったとのことです。

クロ151


1 向日町 1966.5 クロ181-1 1966.12 クロハ181-1 1973.9 クハ180-53 長野 1976.1 廃車
2 向日町 1965.12 クロ181-2 1967.2 クロハ181-2 1973.10 クハ180-54 長野 1975.11 廃車
3 向日町 1966.1 クロ181-3 1967.3 クロハ181-3 1972.3 クハ180-52 長野 1975.11 廃車
4 向日町 1965.9 クロ181-4 1966.12 クロハ181-4 1972.3 クハ181-62 新潟 1978.6 廃車
5 向日町 1966.6 クロ181-5 1966.11 クロハ181-5 1973.9 クハ180-55 長野 1975.11 廃車
6 田町 1965,3 クハ181-56 1969.7 新潟 1975.8 廃車
7 1964.9.8 4.24の草薙事故で事故廃車
8 向日町 1965.8 クロ181-8 1966.10 クロハ181-8 1972.10 クハ181-63 新潟 1979.2 廃車
9 向日町 1966.8 クロ181-9 1967.3 クロハ181-9 1973.1 クハ181-64 長野 1978.6 廃車
10 向日町 1965.11 クロ181-10 1967.1 クロハ181-10 1972.11 クハ181-65 新潟 1978.9 廃車
11 向日町 1966.7 クロ181-11 1968.9 クハ181-61 田町 1969.7 新潟 1978.7 廃車
12 向日町 1966.4 クロ181-12 1969.3 クハ180-51 田町 1969.7 長野 1976.1 廃車

クロハ181形は1966年度にクロ181形の開放室を定員32名の2等客室に改造し誕生した形式で、向日町に転属した10編成のうち、特11,12編成以外のクロが改造されました。

クロ150-3

田町 1965.3 クハ181-53 1969.7 新潟 1975.11 廃車

クハ181-71

サハ180-1 1968.12 田町 1969.7 新潟 1975.8 廃車

クハ181-72

サハ180-13 1968.12 田町 1969.7 新潟 1975.11 廃車

といった改造遍歴を辿り、どの車輌も1979年までに廃車になっています。

続いて161系由来と181系新製クハの履歴です。

クハ181-40番台の履歴

41 1965.6 田町 1969.7 新潟 1975.11 廃車
42 1965.5 田町 1969.7 新潟 1976.5    廃車
43 1965.5 田町 1969.7 新潟 1976.5  廃車
44 1965.1 田町 1969.7 新潟 1978.7  廃車
45 1965.1 田町 1969.7 新潟 1986.3  廃車 保存 鉄道博物館 大宮

クハ181-100番台の履歴

101 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 198311 廃車
102 1966.6 田町 1969.7 新潟          1982.12 廃車
103 1966.8 田町 1969.7 新潟          1982.12 廃車
104 1966.8 田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 1983.3  廃車
105 1966.8 田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 1983.11 廃車
106 1966.8 田町 1969.7 新潟          1983.11 廃車
107 1966.9 田町 1969.7 長野 1975.7 新潟 1983.11 廃車
108 1966.9 田町 1969.7 新潟          1982.12 廃車
109 1969.6 長野          1975.6 新潟 1984. 1 クハ481-501に改造 1993.11 廃車     

クハ180-0番台の履歴

1 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.11 廃車
2 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.11 廃車
3 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.11 廃車
4 1966.6  田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 1982.9 廃車
5 1969.6 長野          1975.7  新潟 1984.1 クハ481-502に改造 1991.8 廃車

1969年7月に181系は田町区から運用移管されて長野と新潟に分かれましたが、新潟、長野間での移動は1973年9月に「あずさ」の運用移管の関係でクハ181-1,2が新潟から長野へ転属したケースと、1975年6月から7月にかけて長野の181系が189系に置き換えられる際に、クハ181-101, 104, 105, 107, 109、クハ180-4,5が新潟に転属したケースのみです。
クハの番号を判別する際にどの列車を担当しているかも重要な判断基準となります。例えばチャンピオンマーク付きのクハ181ー3、-4の2両は1972年に両者、関東に転属していますが、3は長野、4は新潟に配属されたため、「あさま」「あずさ」と「とき」に担当が分かれていました。

1973年10月のダイヤ改正で、「とき」13往復、「あずさ」10往復(181系は5往復)、「あさま」5往復まで成長しましたが、このときが関東における181系の活躍のピークでもありました。この改正後の冬シーズンから181系は大雪に悩まされ、1974年12月にはついに183系1000番台によって3往復が置換となり、1975年10月には7往復が置換されます。このとき、181系「とき」の編成は183系1000番台に合わせて12両編成となりました。

1975年7月には碓氷峠の連結制限解消のため、169系489系で培ってきた方式を直流特急車両にも取り込んだ189系がデビューし、「あさま」が置き換えられました。「あさま」の置き換えで捻出された比較的車齢の若い181系が新潟に転属となり、151系からのメンバーが廃車となりました。クハ180に関しては、1~4が1966年製、5が1969年製でしたが、4は5とともに新潟に転属し、その後「とき」で活躍しました。4,5は片渡り構造であったので、長野工場で両渡りに改造して新潟に転属しました。

181_1804
「あさま」編成用に登場したクハ180でしたが、「あさま」が189系化された後は、-4と-5が新潟に転属し、「とき」で活躍しました。
181_1804_2_2
クハ180-4のサイドビュー スカートは短く、クハ181に較べてセットバックされており、そこにEF63連結用のテコなどが装備されています。

1975年12月には「あずさ」も189系で置き換えられ、長野には保留車のサロ180-101だけが残され、108両が新潟集中配置となりました。

181_1805
ミスショットですが、「とき」で活躍するクハ180-5 ボンネットサイド下の空気取り入れ口が縦スリットになっています。485_481500_860219_3_2
後年、クハ180-5は改造されてクハ481-502となりましたが、出自の違いは隠しようがなく、車体の段差を含め、普通の人が見ても「あの電車、ヘン!」だったのではないでしょうか。1986/2/19 小倉

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。

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2013年6月 4日 (火)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その3

今回は東海道新幹線開業前後の151系、161系の動きと181系への改造、そして181系としての新造車について触れたく思います。

181_7
クハ181-102 ボンネットの天蓋は1つ、スカートのタイフォンの穴は小判形の典型的な181系新製のクハ 上野

1962年頃から、新幹線開業後の151系の転用について検討が開始され、10編成は山陽本線で新幹線に接続する特急として運用することにし、30両は上越特急増発用に充てることになりました。151系、161系を出力増強し、さらに151系は耐寒耐雪装備を施し、181系として統一することに致しました。出力増大改造は田町に残った30両のうち、長期休車の2両を除いた28両から開始され、長期休車だったサロ151-6が1968年11月、サロ150-2が1969年6月に181系化されて、全ての151系が181系に生まれ変わりました。大井工場で早期に改造が終了した編成はステンレスナンバーを白く塗って区別したそうです(白ナンバー車)。

151系の形式のまま、181系になる場合は原番号のまま。
161系は原番号+40
モハシ150からモハ180は、+50  (56,58,59)
クロ150-3はクハ181-53 (特8編成)
クロ151-6はクハ181-56 (特6編成)

改造工事は大井工場、浜松工場で行われ、その内容は、151系では主電動機をMT46A(100kW)からMT54(120kW)に交換、制御方式をCS12AからCS15Aに交換し、ノッチ戻し、勾配抑速ブレーキの取り付け、耐寒耐雪装備、161系ではMT46BからMT54、CS12CからCS15Aノッチ戻し取り付けとなりました。

1964年10月改正で151系が担当した山陽特急は「つばめ」「はと」新大阪~博多、「しおじ」新大阪~下関、「うずしお」大阪~宇野、「ゆうなぎ」新大阪~宇野でした。

←博多、宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×10(151系) 所要8
つばめ(1)、はと(1)、しおじ(1)、うずしお(1)、ゆうなぎ(1)
 向日町‥新大阪13302245博多‥雑餉隈
 雑餉隈‥博多7101630新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪12202130博多‥雑餉隈
 雑餉隈‥博多8451812新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪15202320下関
 下関6301435新大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12401535新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪14201720宇野19112200大阪‥向日町

山陽区間には瀬野~八本松が存在し、1962年6月の改正から151系「つばめ」が広島まで乗り入れていましたが、上り列車はEF61の補機としての助けを借りていました。さらに「つばめ」「はと」の博多まで延長運転に際して、関門区間はEF30+サヤ420+151系、門司~博多間はED73+サヤ420+151系で運転されるようになり、6編成(特1・4・5・7・9・11編成)に対応改造がなされました。これらの編成は1964年4月から松任工場に入場し、改造後はステンレスナンバーを赤く塗って区別したそうです(赤ナンバー車)。

九州乗り入れ改造の内容は、補機駆動電源帰線の引き通し、クハ・クロへのブレーキ管、元空気ダメ引き通し管の延長・ジャンパ栓増設、二重施錠方式のPS16Eパンタグラフへの交換でした。

1965年3月20日の改正では181系改造済み編成の投入もあって、特急「とき」が一往復増発され、編成も7号車にサハ180を増結して10両編成となりました。

←上野
TcMsM'sTdM'MTM'MTc×4(151系改,161系,181系) 所要3
とき(2)
 品川‥上野16452130新潟
 新潟8301315上野‥品川
 品川‥上野7501235新潟15152000上野‥品川

Ts×2(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(151系改,161系,181系)

1965年10月1日の改正では特急「つばめ」「はと」の博多乗り入れを取りやめ、新大阪~広島間に「しおかぜ」を2往復新設し、「つばめ」は増備された481系により、名古屋~熊本間の運転となりました。さらに、新大阪~下関間の「しおじ」も増発されました。

←下関、宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×10(151系,181系) 所要8
しおじ(2)、しおかぜ(2)、うずしお(1)、ゆうなぎ(1)
 向日町‥新大阪17302200広島
 広島8051240新大阪15302310下関
 下関7001440新大阪‥向日町
 向日町‥大阪8501140宇野12451540新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪14301726宇野18352124大阪‥向日町
 向日町‥新大阪12302010下関
 下関10001742新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪9301356広島16102041新大阪‥向日町

1965年12月からは山陽特急の1等車の乗車効率が30%と芳しくなかったため、一部の編成の4号車のサロを一両減車し、11両編成化がなされました。大ムコの151系についても1965年から181系化改造工事が始まり、1966年10月のダイヤ改正までに終了しました。

一方、「とき」の編成の7号車サハ180は1966年3月25日の改正から編成内でのMGの負担を均衡化するために方向転換して4号車に連結されるようになりました。

特急「とき」の編成

Tc+Ms+M's+T+Td+M'+M+M'+M+Tc     東チタ 

1966年7月には碓氷峠の複線化が完成し、長野運転所も開設され、10月1日長野~直江津間電化完成に伴うダイヤ改正が実施され、上野~長野間に電車特急「あさま」が2往復設定されました。同時に「とき」も1往復増発され、3往復となりました。「あさま」は碓氷峠通過の制約から8両の短編成となり、サシの連結は見送られ、従来からのサシでの制御線のクロスが不可能となったため、偶数向き専用クハとしてクハ180が登場しました。この改正に伴う所要増に対応するために181系として45両の新製車が、モロ、モハ、クハ、サシが100番台として(クハ180は除く)登場しました。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×7 所要6
とき(3)、あずさ(2)
 品川‥上野16452130新潟
 新潟8001244上野‥新宿16202018松本
 松本8001155新宿‥品川
 品川‥新宿8001157松本15101908新宿‥品川
 品川‥上野8051250新潟13401825上野‥品川
 品川‥上野11451630新潟17352220上野‥品川

TcM'MM'MTsTsTc×3 所要3
あさま(2)
 品川‥上野13301700長野
 長野7451120上野‥品川
 品川‥上野9301300長野14351810上野‥品川

Ts×2(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Ts×1 Td×1

181_181_b「あさま」が189系に置き換えられたのは私が写真を撮りだしてまもなくだったため、こんな写真しか撮っていません。
181_180_3
クハ180の「あさま」もこの一枚だけでした。 尾久 
これらの写真から「あさま」には2種類のHMがあったことは分かります。

特急「あさま」の編成

T'c+M'+M+M'+M+T's+T's+Tc 東チタ

モロ181・180   101-103 (横軽対策は施工せず)
モハ181・180  101-112
クハ181     101-108
クハ180      1-4 (補機連結のため、自連カバー、取り付けボルトは省略)
サロ180     101
サシ181     101-103 (カーテンからベネシャンブラインドへ)

161系を基本としていますが、横軽対策(空気バネのパンク装置、非常ブレーキ吐出弁絞り追加、台枠と連結器の強化、連結器緩衝装置の容量増加)、中央線山用対策(屋根上前照灯、予備笛、ウインカーランプ撤去、パンタグラフ折りたたみ高さの抑制)が施されました。歯車比は151系と同じ3.5になりました。主制御器はCS15B、台車はDT32C,TR69Cとなりました。また従来からあった後方列車保護のための前灯に赤色フィルターの設置もなくなりました。このときに製造されたサシのうち、102,103の2両は1972年にサシ489形に改造されました。

181_181101
クハ181-101 181系として発注され、川崎重工で落成しました 上野

さらに、この改正に備えて大ムコからサロ181 5両、サロ180 5両が田町に戻り、サロ181 3両はサハ181形に改造されました。この時点で山陽特急は全編成181系、11両編成となりました。

1966年10月時点での山陽特急の編成

Tsc+Ms+M's+Td+M'b+M+T'+T'+M'+M+Tc  大ムコ

1号車のパーラーカーは乗車率が芳しくないため、解放室をハザに改造しクロハに改造する工事が1967年春までにクロ181-11,12の2両を残して施行されました。この2両を含む編成は1967年4月以降、「うずしお」「ゆうなぎ」に限定運用されたそうです。

1966年12月12日、中央東線の線路容量増加工事(大月~勝沼間の複線化やスイッチバックの解消)が終了し、時刻改正が行われ、新宿~松本間に特急「あずさ」2往復が新設されました。編成は特急「とき」と共通となり、上野~東京~品川~新宿と回送運用が生じ、号車番号は逆向きとなるため、編成札の入替を行いました。

特急「あずさ:の」編成

Tc+M+M'+M+M'+Td+T+M's+Ms+Tc   東チタ

1967年9月には新清水トンネルの開通など、上越線の全線複線電化が完成し、同年10月1日のダイヤ改正では、特急「とき」もスピードアップが実現し、さらに「とき」1往復が東京駅に乗り入れるようになりました。

1968年10月、いわゆるヨンサントウのダイヤ改正では、軌道強化工事が完了し、最高速度が120km/hに向上し、運転時分も短縮され、山陽路では「しおじ」「うずしお」それぞれ3往復担当の運用減となり、特1,特2編成が田町区に再転属となりました。この改正からパーラーカーをクロハ181に統一することとなり、貴賓車予備で残されていたクロ181-11,12は特1,特2編成と差し替えられ、それぞれクハ180-51、クハ181-61に改造されました。特1編成に組み込まれていたサハ180-1サハ180-13は関東では先頭車の不足が予見されていたため、100番台と同様の運転台を設置し、クハ181-71,72となりました。大ムコの181系11両編成に関してもMG付加の均衡化から、7号車のサハを方向転換して4号車に連結するように編成変更が行われました。

←下関、宇野
ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×7 所要6(臨時+1)
しおじ(3)(臨時+1)、うずしお(3)
 向日町‥新大阪17352025宇野
 宇野8401132新大阪13351629宇野18352132大阪‥向日町
 向日町‥大阪8501134宇野12291522新大阪17282154広島
 広島8151242新大阪15282246下関
 下関7251442新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪10281450広島16152045新大阪‥向日町
 大阪9201335広島14201848新大阪

ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×1
M'b×1 Tsc×1 T×1

特急「とき」はこの改正で2往復増発され、5往復となり、「あさま」も直江津までの1往復が増発されました。「あずさ」も季節特急が1往復増発されました。これらの増発は「しおじ」を583系で置き換えることで、181系23両を大ムコから東チタに転属させ、予備車の1両を加えて可能となりました。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×9 所要7
とき(5)、あずさ(3)(臨時+1)
 品川‥新宿8001142松本12351617新宿17002047松本
 松本8001145新宿13001642松本18002144新宿‥品川
 品川‥新宿9551347松本15051845新宿‥品川
 品川‥上野10001400新潟15001905上野‥尾久
 尾久‥上野8051205新潟13001705上野‥東京18002202新潟
 新潟10001405上野15051905新潟
 新潟8001207東京‥上野13051705新潟18002205上野‥品川

TcM'MM'MTsTsTc×3 所要2(臨時+1)
あさま(3)、そよかぜ(臨時2)
 品川‥上野8401145長野12401550上野‥東京16402105直江津
 直江津7301201東京‥上野13301635長野18052118上野‥品川
 東京720935中軽井沢10251247東京13301550中軽井沢16401901東京

Ts×2(151系)
MsM's×1 M×1 Ts×1 Td×1

1969年7月1日、田町区の運用移管が行われ、新潟運転所に「とき」「あずさ」用94両、長野運転所に「あさま」用32両が転出しました。一方、昭和43年度第4次債務でモハ181・180、クハ181、クハ180、サロ180の5形式8両が、新製増備されました。これは季節臨時列車「そよかぜ」2往復への投入を目的としたもので、これらの車輌は長野区に配置されました。

モハ181・180 113-114
モハ180 単独 115 
(単独製造の理由は2013/5/8の記事で記述したようにモハシの改造で遊ぶモハ181を有効利用するため)
クハ181  109 
クハ180   5 
サロ180  101

今回の2両のクハはタイフォンカバーが中折れ式シャッターに、ボンネット空気取り入れ口縦型スリットにといった形態的変化を示しました。

1969年10月の改正では、「しおじ」4往復と、「うずしお」2往復に担当を変更し、特4編成からモハ181-4とモハシ180-4のユニットを外し、これらのうちモハ181-4は長野に転属し、同時期に新製されたモハ180-115と新規にユニットを組みました。この時点で大ムコの配置は7編成と予備車9両の86両体制となりました。

←下関、宇野
ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×7 所要5(臨時+1)
しおじ(4)(臨時+1)、うずしお(2)
 休
 向日町‥大阪8501134宇野12291522新大阪1728045下関
 下関5401312新大阪15282248下関
 下関7001422新大阪16282054広島
 広島7101140新大阪13351629宇野18352132大阪‥向日町
 向日町‥新大阪10281450広島16152045新大阪‥向日町
 大阪9021312広島15241950新大阪

M'sMs×1 M'b×1 M'M×1 Thsc×1 Td×1 T×1 Tc×1

1970年10月1日の改正で山陽特急のビュッフェの営業は廃止となり、モハシ180形はモハ180形50番台に改造されることとなりました。一方で「とき」は6往復に増発、「あずさ」も4往復になりました。

1972年3月15日の新幹線岡山開業の改正では、大ムコから181系15両が新ニイに転属し、大ムコの181系は5編成(特5,9, 10, 11,12)と予備車(M-3, M'-53, Tsch-9, T'-19)休車(M'b-11)となりました。「うずしお」が廃止され、「はと」3往復は復活しましたが、「しおじ」1往復の体制となりました。

←下関
ThscMsM'sTTdM'MTM'MTc×5 所要4(臨時+1)
しおじ(1)(臨時+1)、はと(3)
 下関5301238新大阪16302335下関
 下関11351630岡山17352230下関
 下関7351230岡山15352030下関
 下関6351130岡山12351730下関
 大阪7431205広島13191744新大阪

M'b×1 M'M×1 Thsc×1 T×1

一方で「とき」は7往復、「あさま」は2往復増発され5往復、489系12両編成による「白山」も登場となりました。「あずさ」もこれまで季節列車だった列車が定期に格上げされました。長野運転所での増発に対して、サロ2両組み込みのための車輌が底をつくことになり、初めてモロが長野に配置されたのもこの頃です。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×10 所要8(臨時+2)
とき(7)(臨時+2)、あずさ(4)
 休
 上野600956新潟10401439上野16302021新潟
 新潟8401239上野13301723新潟18402239上野‥三鷹
 三鷹‥新宿8001137松本1246白馬1351松本15051843新宿‥尾久
 尾久‥上野7301123新潟12401639上野18052156新潟
 新潟6401046東京‥上野11301523新潟16402039上野‥三鷹
 三鷹‥新宿9301306松本13401711新宿17452125松本
 松本8001128新宿12501630松本17052035新宿‥東大宮
 東大宮‥上野9301323新潟14401839上野‥東京19252323新潟
 新潟9401339上野15301924新潟
 新潟17402144上野

MsM's×1 M'M×1 Tc×1 T×1 Td×1

←上野
TcM'MM'MTsTsTc×5   TcM'MTTM'sMsTc×1 所要5(臨時+1)
あさま(5)(臨時+3)、そよかぜ(2)
 長野18302135上野‥尾久
 尾久‥上野8251124長野12301536上野‥東京16202039直江津
 直江津7151141東京12251433中軽井沢18302052東京‥尾久/中軽井沢17311942上野
 尾久‥東京730938中軽井沢10281241東京‥上野13251624長野/上野7371038長野11281442上野
 長野6501006東京‥上野11251424長野15301836上野‥東京19202227長野
 長野9251235上野13331658長野19162252上野2357418長野-520関山

M'sMs×1 Tc×1 T×1

同年10月の改正では「はと」が485系に一部置き換えられ、1973年5月には「しおじ」1往復も置き換えられ山陽路での181系活躍は終わりました

181_1815_7207_a
1972年3月のダイヤ改正で忽然と復活した181系「はと」 クロハ181-2 1972/7 岡山

山陽路で使用されていたクロハ181は関東に転属後、1973年までにクハ181もしくはクハ180に改造されました。オリジナルのクハに較べると車体長が500mm短かったそうです。一方、モハシ180はクモヤ190-1に改造された11を除いて、モハ180に改造となり、番号は原番号+50のルールが守られました。

181_63_5
オリジナルはクロ151-8、クロハに改造後、特9編成で山陽路で1972年3月以降も活躍しましたか、1972.10月に長野工場で改造を受け、クハ181-63として活躍の場を関東に見いだしました。 上野 このクハのスカートは少し後退して取り付けられているのが特徴でした。

一方、この時期、大ムコの181系の改造を待つ形で「とき」「あずさ」は小刻みな増発を繰り返し、1973年10月には「とき」13往復、「あずさ」10往復まで増発がなされました。但し、「あずさ」の5往復は幕張区の183系が担当しました。

1973年4月からは新幹線工事のため東京駅第7ホームが使用できなくなり、東京発着がなくなりました。回送線も使用できなくなることから、181系の「あずさ」の担当は長野になりました。編成は10両編成でしたが、「とき」とは違って食堂車は不連結となり、こちらの10両編成もサロとモロをグリーン車とする2種類が誕生しました。

←上野
TcM'MM'MTsTsTc×5 TcM'MTTM'sMsTc×1 所要5(臨時+1)
あさま(5)(臨時+2)、そよかぜ(2)
 長野18302135上野‥尾久
 尾久‥上野8251124長野12301536上野16252039直江津
 直江津7151134上野12321433中軽井沢18302045上野‥尾久/中軽井沢17061926上野
 尾久‥上野735938中軽井沢10281235上野13251624長野
 長野650957上野11251424長野15301836上野19252225長野
 長野11261453上野15251843長野19372254上野2357448妙高高原

181_181109_750000_b
スカートのタイフォンの穴にシャッターが付いたクハ181-109(ラストナンバー)を先頭にした特急「あずさ」 1975/3 三鷹

クハ181-109は最初長野に配置され「あさま」「そよかぜ」でさらに「あずさ」で活躍した後、長野の181系が189系で置き換えられると新潟に転属し「とき」で最後まで活躍しました。さらにクハ481-501に改造され、九州内特急の先頭車でも活躍しました。廃車されたのは1993年でした。

181_180_750000_b
逆側のエンドはクハ180でしかもボンネットの天蓋から、クロ、もしくはクロハから改造のクハ180-50番代でした。 1975/3 三鷹

1958年11月からの151系の歴史を追っかけて来て、ここら辺で漸く自分のリアルタイムの記憶と一致して来た気がします。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。さらに各改正における編成、時刻データは181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 のデータを参考に致しました。

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2013年6月 3日 (月)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その2

1964年10月東海道新幹線の開業で、東海道特急の座を追われた151系は、山陽路での活躍のため、大半が向日町に転属しました。一方、今回の主題である、上越特急「とき」は1962年6月10日の長岡~新潟間の電化に備えて計画されました。当初は151系の共通運用による投入が考えられましたが、勾配区間である上越線に151系が投入できるかどうか1961年6月に性能試験を行ってみた結果、151系では電動機が過熱してアウト、157系はokという結論が出ました。157系は当時、準急仕様で冷房装置の取り付け、耐寒耐雪改造、食堂車の新造が必要となるため、地元の要望も考慮し、「こだま」の車体に157系の走行性能を組み合わせ、あわせて耐寒耐雪構造を付加した新形式ということになり、中京地区の修学旅行用電車159系 の次の系列番号と言うことで161系となりました。

181
西日暮里を行く特急「とき」 

クハ181のボンネットの天蓋の形は形態判別基準になっており、写真のクハのような2つタイプは、1960年新製のクハ181-7~12、161系改造のクハ181-41~43、クロやクロハから改造のクハ181-53、56、61~65に共通に見られました。

昭和36年度第2次債務で161系は新製されました。形式は151系に較べて単純化され、
モロ161、160、モハ161、160、クハ161、サシ161の6形式、編成は新潟寄りから、Tc+M+M'+M+M'+Td+M's+Ms+Tc の6M3Tとし、サシで制御線はクロスされました。

車両数は1編成と予備車6両(モロユニット1,モハユニット1、クハ1、サシ1)で、メーカーは汽車と近車となりました。昭和39年度早期債務でも161系3両(クハ2両、サシ1両)が発注されましたが、この3両は181系として落成しました。

走行装置は主電動機MT46B、歯数比を4.21(151系は3.50)とし、主幹制御器はCS12Cとなりました。台車は強化形のDT23CとTR58Bとなりました。
181_18143
特急「とき」編成に組み込まれたサシ181-43 上野

「とき」181系編成の食堂車廃止が噂された頃、撮影したものですが、この43は、昭和39年度早期債務で161系として発注され、181系として落成した3両のうちの一両です。

161系は151系との区別のため、クハのボンネットに赤帯を巻きました。これは雪中での視認性向上を目的としたものでした。後年、山陽路から転属したクハにも巻かれましたが、耐寒耐雪改造のシンボル的な意味があったそうです。昭和39年度早期債務で発注され、181系として落成したクハ181-44, 45は赤帯が太めに塗られたことと、ボンネットの天窓が大型の1つタイプになりました。

161系は田町区に配属となり、上野を16:50に出発、4時間40分の走行で21:30に新潟到着、滞泊した後、翌日の8:30に新潟を出発して、12:10に上野に戻る運用でした。161系時代の「とき」の話題でよく取り上げられるのが、1963年のサンパチ豪雪で1月24日発の下りが20時間10分遅れで到着し、そのまま運休となり、2月17日まで運休となったこと、1964年4月24日に発生した「第1富士」の草薙事故で被災したクロ以外の車輌が復帰し、サロ改造のクロ150-3が投入されるまでの間、クハ161が東海道運用に投入されたため、予備車なしの状態を解消するために157系と161系混結の「とき」が走ったこと、さらに1964年6月19日の新潟地震では、上野到着寸前であったため、下り列車は運休となり、そのまま田町滞泊となったことなどです。その後、「とき」編成は逗子に疎開しましたが、新潟で165系編成が大量に被災したため、6月20~23日には急行への使用も行われたようです。同年7月9日には「第2こだま」が沼津~原間で踏切事故を起こし、クロ151-1が破損したため、14日に復旧するまで再びクハ161が投入されたそうです。
181_8
上野駅高架7番ホームで出発待ちする特急「とき3号」2005M 1975/3 当時のダイヤでは毎時38分が「とき」の出発時刻でした(17時台、18時台発以外)。このクハも天蓋が2枚のタイプで番号は不明ですが、161系オリジナルタイプかも知れません。

161系は東海道新幹線の開業と共に新製後3年で181系に出力増大改造されることになり、全車40番台に編入されました。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。

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2013年6月 2日 (日)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その1

1975年秋の新潟旅行で思い出深いのは初めての特急「とき」の乗車であり、人生二度目の181系乗車でもありました。乗車区間は長岡から水上で、列車は上り「とき9号」2018Mの自由席でした。因みに最初の181系乗車は2012/10/26の記事で触れた、特急「はと1号」岡山~小郡間でした。

当時の特急「とき」は豪雪の上越区間を高速で走行する負担から1974年1月には181系の担当列車5本が運休に追い込まれる事態が発生し、国会でも問題となりました。開発中だった189系をもとに急遽開発された183系1000番台1974年12月28日から投入され、13往復中3往復が置き換えられました。但し、当時の流れから食堂車は連結されませんでした。さらに1975年10月からはさらに4往復183系1000番台に置き換えられ、形勢は逆転していました。

今回からは数回に渡ってモハ20系~151系・161系~181系の歴史を振り返って見たいと思います。といっても電車特急「こだま」のデビューした1958年11月と言えば、まだ3歳になる少し前ですので、私自身記憶もないので、その時代の編成データや「とき」などで撮影した写真から振り返りたく思います。

今回は栄光の東海道特急時代です。

195811_1_151_5
まず、1958年11月にビジネス特急「こだま」として、デビューしたときはTcMM'bTsの4連基本編成を背中合わせに繋げた8両編成でした。基本編成は田町電車区所属でビジネス特急からB編成として、川崎重工、近畿車輛、汽車会社の3社によるそれぞれ2編成が繫がれていました。デビュー当時は20系でしたが、1959年6月の車両称号規程改正により151系電車と改められました。CS12電動カム軸多段抵抗制御器により2両分8基のMT46A形主電動機を制御するMM'ユニット方式で、台車は101系などで使用されたDT21系を基本に枕バネを空気バネに改めたDT23・TR58形でした。

TcMM'bTsTsM'bMTc×3(20系) 所要3
こだま(2)
 品川‥東京7001350大阪16002250東京‥品川
 品川‥東京16002320神戸‥宮原
 宮原‥神戸6301350東京‥品川

195911_2_151
1958年暮れから1959年の正月や1959年の5月の連休や夏休みには予備編成のMM'bを5~6号車間に挿入した10両編成も走り、1959年12月からは、上記のように、昭和34年度本予算で製造されたモロ151・150-1・3・5とサハ150-1 - 6を組込んで順次編成変更が行われ暫定12両編成に増強されました。

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三鷹を通過するチャンピオンマーク付きクハ181-3編成の特急「あずさ」 1975/3

1959年7月27日 - 31日に、B3・B4編成を使用して高速度試験が東海道本線金谷 - 藤枝間の上り線で行われ、31日に163km/hという当時の狭軌鉄道の世界最高速度が記録されました。その功績を讃えるため、この試験に使用されたクハ151-3・4の前頭部にチャンピオンマークが付けられていました。3のマークは1969年頃、塗りつぶされたようですが、関東転入後、復活し、4は1974年春に赤帯を入れられ、マークを取り外されたそうです。3は最後まで帯は入れられなかったそうです。

181_9_2
上野駅から御徒町方向へ引き上げる181系「とき」 1975/7
クハのライトケース下の空気取り入れ口が1つのタイプは1次車1~6の証です。鉄道ピクトリアル誌No766の佐藤 博氏による、181系先頭車45枚の肖像で判断すると連結器カバーの形態とデフロスターがないことから、クハ181-6と思われます。

196006_3_151
1960年5月31日に昭和34年度1次債務で製造された増備車を組込んで6編成にする編成変更が行われ、翌6月1日から「つばめ」「はと」を電車化して本数が倍増しました。このとき、「はと」の名称は「つばめ」に吸収される形で一旦、消滅しました。

[2013/12/7追記]なお、この編成替えには吹田工場で新たに編成に加わるクロ+モロ+モロ+サロなどを背中合わせにした編成を準備して、田町に回送し、到着後、奇数側と偶数側に分けて、偶数側と在来編成の偶数ナンバーの編成を併結し、三角線で方向転換するといった方法で新編成をくみ上げたようです。Wikipediaにも書かれていますが、5月31日の一日で稼働中の編成に新たな車両を組み込み、さらに方向転換も行うため準備は周到になされたとのことです。なお、両端がクロの編成のお写真はやぶおさまの掲示板に掲載されています。

←神戸
TcMM'bMsM'sTsTsTTM'bMTc×6(151系) 所要5
こだま(2)、つばめ(2)
 品川‥東京16302300大阪‥向日町
 向日町‥神戸6301330東京14302128神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪14302100東京‥品川
 品川‥東京9001530大阪16302300東京‥品川

客車特急で連結されていた1等展望車を廃止した代替として大阪方に「パーラーカー」クロ151形の連結、全室食堂車も組み込まれた12両編成となり、日本の電車特急としては空前絶後の豪華編成となりました。
上記の編成図で、斜体は方向転換された車輌を意味します。ゴシック体は今回、増備された車輌で、モハ151が10番台となっているのは乗務員室が乗客専務車掌室に変更されたため、新形式となったサロ150の意味は回送運転台未設置のため、サシ151には回送運転台が設置されました。編成名は特1~6編成になりました。151系の頃は、枝番も10番台とか、40番、50番台と後に較べると慎ましやかに付けられていました。

196111_4_151
1961年10月のダイヤ改正で151系は、新たに東京 - 宇野・神戸の「富士」、東京 - 大阪の「はと」、東京 - 名古屋の「おおとり」、間合い運用となる大阪 - 宇野の「うずしお」にも充当されることになり、昭和35年度本予算で56両が増備され、編成は1等車1両が減車された11両編成で11本が揃えられました。この改正の話題はこれまでにも気動車特急の歴史で記述してきましたが、列車番号の後にMとかDを付けるようになったのはこの改正からだそうです。

←宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTM'MTc×11(151系) 所要10
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
 品川‥東京18002215名古屋
 名古屋7451200東京13001930大阪‥向日町
 向日町‥神戸7301430東京15302230神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京16302300大阪‥向日町
 向日町‥大阪7001330東京14302100大阪‥向日町
 向日町‥大阪13001930東京‥品川
 品川‥東京9001530大阪16302300東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪14302100東京‥品川
 品川‥東京8001720宇野19102200大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12402200東京‥品川

MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)

この時点から編成に組み込まれない予備車が登場しました。
モロ151-12+モロ150-12・モハ151-27+モハ150-12(近車)
モハ151-19+モハシ150-8(川車)
サロ150-6 
サロ150は回送運転台は未設置でしたがこのとき改造して設置されました。

181_18118012
特急「とき」の編成に組み込まれて活躍するモロ181-12 上野

196201_5_151
サロ150-11は当初より、回送運転台を設置

1962年6月には「つばめ」1往復が広島まで延長され、昭和36年度2次債務で11両編成1本(特12編成)が増備されました。

←広島、宇野、上野
TscMsM'sTsTdM'bMTM'MTc×12(151系) 所要11
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
 品川‥東京18002215名古屋
 名古屋7451200東京13001930大阪‥向日町
 向日町‥神戸7301430東京15302230神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京16302300大阪‥向日町
 向日町大阪7001330東京14302100大阪‥向日町
 向日町‥大阪13001930東京‥品川
 品川‥東京9002010広島
 広島9452100東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪16302300東京‥品川
 品川‥東京8001720宇野19102200大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12402200東京‥品川

TcMsM'sTdM'MM'MTc×1(161系) 所要1
とき(1)
 新潟8301310上野16502130新潟

MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(161系)

196308_6_151_2
予備車 モロ151-12+モロ150-12・モハ151-27+モハ150-12・モハ151-19+モハシ150-8・サロ150-6 の7両

1963年8月には昭和37年度2次債務で製造されたサハ150形が1両増結され、再び12両編成となりました。これで151系としての増備は終了し、151両が田町区に配置されました。編成の内容をみると分かるように12両編成が11形式で構成され、唯一同じ形式のモハ151形式も0番台と10番台に分かれています。この反省から481系の新製の際は形式数を減らす努力がなされました。

←広島、宇野、上野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×12(151系)
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
 品川‥東京18002215名古屋
 名古屋7451200東京13001930大阪‥向日町
 向日町‥神戸7301430東京15302230神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京16302300大阪‥向日町
 向日町大阪7001330東京14302100大阪‥向日町
 向日町‥大阪13001930東京‥品川
 品川‥東京9002010広島
 広島9452100東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪16302300東京‥品川
 品川‥東京8001720宇野19112200大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12402200東京‥品川

TcMsM'sTdM'MM'MTc×1(161系)
とき(1)
 1962.6~と同じ

MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(161系)

ここで形式と両数をおさらいすると、

クハ151 1~12
サロ151 1~6
モハ151 1~6、11~30
モハシ150 1~13
=======================以上がデビュー時の4形式
モロ151 1~13
モロ150 1~13
サハ150 1~24   (モハ150を基本に付随車化しているため150となっている)
=======================暫定12両化の際の3形式
クロ151 1~12
サロ150 1~6、11  (11は当初より、回送運転台設置のため区分)
モハ150 1~13
サシ151  1~12
=======================1960年の「つばめ」「はと」置き換えの際に登場した4形式

東海道新幹線開業直前の1964年4月24日、東海道本線草薙 - 静岡(当時)間を運転中の下り「第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突。この事故でクロ151-7が廃車となりました。新性能電車の廃車第一号となってしまいました。置き換えも決まっていたのでクロ151の新製は行わず、サロ150-3を種車に回送運転台側の12名分の客室を廃止して運転台を設置する工事を行い、クロ150-3として6月27日には落成し、7月1日より運用に投入されました。3ヵ月後には東海道新幹線開業と181系化改造のために運用から離脱。再度浜松工場に入場し運転室部分を残し新製した2等客室部分と接合する再改造が施工されクハ181-53となりました。
181_740900_2
番号は不明ですが帯無し、長スカートで東海道・山陽での活躍の様子を残すクハ181 1974/9 上野
不鮮明な写真ですが、ボンネットの天窓も見えないことからこのクハも1~6のどれかかも知れません。<追記:1~6までのクハとして、当時の所属、長ナノか新ニイを考慮すると、クハ181-4である可能性が高いと思われます。>

1964年10月に東海道新幹線が開業し、151系は特6編成、特8編成と予備車を除いた編成が向日町に転属となり、田町区には30両が残されました。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。なお、列車時刻のデータに関しては「181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 田町」のデータを参考にさせて戴きました。

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2013年1月26日 (土)

1981/11 北陸へ 3 485/489系特急 その6 「はくたか」

全盛期の北陸路の特急、大ムコ、金サワに配置された485系/489系の運用と併せて見てまいりましたが、今回は特急「はくたか」です。

「白山」の記事でもその変化については出てきましたが、上越新幹線開業で一旦、廃止となるものの、ほくほく線経由の新たな特急として復活し、今日に至っているのですね。

1965年10月1日:上野駅・青森駅 - 大阪駅間で運転されていた「白鳥」のうち、上野駅 - 金沢駅間の編成が系統分割され、同区間(信越本線経由)特急「はくたか」として1往復が運転開始。 当時はキハ82系を使用した気動車で運転されていました。

言うなれば、キハ82時代の「はくたか」は後に電化されて「白山」は通るルートを通っていたのですね。私はもちろん写していませんが、アプト式時代の碓氷峠を通過するキハ82の姿は写真や映像として見たことはあります。

北陸本線の西から富山(操)までの電化は1964年8月24日に完成し、「雷鳥」「しらさぎ」は運転可能となったのですが、EF81の記事でも出てきましたが、信越本線と併せて、長岡まで電化されたのは1969年10月のことでした。

1969年10月1日:「はくたか」が485系に置き換えられました。同時に上越線経由となり、スイッチバックを行う駅も直江津駅から長岡駅に変更されました。

1972年3月15日:横軽協調運転装置を搭載した489系が開発され、信越「白鳥」と同じ上野駅 - 金沢駅間(信越本線経由)で「白山」が運転開始。以後「白山」の経路が関東地方と北陸地方を結ぶメインルートとなり、「白山」は1973年10月から3往復となったのに対し、「はくたか」は1往復の運行でした。

485_481100_1
485_481100_2
大ムコの485系が遙々上野まで来ていた時代の「はくたか」を写してはいるのですが、60Hz対応の赤スカートクハで無かったのが残念。当時は一往復で金沢行き3001Mは上野を朝8:08の出発、3002Mの上野着は22:23で上野駅で写真を撮るのは厳しい列車でした。

485_481100_751102
1975/11/3 柏崎駅で撮影した「はくたか」

485_481253_19770925_2
1977/9/25 朝8時発の「はくたか」を写そうと早起きして鶯谷に向かったところ、京浜東北線と運悪く被られましたが、先頭車は何度も出てきますが当時大ムコでは唯一だった貫通タイプのクハ481-253でした。
485_481300_19770925
同編成の反対側のクハは非貫通タイプの-304でした。

1978年:「はくたか」の車両受け持ちを向日町運転所(現在の京都総合運転所)から、金沢運転所(現在の金沢総合車両所)に移管。同時に「白山」と共通運用となり食堂車の連結終了。

1979年4月20日:「はくたか」が2往復に増発。

489_1_81_790505_2
489系に受け持ちが替わったため、この顔が登場するように さらに181系とき」との並び
489_4891_790706
金サワの489系が受け持ちとなり、絵入りHMになった「はくたか」 1979/7/6

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489系 クハ489-200番台を先頭に 赤羽付近を行く特急「はくたか」 1979/5/5

489_489700_811125
クハ489-700台を先頭に富山駅に到着する特急「はくたか」 1981/11/25

1982年11月15日:上越新幹線開業に伴い上野駅 - 長岡駅間が廃止され、残り区間を「北越」に統合され、「はくたか」が廃止されました。

1997年3月22日北越急行ほくほく線の開業により、上越新幹線に接続する特急列車として、福井駅・金沢駅・和倉温泉駅 - 越後湯沢駅間で「はくたか」10往復が運転開始。

1998年12月8日:「はくたか」のほくほく線内の最高速度を150km/hへ引き上げ。

2002年3月23日:ダイヤ改正により、 「はくたか」のほくほく線内の最高速度が160km/hへ引き上げ、.「はくたか」が1往復増発され、11往復になりました。 JR西日本の485系の定期運用が終了し、485系の定期運用はJR東日本の1往復のみになりました。

2004年10月23日 - 11月2日:新潟県中越地震の影響により運休。

2005年3月1日:ダイヤ改正より、 北越急行が「はくたか」に683系8000番台を投入し、定期列車がすべて160km/h運転対応の車両に統一。これにより、JR東日本の485系の定期運用が終了。 「はくたか」は1往復増発され、12往復になりました。

2007年9月15日・16日:上越新幹線開業25周年を記念して、また同年に起きた能登半島沖地震による能登半島復興キャンペーンの一環により、金沢駅 - 上野駅間(長岡駅経由)でリバイバル運転が実施されました。 当初は新潟県中越沖地震で信越線が不通になっている影響でほくほく線経由での運転も計画されていたが、運転の2日前に復旧したため、予定どおり長岡駅経由で運転されました。使用車両はJR西日本の489系で、上野寄りは旧絵入りヘッドマーク、長岡寄りが文字ヘッドマークと、前後で異なるヘッドマークを掲出し運転。

2009年3月14日:ダイヤ改正で「はくたか」が1往復増発され13往復になりました。ただし、5月31日までは増発の1往復(13号・16号)は多客時のみの臨時列車として運転されました。 6月1日:増発の1往復(13・16号)の定期列車化。

以上、特急「はくたか」の歴史についてWikipediaの記事を参考に纏めました。

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