山陰をから九州入りした後は、博多駅、小倉駅などで、撮影を行いました。
1975年3月の新幹線開業で、山陽路の昼行特急は全廃されました。東京、関西と九州を結ぶ夜行列車は減便されました。大ムコから門ミフ、あるいは鹿カコに転属した481/5系により、特急「有明」、「にちりん」といった島内特急が増発され、また門ミフから大ムコに移動した581/3系の間合い運用による「有明」も運用されていました。また1976年7月からは長崎本線、佐世保線も電化され特急「かもめ」「みどり」の併結特急が登場していました。
今回はそういった中でも、1968年10月の「ヨンサントウ」のダイヤ改正で登場したキハ80系特急「にちりん」とその間合い運用として1974年4月の南宮崎電化の改正で登場した特急「おおよど」について触れたく思います。
まず、「にちりん」という愛称ですが、新幹線の超特急「ひかり」との関係無しでは語れません。
1958年4月25日:博多駅 - 別府駅間を鹿児島本線・日豊本線経由で運行する臨時急行列車「ひかり」が運行開始。 5月1日:「ひかり」の運転区間を変更し、豊肥本線経由で熊本駅まで運転。また一部の編成の運転区間を門司港駅 - 別府駅間(鹿児島本線・日豊本線経由)に変更。 8月1日:「ひかり」が定期列車化。準急列車として運行される。
1959年4月1日:「ひかり」の一部編成の運転区間を博多駅・門司港駅 - 都城駅間に変更。
9月22日:「ひかり」の博多駅・門司港駅 - 都城駅間の系統が、宮崎駅 - 都城駅間において宮崎駅 - 西鹿児島駅間(現在の鹿児島中央駅)を運転する編成の併結開始。
1960年3月10日:大分駅 - 別府駅間(小倉駅・熊本駅・大分駅経由)において「第2ひかり」運行開始、従来の「ひかり」は愛称を「第1ひかり」に変更。 6月1日: 「ひかり」、博多駅・門司港駅 - 都城駅間の系統および宮崎駅 - 西鹿児島駅間を統合し、運行区間を博多駅・門司港駅 - 熊本駅・西鹿児島駅に変更する。
1962年10月1日:ダイヤ改正に伴い、第1ひかり」、急行列車に昇格。「第2ひかり」は愛称を「ひまわり」に変更。
1964年10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、「ひかり」の名称を東海道新幹線超特急の名称としたことから、運行系統を以下のように分割。 1.西鹿児島駅発着編成を「にちりん」に変更。 2.豊肥本線経由熊本駅発着編成を「くさせんり」に変更。
1965年10月1日:このときのダイヤ改正に伴い、 1.「にちりん」と広島駅 - 別府駅間運行の「べっぷ」を統合し広島駅・門司港駅 - 西鹿児島駅間に「青島」運行開始。これにより「にちりん」の名称一時廃止。
2.「くさせんり」の運行区間を三角駅 - 別府駅 - 小倉駅 - 長崎駅・佐世保駅間とし、「九重」(くじゅう)に名称を変更。
1966年 3月25日:博多駅 - 西鹿児島駅間を運行する急行列車として「にちりん」運行開始(「にちりん」の名称復活)。
1968年10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、「にちりん」をキハ80系気動車を使用した特急に昇格。
1972年4月27日:「にちりん」の博多駅 - 大分駅間(鹿児島本線・日豊本線経由)において485系電車を使用し1往復増発し2往復(電車1往復・気動車1往復)となるが、増発分の大分発着「にちりん」の食堂車は営業休止のまま連結。
1974年4月25日:日豊本線幸崎駅 - 南宮崎駅間電化にともない、「にちりん」の博多駅 - 大分駅系統の運行区間を宮崎駅まで延長。運行区間を博多駅 - 宮崎駅間に変更。延長前に営業休止の食堂車が営業を開始。気動車特急「おおよど」新設により編成を共通運用化させる為に西鹿児島発着「にちりん」の食堂車が編成から外れる。 11月1日:新幹線「ひかり」食堂車従業員確保で宮崎駅発着の「にちりん」の食堂車営業を終了。
1975年3月10日:山陽新幹線岡山駅 - 博多駅開通にともなうダイヤ改正に伴い、「にちりん」がエル特急に指定される。6往復増発し8往復(電車7往復・気動車1往復)となる。同時に山陽新幹線岡山駅 - 博多駅開業にともない、小倉駅にて新幹線に接続する列車となる。 運行区間:博多駅・小倉駅 - 大分駅・宮崎駅間(485系)、博多駅 - 西鹿児島駅間(キハ80系)
1978年10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正により、.「にちりん」使用のクハ481形200番台の列車名幕に太陽を図案化したイラストマークが採用される。
1979年10月1日:日豊本線全線電化。従前より運行の西鹿児島発着系統の「にちりん」の1往復は肥薩線経由の特急「おおよど」と車両を共通運用するためキハ80系気動車のままで運行。
1980年10月1日:「にちりん」の一部において「彗星」の間合い運用で583系電車の使用開始。これにより全列車が電車化される。また、別府駅始発西鹿児島行の「にちりん」1号を運行開始。 このとき、昼行急行「日南」が博多駅に乗り入れをするものの、急行「ゆのか」とともに全特急化を前提に大幅削減されたため、「にちりん」の号数に欠番が生じた。
(以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました)。
このときにキハ80系気動車による「にちりん」と「おおよど」の運行は終わっております。尚、583系による「にちりん」があったとは知りませんでした。
キハ82 38 先頭の特急「にちりん」4011D 当駅でスイッチバック 小倉
写真は1974.10の九州旅行の際に撮影した気動車特急「にちろん」の小倉駅でのスイッチバックで、11:00着、11:07発で折り返して行きました。
特急「にちりん」 博多
こちらは博多駅で出発準備をする特急「にちりん」です。
一方、特急「おおよど」は上記の「にちりん」の歴史にも出てきますが、1974年4月に登場して、1980年10月に消えており、6年半の生涯でした。
博多駅で出発準備する特急「おおよど」3011D
鹿児島本線で熊本へ、肥薩線に入り、吉都線経由で宮崎を目指す、ユニークなルートでしたが、今だったら存続していたかも知れませんが、キハ80系の間合い運用であったため、「にちりん」の電車化であっけなく消えてしまいました。
こちらは2年後の1979年12月に同じ博多駅で撮影した写真ですが、キハ82以外に、0系新幹線やグリーンの国鉄コンテナが懐かしい写真です。
肥薩線は今ではJR九州の観光路線になっていますが、その優等列車の歴史を見てみると、「くまがわ」「えびの」などが肥薩線の代表列車だったようです。
1959年4月1日:門司港駅 - 人吉駅間を鹿児島本線・肥薩線経由で運行する準急列車「くまがわ」の運行開始。 5月1日:熊本駅 - 宮崎駅間を鹿児島本線・肥薩線・吉都線・日豊本線経由で運行する準急「えびの」の運行開始。
1966年3月5日:準急列車制度改変に伴い、「くまがわ」「えびの」「やたけ」「からくに」を急行列車に格上げ。
1974年4月25日:博多駅発着の「えびの」のうち1往復を特急列車に格上げ。名称を「おおよど」とする。また、熊本駅発着の臨時「えびの」を定期列車とし、吉松駅 - 西鹿児島駅間の列車はこれに連結しての運行とする。 「おおよど」自体の設定は当時キハ80系気動車を使用していた「にちりん」の間合い運用であった。
1980年10月1日:ダイヤ改正に伴い、 1.「おおよど」は「にちりん」の総電車化に伴い運行終了。 2.「えびの」は全列車熊本駅 - 宮崎駅間の運行とする。博多駅 - 熊本駅間は「有明」に格上げする形となった。 3.「くまがわ」の運行区間を博多駅 - 人吉駅とする(博多駅 - 熊本駅間は快速列車に格下げ)。また、下りに関しては人吉駅から先は普通列車の形で吉松駅・湯前駅まで乗り入れていた。 4.「やたけ」は上下とも「えびの」に併結の上で熊本駅発着とする。
2004年3月13日:九州新幹線部分開業に伴うダイヤ改正に伴い、1.「くまがわ」を特急に格上げ。3.5往復分は熊本駅 - 別府駅間で運行していた特急「あそ」と統合の形で「九州横断特急」に改称。残り2.5往復は区間・列車名ともそのままとした。これにより、JR九州管内を運行する定期急行列車は消滅した。 2.吉松駅 - 鹿児島中央駅間を運行する特急「はやとの風」を運行開始。
キハ185系による九州横断特急 八代 2010/3/21
と、肥薩線も「おおよど」廃止から24年ぶりに九州横断特急が走り、8620形(58654)によるSL人吉の運行もあって賑わっています。豪華寝台客車ななつ星の運行も来年10月から開始されるとのことで鉄道があらたな景気の起爆剤になってくれればと思います。
SL人吉号
これで、今回の1977年3月の撮影旅行における気動車特急編は終わりで、次回からは電車特急、急行、機関車に移ります。
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