今回は特急「おき」について触れたく思います。
「おき」は全く別の線区を走行する2つの特急列車に付けられた愛称で、
最初は1968年に大阪と山陰地方を結ぶ急行列車に「だいせん」の列車名が使用されることになったことから、伯備線経由の「だいせん」は「おき」に改称され、1969年には相生駅 - 東岡山駅間も山陽本線経由に改められました。
1971年に「おき」は特急列車化の上、新大阪駅 - 出雲市駅間に運転区間が変更され、初めて伯備線で特急列車が運転されることにないました。これはキハ181系の慣らし運転を兼ねる列車であったが、伯備線経由の特急列車は「やくも」とされたため、わすが1年で廃止されました。
車輌はすべて新製配置で
キハ181 25,26,27,28,29,30
キハ180 32,33,34,35,36, 37,38,39,40,41,50,51,52,53,54
キロ180 8, 9,10
キサシ180 8, 9, 10
DcDDsTdDDDDDDc×2 所要2
おき(1)(臨時+1)
出雲市1130-1734新大阪2256-614松江
新大阪1133-1736出雲市‥松江2314-542新大阪
Dc×2 D×3 Ds×1 Td×1
続いて
1975年3月10日に山陽新幹線岡山駅 - 博多駅間が開業した際に、山陰地方西部と新たに山陽新幹線の停車駅となった小郡駅(現在の新山口駅)を結ぶ新幹線連絡列車として、鳥取駅・米子駅 - 小郡駅間で特急「おき」として運転を開始しました。それまで山口線の優等列車は、山陰地方の西部から山口線経由で九州北部を結ぶ急行列車が運行されていましたが、これの系統整理により誕生した山口線初の特急列車でもあります。
80系の担当は大ムコでした。
DcDsDdDDDDc×3 所要2
まつかぜ(1)
大阪800-2050博多
博多815-2117新大阪
DcDsDDDDc×11 所要10(臨時+1)
まつかぜ(1,付属1)、あさしお(4)、はまかぜ(2)(臨時+1)、おき(3)
京都852-1226城崎1255-1547京都1633-2159米子
米子600-1057小郡1509-2013米子
米子700-1222京都1308-1556城崎1627-2000京都
京都920-1352倉吉1414-1853京都
大阪800-1210鳥取1244-1707大阪1800-2222鳥取
鳥取620-1049大阪1210-1630鳥取1700-2117新大阪
新大阪925-1516米子1603-2109小郡
小郡1218-1847鳥取
鳥取721-1402小郡
小郡905-1400米子1430-2024新大阪
新大阪1005-1339城崎1637-2012新大阪
DDDc×4 所要3
あさしお(付属4)
京都852-1226城崎1255-1547京都1633-2159米子
米子700-1222京都1308-1556城崎1627-2000京都
京都920-1352倉吉1414-1853京都
Dc×3
Ds×2 Dd×10
1976年10月1日:特急「おき」の使用車両が、キハ80系からキハ181系に変更。その内の1往復に関してはグリーン車が非連結となりました。
DcDDsDDDc×3 所要2
おき(2)
米子600-1057小郡1218-1847鳥取
鳥取721-1402小郡1509-2013米子
DcDDDDDc×2 所要1
おき(1)
小郡905-1400米子1603-2109小郡
Dc×2
Ds×1
1978年10月2日:松江駅高架化工事に伴い、「おき」の1往復が出雲市駅発着に変更。
DcDDsDDDc×3 所要2
おき(2)
米子600-1058小郡1215-1848鳥取
鳥取725-1403小郡1508-2013米子
DcDDDDDc×2 所要1
おき(1)
小郡905-1255出雲市1510-1903小郡
Dc×3 D×2 Ds×1
1982年7月1日:この日に実施された伯備線および山陰本線知井宮電化によるダイヤ改正により、「おき」は多客期を除きグリーン車の連結が廃止。
DcDDDDc×5 所要3
おき(3)
米子600-1059小郡1215-1849鳥取
鳥取725-1406小郡1505-2013米子
小郡905-1303出雲市1515-1911小郡
Dc×3 D×3
1985年3月14日:「おき」の全列車が小郡駅 - 米子駅間の運転に統一される。
米子区の担当に
DcDDDsDDc×3 所要2
まつかぜ(1)、はまかぜ(1)
米子1010-1602大阪1750-2221鳥取
鳥取640-1056大阪1200-1737米子
DcDDDc×5 所要4
おき(2)、いそかぜ(1)
米子1200-1901博多
博多820-1530米子
米子928-1422小郡1508-2007米子
米子630-1121小郡1208-1711米子
D×1
Ds×1 Td×7
1989年3月11日:「おき」の上り1本が下関駅始発(山陽本線・山口線経由)になる。
1994年12月3日:多客期のグリーン車連結を廃止。
1996年3月16日:「おき」の1往復を鳥取駅まで延長運転する(鳥取駅 - 小郡駅間下り1本、鳥取駅 - 下関駅間上り1本、米子駅 - 小郡駅間2往復)。
1997年3月22日:「おき」の下関駅始発が廃止。全列車が小郡駅発着になる(鳥取駅 - 小郡駅間1往復、米子駅 - 小郡駅間2往復)。
2001年7月7日:「おき」の使用車両がキハ187系に変更され、名称が「スーパーおき」に変更。全列車が米子駅 - 小郡駅間(3往復)の運転になる。
2003年10月1日:「スーパーおき」下り2本、上り1本が鳥取駅発着に変更され、鳥取駅 - 新山口駅間下り2本・上り1本、米子駅 - 新山口駅間下り1本・上り2本になる。
2005年:キハ181系による臨時「おき」の運用が終了。以降は車両増結で対応することになる。(以上、Wikipediaの特急おきに関する記事を参考に纏めています)。
今回、ご紹介するのは後者の山口線初の特急の方で、1977年当時はキハ181系による運行でした。
この2枚は3月15日の午後、玉造温泉駅のそばで撮った数ショットのうちの2枚ですが、
http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/limexp77/oki.htm のサイトの時刻表で調べると下り3号1025Dと上り2号1024Dが16:41分頃にこの駅で交換していたことが分かります。
この写真は、3月16日に玉造温泉から下り2号1023Dに乗車して、特急の交換待ちで長時間停車と言うことで降りて、何が来るかと待ったら上り「やくも」との交換だったものですが、1977年6月の時刻表では1023Dと交換する「やくも」はなく、春の延長運転(益田発?)の臨時列車だったのかも知れません。駅は温泉津ではないかと思います。
小郡到着後、撮ったショットです。山陽本線の80系が横に停まっています。山陰本線、山口線と非電化区間から山陽本線に出てくるとなぜかほっとした気分になるのはなぜなのかと思いますが、いつも味わう気分です。
<追記>
12/22に小倉方面に旅行した際に新山口駅にも立ち寄って今の様子を記録して参りました。
果たして特急列車としての風格があるのかどうか多少疑問を感じるキハ187系
サイドにはシンボルマークでしょうか?
見方によっては英国の気動車にも似たタイプがあるような?
「おき」は「スーパーおき」と名前を改め、キハ187系3連で運行されておりました。ホームはSL山口号が発着する1番線からの発着でした。小郡から新山口に代わって年月もかなりすぎましたが、駅東方の機関区のあったあたりの風景は昔のままでした。
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