2018年6月21日 (木)

2018年6月17日、品川駅の線路切り替え工事 その2 品川客車区ありし頃

昨日は現在の品川駅の風景を記事にしましたが、今回は品川客車区があった頃の品川駅から田町駅方向を見た風景をまとめてみます。

180617 2018/6/17
品川駅から田町駅方向を見る

品川駅は1871年9月10日に駅舎工事が着工され、1872年1月20日に西洋建築平屋建の駅舎が完成しました。当時は品川ステーションと言い、総工費は5427両だったそうです。

20 20系 カニ21他 「瀬戸」
1958年10月に「あさかぜ」で20系客車が登場し、東京発の寝台特急としては1978年2月の博多「あさかぜ」の24系化まで使用されました。

20_810228 1981/2/28 
20系客車はその後、急行「銀河」用に使用され、1976年2月20日から、1985年3月14日まで使用されました。

同年6月12日に初代横浜(現・桜木町駅)までが仮開業し、営業開始しました。そして10月15日、初代新橋駅(現・汐留駅)~横浜駅間が本格開業しました。従って、桜木町駅と並んで日本一古い駅のひとつとなっています。1885年3月1日には日本鉄道品川線(現・山手線)が乗り入れました。京浜線(現・京浜東北線)の運転開始は1914年12月20日でした。

14_790923 1979/9/23
14系寝台客車の「さくら」 1972年3月15日に20系から14系寝台客車に置き換えられ、15形2段ハネなども使用されましたが、2005年3月1日の最終列車まで使用されました。

1898年4月1日、品川駅で貨物の取り扱いが開始され、1906年の鉄道国有化以降、貨物の取り扱い増大化に対処するため、稲沢、吹田、田端と品川に操車場が建設されました。

2425_810228 1981/2/28
24系25形「富士」 1976年10月24系24形三段ハネから、二段ハネ化され、2009年3月13日の最終列車まで使用されました。

東海道本線の客車区は東京駅開設時に八重洲寄りに東京検車所が設置されましたが、車両数の増大に対処するために、1937年品川操車場の機能を新設された新鶴見操車場に移し、跡地を品川客車区としました。

285_050503_2 2005/5/3 285系サンライズ「瀬戸・出雲」と24系25形「はやぶさ」
現在、285系は東京総合車両センター田町センターの札の辻群線に留置されているそうです。

田町駅と品川駅の間に、客車列車を牽引する機関車用に東京機関区、客車用に品川客車区、そして80系などの湘南電車が長距離用に進出すると田町電車区が設立されました。

東京機関区は1872年7月に新橋駅(現・汐留駅)に隣接して新橋機関庫として設置されたのが最初で、1914年12月には旅客列車用機関車の基地を東京駅八重洲口側に移転し、東京機関庫と改称しました。1926年4月には機関庫内線路が電化され電気機関車の基地となり、1936年9月1日に東京機関区と改称されました。田町~品川間に移転したのは1942年11月のことでした。

De11_43_8712001984/12
DE11 43号機は入れ換え用で品川機関区の所属でした。

180617_2 2018/6/17
月見群線と呼ばれる留置線には常磐線関係の車両が留置されています。

2013年11月24日以降の電留線のマップはこちら

1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正において品川客車区と統合され、東京運転区と改称、さらに1987年3月1日、国鉄分割民営化を控えて品川運転所となりました。

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2017年6月 7日 (水)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 5 あかつき

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回からは関西と九州を結んだ列車で行きます。

Ef58_77_750306_edit 1975/3/6 新大阪 未だ夜も明けきらぬ大阪駅に到着するEF58 77牽引
「あかつき1号」

関西から九州への寝台特急といえばなんといっても「あかつき」が挙げられます。今回の展示では「彗星」「なは」の単独HMと晩年に登場した「あかつき」との併結列車のマークはありましたが、「あかつき」の単独HMの展示はありませんでした。

「あかつき」の寝台特急としての登場は1965年10月1日のダイヤ改正で、新大阪~西鹿児島・長崎間に設定されました。このときにも20系は増備されています。

ナロネ21  120~125
ナハネ20  201~215
ナハネフ22 13
ナシ20    13~16
カニ21    15

これまでの20系客車はAS弁式空気ブレーキを使用しており、最高速度は95km/hに制限されていました。ヨンサントウのダイヤ改正でのスピードアップを目指して、このときに増備された車両からAREB空気ブレーキ(増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ)が装備され、110km/hで運転した際に非常制動距離を600m以下に抑えることが可能となりました。従来車についても入場の際に同様の装備が付加されました。
一方でこの装備のため、高速で20系を牽引できる機関車はいわゆるP型(EF65500番台、ED731000番台、EF701000番台、ED75300番台、ED761000番台、EF801~20などの元空気ダメ引き通し管とブレーキ指令回路KE72ジャンパ連結器を持つ)に限定となりました。

1968年10月1日のダイヤ改正で、新大阪~西鹿児島・佐世保間に「あかつき」が1往復増発されました。従来の西鹿児島・長崎間の「あかつき」の長崎発着の編成が「はやぶさ」と共通運用になりました。

20_21_7410930 1974/9/30 西鹿児島に到着した「あかつき1号」 1974年秋の九州一周旅行が私の最初の20系乗車でした。

1972年3月15日のダイヤ改正で、新大阪~熊本・長崎間に「あかつき下り3/上り1号」が増発され、3往復体制に。あかつき下り1号、上り3号の車両は向日町運転所から品川客車区受け持ちとなり、「はやぶさ」と完全に共通運用化。このときは「さくら」「みずほ」の14系化でねん出された20系が転用されました。

1972年10月2日のダイヤ改正で新たに向日町に配置された14系(94両)により、新大阪~熊本間に「あかつき下り2号/上り3号」が増発され、4往復体制になりました。また既設の2往復も14系化されました。しかし、ダイヤ改正から約1か月後の北陸トンネル列車火災事故(1972/11/6)により、分散電源方式の14系は製造が中止となりました。この改正から関西~九州の寝台特急牽引機は元空気ダメ引き通し改造をしたEF58形(P)となりました。また長崎本線の浦上線の開業で約10分のスピードアップが実現しました。

1973年8~9月にかけて集中電源方式の24系24形が118両増備され、季節急行「雲仙」「西海」各1往復が「あかつき」に統合となり、「あかつき」は6往復体制となりました。新大阪~長崎間の「あかつき下り3/上り1号」と新大阪~西鹿児島間の「あかつき下り4号/上り3号」が24系となりました。

1974年3月には二段ハネ24系25形がデビューし、4月25日のダイヤ改正で24系25形が91両向日町に配置され、新大阪~熊本間に「あかつき」が1往復増発され、7往復体制となりました。このときの陣容は

21/22列車 新大阪~西鹿児島・長崎 20系 1/7
23/24列車 新大阪~西鹿児島 14系 2/5
25/26列車 新大阪~長崎 24系25形 3/1
29/30列車 新大阪~西鹿児島(熊本切り落とし) 24系 4/4
31/32列車 新大阪~佐世保 14系 5/3 門司まで彗星5/3と併結
33/34列車 新大阪~熊本 24系25形 6/2
35/36列車 新大阪~長崎・佐世保 14系 7/6

このときが「あかつき」の最盛期で、1975年3月10日のダイヤ改正では、長崎・佐世保線系統が「あかつき」、鹿児島本線系統は「明星」と整理され、3往復になりました。20系の運用はなくなりました。明星との併結運転がなされたのはこの時期でした。

Ef58_38 EF5838号機に牽引されて大阪駅に進入する24系25形「あかつき」
1975年3月改正以降はHMが省略された時代が続きました。

Ef65_1094_000000 大阪駅に到着する「明星・あかつき」併結列車

Ef65_1095_000000 高槻で停車中の向日町回送列車

1415_791221 1979/12/21 長崎 14系15形寝台客車

1978年10月2日のダイヤ改正では2往復となり、再び分散式電源方式の二段ハネ14系15形が「あかつき」2往復に投入されました。1986年11月1日のダイヤ改正では1往復が20系による臨時列車になり、佐世保編成に普通座席車オハ14が連結されました。

14_14_303_020322 2002/3/22長崎

1990年3月10日のダイヤ改正では高速バス対抗として「レガートシート」の連結、

Ef66_48_050708 2005/7/8 山崎

2000年3月11日のダイヤ改正では佐世保編成を廃止して、「彗星」との併結、2005年10月1日には「彗星」の廃止、

Dsc04317
Ef66_53_060620 2005/6/20 千里丘

なは」との併結、2008年3月15日、廃止に至りました。

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2017年6月 6日 (火)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 4 あさかぜ

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開、HM展示の4回目は「あさかぜ」です。

Hn_161015_4 永年の使用のためかかなり年季の入った「あさかぜ」HM

1956年11月19日
、東海道本線全線電化のダイヤ改正で「あさかぜ」は登場しました。当初、東京を夕刻出発し、関西は深夜、博多に朝到着するダイヤは大阪鉄道局から強い反発があったそうですが、同じダイヤ改正で関西始発の九州方面急行列車「玄海」「天草」を登場させること、京都、大阪、神戸にも停車し、客扱いすることで納得してもらったそうです。

Ef65_505_750925 1975/9/25 大井町~品川

登場時は一般客車の寄せ集め編成で、1958年10月1日の改正で20系客車の登場となりました。

昭和33年度本年度予算による20系の新製で37両が製造され、その内訳は (0番台は日本車両、50番台は日立製作所)
ナロネ20 1,2,51  
ナロネ21 1~3,51~53
ナハネ20 1~7,51~56
ナロ20   1,51,52
ナハ20  1, 51,52
ナハフ20 1,2,51
ナシ20  1,2,51
マニ20  1,51,52    でした。

1963年12月20日には東京~広島間の牽引機関車がEF58からEF60500番台に交替し、客車編成も15両に変更となり、電源・荷物車カニ21に続いてナロネ20、ナロネ22、ナロネ21x3、ナロ20、ナシ20、ナハネ20x5、ナハ20、ナハフ20と一等寝台車が集中する「殿様あさかぜ」編成となりました。1965年10月1日までにナロ20以外の全車寝台車化が完成しました。

Ef65_529_750305_2 東京から1000kmに及ぶロングランを終えて、下関に到着したEF65529牽引あさかぜ

1968年10月1日の改正では臨時列車として運行されていた「あさかぜ」が定期化され、2往復となります。

1970年10月1日の改正では東京~広島間を呉線経由で運行していた寝台急行列車「安芸」が格上げとなり、東京~下関(山陽本線経由)(下り3/上り1)号となりました。このときの増備が20系の最終増備となり、昭和44年度第4次債務負担で、39両が製造されました。その内訳は
ナロネ21  142~147
ナハネ20  344~364
ナハネフ22 24~26
ナハネフ23 18~20
ナシ20    27~29
カニ21    25~27           でした。
20系客車は1958年の誕生以来、479両が製造されました。

1972年3月15日の改正で東京~博多間の下り2/上り3号が14系寝台客車となりました。

20_20_750305 1975/3/5 あさかぜ編成中のナロ20 下関

14_741215 1974/12/15 東京 比較的短命だった14系「あさかぜ」 客車は「いなば・紀伊」に転用

1975年3月10日のダイヤ改正で14系客車のあさかぜが廃止され、2往復体制になりました。博多発着のあさかせ下り1/上り2号のナロ20形と全室個室寝台車ナロネ20形の連結が取りやめになりました。一方、下関あさかぜは「瀬戸」と共通運用化されました。

Ef65_1110_800103 1981/1/3 PF牽引「あさかぜ」

1976年8月、「あさかぜ51号」に24系25形寝台車が使用され、1977年9月28日、下関あさかぜ・瀬戸が二段ハネ化されました。1978年2月1日、博多あさかぜの20系も24系25形化されましたが、食堂車の新製は行わず、「はやぶさ」「富士」「出雲」の編成の食堂車を基本編成から付属編成に移すことで、車両を捻出し、対処しました。

Ef66_43_040501 2004/5/1 EF66 43牽引「あさかぜ」 品川

Ef66_45_040905 2004/9/5 海田市 オハネフ25 300 スハ25 300 組み込み下関あさかぜ

Hn_161015_5 こちらは最終列車用に新調したのか2005/2/28の日付入りHM

1994年12月3日の改正で博多あさかぜは臨時列車に格下げ、「あさかぜ81・82号」となり、2000年12月には廃止、2005年3月1日、下関あさかぜも廃止となりました。

「さくら」「みずほ」は九州新幹線に、「はやぶさ」は東北・北海道新幹線で復活しましたが、「あさかぜ」は寝台特急をイメージする名称ですので、今後の復活はあるのでしょうか?

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2016年10月 7日 (金)

千里丘、岸辺界隈での列車撮影 その3 特急「日本海」

千里丘や岸辺といった関西における鉄道撮影の聖地で撮った懐かしい列車シリーズ、今回は大阪と青森、一時期は函館を結んだ寝台特急「日本海」です。

Ef81_106_120317 2012/3/17 千里丘 定期列車としては上り最終となった列車

1924年7月31日、羽越本線の全通で日本海縦貫線が完成、神戸~青森間に急行列車(富山~青森間は普通列車)の運転が開始されました。1926年8月15日には全区間が急行列車に、1929年9月15日には運転区間が大阪~青森間となりましたが、戦局の悪化で1943年2月1日、廃止になりました。

Ef58_79_741006 1974/10/6 新大阪
米原経由の時代でEF58がHMを付けて牽引していました。

20_21 1975/3/6 大阪
20系の最後尾はナハネフ22と写真のようなナハネフ23のことがありました。

戦後、大阪と青森を結ぶ急行列車は1947年7月5日に運転を開始しました。1950年11月8日に「日本海」と命名、1968年10月1日のダイヤ改正で急行の名称は「きたぐに」となり、新たに青森運転所の20系客車を使用した寝台特急「日本海」が設定されました。

14 1976年ごろ 大阪
日本海の到着ホームの反対側には福知山線経由で出発待ちのキハ82系「まつかぜ」がおり、朝のゴールデンタイムでした。

1975年3月10日
の改正では湖西線経由に、さらに14系客車に変更、早岐区の14系を共通運用としたため、長崎・佐世保から青森まで超広域運用が有名となりました。さらに季節列車としてもう一往復の「日本海」が宮原区の14系座席車で設定されました。1976年3月15日、「つるぎ」とともに宮原区担当の日本海は24系25形客車となりました。

Ef81_123 1979/12/23 大阪駅
24系三段ハネ 日本海

1978年10月2日の改正では早岐の広域運用が解かれ、青森運転所の24系が担当になりました。1980年10月1日の改正では青森運転所担当の「あけぼの」2往復の24系化で日本海編成からオロネ24が抜き取られ、モノクラスになりました。1982年11月15日、上越新幹線開業のダイヤ改正では二往復とも宮原区受け持ちとなり、24系25形客車となりました。しかし、1984年2月1日の改正では一往復が青森の24系に戻りました。

Ed75_783 東能代~鶴形 24系25形二段ハネの日本海

2424_791223 1979/12/23 大阪駅
24系三段ハネ 日本海

1987年4月1日の分割民営化では青森運転所担当列車がJR東日本、宮原区担当列車がJR西日本に継承され、1988年3月13日の青函トンネル開業では1/4号が大阪~函館間運行となり、営業運転で青函トンネルを通過した最初の寝台特急となりました。夏季期間、1/4号にはマニ50荷物車が連結され、「日本海モトとレール」としてオートバイ輸送が実施されました。

Ed79_12_911112 1991/12/11 青森 函館行き日本海

2424_930807_1 1993/8/7 鶴形~富根 マニ50付日本海

Ed79_18_030928 2003/9/28 五稜郭

Ef81_106_080225 2008/2/25 山科
冬場の強風で湖西線周りから湖東線、米原経由で運転されたこともしばしばありました。

Ef81_104_101205 2010/12/5 千里丘
TLE牽引機がローズピンクのEF81に代わって牽引したこともありました。

1998年8月22日、「日本海モトとレール」の運行は終了、2006年3月18日、1/4号の運転区間は大阪~青森に短縮、2008年3月15日、2/3号が廃止となり、1往復体制となりました。
2012年3月17日のダイヤ改正で定期運行が終了、2012年4月、8月、2013年冬期の多客期には運行されたものの、3月以降は列車の設定がない状態となっています。

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2016年10月 6日 (木)

千里丘、岸辺界隈での列車撮影 その2 関西~九州寝台特急「あかつき」

岸辺、千里丘界隈で撮影した列車達、今回は関西と九州を結んだ寝台特急「あかつき
です。

Ef66_42_080226 2008/2/26 千里丘 あと僅かの走行期間にとなった頃の「なは・あかつき」

「あかつき」という愛称は東京~大阪間の夜行急行として1958年10月から登場しました。不定期列車でしたが、混雑が慢性化していた状況もあり、毎日運転の座席列車でした。1959年9月に寝台列車化され、1961年10月のダイヤ改正では「銀河」「月光」「金星」の寝台列車化で一旦名前が消えました。しかし、ビジネスマンによる人気から1962年6月、不定期列車の「第2六甲」が寝台列車化されたとき復活し、1962年10月には定期列車化され、東海道新幹線開業の前まで(~1964年9月)運行されました。

次に特急「あかつき」としてデビューしたのは1965年10月で新大阪~西鹿児島・長崎間の寝台特急で、関西~九州間のみならず、東海道新幹線との連携で東京と九州を結ぶ特急としての役割も担いました。

Ef58_115_4_739_750306 1975/3/6 大阪駅に到着するHM付きEF58牽引「あかつき」

Ef65_502_2_750306 1975/3/6 大阪駅に到着するHM付きEF65 502(下関)牽引「あかつき」

20_21_750306 1975/3/6 大阪
20系最後の頃の「あかつき」、客車は東京発の「はやぶさ」と共通運用でした。

この頃は米原区や下関運転所の機関車が関西BTを牽引しており、「あかつき」でもHMを装着する列車としない列車がありました。

Ef58_7 1975年3月のダイヤ改正後、EF58のHM装着は無くなりました。

わたしも大学1年の秋休み初の九州旅行は東京から新幹線、関西から西鹿児島まで20系寝台の「あかつき1号」に乗車しました。ちょうどこの頃が「あかつき」の最盛期で日豊本線方面の「彗星」との併結列車もありましたが、7往復の「あかつき」が走り、24系や二段ハネ24系25形の投入も東京発の寝台特急に先んじて行われました。

関西ブルートレインの場合、「彗星」「明星」「なは」などは581/3系寝台特急電車による運用もあったのに対して、「あかつき」は20系、14系、24系、24系25形、14系15形と客車であり、寝台電車が投入されることはありませんでした。

14_14_303_020322 2002/3/22 長崎

1990年3月からは普通車座席指定車輛として「レガートシート」車オハ14も連結されました。

Ef65_1095_000000 牽引機がEF65PFとなり、嬉しいことにHMが復活しました。 高槻

Ef65_1094_000000 「明星・あかつき」の併結列車も登場し、併結用HMも準備されました。 大阪

1415_791221 1979/12/21 長崎

最後の新製ブルートレインとなった14系15形が最初に投入されたのも「あかつき」でした。

1975年3月、新幹線博多開業で鹿児島本線系統が「明星」に、長崎・佐世保線系統が「あかつき」になり、筑豊本線経由佐世保行きといった列車も設定されました。これにより、同じ、あかつきに乗っていて、佐賀で時間の余裕を利用する推理小説のトリックなども話題になりました。

Ef66_54_020621_2_2  2002/6/21 「彗星・あかつき」 新大阪

2003年3月、佐世保発着列車が廃止、「彗星」との併結運行になり、2005年10月には「彗星」の廃止で、「なは」との併結運行に、そして2008年3月15日、42年半の歴史に終止符が打たれました。

Ef66_46_080225_2 2008/2/25 「なは・あかつき」 岸辺

その後、関東~九州の寝台特急も廃止され、機関車牽引の定期旅客列車はわが国からは無くなってしまいました。

これから生まれてくる鉄道ファンはそういった列車の存在を知らずに鉄道写真を撮ることになるのですね。

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2016年10月 5日 (水)

千里丘、岸辺界隈での列車撮影 その1 急行「銀河」

月日の経つのはやいもので、写真をきちんと整理しないうちに9月の関西旅行から1か月が過ぎてしまいました。
先の関西旅行では2日とも、千里丘で貨物列車や機関車回送、東海道線の各種列車を撮ることから、朝の撮影をスタートしました。岸辺、千里丘は関西の鉄道ファンの方々にとって、聖地のような場所で、今回も結構多くの方々を見かけました。

これから数回にわたり、これまでの同所での撮影の記録を紹介して行きたく思います。
第1回は東海道線の寝台急行「銀河」です。

Ef65_1118_080225 2008/2/25 岸辺
廃止直前の大阪出張で偶然、今は亡きゲッパことEF651118号機牽引の「銀河」が撮影できました。HMがあればもっと良かったですが。

Ef65_1111_070310 2007/3/10 岸辺 EF651111号機牽引

「銀河」と命名された列車の登場は1949年9月で、それまで一等、二等車のみで組成された夜行急行15・16列車に名称が与えられ、最後尾に行燈式テールマークが取り付けられたのが始まりだそうです。1949年9月といえば、「下山」「三鷹」「松川」と国鉄に関係した怪事件が相次いで起こった頃で、まだ一般庶民に豪華列車を楽しむ生活の余裕はなく、豪華編成であるが故、利用は伸び悩み、わずか9日後に三等車が連結され、テールマークも外されることになったそうです。

Ef58_143_760300 1976/3 大阪
この頃は関西での撮影は殆ど、大阪駅か新大阪駅でした。

牽引機はEF58からEF65へ、客車も運行当初はマロネ40・41形客車、10系寝台客車、20系寝台客車、14系、24系寝台客車、座席者にはかつての特急用三等車スハ44、スハフ44が使用されたこともありました。

14_850418_3 1985/4/18 東京
14系寝台客車時代は1回しか撮影しませんでした。

20_000000 撮影時期不明 大阪駅10番ホームで出発待ち 
これは実際に乗車したときに撮影したものと思います。

急行から特急への格上げという話もあったそうですが、有効時間帯と所要時間の関係からスピードが上げられないこと、値上げとの批判を恐れたことなどから、2008年3月15日のダイヤ改正で廃止されるまで急行で通しました。

2425_030325 2003/3/25 新大阪
オハネフ25 0番台をラストにした24系25形「銀河」

2425_050708 2005/7/8 山崎
下の銀線が妻まで回り込んでいないオハネフ25をラストにした「銀河」

050822_2 2005/8/22 山崎
下の銀線が貫通幌まで伸びているオハネフ25100をラストにした「銀河」

晩年の24系25形客車時代、大阪到着列車ではさまざまのオハネフ25の姿を見ることが出来ました。

以上、関西で撮った急行「銀河」を纏めてみました。

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2015年11月23日 (月)

尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その3 「あけぼの」「出羽」 part3

2015年11月14日には、今年の尾久公開も開催され、私は参加しませんでしたが、他の方のBlogやTwitterを拝見すると、今回は先日機器室火災事故を起こし、廃車が決定したEF65 1118号機のラストとなる公開もなされたとのことでした。

さてこちらは昨年11月15日の尾久公開のHM展示の話題、「あけぼの」「出羽」の三回目として、その終焉までを見て行こうと思います。

24_24_911112 1991/11/12 青森駅に到着した「あけぼの」
電源車はカヤ24で、既に編成は方向転換済みでした。

時代的には1990年代、新幹線工事で「あけぼの」の運行経路がそれまでの東北本線、福島、奥羽本線から陸羽東線経由と高崎線、上越線、羽越本線経由になり、後者は名称も「鳥海」と変更になって以降の歴史です。

Ef81_143_911112_2 EF81 143牽引で青森に到着した日本海縦貫線経由の「鳥海」 1991/11/12

1990年9月1日上記の変更がなされ、同時に臨時寝台特急「あけぼの」81.82号も東北本線・仙山線・奥羽本線経由となりました。さらに、それまで東海道山陽系BTと合わせて電源車の位置は上野駅頭端式ホームの奥に入るようになっていましたが、騒音、排気ガス対策から「あけぼの」「鳥海」「出羽」の編成の方向転換を実施しました。
急行「津軽」は20系客車から583系電車となり、経路も東北本線・仙山線・奥羽本線経由に変更になりました。

Ef81_109_930807 EF81 109号機に牽引されて青森を目指す寝台特急「鳥海」 1993/8/7 富根~二ツ井

山形新幹線、福島~山形間が開業した1992年7月には485系に代わっています。急行「おが」は1992年12月に20系から14系に変更され、二段ハネ改造車両も連結されました。

Ef81_136_090103 EF81 136牽引 「あけぼの」 2009/1/3 大宮

Ef81_136_101023_2 EF81 136牽引 「あけぼの」 2010/10/23 弘前

Ef81_137_050827 EF81 137 牽引 「あけぼの」 2005/8/27 上野

Ef81_137_101024_2 EF81 137 牽引 「あけぼの」 2010/10/24 青森千刈踏切

Ef81_138_070826 EF81 138 牽引 「あけぼの」 2007/8/26 鶯谷

Ef81_139_090127 EF81 139 牽引 「あけぼの」 2009/1/27 鶯谷

この時代の「あけぼの」牽引機は青森所属のEF81でしたが、冬季の上越線通過で故障頻発や配給輸送での機関車不足で田端のEF81が牽引することもしばしばありました。

1993年12月1日
、黒磯でのEF65~ED75機関車交換方式を止め、EF81による上野~小牛田間スルー運転が開始されました。このとき、「出羽」は「鳥海」に統合され消滅しました。1982年11月から11年1ヶ月の運転でした。1994年、「おが」が廃止されました。

1997年3月22日、「鳥海」は「あけぼの」に統合され消滅し、「あけぼの」は「鳥海」の経路を走る列車となりました。1998年すでに臨時列車となっていた夜行急行「津軽」も年末年始の運行を最後に廃止され、2002年12月1日、東北新幹線八戸延伸で「はくつる」も廃止され、「あけぼの」が唯一の東京~東北の寝台特急、直通夜行列車となりました。

Ef81_85_070211 本来、特急牽引機待遇ではなかったEF81 85による「あけぼの」 2007/2/11 鶯谷 推進回送

Ef81_95_090207 レインボー塗装機 EF81 95による「あけぼの」 2009/2/7 鶯谷 推進回送

Ef81_94_090102_2 北斗星牽引機 EF81 94による「あけぼの」 2009/1/2 大宮

Ef81_99_090124 さらにはカシオペア専用機 EF81 99による「あけぼの」 2009/1/24

とバリエーション豊富な田端機による競演も見ることが出来ました。

2004年には10月23日の新潟県中越地震、2005年12月25日の羽越本線特急「いなほ」脱線事故(最上川橋梁)、2006年7月13日羽越本線土砂崩れ事故などで、数ヶ月2及ぶ運休期間があり、2009年3月14日のダイヤ改正では上越線区間での定時性を確保するために上野~長岡間の牽引機がEF81からEF64に置き換えられました。

Ef64_37_090504_2 EF64 37による「あけぼの」 2009/5/4 大宮

Ef64_1030_111008_2 EF64 1030 「あけぼの」 2011/10/8 尾久

2010年3月13日のダイヤ改正では同じ上野発の寝台特急「北陸」が廃止となり、EF64牽引の唯一の寝台特急となり、同年12月4日、東北新幹線新青森開業のダイヤ改正で新青森駅が停車駅に加わりました。またブルートレインを利用して荷物を運んでいたブルートレイン便サービスが全廃となりました。

Ef64_1053_101003_2 EF64 1053 による「あけぼの」 2010/10/3 鶯谷 推進回送

その後も、2011年3月11日の東日本大震災、7月26日の平成23年7月新潟・福島豪雨で運休、迂回運転が行われ、2014年3月14日のダイヤ改正で定期列車としての運行にピリオドが打たれました。その後、2015年1月4日発の下り列車で臨時列車としての運行にも終止符が打たれました。長年使用されてきた24系客車は、一部は小坂鉄道レールパークで展示、一部は海外譲渡となりました。

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2015年11月 4日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その3 「あけぼの」「出羽」 part2

2014年11月15日の尾久車両センターでのHM展示から、それぞれの列車の歴史を振り返っていますが、今回は前回に引き続き、寝台特急「あけぼの」の歴史です。「出羽」も登場します。

Ed75_715 ED75 715号機牽引の「あけぼの」 まだHMが復活する前の写真です。 東能代~鶴形

1982年11月15日、東北・上越新幹線開業に伴い、1978年10月改正以来、12系客車に従来型寝台車を連結した座席車主体の急行「津軽」2往復のうち、1往復を24系25形客車として寝台特急「あけぼの」に格上げし、「あけぼの」は3往復体制となりました。「津軽」のもう1往復は20系使用となりました。

10_810113 20系化される前の急行『津軽」 1981/1/13 上野

ハザは12系、10系のA寝台車、B寝台車に荷物車を連結した編成から「津軽」であると思います。

20_8308_2 20系化された急行「津軽」 1983/8 森岳付近

Ed75_775 ED75 775号機牽引の「あけぼの」 東能代~鶴形

 

Hm_141115_2

寝台特急「出羽」はこの改正で設定されています。
出羽と鳥海の2種類の急行を統合して格上げしたものですが、出羽の名称は1960年6月の改正で上野~新庄間を東北・奥羽本線経由で結ぶ毎日運転の不定期夜行急行として新設されました。1961年10月には急行に格上げされ、1963年10月には陸羽西線経由で酒田まで延長され、気動車化されました。

2424_830100 金沢行き特急「北陸」と並んで出発を待つ寝台特急「出羽」 1983/1 上野高架ホーム

2424_830102_3 秋田に到着した24系24形「出羽」 1983/1/2
オハネフ24のジャンパ栓受けは登場時は妻面にありましたが、既に台枠に移設済みです。

一方、鳥海という名称は1950年12月、上野~秋田間を東北・奥羽本線経由で運転開始された夜行急行「鳥海」 401・402列車が始まりで、1956年11月には青森まで延長され「津軽」と改称されるも、1965年10月1日、それまで新潟~秋田間に運行されていた気動車急行「羽越」が上野まで延長され、「鳥海」と改称されました。1968年10月1日の改正では従来、「羽黒」と名乗った羽越本線経由上野駅 - 秋田駅間運行の夜行列車も「鳥海」に統合され、季節列車も含め3往復体制となりました。

Ef65_1014_820905 EF65 1014号機牽引で出発待ちをする「あけぼの」 1982/9/5 上野

1983年7月1日、季節夜行急行「おが」の14系座席車と定期夜行急行「津軽」の使用客車20系を交換。

Ef65_1019_000000

 その後、レインボー牽引機に抜擢され赤く塗装される前のEF65 1019号機が推進回送する20系急行「おが」 日暮里

1984年2月1日
、夜行急行「津軽」の座席車の一部をB寝台車に置き換え。

1985年3月14日、東北・上越新幹線上野乗り入れで、昼行気動車急行「おが」、季節夜行急行「おが」が廃止されました。ただ、夜行の方は20系客車で上野~秋田間で多客期に運転されました。「津軽」は全車座席車に変更されました。

Ef65_1027_000000 この改正で寝台特急牽引機に全国的にHMが復活し、EF65PF(1027号機) 「あけぼの」のHM付きの姿も初めて撮影できました。

Ed75_752 ED75 752号機 鶴形~富根間

Ed75_744 ED75 744号機 1993/8/7 鶴形~富根間

1986年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正で編成の減車が実施され「あけぼの」は電源車を含めて10両編成体制になりました。

1988年3月13日、青函トンネル開業によるダイヤ改正で「北斗星」が設定されたため、車両捻出措置として、「あけぼの」1往復が廃止されました。

1990年9月1日、山形新幹線第一期建設工事により、「あけぼの」の運行経路が、一往復は東北本線、陸羽東線、奥羽本線経由、(名称はあけぼの)、一往復は高崎線、上越線、信越本線、羽越本線、奥羽本線経由(名称は鳥海)と変更になりました。

今回はここまでです。

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2015年10月16日 (金)

尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その3 「あけぼの」「出羽」 part1

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、前回の記事から公開されていたHMについて触れていますが、今回は「あけぼの」「出羽 」です。

Hm_141115
今回の記事では長かった「あけぼの」の歴史- 20系客車の時代- から見て行こうと思います。

Ef65_1028_7806 EF65 1028号機に牽引されて上野に到着した20系「あけぼの」 1978/6
電源車はカニ22 この頃は上野駅高架ホームに発着する長距離列車も多数ありました。

寝台特急「あけぼの」は1970年7月1日、臨時寝台特急として上野~秋田間に奥羽本線経由で20系客車で1往復設定されました。9月30日まで毎日運転され、お盆の最混雑期間、下り列車は品川始発で運転されました。

20_22 こちらは上り列車の最後尾 ナハネフ22 上野

9月30日発から定期夜行急行「おが」を格上げし、運行区間を上野~青森間として定期化しました。

おが」は1963年10月のダイヤ改正で、それまでの夜行普通列車411・412列車から急行に格上げされた列車で、このダイヤ改正で昼行1往復(キハ58等)と季節列車夜行1往復(座席のみの在来客車、G車連結)となりました。

上野~黒磯の直流区間は宇都宮機関区のEF651000番台PFの牽引となり、同タイプの最初の特急運用となりました。一時期EF58が担当したこともあったそうです。

1972年3月15日のダイヤ改正では、座席車のみだった季節夜行急行「おが」にA寝台車B寝台車各1両が連結されました。

1973年10月1日、特急「あけぼの」は2往復となり、秋田発着列車が設定されました。12月1日から、翌年春までに上野発着の寝台特急の食堂車の営業が停止となり、編成からナシが外され、ナハネに置き換えられました。

20_20 20系電源車として最初に製造されたマニ20

20_22_2はやぶさ」20系化で1960年、さらに「みずほ」20系化で1963年に製造されたカニ22 

この頃はMGやパンタは撤去済みでした。

20_21_790706 そして標準の電源、荷物車となったカニ21

当時、盛アオや秋アキには新旧様々な20系が集結しており、「あけぼの」の電源車も一晩で異なるタイプを撮影出来ました。

1975年版 客車配置表データによると、当時の配置では

盛アオ カニ21 12 13 14 20 21 122 123 124
            カニ22  1  3
秋アキ マニ20  1  51  52
            カニ22  51  52       でした。

20系客車は当初、製造メーカーで番代区分されており、日本車輌製造製は1-49、日立製作所製は51-99でした。

カニ21の122-124は1970年6月製造で電源車の無人運転対応のため遠隔自動制御装置が装備されており、基本番台+100で区分されました。1970年9月製造の最終増備車25-27は新製時から装備されており、そのままの番号となりました。

20_22_790505 尾久客車区で休む20系 1979/5/5

東北の寝台特急が続々、14系、24系化されて行く中で「あけぼの」のみが最後まで20系で残されました。

1975年11月25日、奥羽本線、羽前千歳~秋田間の交流電化が完成し、山形~青森間の牽引機がDD51からED75700番台に交代しました。

Ed75_728_207903 ED75 728 号機牽引 「あけぼの」 1979/3 鶴形~富根間

20 ED75 700番台牽引で青森を目指す20系「あけぼの」 1979/3 鶴形~富根間

Ed75_722 ED75 722 牽引で秋田に到着する「あけぼの」

1980年10月1日のダイヤ改正で「あけぼの」は20系客車から24系24形客車に置き換えられました。このときが20系客車の特急運用からの引退でした。季節夜行急行「おが」の座席車は14系客車となりました。

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2015年9月28日 (月)

尾久車両センター公開 2014 その13 HMの展示 その2 「ゆうづる」「はくつる」

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、前回の記事から公開されていたHMについて触れていますが、今回は「ゆうづる」「はくつる」です。

Hm_141115

Hm_141115_2
展示されていた「ゆうづる」「はくつる」のHM 鶴の形態は同じです。
実際の列車の機関車先頭にHMが付いているのを見たのは、「ゆうづる」だけで、「はくつる」のHMは今回初めて生で見ました。

寝台特急「はつくる」は東海道新幹線開業の1964年10月1日のダイヤ改正で急行「北上」を格上げする形で、3・4レ品川客車区の20系10両+電源車という構成で登場しました。

編成は

←上野                                                       青森→
カニ21+ナロネ21+ナシ20+ナハネ20x6+ナハ20+ナハフ20

牽引機は上野~黒磯 EF58 黒磯~仙台 ED71もしくはED75 仙台~青森 C61 盛岡~青森 前補機 C60 でした。

1966年春以降、盛岡~青森 前補機はDD51になりました。

1965年10月1日のダイヤ改正で青函連絡船が津軽丸型に置き換えられ運航時間が4時間半から3時間50分に短縮され、「はくつる」を尾久客車区に移管し、12両+電源車にし、さらに「北斗」を格上げする形で、寝台特急「ゆうづる」が設定されました。客車は共通運用とし、常磐線経由の寝台特急(5・6レ)として設定されました。

←上野                                                                                   青森→
カニ21(もしくはマニ20)+ナロネ21x2+ナハネ20x2+ナシ20+ナハネ20x6+ナハフ20

牽引機は上野~平 EF80 平~仙台 C62 仙台~盛岡 ED75 盛岡~青森 DD51重連でした。

20
上野で出発を待つ20系 「ゆうづる」

1967年10月以降は常磐線電化完成で水戸~盛岡ED75、盛岡~青森 DD51重連に

1968年6月20日、A寝台は1両となり、座席車をB寝台化し、全車寝台となりました。

Ef80_7
上野駅20番線ホームに到着したEF80 7号機牽引 20系「ゆうづる」 1975年頃

この頃はHMなしが当たり前でした。

583_1b
上野到着後、引き上げる「はくつる」編成 西日暮里

1968年10月1日、ヨンサントウの白紙改正で、東北本線全線電化、青森運転所に583系電車が新製配置され、「はくつる」は寝台電車特急となりました。キハ81から電車化された「はつかり」と共通運用で構成は

←上野                                                                                                 青森→
クハネ581+サロ581+モハネ582/583x2+サシ581+モハネ582/583x2+サハネ581+クハネ581

1970年以降クハネ581は門ミフに転属し、クハネ583に置き換えられました。

Ef80_7_583
20系客車特急に引き続き583系の「ゆうづる」が19番線に到着

「ゆうづる」は「十和田」を格上げされた1往復が加わり、1往復は20系となりました。ただ、車両は尾久客車区から青森運転所に移管され

20_2

青森に到着した20系 「ゆうづる」編成 

カニ21(マニ20)+ナロネ21+ナハネ20x2+ナシ20+ナハネ20x3+ナロネ21+ナハネ20x2+ナハ20+ナハフ20

で座席車が復活しました。

牽引機は上野~水戸 EF80 水戸~青森 ED75 1000番台でした。

1969年10月1日 「ゆうづる」は20系客車で1往復増発されました。食堂車が6号車に、8号車のA寝台が10号車に連結位置が変更されました。

1970年8月、「ゆうづる」20系客車1往復が運休扱いとなりました。10月改正で、「十和田」が1往復格上げされ、電車特急2往復、客車特急1往復となりました。12月に、20系客車の座席車がB寝台車に置き換えられ、20系オリジナルの座席車が形式消滅となりました。

1972年3月15日、新幹線岡山開業のダイヤ改正で、「ゆうづる」583系電車で1往復増発され、20系客車は10号車A寝台と2号車B寝台の連結位置が交換されました。10月には秋田運転区の20系で1往復増発されました。

583_7508 青森駅に到着した583系「ゆうづる」 1975/8

1973年12月、「はくつる」「ゆうづる」の食堂車は営業を停止しました。客車列車の食堂車はB寝台車に交換されました。

私も、1974年3月、能代~函館旅行の帰路、青森から上野まで583系「ゆうづる」に乗りました。寝台は満席でクリーン車サロ581の座席でした。

1975年3月10日、新幹線博多開業のダイヤ改正で「ゆうづる」は20系客車で2往復増発され、電車3往復、客車4往復体制となりました。寝台セットの解体用員の不足で583系1往復が全車座席車で運転されるようになりました。

1976年10月、20系客車4往復が24系24形客車に置き換えられ、583系は全車寝台に復帰しました。

Ef80_11_761000
EF80 11号機牽引の24系24形「ゆうづる」が上野駅20番線に到着

Ef80_8_000000
EF80 8号機に推進され尾久に引き上げる24系24形「ゆうづる」

1978年10月2日のダイヤ改正で「ゆうづる」、秋田運転区担当分は尾久客車区の14系に置き換えられました。

1980年10月1日、「ゆうづる」583系1往復、14系客車1往復が季節列車に、客車3往復中、2往復は24系25形客車に。24系24形1往復はA寝台連結中止となりました。

1982年11月15日、東北新幹線本格開業で「ゆうづる」は5往復、客車2往復中1往復は「あけぼの」と共通運用化、24系24形化されA寝台が復活しました。「はくつる」は1往復増発されました。

1983年、「ゆうづる」の24系24形編成が寝台改造で二段寝台化

Ef80_29_edit
EF80 29号機+24系

Ef80_36
EF80 36号機+24系

1985年の改正で寝台特急のHMが復活し、つくばの地の利を生かして夏至の頃、常磐線を上る「ゆうづる」を荒川沖(万博中央)~牛久で撮影

1985年3月14日、東北新幹線上野延伸のダイヤ改正で「ゆうづる」は2往復減で3往復(583系1往復、24系青森・秋田) 583系編成からサシが抜かれました。

Ef80_36_100522_2 大宮センター公開にて「ゆうづる」HM付きで展示されたEF8036号機 2013/5/25

1987年3月23日 24系客車2往復に2人用個室A寝台オロネ25形500番台「ツインデラックス」を連結

1988年3月13日、青函トンネル開業のダイヤ改正で24系「ゆうづる」2往復、583系「はつくる」1往復廃止。

Ef80_63_050816
碓氷峠文化村に展示されている「ゆうづる」HM付きのEF80 63号機  2005/8/16
実際にはこのタイプのEF81がゆうづるを牽引したことは無かったのではと思います。

1990年10月1日、「はくつる」と季節列車「ゆうづる」の1号車に「レディースカー」を連結

Ef81_51_edit
やがてEF80は引退し、EF81が「ゆうづる」を牽引する時代に 400番台に改造された51号機

1993年12月1日、583系「ゆうづる」臨時列車格下げ、583系「はくつる」を2往復とし、5号車を普通指定席に

1994年12月3日、「はくつる」2往復のうち1往復を臨時列車化「81,82号」、1往復を24系25形客車で運行 臨時「ゆうづる」は廃止

583_1b_2 終着上野を目指す「はくつる」

583_810113
絵入りHMとなった「はくつる」 1981/1/13 上野

583_810113_2 絵入りHMの583系「ゆうづる」 1981/1/13

2002年10月、「はくつる81、82号」の運転終了、12月1日の東北新幹線盛岡~八戸開業で「はくつる」廃止

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