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2012年10月25日 (木)

1974年秋 九州一周 1 京都まで

1972年の高校2年の頃から、鉄道写真を撮り始め、途中旅客機写真も経験しましたが、2001年のデジカメ導入後は再び鉄道をメインに写真を撮っています。だんだん歳をとってくると、あの旅行ではどこを回ったんだっけということすら分からなくなってきますので、記憶のあるうちに纏めておこうと言うことで、今回Blogを始めました。旅行記風、あるいは形式別、いろいろな記事になると思いますが、宜しくお願い致します。

今となっては殆ど鬼籍に入ってしまった車輌や列車ばかりが出てきます。また当時はハーフサイズのオリンパスペンで撮った画像が多く、見るに堪えない写真も多いかと思いますが、その辺はご勘弁のほどを。

第一回は大学1年の秋休み、『九州周遊券』を使って、関西、九州に初めて鉄道撮影旅行に出かけた際の記録です。

まずはその時代に撮った写真を載せまして、それをきっかけにして、列車や車輌がその後、どう変わっていったか、どこの車輌をどのように運用しながら、列車は成り立っていたかなど、いろいろなデータを引っ張り出してきてその後の変化を追ってみたく思います。

日程とコースですが、

9/29 東京~京都~大阪~(寝台特急あかつき1号)~
9/30 西鹿児島、鹿児島市内、桜島観光
10/1 西鹿児島~宮崎~別府
10/2 別府~北九州~博多
10/3 博多~長崎~諫早
10/4 諫早~口之津~本渡~熊本
10/5 熊本~水前寺公園~阿蘇~大分~(彗星2号)~
10/6 大阪~新大阪~東京

関西で撮影をした後、寝台特急で鹿児島まで行き、日豊本線を遡り、北九州から福岡、そして長崎へ行き,長崎から島原半島を経て、口之津、本渡と渡り、熊本から豊肥本線で大分に抜け、大分から寝台特急で関西に戻りました。そして東京へ戻る行程でした。

9月29日 東京駅7:30発の「ひかり55号」で、京都に10:23に到着しました。この列車を選んだのは、ちょうどこの頃、大阪と青森を結ぶ特急「白鳥」に翌年から北海道で使用予定の485系1500番台が組み込まれて運転されていることを知ったからです。「白鳥」の京都出発は10:41だったので、それに間に合う新幹線を選んだのだとおもいます。

<<東京駅>>

0_740929
東京駅新幹線ホームに入線する0系「ひかり55号」。

もっとも、この頃は0系とは言っていなかったと思います。

<東海道新幹線について>

東海道新幹線、1964年10月開業した際の駅は東京駅・新横浜駅・小田原駅・熱海駅・静岡駅・浜松駅・豊橋駅・名古屋駅・岐阜羽島駅・米原駅・京都駅・新大阪駅の12駅でした。その後、1969年4月25日に三島駅が開業。1988年3月13日に新富士駅・掛川駅・三河安城駅が開業。2003年10月1日に品川駅開業して、現在の17駅体制になりました。現行のダイヤで全列車が停車する駅は東京、品川、新横浜、名古屋、京都、新大阪です。

距離(実キロ)は515.4kmで料金上の営業キロは552.6kmとなっています。 今更ですが、軌間は1435mm(標準軌)、信号場は二カ所(栗東信号所と鳥飼信号所)、  全線交流25,000V・60Hz方式で電化、保安装置はATC-NS、車内信号式で、 運転指令所は新幹線総合指令所、列車運行管理システムは新幹線運行管理システム(通称 COMTRAC〈コムトラック〉:Computer aided Traffic Control System)です。
構造種別延長割合は路盤 53%、橋梁 11%、高架橋 22%、トンネル 13%となっています。

<<三島 (通過する車内から)>>

0_740929_4
開業してちょうど10周年の頃でした。東京第一運転所・三島支所を通過

<三島車輌所>

東海道新幹線の開業に伴う輸送計画段階では、東京 - 熱海間の輸送量が多いため、区間列車を運転する計画でした。しかし、熱海駅には、電留線を設置するスペースがなかったため当初は静岡まで回送していました。しかし、静岡の地価が高かったことや回送距離が長いことなどから、三島に電留線を設置することが決定されました。

第1期工事として、電留線3線、整備線(仕業検査線)2線、折り返し線1線、引き上げ線1線、乗務員宿舎などが新設されました。なお、本線間に折り返し線を設置するため、下り線の移設工事が1965年9月21日に行われています。工事は1966年7月に完了し、1966年12月26日に東京運転所三島派出所が発足しました。

新幹線乗客の増加に伴う増発により、車両基地の規模拡大が必要になりましたが、東京と大阪の車両基地拡張を行っても収容能力の限界が近いことから、第2期工事が実施されることとなりました。なお、この工事の中には、三島駅と16両編成運転対応設備新設の工事も含まれています。1969年10月には着発線2線、電留線12線、仕業検査線3線にまで拡大されました。同時に東京第一運転所・三島支所として運用を開始しています。

<0系新幹線>

1964年から1986年まで38次にわたり、改良を重ねつつ総計3,216両が製造されました。世界ではじめて200km/hを超える営業運転を達成し、航空機に範をとった丸みを帯びた先頭形状と、青・白塗り分けた流線形の外観で、初期の新幹線のイメージを確立した車輌で、第8回(1965年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞しました。

東海道・山陽新幹線用として足かけ44年にわたって運用されましたが、新型車両の登場による運用上の問題や経年による老朽化から晩年は山陽新幹線区間のみの運転となり、2008年11月30日定期営業運転を終了、同年12月14日のさよなら運転をもって営業運転を終えました。

登場後10年の1974年は博多開業を前にして36形による食堂車が登場した頃ですね。小窓の1000番台が投入されたのは1976年22次車からだそうですから、まだ開業当時からの車輌が全て活躍していた頃ですね。

<<京都駅>>

485_4811502_740929
京都駅での見送り風景

撮った時は車輌番号を写そうと思って撮った写真ですが、後から見ると長距離列車を見送る人々の様子がよく分かる写真です。駅の柱の銘も興味深いです。

4851500_19740700
485系1500番台組み込みの「白鳥」

既にホームにはたくさんのカメラマンが居て、撮った後、今みたいにすぐに出来映えを確認は出来ませんでしたが、返りにもう一度機会があるのでその時にゆっくり撮ろうと思いました。
485系1500番台に関しては後ほど,1974年1975年の北海道旅行シリーズ、さらには1976年の福島旅行シリーズで、そして特急「白鳥」に関しては1980年代の能代シリーズで纏めようと思っています。
113700_740929
ちょうど湖西線が7月20日に開通したところで、湖西線用113系700番台も写しました。現在も更新されて頑張っている同形の登場時の姿を。

<113系700番台>

湖西線用に1974年から1976年に製造された寒冷地向け仕様のグループです。0'番台の車体をベースとしていますが、湖西地区が多雪地帯であるため、客用扉の半自動対応化、前面タイフォンへのシャッター設置、スノープラウ設置といった耐寒耐雪構造で、いわば、115系300番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様です。暖地仕様車のクハ111形300番台に相当するCP付きの西(偶数)向き制御車は「クハ111形750番台」と区分されています。2M2Tの4両、4M2Tの6両に編成された84両が製造されましたが、短編成のためサハ111形は製造されていません。

新製時の配置は高槻電車区(現:網干総合車両所明石支所高槻派出所)で、国鉄末期の同区の無配置化に伴い宮原電車区(現:網干総合車両所宮原支所)に転属、国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継されました。JR発足後に吹田総合車両所京都支所(旧:向日町運転区 → 京都総合運転所)に転属しています。1991年からは高速化改造が施工され、全車が番号に5000を加えた「5700番台」となり、一部は半自動扉の電動スイッチ化や体質改善工事も受けています。ただし、2007年以降の新規施工は中止されています。

登場以来、湖西線とその後電化された草津線で運用されていますが、京都支所への転出後は山陰本線京都口(嵯峨野線)でも運用されています。嵯峨野線用は方向幕がLED化され電気連結器を持つ「C編成」、湖西・草津線用は電気連結器を持たない「L編成」と運用が分かれています。

このグループの中から、2003年電化開業の小浜線用として半自動開閉扉ボタン取付や座席改造が行われた2本が福知山運転所電車センター(現:福知山電車区)に転属しましたが、2006年の北陸線敦賀直流化に伴う125系増備により京都支所に復帰しています。 また、2005年に福知山線で発生した脱線事故による117系の同線からの撤退を受け、補充用として宮原総合運転所に転用された車両も存在します。

2008年から221系の山陰本線京都口(嵯峨野線)転用に伴い、一部の車両が広島地区への転用が開始され、転用車の中には高速化の解除が行われ、原番号に復帰した車両も存在します。

113_c11_060619_2
JR西日本のオリジナルカラーで活躍するC11編成 2006/6/19 向日町

113_c5_120913
一方、こちらはJR西日本の地域色(山陰線、湖西線、草津線:抹茶色)に塗られたC5編成

2012/9/13 山科 最近はC編成も湖西線運用に投入されているようですね。

113_l12_101207_2_2
2010/12/7に撮影した際はJR西日本オリジナルカラーだったL12編成 山科

113_l12_120913_3_2
同一地点で2012/9/13に撮影したL12編成

82_740929_b
山陰線ホームでは特急「あさしお2号」が到着したところでした。

当時、山陰本線京都口はまだ非電化で、特急「あさしお」はキハ82系気動車でした。

<特急「あさしお」の歴史>

1972年3月15日:「丹後」が1往復増発され8往復になる。
8月:京都駅 - 鳥取駅間で臨時列車として特急「あさしお」が運転開始。これは定期化に先駆けてのものとされる。

キハ82系 受け持ち:大ムコ

DcDsDdDDDDc×7 所要6(臨時+1)
かもめ(1)、なは(1)、まつかぜ(1)、あさしお(臨時1)
 京都7301912長崎
 長崎10302225京都
 大阪7252109西鹿児島
 西鹿児島9052243大阪
 京都7202050博多
 博多8152150京都
 京都8261226鳥取15321934京都

10月2日:「丹後」の下り1本、上り2本が特急化され、「あさしお」3往復が運転開始

DcDsDdDDDDc×10 所要9
かもめ(1)、なは(1)、まつかぜ(1)、あさしお(4)
 京都7301904長崎
 長崎10392225京都
 大阪7252109西鹿児島
 西鹿児島9052243大阪
 大阪8002050博多
 博多8152117新大阪
 京都8521225城崎12551545京都16352155米子
 米子7001221京都13091557城崎16271959京都
 京都9201352倉吉14151851京都

DDDc×3 所要2
あさしお(付属3)
 京都8521225城崎12551545京都16352155米子
 米子7001221京都13091557城崎16271959京都

1974.4.25

DcDsDdDDDDc×8 所要7
かもめ(1)、まつかぜ(1)、あさしお(4)
 京都7301914長崎
 長崎10382224京都
 大阪8002050博多
 博多8152117新大阪
 京都8521226城崎12551546京都16332155米子
 米子7001222京都13081557城崎16271957京都
 京都9201352倉吉14151851京都

DDDc×3 所要2
あさしお(付属3)
 京都8521226城崎12551546京都16332155米子
 米子7001222京都13081557城崎16271957京都

1982年7月1日:「あさしお」にキハ181系が投入される(特急「やくも」の381系化で余剰となった車輌の転属)。

大ムコのキハ82系はその後、1984年2月1日の改正後の特急「まつかぜ」の運用まで続きますが、1985年3月14日の改正で定期運用がなくなり、一部の車輌は名古屋、函館に転属となり,残りは廃車され、1961年以来24年間続いて来た同系列配置の歴史の幕が閉じられました。

キハ181系 受け持ち:大ムコ

DcDsDDDDDDc×5 所要4(臨時+1)
あさしお(4)、はまかぜ(1)(臨時+1)
 京都8521227城崎12571546京都16322158米子
 米子7001222京都13081600城崎16292000京都
 京都9201357倉吉14171854京都
 新大阪9221428倉吉15102024新大阪
 新大阪10061424香住15181925新大阪

1985年3月14日:東舞鶴駅発着の「丹後」1往復が「あさしお」になる。これにより、「あさしお」は5往復、「丹後」は下り6本・上り5本になる。

DcDDDsDDDc×5 所要4(臨時+1)
あさしお(5)、はまかぜ(1)(臨時+1)
 京都9281356倉吉14281857京都20052158東舞鶴22082254福知山
 福知山530625東舞鶴700900京都9501332城崎13561644京都17132228米子
 米子7001218京都13111600城崎16292004京都
 新大阪9221348鳥取14341851新大阪
 新大阪10061424香住15181925新大阪

1986年11月1日:福知山線宝塚駅 - 城崎駅間の電化に伴うダイヤ改正により、「白兎」が「あさしお」に統合されて廃止。「あさしお」は6往復になる。

受け持ち:大ムコ

DcDDDsDDDc×6 所要4
あさしお(5)、はまかぜ(1)
 京都9161342倉吉14141850京都19172114東舞鶴22172317福知山
 福知山530625東舞鶴700900京都9401318城崎14031648京都17172239米子
 米子7001221京都13111559城崎16252007京都
 新大阪9321437倉吉16012100新大阪

D×1

受け持ち:米ヨナ

DcDDDsDDc×4 所要3
あさしお(1)、はまかぜ(2)
 米子9561543新大阪17502225鳥取
 鳥取6551103大阪12401835米子
 米子759鳥取9571405京都14401852鳥取2041米子

DcDDc×7 所要6
おき(3)、いそかぜ(1)
 松江6181054城崎11101405米子14361925小郡
 小郡9191414米子14321744豊岡18122143米子
 米子12031906博多
 博多8201535米子
 米子9161409小郡14481956米子
 米子6151103小郡11571704米子

D×5 Ds×1

1989年3月11日:「あさしお」6号が鳥取発京都行に短縮。

1990年4月1日:宮津線の北近畿タンゴ鉄道移管に伴い、同線を普通列車で運行していた「丹後」9号・6号が全区間急行列車化。

12月:大阪駅 - 城崎駅間を183系電車使用の臨時急行として「きのさき」が運転開始。

1995年:臨時急行「きのさき」が廃止。これは、翌1996年の京都駅 - 城崎駅間の特急列車の名称が「きのさき」と決定したため。

1996年3月16日:園部駅 - 福知山駅間および北近畿タンゴ鉄道福知山駅 - 宮津駅 - 天橋立駅間の電化によるダイヤ改正により、 「あさしお」「丹後」が廃止。山陰本線京都駅発着の急行列車が全廃される。

58_850418
特急「あさしお」を補完する急行「丹後」も走っており、キハ58形が運用に就いていました。出発に備えて待機するキハ58形気動車 但し、この写真は1985.4.18に撮影したものです。

京都では梅小路に開設された梅小路蒸気機関車館を見学して、大阪に向かいました。(その時の様子は後日、公開しようと思います)。

三島車両所、新幹線0系電車、113系700番台の記述はWikipediaの記事を、大ムコのキハ82系,キハ181系の運用に関しては「国鉄特急車両 配置および運用の移り変わり」のデータを参考に纏めました。

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