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2012年10月25日 (木)

1974年秋 九州一周 7 博多から長崎へ

10月3日 博多から長崎を目指す旅で、当時長崎本線内の特急はなく、いろいろ思案したあげく東京からの寝台特急「はやぶさ」3レに立ち席特急券で乗車することにしました。

<<博多駅>>
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ED761008号機に牽引され博多に進入する寝台特急「はやぶさ」3レ 新幹線はまだ開業していませんでしたが、博多駅の工事はかなり進んでいるようでした。

理由は20系特急であることと、鳥栖からの付属編成はマヤ20形の簡易電源車にお世話になるからでした。すでに九州内の寝台特急牽引機はHMを省略して運行していましたが、特急「はやぶさ」もご多分に漏れずの状態でした。「はやぶさ」は定刻9:14に博多を出発し、12:10に長崎に到着しました。この編成が特急「あかつき7号」で大阪に戻り、再び特急「あかつき1号」で九州に、そして特急「はやぶさ」で再び東京へに向かう運用になっていました。

<<長崎駅>>

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南シナの20系編成として「はやぶさ」「あかつき1/7」を担当していた20系付属編成 

寝台特急「はやぶさ」は基本編成が東京~西鹿児島、付属編成が東京~長崎の運用であり、あかつき1/7号は大阪発でした。鳥栖で基本編成と付属編成に分割され、付属編成の長崎までのサービス電源の供給はマヤ20が行いました。
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集中式電源方式の20系の付属編成運用の際の電源供給のために設定された簡易電源車 マヤ20

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<<マヤ20について>>

1~3

付属編成が門司 - 大分間で分割運用となったことから、電源確保のため旧形客車オハシ30形から小倉工場(現・小倉総合車両センター)で改造され1・2が門司客貨車区(現・門司機関区)に配置された。短区間用なので荷物室は省略され形式は職用車の「ヤ」とした。

1964年10月に「みずほ」付属編成が「富士」として独立した際には、定期運用から外れ1を休車とし2は予備電源車として待機体制が取られた。 1965年10月ダイヤ改正により「さくら」・「あかつき」で長崎本線・佐世保線編成分割運用が再開することになり早岐客貨車区に転属。また運用増による予備車確保の名目でスハ32形丸屋根車から3が追加改造された。

改造内容

塗色変更。
車体種車であるオハシ30形の状態を残す一方で屋根にはラジエーターファンを搭載。
旧食堂・調理室側は全て撤去の上電源室と技術員室とした。
DMH17C-G形機関・PAG7形発電機・床下燃料タンク2基設置。
本系列と連結される2エンド側連結器を密着自動式に交換。
台車は種車の平軸受TR23形が流用されたが、バネ定数を荷物車用に変更しブレーキシリンダーを2基に増加。
1エンド側にナハフ21形と同型の左右分割式愛称表示器を設置。

番号の関係

スハ33044→スハ32 381→スシ31 2→オハシ30 4→マヤ20 1
スハ32907→スハ32 244→スシ31 5→オハシ30 5→オハシ30 2005→マヤ20 2
スハ32941→スハ32 278→マヤ20 3

10~12

1968年の増発によりスハ32形丸屋根車を種車として3両が改造されたが、以下の設計変更が行われた結果10 - 12の番台区分とされた。
•車体安定のために電源室(発電装置)を車体中央部に移設し重量配分の適正化を実施。
•1エンド側に荷物室を設置したため扉が2カ所とも残存したほか、前述の電源室移設も関係し技術員室の配置・窓位置も変更。
•機関を過給機付きDMH17S-G形・発電機をPAG7A形へ変更し、出力を125kVAから165kVAに増強。

番号の関係

◦スハ33275→スハ32 612→マヤ20 10
◦スハ33450→スハ32 787→マヤ20 11
◦スハ32860→スハ32 197→マヤ20 12

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長崎到着後、客車区に引き上げたナハネフ22以下、特急「はやぶさ」の付属編成

<寝台特急「はやぶさ」の歴史>

1958年10月1日:「はやぶさ」が東京駅 - 鹿児島駅間で現行の運行経路で運転開始。 従前、同区間を運行していた夜行急行列車「さつま」を格上げする形で運転が開始される。これにより、「はやぶさ」は鳥栖駅以南の鹿児島本線を運行する初めての特別急行列車となった。運行開始時の博多駅以南の停車駅は、久留米駅 - 大牟田駅 - 熊本駅 - 八代駅 - 出水駅 - 鹿児島駅であった。車両は(「さちかぜ」→)「平和」と同編成で組成された一般形車両を使用した。

1960年7月20日:「はやぶさ」に20系客車を投入し、同時に運行区間を東京駅 - 西鹿児島駅間に変更。 基本的には従来の編成・運用を踏襲する形となり、編成内容も「さくら」と荷物車を除き同等の物となった。
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神田側で機回し終了後、東京駅13番線に入線するEF65 505号機牽引20系寝台特急「はやぶさ」

1963年12月
:「みずほ」「はやぶさ」「さくら」に二等寝台車を1両増結。「さくら」「はやぶさ」は博多駅発着の付属編成に、「みずほ」は基本編成に連結をした。

1968年10月1日:「はやぶさ」:博多駅にて増解結を行っていた編成を長崎駅まで延長、西鹿児島発着編成とは鳥栖駅で分割併合を行う。また、長崎駅発着編成は「あかつき(下り1号・上り2号)」と共用する。

1972年3月15日:「みずほ」の使用車両を「さくら」・「あさかぜ」(博多発着の1往復)とともに14系客車に変更。「はやぶさ」列車番号が「下り3列車・上り4列車」に変更し、「みずほ」を「下り5列車・上り6列車」に変更。
この際「さくら」より浮いた1人用個室付きA寝台車「ナロネ22形」を「はやぶさ」西鹿児島駅編成に連結。「はやぶさ」は新大阪駅 - 西鹿児島駅・長崎駅間の「あかつき(下り)1号・(上り)3号」と共用化する。

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東京機関区のEF65500が台車検車を受ける際には下関のPFが特急「はやぶさ」を牽引して東京までやってくることもありました。 1974/12/15 EF65 1017

7月20日:品川客車区での20系客車運用を変更に伴い、「はやぶさ」と「あかつき」下り1号・下り3号に連結の1人用個室付きA寝台車「ナロネ22形」を開放式A寝台のみの「ナロネ21形」に変更。

1975年3月10日:「はやぶさ」の使用車両を20系客車から24系24形客車に置き換え。また、「あかつき」との共用を解消。東京発着の「富士」「出雲」との共用する。
長崎発着だった「はやぶさ」付属編成を熊本駅まで併結に変更。代わって「みずほ」が鳥栖駅で分割併合を行い、東京駅 - 熊本駅・長崎駅発着となる。
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HMがないのが残念ですが、編成の長さは全盛期のブルートレインそのもの 1978/12 筑前新宮 ED76 1007

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1975/3/10から僅か1年半の間でしたが、24系24形3段ハネの時代がありました。

1976年10月1日:「はやぶさ」の使用車両を24系24形客車から24系25形客車に置き換え。「富士」「出雲」とともに、東京駅発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。1人用個室A寝台「オロネ25形車両」も同時に連結。このA寝台1人用個室には当初愛称がなかったが、1986年3月3日「シングルデラックス」と命名される。2424_810103
銀帯も誇らしく2段ハネ化された特急「はやぶさ」が保土ヶ谷を通過 1981/1/3 このカニ24は一次車

1978年2月1日:博多「あさかぜ」の24系25形化に伴い、食堂車の運用を捻出するため食堂車は熊本回転の付属編成となる。この変更は共通運用だった「富士」・「出雲」にも同様に実施。 食堂車は増備しない方針であったため、既に末端区間の食堂利用率が低下気味でかつ運行時間が丸1日となる「富士」・「はやぶさ」の食堂車を、途中駅折り返しとすることで東京に戻る日を1日早め、「あさかぜ」への充当が可能になった。

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この頃は牽引機もEF65PFに交替 1981/1/3 EF65 1110

1980年10月1日:「富士」の運行区間を東京駅 - 宮崎駅間に短縮。「はやぶさ」15年ぶりに日本最長距離特急へ返り咲く。

1984年2月1日:廃止されていた九州でのブルートレインへのヘッドマーク取り付けが復活。

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門司における機関車交換のシーン 1985/4/18

1985年3月14日:「はやぶさ」にオハ24形700番台「ロビーカー」を連結。これに伴い、「はやぶさ」を含めた東京駅 - 下関駅間を運転する寝台特急列車の牽引機をEF65形からEF66形へ変更。

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EF66 45 田町

1986年11月1日:車両の受け持ちを以下のように変更。 「はやぶさ」は「富士」と共用運用とし、従来車両の管轄を行っていた品川運転所から基本編成を鹿児島運転所が、付属編成を熊本客車区へ移管。1989年3月11日:「はやぶさ」「富士」に1人用B個室寝台「ソロ」(オハネ25形1000番台)を連結。

1990年3月11日:「はやぶさ」水俣駅で昼行電車特急である「有明」11号に追い越されるダイヤを組んだ。

1993年3月18日: 「はやぶさ」の食堂車の営業を売店営業に差し替え。
下り列車の東京 - 小倉間のダイヤが「富士」と差し替えられて「はやぶさ」のダイヤが1時間15分繰り下げ。 これにより、西鹿児島到着が15時10分とその当時での定期列車では一番遅い到着時間となり、また、途中で追い抜かれる昼行特急列車「つばめ」に乗り換える乗客が目立ってしまい、熊本以南の利用者が減少傾向となる。

1997年11月29日:利用者の減少により運行区間を東京 - 熊本間に短縮。1980年10月1日に「富士」が区間短縮された時以来維持してきた、定期列車の日本一の長距離定期列車の座を「さくら」に譲る。また、売店営業を行っていたオシ24形の連結終了。同時に日本食堂による東京 - 熊本間通しでの車内販売営業も終了した。24系25形のみで単独運行された。

1999年12月4日:「はやぶさ」の利用者減に伴う運行系統整理により、鳥栖駅まで寝台特急「さくら」を併結して運転する2階建て列車とした。この「さくら・はやぶさ」の運行形態は1968年から1975年までの「はやぶさ」、1975年から1994年の「みずほ」の運行形態と同様となった。 「さくら」は長崎鉄道事業部長崎運輸センター所属の14系客車の6両編成、「はやぶさ」は熊本鉄道事業部熊本運輸センター所属の24系客車9両となり、東京駅 - 鳥栖駅間で「はやぶさ」「さくら」として併結運転を行った。また、編成単位での14系客車と24系客車の併結運転は史上初であり、サービス用電源はそれぞれ各編成の連結する電源車(カニ24形及びスハネフ14・15形)から供給された。なお、14系客車には非常時等に備え、併結運転対応工事が施された。
6両編成となった「さくら」には、従前「はやぶさ」及び「富士」に連結されていたオハネ25形1000番台(1人用B個室寝台車「ソロ」)を改造したオハネ15形2000番台が連結されたが、開放型A寝台車(オロネ14形)と食堂車(オシ14形)の連結は終了した。オロネ14形、オシ14形の運用離脱により、残る14系14形はスハネフ14形のみとなり、これ以降、24系25形からの編入改造車を含む14系15形が主体の編成となった。
「富士」・「はやぶさ」の24系編成には引き続き個室A寝台車「シングルデラックス」・「ロビーカー」が連結されたが、「ソロ」については前述の通り改造の上で14系編成に移された。また、オハネ25形2両をオハネ15形1100番台に追加改造し、14系編成に組み込んだ。

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大井町を通過する 寝台特急「さくら・はやぶさ」 2004/5/1 EF66 49

2002年3月23日:「はやぶさ」の開放式B寝台車を2両減車し7両編成となる。併結相手の「さくら」もB寝台車(開放式)が1両減車され5両編成になる。

2005年3月1日:「はやぶさ」は併結相手の「さくら」廃止に伴い、新たに東京 - 門司間で「富士」と併結する2階建て列車とした。これにあわせて、使用車両を24系25形客車から14系客車に変更。また「ロビーカー」とブルトレ便も同時に廃止した。 この関係で個室A寝台「シングルデラックス」のオロネ25形はオロネ15形3000番台に改造する必要があるため、下りは1月14日 - 2月28日、上りは1月11日 - 2月28日の間連結を中止。
このダイヤ改正で「さくら」が廃止され、1,315kmの運行距離を有する「はやぶさ」が定期列車の日本一の長距離列車の座に2度目の返り咲きを果たした。また「あさかぜ」廃止に伴い国鉄→JRの現役特急愛称継続年数の最長1位(当時47年継続)にもなっていた。
しかし、「はやぶさ・富士」の運行形態は1963年から1964年の「みずほ」に近い運行形態とされ、東京駅 - 京都駅間では「(東京対)九州特急」「九州ブルートレイン」は1往復のみの運行となった。
また国鉄時代から全区間を担当していた博多車掌区・熊本車掌区(現在の熊本車掌センター)の乗務区間が九州内に短縮され、本州内の乗務を下関地域鉄道部下関乗務員センターが担当した。

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EF6651号機牽引 特急「はやぶさ・富士」 2009/1/2 大船

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下関駅での列車案内 2007/12/17

2009年3月13日:同日始発駅を発車した列車をもって「富士」とともに廃止。これにより東京発着の客車寝台特急および九州発着の寝台特急は全廃。

長崎到着後は市内観光し、その晩は諫早に泊まりました。

<長崎電気軌道>

1914年8月2日に設立され、1915年11月16日、病院下(現在の大学病院前) - 築町間の電気軌道(路面電車)を開業し、現在、5路線4系統を営業する九州では2000年の西鉄北九州線廃止以降、純然たる軌道事業者としては九州唯一の私企業となっているそうです。

このときの旅行でも数ショット撮りましたが、その後仕事で長崎を数回訪問した際にも路面電車を撮影しました。

<<長崎駅前>>

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当時もこういった広告電車(ラッピング電車)が走っていました。

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以下の写真は全て2002/4/4に撮影したものです。
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209号:1950年に製造された長崎電気軌道の路面電車車両で、201-210の10両が存在します。奇数車両は日立製作所製で、「ヒ」に通じることから201形、偶数号車は日本車両製で、「ニ」に通じることから202形とも呼ばれています。長崎電気軌道の主力車両だそうです。

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301号:1953年に301 - 310の10両が製造され、全車とも日立製作所製です。本形式では製造当初から方向幕を前面上部中央に、前照灯を前面窓下に設置し、西鉄500形により近い前面形状となりました。200形・211形と同時期にワンマン化改造を受け、1984年に冷房化および方向幕の大型化・自動化が実施され、1990年代終盤以降は側面方向幕も設置されました。200形と同じく長崎電気軌道の主力車両です。

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364号1961年、1962年に導入された長崎電気軌道の路面電車で、360形は1961年に日本車輌製造にて7両が製造、370形は1962年に同じく日本車輌製造にて7両が製造されました。番号の36は昭和36年(=1961年)、37は昭和37年(=1962年)から取られています。本来は1963年にも380形を7両導入する予定でしたが、財政難から導入は370形までで打ち切られました。両形式とも基本的な仕様は共通です。

長崎電気軌道初の全金属車両で、西鉄1000形電車や広島電鉄2000形電車の影響を受けて、前面は3枚窓で中央が大きくなっています。長崎電気軌道初の前中戸車になりました。車体は軽量構造となり、従来の200形や300形などに比べ約1t軽量化されています。台車は360形がナニワ工機製のNK-25を、370形が日本車輌製造製のNS-17をそれぞれ装着しています。

360形の納車後ほどない1962年7月8日、363号が蛍茶屋車庫を出庫する際に無人で暴走し、先行していた365号に追突する事故が発生しました。2両とも復旧されていますが、この事故をきっかけに補助ブレーキが開発、装備されました。

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504号:老朽化が著しかった木造車を置き換えるべく、初のワンマンカーとして1966年にナニワ工機(現・アルナ車両)で製造されたのが、500形です。
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1303号:1980年代に入り、150形が老朽化してきたため、1982年に新車を導入することになりました。しかし、軽快電車の開発が思うように進まなかったため、軽快電車に準じた車体を新造して台車等は廃車となった電車の発生品や予備部品・中古品を使用し、在来方式で導入したのが1200形で、1800形までの間、新車は車体のみ新造して台車・機器は廃車車両や予備部品から流用する手法を採用しました。1300形は西鉄北九州線の300形の台車を使い作られました。パンタグラフや側面の車両番号の記載位置などが変更、運転台横の小窓が開く様になりました。また車内に手すりが追加され、客席の上下引き違い窓の上部窓も開閉する様になりました。
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1506号1993年から1997年にかけ製造された車輌で、西鉄北九州線の600形の機器を流用して、アルナ工機(現・アルナ車両)で製造されました。

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1701号1999年に製造され1701と1702の2両が存在し、廃車となった700形702・706の主要機器を流用して、アルナ工機(現アルナ車両)で製造されました。基本構造は1500形に近いですが、主要機器を700形より流用した都合上、主電動機はSS-50(一時間定格出力38kW)となり、1200形1201号・1300形と同一性能を備えます。

10月4日 諫早から島原鉄道で口之津へ、口之津からフェリーで鬼池へ、鬼池から本渡へ、天草観光をして、夕刻熊本に到着し、熊本では熊本城そばの五峰閣に泊まりました。
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島原鉄道の車輌たち、どこの駅だったか記憶が定かではありませんが、当時の車輌基地のようでした。

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