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2012年10月25日 (木)

1974年秋 九州一周 8 熊本から大分へ

10月5日 市内で市電を、熊本駅で125列車のED72からED76への機関車付け替えシーンなどを見た後、豊肥本線列車でまず水前寺公園へ、さらに阿蘇駅まで乗車し、九州を横断し、大分駅に到着しました。

<熊本市電>

この旅行で写したのは1201形の写真1枚でした。

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1201形: 1958年、1959年に200形として東洋工機にて200 - 209の10両が製作されました。1966年のワンマン化改造とともに1200形に改められ、原番号に千位の1を加えた現在の車番に変更されていますが、200は1210に改番されました。

1978年に1202・1208が冷房化改造を受け、路面電車としては日本初の冷房車となった。他の8両も1980年までに冷房化されました。

その後、熊本も仕事で訪れる機会があり、1998年11月には通町筋で、2010年3月には熊本駅前で撮影しています。1093_100318_2
1093号 
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1097号 いずれも2010年3月に熊本駅前で写したものです。

1090形 元は1955年に東洋工機にて製作された188形188・189と、1957年に同じく東洋工機で製作された190形191 - 195です。1968年にワンマン化改造する際に1090形に統合され、番号は元190形が原番号の百位と十位の間に0を入れた1091 - 1095、元188形は番号順に1096・1097に変更されています。
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通町筋の電停で電車の背後には熊本城の天守閣も見ることが出来る好撮影地です。現在は軌道緑化が進んでいるそうですね。

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1352号: 1960年、熊本国体に備えて輸送力増強を図るため、東洋工機にて350形351 - 356の6両が製作されました。形式は製造年の昭和35年にちなんでいます。200形(現、1200形)とほぼ同形態です。

1960年代に入り、モータリゼーションの進行や人件費の高騰などにより経営が悪化したことから、本形式以降、熊本市電では車両新製を打ち切り、以後は1963年 - 1965年にかけて大阪市交通局(大阪市電)から901形を譲受することになりました(熊本市電が車両の新造を再開したのは1982年の8200形以降です)。

200形に続いて1967年にワンマン化改造がされ、200形(→1200形)同様に原番号に1000を加えた1350形1351 - 1356に改番されています。その後、全車1979年に冷房化改造がされています。8201_981105
8201号:1982年に8201・8202の2両が日本車輌製造にて製作されました。8201は「しらかわ」、8202は「火の国」の愛称名が付けられています。熊本市電では1960年に新製した350形(現・1350形)以降、自局発注の新車がなく、本形式が22年ぶりの新車となりました。
1983年に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。
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9201号

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9204号; 9200形 1992年に9201・9202、1993年に9203・9204、1994年に9205の計5両がアルナ工機にて製作されました。9201は熊本市の提携している姉妹都市にちなみ「ハイデルベルク」の愛称名が付けられています。車内にはハイデルベルクを紹介するパネルが掲示されており、かつてはドイツ語での車内放送が行われていました。

<<熊本駅>>

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当時の時刻表によると、写真の列車は鳥栖発西鹿児島行きの長距離鈍行の125レで、鳥栖から熊本まではED73が牽引、熊本では21分の停車時間があり、その間に牽引機がED76に交換されていました。

<<別府駅>>
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別府で偶然、見かけた大阪発大分行き「みどり」(17:41)は貫通タイプのクハでした。

大分からは14系寝台特急「彗星2号」 2034レで大阪を目指しました。途中門司での列車併結シーンは撮影は出来ませんでしたがしっかり、脳裏に刻み込みました。

<寝台特急「彗星」の歴史>

1968年10月1日:新大阪駅 - 宮崎駅間で寝台特急列車「彗星」の運転を20系客車で開始。

1970年10月1日:「彗星」を都城発着とする。

1972年3月15日:「彗星」、新大阪駅 - 大分駅間の列車を増発し、2往復体制となる。

1973年5月9日:日豊本線上り列車において車両運用の都合上、C57形蒸気機関車による重連運転で運行され、これは国鉄線内で蒸気機関車が定期特急列車を牽引した最後の事例とされる。
10月1日:「彗星」は新大阪駅 - 大分駅間の列車を2往復増発し、4往復の運行となる(都城発着は下り1号・上り3号)。また、上下2号は佐世保発着の「あかつき」と門司駅で増解結した。この増発分には14系客車が充てられたほか、新製の24系客車も1往復に充当された。「彗星」の増発に伴い「べっぷ」を廃止。

1974年4月25日:「彗星」が新大阪駅 - 大分駅(下り3・5号、上り1・2号。下り3号、上り2号は従来通りに「あかつき」と併結)、宮崎駅(下り1・4号、上り4・5号)、都城駅(下り2号、上り3号)の計5往復の運行となる。この改正で、「あかつき」とともに新製の24系25形客車が一部に投入され、2段B寝台初の列車となる。

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登場間もない頃のオハネフ25 基本番台 1975/3 下関

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荷物の積載の関係か電源車はこのようにカヤ24が使われるケースと

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当時、最新鋭のカニ24100番台が使われるケースがありました。

1975年3月10日:「彗星」は大分(下り3号、上り1号)・宮崎(下り1号、上り3号)・都城(上下2号)発着各1往復の計3往復に統合。また、上下の1・3号を583系電車での運行とする。

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581/3系 彗星 登場時は字幕でした。

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1978年10月1日:「彗星」の大分発着列車を24系25形客車による運行とする。

1980年10月1日:大分発着の「彗星」および「くにさき」を廃止。「彗星」は2往復に減少する。

1984年2月1日:宮崎発着の「彗星」を廃止。これにより「彗星」は24系25形客車による、新大阪駅 - 都城駅間運行の1往復のみとなる。

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ED7624 HMが復活 大分にて

1986年11月1日:「彗星」の車両を14系15形に変更する。
1415_801212
新大阪にて

1994年12月3日
:「彗星」の車両を24系25形に変更する。

1995年1月17日:阪神・淡路大震災により東海道・山陽本線(JR神戸線)が不通となったため、「彗星」は当分の間運休となる。 「あかつき」や「なは」は被災区間を迂回する臨時列車が1月30日から設定されたのに対して、「彗星」は設定されなかった。
4月1日:「彗星」運転再開。
4月20日:南宮崎発着となる。

1997年11月29日:東京発着の「富士」が運転区間を大分駅までに短縮。これにより「彗星」は南宮崎駅に乗り入れる唯一の寝台特急になる。

2000年3月11日:「彗星」が長崎発着の「あかつき」と併結運転になり、「あかつき」に合わせて京都発着となる。同時に神戸駅の停車駅を取り消し、三ノ宮駅停車に変更する。車両も14系15形に変更する。1人用B個室寝台「ソロ」を連結。以後、廃止までこの体制で運行されることになる。

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新大阪に到着した「彗星・あかつき」 EF6645号機牽引 2003/3/27

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          廃止直前の行き先表示 2005/8/21 京都

2005年10月1日:「彗星」が廃止。

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