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2012年10月27日 (土)

1975/1 名古屋へ 1 客車列車 その1 寝台特急「さくら」その1

大学1年の冬休み、今から思えば人生においてもっとも時間があった時期ですが、それこそ急な思いつきで、東海道線夜行列車大垣行きに乗り、名古屋に撮影旅行することにしました。金のない大学生でしたから、返りも運賃節約で東名高速バスで帰れば良いと思っての出発でした。

それでも出発前にいろいろと調べてなにが撮影出来そうか考えました。まずは1972.10のダイヤ改正で尾久から和歌山に移動して「くろしお」運用に就いているキハ81、中央西線電化後も2往復残った特急「しなの」に充当中のキハ181系、名古屋と熊本を結ぶ急行「阿蘇」、これは関東ではお目にかかれないEF61の牽引、北陸特急「しらさぎ」、名古屋と博多を結ぶ寝台電車特急「金星」といったところがまず撮影候補にあがりました。

ということで、年明けの元日の晩、東京駅から大垣行き夜行列車に乗車し、翌朝名古屋に到着しました。

まずは客車列車を紹介致します。その1は東京行き寝台特急「さくら」です。

Ef65_509_750102

東京行き寝台特急 2レ「さくら」 EF65 509 6:31到着 6:36発車

名古屋に早朝に着いて、まだこれから5時間も走る夜行列車に出会うのも不思議でしたが「さくら」の東京着11:30を考えれば納得です。

特急「さくら」の歴史を振り返って見ましょう。歴史を振り返りながらその列車についてこれまで撮影したいろいろな時代の写真を添えてゆきたく思います。

「さくら」もしくは「櫻」と命名された特急はこれまで以下の4種類があるそうです。

1.第二次世界大戦前の1923年から1943年まで、鉄道省が東京駅 - 下関駅間で運行していた第3・第4特別急行「櫻」
2.1951年より1958年まで、国鉄が東京駅 - 大阪駅間で運行していた臨時・不定期特別急行「さくら」
3.1959年から2005年まで、国鉄およびJRが東京駅 - 長崎駅間(1965年 - 1999年は佐世保駅発着の編成を併結)で運行していた寝台特急「さくら」
4.2011年から、西日本旅客鉄道および九州旅客鉄道が、山陽新幹線・九州新幹線で運行している新幹線「さくら」

今回話題にするのは3.の東京~長崎、佐世保間の寝台特急です。

1957年7月:東京駅 - 博多駅間を運行する寝台特急列車として「さちかぜ」運転開始。 「さちかぜ」の設定当初は、毎日運行の臨時列車扱いとした。また、「あさかぜ」についで2本目の寝台特急列車となり、「あさかぜ」と続行する形で運転された。
10月:「さちかぜ」運転区間を長崎駅まで延長し定期列車化。 付属編成は広島駅発着の車両を連結していた。

1958年10月:「あさかぜ」と続行する形で運転され、その上名前が似ていたことから誤乗が続出したため、対策として「さちかぜ」の名称を「平和」に改称。 また、「平和」は「あさかぜ」より東京駅を2時間近く早く出発する事となり、下り列車は翌11月に登場した151系電車使用の特急「第二こだま」と続行運転する形となった。その事で京阪神方面からの利用が辛うじて可能となった。この時「はやぶさ」も運行を開始し、「平和」と共通運用を組んだ。

1959年7月:「平和」を「さくら」に名称変更。同時に20系客車による運行を開始。

1960年7月:「はやぶさ」に20系客車が導入された。これに伴い、ディーゼル発電機と電動発電機の双方を搭載した電源車である「カニ22形」が使用されるようになる。 この車両はパンタグラフを装備しており、直流電化区間では電動発電機により編成の電力をまかなった。

1961年10月1日:本ダイヤ改正から列車番号の符番を変更。前年のダイヤ改正よりそれまで客車列車で運行されていた「つばめ」・「はと」が電車化されて以来、形式上空いていた1列車から始まる列車番号を九州特急と称された寝台特急列車群に与える。これにより、九州特急の下り始発列車であった「さくら」に1列車、その上り列車として2列車が与えられ、JR化以降となる1994年12月3日までの33年あまり使用され続けた。
 12月29日:20系客車による下り「さくら」に、山陽本線上で2時間57分遅れで運転されていた気動車準急「あきよし」が追突する事故が起こった。事故復旧に際して20系客車が使用できなくなり、急遽10系客車や在来型客車を代わりに用いたことから、マスコミから「うばざくら」と揶揄された。

1963年12月:「さくら」に二等寝台車1両を増結。この増結した車両は博多駅回転となった付属編成に連結。

1964年6月:「さくら」の緩急二等座席車「ナハフ20形」を緩急二等寝台車「ナハネフ22形」に変更。

1965年3月:「さくら」の緩急二等座席車「ナハフ21形」を緩急二等寝台車「ナハネフ21形」に変更。これにより、二等座席車の連結を終了。10月:「さくら」の運行区間を東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間に変更。 この改正では従来長崎駅に乗り入れていた基本編成が佐世保駅発着となり、長崎駅には博多駅で増解結していた付属編成が乗り入れることとなった。両編成の分割・併合は肥前山口駅で行なった。

「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF60形500番台からEF65形500番台(P型)に変更され、東海道本線、山陽本線での最高速度が110km/hとなった。なお、関門間はEF30形、鹿児島本線はED72形及びED73形、長崎本線・佐世保線内はDD51形が牽引した。
また、佐世保編成はスイッチバックを行う早岐駅から終着の佐世保駅まではC11形蒸気機関車がバックで牽引し話題となった。

1966年10月:「さくら」の基本編成を長崎駅発着、付属編成を佐世保駅発着に変更。

1968年6月20日:「さくら」長崎編成中に連結していたナロ20形ナハネ20形に変更。座席車の連結を終了。

1972年3月15日:「さくら」と「みずほ」「あさかぜ(下り)2号・(上り)3号の使用車両を、当時「新型ブルートレイン」と称された14系客車(14系14形)に変更。

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東京駅12番線で発車を待つEF65 541号機牽引の寝台特急「さくら」 1974.8

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品川を通過する540号機牽引の特急「さくら」 1975.7 これら3枚はピンクの地に白い花のタイプのHMEf65_535_2
品川客車区より14系客車を牽引して東京駅12番線に入線するEF65 535号機 
Ef65_535_780300

11番線を通過して機回しを行う535号機 これら2枚は先のHMとは色のパターンが逆のHM

1978年7月
:「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形500番台(P型)からEF65形1000番台(PF型)に交代。

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EF65 1095号機に牽引されて東京を目指す 特急「さくら」 保土ヶ谷

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こちらは逆パターンのHMをつけた1097号機 保土ヶ谷 1979/1/2
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品川客車区で昼寝中の14系寝台客車 1979/9/23

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雨の朝 筑前新宮を通過するED76 76号機牽引 特急「さくら」 1979/12/18
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同列車の後ろ姿
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長崎で昼寝中の「さくら」長崎編成 手前奥には14系15形寝台車「あかつき」の姿も見えます。 1979/12/21

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。
(1980年代以降の歴史と写真は明日の記事にて)

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