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2012年10月29日 (月)

1975/1 名古屋へ 1 客車列車 その2 EF61牽引 「阿蘇」

今回は、薄幸の旅客機と言われたEF61とEF61による急行仕業だった「阿蘇」に関する話題です。

1960年に開発されたEF60形は、国鉄の近代的な大型直流電気機関車の第一陣であり、一般貨物列車を牽引するためには十分な性能を備えてはいましたが、牽引力重視の設計ゆえ高速走行時の特性に難があり、旅客列車や高速貨物列車の牽引には不向きでした。また、客車暖房のための蒸気発生装置 (SG) ならびに電気暖房装置 (EG) が搭載されておらず、その点でも当時の一般旅客列車牽引には向きませんでした。そのため、1958年に製造が終了していた旅客列車用機関車EF58形の後継としてEF61形が設計され、1961年から18両が新製されました。

<車体構造>

EF60形の1次形をベースにして、冬期の一般客車牽引に対応するSG1B形暖房用蒸気発生装置・重油タンク・水タンクを追加搭載しました。 当時は直流電化区間の旅客列車の電車への移行が進行し、東海道新幹線の建設工事も始まっていた時期で、将来的にはSGを外し貨物用に改造することを視野に入れての設計でした。

SG搭載により重量が増加しますが、本形式は旅客列車用ということで、旅客列車の牽引に特に必要のないバーニア制御器や再粘着装置などの一部の機器を省略して最終的にはEF60形と同一の96.0tに車重を抑えました。
高速化のため主電動機の歯車比を15:82=1:5.47→16:82=1:5.13に変更。 EF60形1次形の電動機側小歯車の15枚に対して、本形式では1枚増やした16枚の歯車を取り付けるというメカ的に興味深い手法で変更が行われました。

車体はEF60形1次形に比してSG装置を搭載する必要があるため1.6m延長され、側面の換気ルーバーや小窓は横長に連続した形態としました。連続した小窓は車内への「明かり採り」の効果向上を狙ったもので、以後の国鉄電気機関車の多くにも採り入れられることとなりました。

製造当初の車体塗装は、EF60形基本番台と同一のぶどう色2号(茶色)の一色で、1965年からEF60形と同様に側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面窓下部をクリーム1号とした塗装に全機とも変更されています。

予算と製造名目

昭和36年度本予算 山陽本線岡山 - 糸崎間電化 旅客列車牽引機の電気機関車化

1~10   川崎車輛 川崎電機製造
11~18  汽車製造 東洋電機製造 

新製配置 宮原機関区 

旅客用直流電気機関車の需要自体が電車化の進展で減少したこともあって、発注・製造はこの一度のみで製造両数も18両にとどまりました。

主電動機の駆動力伝達には、EF60形1次形と同様の日立製作所製QD2C形クイル式駆動装置を搭載しました。しかし、これが原因とされる走行中の異常振動現象による駆動系トラブルが多発したため、1974年から1977年にかけてリンク式に改造されました。

<運用>

1961年の製造当初は宮原機関区に配置されましたが、1962年の山陽本線広島電化により広島機関区に転属しました。東京 - 広島間で寝台特急列車(ブルートレイン)牽引のほか、間合い運用として瀬野 - 八本松間での旅客電車の補助機関車運用などにも投入されました。そのため、東京方の自動連結器解放テコに走行開放用空気シリンダーが取り付けられています。
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EF61 12号機牽引の急行荷物列車 荷38レ 大阪駅 EF61牽引のこの列車は九州から寝台特急で大阪に到着すると必ずといって良いほど目にした大阪駅の名物的光景でした。

1963年EF60形500番台登場後は寝台特急牽引運用から撤退し、急行列車や東海道・山陽本線の急行荷物列車の牽引に使用されましたが、1975年3月10日の山陽新幹線博多開業により、東海道・山陽本線の定期客車急行列車の牽引運用から外れた後は、荷物列車や臨時列車を中心に、ローカル貨物列車にも使用されるという地味な運用となりました。

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貨物運用を担当する8号機 広島

また後年には、SGによる車体の腐食が問題となりました。EF58形と比べて本形式は車体の外板が薄いため、蒸気の排出口を中心に屋根板の腐食と強度低下が早く進行し、一部の車両では錆びた屋根が抜け落ちる事故が発生しました。屋根の抜けた車両のうち、1号機は屋根の約半分を張り替えるなど大規模な修繕に数か月を要しました。

その後、老朽化により運用から外れる車両が発生し、1983年3月には、1979年以来休車が続いていた7号機が最初の廃車となりました。その後も状態不良車を中心に廃車が続き、最後まで残った9両についても、荷物列車の電気暖房化により1984年2月1日のダイヤ改正で全機が運用から外れ、1985年までに廃車されました。晩年には、広島機関区所属機の特徴でもある下枠交差型のPS22Bパンタグラフに交換された車両も多く見られました。

急行「阿蘇」は1950年10月の時刻改正で東京~博多間の急行を筑豊本線経由で熊本まで延長したときに誕生したもので同年11月に「阿蘇」と命名されました。

1961年の改正で名古屋発に短縮され博多経由になりました。

1975年3月の改正で新大阪~熊本にさらに短縮され、牽引機もEF58に、

1978年の改正で大分行きの「くにさき」と併結になり、

1980年の改正で廃止されています。

Ef61_18_750102

急行「阿蘇」214レ9;34到着 1974年当時は全機広島機関区に配置され、東海道・山陽線の夜行急行や小荷物列車の運用に当たっていました。ただ、運用は浜松までであり、関東のファンにとってはなかなかお目にかかれない機関車でした。

1975年1月当時、EF61の急行仕業としては、この「阿蘇」名古屋~下関の他、寝台急行「音戸2号」(広島~下関)などがありました。こちらに関しては1975.3のダイヤ改正直前での関門訪問の記事で紹介します。

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