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2012年11月16日 (金)

1974/3 能代、函館へ

私が大学を受験したのは1974年3月のことで、当時はまだ一期校、二期校の時代でした。

確か3月3日が一次試験、その発表が6日にあり、二次試験が8,9日だったと記憶しています。

一次試験の当日は、パリでトルコ航空機墜落事故がありました。そして発表は20日でした。正直、一次試験は時間が勝負のような試験で、終わった後、不安感がありました。二次試験は苦手だった古典の問題が授業で習った内容であったのと、化学で点数を稼げたのが幸いだったように思います。

<トルコ航空DC-10パリ墜落事故>パリのオルリー空港を離陸したトルコ航空981便ダグラスDC-10型機(TC-JAV (cn 46704/29))が貨物室ドアの鍵の不良で高度12000ft(3600m)に達した時に貨物室ドアが吹き飛び、乗客が機外に吸い出され、さらに与圧の関係で客室の床が抜け、尾翼をコントロールするケーブルが破断し、コントロール不能となってエルメノンビルの森に墜落した事故。
1985年の日航ジャンボ機事故以前の単独航空機事故としては最大数の犠牲者(364名)を出す事故。なお、TC-JAVという機体はダグラス社が全日空向けに製造した機体だったそうで、ロッキード事件で全日空はロッキードL-1011(トライスター)を購入することになったため、トルコ航空に破格の条件で販売されたものであったそうです(Wikipediaより)。

この事故の2年前1972年6月12日にデトロイト空港を離陸したアメリカン航空96便(DC-10-10 N103AA (cn 46503/5))がカナダ・オンタリオ州ウインザー上空で貨物室ドアが破損し、緊急着陸した事故"Windsor incident"の教訓:貨物ドアの欠陥にメーカーおよび行政が適切に対処しなかったことが原因とされています。

発表後、入学手続き等を済ませ、3月31日に開かれる健康診断までの間に、秋田県能代市に住む祖父のもとに行って「大学合格を報告してこい」ということになり、1972年夏の萩旅行同様に弟とふたりで行くことにしました。折角、能代まで行くのだから、連絡船で函館まで行ったらというプランも追加され、能代からの帰りに青森まで行き、連絡船で函館往復、夜青森から寝台電車特急「ゆうづる」で東京に戻るという旅程がくまれました。ただ、往路の特急「つばさ1号」は既に満席で、臨時の「つばさ51号」しか確保できず、復路の「ゆうづる5号」のB寝台券は完売されており、グリーン指定席しか残っていないとのことでした。

3月27日朝、定期の181系特急「つばさ1号」が上野駅地平17番線ホームから8:04に出発するのに対して、我々が乗車する臨時「つばさ51号」は同じホームから1時間後の9:04に出発します。

車輌はキハ181系ではなく、1972年~1974年にかけて製造された14系座席車です。牽引する機関車は宇都宮機関区のEF65 1049号機でした。


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EF65 1049(宇)が先頭に付き出発準備する臨時「つばさ51号」8001レ 秋田行き

カメラはハーフサイズのオリンパスPenで、当時よくやったミスがカメラのストラップを写し込んでしまうことでした。

臨時「つばさ51号」の停車駅と時刻を定期のつばさ1号と比較しながら当時の時刻表をもとに示します。

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定期と臨時では上野出発の際の時間差は1時間ですが、客車での運行のため、機関車交換(黒磯、福島、山形)での時間的ロスもあり、秋田到着時点では2時間23分の差に拡がっています。

鉄道ファンとしてはこの機関車交換が大きなイベントでした。


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宇都宮機関区で休むEF57, EF15, EF65PF

これまでにも東北本線の旅は数回経験していましたが、列車が宇都宮駅にさしかかったところで見える機関区の風景は「東北本線のヌシたちのたまり場」といった感じでワクワクしたものでした。つばさ51号の場合、宇都宮には停車せずに黒磯を目指しました。14_740327_3
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黒磯での機関車交換

黒磯での最初の機関車交換でEF65が切り離され、ED75 125号機が連結されました。

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福島での機関車交換

続いて福島では板谷峠用にEF71 7が連結されました。
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山形で切り離されるEF71 7


山形から先は非電化区間であったためにDD51牽引となりました。

14系客車の印象ですが、1972.7にデビューした183系電車と同じように簡易リクライニングシートが装備された客室でした。ただ、この簡易リクライニングシートは倒した状態でロックされず常に体重をかけていないといけないシステムでしたので、かなり疲れたのが正直な感想でした。


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かつての東能代機関区の様子とED75 702号機

東能代駅のヤードはかつての東能代機関区を偲ばせる広大なもので、その当時の様子は
http://d51791.com/index.html のサイトに写真付きで詳述されています。


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逆方向からみた当時の東能代駅


ED75の横のDCは五能線の列車、対向式ホーム部分が奥羽本線

1971年高校1年の夏に能代を訪問した際にはまだ電化されておらず、C61やD51,8620などが活躍する姿を見ていたのですが、写真には収めていませんでした。


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当時の奥羽本線の旅客列車 

まだ50系客車は投入されておらずED75 700番台の牽引する客車列車がメインでした。

能代では東能代まで五能線で出て、東能代から二ツ井まで奥羽本線の列車で行き、先祖代々の墓参りをしましたが、なにせ前回来たときの記憶がないのと、同じ姓の墓石ばっかりで後で聞いたら別の家の墓にお参りしていたとのことでした。


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藤琴川と奥羽本線橋梁 きみまち坂から

写真は1980.8に撮影したものですが、奥羽本線が単線の時代は左側の道路の橋梁が鉄道の橋で、電化・複線化の際に線路を移設して、橋を掛け替え、トンネルも新しく掘ったそうです。菩提寺はちょうど線路が左に曲がって行くカーブの内側にありましたが、1990年代の国道7号バイパス工事で、あらたな橋がこのふたつの橋の間に架かり、寺は正面右手の山の麓に移転しました。
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青森を出航して津軽海峡に出たあたりで甲板から写した津軽海峡の様子

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乗船した「大雪丸」の船内案内図

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当時の函館駅の駅舎

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函館駅の特徴的なカーブしたホーム

ホームに入っていた気動車は江差線のキハ24でしょうか。

<キハ24形について>
酷寒地向け1機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)4月に10両のみが日本車輌製造で製造された。新製当初は1 - 4、9、10が函館機関区(函ハコ)、5 - 8が郡山機関区(仙コリ)に配置され、会津若松機関区で使われたが、全車が2年以内に北海道へ移動し、5、6が旭川機関区(旭アサ)、7、8が釧路機関区(釧クシ)に転属した。函館では「松前」、「せたな」、「えさし」、釧路では「ノサップ」などの急行列車にも、キハ22形に伍して使用された。全車がJR北海道に承継され、1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、10が1992年 (平成4年)、その他は1995年(平成7年)に、5 - 8は民営化後に苫小牧運転所(札トマ)へ転属となり、1994年に廃車となった。(Wikipediaより)
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函館市電の函館駅前停留所

人生で初めての渡道であり、しかも滞在時間僅か数時間でしたが、函館の観光名所を大急ぎで回った憶えがあります。

北海道とは大学入学後1年と2年の夏休みに教養学部化学部の実験旅行で2週間ほど滞在する機会があり、さらに同じ年の秋休みにも高校時代の友人と男3人の旅をしており、1974,1975年の2年間はなんと4回も渡道することになりました。

その頃は、函館本線山線のC62 2ニセコ号は終わっていましたが、室蘭本線でC57貴婦人の牽く旅客列車が最後の活躍をしている頃で、夏休みの実験旅行の後で登別や追分でC57,D51,9600などを撮る機会に恵まれました。また、道内発の特急電車としてデビューした485系1500番台「いしかり」の姿も捉えることができました。

能代との関係は1978年に祖母が他界し、開業医だった祖父が能代で医院を続けていたため、両親が1978年以降、正月、春休み、夏休みと最低年3回は能代に行くことになり、私も1978年には運転免許を取得した関係で往復のドライバーとして能代に行くことになりました。奥羽北線は寝台特急、昼行特急のルートでもあり、1978年から祖父が他界する1989年まで、この辺での列車撮影の機会に恵まれました。

因みに今回の函館渡道の後は、往きに較べてかなり荒れた津軽海峡を渡り、青森から583系のサロ581の旅を経験することになりました。当然のことながら、車輌断面が大きいため天井が高く感じ、走行していてもゆったりした感がありました。しかし、無理をするものではないもので、帰京した翌日、大学入学のための健康診断において、検査値に異常が出て、体育の授業が半年間、病人扱いになってしまいました(笑)。

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