1975/1 名古屋へ 1 客車列車 その5 旧型客車 スハ44系
今回の話題は名古屋駅で見た旧型客車です。
<スハ44系>
まず最初は、かつて特急「つばめ」などで活躍していたスハ44系客車の残党(スハフ43 17)が当時、亀山客車区に配置されていたようで、関西本線の列車で運用されているの目撃しました。
今から思えば、なぜ車輌全体を写していなかったかと悔やまれるのですが・・・
1974年秋の九州一周旅行でも大分でスハフ43形に遭遇しましたが、当時の車両配置表でスハ44系(スハ44、スハフ43、スハニ35)の配置(1975.4.1のデータ)を見てみると、
宮原区 スハ44 25 28 33
スハフ43 1 13
高松区 スハフ43 2 3 15 16 18 19
の2カ所、11両のみの配置となっていました。
簡単にスハ44系の歴史を振り返ってみますと、
1951年に特急列車のサービス改善を目的として、戦前のスハ34形に相当する専用三等客車が設計されました。基本構造はスハ43形に準じましたが、デッキは特別二等車並みに片側のみとされ、車内は、2列配置の一方向き固定クロスシートがシートピッチ835mmで通路の左右に配置されるなど、当時の一般向け三等客車とは比較にならない、高水準なアコモデーションを備えていました。基幹形式であるスハ44形(スハ44 1 - スハ44 34)、緩急車として車掌室や手ブレーキ装置を持つスハフ43形(スハフ43 1 - スハフ43 3)、それに緩急車としての機能に加えて荷物室を持つスハニ35形(スハニ35 1 - スハニ35 12)の3形式49両が製造されました。
新造後は東海道本線特急「つばめ」・「はと」や東北本線特急「はつかり」などの特急列車を中心に使用されましたが、これらの特急が電車化、気動車化、ブルートレインに置き換えられたあとは冷房化されることもなく一般形車両に格下げ運用されました。この格下げに際して回転クロスシートに改修されましたが、シートピッチの関係で向かい合わせ使用は不可能でした。また、スハニ35形は後に近代化改造工事で回転シートになった3両を除き、特急時代の一方向固定式のままでした。
1960から1961年にかけてスハ44形14両(スハ44 9 - スハ44 22)が緩急車へ改造され、スハフ43形10番台(スハフ43 11 - スハフ43 24)となりました。また、1962年にはスハニ35形2両(スハニ35 2・スハニ35 3)がオシ16形改造の際、改造種車のTR23とTR47の振り替え対象となり、背摺りを木製で垂直のものに交換して、オハニ40形(同一番号)となりましたが、これらを含めてスハニ35形は全車、1965年以降荷物車であるマニ35形・マニ36形や教習車オヤ33形に改造され、1970年までに消滅しました。
スハ44系の近代化工事は時期により窓枠の構造が変更されたため、2種に大別されます。
スハ44 1 - スハ44 8・スハフ43 11 - スハフ43 24・スハニ35 4 - スハニ35 6 最初の近代化工事施工車。
1960年度に施工され、客室窓枠のアルミサッシへの変更、照明の蛍光灯化、座席の回転クロスシート化、内張りの木材からメラミン樹脂化粧板への張り替え、客用扉の交換などです。このため無塗装のアルミサッシ窓枠に10系客車に準じた客用扉を備え、塗装も青15号を基本に車体裾部にクリーム色の帯を巻いた当時の観光団体列車専用塗装に変更されたため、新造時とは見違えるような近代的な外観となりました。
スハ44 23 - スハ44 34・スハフ43 1 - スハフ43 3
改造コスト削減のため、窓枠のアルミサッシ化と内張りの変更が見送られ、客用ドアの交換も行っていません。但し、後にドアを交換した車両は幾つか存在します。
照明は、最初の近代化工事施工グループが直管の蛍光灯を使用しているのに対し、このグループは従来の灯具位置に設置可能な円環型の蛍光灯を使用しています。客室内張りは、コストダウンのため従来のベニヤ板を塗りつぶす形となりました。これも上記のグループが淡緑色系なのに対し、このグループは暖色系になっています。但し、1975年に四国総局に転属したスハフ43 2・スハフ43 3は1976年・1977年に多度津工場で体質改善工事を施工されています。このうち、スハフ43 3はトイレ、洗面所の窓がHゴム支持の固定窓となり、ウインドヘッダーも窓の上で切れています。
これらの近代化改造工事を施工されたグループは、当初は観光団体列車にオハネ17形などとともに運用されていましたが、1964年の東海道新幹線開業後は、幹線系統の急行列車の普通指定席車に充当されるようになり、「瀬戸」・「明星」・「銀河」・「日南」・「筑紫」・「さんべ」などの東海道・山陽線夜行急行を主体に使用されました。
1970年代以降格上げによる特急列車への種別変更と、1975年の山陽新幹線博多開業で急行列車が激減し、また車両そのものの老朽化も進行したことから、最後まで本系列を使用していた急行「銀河」へ20系客車への置き換えが決定され、1976年をもってスハ44形の全車廃車と本系列の急行運用消滅となった。
もっとも、老朽化していたとはいえ60系よりは格段に良好なコンディションであったためか、車掌台付きのスハフ43形についてはその大半が当時大量の60系客車を抱えていた四国総局へ転属の手配がとられ、体質改善工事などの大がかりな更新修繕工事を実施の上で、国鉄分割民営化直前まで使用され続けた。
その後、1986年に日本ナショナルトラストの活動によりスハフ43 2・スハフ43 3の2両が同団体に払い下げられ、現在も大井川鐵道で動態保存されています。
<10系客車>
さらに10系客車のナハフ10の1が活躍する姿もありました。
10系客車は小さい頃、家族旅行で萩へ行ったり、能代へ行ったりしたときによく乗車した客車でしたが、自分が写真を撮りだした1970年代には急行運用の激減もあり、殆ど目にすることがありませんでした。そんな中で、関西本線の客車列車運用でナハフ10の1号車に巡り会えたのは幸運でした。
ちなみに ナハフ10は三等緩急車 (製造年1956年) (1 - 48 すべて日本車輌製造) ナハ10形に対応する緩急車。定員80名、48両が製造されました。
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