1975/1 名古屋へ 2 381系電車特急「しなの」
今回は国鉄電車として当時の名古屋駅で最も輝いていた振り子式特急電車381系です。
当時は8往復設定された「しなの」のうち、6往復を担当していました。
381系電車は、国鉄が1973年から1982年の間に設計・製造した振子式の直流特急形車両です。1970年に振子式電車591系を試作し、その実績をもとに、営業列車用として1972年に本系列を開発し、翌1973年から中央本線特急「しなの」に投入しました。その後、1978年に阪和線・紀勢本線特急「くろしお」、1982年に伯備線特急「やくも」にも投入されました。
{591系の試験結果から381系に導入されたもの}に関しては591系のWikipediaの記事を読むと分かりますが、
「本系列で良好な結果を得た4系統独立発電ブレーキ制御は、効果を十分に発揮するためには全電動車方式が要求され、変電所の増強などコスト面で過大となること、複巻電動機を使用した界磁チョッパ制御は回路が複雑であることから、いずれの方式も実用化は見送られ、最高運転速度130km/hでの営業運転も放棄された。パンタグラフの移動機構や、移動心皿方式台車の採用も見送られている。結局、本系列で試験された本体機構のうち、381系に反映されたのはコロ式の振子装置程度であったが、むしろ車内に少数設置された簡易リクライニングシートの方が、381系をはじめその後の国鉄特急形車両に多数導入される結果となった。」とのことです。
<車体>
振子車両に必要とされる軽量化と低重心化を図った車体構造となっており、車体は軽量化と振子作用を容易にするため、アルミニウム合金製構体を採用しました。先頭車前面は183系0番台車や485系200番台車などと同様、「電気釜」と呼ばれる高運転台形状で貫通形と非貫通形があります。側面はグリーン車の窓や普通車の客用扉の数を除き183系に似ていますが、振子作用による車両限界への抵触を防ぐため183系に比べて車体下部の裾絞りが大きく、台枠上面幅は 2,600 mm となっています。
重心を下げるため重量物である冷房装置は床下搭載としており、屋根上はパンタグラフなどの必要最小限の設置物がある程度で非常にすっきりしています。客室床面高さは181系とほぼ同じ 1,105 mm で、屋根高さは 3,385 mm ですが、天井は冷房ダクトを通した平天井構造のため、床面からの高さは 2,050 mm で181系よりも低くなりました。
国鉄の電車では初めて全長を新基準の 21,300 mm としました。アルミ製車体ですが外観は183系など他の昼行特急形電車と同様にクリーム4号地に赤2号帯が塗装されています。
製造年度によって細部が異なり、1976年製造車からはクハ381形の貫通扉が廃止され100番台に区分されました。モハ381形・モハ380形・サロ381形には側面中央部付近の窓下に非常口を設置しましたが、1981年の「やくも」向け最終製造車では廃止されました。
<主要機器 電源・制御機器>
基本的にはMM'ユニット方式を採用し、M車(モハ381形)には主制御器と抵抗器 (MR123) といった主回路機器が、M'車(モハ380形)には電動空気圧縮機・集電装置といった補機類が搭載されましたが、電動発電機は床下機器設置スペースの都合と車両重量を平均化させるためクハ381形およびサロ381形に1基搭載しました。
主回路は抵抗制御を採用。主制御器は電動カム軸方式のCS43です。主制御器1基で2両8基分の主電動機を制御する1C8M方式で総括制御は90芯のKE91形ジャンパ連結器により行われます。
主電動機は591系で試験されたMT58X形(1時間定格出力110kW)を容量アップした1時間定格出力120kW(定格電圧375V、定格電流360A)の直流直巻電動機MT58形です。原設計は三菱電機が担当し、MT54形と同等の出力を確保しながら、200kg弱の軽量化を達成するため、定格回転数が2,130rpmまで上げられました。1974年12月落成車からは、リード線直出しから端子箱方式に見直されたMT58A形(重量:680kg)に変更されました。前述のように、回転数を上昇させたことにより定格トルクが57kg/mまで低下しました。
歯車比は、前述の定格トルク低下による起動加速度の確保を目的に急行形電車と同じ4.21に設定し、MT比2:1での編成を基本として山岳線区での使用に適応させました。この結果、定格速度は従来の特急形電車より若干上がって 77.0 km/h となり高速性能も軽量車体との相乗効果で向上しました。集電装置は菱形のPS16I形パンタグラフをモハ380形1両あたり2基搭載しています。サービス電源用の電動発電機(MG)は、最大4両までの給電が可能なMH128C-DM85C(容量110kVA)を採用しました。
台車は振子装置(車体傾斜用コロ装置)を組込むことから本系列専用の台車が新設計されており、形式は電動車用がDT42形、制御車・付随車用がTR224形となっています。
軸箱支持には板バネを、枕バネには空気バネをもちいたダイレクトマウント方式です。固定軸距は 2,300 mm 、車輪径は860 mmです。基礎ブレーキは、DT42が踏面ブレーキ、TR224が1軸2枚のディスクブレーキです。
中央西線電化開業に伴う1973年7月10日のダイヤ改正で、特急「しなの」8往復のうち6往復(名古屋 - 長野)で運転を開始しました。これに合わせて、長野運転所(現・長野総合車両センター)に47両(MM'x15, Tcx5, Tsx5)が配置されました。
TcM'MTsM'MM'MTc×5 所要4
しなの(6)
長野755-1115名古屋1300-1620長野1655-2016名古屋‥神領
神領‥名古屋1000-1320長野1455-1816名古屋‥神領
神領‥名古屋700-1022長野1055-1415名古屋1500-1820長野1855-2215名古屋‥神領
神領‥名古屋900-1220長野1255-1619名古屋1700-2020長野
Tc×2
1975/3/10の改正を前に3/6の時点で特急「しなの」は381系特急電車での運行になっていました。 大阪駅
キハ181系気動車によって運転されていた2往復も、増備車(30両, MM' 16~25, Tc 13~18, Ts 6~9)の投入で1975年3月10日ダイヤ改正で381系化され、所要時間の短縮および本形式の大阪駅乗り入れが開始されました。
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要7(臨時+1)
しなの(8)(臨時+1)
長野1855-2215名古屋‥神領
神領‥名古屋1000-1320長野1355-1950大阪‥宮原
宮原‥大阪830-1420長野1555-1920名古屋‥神領
神領‥名古屋800-1120長野1455-1816名古屋‥神領
神領‥名古屋900-1222長野1255-1619名古屋1700-2020長野
長野755-1115名古屋1300-1620長野1655-2017名古屋‥神領
神領‥名古屋700-1022長野1055-1420名古屋1500-1820長野
松本1115-1358名古屋1600-1853松本
M'M×1 Tc×2 Ts×1
「くろしお」や「やくも」と同じように「しなの」にも登場した非貫通方式の先頭車 名古屋 1980/12/8
1978年10月2日ダイヤ改正からは、1往復増発の計9往復となることから、11両(MM' 56~59, Tc 121, 122, Ts 20) が新製配置されました。このときに非貫通タイプのクハ381-121、122がしなのに投入されています。長野運転所への新製投入は計88両となりました。なお、導入後1年の時点で長野工場で検査をしたところ、振り子作用の影響による車輪の摩耗が予想以上に激しい事が判明し、予備車確保のため1974年5月から1975年5月までの間(多客期を除く)、MM'ユニット(3・4号車)を減車した7両編成で運転しました。
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要7(臨時+1)
しなの(9)(臨時+1)
休
長野855-1218名古屋1300-1620長野1715-2043名古屋‥神領
神領‥名古屋900-1225長野1415-2007大阪‥宮原
宮原‥大阪830-1425長野1615-1945名古屋‥神領
神領‥名古屋800-1120長野1255-1623名古屋1700-2024長野
長野755-1115名古屋1400-1723長野1815-2137名古屋‥神領
神領‥名古屋1000-1320長野1515-1841名古屋‥神領
神領‥名古屋700-1020野1055-1422名古屋1500-1824長野
松本1220-1514名古屋1545-1824松本
M'M×2 Tc×2 Ts×1
大糸線乗り入れのため、このような名撮影ポイントでも写真が撮れるように 1984/5/4
1982年11月15日ダイヤ改正では、「しなの」1往復が運転区間延長により大糸線白馬駅まで乗り入れるようになりました。また、塩尻駅構内改良に関連して、編成の号車番号が逆転しました。さらに、上越新幹線開通によって余剰となった183系のうち84両を長野運転所に転属させるため、車両配置に余裕のある神領電車区(現・神領車両区)に88両全車が転属しました。
名シン
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要7(臨時+1)
しなの(10)(臨時+1)
休
神領‥名古屋700-1016長野1050-1414名古屋1500-1825長野
長野600-925名古屋1000-1313長野1410-2000大阪‥宮原
宮原‥大阪830-1411長野1510-1834名古屋‥神領
神領‥名古屋800-1115長野1300-1625名古屋1700-2016長野
長野750-1117名古屋1400-1719長野1820-2137名古屋‥神領
神領‥名古屋900-1242白馬1430-1810名古屋1900-2226長野
長野850-1212名古屋1300-1616長野1715-2042名古屋‥神領
名古屋830-1215長野1550-1944名古屋
M'M×2 Tc×2 Ts×1
1985年3月14日ダイヤ改正では、閑散期にはMM'ユニット(5・6号車)を減車した7両編成で運用されることとなりました。
TcM'MTs[M'M]M'MTc×9 所要7(臨時+1)
しなの(10)(臨時+1)
休
神領‥名古屋700-1012長野1103-1422名古屋1500-1819長野
長野603-927名古屋1000-1315長野1404-1944大阪‥宮原
宮原‥大阪830-1415長野1520-1840名古屋‥神領
神領‥名古屋800-1111長野-1157妙高高原1222-長野1307-1625名古屋1700-2016長野
長野803-1125名古屋1400-1711長野1819-2139名古屋‥神領
神領‥名古屋900-1232白馬-1306南小谷1354-白馬1425-1808名古屋1900-2219長野
長野903-1224名古屋1300-1615長野1716-2039名古屋‥神領
名古屋1010-1345長野1556-1954名古屋
M'M×2 Tc×2 Ts×1
特急「しなの」に登場したクロ381 1992/10/21 名古屋 サロ381形式を先頭車化改造した形式で国鉄最後の日に落成したグループとか
1988年3月13日ダイヤ改正では、「しなの」増発(9往復 → 13往復)が行われました。同時に編成の短縮化も行われ、1号車にクロ381形を連結した6両編成および4両編成としました。また、同年4月末までにパノラマグリーン車(クロ381形10番台)を連結した編成も用意され、3往復で運用されました。パノラマグリーン車を含む編成はP編成として限定運用となり、時刻表にもその旨が掲載されていました。その他はD編成としてクロ381形0番台とクロ381形50番台組み込み編成は共通で運用されました。同時期に普通車のアコモデーション改善も行われ、普通車全車がフリーストップ型のリクライニングシートに交換されました。
TcM'MM'MTsc×3(パノラマグリーン) 所要3
しなの(4)
神領‥多治見808…849名古屋900-1202長野1304-1616名古屋1700-2010長野
長野805-1128名古屋1200-1502長野1611-1919名古屋1940…2014多治見‥神領
神領‥名古屋825-1154白馬‥南小谷1343-1806名古屋‥神領
TcM'MM'MTsc×9 所要8
しなの(12)
休
神領‥多治見703…742名古屋800-1108長野1212-1527名古屋1600-1903長野
長野1003-1312名古屋1400-1702長野1812-2120名古屋2140…2250中津川‥神領
神領‥名古屋920-1151松本1522-1740名古屋1800-2104長野
長野602-919名古屋1025-1239松本1419-1643名古屋‥神領
神領‥名古屋700-1003長野1108-1427名古屋1500-1811長野1918-2225名古屋2235…2309多治見‥神領
神領‥名古屋1000-1308長野1402-1936大阪‥宮原
宮原‥大阪842-1403長野1510-1833名古屋1900-2208長野
長野908-1220名古屋1300-1605長野1708-2025名古屋2040…2155中津川‥神領
TcM'M/M'MTsc×4 所要3
しなの(付属4)
神領‥名古屋1000-1308長野1402-1936大阪‥宮原
宮原‥大阪842-1403長野1510-1833名古屋1900-2208長野
長野908-1220名古屋1300-1605長野1708-2025名古屋2040…2155中津川‥神領
TcM'MTsc×1 所要1
しなの(付属1)
神領‥多治見703…742名古屋800-1108長野1212-1527名古屋‥神領
<追記:1993年編成表データから>
1992年の上の写真のクロ381には貫通幌が装備されていませんが、この表の編成表データではクロ381-1~7を繫いだD編成には貫通幌が付き、特に4連のD-10編成は他の6連の編成と併結して10連で運用されていたそうです。
1996年11月以降、老朽置き換え用として落成した383系(「ワイドビューしなの」)への置換えにより定期運用を失いました。クロ381形50番台組み込み編成を中心に余剰車の廃車が開始された。P編成は臨時「しなの」に優先的に使用し、廃車を逃れた車両は4両編成に組み変えられて飯田線の特急「伊那路」81号・82号(のちに「ふれあい伊那路」)として運転されたほか、373系の代走として定期「伊那路」や東海道本線の「ホームライナー」に充当されたこともあります。
1998年2月開催の長野オリンピックでの波動輸送の終了後から大規模な廃車が進み、2001年以降6両編成2本のみが残されました。
2006年に1本(P1編成)が廃車され、もう1本のP2編成も2008年5月をもって運用を終え、同年5月7日にJR東海浜松工場へ廃車回送され、5月9日から12日にかけて車籍が抹消されました。
オリジナルタイプの貫通形の先頭車は「しなの」用のみに存在しましたが2001年までに廃車されています。
以上、Wikipediaの関連記事、および「381系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」によるデータを参考にまとめました。
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