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2012年11月25日 (日)

1975/10 真鶴~湯河原へ 9 155系について

今回は155系です。

1975年当時の東海道線には153系をベースに開発された元祖修学旅行用155系も当時は湘南カラーの塗装に変更されて活躍していました。
155_751009153系に混じって活躍していた155系

155系は独特の低屋根構造のため正面から見ると肩のカーブが153系と異なっているのですぐ見分けられました。155_7801
155_7801_2雪の朝 品川を発車する155系

155系は153系をベースにしつつも、通風器はグローブタイプ(と思ってよく見るとこの車輌は例外です、11/2の名古屋で見た大垣の155系はグローブタイプですが)、排障器は省略、修学旅行シーズン以外の臨時列車投入時に、狭小建築限界トンネルが介在する中央東線に入線する可能性に備えての全低屋根構造、扉幅が狭いこと、戸袋による固定窓がないことなどがこの写真から判ります。

(追記:155系の3次車 クハ155-13~20は最前部の通風器が押込形に変更され、雨樋も乗務員室扉上まで延長されたそうです。一方、159系は最初から全ての通風器が大垣付近の雪の影響を考慮し、押込形で登場したそうです。ですからこの写真の編成は159系の可能性が高いです)。さらに2017年5月8日に105系F11様からのコメントによれば、田町区の車両で修学旅行電車時代から押し込み式通風機に改造された車両があったそうです。ですから155系の可能性は否定できませんね。

私の世代は中学校の修学旅行で「ひので」を使いました。私が撮ったのではなく同行した写真屋さんが撮られた写真ですが、当時の記念に載せます。

15519700517_2

中学校の修学旅行の際に品川駅から「ひので」に乗車 1970/5/17 
こちらは3次車の編成かと思います。

この年は大阪万博の年で京阪神には立ち入らず、彦根で下車、安土城などを見学して、奈良へ、さらに多武峰、室生寺などを見学して京都に戻り、帰路も「ひので」(夜行)で戻ったと記憶しています。

Wikipediaの記述によれば、

1959年に最初は82系という呼称で登場し、形式称号改正で155系に。電気的システムは153系と同様のCS12形電動カム軸多段制御器で2両分8個のMT46形主電動機(出力100kW)を制御する1C8M形MM'ユニット方式、ブレーキシステムにSELD形(電空併用電磁直通ブレーキ)を装備し、歯車比4.21・営業運転時最高速度110km/h・設計最高速度130km/hですが、台車は空気バネ式のDT24・TR59ではなく、コストダウンのため通勤形電車並みの金属バネ台車とされ、電動車はDT21A・付随車はディスクブレーキ装備のTR62としました。以後、1961年・1964年 - 1965年にわたって、48両が製造されました。

1959年4月20日から品川 - 京都間に「ひので」の愛称で運転を開始しました。また宮原配属車で関西地区からも東京方面への修学旅行用として品川 - 明石間「きぼう」が運転されました。修学旅行列車が運休となる夏期・冬期シーズンには、臨時準急列車として東京 - 大阪間の「すばる」や名古屋 - 大阪間の「びわこ」、上越線のスキー臨時快速として上野 - 石打間の「ひので銀嶺」や上野 - 小出間の「きぼう銀嶺」などで運用されました。

1971年4月より国鉄が修学旅行利用の新幹線特急料金の割引を開始したためこの取り決めに縛られない他府県の公立高校や私立高校では修学旅行も新幹線利用に移行するのが一般的となり、「ひので」・「きぼう」は同年10月の運転を最後に廃止となりました。

1980年から廃車が始まり1982年に全車廃車となりましたが、冷房装置は未搭載でした。

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コメント

はじめまして。よろしくお願いします。
古い書き込みへの返事で申し訳ありませんが、155系について調べていたらこちらのブログに当たりました。
155系ですが、田町電車区に配置されていた車両は冬季の運用を考慮して修学旅行用時代に押込式通風器に改造されていましたので、写真は田町車の可能性が強いですね。
最後のモノクロ写真でもわずかに押込式の通風器が見えるので改造後の様です。
一方宮原→明石に配置されていた「きぼう」「わかば」の車両はグローブ型のままでした。
こちらは一足早く165系並みの設備に改造された後関西地区の波動用として使用され、その後大垣に転属して中京地区の快速や「東海」などで153・159・165系と混用されていた様です。
159系で湘南色に変更された車両は、153系と同じ塗り分けのものと修学旅行色と同じ塗り分けの物とがあった様です。

105系F11様、はじめまして。

コメントありがとうございます。
そうでしたか、田町区の車両でもそういった改造車が存在したのですね。
まさに超マニアックなお話ですね。ありがとうございます。
本文に追記しておきます。

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