1975/10 真鶴~湯河原へ 1 EF15について
1975.3の新幹線博多開業で山陽本線の昼行特急・急行の全廃や夜行列車の削減で、下関や広島のEF58に大量の余剰車輌が発生し、それらが東北本線直流区間を支えてきた宇都宮機関区に転属してきたため、EF56は全廃となり、EF57も状態の悪いものに廃車が出始めました。折しも、交友社から「電気機関車快走」といった機関車列車情報写真誌も発行され私も、東海道線の真鶴~湯河原のカーブで朝の上り寝台特急を始め、東海道貨物列車を撮ってみたいと感じました。
その夢を実現させたのが1975.10.9の撮影旅行でした。
朝一番の東海道線で真鶴まで行き、そこから山越えで大カーブにアプローチしました。後から思えば、湯河原から歩けばもっと楽だったことが分かったのですが。
湯河原方面から真鶴方面を見た大カーブの様子
今回は貨物機関車についてまず形式別に記述し、続いて旅客機、ブルートレイン、電車といった順番にしようと思います。
第一回はEF65にその記録を破られるまで、電気機関車としての製造両数でトップを誇ったEF15についてその歴史を振り返りつつ記述し、湯河原で撮った写真や他の場所で写した写真を載せようと思います。
EF15は1947年から1958年にかけて製造された貨物用の直流電気機関車であり、EF58と電気部品、台車等の共通部分が多く、旧形直流電機の標準機といわれています。
1-202までの通し番号で製造されましたが、奥羽本線の板谷峠電化直後に12両 (福米型) がEF16に改造され、上越線(水上 - 石打)用としてさらに12両が改造されました。後年EF16 1-10(EF15 1-8, 20,21)はEF64の投入でEF15へ復帰、1976.3時点の配置表ではEF16として活躍中の16-19、22-28、31-33が欠となっており、全機188両が健在でありました。
EF15改造とEF16誕生、EF15復帰に伴う番号の関係
1947.7に一次形と呼ばれるグループ1-8、16-33が誕生しました。当時はまだ戦後の混乱の影響が残っており、当初はパンタグラフは電車用のPS13、屋根上モニターは省略、側面機械室部分の窓は4枚、つらら切りは未装着の状態での登場だったそうです。
身延線で働くようになった4号機 身延 1977.9.23
山手貨物線、新大久保付近を行く6号機
新鶴見機関区で入れ換えする8号機
8号機、EF65508号機を伴って品川に到着
二次形は1951年から9-15, 34-45が製造され、パンタグラフはPS14 、つらら切りは装着、側面窓は7枚となりました。後半ロットの12-15、37-39、43-45では標識灯が引掛け式から埋込式に改められました。後年、それまでの引掛け式標識灯はすべて埋込式に改造されたようです。
国分寺駅中線で待避する13号機
駒込のカーブを行く40号機
湯河原カーブにさしかかるEF15 41牽引の伊東線の貨物列車
折り返しの列車 熱海駅
1952年途中から第三次形に移行、46-129。
身延線で働く49号機
新宿で一休みする54号機
今はすっかり変わってしまった赤羽付近を行く67号機
番号の識別は難しいですが72号機 拝島
駒込のトンネルカーブをゆく106号機牽引の専用貨物列車
1957年から1958年に製造された130-161は四次形と呼ばれ、製造途中からナンバーが切り抜き文字に。
品川に停車中の153号機
1958-1959年に最終グループの162-202が製造され、特徴は前面窓Hゴムで落成となりました。
田端機関区の195号機
(データはイカロス出版機関車ハンドブック、EF15XEF58 昭和50年代の記録を参考にしました)。
EF15の運転する側からの感想が「鉄路100万キロ走行記 宇田賢吉著」(グランプリ出版)に書かれています。それによるとEF53に始まった国産機の改良・発展の頂点に達した機関車であった。運転室と機械室の構造・配置とも堅実で無理がなく、これという欠点がない。1200tを牽いて10%勾配を登るのが限度であった。上り10%勾配での引き出しは、機関車の停止位置、直線であるか、カーブ区間かによっても大きく変わり、動輪粘着力に不利にならないように停止位置を選択することと、停止直前に砂撒きを行って砂を噛ませることが必須。連続10%上り勾配で速度が45km/hくらいでバランスすると、電流計が定格の470Aを上回り、空転への余裕ゼロの状態で登って行く.線路の滑りやすい区間を予め察知して断続砂撒きを行う等の予防対処が必要。
前デッキの存在は運転室への昇降にとって楽であり、安全。隙間風対策はED71,ED62以降、ドアを外開きにすることで解決。運転室は狭いが座席が前窓に近いため有効視界が広く、速度感を得るのに優れていたが、見習乗務の時に教導教官のいる場所がない。計器盤が右上にあって使い勝手が悪い。前方注視中に視線を走らせる計器が右上部というのは人間の心理を無視しており、まして全力運転時に目が離せない電流計が最上段にあるのも解せない.運転中に最も負担が少なく注視出来る場所の正面窓下には何も計器がなかった。速度計は蒸機と同じ機械式でEF58は電気式に取り替えられたのにEF15は放置されていた。
前面窓のひさしの効果は大きかった。ガラス面に雨滴が流れ込むのを防いでくれた。モーター冷却用の送風機が空気を吸い込むため運転室は負圧となり、その分の空気を外気から取り込むため運転室は寒かった。惰行中はできるだけ送風機をオフにした。この問題はEF641000で機械室を3区分して運転室の負圧をなくすまで持ち越された。
全機188機が健在で、その多くが東京近郊で活躍していたEF15、当時は追っかけるということは絶対にしなかった機関車ですが、もし今の時代のような情報と機材(デジカメ)があれば恐らく全機制覇チャレンジしていたと思いますが(笑)。
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