1975/3 関門・関西へ 6 みどり なは 日向
当ブログの2012年10月25日の九州一周旅行のパート6で特急「みどり」の歴史については触れており、特急「みどり」の写真は何枚か載せているので、今回は、小倉で撮影した当時まだ登場したての300番台クハの写真を載せます。
次に紹介するのは「なは」「日向」です。
これらの特急はもともとはキハ82形気動車の併結特急として走っており、同じく2012年10月25日の九州一周旅行のパート6の記事で紹介致しましたが、1968.10の改正で「なは」はもともと「かもめ」の西鹿児島編成の名前を改称、「日向」は「いそかぜ」の宮崎編成を改称して誕生しています。鹿児島本線全線電化開業の1973.3の改正で「なは」が電車特急として独立し、1974.4の日豊本線南宮崎電化で「日向」も電車化されました。
この改正で「なは」は「きりしま」の名前に代わって寝台電車特急となり、「日向」は廃止されました。「なは」はさらにブルートレインとなって最近まで存続したのは記憶に新しいところです。
まず13:42に上り「なは」2Mが小倉に到着します。
この日の2M「なは」は大ムコに配備された最新の300番台クハ先頭の編成でしたが、改正を見越してか、HM表示なしで運行されていました。
一方、下り1M「なは」は14:25に小倉に到着です。
こちらは0番台クハ先頭で、下り方白スカート、上り方赤スカートでした。
「日向」は上り、下りがちょうど小倉~下関あたりですれ違うダイヤとなっており、14:58に日豊本線下りホームに下り「日向」31Mが到着、出発して程なくして上りホームに「日向」32Mが到着、出発して行きました。
こうやって大ムコ11連の481/5系がいろいろな列車に使用されるのを見て参りましたが、0番台(赤、白)、100番台、200番台、300番台とクハがあり、多くは両側先頭が同じタイプのクハでしたが、0番台と100番台のボンネット同志や、100番台と200番台の組み合わせなど、タイプの違うクハの組み合わせの編成も結構あることが分かりました。
今回の改正では、大ムコの485系の内、481系と初期の485系として製造された車輌が鹿カコに転属となり、200番台クハと同時期に増備された車輌の大半が門ミフ(一部青森)に転属になっています。その結果、改正後の大ムコの485系は100番台クハと唯一の200番台として-253、そして301,302,304の300番台クハという構成になりました。
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