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2012年11月12日 (月)

1975/3 関門・関西へ 9 下関ローカル

当時、下関や小倉で観ることができた特急として、「まつかぜ」や「にちりん」がありますが、これらは1975.3の改正後も存続し、1977.3の中国地方、九州北部旅行で写すことが出来たので、その時の記事で紹介することとして、今回は当時下関で写すことができたローカル車輌を何点か紹介致します。

まずは、宇部線、小野田線の旧型国電です。葡萄色の車体に黄色の警戒色のスタイル、3枚扉でドア間の窓の数が6であることからクモハ51かと思いました。半流型の車体で里山工房さんのサイトにあるクモハ51のお写真
http://satoyama.in/auto/sharyo/auto595.htmlと見比べるとクモハ51先頭でクモハ51+クハ55の2連を繋げた4連かと思われます。奥の方のホーム(8番線)に上り「あさかぜ1号」14レ16:05発が入線しているので、午後4時前後か思われます。
41_2
因みに1975.3.31時点での宇部・小野田線関係の配置表では
クモハ12 027
クモハ40 023, 067
クモハ41 019, 022, 024, 026, 031, 042, 046, 050, 051, 052, 082, 083, 084, 126
クモハ42 001, 005, 006
クモハ51 031, 036, 040, 041
クハ55    009, 022, 036, 046, 052, 053, 073, 081, 090, 094, 111, 113,320, 324, 328, 340 
の計41両が配置されていました。

小野田線のクモハ42は本山支線のホーム長の関係で2003年3月14日まで残され、最後の旧国として話題になりました。

続いて、山陽本線関係では80系が活躍しており、1949年末から製造された初期車(クハ86001 - 86020)のうちの一両を先頭とした編成も頑張っていました。

86000_750305_2
さらに300番台、全金製のクハもいました。
80_86300_750305_2
また、前面はあの頃デビューした103系の高運転台車にそっくりで側面は種車のサロそのもののクハ85もいました。
85300_750305クハ85形先頭の山陽本線普通電車と並んだ421系電車

東京や大阪の大都市圏輸送に活躍した車輌が、運転台取り付け改造を経て、第二の人生を歩む姿は今も同じです。

因みに1975.3時点で初期型3枚窓のクハ86001-020は全て健在で
名カキ(004, 019)
岡オカ(003, 007, 008, 009, 014, 018)
広ヒロ(002, 005, 010, 011, 013, 015, 017)
広セキ(001, 006, 012, 016, 020) に配置されていたのですね。

今から思えば、なんどもっと旧国をきちんと撮っておかなかったのかと思いますが・・・

代わって、九州から乗り入れてきていた421/415系です。421/415系は北九州地区の中距離電車として活躍が始まる前から151系の九州乗り入りれのエスコート役としてED73からの電源を供給するサヤ420としての活躍が全国的に知れ渡っておりました。なんと今日に至るまで関門トンネルを潜って本州側に顔を出す九州のローカル電車は421系~415系系列に限られています。果たしてJR九州は後継の交直流車輌を作るのでしょうか?

このときは高運転台車しか撮っていませんが、後年の九州旅行でオリジナルの低運転台車も撮りました。

後年、門司発の山陰線直通DC列車というのを見たことがありますが、このときはDF50やDD51牽引の客車列車が走っておりました。
Df50_528_750305DF50 528に牽引されて下関を出発する山陰本線普通列車
Dd51_665_750305DD51665号機に牽引されて下関に到着した山陰本線普通列車

ここでDF50に関する豆知識(Wikipediaによる)

製造:1957年に先行試作車が製造され、以後1963年まで増備された。
国鉄のディーゼル機関車の中では初めて本格的に量産ベースに乗った形式
発電用のディーゼルエンジンと駆動用のモーターを搭載した電気式

番台区分:
0番台>三菱重工業がスイスのズルツァー社のエンジンをライセンス生産した直列8気筒直噴式の8LDA25A(1,060馬力)を搭載したもの、65両
500番台>川崎重工業と日立製作所がドイツのMAN社のエンジンをライセンス生産したV型12気筒予燃焼室式のV6V22/30MA(1200馬力)を搭載したもの、73両

【問題点】
電気式のため、全車軸を駆動軸にできることから粘着力は高く、勾配では空転を起こさずに登坂できたが、反面、元々の出力が低すぎ、著しい速度低下をきたした。このため、急勾配区間での貨物列車牽引では重連仕業を強いられた。また、平坦区間でも出力の余裕に乏しく、走行性能面は、従来使用されてきた亜幹線用の蒸気機関車と同程度に留まった。
駆動方式が電気式で搭載機器が多い上、国外メーカーライセンスのエンジン搭載という制約もあって製造コストが高すぎ、無煙化のために大量増備するのに適した機関車とは言えなかった。

【経緯】
1962年には1,000馬力級エンジン2基を搭載した強力な液体式機関車のDD51形が登場する。出力の割には製造コストを抑えられるDD51形がほどなく量産ベースに乗るに従って、重量級列車や高速列車の牽引が多い主要幹線にはDD51形が導入され、DF50形は順次、比較的軽負荷な運用の多い亜幹線に転用された。昭和50年代に入ると電化の進展もあって多くが廃車となった。

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