1975/3 関門・関西へ 8 山陽 玄海
まずは山陽本線 岡山~下関の直流区間を結んでいた急行「山陽」から。
Wikipediaの山陽本線優等列車沿革から「山陽」という愛称のついた列車をピックアップすると
1960年5月 岡山駅 - 博多駅間にキハ55系による気動車急行「山陽」新設
1961年6月 「山陽」(岡山駅 - 博多駅)キハ58系
1965年3月 「有明」 岡山駅 - 熊本駅…「山陽」を区間延長し475系電車化。
「山陽」 広島駅 - 博多駅…準急「長門」を格上げして区間延長し475系電車化。
1968年10月 「山陽」(3往復) 岡山駅 - 広島駅・下関駅 153,165系電車 (「みずしま」・「とも(旧)」を統合) 新設「はやとも」 広島駅 - 博多駅 475系電車 (「山陽」を改称)
1970年10月 「吉備」1往復が山陽本線経由となり「山陽」に編入、「山陽」4往復となる。
1972年3月 「山陽」 岡山駅 - 広島駅、南岩国駅、下関駅間8往復に増発。また、下関駅 - 広島駅間に上りのみ1本運転。「ながと」岡山駅打ち切りとなり、「山陽」に編入。「やしろ」「山陽」に統合。
1974年4月 山陽」(下り7本、上り9本)岡山駅 - 広島駅、下関駅 広島駅 - 下関駅、さらに季節列車・臨時列車で(3往復) 岡山駅 - 広島駅、下関駅
1975年3月 全廃
山陽本線ではかつて急行「鷲羽」が1972年の改正までは定期・季節合わせて11本の設定があったのが、改正で一気に定期1本・季節1本の2往復にまで数を減らしたことがありましたが、今回はそれに勝るとも劣らない大きな変化でした。
それでは「山陽」の写真を
上り特急「まつかぜ」2012Dと並んで発車待ちする急行「山陽6号」、当時の時刻表では同列車は小郡まで快速列車として運行。
つづいて、九州直通の急行の中から「玄海」を、
同じくWikipediaの山陽本線優等列車沿革から「げんかい」もしくは「玄海」の愛称を追ってみると、
1951年4月 大阪駅 - 博多駅間に、臨時急行3033・3034列車を運転開始。関西から九州へ向かう夜行急行列車が誕生した。
1952年9月 臨時急行3033・3034列車は定期急行に格上げられ、「げんかい」と命名された。
1955年7月 「げんかい」は、漢字書きの「玄海」となる。また同月、一等寝台車が利用率の悪かったことから廃止され、それまでの一等寝台は二等寝台A・B室、それまでの二等寝台は二等寝台C室となる。
1956年11月「玄海」は「あさかぜ」に輸送を譲り、京都駅 - 長崎駅間(大村線経由)に運行区間を変更。
1957年7月「玄海」は京都駅 - 鹿児島駅間運転となり「桜島」に改称。
1958年4月「桜島」は博多駅までに区間短縮されて「玄海」と再改称。
1961年6月 不定期で大阪駅 - 長崎駅間に「第2玄海」が新設。「玄海」は長崎駅発着に変更。
1968年10月「玄海」 名古屋駅 - 博多駅 475系電車 (「はやとも」を改称)「雲仙」 京都駅 - 長崎駅 客車寝台 (「玄海」を改称)
1972年3月 「玄海」 岡山駅 - 博多駅、熊本駅間に運行区間が短縮された代わりに、3往復となる。「つくし」 季節の昼行1往復を岡山駅打ち切りとし、「玄海」に編入。「しらぬい」「玄海」に統合。
1975年3月 全廃
急行「玄海」のHM付きの貴重なお写真はこちらやこちらのサイトで見ることができます。なお、「玄海」という愛称の急行はなんと1991年から1995年にかけてJR西日本による20系臨時急行として品川~博多間で運行された様ですね。私はその頃は旅客機の時代で全く気付かずでした。
急行「玄海」の歴史を見ていて、思い出しましたが、東海道新幹線開通後(確か1966年の夏休み?)、初めて家族で新幹線に乗って萩に帰省したとき、本来は大阪から瀬戸内航路を使って、別府に行き、そこから萩に行く行程を計画していましたが、台風の襲来で船が欠航となり、急遽、山陽路を陸路でということになりました。その時、新大阪から乗車したのが「玄海」の前身の「はやとも」で当時は、新製間もないといった感じの471系電車で、60Hzを意味するボディ下の線も入っていました。広島まで乗車しましたが、広島直前で雨でしたが瀬野八を通過し、カーブと急坂の連続に驚いた憶えがあります。広島から153系急行「鷲羽」で下関へ。153系にはビュッフェが付いていて、ハムサラダを食べた憶えがあります。下関で山陰線の米子行きだったと記憶していますが、DF50の牽引する急行「島根」に乗り換え、萩に着いたのは午前2時過ぎだったのを憶えています。
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153系は101系と同様のMT46のままの平坦線用なので瀬野八を抱える山陽本線の急行にそのまま充てるには不適切でした。
時は1962年、出力増強直流急行形車両については平坦線用163系と抑速ブレーキ付165系が計画されましたが、前者はサロ163が少数新製されたのみの幻の形式となりました。しかし、151系や161系が主電動機を大出力タイプに交換して181系にしたように153系の高運転台タイプの後期車を主電動機を交換して163系にすることは決して不可能ではなかったはずですが、脳みそが新幹線と五輪に偏向していた国鉄は庶民の速達手段である急行まで情熱がまわらなかったのではないかと思います。
投稿: ねこたろう | 2023年7月31日 (月) 20時18分
ねこたろうさん、おはようございます。
今、特急として走っている多くの列車の停車駅を見ると実はかつて急行が走っていた頃と大差ないことが良く分かるように、急行という種別を廃止して特急にしたのが当時の国鉄、それを引き継いだJRなんですね。仰るように181系は151系、161系のMT46をMT52に換装して誕生しましたが、153系や交直流の451,471系はそういった措置が採られませんでした。まさに急行という種別はこの世から消えてしかるべきと凝り固まった政策の賜物ですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2023年8月 1日 (火) 04時19分