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2012年11月13日 (火)

1975/3 関門・関西へ 10 北九州の交流機

山陽本線で関門トンネルを抜けると旅客列車の場合は門司駅到着寸前に交直のデッドセクションがあり、交流60Hz区間に入ります。貨物列車の場合は、門司駅を通り過ぎて、北九州ターミナルに向かって下り出す途中にデッドセクションがあります。

Ds_100829
門司駅の旅客線(手前)の交直デッドセクション(ビーム下が黄色の部分)

071218_4
貨物線のデッドセクション

現在、この地域で活躍する電気機関車は交流機ED76、交直両用機EF81,EH500の3種類になってしまいましたが、あの当時、交流機は水銀式整流器のED72、ED731000、北陸からやってきた初のシリコン整流方式のED74、赤ベコの60Hz バージョンED75300、そしてED76、交直両用機はEF30とEF81300と実に多くのタイプが活躍しておりました。前年秋の初の九州旅行でもこれらの機関車は写しましたが、今回も出来る限り、狙うことにしました。すでにEF30, EF81300に関してはその1で紹介してありますので、今回は交流機に限定します。

まずED72です。メカ的にはED71 の試作2号機で試用された乾式変圧器・風冷式イグナイトロン水銀整流器方式を採用し、2両の試作車が製造された後、20両量産されています。動輪4軸に加え、中間台車を持つ車体を持ち、1961年に製作された試作車はクイル式駆動を採用し、主電動機はMT103形を搭載して2,000kW級の出力規模となりましたが、1962年製造の量産車ではクイル式から吊り掛け式へ変更となり、前照灯や側面の形状が変わりました。

その試作2号機がなぜか門司駅のホームに停まっており、撮影することが出来ました。
Ed72_2_750305
Ed72_2_750305_3門司駅のホームで休む?試作2号機

水銀整流器は真空管(二極管)のようなもので保守運用の非効率と信頼性の低さという弱点があったため、1970年代にはシリコン整流器に置き換えられました。その結果、格子位相制御によるタップ間連続制御の喪失と、速度制御の高圧タップ切換依存とのこととなり、起動時の粘着性能低下や衝動の増加などの弊害を招きました。さらに列車暖房を必要とする客車列車の減少から、一部車両はSG・燃料タンク・水タンクを撤去する工事が施工されました。

Ed72_17ED72 17号機牽引の14系寝台特急「みずほ」 筑前新宮

次は姉妹機のED73です。貨物列車や寝台特急牽引用にED72からSGを外した機関車です。SG搭載の分、長かった胴体は短くなり、中間台車もなくなりました。試作車は製作されず、ED72の量産機のメカを取り入れた量産車が1962年に11両、1963年に11両製造されました。

1968年10月1日のダイヤ改正で20系客車により運転されていた寝台特急列車は、ASブレーキに中継弁 (Relay valve) ・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve) ・ブレーキ率速度制御機能を付与したAREB増圧装置付き電磁指令式自動空気ブレーキへの改造を施工し110km/hで、また10000系貨車による高速貨物列車は100km/hで運転されることになりました。九州地区では本形式が牽引に充当されることになり、対応する改造をまず1 - 12に施工し、翌年には全機1000番台化されました。ナンバーは黄色表示されていました。

Ed73_1022_750305ラストナンバー1022号機が牽引する貨物列車 小倉

Ed73_1020ED73 1020号機牽引のコンテナ貨物 筑前新宮

続いてはED74です。もともと北陸本線電化で最初に投入されたED70の増備として北陸トンネル以外の平坦区間用に1962年に投入された機関車でしたが、1961年に投入されたEF70で北陸本線は一本化されたため、6両の小グループ生産に留まりました。技術的にはD形機としては初のシリコン整流器方式の機関車となり、電圧制御は高圧タップ切り換え方式でした。1968.10のダイヤ改正で全機日豊本線に転属し、その際にED76と牽引定数を合わせるために死重搭載、元空気ダメ管の装備を行っています。

Ed74_2_750305小倉を通過する2号機牽引の日豊本線上り貨物列車

Ed74_4_750305_24号機牽引の日豊本線下り貨物列車が小倉で一時停止

軸重制限のため、走行線区は大分以北に限定され、寝台特急「富士」「彗星」牽引の輝かしい歴史も持っていますが、1978.10の改正で運用離脱・休車となり、1982年に全機廃車となったそうです。

続いてED75300番台です。60Hz用のED75 ということで、EF81300番台もあり、300番台は九州用バージョンの番台かというイメージがありましたが、金太郎(EH500)の300番台はありませんでした(笑)。ED73形の増備機として九州地区で使用するため、1965年に10両(301 - 310号機)1968年に1両(311号機)が製造されましたが、軸重の問題やSGなしで旅客列車の牽引が出来なかったことで運用効率は良くなく、増備はされずED76によって淘汰される形で1986年3月に全機が一斉廃車となりました。

Ed75_300_750305重連で鮮魚列車レサ編成を牽く
Ed75_301トップナンバーが牽くコンテナ貨物

Ed75_303_750305303号機が牽くコンテナ貨物

Ed75300_750305自動車輸送貨物(ク)を牽引

最後はED76です。現在も活躍する九州のヌシとなった機関車で、ED75にSGと中間台車を付けた仕様で1965年から製造され、0番台は94両、20系客車および10000系貨車の最高速度100km/h牽引に対応するため、電磁ブレーキ指令回路・元空気ダメ引き通し管・応速度編成増圧ブレーキ装置などを装備した1000番台が1970年から1979年にかけて23両が製造されました。
Ed76_17x_750305小倉で出発を待つED7617他重連の貨物

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コメント

こんにちは。
またおじゃましました。
質量ともにたいへんなボリュームですね。
鉄道ファン誌にも思い出の国鉄時代のアルバムが連載されていますが、
それを凌駕する内容だと思います。

これは国鉄時代大好き、国鉄型大好きな私にはたまらない内容です。
一番新作に登場するED72のくの字型の顔が何とも印象的でした。
他に類を見ない顔立ちに感動です。

やぶお さま、おはようございます。

早速、コメントありがとうございます。

あの頃、国鉄も旅客、貨物において活気があって、文章にするのにあたって、当時の時刻表やいろいろな資料(配置表や個々の車両データ)を見返してみると今では信じられない列車密度の高さや、技術の進歩、工夫の跡が分かるように思います。

新幹線の整備や分割民営化、地域密接のダイヤなどもちろん重要なんですが、なにか画一的になりすぎていて、鉄道の持つ面白さ、多様性といったものが欠落してしまったように感じます。せめても週末のイベントでもいいですから、そういったものを復活させ、保つことが重要にも思います。

過去を振り返って、文章に纏めるという行為は、趣味だあっても仕事であっても、いろいろと勉強になりますね。

こんにちは、素晴らしいですね、ED722試作機の晩年の貴重なカラー画像、拝見 させて頂きました。当方量産機は、最後まで見届けましたが 試作機現役時代は、撮影出来ませんでした。SLブームと、かぶっている頃の廃車、カラーの画像は、貴重だと思います。お蔭様で模型の製作意欲が、わきました。

ED731019 さま、はじめまして。

コメントありがとうございます。
当方も昭和50年3月はまだ若輩で鉄道写真を始めて3年ほどでしたが、新幹線が伸びてとうとう「つばめ」「はと」が消えるという一大事に九州まで遠征を試みました。
ED722との遭遇はまさに偶然で、あのタイミングで門司駅にいなかったら写せていなかったと思っています。

九州にお住まいですか、私も住んでいるのは茨城県つくば市ですがこれまでに長崎や福岡、熊本など結構仕事の関係で出張することが多かったので九州の車輌を良く撮影しております。

今後とも宜しくお願い致します。

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