1976/3 関西へ 1 片町線
これまでの関西での鉄道撮影として、1974年9月~10月の九州一周旅行の前後の京都駅、梅小路機関車館(まだ紹介していませんが)、大阪駅、天王寺駅(痛恨のカメラ裏蓋開け)での写真撮影と1975年3月の関門での撮影帰りに大阪駅での撮影を経験していました。当時の関西には東海道緩行線、片町線、阪和線にまだ旧形国電が走っており、しかも片町線や阪和線は独特のオレンジの塗装を纏っていました。さらに阪和線には紀勢本線直通の特急「くろしお」がキハ81形を含む80系気動車で運行され、名物電機EF52は1975年3月をもって引退していましたが、ED60,ED61,EF15,EF58による貨物列車も走っていました。そこで今回の関西撮影旅行では大阪駅より南のこれらの路線で活躍していた車輌撮影をメインの目的と致しました。
まず今回は片町線の旧国の写真を示しつつ、片町線~学研都市線の歴史について見てみたく思います。
1895年8月22日:浪速鉄道により片町駅 - 四条畷駅間(12.98km)が開業。全線単線。
1897年2月9日:浪速鉄道が関西鉄道に路線を譲渡。
1898年4月12日:四条畷駅 - 長尾駅間(13.34km)が延伸開業。6月4日:長尾 - 新木津間(18.17km)が延伸開業。9月16日:木津駅 - 新木津駅間(0.58km)が延伸開業し、現在の奈良線である奈良鉄道線に接続。起点を片町駅から木津駅に変更。11月8日:支線 放出駅 - 寝屋川聯絡所間(2.31km)が開業。11月18日:加茂駅 - 新木津駅間(6.12km)、寝屋川聯絡所 - 網島駅間(1.73km)が延伸開業。名古屋駅 - 新木津駅 - 網島駅間が本線となり、同区間で直通列車を運転 開始。支線となった放出駅 - 片町駅間の旅客営業廃止。
1900年6月6日:大阪鉄道の奈良駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間が本線に編入され、加茂駅 - 新木津駅 - 網島駅間は支線になる。
1901年1月18日:支線 新木津駅 - 木津駅間が休止。12月21日:網島駅 - 桜ノ宮駅間(1.15km)が開業。
1905年1月1日:放出駅 - 片町駅間の旅客営業再開。
1907年8月21日:加茂駅 - 新木津駅間(6.12km)休止。
1907年10月1日:関西鉄道が国有化。11月1日:加茂駅 - 新木津駅間(0.64km)が正式に廃止。
1909年10月12日:国有鉄道線路名称制定。木津駅 - 桜ノ宮駅間を桜ノ宮線、放出駅 - 片町駅間を片町線とする。
1913年11月15日:放出駅 - 桜ノ宮駅間(4.99km)が廃止。木津駅 - 片町駅間を片町線とする。
1927年12月10日:貨物支線 京橋駅 - 淀川駅間(1.93km)、放出駅 - 淀川駅間(4.83km)が開業し貨物駅として淀川駅が開業。
1929年3月15日:貨物支線 淀川駅 - 千里信号場 - 吹田駅間(9.98km)が開業。
1931年8月10日:貨物支線 放出駅 - 正覚寺信号場 - 平野駅間 (8.4km)、放出駅 - 吹田駅間 (10.7km) が開業。
1939年10月15日:貨物支線 放出駅 - 竜華操車場 - 八尾駅間 (10.4km) が開業。
1951年11月10日:奈良駅 - 長尾駅間で気動車運転開始。
1954年:津田駅 - 禁野火薬庫と星田駅 - 香里製造所の専用線(禁野側線・香里側線)が廃止。
1961年4月25日:貨物支線 京橋駅 - 淀川駅間 (1.8km) が廃止(ただし、大阪環状線列車の淀川電車区への入出区のために、線路自体は存続)。
1972年6月30日:祝園弾薬庫線(川西側線)が廃止。
1976年:101系電車が森ノ宮電車区から転入し、片町線で運用開始。
1977年3月:73系電車の運用終了。
1979年:103系6両編成が新製投入される。また、101系5両編成を6両編成に増強。
1982年11月15日:貨物支線 放出駅 - 淀川駅間 (4.8km)、淀川駅 - 吹田駅間 (10.0km) が廃止(放出駅 - 鴫野駅間、巽信号場 - 吹田駅間は現存区間と重複)。ただし、片町線電車の淀川電車区への出入区線として、線路は淀川電車区移転まで存続。淀川駅が廃止されて淀川信号場になる。
1983年3月21日:103系が明石電車区から転属(1984年9月30日に完了)。
1985年3月14日:片町線の車両基地である淀川電車区が、大阪市都島区中野町から東大阪市川俣(森ノ宮電車区放出派出所)に移転し、放出駅 - 淀川駅間、京橋駅 - 淀川駅間の淀川電車区への出入区線が廃止。
1987年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が継承。日本貨物鉄道が一部区間の第二種鉄道事業者になる。木津駅 - 徳庵駅間の貨物営業廃止。放出駅 - 八尾駅間、鴫野駅 - 吹田駅間が戸籍上旅客営業開始。
1988年3月13日:学研都市線の愛称使用開始。
1989年3月11日:木津駅 - 長尾駅間が電化。大住駅 - 長尾駅間が経路変更で0.1km短縮、同区間に松井山手駅が開業。松井山手駅 - 長尾駅間複線化。快速列車が増発。
6月頃:片町線での101系電車運用が終了(7両編成を6両編成化した上で森ノ宮電車区に転属し、桜島線や大阪環状線で1991年まで運用)。
1991年4月30日:207系電車が営業運転開始。
1996年9月:103系電車の運用終了(使用されていた103系は1991年以降、森ノ宮電車区・奈良電車区・日根野電車区などに転属)。
1997年3月8日:JR東西線開業により、福知山線(JR宝塚線)・東海道本線(JR神戸線)との直通運転が開始。京橋駅 - 片町駅間 (0.5km) が廃止。片町駅が廃止。
2008年3月14日:321系の営業運転開始。3月15日:おおさか東線開業のため、貨物支線 放出駅 - 八尾駅間 (10.4km) が廃止。平野駅側の貨物支線は片町線のまま存続するため、正覚寺信号場 - 平野駅間は片町線の支線になる。
これらの内容はWikipediaの記事から抜粋していますが、新たに知ったことは片町線の始点は木津駅であって、大阪側ではないのですね。さらに放出から桜ノ宮に至る線がかつては存在しており、そちらが本線の時代もあったのですね。
私が初めて片町線を訪れた1976年3月は、73系をはじめとするオレンジ色の旧形国電が最後の活躍をしている頃で、同年に導入された101系の姿は当時はまだ見かけませんでした。
これら旧形国電にも朱色1号(オレンジバーミリオン)が塗られた訳は、鉄道ピクトリアル誌2002年11月号101系特集の記事によりますと、中央線快速でデビューした101系の朱色1号は新時代到来を告げるシンボルカラーとしてインパクトを与えるものであり、一方、大阪の私鉄はどんどんカラフルな車輌を登場させており、大阪鉄道管理局もこの新性能電車の配備を心待ちにしていたそうですが、なかなか回って来なかったので、しびれを切らして葡萄色2号の在来車の朱色1号を塗ってしまったそうです。最初は大阪環状線の前身の城東線や西成線の車輌に塗ったようですが、利用者の評判はいざ知らず、管理局側はえらく気に入ったようで片町線や天王寺管理局の阪和線車輌にまで波及していったようです。
この旅行では京橋駅と放出駅で写真を撮っています。
京橋駅の歴史をWikipediaの記事で見ると、
当駅がある地に鉄道が開通したのは、1895年8月に浪速鉄道が現在の片町線となる片町駅 - 四条畷駅間を開業してからであるが、開業当時は駅が設置されていなかった。当駅は、同年10月に大阪鉄道 (初代) が現在の大阪環状線となる天王寺駅 - 大阪駅(当時は梅田駅)間の鉄道を開業させた際に浪速鉄道との交差地点に設けられたのが始まりである。
両路線とも、関西鉄道を経て国有化された後、1912年、片町線片町駅に京橋口乗降場が設けられ、城東線(現在の大阪環状線)の京橋駅と連絡するようになる。これが翌1913年に当駅の片町線乗り場となった。
長らく片町線の終点で当駅の西隣にあった片町駅は、1997年のJR東西線の開業に伴い廃止され、以来当駅が片町線の終点駅・JR東西線の起点駅となった。
とのことで、片町線開業当初は京橋駅は無かったのですね。
クモハ32001
元はモハ42007として2扉車でしたが、1944年に4扉に改造され、1953年の改番でクモハ32形になったそうです。
クハ79054
1976年当時クハ79の最若番で元は2扉クロスシートのクハ58024、4扉改造でクハ85にさらに改番でクハ79030番台へ
クハ79 438 440 454 458 462 464 474 のどれか
旧形国電さまのサイトの情報では「昭和31年製389~467(奇数)と422~488(偶数)は前照灯が埋込み式です。」に分類されるタイプです。
続いて放出(はなてん)駅です。さすがにこの駅名、初めての人間には読めないと思います。
放出駅の歴史によると、
2002年春までの旧地上駅舎時代は駅北側にのみ改札口があり、旅客線2面3線とその南側に貨物線が数本あった。1番のりばが単式ホーム(改札口に直結)、2・3番のりばは島式ホームであり、3番のりばは主に当駅を始発・終着とする列車と貨物列車が使用していた。
2002年夏に南北自由通路を兼ねた橋上駅舎が完成してからは南側にも出口が設けられ、貨物線が廃止された上で旅客線の線路が4本に増やされ現在の2面4線となり、1番のりばを上り本線、2番のりばを上り副本線、3番のりばを下り本線、4番のりばを下り副本線とした駅となり、一部時間帯に快速列車と各駅停車の緩急接続が行われていたが、2006年3月18日のダイヤ改正を機に緩急接続がなくなり、住道駅で行うように変更された。また、おおさか東線の開業を控えて分岐器の交換が行われ、2007年4月23日から4番のりばが下り本線、3番のりばが下り副本線に入れ替えられた。これに伴い、徳庵駅から当駅へ向かう京橋方面行きの一部区間(森ノ宮電車区放出派出所付近)が高架線となった(なおこの間、2・3番のりばの列車は早朝の一部のみが停車していた)。
2008年3月15日におおさか東線の当駅 - 久宝寺駅が部分開業したことにより、現在は主に外側2線(1・4番のりば)を学研都市線の列車が、内側2線(2・3番のりば)をおおさか東線の列車が使用する形になっている。
クハ55300
当時クハ55形は035と300が配置されていましたが、形態から300番台として1959年から制御車不足を補うためサハ57形に運転室取付け改造を施したタイプと推察されます。
クモハ73 1番線から出発して行く四条畷方面行きですね。
クハ79 2番ホームから写した四条畷方面行きですね。
こちらのクハ79は屋根の高さから300番台、307もしくは330?
クハ79 920番台
1番ホームに入線する四条畷方面行きですね。これらの写真から2002年までの駅の構造がよく分かります。
車輌の形態の鑑定は旧形国電の記録さまのサイト
http://www.geocities.jp/h6feet/top.html のお写真を参考にさせて戴きました。
写っている電車は全て当時、淀川電車区所属ですが、その配置の状況を以下に示します。
クモハ32 001
クモハ60 161 163
クモハ73 020 023 039 045 047 052 075 081 083 087 108 189 233 339
クハ55 035 300
クハ79 054 055 056 242 307 330 400 410 412 438 440 454 458 462 464 474 923 925
927 929 948 955
その後、1979年や1984年にも関西を訪れた際に片町線でも写真を撮っており、まずは101系の写真を、
京橋にて 1979年12月23日
片町にて 1984年12月3日
さらに同じ日に103系の写真も撮っています。
片町にて 1984年12月3日
片町駅は1997年3月で廃止されていますので、このショットも今となっては思い出のショットです。
京橋にて 1984年12月3日
最近ではおおさか東線の写真を撮りに放出を2008年12月に再訪しておりますが駅の歴史に書かれているようにホームの構成は大きく変化しています。
ひがし大阪線 201系
首都圏ではお目にかかれなかったウグイス色の201系の写真も撮っています。
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片町線の旧型国電・・・私も大好きです!!
オレンジの厚化粧(失礼)になぜか心を奪われます。
中央線の72系国電もこの色で塗装をしてほしかったなあと思います。
タラコ色と呼ばれる気動車の朱色より、わたしはこちらのオレンジ色が好みです。
片町駅前で1987年ごろ、半チャーハン(半分のチャーハンとラーメン一人前のセット)を初めて食べて、
さすがは食い倒れの街大阪だけあって、
こんな満腹メニューが割安価格で用意されているのだとうれしくなりました。
当時の静岡ではこういうセットはなく、どうしても同時に注文をしたいなら、
ラーメンとチャーハン各一人前をたのまなければなりませんでした。
投稿: やぶお | 2012年11月28日 (水) 19時51分
やぶおさま、こちらにもコメントありがとうございます。
私も京浜東北や常磐線の葡萄色は見ていましたので、旧国はあの色が当たり前かと思っていましたが、結構、いろいろな色があるものだと、旅行をして判りました。後日、新潟の旧国などもアップしようと思いますが、雪の中での識別なのかアッと驚く塗装ですね。
私も、大阪では何回か、安くて量が多い経験はあります。やはり、さすがだなぁと感じております。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2012年11月29日 (木) 06時14分
とても懐かしい電車の画像に辿り着いて嬉しくなったのでコメントさせて頂きました!
私は1979年生まれなのですが、親の都合で幼稚園児前後(1984年前後)の頃は放出駅から頻繁に京阪経由で淀屋橋へ行く事が多く。電車自体は詳しくないのですが、この当時のこの形(101系と呼ぶのですか?)の電車が幼児ながらに大好きで、でっかい扇風機とか格好良くて隅々まで観察して乗車してたのを思い出します。そして、かなり短い期間ですが数回だけオレンジ色の車両と水色の車両の混色編成を観て興奮していた記憶があります。
ドアのポケット空間内部などを窓向きに座ってよく機械の動作を観察してましたが(変な子ですが笑)、水色のスプレー塗装のフチと、その上からオレンジ色のスプレーが重なったタイプの車両をこの頃に何度も確認しており、小さな子供ながらに「あの水色電車はオレンジ電車に変身したんだ!」と良く親に言ってました。親は堺の電車が片町線に引越してきたんだよーと言ってた気がします。親は子供の頃、鳳に住んでおり、水色の電車を知ってるから適当に答えているたのかもしれませんが・・・汗
幼稚園当時のお絵かきの絵が残ってたのですが、ヘッドライトが丸1個、横長楕円に丸2個、丸の中に横長楕円丸2個・・・の3タイプの電車の絵を描いてたみたいです。
何分、ハッキリ覚えていたとは言え幼稚園児の頃の観察力なので真実かどうかは不明ですが、何かの参考になればと思い情報を上げてみます~。
去年亡くなった祖父が、国鉄の汽車運転手だったのですが「みんな休んどるのに元旦の出勤がけったクソ悪い」と河内弁全開の捨て台詞を吐いて辞めた事を何度も祖母から聞かされます。生前もっと興味を持って色々聞いておけばよかったなーと貴方の素敵なブロクを拝見して痛感しました。
投稿: ゆきき | 2015年8月 1日 (土) 00時39分
ゆききさま、はじめまして。
大変興味深いコメントありがとうございます。そうですね、まさに片町線に101系や103系が活躍していた頃、幼少時代を過ごされたのですね。私も、昭和31年生まれですが、101系とは中央快速線で活躍始めた頃からオレンジ色のスタイルにあこがれていました。実家の沿線は西武線で西武線にも101系のスタイルをまねた451形が走っていたのですが、いまいち垢抜けないなと小学生ながらに感じていました。
まさに、幼稚園時代の乗り物に対する興味というのは大人になっても鮮烈な記憶として残っているものかと思います。こちらも初孫が昨年1月に生まれて、今は鶴見あたりで毎日のように京急や京浜東北線を観察しており、いずれどんな鉄子になるのかと期待半分であります。
これからも気がついたことあればどんどんコメントを宜しくお願い致します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年8月 1日 (土) 18時51分
お孫さんおめでとう御座います!健やかな成長をお祈り申し上げます。
あまりに早い段階で鉄子になっちゃうと、私のように幼稚園児でプラレール→小学生でNゲージを必死に要求するようになり、おもちゃ売り場で「なんでも買ったる!」と言って高価な単品買いのNゲージ編成フルセットを購入し(させられ)苦い笑顔で私を撫でるおじいちゃん・・・てな事に!?(笑)
・・・片町線は私の人生の中でかなり密接に関係しており、東西線工事時は不発弾発見の為に、何度も放出で足止めを喰らったり、新型車では各停が快速と間違い鴫野を通過し、京橋へ向かった矢先に激しい警告音が運転席から鳴り響き(その時偶然運転手の後ろの位置に居ました)城東貨物線の分岐手前までブレーキが効かず、更にそれほど超過したにも関わらずバックで鴫野駅に戻った珍事、そして今でもたまにある事ですが、車両の終点駅表示が上り、下り逆になっており、次の駅名表示も東西線経由西明石行き等だと、松井山手に向かっているにも関わらず明石近辺の駅名になっていたり・・・などエピソードだらけです(笑)
6歳の時に引越しをし、最寄り駅が徳庵駅になったのですが、家の裏が近畿車輛でして、見た事もない車両がそこから徳庵駅にやってきたり、夜中の2時ごろ家がガタガタ揺れて、トラックのエンジン音がうるさいと外に出てみたら、新幹線が工場の搬入門から移動中だった(それが、ニュー新幹線と呼ぶ初代の次のモデルの新幹線だと次の日の新聞で知る)文句言いに行こうと思ったが呆然と眺めてた事なども体験しています。 今は実家から少し離れたところで生活していますが、今日も用事で実家に寄る際、前を通り過ぎたら地下鉄御堂筋線の新型車量で「7」のペイントが施された車両が塀から覗かせておりました。近々実家がガタガタすることでしょう(笑)
これからもヨロシクお願い致します。長文失礼でした!
投稿: ゆきき | 2015年8月 3日 (月) 00時53分
ゆききさま、おはようございます。
幼稚園でプラレール、小学校でNゲージですか。わたしも子供にそのようにしましたが、結局、3人とも鉄道には興味を持たず、プラレールは職場の若い人に譲り、Nゲージは私が、線路増設、車両増備に努めましたが、あるときに用地撤収となり、倉庫入りしております。子供が独立して、だいぶ用地に余裕が出てきているのですが、果たして線路敷設許可が下りるかどうか(笑)。ただ線路を再び敷設すると、そのために資金が投じられるということにもなるので、そこは現在のままが良いのかも知れませんが(笑)。
私も最近、関西はご無沙汰ですので、関西の通勤電車の変化がこれから大々的に起こるようですので、記録しておきたく思っています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年8月 3日 (月) 04時30分