1975/10 真鶴~湯河原へ 7 157系
今回は機関車牽引列車ではありませんが、当時の東海道線のスター157系について触れたく思います。
157系は1959年9月の東北本線黒磯、日光線電化完成によるダイヤ改正で東京と日光を結ぶ特別準急電車として登場したグループです。
「あまぎ」として最後の活躍をする157系
東京と日光を結ぶ国鉄の優等列車は1956年より、キハ44800(後のキハ55形)4連の準急「日光」が2時間あまりで結んでいましたが、運転本数、客室設備サービス等で当時の東武1700系特急の後塵を拝していました。電化を機に東武特急をしのぎ、国際観光列車あるいは将来の急行用車輌の試作的意味合いもあったようです。
機構的には153系のシステムを流用しており、主電動機には出力100kWのMT46系を採用、歯車比は1:4.21=19:80とし、勾配の介在する日光線内の運転条件を考慮して抑速発電ブレーキを装備しました。短編成で電動車比率を上げるためMcM'方式を新性能電車として初めて採用し、冷房準備工事がなされていたことも特徴的でした。
157系のシステムのベースとなった153系 1981/1/3 保土ヶ谷
第一次車として1959年6月にクモハ157-1~5、モハ156-1~5、サロ157-1,2、サハ157-1,2が製造され、McM'TTsM'Mcの6連が2本、予備のMcM'といった編成構成で登場しました。田町区に配属された編成は1959年9月22日から「準急日光」(東京~日光)「準急中禅寺」(新宿~日光)「準急なすの」(上野~黒磯)、日光~黒磯間快速列車各一往復に使用されました。「準急日光」以外は3月~11月の季節列車で冬季運休車輌を利用して東海道に臨時特急「ひびき」として運用されました。
従来の貴賓車クロ49形に代わる皇室の小旅行用並びに外国賓客用の貴賓車としてクロ157形(クロ157-1)が1960年7月に川崎車輌で製造されました。
1960年12月には第二次車としてMcM'ユニット5組(6~10)、サロ、サハ各3両(3~5)が増備され、1960年6月改正で予定臨に格上げされた「ひびき」は1960年12月から1961年1月の間、McM'TTs+McM'TTsM'Mcの10連で運用されました。
1961年3月のダイヤ改正で157系30両は6連(McM'TTsM'Mc)5本に組成され、「準急日光」「準急中禅寺」「準急なすの」、多客期の日光~伊東間季節、「湘南日光」「臨時いでゆ」「第二伊豆」、上野~日光間「臨時日光」に運用されました。
1961年10月のダイヤ白紙改正では157系特急「ひびき」は不定期特急「第1ひびき」「第2ひびき」の2往復体制となりました。1962年の夏に運転された「ひびき」は冷房がないため料金が割り引かれたことから、本格的特急車両への転用のため、1963年1~3月に冷房設置工事と塗色の変更が行われました。一次車として登場したMc車の正面腰板部のクリーム色の部分の幅を広げる塗装変更もこの頃までに終わっていたようです。また春以降のダイヤ改正に備えてサロ157-6が増備されています。その結果、3月から運用開始された季節準急「中禅寺」「なすの」日光~黒磯間快速は165系にモノクラス6連に運用を置き換えられています。
1963年4月のダイヤ改正では下り「第1ひびき」上り「第2ひびき」が定期特急に格上げされて「ひびき」となり、他の一往復は不定期特急「第2ひびき」となりました。さらに「準急日光」はMcM'TTM'Mcのモノクラス6連1本、「ひびき」はMcM'TTsTsM'Mcの7連3本の運用となりました。
1964年4月24日の特急「第1富士」の踏切事故で151系が稼働できない状態となり、157系9両編成を使用した「第2こだま」の代行運転が5月7日から31日まで行われました。これ以後は161系編成が使用されたため、「とき」の編成に157系が組み込まれ、<新潟 157系McM'T+161系MM'TdM'sMsTc 上野>で運用されました。
1964年10月の東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正では11月から「ひびき」用編成は東京~伊豆急下田・修善寺間急行「伊豆」2往復に使用されることになり、下田編成(McM'TsTsTM'Mc)と修善寺編成(McM'TsTsM'Mc)の熱海での分割併合に備えて両栓構造に改造されました。
1968年7~9月の週末には東京~中軽井沢間に「そよかぜ」2往復が運転されました。碓氷峠におけるEF63推進運転対応のため横軽対策工事が施されました。
1969年4月25日、東海道新幹線三島駅開業で157系急行「伊豆」は特急「あまぎ」に格上げされ、定期2往復(McM'TsTsTM'McM'Mc)、季節、臨時各1往復(McM'TsTsTM'Mc)が設定され、157系による修善寺行きは廃止となりました。また同時に「日光」は165系に置き換えられ、10年8ヶ月で日光線での運用がなくなりました。
真鶴~湯河原間を行く特急「あまぎ2号」 3023M
田町から東京駅に回送され11番線に入線する回送「あまぎ1号」
1971年3月7日長野原線が大前まで延長され電化開業の上、吾妻線と改称されたのに伴い、4月24日から上野~長野原間に土休日運転の予定臨特急「白根」(McM'TsTsTM'Mc)が下り2本、上り1本設定されました.その後、万座鹿沢口まで延長され2往復体制となりました。
上野駅高架5番ホームから出発する「白根」
特急「白根」 大宮
下降窓方式のため車体の腐食が激しく、少数派という事情もあり1975年11月24日で「白根」としての運用を終了、1976年1月26日には「あまぎ」の運用も183系1000番台に置き換えられ17年の生涯を終えています。
置き換え間近、東京駅出発する「あまぎ1号」 6021M
クロ157牽引用に残っていたクハ157-1,2のユニットも183系に置き換えられ1980年11月に廃車となっています。さらに183系も1985年3月に185系に置き換えられたため、引き通し線改造を受け、塗色も変更となっています。JR化後は特別扱いを嫌う今上天皇の意向もあり、1993年5月13日の運用を最後に運転実績がありません.後継車のE655 系が製造されており、今後の去就が注目される状態です。
2007年に登場したJR東日本の交直流特急形電車E655系 和(なごみ)
以上、157系の歴史を「ガイドブック 最盛期の国鉄車輌 新性能直流電車(上)浅原信彦著NEKO MOOK948 」の157系の記事を参考に纏めてみました。
私自身、小さい頃、親に買い与えられたブリキのおもちゃに157系があり、日光形として慣れ親しんだ憶えがあります.乗車経験はありませんが、「あまぎ」や「白根」として活躍する晩年の姿は今でも記憶に残っています。確か、松本清張原作の「砂の器」の映画でも157系の走行シーンが出てきたのを憶えています。
一方で、157系の後継である185系も登場後、かなりの年月が経過していますが、2012年2月には往年の157系の姿を彷彿させる特別塗装車(OM-08編成)も登場しており、定期運用の他、各種のイベント列車、臨時列車に使用され良きカメラの被写体となっています。
185系 OM-08編成と湘南色OM-03 編成の併結 20120310 大宮
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お世話になります。
私、BSフジにて鉄道伝説という番組を制作しております、常川と申します。
この度、視聴者様からの指摘を受けまして157系あまぎの写真を探しております。
つきましては、B767-281様のブログ内に掲載されておられます写真の使用の許諾をいただきたいのですが、可能でしょうか?
お忙しい中、大変恐縮ですがご返答願えましたら幸いです。
投稿: サリーシンプソン 常川 | 2022年1月31日 (月) 16時00分
サリーシンプソン 常川 様
おはようございます。
ご連絡ありがとうございます。「鉄道伝説」毎回、楽しく拝聴させていただいております。
これまでにも何度かありましたが、写真提供に関するクレジットを番組の最後にでもお示しいただければ結構です。また解像度等に関してもっと良いものが必要でしたらメール等でお知らせいただければお送りいたします。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2022年2月 1日 (火) 05時09分
157系は本当に残念な短命車両でした。週末の中距離行楽特急を普及させたパイオニアですが、下降窓の防水対策が疎かで、冷房改造時にも固定窓化を怠ったのが致命的でした。同系登場の翌年には阪急2000系が登場しましたが、同じ下降窓で非冷房時代が長く、通勤形ゆえに窓の開閉頻度も高いはずなのに一部の車両は登場から60年以上経った令和の現在でも能勢電でアンチエイジングされた姿で活躍してますから、いかに当時の国鉄が無責任でズボラで、後の労使関係悪化につながる芽に気づかなかったかがよくわかります。
投稿: ねこたろう | 2023年7月31日 (月) 20時25分
ねこたろうさん、こちらにもありがとうございます。
157系のケースを見てみると一つの系列を生かすも殺すも現場の扱い次第という気がします。さらに同じ下降側窓を装備した車両が長生きしている例をみるとその扱いに対する人的なミスが滲みでてくるのですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2023年8月 1日 (火) 04時23分