1975/10 真鶴~湯河原へ 2 EF60について
今回はEF60です。
EF60は1960年に開発された平坦路線向け直流用電気機関車であり、1960年から1964年にかけて、貨物用の0番台129両と寝台特急列車(ブルートレイン)牽引用の500番台14両の計143両が製造されました。登場当時は車体塗装は0番台がぶどう色2号(茶色)の一色で、500番台が前面上部・下部および側面を青15号(濃青色)、前面窓周り・中央部と側面帯をクリーム1号とした塗装でしたが、塗装規定の変更により1965年から側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面中央部をクリーム1号とした配色に全機が変更されました。
<0番台、一般形>
1960年に2両の先行試作車が製造された後、1号機をベースにした量産機 3-14が1960年7月から9月にかけて姫路 - 岡山間電化開業用を名目として製造されました。駆動方式は試作車と同様のクイル駆動方式でしたが、異常振動等の問題があり、後年、リンク式駆動装置に改修されました、この駆動装置の問題により試作機を含めた14両は本形式他車と運用が分けられ、EF65形が投入された1970年代には8両がEF61形200番台に改造されました。
EF60 9号機 このグループの唯一の写真です。
当時、このグループは岡山機関区に集中配置され、運用も糸崎、宇野、梅小路の範囲専用であったと思います。そのため、関東ではお目にかかることがなく、関西に旅行したときに列車の窓越しに撮った証拠写真のみに終わってしまいました。
1985年4月の二度目の瀬野八訪問で、EF61 206に改造されたEF60 6の姿を写真に収めることができました。
二次グループは1962年5月から8月にかけて東海道・山陽本線増発用を名目として15 - 46号機が製造されました。駆動方式は吊り掛け駆動方式に設計変更され、主電動機は1時間定格出力425kWのMT52形に変更し、それに合わせて台車もDT115A形・DT116A形(軸距を2,800 mmまで延長)に変更されました。外観上の相違としては、前照灯まわりが一次グループの樽形ケーシングから台形のケーシングとなりました。
EF60 18号機 大宮
EF60 22号機
現在でもこのグループの一員の19号機が高崎車輌センターにて現役で活躍しているのは喜ばしい限りです。
やすらぎ塗色で活躍していた頃
最近は一般貨物機塗色になり、1エンド側ライトもオリジナルの単灯に改造済み
三次グループは1963年7月から1964年3月にかけて東海道・山陽本線増発用、岡山 - 広島間の貨物列車電化用を名目とし47-83号機が製造されました。
EF60 47号機 保土ヶ谷
47号機
47号機カットモデル 大宮工場
EF60 51号機 六甲道
EF60 76号機
四次グループは1964年4月から7月にかけて山陽本線旅客電化用、甲府 - 上諏訪間電化開業用、上越・高崎・東北本線貨物列車増発を名目として84 - 99号機が製造されました。このロットから外観に大きな違いが現れました。前照灯が2灯シールドビームに変更され、側面は通気口の上に明かり取り窓を配した構造となりました。その後に製造されたEF65形も同一形状です。側窓も白Hゴム支持となり、運転室機器類の一部変更され、避雷針をLA15に変更されました。このグループから88号機がEF67 3に改造されました。
EF60 97号機 1977.3.19 瀬野~八本松間 瀬野西トンネル西出口
五次グループは1964年7月から10月にかけて上越・高崎・東北本線貨物列車増発用、山手線貨物列車増発用を名目として100 - 129号機が製造されました。後年、104号機がEF67 1に、129号機がEF67 2号機に改造されました。
EF60 100号機
沼津で休む125号機
四次グループ以降のEF65との相違点はモニター屋根の端が斜めになっているのがEF60垂直なのがEF65
<500番台、寝台特急牽引用>
1963年から1964年に20系客車寝台特急牽引用EF58形の置換え用して製造されたグループで501 - 514が該当し、車体は501 - 511が3次量産車に、512 - 514が四次量産車に準ずる形態をしている。
EF60 506 1979.5.19 西国分寺
EF60 510 市ヶ谷
510号機は特急塗装を纏って大宮工場に保管されており、2011年9月頃にはお色直しが行われたようで、大宮駅のホームから見える場所に顔を出していました。
EF60 511 沼津
EF60 513 一般形の4次量産車以降のスタイル号機が製造されました。
特急塗装に復元されて碓氷峠鉄道文化村に展示されている501号機
製造当初は、基本番台が東海道・山陽本線の高速貨物列車に、500番台が東京 - 九州間寝台特急列車に投入されましたが、本来はEF15形・EH10形の後継となる貨物機で定格速度は低く、定期の旅客列車とりわけ特急列車の牽引には不向きな形式でした。
後継で標準機となったEF65が登場すると一般貨物を担当するようになり、1970年代後半からは旧型貨物用電気機関車の置き換えで首都圏の中央本線・高崎線・両毛線などにも投入されました。
1980年代に入ると、老朽化や貨物列車の減少などにより徐々に淘汰が進行し、最後に残ったのは高崎第二機関区(現・高崎機関区)に配置され首都圏発着で高崎線・両毛線を通る貨物列車で運用されていた車両と1986年3月から竜華機関区にも配属され阪和線・紀勢本線で運用された数両で、これら残存車は分割民営化直前の1986年11月のダイヤ改正で定期運用がなくなり、大部分はJRグループに承継されず廃車となりました (Wikipedia 国鉄EF60形電気機関車の記述を参考に書いています)。
先日、EF15の際にご紹介した「鉄路100万キロ走行記 宇田賢吉著」(グランプリ出版)にEF60に関する宇田氏の感想も書かれています。EF60はEF15に較べると全てに余裕を持って申し分のない機関車として登場した。初期の1~14号機はMT49モーターを装備して発車などの重負荷時には悲鳴のようなモーターの唸りだけでEF60であることが判った。15号機以降はMT52モーターに替わって、出力増大と定格速度変更があり、性能上では別形式であった。EF15との比較では出力の増大を主に牽引力増大に当てて、バランスの取れた形式であった。ノッチ手動進段という旧来の方式のまま新機軸を採用したため、運転操作からはEF15の改良形であった。空転再粘着装置やノッチ細分化のバーニア装置は使用する機会がなく宝の持ち腐れであった。
晩年は貨物列車の速度が向上したため、定格速度の低いEF60は機関士に敬遠された。
運転室の環境は大幅に改善され、マスコンをはじめ、あらゆる機器が新系列になって今までの常識が一新された。細かい点ではスペース縮小のため運転室への出入りが窮屈になった。隙間風は機械室のドア改善で少なくなったが、機械室の負圧による吸い込みはそのまま残された。
ワイパーは窓の上装備になったが、清掃範囲が凹形になるのは不自然であり、使用しないときに重力で中央部に垂れ下がるのは目障りだった。ワイパーを窓下に移せば解決できたが、計器盤のの点検の邪魔になるので敬遠されたようだ。
とのことです。
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