1975/11 奥羽南線電化と特急「つばさ」の電車化 3
日本海縦貫線の一部となっている秋田~青森間の電化が1971年8月に開業したのに対して、羽前千歳~秋田間の交流電化が完了して奥羽本線全線電化されたのは1975年10月13日のことでした。この1975年の夏には集中豪雨のため、急行「津軽2号」が土砂崩れに襲われ、旅客1名死亡、16名負傷といった痛ましい事故も発生しています。
CTC化の完了で「つばさ」がキハ181系気動車から485系電車に置き換わったのは11月24日のことでしたが、耐寒耐雪構造の485系1000番台の落成は間に合わず、落成までの間、本来長崎本線・佐世保線電化開業用に転属するはずであった盛アオの485系200番台がピンチヒッターを務めたことは12月14日の記事(1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 8 九州内電車特急「かもめ」part1 )で記述致しました。
ということで、僅か半年の短い期間でしたが、クハ481-200番台を先頭とする特急「つばさ」の姿をアップ致します。
電車化されてすぐに撮った写真だったと思いますが、まさかこの姿が半年間しか見られないものとは当時は想像だにしませんでした。
1976年1月2日に東北特急や東北の交流機関車をきちんと撮影しておこうと言うことで、福島機関区まで遠征した際に偶然、郡山で撮ったものです。
新幹線の高架駅が併設された以外に郡山駅の構造は変わっていないことがこの写真から分かります。磐越東線の気動車の姿も写っています。
最後に1975.3から1977.3にかけてのクハ481-200番台の動きを書き出しておきます。-200番台の新製配置(1972,1973年)は盛アオと大ムコのみで、201-224, 227-230, 235-238, 254-263が盛アオに配置され、225, 226, 231-234, 239-253が大ムコに配置されています。
1975.3
盛アオ 201-224, 227-230, 235-238, 249, 250, 254-263
大ムコ 253
門ミフ 225, 226, 231-234, 239-248, 251, 252
1976.3
盛アオ 209, 211, 213-224, 227-230, 235-238, 249,250, 254-263
秋アキ 201-208, 210, 212, 245, 251
大ムコ 253
門ミフ 225, 226, 231-234, 239-248, 252
1977.3
盛アオ 215-224, 227-230, 235-238, 254-263
秋アキ 配置なし 全て1000番台に
大ムコ 253
門ミフ 201-214, 225, 226, 231-234, 239-252
この3年間における-200番台の動きで面白いのは1975.3の改正でまず大ムコから門ミフに大量に-200番台が動きましたが、大ムコ配置のラストナンバーの-253だけ大ムコに残されていたこと、おそらく編成の関係かと思われます。さらに同改正で一旦、門ミフに移った-245, -251が1976年3月の時点では秋アキにいること、最終的に盛アオから門ミフに-200番台が移動したことになりますが、-209, -211, -213, -214, -249, -250は秋アキを経験せずに直接移動しています。
貫通扉からの隙間風の問題などで1000番台が製造、さらに東北新幹線の開業による運用の減少で、盛アオの200番台はその後、215-221は1978.9に仙センへ、222, 223, 227, 229は金サワへ、1979.3に224, 228, 229も金サワへ、1980.8~9に230, 237, 238, 255, 256, 259, 262は門ミフへ、残った235, 254, 257, 258, 260, 261, 263も1985.3に大ムコに転属となっています。
<追記>
「つばさ」の電車化に伴うサシ481の動きに関しても記述を加えます。
1975.9の秋アキ 開設時に門ミフから6両のサシ481が転入しています。
Td481: 57,58,59,61,62,63 です。
彼らは3月まで大ムコに所属し、山陽/北陸特急で活躍していたメンバーで3月に門ミフに転属したばかりでしたが、「つばさ」開業用ということで再度、秋アキに移動となりました。
1976年4月から5月にかけて、1000番台が新製配置されると門ミフからの転属組が再び九州に戻る中で、サシ6両はそのまま秋アキに配置となりました。というのは1000番台ではサシの新製が行われなかったからです。
また、サロ481形についても、興味深い点があります。特急「つばさ」用に1975年9月に秋アキに新製配置された115, 116,(川重) 122, 123,(東急) 127, 128(日立)の6両はいずれも「つばさ」暫定使用のため、MG・CPが装備され、デッキよりのトイレ・洗面所は車販準備室に変更されています。定員の変更がないため、番台区分もされませんでしたが、1978年5月に485系1000番台が増備された際に、1000番台に改造され、1051~1056となっています。
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