1976/3 関西へ 6 大阪環状線
関西本線の昔の通勤電車の歴史を掘り返すとどうしても避けて通れないのは大阪環状線の歴史かと思いまして、今回は大阪環状線で行きます。大阪環状線として環状運転をはじめたのは1961年のことで、それまでは西側を西成線、東側を城東線、さらに天王寺~今宮間は関西本線の一部だったのですね。
最初に撮った環状線の101系の写真は10/25日の記事に載せましたが、似たような写真で恐縮ですが8連の表示を真ん中にぶら下げた101系
西成線
1898年4月5日:西成鉄道 大阪駅 - 安治川口駅間が開業。大阪駅 - 福島駅間は貨物営業のみ。
1899年5月1日:大阪駅 - 福島駅間旅客営業開始。
1904年12月1日:鉄道作業局が西成鉄道の路線を借上げ。
1906年12月1日:西成鉄道が国有化。
1909年10月12日:国有鉄道線路名称の制定により、大阪駅 - 西九条駅 - 天保山駅間が西成線となる。
1931年11月8日:貨物支線 野田駅 - 大阪市場駅間 (1.3km) が開業。
1943年10月1日:西成線と城東線の直通運転開始。
1961年4月25日:大阪環状線全通により、西九条駅 - 桜島駅間 (4.5km)、貨物支線 安治川口駅 - 大阪北港駅間 (3.4km) を分離し桜島線になる。
城東線
1889年5月14日:大阪鉄道 柏原駅 - 天王寺駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間が開業。
1895年5月28日:天王寺駅 - 玉造駅間が開業。10月17日:玉造駅 - 梅田駅間が延伸開業。
1896年12月10日:玉造駅 - 大阪砲兵工廠(後の大阪陸軍造兵廠)間の側線開業。
1900年6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に合併。梅田駅を官営鉄道の大阪駅に統合。
1907年10月1日:関西鉄道が国有化。
1909年10月12日:国有鉄道線路名称制定により、天王寺駅 - 大阪駅間が城東線となる。
1933年2月16日:天王寺駅 - 大阪駅間が電化。桜ノ宮駅 - 大阪駅間が高架化。電車運転開始。
1943年10月1日:西成線と城東線の直通運転開始。
1947年:猫間信号場 - 大阪陸軍造兵廠間の側線が廃止。
1958年7月15日:全列車の6両運転開始。
1960年10月1日:101系電車運転開始。
関西本線
1928年12月1日:関西本線貨物支線 今宮駅 - 浪速駅 - 大阪港駅間が開業。
1956年3月15日:貨物支線 浪速駅 - 大阪東港駅間 (3.0km) が開業。
大阪環状線成立以後
1961年4月25日:西九条駅 - 大正駅 - 天王寺駅間 (7.4km) が開業。城東線 (10.7km)、西成線 大阪駅 - 西九条駅間 (3.7km)、野田駅 - 大阪市場駅間 (1.3km) を合わせて大阪環状線に、西成線 西九条駅 - 桜島駅間は桜島線になる。関西本線貨物支線 今宮駅 - 浪速駅 - 大阪港駅間 (8.3km)、浪速駅 - 大阪東港駅間 (3.0km) を大阪環状線に編入し、貨物支線の起点が今宮駅から大正駅に変更 (-1.8km)。野田駅 - 西九条駅間改キロ (-0.1km)。11月6日:101系が運用開始。
1962年3月1日:運用車両が101系に統一される。
1964年3月22日:大阪駅 - 福島駅間の複線化により全線複線化が完成し、環状運転開始。
1968年3月25日:天王寺駅 - 新今宮駅間が複々線化され、関西本線と分離運転開始。桜島線との直通運転廃止。
1969年12月10日:103系電車運転開始。
1970年8月10日:一部の列車で8両編成で運転開始。
1972年3月15日:ダイヤ改正により、休日のみ大阪駅 - 弁天町駅 - 天王寺駅間で快速が運転開始。
1973年10月7日:関西本線の快速が日曜・祝日のみ大阪環状線への直通運転開始。
1974年7月20日:関西本線の快速が平日にも大阪環状線に直通するようになる。
1976年3月1日:全列車が8両編成に統一。
国鉄分割民営化以後
1987年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が境川信号場 - 浪速駅間の第一種鉄道事業者に、福島駅 - 西九条駅間、新今宮駅 - 境川信号場間の第二種鉄道事業者となる。貨物支線の起点が大正駅から境川信号場に変更 (-0.8km)。
1988年(昭和63年4月:西九条駅構内の配線を変更、大阪環状線から梅田貨物線へのルートが開通し、「なら・シルクロード博覧会」開催に伴う臨時快速を、湊町駅(現在のJR難波駅)発着の快速を行先変更する形で、加茂駅・奈良駅 - 新大阪駅間で運転。
1989年4月10日:関西本線への221系電車導入に伴い、関西本線に直通する快速が大和路快速に改称、7月22日:天王寺駅構内の関西本線から阪和線への連絡線が開通し、特急「くろしお」が大阪環状線を介して新大阪駅・京都駅まで直通運転を開始。特急「スーパーくろしお」の運転開始。
1990年3月10日:関西本線直通の区間快速を朝方にも拡大。朝と夜に新大阪駅発着の阪和線直通列車を設定。
1991年4月28日:101系電車の最終運転が行われる。
1994年9月4日:関西国際空港が開港し、特急「はるか」および、大阪環状線で関空快速が運転を開始。
1996年7月31日:283系電車による特急「スーパーくろしお オーシャンアロー」が運転開始。
2001年3月3日:USJ開業による旅客利便性向上のため桜島線直通運転が再開。
2005年12月15日:201系電車が運転開始。
2008年 3月15日:天王寺駅構内の関西本線から阪和線への連絡線が複線化。関空快速・紀州路快速の環状線直通列車を増発、平日ラッシュ時に阪和線と直通する直通快速が運転開始。
2012年3月17日:日中の桜島線との直通運転が取り止め。7月1日:一ツ家踏切が廃止され、大阪環状線の踏切が全廃。
(以上、Wikipedia 大阪環状線の記事から抜粋して記述しています)。
ネットサーチから偶然見つけましたが、中川浩一氏の大阪環状線の歴史のサイトも同線の形成について東京の山手線と対比されながら詳述されており、大変役に立つと思います。
子供の頃は小学校が国立、中学校は荻窪と東京北西部で育ち中央線は毎日のように使う生活でしたものでオレンジ色の101系は非常になじみ深い存在でした。同じ101系が遙か離れた大阪の地で大阪環状線で働いていると知ったときはすでに中央線の101系の編成形態や番号がある程度分かっていましたので、一体どんな番号の車輌がどのような編成を組んでいるのかを是非知りたく思いました。
鉄道ピクトリアル誌の記事によると、1960年10月1日に城東線で101系電車が走り始めた時は4M2Tの編成でMは中央快速線からの転属で、Tは新製車輌で対応したと書かれています。出版物では101系の個々の車両の履歴が見つからなかったのですが、ネットサーチをすると「ホームページにいにい」さんのサイトにある電車車輌履歴内の101系に履歴情報のファイルがあることが分かりました。
それを参考に1960年10月城東線投入時点での車号を推定してみると、McM’とMMc’ は27, 28, 29のユニット3組(いずれも三鷹区からの転属)、TT’は同年9月30日付けで淀川区に新製配置された41, 42, 43であったことが分かりました。
因みに大阪に新製配置された101系の全リストを以下に載せます。
Mc 83~92, 94~96 99,100,103, 110~117, 201~205 29両
M' 79~87, 97~100, 255~259 18両
M'c 83~92, 94~96, 99, 100, 103, 109~116, 189~193 29両
M 79~87, 97~99, 260~264 18両
T 41~43, 53~61, 64~70, 74~81,115~122, 137~142, 146~148 44両
T' 41~43, 53~61, 64~66, 71~82, (108~111) 31両
108-111は元々241~244として製造、品川に新製配置されたものを1980年にMG, CPを撤去して編入したもの
これら番号から分かるのは大阪向け(淀川、あるいは森ノ宮)に新製配置されているのはいずれもマイナーチェンジされた1960年以降(昭和35年本予算もしくは昭和35年度第一次債務)で製造された車輌ですね。同時期に中央線快速は8M2Tから6M4Tにするためにクハ101、100が製造開始されていますが、大阪向けのクハの新製配置はありません(新製配置後、大阪に転属した車輌はありますが)。将来の電装化を考慮したサハ100は大阪向けにも作られていますが、1963年で製造が中止(~107まで)されているので、以降はサハ101のみとなったため両数が少ないですね。
1961年4月25日の改正で環状化が完成し、101系は6連が11本体制に、1962年3月1日はオール101系化が達成されています。この時点で森ノ宮に110両(M74、T36)、淀川に58両(M40、T18)配置され、森ノ宮15本、淀川8本体制となりました。1964年3月22日に完全環状運転が実現し、森ノ宮に6連が1本増配置されました。1965年12月1日に28両増備となり、1968年3月25日のダイヤ改正でさらに28両増備となり、森ノ宮は6連23本、3連3本、淀川は6連8本体制となりました。3両編成は桜島線線内折り返し運転に使用されました。1969年12月10日の改正でいよいよ103系が2本投入され、103系の投入で101系が片町、関西線等に捻出されるパターンができあがりました。1979年10月の改正で桜島線関連運用以外の103系化を完了した後、1985年3月改正で同運用を森ノ宮に移管して101系は完全に姿を消しましたが、1989年6月に片町線最後の101系7連2本が森ノ宮区に転属となり、桜島線運用に復帰、1991年3月まで使用されました。
(以上、鉄道ピクトリアルNov 2002 No.724 特集101系電車 の記事を参考に記述しています)。
さらには桜島線の101系の写真を
1981/12/2 西九条にて
標識灯や運転席と客席の間の窓は1960年以降の車輌のタイプですが、パンタグラフはPS13Cです。
上述のように101系の運用は1991年まで続きますが、この後は103系、201系の時代となり現在のも103系は運用されており、103系に関しては別記事で纏める予定です。
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コメント
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B767しゃん、こんにちは(^^)早速こちらのスレに…お邪魔致しますm(_ _)m本当だ‼︎オレンジバーミリオン塗装の101系・非冷房車が大阪環状線で走っていますね‼︎桜島線でも101系が活躍していますね‼︎つぅことは…この頃は片町線でも101系・非冷房車が走っているんすね‼︎ただ片町線って、長尾から先は非電化区間だったそうですが。
投稿: マスダっち1971 | 2014年8月25日 (月) 15時06分
マスダっち1971さん、こんばんは。
片町線の場合、1976年頃はまだオレンジ色に塗られた旧国が走っていましたね。
そうです、長尾から先は非電化でキハが走っていたそうです。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年8月25日 (月) 19時22分
B767−281様 今晩は。夜分失礼致します。前に見せたいただいた時には気づかなかったのですが、2枚目の写真についてです。桜島線運用の101系、尾灯は外バメ式でパンタはPS13となっていますが、よくよく見ると先頭はクモハ101でPS13は2輛目のモハ100では、と思います。これは大阪環状線への101系投入時点で、丁度中央線の8M2Tから6M4Tへの編成変えがあり、余剰の初期タイプモハユニットを大阪へ転出させ新製のクモハとユニットを組み替えたために起ったものです。例えばクモハ101−112+モハ100−13のユニットが存在しました。101系のユニット変遷は今現在どの文献にも全貌がわかるものはありません。当時の転属などの記録から一部分推測できるだけで或る意味悩みの種でございます。
投稿: 細井忠邦 | 2014年8月25日 (月) 21時42分
細井忠邦さま、おはようございます。
大変、興味深いお話、ありがとうございます。
確かに、ジャンパ栓からクモハ101+モハ100で、しかもクモハは外バメ式の標識灯、モハはPS13で、ユニットが製造年代の違うペアで構成されていることが分かる写真ですね。
101系のユニット構成に関しては、製造時のデータからある程度推察は出来るようですが、それがどういった過程でどう変化していったか追っかけるのは文献的には難しいのですね。
1979年版の国鉄電車編成表に1979年4月1日時点でのユニット構成表というデータがありますので、それを元にしていろいろ考えるのも面白いかなと思っています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年8月26日 (火) 05時54分