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2012年12月18日 (火)

1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 12 瀬野八を行くEF58牽引小荷物列車

1977年3月の旅行、九州を後にして、最終の目的地である、瀬野~八本松間での撮影のため広島に向かいました。

瀬野から八本松への上り線の勾配区間、地名的には大山峠と言うそうですがこの名前は殆ど知られていないのではと思います。鉄道が開通したのは1894年6月4日で当時は山陽鉄道の一部でした。最短経路で鉄道を敷設したために勾配は22.6パーミルとなりました。他にも緩勾配にするルート案はあったそうですが、日露戦争開戦直前といった時代背景もあり、軍部がルート変更に猛反対した結果、このルートに決定したそうです。

開通以来、補機の必要な急勾配区間であり、1962年の電化前までは8350形、8450形、2120形(B6)、 2900形、 9600形、 D50形、 C52形、 D52形、 C59形といった機関車が補機として活躍し、瀬野機関区がその常駐場所でありました。

尚、当時の現地での撮影には並行して走る国道2号線を走る路線バスを瀬野駅から利用し、ポイントで下車して撮影し、最終的に八本松まで行きました。瀬野八訪問はこのときが最初で、実際に沿線で撮影したのはこのときが唯一で、この後はEF61-200の時代に瀬野駅・機関区周辺で、さらにEF67の時代に広島、天神川、瀬野駅等で駅撮りをしましたが、EF67の時代からいよいよEF210-300の時代に役者も替わるようなので機会があれば行ってみたく思います。

現在の撮影地情報はこちらのサイトの情報が大変参考になるかと思います。

1977年3月の訪問時はEF59が補機の時代でした。今回はまず、本務機としてEF66、EF65、EF61、EF60、EF58などが活躍する姿をアップした後、補機の活躍シーンをご紹介したく思います。

今回は当時、存在した小荷物列車(所謂、鉄道小荷物チッキ、新聞等を運ぶ列車)を牽引するEF58の写真を載せます。

Ef58_1_770319川上西トンネル西側の出口の線路の間で撮影したトンネルを出てくる1号機牽引の小荷物列車です。今はこういった撮影は許されないと思います。以前にも申しましたが、EF58の場合、製造順で行くと最初に登場したのは21号機で、廃車になったのも21号機が最初とのことでした。それでもトップナンバーを写せたのはラッキーでした。

Ef58_52_770319_4

瀬野西トンネル西側上の撮影ポイントで撮影した52号機牽引の小荷物列車です。編成両数が少ないせいか補機無しで登っています。

Ef58_129_770319
川上西トンネル上の撮影ポイントで撮影した下り列車で129号機牽引です。

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