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2012年12月14日 (金)

1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 8 九州内電車特急「かもめ」part1

11月10日の記事において1975年3月の新幹線博多開業前の山陽路の昼行特急として最後の活躍をするキハ80系時代の「かもめ」を紹介しましたが、今回は1976年7月の長崎、佐世保線電化開業で復活した、電車特急「かもめ」です。

当時国鉄はこの併結特急「かもめ・みどり」のデビューに当たって、「かもめはみどり」といった意味不明なキャンペーンをやっていましたね。「かもめ・みどり」用の485系特急電車の投入には、奥羽南線の電化工事の進捗や本来、特急「つばさ」の電車化に向けて投入されるべき耐寒耐雪仕様の485系1000番台の落成の遅れも影響したのを憶えています。

まずは、1975年3月以降の歴史を見てみましょう。

1975年3月10日:山陽新幹線博多開業で、「かもめ」全区間と「出島」の博多駅以東廃止。この廃止から翌年電化されるまでの約1年間、長崎本線を走る昼行特急列車は設定されなかった。

1976年7月1日:長崎本線・佐世保線全線電化により、「出島」4往復を特急列車に格上げ。「かもめ」の愛称を与えエル特急に指定。7往復を設定し、うち3往復が小倉駅発着とし、4往復が博多駅発着となる。
「かもめ」は6往復で佐世保線佐世保駅発着の「みどり」を併結し、1往復は「みどり」編成を「かもめ」の付属編成として運転。分割・併合は肥前山口駅で行う。

1978年10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正に伴い「かもめ」の1往復のみ連結していた付属編成を「みどり」に編入し運転区間を佐世保駅へ延長、全列車「みどり」併結となる。ただし、実際は佐世保線西有田信号場の完成を待って翌1979年から運転開始、それまで「みどり」は佐世保線内を運休していた。

1980年10月1日:ダイヤ改正に伴い、「出島」の3往復を「かもめ」に格上げし、「かもめ」10往復、「出島」3往復体制とする。また小倉駅および島原鉄道線への乗り入れを終了し、全列車博多駅 - 長崎駅間の運行とする。 なお、この改正は将来の急行列車の総特急化を前提としたものであったため、「かもめ」の号数には欠番が生じ、「出島」は「かもめ」の欠番を埋める形で運行された。

1981年6月7日:長崎本線久保田駅 - 牛津駅間を走行中の「かもめ・みどり」11号が、線路の一部が波打っているのを発見して急停車。「かもめ」の後ろ2両と「みどり」の全編成が脱線した。のちに損傷の激しかった「みどり」の後3両は廃車になった。この事故は国鉄時代に485系電車が事故廃車になった唯一の事例である。

1982年11月15日:ダイヤ改正により「出島」の3往復を電車化し、「かもめ」に昇格。「かもめ」が博多駅 - 長崎駅間を13往復体制となる。これにより「出島」を廃止。

1985年3月14日:ダイヤ改正により、「かもめ」の日中の5往復について「みどり」との併結を廃止。ただし、運行本数は13往復と変更なし。

1986年11月1日:ダイヤ改正により、「かもめ」と「みどり」は全列車単独運転となる。同時に「かもめ」1往復が小倉駅まで延長される。

1988年3月13日:「かもめ」を1往復増発し、14往復となる。同時に下り1本で「みどり」との併結再開。小倉駅発着列車は再び消滅。
1989年3月11日:「かもめ」を14往復から18往復に増発(下り4本・上り3本は「みどり」併結)。また、2往復で783系電車(ハイパーサルーン)の使用を開始

1990年3月10日:「かもめ」を3往復増発し、21往復(下り7本・上り5本は「みどり」併結)とした上で、783系充当の5往復に「ハイパーかもめ」として運転開始。また、この頃から485系を使用した「かもめ」を赤い外観の「KAMOME EXPRESS」(7・8両編成)・「RED EXPRESS」(5両編成)にリニューアルする。なお、原則として「KAMOME EXPRESS」は単独運転の列車に、「RED EXPRESS」は「みどり」併結列車に用いられた。 この頃には高速バスへの対抗策として、途中停車駅を鳥栖駅・佐賀駅・諫早駅の3駅のみとした列車も存在した。

1992年3月14日:「みどり」併結列車の一部でハウステンボス駅発着の「ハウステンボス」併結開始。1992年7月15日:「かもめ」を1往復増発し、「ハイパーかもめ」と合わせて22往復とする。また、この日以降多良駅と湯江駅に通年停車する列車はなくなる。

1994年3月1日:「かもめ」のうち5往復に「つばめ」用の787系電車を投入し、ビュッフェ営業も行われた。 7月1日:「ハイパーかもめ」を廃止。ただし、一部の駅の発車標などでは「白いかもめ」と区別するために783系使用列車には「ハイパーかもめ」と表示されることがある。

1996年3月16日:「かもめ」は単独運転列車を783系(17往復)、「みどり」併結列車を485系(5往復)に統一。783系の一部編成は「つばめ」「にちりん」で使用していた編成から転用。これに伴い787系は撤退してビュッフェ営業も終了。485系に関しては「RED EXPRESS」編成のみの運転となる。

2000年3月11日:ダイヤ改正に伴い使用車両を、48号を除く長崎駅発着の単独運転の列車16往復および103・104号は885系電車「白いかもめ」、「みどり」併結列車および48・101・102号は783系電車とし、485系電車は「かもめ」から撤退。なお、従来「かもめ」に充当されていた783系は「にちりん」系統および改造の上で「みどり」「ハウステンボス」に転用され(そのためダイヤ改正直前には「みどり・ハウステンボス」編成で走る「かもめ」も見られた)、この改正からは従来「有明」で使用されていた4両編成(多客期は5両に増結)が充当されるようになる。

2003年7月18日:長崎本線内で「かもめ46号」が落石に衝突し脱線する長崎線特急列車脱線転覆事故が発生。

2005年3月1日:ダイヤ改正により同日廃止された寝台特急「さくら」の九州内区間を吸収する形で、博多駅 - 長崎駅間の列車を25往復に増発。門司港駅乗り入れは終了。また、この改正で区間運転の列車を除き、単独運転の列車(16往復)は885系、「みどり」併結列車(9往復)は783系での運転に統一された。7月11日:長崎本線市布駅 - 肥前古賀駅間で、博多駅発長崎駅行「かもめ」3号の窓ガラスが破損し、乗客6人が負傷。この事故を受けて、783系電車のエンブレムおよびルーバー塞ぎ板は同日中に全て撤去された。のちに塞ぎ板のみ再取付、エンブレムはステッカーになった。

2008年3月15日:ダイヤ改正により同日廃止された寝台特急「あかつき」の九州内区間を吸収する形で、博多駅 - 長崎駅間の列車を1往復増発し26往復とする。増発分には783系が充てられたが、下り列車は単独運転としたため783系を充当する博多駅 - 長崎駅間の単独運転が復活した。

以上、Wikipediaのかもめの記事を参考に纏めておりますが、かもめとみどりの併結の歴史はいろいろな紆余曲折があったことがわかります。

1977年3月当時は、「かもめ」が1~7号、「みどり」が1~6号で下り「かもめ5号」2019Mと上り「かもめ2号」2014Mが「かもめ」単独運転でした。

そして編成は当時の門ミフの配置から「かもめ」が両エンド200番台のクハの8連(TcM'MTsTM'MTc)、「みどり」は奇数方に仙センから転属したクロ481ボンネット、偶数方にクハ481-200の4連(TcM'MTsc) で、1~8号車「かもめ」9~12号車「みどり」の併結運転となっていました。クハ481-200は盛アオから秋アキに転属して、奥羽南線電化による特急「つばさ」の電車化で485系1000番台が落成するまでピンチヒッターを務めた車輌が門ミフに転属になったと記憶しています。

「かもめ」単独の場合は「みどり」編成が「かもめ」の付属編成となり、ボンネットクロ481に「かもめ」のHMが掲示されることになっていました。併結しても200番台の貫通扉は開かず、編成間の行き来は出来ませんでした。また、自動併結装置を搭載した200番台クハも「かもめ」編成に組み込まれていました。ただし、写真で写した限りでは併結側のクハではなく偶数方向のクハとして組み込まれていました。
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小倉駅に進入する「かもめ・みどり」

小倉発のかもめ・みどりは3号、5号、7号の3本

 

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自動解結方式のクハを偶数エンドに繋げたかもめ編成

この配置を見ても既に自動解結装置が意味を持っていないことが分かります。

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「かもめ」と「みどり」の併結部 貫通路は使われていない
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ボンネットスタイルの「かもめ」のサイン

「つばさ」の電化開業に備えて、1000番台落成までの秋アキに配属された貫通型クハの番号

クハ481 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 210, 212, 245, 251
アンダーラインは自動解結装置装備

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