1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 9 九州内電車特急「みどり」part1
今回は、かもめと同じ時期に佐世保線に復活した特急「みどり」です。なんといっても印象的なのは、4両編成というそれまでの特急電車ではあり得なかった短い編成での登場としっかりグリーン車クロが連結されていたことです。
1975年3月の新幹線博多開業から、今日に至る歴史は、
1975年3月10日:新幹線接続列車として「弓張」を4往復増発。小倉駅発着2往復を含む8往復で運行を行う。。
1976年7月1日:長崎本線・佐世保線交流電化に伴い、小倉駅・博多駅 - 佐世保駅間でエル特急「みどり」が運転開始。485系電車が使用され、小倉駅発着下り2本・上り3本、博多駅発着下り4本・上り3本の計6往復設定された。 急行列車や気動車特急での多層建てはすでに各地に見られたが、電車特急での多層建て列車は初めてであった。「みどり」の設定に伴い「弓張」3往復が廃止。小倉駅発着1往復、博多駅発着4往復の計5往復となる。
1980年10月1日:このときのダイヤ改正に伴い、「みどり」が10往復、「弓張」が3往復になり、全列車博多駅 - 佐世保駅間の運行とする。
1982年11月15日:このときのダイヤ改正に伴い、「弓張」の全列車が「みどり」に変更されて廃止。「みどり」は13往復になる。 このとき「みどり」に格上げされた3往復に関しては「弓張」から引き続いて大町駅に停車したが、国鉄末期には1往復に減らされ、国鉄民営化後まもなく大町駅に停車する「みどり」はなくなった。
1988年3月13日:「みどり」の下り1本で「かもめ」との併結再開。この列車のみ号車番号は9 - 12号車とした。また、それまでグリーン車は佐世保・博多向き先頭車の1両であったが、この改正より早岐向き先頭車0.5両に改められた。3月20日:長崎オランダ村への観光誘致のため、小倉駅 - 佐世保駅間で特急「オランダ村特急」がキハ183系気動車1000番台により運行開始。 運転区間は全線電化区間にも関わらず気動車が用いられたが、これは183系1000番台が「オランダ村特急」運転日以外もオランダ村のPR車両として九州各地を走っていたからである。この1000番台は展望車を両端に備えていた。
1989年4月29日:「オランダ村特急」の下り列車について、門司港駅→博多駅間で485系電車の「有明11号」と併結運転開始。この際、世界初の電車・気動車の動力協調運転を実施。
1992年3月14日:「オランダ村特急」が廃止され、新たに博多駅 - ハウステンボス駅間を485系電車で運転する特急「ハウステンボス」が運転開始(博多駅 - 早岐駅間は「みどり」に併結)。これにより、列車によっては「かもめ」「ハウステンボス」との3階建て列車を組むことになった。電車特急による3階建て列車は日本初であった。
2000年3月11日:ダイヤ改正により「みどり」の使用車両を783系「ハイパーサルーン」に変更。
2002年10月21日:「みどり」が1往復増発され、16往復になる。以後、現在まで本数面ではこの体制が続いている。 この1往復は博多駅 - 肥前山口駅・佐賀駅間で運転されていた「かもめ」101・104号を佐世保駅発着に変更の上で「みどり」に編入したもので、延長区間は毎日運転の臨時列車扱いとした。なお、この時点では号数は変更なく、101・104号には885系電車を充当したため、一部からは「白いみどり」と呼ばれた。
2003年3月:885系は撤退。再び全列車783系「ハイパーサルーン」での運転に戻る
2004年4月 - 5月:有田陶器市臨時「みどり」の一部に787系電車使用開始。ちなみに佐世保線の早岐駅 - 佐世保駅間に787系の営業列車が入線したのはこれが初めて(なお、肥前山口駅 - 早岐駅間については2000年10月に、「ハウステンボス」81・82号として入線している)。
以上、Wikipediaの記事を参考に纏めております。
鉄道ファン的には仙台運転所に配属されていたクロが方向転換され、それまでは偶数向き先頭から奇数向き先頭になったことが大変興味深かったです。
そもそもクロ481は奥羽本線の気動車特急「やまばと」を1968年に電車化する際に、
•奥羽本線板谷峠急勾配区間で自力走行のためM:T比2:1以上の確保
•磐越西線でのホーム有効長問題から食堂車と1等車を同時連結の上で9両化
のふたつの条件をクリアするために、生まれたTscで0番台が1~5、マイナーチェンジ版の100番台が101~104、さらに編成を上野方先頭車クロに統一する関係で不足分を補うためサロ481からの改造した51~57となっています。
改造前後の番号対応: サロ481-19 - 25→クロ481-51 - 57
オリジナルの1番 博多
サロから改造の51 小倉
車輌配置表によると1977年3月末の時点で、クロ481 1, 2, 51~57 が門ミフに配置されていました。
1977年3月の旅行では肥前山口より先に行っていないので、みどりの4連運転の姿は撮影してません。
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