1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 6 九州内電車特急「にちりん」part1
前回は気動車特急としての「にちりん」の歴史を見てきましたが、今回は電車特急としての「にちりん」のその後です。
1982年11月15日:東北新幹線・上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により九州各線での昼行電車急行列車を廃止し、東北新幹線開業により余剰となった485系電車を用いて特急列車化がなされる。これにより「日南」は夜行列車1往復を残し、すべて「にちりん」に格上げされる。
1984年2月1日:583系による「にちりん」を終了し、全列車485系電車による運転となる。
1985年3月 : 485系ボンネット形先頭車にもイラストマーク採用。イラストの濃さが特に濃いものも有り、太陽の赤い部分が目立って大きく見えたマークも存在した。
1990年3月10日:このときのダイヤ改正に伴い、「にちりん」の運行系統を以下のように変更。 1.大分駅発着系統の一部において783系電車「ハイパーサルーン」の使用を開始し、当該列車の愛称を「ハイパーにちりん」とする。 2.宮崎駅発着列車全てを南宮崎駅まで運行区間を延長。
1993年3月18日:このときのダイヤ改正に伴い、「にちりん」の南宮崎駅発着系統のうち2往復において787系電車を使用し、当該列車の愛称を「にちりんシーガイア」に変更、ビュッフェ営業も行われたので19年振りに「にちりん」に供食設備が復活する。「日南」を特急に昇格し、「ドリームにちりん」として787系電車による運転開始。運行区間を博多駅 - 南宮崎駅間とする。 なお、改正後も「日南」は臨時列車として1年余り運行した。
1995年4月20日:ダイヤ改正に伴い、「にちりん」の西鹿児島駅発着系統を宮崎駅・南宮崎駅で分割、同じ区間を運行していた快速「錦江」を統合する形で、宮崎駅 - 西鹿児島駅間に「きりしま」を新設。883系電車を「にちりん」の大分駅発着列車の一部に使用し、「ソニックにちりん」に変更。 3.「ハイパーにちりん」を「にちりん」に統合。 4.門司港駅発「つばめ」の時刻を繰り下げ、門司港駅 - 博多駅間にこれまで「つばめ」のダイヤを踏襲する形で「にちりん」101号を設定。
この時期、「にちりん」には485系電車・783系電車・787系電車・883系電車の4種類の車両が使われていた。
1996年3月16日:「にちりん」の783系電車は一旦運用を終了。 7月18日:「にちりん」「にちりんシーガイア」が宮崎空港線開業に伴い、南宮崎駅発着系統の一部を宮崎空港駅発着に変更。
2000年3月11日:ダイヤ改正に伴い、大分駅以南の利用不振のため、「にちりん」の南宮崎駅・宮崎空港駅発着系統を削減、南延岡駅発着系統を廃止。「にちりん」全体としては11往復から6往復に削減。「ソニック」を増発し、佐伯駅発着系統を新設。「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」の使用車両を783系電車に変更。同系列は本列車に復帰するが、ビュッフェ営業が廃止。
2001年3月3日:このときのダイヤ改正により、「にちりん」の全列車の運行区間を小倉駅 - 南宮崎駅・宮崎空港駅間に短縮し、一部列車において783系電車による運転開始。これにより、485系電車は臨時列車を除き博多駅への乗り入れがなくなる。 車両変更での乗車率激減で「にちりんシーガイア」1往復削減。
2005年4月1日:「にちりん」「にちりんシーガイア」車内販売を中止。 10月1日:寝台特急「彗星」の廃止により、別府駅 - 宮崎空港駅間に「にちりん」を1往復増発(小倉駅・別府駅 - 南宮崎駅・宮崎空港駅間は計12往復)。
2011年3月12日:ダイヤ改正により 1.「にちりん」の使用車両を787系・783系に変更。「にちりん」の宮崎空港駅発着の1往復を下りは小倉駅始発、上りは博多駅行きに延長の上、上りに関しては「にちりんシーガイア」に列車名変更。これにより「にちりん」は中津駅発着列車も含めて下り13本・上り12本、「にちりんシーガイア」は下り1本・上り2本の運行となる。「にちりんシーガイア」の使用車両は従来からの1往復が783系、増発分の上り1本は787系。 これにより「にちりん」の小倉駅乗り入れが3年ぶりに、及び「にちりんシーガイア」への787系充当が11年ぶりに復活。3.「ドリームにちりん」廃止。これにより、JR九州管内から定期夜行列車が消滅。 4.別府駅発着列車は2往復を残して大分駅発着に変更。
(以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました)。
国鉄時代の車輌の変遷はなんとかついていけますが、JR化後の車輌はJR九州の場合、それぞれの特急車両がつばめ、かもめ、ソニックといったイメージが濃いだけに別の名称の特急に使用されると違和感があります。
1977年3月の旅行で撮影した電車特急「にちりん」の写真を数枚アップします。同じときに撮った「有明」の写真(明日アップ)に較べると「にちりん」のクハ481の姿はまだオリジナルの形態を維持しているように感じます。当時、鹿カコに0番台ボンネットタイプが集結し、門ミフに200番台貫通型が集結していました。どちらもサロ2両組み込みの11連で大ムコ時代のスタイルが維持されていました。
481系のオリジナルスタイルを保った赤スカートのにちりん 1977/3/18 小倉
こちらは白スカートのにちりん 1977/3/18 小倉
門ミフの200番台 貫通タイプのクハ 博多
連結器周りはWikipediaにも書かれていますが、
青森配置車の203・204・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり、1976年に撤去されている。
とのことですが、この写真を撮ったのは1977年3月18日ですので、機能は既に無かったのかも知れません。盛アオ時代の写真もはつかり、いなほ、やまびこなどで撮っていますので、後日アップします。
本来、自動解結装置付きクハは後日、アップ予定の「かもめ」「みどり」の併結対応編成のクハとしているべきだと思いますが、「にちりん」用の11連のクハで先頭に立っていたと言うことは既に機能が使われていなかったことを意味していますね。
1974/10/1の九州一周旅行の際にすれ違った-100番台 にちりん
なんとも不細工な写真で恐縮ですが、今から思うとこの写真は結構貴重で、100番台のクハが「にちりん」に使われたのは1975年3月のダイヤ改正までで、それ以降は100番台のクハがにちりんを担当したことは無かったと思います。というのは100番台のクハは仙台か向日町に限定で配属されていたからです。
この後、1985年頃からは、「有明」「にちりん」の先頭車は、奇数方向にクモハ485、偶数方向にクロ480、さらにクロ481から格下げのクハ481-600や181系クハの改造のクハ481-500が加わり、また東北新幹線開業で余剰となった485系特にクハ481-300が加わったため、実に多様な顔を見せるようになります。その辺は、別の回に触れます。
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