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2012年12月 7日 (金)

1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 1 寝台特急「出雲」

今回からは数回に渡って1977年3月の山陰、北九州、瀬野八への撮影旅行を振り返ってみたく思います。

手元に残っている乗車券から、旅程は以下のようでした。
3/14 東京発 寝台特急「出雲」で出雲市へ
3/15 出雲大社 日御碕 玉造温泉駅 山陰線撮影 玉造温泉泊
3/16 特急「おき」で小郡 小倉 福岡へ
3/17 博多駅にて撮影 
3/18 小倉駅にて撮影
3/19 広島へ 瀬野八で撮影 帰京

まず山陰へは東京発のブルートレイン「出雲」を利用しました。当時の「出雲」は京都までEF65 500P牽引、山陰本線内はDD51牽引で客車は1976年10月のダイヤ改正で導入された東京発の寝台特急にとって初めての★★★の二段ハネ客車でした。

1975年3月の改正で24系24形が導入された「はやぶさ」「富士」「出雲」が今度は同時に24系25形化されたものでした。「出雲」は「はやぶさ」「富士」に較べて編成が短く、基本7両、付属5両でした。さらに緩急車オハネフ25は100番台となり、方向転換不能の片渡り構造となり、寝台側客窓のみ上下寸法が小さくなり、付属編成のオハネフも基本編成の最後尾のオハネフと同じ向きに車掌室が来るという変な編成形態でした。

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オハネフ25100番台の「出雲」写真はテールサインが絵柄化された1980/12/8のもの

まずは急行時代からの「出雲」の歴史を振り返って見たく思います。

1951年11月25日:大阪駅 - 大社駅間の準急が、運転区間・列車種別を東京駅 - 大社駅間の急行に変更される(東京駅 - 大社駅間は3両で「せと」と併結運転、大阪駅 - 大社駅間は6両で、大阪駅で増解結)。
12月2日:東京駅 - 大社駅間の急行列車に「いずも」の列車名が付与される。

1954年10月1日:「いずも」の運転区間が、東京駅 - 大社駅・浜田駅間に延長(東京駅 - 大社駅間は3両で「せと」と併結運転、大阪駅 - 大社駅間は6両で、大阪駅で増解結。出雲今市駅 - 浜田駅間は快速列車。)。

1956年11月19日:列車名が「いずも」から「出雲」に改称。急行「せと」との併結を取りやめ、単独運転になる。

1961年3月1日:全区間が急行列車になる。

1961年10月1日のダイヤ改正により、「いずも」の運転区間が東京駅 - 大社駅間に変更され、京都駅 - 福知山駅間は福知山線経由から山陰本線経由に変更。 東海道本線では東京駅 → 名古屋駅間で南紀観光団体専用列車を、京都駅 → 東京駅間で寝台急行「金星」と併結運転。

東海道新幹線開通直前の1964年夏の萩への帰省で、往きは「雲仙・高千穂」で厚狭まで、厚狭から美祢線で正明市(現、長門市)へ山陰本線で萩へ、復路は浜田から急行「出雲」に乗車し、一日中日本海を眺めながら、ひたすら単調な山陰本線を走り、京都駅で大阪からの「金星」に併結されたのを憶えています。

1964年10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、「出雲」は全区間単独運転になる。この際、編成のほとんどが寝台車と座席指定席の座席車で組成されることとなり、東京駅 - 米子駅間では食堂車も連結された。

1972年3月15日:山陽新幹線新大阪駅 - 岡山駅間の開業によるダイヤ改正により、「出雲」が特急列車になる。車両は20系客車が使用され、食堂車は全区間で連結に変更された。

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回送列車が12番線に入線

Ef65_509
この時代のEF65 500P形出雲運用には両側にHMが装着されていました。

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1975.3,10のダイヤ改正で新設されたEF58(浜)牽引の特急「いなば」「紀伊」

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夕暮れの東京駅12番線における「出雲」牽引機の機回し風景

1975年3月10日:山陽新幹線博多駅延伸に伴うダイヤ改正により、1.「出雲」に24系客車が投入される 2.東京駅 - 米子駅間で寝台特急「いなば」が14系客車で運転開始。急行「銀河」1往復が廃止され、そのダイヤが使用された。

20
ピンボケ写真ですが、20系時代の「出雲」東京駅

14系7連を2本併結したスタイルで大阪方に「いなば」東京方に「紀伊」編成が連結されていました。

1976年10月1日:ダイヤ改正により「出雲」が24系24形客車から24系25形に置き換え。「はやぶさ」「富士」とともに東京駅発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。1人用個室A寝台も同時に連結開始。

14_7603東京駅に到着した「いなば」14系客車

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EF65538以下銀帯の客車が連なる「出雲」

1978年1月:食堂車を浜田駅までの本編成から出雲市駅までの付属編成へと変更。10月2日:ダイヤ改正により「いなば」が東京駅 - 出雲市駅間に延長され「出雲」3号・2号に、「出雲」は1号・4号にそれぞれ改称。

14_790706「いなば」から「出雲」へテールサインも絵柄に 1979/7/6 東京

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Ef65_1096_000000_3
1978年8月頃から「出雲」の牽引機も新製のEF65 1000番台PF(1096)に交替

1980年10月:「出雲」2号・3号の東京駅 - 京都駅間牽引機が、EF65形に置き換えられる。

1984年2月1日:ダイヤ改正により「紀伊」が廃止され、「出雲」2・3号は単独運転になり、食堂車とB寝台1両が外されて8両編成になる。なお、外された食堂車は「はやぶさ」の「ロビーカー」の種車として使用された。 また時期を並行し、使用する14系B寝台車を2段化改造、約半年後に完了。

1986年11月1日:国鉄分割民営化に先立って行われたダイヤ改正により、「出雲」2号・3号の車両受持ちが品川運転所から出雲運転区に変更。

1987年4月1日:国鉄分割民営化に伴い、「出雲」1・4号はJR東日本が、「出雲」2・3号はJR西日本が管轄する共同運行列車になる。

1989年:「出雲」2・3号に3段式B寝台車が1両のみ復活。前年に現れた高速バスに価格対抗した「出雲B3きっぷ」が山陰側で発売されるのに合わせたもの。

1991年3月:「出雲」2・3号にB寝台個室は1人用B寝台個室「シングルツイン」、2人用B寝台個室「ツイン」を連結。なお、A寝台は開放式から1人用A寝台個室「シングルデラックス」へ変更。6月1日:「出雲」1・4号の食堂車が営業を休止して売店営業に差し替える。

1993年9月1日:山陰本線園部駅 - 福知山駅間電化・高速化工事に伴い、下り「出雲」1号のみ伯備線経由に変更。

1994年12月3日:品川運転所の車両無配置化に伴い「出雲」1号・4号の受持ちが尾久客車区(現在の尾久車両センター)に変更。

1995年1月17日 - 3月31日:阪神・淡路大震災により「出雲」1・4号の運転を取りやめ。これによって使用されない機関車は「なは」「あかつき」の迂回運転用に捻出。4月1日 - 4月16日:「出雲」2号は「出雲」4号の時刻で運転。臨時列車「出雲」84号は「出雲」2号の時刻で運転される。12月1日:「出雲」1号が元の山陰本線経由に変更。

1998年7月10日285系電車の投入により、 1.「出雲」2・3号は285系電車投入の上で、山陽本線・伯備線経由の「サンライズ出雲」に変更。東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ瀬戸」と併結。2.「出雲」1・4号は出雲市駅 - 浜田駅間の運行を終了の上で号数表記を廃止。列車番号を初めて東京対九州寝台特急群と同じ下り出発順に番号を改めた。

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285系によって今日も定期運行される「サンライズ出雲」(写真は回送列車)

2005年3月1日:「出雲」の東京駅 - 松江駅間で行われていたブルトレ便が廃止。

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金帯のカニ24100が品川で285系と並ぶブルトレ出雲最晩年の光景
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EF65 1113号機が牽引して終着東京を目指す 最晩年の光景 2004/5/30 浜松町にて

2006年3月18日:ダイヤ改正により 1.「出雲」が廃止。2.「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」の停車駅に上郡駅を追加。 3.鳥取駅 - 米子駅間については「出雲」の時間帯に「スーパーまつかぜ」が1往復増発。

(以上、Wikipediaの出雲に関する記述を参考に纏めました)。

さて、1977年3月の旅での写真ですが、いずれも夜が明けてからの「出雲」の最後尾からの展望で写した列車交換風景です。
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米子手前で上り「あさしお1号」と交換

当時、「あさしお」は4往復運行されており、1往復だけが米子まで来ていました。
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揖屋付近?における上り「やくも1号」2030Dとの交換 

日本の鉄道にしては通行方向が逆ですが、時間帯からやくも1号であることは間違いありません。

出雲市まで乗車した後、出雲大社に参拝し、日御碕等も観光して、その晩は玉造温泉に泊まりました。

尚、私の記事では「出雲」の乗車に関する記録はほとんどありませんが、

http://ef58.info/tokushu-top.html のサイトに同じ頃、1976年8月に乗車された記事ならびに出雲の紹介記事や素晴らしいお写真があります。是非、訪れてみて下さい。

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