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2013年1月20日 (日)

1981/11 北陸へ 2 EF81 その12 407, 408, 411号機

EF81の400番台シリーズ、今回は私が写した残りの407, 408, 411の3機を一気にゆきたく思います。

407号機は、42号機として昭和46年度第2次債務で発注され、日立製作所で製造され、1972年5月に落成しました。新製配置は酒田区の施設完成までは長岡区で新製配置以降の履歴は401, 402号機に改造された40,41号機と同じです。

408号機は、49号機として同じ昭和46年度第2次債務で発注され、日立製作所で製造され、1972年7月に落成しました。新製配置は酒田区で1985年4月には田端区に転属となり、1986年10月末には門司区に転属となっています。田端区時代は私もつくばに来たての頃で、1985年3月から9月まで開催されたつくば万博の際にエキスポライナーを牽引する姿を撮影していました。

両機は1986年12月3日付けで400番台に改造されました。その後、長いこと門司区で活躍しましたが、1992年10月、相次いで富山に転属になりました。408号機はJR貨物が試験的に行ったブルー系の塗装を纏ったこともあり、1994年6月に鷹取工場に入場するまでこの塗装でした。408号機は1994年10月に門司区に戻り、407号機は1996年2月に門司区に戻りました。

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2004/10/16 スペースワールドを通過する在りし日の407号機、助手席側の窓には冷風装置搭載改造でユニークなルーバーが見えました。407号機の現役時代の写真はこの一枚です。

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407号機は2010年7月14日の夕刻、鳥栖ターミナルに停車中に突然出火事故を起こし、約1時間半後に鎮火しましたが制御装置等を消失し、そのまま廃車となりました。

同機の火事を伝えるニュースは佐賀新聞のサイトにあります。

同年8月九州を訪れた際に鳥栖駅を発車した電車の中から偶然、解体中のEF81を観てこの写真を撮影しました。最初は事故のことを知らなかったのですが、あとで407号機の姿であったことを知りました。
Ef81_408_981106_2
400番台と単機重連で門司を通過する408号機です。1998/11/6

Ef81_408_051209_6450番台と重連で関門トンネルに入る408号機 2005/12/9

411号機は52号機として同じく昭和46年度第2次債務で発注され、日立製作所で製造され、1972年8月に落成し、酒田区に配属となりました。1985年3月に長岡区に転属、5月には田端区に移動、1986年11月に大分区に移動、1987年2月10日に53号機とともに重連総括改造され、411,412号機となりました。

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2007/12/7 下関でのショットです。411号機はJR九州、旅客会社の機関車になったので単機で寝台特急の本州~九州間の橋渡しをする仕事に従事しました。そのため、他のJR貨物の機関車と違って重連仕業がないため2エンドのジャンパ栓周りがすっきりしています。

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2007/12/18 寝台特急「はやぶさ・富士」を牽引して門司に到着した411号機です。本州側のEF66や九州側のED76にはHMが装着されていましたが、中を取り持つEF81 400番台のHMは最晩年は省略されていました。

写真はありませんが、409、410、412、413号機は50, 51, 53、54号機として昭和46年度第2次債務で発注、日立製作所で製造され、1972年7月から8月にかけて落成し、酒田区に配属になり、1985年に長岡区に移動、同年田端区に移動の後、1986年大分区に移動になっています。50、51号機は1986年12月27日に、小倉工場で改造され409、410号機に改番されています。414号機は75号機として昭和48年度民有で発注され、日立製作所で製造、1973年7月に落成し、酒田区に新製配置されました。1978年に内郷区に転属、6年後の1984年田端区に移動、1986年大分区に移動し、1987年3月18日付けで54号機とともに413、414号機に改造、改番されています。

これでEF81 400番台シリーズは終わりますが、400番台は若番の40番台から、後期のクルマまでいろいろな年代の車輌が種車となって改造されています。400番台として運用する際に不都合が無いように改造の際にこの辺の違いも統一されたようです。さらに14両の改造種車はすべて日立製作所の製造であることも分かりました。

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コメント

クハ415-1901さん、こんにちは。
EF81の400番台のアルバムを楽しく拝見しています。
400番台という数字は鉄道車両の中では珍しいのではないでしょうか。

私はこの400番台に(はやぶさ 富士)の撮影で一度、
そして2008年夏の直江津行きのとき一度鯨波で遭遇しています。

私にとって交直流機はなじみが薄く、
このEF81のピンクの車両が交直流機の中では一番頼もしく、一番見慣れた存在です。
グリーンの碍子が気に入っています。

やぶお さま、おはようございます。

>400番台という数字は鉄道車両の中では珍しいのではないでしょうか。

そうですね。私も他に何があったか、すぐには思い浮かびません。同じ関門用に後で作られた450番台というのがありますが、ネットで調べるとJR九州のキハ125とか、JR北海道のキハ40に400番台があるようですが、すぐにどんなタイプと言われても分かりませんね。300番台があったから、400番台にしたのでしょうけれど、普通だったら500番台に跳んでしまいそうですね。

EF81は私も、交直流機のEF65と思えるほど、信頼性の高い機関車だと思います。そして、できるだけこれからも長く活躍して貰いたいものですね。

408号機はJR貨物試験塗装であったこともあり、同色のED76-37やED76-1019同様に好きなカマでした。
富山に転属し、地元大阪でも見ることができるようになりキハ125形の甲種輸送や吹田機関区撮影会で撮影できたときは嬉しかったですね。

しっぽ屋 さま、おはようございます。

コメントありがとうございます。

私はちょうどあの頃、ご承知のように旅客機に嵌っており、鉄からご無沙汰しておりました。JRFの試験塗装機も長く残ったEF651059は写せましたが、あとはすべて逃がしています。

今から思うと、今回の北陸の485/489系もそうですが、編成が短くなって、改造が増えてきて、訳の分からないジョイフルトレインなどが全国に出てきて、国鉄らしさが無くなってゆき、そして世の中がバブル時代で浮かれ出した頃、鉄道から飛行機に趣向が変わったのだと思います。

後から振り返ると、2001年頃復帰したときは空白というか疎鉄の10年と感じましたが。

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