1974, 1975 北海道へ 1 プロローグ
大学のクラブ活動で私は化学部に所属し、1,2年生の夏休みに北海道の中学校に理科実験の指導に行くという伝統行事に参加致しました。毎年4月頃から北海道東京事務所を通じて、訪問先の学校を紹介して貰い、東京から実験器具、試薬、指導のためのテキスト、そして宿泊のための食料、寝袋等を持参し、現地の中学校に赴き、そこで宿泊させて貰いながら、「気体発生の実験」、「電気分解の実験」などを行い、現地の中学生,教職員の方々と交流を深めるという内容でした。1年の夏(1974年)は道北の羽幌と天塩有明(初山別村)の中学校を、2年の夏(1975年)は道東の中標津と羅臼の中学校を訪問致しました。
羽幌線自身が1987年3月30日に廃線となってしまい、今はもう見ることが出来ない天塩有明の駅名標。当時も無人駅でした。 1974/8
北海道までどうやって行ったかですが、1年目は伝統に従って、上野から急行「八甲田」~青函連絡船~急行「宗谷」と乗り継ぎ、札幌で一旦下車し、定山渓に宿泊後、翌日、急行「天北」で深川から留萌線、留萌から今は廃線となってしまった羽幌線で羽幌に向かいました。2年目は、”時間もかかることだから特急を使ってみようか”と言うことで(今なら疑問の余地無く飛行機ですが)、上野から特急「はつかり5号 」1M~青函連絡船1便~特急「おおぞら1号」1Dのオール1の接続で釧路まで行き(まだ、石勝線は開通しておらず、滝川回りのルートでした)、厚岸のユースホステルに宿泊後、根室本線で厚床、厚床から廃止された標津線厚床支線で中標津といったルートでした。いずれも乗車券は北海道周遊券でした。
当時の時刻表から列車と時刻を割り出してみると、
1974年夏の往路
上野19:09-(急行「八甲田」101レ)-青森6:15/7:30-(連絡船5便)-函館11:20/11:50-(急行「宗谷」305D)-<函館本線山線経由>-札幌16:30
札幌10:35-(急行「天北」303D)-深川12:03/13:05-735D-14:26留萌15:54-1825D-17:23- 羽幌
留萌での接続待ちの間のスナップ 1974/7
こんな悪ふざけも 留萌駅にて 1974/7
当時の留萌本線と羽幌線 (1974年のJTB時刻表から)
1975年夏の往路
上野16:00-(はつかり5号 1M)-青森0:15/0:30-青函連絡船1便-函館4:25/4:45-(おおぞら1号1D)-釧路14:52/15:38-(急行ノサップ2号 415D)-16:30厚岸
厚岸8:01-441レ-9:04厚床10:00-353D-11:10中標津
厚岸からDD51 639号機牽引の441レに乗り込む化学部の一行 1975/7
当時の道東の路線図 (1974年のJTB時刻表から)
2つの中学校での実験指導終了後は現地解散となり、その日のうちに札幌まで戻り、札幌の親戚の家に一泊後、まだ当時は室蘭本線でC57の旅客列車やD51の貨物列車が走っていたので、登別でSL撮影を楽しみました。帰りも連絡船と陸路で帰ったと記憶しています。
さらに1975年の秋休みには高校時代からの友人、男3人の旅で再度、北海道旅行を企画し、札幌、支笏湖、大雪山、池田、帯広、襟裳岬、洞爺湖を回る旅をしました。
1975年秋の往路
上野14:48-(みちのく 11M)-青森23:48/0:30-1便-函館4:25/4:50-(北海 11D)-札幌9:20
当時から観光客で賑わった広尾線 幸福駅 1975/10
駅名標にも多くの書き込みが
先日、BS朝日の「鉄道絶景の旅 大自然を満喫!厳寒の北海道横断の旅(後編)」で今の幸福駅跡の様子が紹介されていました。
同じ広尾線には忠類なんて名前の駅もありました。 1975/10
広尾線路線図 1974のJTB時刻表から
このときはわざと、夏の1列車ルートとほぼ同じ時間帯の「みちのく」「北海」で札幌に向かいました。以前の記事で1974年3月の函館訪問を記述しましたが、1974年、1975年は2回ずつ北海道旅行を行っていました。以後、出張等で1983年、1991年、1993年、2002年、2003年、2008年、2010年と北海道には行ってますがいずれも飛行機の往復で、ドーバー海峡トンネルは2007年6月にユーロスターで通過しましたが(笑)、1988年に開通した青函トンネルもまだ通過していない状態です。
今回はこれらの北海道旅行で撮影した写真から、キハ82系特急、それに続くDC特急、初めて投入された485系特急「いしかり」、ED76500番台、交流専用電車711系、C57, D51, 9600等のSLたちの登別、岩見沢や追分で活躍の様子、そしてローカルDCの写真等をアップしながら当時の思い出について触れたく思います。
今でも当時の北海道で食べたものとして憶えているのは、羽幌でご馳走になった「甘い赤飯」と中標津の「ジンギスカン鍋」です。関東地方では赤飯の豆は小豆が普通ですが、東北地方の北部から北海道にかけては豆として甘納豆を入れて甘い味にして、紅ショウガなどで着色した赤飯を食べるのが習慣だそうで初めてご馳走になったときはびっくりしましたが、おいしく戴きました。ジンギスカン鍋は今では有名ですが、あの当時、まだ大学1,2年の未成年でしたが、焼酎が一緒に出されて焼酎の強さを知らないで飲んだためにその晩は皆、七転八倒の大騒ぎというか泥酔状態になったのは今でもしっかり記憶しております。秋の友達との旅行で池田の町営ワイン工場の宿に泊まった晩もステーキにはワインが合うとか言って、ワインをかなり飲んで翌日、二日酔いで苦しんだのを憶えています。
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