1976/1 福島へ 1 485系特急 1 「ひばり」 その1
私の東北特急との出会いは1972年10月の上野駅デビューですが、それ以来、東北・上越新幹線の開業(1982/11)に関係して廃止されるまで撮り溜めた写真をご紹介して行こうと思います。中でも、1976年の正月、上野から「ひばり」で福島を訪問し、福島機関区を見学したことは今でも鮮明に記憶しており、そこで撮影した東北の赤い機関車も紹介したく思います。
まず今回は西の特急「雷鳥」と並んで東の横綱と言われた特急「ひばり」です。例によって運転開始からの歴史を見てみましょう。
1961年10月1日 白紙ダイヤ改正により、上野 - 仙台間に不定期特急「ひばり」を新設。キハ82系(尾久客車区6連)を使用し、所要時間4時間53分。 充当車両は「はつかり」用のキハ81系が初期トラブルを頻発させた教訓から、当初は「みどり」と共に運休とし各地の予備車としたため、運転開始は翌年4月からであった。
当時は交直両用の特急形電車は開発中であったことから、走行区間は全線電化区間ながら気動車での運行とした。
当時の尾久客車区の80系気動車の陣容は
DcDsDsTdDDDDDc×2 所要2
はつかり(1)
上野1330-2355青森
青森505-1535上野
DcDsDdDDDc×6 所要5
つばさ(1)、白鳥(1)、ひばり(1)
上野1230-2100秋田
秋田810-1640上野
上野850-2112大阪
大阪805-2035上野
1004D仙台730-1225上野1003D1630-2123仙台
Dc×2 Dc×1 D×6 Ds×2 Td×1 Dd×1
運行開始時のダイヤは仙台から日帰りに便利なダイヤだったのですね。運用的には「ひばり」の運用は「つばさ」「白鳥」とは連続しない運用だったようですね。
「白鳥」用のキハ82系は1963年4月下旬に大ムコに転出しています。
1963年10月 ダイヤ改正に伴い、「ひばり」定期列車に昇格。
DcDsDdDDDDc×3 所要2
つばさ(1)
上野1230-2100秋田
秋田810-1640上野
DcDsDdDDDc×1 所要1
ひばり(1)
仙台730-1225上野1630-2123仙台
1965年10月のダイヤ改正で「ひばり」「やまびこ」が483系で運転されるにあたり、1965年6月から7月にかけて483系が大量に仙センに新製配置されています。
MM' 1~13
Tc 19~28
Ts 19~25
Td 10~14
1965年10月 盛岡電化完成により、「ひばり」…仙台運転所(現・仙台車両センター)に新製配置された交直両用483系特急形電車による運転となり、2往復に増発。
←上野
TcM'MTsTdM'MM'MTc×3 所要2
やまびこ(1)、ひばり(1)
6M 仙台800-1235上野1400-2105盛岡
盛岡850-1600上野1800-2235仙台 5M
TcM'MTsTdM'MTc×2 所要1
ひばり(1)
尾久‥1M上野800-1235仙台1800-2235上野2M‥尾久
1967年10月 ダイヤ改正で「ひばり」1往復と「やまびこ」が東京発着となる。
←上野
TscM'MTdM'MM'M[M'M]Tc×4 所要3
やまびこ(1)、ひばり(2)
M'M×-1
Tc×5 Ts×7 Td×1
1968年10月1日 白紙ダイヤ改正により、「ひばり」5往復に増発。うち1往復は東京発着。上野 - 仙台間を最速3時間53分運行とした。編成を10両編成から9両編成に短縮。
←上野
TscM'MTdM'MM'MTc×10 所要10
やまびこ(1)、ひばり(6)、やまばと(2)、あいづ(1)
M'M×2 Tc×1 Tsc×1 Td×1
1969年3月 「ひばり」季節列車1往復を増発。10月 「ひばり」季節列車を定期列車に格上げで6往復運行。
←上野
TscM'MTdM'MM'MTc×11 所要10(1970.6.21~TscM'MM'MTdM'MTc)
やまびこ(1)、ひばり(6)、やまばと(2)、あいづ(1)
M'M×2 Tc×1 Tsc×1 Td×1
1970年7月 「ひばり」一部列車と「やまびこ」が12両編成となる。同年10月 「ひばり」定期列車7往復となる。 このときにサハ481形1~10が新製配置されています。
←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×5 所要4(臨時+1)
やまびこ(1)(臨時+1)、ひばり(3)
TscM'MM'MTdM'MTc×7 所要6
ひばり(4)、やまばと(2)、あいづ(1)
T×1
1972年3月15日 白紙ダイヤ改正で「ひばり」定期列車9往復、季節列車2往復とする。盛アオの583系も「ひばり」の運用を担当するようになる。1971年から1972年のこの改正にかけて、クハ、クロ481-100番台が投入され、サハ481も14まで新製されています。
←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×13 所要12(臨時+1)
やまびこ(3)(臨時+2)、ひばり(7)、やまばと(3)(臨時+1)
TscM'MM'MTdM'MTc×2 所要2
ひばり(1)、あいづ(1)(臨時+1)
M'M×2 Tc×1 Tsc×1 Td×1 T×1
1972.6 盛アオも「ひばり」を担当に
←上野
TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×3 所要2(臨時+2)
ひばり(3)、やまびこ(臨時2)
M'M×2 Tc×2 Ts×1 Td×1
1972年10月 「「ひばり」は定期列車11往復となり、自由席設置の上でエル特急に指定。この改正の直後、サハ481-1,2はサハ489形に改造のため、大ムコに転出しています。
仙セン
←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×10 所要9(臨時+1)
やまびこ(2)(臨時+2)、ひばり(6)、やまばと(3)(臨時+1)
TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
M'M×2 Tc×1 Tsc×1 T×2
盛アオ
TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
形態的な区別として、上野より先頭車から見てクロ+M'(パンタ)なら仙セン、クハ+サロなら盛アオですね。
今話題の緑の山手線103系も見えますが、上野駅5番線ホームから出発するクハ481 0番台白スカートの特急「ひばり」 1972/10
タイフォンがスカートに装着されていた登場時のスタイルで後年、100番台クハのようにタイフォンはボディに移されました。
上野駅5番線から発着していたのは、東京発の「ひばり」であったからだと思います。1973年10月の新幹線工事のための東京駅発着取りやめで、こういった風景は見られなくなりました。クロ481の0番台か、サロ改造の50番台かと思いますが、すでにタイフォンはボディに移設されています。 1972/10 上野
1973年1月 「ひばり」一部列車にグリーン車1両増結とし13両編成となる。
仙セン
TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc×2 所要2
ひばり(3)
同年4月 新幹線工事に伴い「ひばり」「やまびこ」の東京駅乗入れを中止。
同年10月 「ひばり」定期列車13往復となる。
仙セン
←上野
TscM'MM'MTdTM'MM'MTc×8 所要7
ひばり(4)、やまばと(3)(臨時+1)、ひたち(1)
TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc×2 所要2
ひばり(3)
盛アオ
TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×19 所要16
いなほ(2)、やまびこ(5)(臨時+1.5)、ひばり(5)、はつかり(2)
クハ481-100を先頭にした特急「ひばり」 1979/5/5 尾久
クハ481-101を最後尾にした上り特急「ひばり」 1976/1 福島 当時、仙センにはクハ481-100番台が4両(101~104)が配置されていました。
上野終着を目指して鶯谷を行く特急「ひばり」 常磐線特急「ひたち」も併走しています。
1978年10月2日 ダイヤ改正に伴い、「ひばり」15往復に増発。上野 - 宇都宮間の規格ダイヤ修正により、上野 - 仙台間4時間15分にスピードダウン。583系の間合い運用が終了し、全列車485系による12両編成に統一された。
仙セン
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×15 所要12
ひばり(11)、ひたち(6)
盛アオ
←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)
1980年10月 「ひばり」1往復廃止で14往復運行。
仙セン
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×14 所要11
ひばり(10)、ひたち(6)
盛アオ
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)
新幹線開業を翌年に控え、最後の頑張りを見せていた頃の485系特急「ひばり」 1981/1/31 日暮里
1981年10月 「ひばり」一部列車の食堂車営業休止。
1982年6月 東北新幹線大宮 - 盛岡間暫定開業に伴い、在来線特急列車は新幹線列車へ振替られ、「ひばり」…6往復が「あおば」に振替の形で一部削減。
11月のダイヤ改正までの間宇都宮 - 盛岡間では特急列車削減分の補完から残存する「ひばり」「はつかり」「つばさ」「やまばと」が一部の駅に臨時停車したほか、車両運用の都合から「ひばり」2往復はダイヤ改正を待たず10月中に廃止された。
仙セン
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×7 所要5(1982.11.10からTcM'MM'MTsTM'MM'MTc)
ひばり(3)、ひたち(6)
盛アオ
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要14
白鳥(1)、いなほ(1)、ひばり(5)、はつかり(3)
同年11月15日 ダイヤ改正により、「ひばり」定期列車としては廃止。臨時列車の「ひばり51・52号」が新幹線上野開業まで不定期で運転。
TcM'MM'MTsTM'MM'MTc×10 所要7(臨時+1)
ひたち(12)、ひばり(臨時1)
臨時特急「ひばり」のクハ481-27 同車は0番台クハであるが、ライトがシールドビーム改造され、一見-100番台クハのように見えました。 1984/4/30 上野
クハ481-27は1985/1/27には大ムコに転属しており、「雷鳥」で活躍する姿も撮影しておりました。
1985年3月 東北・上越新幹線上野乗り入れに伴うダイヤ改正により「ゆうづる」「はくつる」「八甲田」・一部の臨時列車・奥羽本線ならびに磐越西線への直通列車を除き上野発着黒磯以北に直通する東北本線昼行列車は全廃。
歴史に関する記事はWikipediaを485系の編成・運用に関してはいつも参考にさせて戴いているhttp://www5.big.or.jp/~hagi/rail/485/help.htmlのサイトの情報を参考にしました。
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コメント
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北陸アルバムの次は(ひばり)でありますか。
連載楽しみにしています。
(ひばり)といえば、お話のようにエル特急の代名詞のような存在・・・
今その愛称がどこにも見当たらないのが残念です。
ボンネットの(ひばり)をたくさんお撮りになっているのですね。
私は東北地方への旅が70年代以降だったため、
貫通型の(ひばり)をよく見かけました。
また583系の列車もありましたね。
おそらく続編で登場するのでしょうね。
投稿: やぶお | 2013年2月 3日 (日) 20時26分
こちらにもコメントありがとうございます。
「ひばり」が今日、全くどこにも復活していないのは不思議ですね。
西の「雷鳥」と並んで東の「ひばり」ですが、面白いことに大ムコの485系と仙センの485系、片や481系で始まり、片や483系で始まっていますが、編成の構成なども随分違うことが調べるにつれて分かってきました.さらに一方は金サワが助太刀し、片方は盛アオが助太刀しています.その辺の関与の仕方も両者を比較すると面白いと思います。
とりあえず第二回はクロ481特集です。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年2月 3日 (日) 22時25分
仙センのボンネット編成で、クハ+サロはあったのでしょうか。もしあったなら、写真を見たいです。
よろしくお願い致します。
投稿: ざおうちゃん | 2019年3月24日 (日) 13時36分
ざおうちゃんさま、はじめまして。
コメントありがとうございます。
私の記憶では、仙センの485系の場合、「ひばり」用の13両編成はクロ+サロでクロは1~からと101~からがクロが長崎・佐世保線に転属するまで頑張っていました。後のグリーン車入の編成は上野寄りではなく、編成中間部にサロが入っていたと思います。
クハ+サロの編成は記憶がありません。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2019年3月25日 (月) 05時50分