1976/1 福島へ 1 485系特急 3 「あいづ」 その1
新幹線開業前の485系東北特急と言えば、仙台系、青森系、そして秋田系に分かれていたと思います。あくまでイメージの世界で仙台系と言えば「ひばり」「ひたち」「やまばと」「あいづ」、青森系と言えば「はつかり」「やまびこ」「いなほ」、秋田系は「つばさ」後に「やまばと」「あいづ」が加わったという感じでしょうか。
今回は、仙台系の「あいづ」に触れたく思います。
我々の世代の「あいづ」と言えばやはり、ボンネットのクロ、クハ先頭ではないかと思います。
まずその歴史ですが、これまでの「ひばり」や「やまばと」の歴史で既に登場しておりますが、その時々のダイヤ、列車編成と併せて見てゆきましょう。今回は上野~会津若松間の特急として1993年11月末に廃止されるまでです。
1955年10月1日:ダイヤ改正により、上野駅 - 仙台駅間に東北本線急行103・104列車「松島」・準急109・110列車・上野駅 - 青森駅間の夜行普通117・118列車の3列車に郡山駅で分割・併合する3等車のみの磐越西線乗入れ車両が連結された。
上野駅 - 会津若松駅間の所要時間は、急行「松島」併結客車が6時間20 - 45分・準急併結客車が6時間45分 - 7時間・夜行普通列車が7時間50分 - 8時間。運転区間は準急109列車併結のみ上野駅 - 喜多方駅間、他は上野駅 - 会津若松駅間。
1958年10月1日:ダイヤ改正により、準急109・110列車に「あぶくま」の愛称が付く。上野駅 - 仙台駅間に急行「吾妻」が1往復増発され、「吾妻」にも上野駅 - 会津若松駅間の客車を併結。この結果、上野駅 - 会津若松駅間直通列車本数は4往復となる。
1959年9月22日:「あぶくま」併結列車の磐越西線区間内を準急格上げし、「ばんだい」の愛称が付く。また仙台方面から磐越西線に乗入れる準急「あがの」「あいづ」を新設。 「ばんだい」は上野駅 - 喜多方駅間1往復、「あがの」は仙台駅 - 新潟駅間2往復、「あいづ」は仙台駅 - 喜多方駅間1往復の運行。
「あいづ」の名称のルーツは上野発の列車ではなく、仙台発の列車だったのですね。
1965年10月1日:ダイヤ改正により、キハ82系により上野駅 - 山形駅・会津若松駅間に特急「やまばと」運転開始(上野駅 - 郡山駅間併結)。 当時は山形駅発着列車と区別するため「会津やまばと」とも称され、ヘッドマークには「やまばと」の上に小さく「会津」と記された。準急「あいづ」の運転区間を仙台駅 - 喜多方駅・会津線会津田島駅・会津川口駅(1967年から季節列車として只見駅まで延長)間に変更。
昨日書いたように、上野~山形間の「やまばと」は1964年10月に登場しておりました。
尾久客車区の体制は1964.10の時点で
DcDsDdDDDDc×5 所要4
つばさ(1)、やまばと(1)
上野1230-2100秋田
秋田810-1650上野
上野945-1517山形1610-2140上野
上野1230-2000盛岡/盛岡905-1650上野(隔日運用 1運用は盛岡車)
1965.10に会津若松運用が始まると、山形運転所に移管となり、
DcDsDDDDc×2 所要2
やまばと(1)
山形835-1410上野1500-1914会津若松
会津若松945-1410上野1500-2029山形
Dc×2 D×2 Ds×1
1966年3月5日:準急行料金制度の変更に伴い、準急「ひばら」「あがの」「あいづ」が急行列車に昇格。運行経路はともに変わらず。
1966年10月の時点で
DcDsDDDDc×2 所要2
やまばと(1×2)
山形835-1410上野1500-1916会津若松
会津若松945-1410上野1500-2029山形
Dc×2 D×2 Ds×1
山形運転所に配置されていたキハ80系ですが、1968.9に
キハ80 155~161 函館へ 162 向日町へ
キハ82 82~85 向日町へ 86, 87 函館へ
キロ80 50 向日町へ 51, 52 函館へ
に転出しています。
1968年10月1日:ダイヤ改正に伴い、 上野駅 - 会津若松駅間の特急「やまばと」を特急「あいづ」に名称を変更し、上野駅 - 山形駅間運行の「やまばと」と分離して全区間での単独運転を開始。「あいづ」は仙台運転所所属の483系・485系電車を投入。仙台駅発着急行列車の愛称を「あいづ」から「いなわしろ」に変更。
TscM'MTdM'MM'MTc×10 所要10
やまびこ(1)、ひばり(6)、やまばと(2)、あいづ(1)
M'M×2 Tc×1 Tsc×1 Td×1
1013M 上野 14:15 => 会津若松 17:50
1014M 会津若松 10:35 => 上野 14:10
同年の6月から、クロ481は編成に組み込まれていましたが、特急「あいづ」の運用のために仙センの483/5系全体が9連というミニ編成になった改正でありました。
1969.10の時点以降から、食堂車の連結位置が変更となり、
TscM'MTdM'MM'MTc×11 所要10(1970.6.21~TscM'MM'MTdM'MTc)
やまびこ(1)、ひばり(6)、やまばと(2)、あいづ(1)
M'M×2 Tc×1 Tsc×1 Td×1
1970.7.1で、仙センの483/5系は2通りの編成パターンに分離されます(2012/2/3の記事参照)。
TscM'MM'MTdM'MTc×7 所要6
ひばり(4)、やまばと(2)、あいづ(1)
「あいづ」は当然、9連組の運用となりました。
1970.10.1の改正では、深夜、早朝に上野~会津若松を1往復する臨時が設定されたようです。
TscM'MM'MTdM'MTc×3 所要2
ひばり(1)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台900-1258上野1415-1750会津若松1915-2259上野
上野550-947会津若松1035-1410上野1500-1858仙台
共通運用の特急「ひばり」はまさに編成を仙台から上野に送り込む、返すための運用の様ですね。
1972.3.15の改正では
TscM'MM'MTdM'MTc×2 所要2
ひばり(1)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台710-1104上野1405-1740会津若松1925-2258上野
上野625-1001会津若松1036-1409上野1500-1857仙台
時刻が若干変わっています。
1972.6.15では、9連編成を利用した臨時特急「ひたち」の運用が加わります。
TscM'MM'MTdM'MTc×4 所要2(臨時+1)
ひばり(1)、あいづ(1)(臨時+1)、ひたち(臨時2)
仙台710-1104上野1405-1740会津若松1925-2258上野
上野625-1001会津若松1036-1409上野1500-1857仙台
上野717-1002平1022-1305上野1327-1610平1732-2213上野
(参考)
この頃既に特急「ひたち」は秋田運転所所属のキハ81系で運用されていました。
DcDDcDsDdDDDDc×2 所要2
いなほ(1)、ひたち(1)
秋田935-1739上野1810-2053平
平644-934東京‥上野1430-2230秋田
1972.10 ダイヤ改正でキハ81系一族は「くろしお」で働くため和歌山に転属となり、仙センの483/5系9連には一気に5往復の特急「ひたち」運用が加わります。
TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台640-1125上野1200-1434平1457-1733上野1800-2146原ノ町
原ノ町540-934東京‥上野1000-1343原ノ町1540-1924上野2003-2246平
平1047-1325上野1405-1740会津若松1925-2258上野
上野625-1001会津若松1036-1409上野1600-2041仙台
特急「あいづ」の送り込みも特急「ひたち」の担当となりました。特急「ひたち」の上り1本は東京に乗り入れています。
上野駅高架6番線ホームに停車中の特急「あいづ」 クロ481-100
「あいづ」用の編成は御徒町付近の電留線で休むシーンがよく見られました。そのため、高架ホームに発着していたのかも知れません。
こちらはクロ481-100ですが、まさに485系展示場と言った雰囲気でした。
1973.4.1 では
TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台640-1125上野1200-1434平1457-1733上野1800-2146原ノ町
原ノ町540-925上野1000-1343原ノ町1540-1924上野2003-2246平
平1047-1325上野1405-1740会津若松1925-2258上野
上野625-1001会津若松1036-1409上野1600-2041仙台
新幹線工事で特急「ひたち」の東京乗り入れはなくなりました。
1973.10.1では
TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台640-1120上野1200-1431平1502-1733上野1800-2142原ノ町
原ノ町540-920上野1000-1338原ノ町1540-1920上野2003-2242平
平1047-1323上野1404-1739会津若松1840-2215上野
上野604-937会津若松1036-1414上野1600-2041仙台
若干の時刻変更がありました。
1974.4.1では特急「ひたち」の混雑のためか、12連グループに運用が一部移っています。
TscM'MM'MTdM'MTc×3 所要3
ひたち(3)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台640-1120上野1200-1431平1502-1733上野1800-2142原ノ町
原ノ町938-1323上野1404-1739会津若松1840-2215上野
上野604-937会津若松1036-1414上野1600-2041仙台
1975.3.10の改正では特急「あいづ」の臨時運用がなくなり、
TscM'MM'MTdM'MTc×3 所要3
ひたち(3)、あいづ(1)
仙台640-1120上野1200-1431平1501-1732上野1800-2143原ノ町
原ノ町838-1220上野1404-1739会津若松
会津若松1036-1414上野1600-2041仙台
1978年10月2日:この日のダイヤ改正で「あいづ」食堂車連結廃止。サシ481形に代わりサハ481形100番台を連結し座席数を増強。
TscM'MTM'MM'MTc×6 所要4(臨時+1)
ひたち(5)、あいづ(1)、ひばり(臨時1.5)
休
仙台635-1120上野1200-1435平1544-1820上野1900-2244原ノ町
原ノ町835-1218上野1303-1655会津若松
会津若松1020-1410上野1500-1735平1814-2050上野‥東大宮
東大宮‥上野941-1215平1245-1519上野1600-2045仙台
上野600-1015仙台1425-1843上野/仙台1852-2310上野
<サハ481-100について>
サハ481-100は元々北陸特急や九州特急の編成増強のために1976年に近畿車輛と日立製作所で101~118の18両が製造されました。出入り台の客室よりに車販準備室を配置し、同部分の側窓を下降窓に変更しています。客室の座席は簡易リクライニグシートを装備し、定員は8名少ない64名となっています。MG,CPは装備していませんが、準備工事はされていました。大ムコに101~113、門ミフに114~118が新製配置され、(2012/1/23の記事)、今回、仙センの座席数増強のためにサハ481-101~107が1978.6~7にかけて仙センに転入しています。後年、仙センの101~107と門ミフの112~118にMG,CPが取り付けられました。
1984年1985年には「雷鳥」の食堂車廃止に対するMG、CP供給車として再び大ムコに集められましたが、1986年11月の編成短縮化で編成から外されました。それ以降は編成短縮で必要となる先頭車の種車となりました。(追記)クハ182、クハ183、クハ188形などに改造されていますが、それは2013年6月23日の記事で纏めました。
この写真からは判別は難しいですが、食堂車の連結が廃止され、クロ付きの意義もなくなった頃、1980/11/15の特急「あいづ」の姿です。
それまで仙台方のクハもボンネット固定のような感じだった「あいづ」の編成に-200貫通型のクハが登場して驚きました。 1982/1/9 上野・川口
1982年11月15日:東北新幹線開業によるダイヤ改正で 特急「あいづ」充当車両を仙台運転所から南秋田運転所(現・秋田車両センター)に移管。
TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8(臨時+1)
つばさ(5)(臨時+1)、やまばと(1.5)(臨時+1)、あいづ(1)
秋田827-1624上野1820-2304山形
山形741-1236上野1320-1706会津若松
会津若松1040-1424上野1520-2006山形
山形753-1117秋田1155-1633福島1743-2223秋田
秋田555-1033福島1112-1233山形1250-1415福島1443-1925秋田
秋田1302-2124上野‥東大宮
東大宮‥上野720-1515秋田1625-2103福島
福島843-1318秋田
秋田1000-1743大宮/上野1150-2000秋田
既に485系も9両編成が長い方の時代になっており、秋アキの主力グループの運用の一部に組み込まれました。
1985.3.14の改正では
TcM'MM'MTsM'MTc×4 所要3
つばさ(2)、あいづ(1)
休
秋田836-1311福島1524-1958秋田
秋田607-1403上野1437-1822会津若松
会津若松936-1324上野1504-2257秋田
「あいづ」の前後の送り込み列車が「つばさ」になりました。
秋アキの485系1000番台の運用となって、非貫通クハも登場し、すっかりイメージが変わってしまった特急「あいづ」 1985/4/29 上野
1986.11.1の時点ではますますシンプルになり、
TcM'MM'MTsM'MTc×4 所要2
つばさ(1)、あいづ(1)
休
秋田610-1358上野1438-1817会津若松
会津若松932-1311上野1509-2255秋田
1992年7月1日:特急「あいづ」山形新幹線開業に伴い送り込み列車である在来線特急「つばさ」が廃止されたため、勝田電車区(現・勝田車両センター)に移管し7両編成に短縮。
TcM'MTsM'MTc×3 所要2
ひたち(1)、あいづ(1)
勝田933-1104上野1515-1859会津若松
会津若松936-1313上野1530-1657勝田
1993年11月30日:「あいづ」廃止。 (続きは明日の記事で)
以上、テキストの大半はWikipediaの関係記事をもとに纏めております。
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