1976/1 福島へ 3 赤い交流機関車たち 1 ED71
今回から交流電気機関車に参ります。
1976年当時、東北地方にはED71, ED75、ED77, ED78, EF71など多くの種類の交流電気機関車が活躍しておりました。1976年1月の旅はそういった機関車に逢うために福島機関区訪問をメインターゲットにしたものでした。ED77だけは会津若松運転区に常駐でしたので、郡山駅で撮影しました。あの当時は機関区を訪問して、名前と住所を記帳したら快く見学を許された時代でした。
今回はED71です。
福島機関区で正月休みのED71 1号機(試作1号機) 1976/1/2 機関区内での写真はすべて許可を得て撮影したものです。
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ED71 1 データ
ED711 日立製作所水戸工場=192231-1 1959-03-15 E64tBB(1067)
車歴;1959-03-15 製造→ 納入;国鉄;ED711→ 配属[達3];東北支社(関東支社?)→
1959-04-20 配置;福島二→1959-04-20(4/18?)借入;白河→1960-02-01 返却→1976-12-13 廃車;福島二→ 保管;福島県JR 東日本福島機関区;ED711→
保存;宮城県利府町「JR 東日本利府駅」;ED711→
移管保存;宮城県利府町「仙台総合車両センター」;ED711
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1959年7月1日に東北本線黒磯 - 白河間電化が完成致しました。周波数50Hz方式の交流電化であり、東北本線の輸送単位を勘案し、25‰勾配区間において単機で1,000t、重連で1,200tの貨物列車を牽引可能な性能を有する交流機関車が開発目標となりました。
出力1,500kW級のED70形では不十分で、出力2,000kW級の大出力交流電気機関車を新たに開発する必要が生じ、技術的検証を要する面があり、まず1959年に昭和33年度本予算による試作機3両が製造されました。
前面はまさしくED60、ED61、EF30などと兄弟の似た顔です。 47号機 福島機関区 1976/1/2
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ED71 47 データ
ED7147 日立製作所水戸工場=193331-3 1962-09-22 E64tBB(1067)
車歴;1962-09-22 製造→ 納入;国鉄;ED7147→ 配属[達13];東北支社(関東支社?)→
1962-09-22 配置;福島二→1981-07-20 廃車;福島二
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前面は重連総括制御を考慮して貫通型となり、同時期に製造されたED60形やED61形を踏襲したデザインですが、機器構成が根本的に異なる直流機との差異が車体にも表れており、「田」の字形に配置された側面のルーバーが外観の特徴となっています。
側面の田の字ルーバーが特異的な1次形の36号機 福島機関区 1976/1/2
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ED71 36 データ
ED7136 日立製作所水戸工場=192671-4 1961-03-01 E64tBB(1067)
車歴;1961-03-01 製造→ 納入;国鉄;ED7136→ 配属[達285];東北支社(関東支社?)→
1961-03-01 配置;福島二→1980-12-26 廃車;福島二
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55両が製造され、試作車グループの1 - 3、量産車1次形グループの4 - 44、量産車2次形グループの45 - 55に大別されます。
<試作機>
基本設計はED70形の実績を踏まえて国鉄が行ったが、変圧・整流系回路については製造メーカー毎に差異を設けて比較することとなり、4社3グループ間でそれぞれ1両の計3両が1959年4月に製造されました。
駆動方式はクイル式で、台車はED60形のDT106形をベースに、車体側アームを揺れ枕固定する全側受支持構造のDT107形を採用しました。
起動時は位相制御10段、中高速域は高圧タップ切換による24段制御とすることが決定していましたが、変圧、整流系回路については試作機で比較検討することになり、製造を担当する4社3グループ間で異なる方式を選択し、結果を見て量産車への採用を決定する方式が採用されました。
1(製造:日立製作所) 送油風冷式変圧器+風冷式エキサイトロン水銀整流器
日立評論の論文では1時間定格2040kW、連続定格1900kW で狭軌用としては記録的な大容量機になったとのことです。
2(製造:東芝) 乾式変圧器+風冷式イグナイトロン水銀整流器
3(製造:三菱電機・新三菱重工業) 送油風冷式変圧器+水冷式イグナイトロン水銀整流器
黒磯 - 白河間で試験を繰り返した結果、日立製作所が提示した振動に強いエキサイトロン方式を量産車で採用することに決定しました。また、東芝方式も好成績を残したため後にED72形とED73形で採用されました。
量産1次形
1960年・1961年に製造された4 - 44が該当します。
昭和34年本予算で32号機まで、昭和35年度本予算で44号機
1のシステムを継承していますが、量産にあたり、 機器構成が見直されたことで自重が64t→67.2tに増加。増加した重量を台車で吸収するため揺れ枕式のDT114形に変更。
また、主変圧器の3次巻線から電気暖房用電源を取る方式が採られ、運転室ドア脇に(1・4位側)電気暖房表示灯を設置し、地上の掛員からも確認できるよう通電中は滅灯、非通電時に黄色く点灯する方式としました。
EF71 4号機と並んだ第1次形 24号機 福島機関区 1976/1/2
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ED71 24 データ
ED7124 東芝府中工場=303630-11 1960-03-26 E64tBB(1067)
車歴;1960-03-26 製造→ 納入;国鉄;ED7124→ 配属[達275];東北支社(関東支社?)→
1960-03-26 配置;福島二→1981-03-18 廃車;福島二
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量産2次形
1962年・1963年に製造された45 - 55が該当します。
昭和36年度第3次債務で49号機まで、昭和37年度第2次債務で52号機まで、昭和38年度民有で55号機が製造されました。
1次形からは以下の設計変更が行われました。
クイル式駆動装置に問題があり、主電動機を防振ゴムを介して車軸に載せる「半釣掛け式」に変更。 本来釣掛け式を想定していないMT101形の防振対策が問題となり、トーションバーをアンチローリング装置として用いることで解決しました。
車体側面の通風用ルーバーを一段とし明り取り窓と同じ高さに変更。
特徴的な第2次形のサイドビュー 52号機 福島機関区 1976/1/2
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ED71 52
データED7152 東芝府中工場= 1963-10-00 E64tBB(1067)
車歴;1963-10-00 製造→ 納入;国鉄;ED7152→ 配属[達1];東北支社(関東支社?)→
1963-10-02 配置;福島二→1983-07-14 廃車;福島二
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量産機では、1次形は1・2に準ずる外観を持ち、2次形からはED60形・ED61形・EF30形と同様式の明り取り窓と同じ高さにルーバーが一列に並ぶ配置に変更されました。
主電動機は、2,000kW級を要求されたために出力510kWのMT101形が開発されました。MT101は、日本のD級交流機関車では現在でも最高出力記録する電動機だそうです。
その後、より取扱いに優れるシリコン整流器を搭載したED75形(ED75の試作機1,2号機は昭和38年度本予算で製造されています)が開発されたため製造が1963年に打ち切られました。
運用面ではお召し牽引機に抜擢されたこともあり、1964年には新設された寝台特急「はくつる」の黒磯 - 仙台間の牽引にも投入され、翌1965年の盛岡電化の際に運用区間の拡大が検討されたが、冬期のエキサイトロン凍結の可能性から運用区間は黒磯 - 小牛田間に限定され、「はくつる」運用もED75形に移管されました。
1966年には福島駅構内で2号機が築堤から転落する事故を起こし、製造から7年で廃車となりました。
正月で貨物列車が運休であったのか機関区には多くの機関車が休んでいました。先頭は39号機 福島機関区 1976/1/2
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ED71 39データ
ED7139 東芝府中工場=304130-1 1961-03-07 E64tBB(1067)
車歴;1961-03-07 製造→ 納入;国鉄;ED7139→ 配属[達285];東北支社(関東支社?)→
1961-03-07 配置;福島二→1978-12-27 廃車;福島二
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以後はED75形の大量投入の前に次第に二線級となり、機器や車体各部の老朽化が進んだこともあって1977年に試作車2両を、翌年からは量産1次車を中心とした廃車が始まりました。
後輩のED75 1034号機と並んで休息する53号機 福島機関区 1976/1/2
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ED71 53 データ
ED7153 日立製作所水戸工場=193541-1 1963-11-23 E64tBB(1067)
車歴;1963-11-23 製造→ 納入;国鉄;ED7153→ 配属[達1];東北支社(関東支社?)→
1963-11-27 配置;福島二→1978-12-25 廃車;福島二
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末期は黒磯 - 福島間を中心とする朝夕の旅客列車牽引や、D形交流機最大の出力を生かし、福島 - 白石間上下貨物列車、福島 - 金谷川間上り貨物列車の補機運用などに充当されましたが、東北新幹線の開業と貨物列車の削減によりED75形の運用に余裕が生じたことから、1982年に全車廃車となりました。
私もED71に関しては機関区で寝ている写真はこのように撮影出来ましたが、パンタを上げて本線を走行している写真は一枚も撮らずじまいでした。
以上 テキストはWikipediaの関係記事を参考にし、さらにネットで入手可能な
http://digital.hitachihyoron.com/pdf/1959/08/1959_08_11.pdf の日立評論に掲載された論文を参考にしました。機関車個別のデータは沖田祐作 国鉄機関車表を利用しました。
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