1976/1 福島へ 2 583系特急 2 「はつかり」
今日の「はつかり」は583系昼行特急の代表的存在です。
青森から長い旅路もあと僅か、大宮に到着した特急「はつかり」
特急「はつかり」は2月10日の記事で触れましたように、客車列車~日本初のDC特急の歴史を持ち、583系はヨンサントウ改正の東北本線全線電化開業で登場となりました。正確に言うと電化は8月に完成しており,583系が運用に就いたのは9月9日の常磐線経由の下り「はつかり」からだそうです。それまで活躍していたキハ81系気動車は特急「つばさ」に転用されました。
「はつかり」の電車特急としての歴史と盛アオの583系の歴史は重なります。
1968.10の改正を前に6月から9月にかけて盛アオに昭和42年2次・3次債務車の583系が続々と新製配置されます。これは581/3系としてみれば1967年10月の改正で「月光」「みどり」が山陽・九州路に登場した際(門ミフに配置)、続いて1968年3月に予備車から1編成組成するために昭和42年本予算でモハ581/580 1ユニット、クハネ581 1両、サハネ581 2両、サシ581 1両が増備されたとき(この増備車から屋根上の通風器が千鳥配置から一方向配置になりました)に次ぐ3度目の増備で、以後、モハネは583/582形で増備されることになりました。
車輌性能的には485系と同等ですが、MM'ユニットでは約8t自重が重く,ダイヤ設定上の速度種別は同じMT比の485系に較べて僅かに低かったそうです。581/3系として1967年から1971年にかけて9形式434両が製造されています(山陽・九州路の581/3系に関しては2012年10月26日の記事にその運用の歴史の記述があります)。
まず改正前に揃ったメンバーですが、
モハネ583+582 ユニット 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8,
9,10, 11,12,13,14,15,16,23,24,25,26,
27,28,29,30,31 (以上25ユニット)
クハネ581 10,11,12,13,14, 15,16,17,22,23, 24,25,26 (13両)
サハネ581 13,14,15,16,17, 18,19,20 (8両)
サロ581 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7 (7両)
サシ581 6, 7, 8, 9,12,13,14 (7両)
この時点では先頭車はクハネ581形が配置されていました。またサロ581形も今回の増備からの登場です。寝台特急電車の登場時は寝台の構成がA寝台に似ているからとサロ、サロネなしのモノクラス編成で登場しましたが、昼行特急として運用する場合、1等車(1969年5月からグリーン車)がないのは営業サイドからも問題となり、急遽製造されたとのことです。サシ581形もかなり斬新な要素を盛り込んでおり、テーブルが跳ね上げ式になっており、床清掃のし易さと従業員の仮眠スペースの確保に貢献したそうです。また2000リットルの容量のCPを搭載しているのも唯一の例だそうです。
それらによって13両編成6本が組成されました。
←上野
TncTsM'nMnM'nMnTdM'nMnM'nMnTnTnc×6 所要5
ゆうづる(1)、はくつる(1)、はつかり(2)
青森2110-636上野‥尾久
尾久‥上野1015-1847青森2355-910上野‥尾久
尾久‥上野1540-010青森
青森440-1310上野1930-500青森
青森900-1731上野2155-705青森
M'nMn×1 Tnc×1 Tn×2 Ts×1 Td×1
1969.10.1の時点では予備車の調整のため、サハネ581-13が1968.11に門ミフに転出し、
TncTsM'nMnM'nMnTdM'nMnM'nMnTnTnc×6 所要5(臨時+1)
ゆうづる(1)、はくつる(1)、はつかり(2)(臨時+1)、とうほく(臨時1)
青森2110-620上野‥尾久
尾久‥上野1015-1847青森2355-910上野‥尾久
尾久‥上野1540-010青森
青森455-1325上野1940-510青森
青森905-1737上野2200-705青森
青森655-1138仙台1502-1942青森/青森655-1649上野/上野1127-2129青森
M'nMn×1 Tnc×1 Tn×1 Ts×1
Td×1
といった体制でした。
1970.10.1の改正を前に、
6月から9月にかけて
モハネ583/582 56,57,58,59,60,61,62,63,64,65,79,80,81,82,83,84 (以上16ユニット分)
クハネ583 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8,
9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20 (20両)
サハネ581 36,37,46 (3両)
サロ581 22,23,28 (3両)
サシ581 22,23,28 (3両) 新製配置となり、クハネ581が-10を残して転出しました。
今回、クハネ583形が初めて新製されましたが、クハネ583形は将来の15両編成化に備えてMGの容量を大容量化(150kVAから210kVA)し、機械室を廃止して床下装架として定員も座席8名、寝台6名の増となっています。
その結果、1970.10.1の改正では
TncTsM'nMnM'nMnTdM'nMnM'nMnTnTnc×10 所要8
ゆうづる(2)、はくつる(1)、はつかり(3)
青森2110-645上野‥尾久
尾久‥上野1015-1850青森2355-910上野‥尾久
尾久‥上野1540-010青森
青森455-1325上野1940-510青森
青森905-1737上野2105-650青森
青森1225-2100上野‥尾久
尾久‥上野705-1545青森2330-902上野‥東大宮
東大宮‥上野2200-705青森
M'nMn×1 Tnc×1
と運用が増えました。
1972.3.15の改正を前に昨日の記事で記述したように、クハネ581-10も転出し、
モハネ583/582 91,92,93,94,95,96,97,98,99,100 (以上10ユニット)
クハネ583 21,22,23,24,25,26 (6両)
サハネ581 51,52,53 (3両)
サロ581 31,32,33 (3両)
サシ581 31,32,33 (3両)
新製配置され、1972.3.15の改正では
TncTsM'nMnM'nMnTdM'nMnM'nMnTnTnc×12 所要11(臨時+1)
ゆうづる(3)、はくつる(1)、はつかり(3)(臨時+1)、みちのく(1)(臨時+1)、ひばり(1)
青森2110-637上野
上野1000-1356仙台1505-1904上野2230-711青森
青森1400-2227東京‥東大宮
東大宮‥上野805-1629青森2335-847上野‥東大宮
東大宮‥上野2000-508青森
青森2115-650上野‥尾久
尾久‥東京1055-1930青森2359-909上野‥尾久
尾久‥上野1448-2345青森
青森450-1304上野1600-015青森
青森453-1346上野1950-503青森
青森845-1709上野2140-706青森
青森945-1809上野/上野1133-2005青森
青森655-1619上野/上野1155-2125青森
M'nMn×3 Tnc×2 Tn×1 Ts×1
Td×1
朝の青森駅で連絡線からの客を待つ583系特急「はつかり」1975/8
1973.11の時点で食堂車の夜の営業は休止となりました。これは21時に出発して,朝7時に到着する寝台列車を考えた場合、実際の営業時間は最大夜2時間,朝1時間程度で、従業員の拘束時間と営業時間の関係からして無理があったようです。
1975.3.10の改正で新幹線博多開業で西日本の581/3系に余裕が生じ,盛アオに
モハネ583/582 103,104,105,106
クハネ583 29,30
サロ581 57
サシ581 57 が転属してきました。1編成増となりました。
TncTsM'nMnM'nMnTdM'nMnM'nMnTnTnc×13 所要11(臨時+1)
ゆうづる(3)、はくつる(1)、はつかり(3)(臨時+1)、みちのく(1)、ひばり(1)
青森2110-637上野
上野1000-1358仙台1520-1920上野2220-710青森
青森1425-2256上野‥東大宮
東大宮‥上野730-1601青森2335-848上野‥東大宮
東大宮‥上野2000-508青森
青森2115-650上野‥尾久
尾久‥上野1030-1904青森2359-918上野‥尾久
尾久‥上野1448-2348青森
青森450-1314上野1600-015青森
青森453-1345上野1950-503青森
青森915-1744上野2140-705青森
青森1015-1849上野/上野1130-2001青森
M'nMn×3 Tnc×2 Tn×1 Ts×1 Td×1
このときが盛アオの583系としても最盛期でした。
赤羽を通過し,一路上野を目指す特急「はつかり」
1978.10.2の改正では特急「ひばり」の運用がなくなり、Tsの連結位置も変わりました。
TncTsM'nMnM'nMnTdM'nMnM'nMnTnTnc×13(1979.10.1からTncM'nMnM'nMnTsTdM'nMnM'nMnTnTnc) 所要11
ゆうづる(3)、はくつる(1)、はつかり(3)、みちのく(1)
青森2115-652上野‥尾久
尾久‥上野1233-2125青森
青森820-1710上野2140-705青森
青森2110-635上野
上野1003-1904青森2358-918上野‥尾久
尾久‥上野1448-2350青森
青森450-1355上野1953-508青森
青森920-1809上野2221-711青森
青森1425-2313上野‥尾久
尾久‥上野733-1622青森2335-901上野‥尾久
尾久‥上野1950-503青森
M'nMn×3 Tnc×2 Tn×1 Ts×1 Td×1
赤羽通過の写真 HMは絵入りのものとなり、編成の構成も上の写真とは異なっています。
東北新幹線の開業日程も明らかとなり,上野で見られるのもあと僅かとなった1982/1/3
南浦和
東北・上越新幹線開業の1982.11.25の改正では編成は変わらぬものの盛岡~青森間の特急となりました。特急「みちのく」は廃止となりました。
TncM'nMnM'nMnTsTdM'nMnM'nMnTnTnc×13 所要11
ゆうづる(3)、はくつる(2)、はつかり(2)、ふるさと(臨時1)
青森2115-652上野‥東大宮
東大宮‥上野2220-715青森
青森2015-600上野‥東大宮
東大宮‥上野1950-503青森
上野1044-1938青森2355-910上野‥東大宮
東大宮‥上野1953-508青森
青森1040-1315盛岡1430-1705青森2359-918上野‥東大宮
東大宮‥上野2140-707青森
青森2110-635上野‥東大宮
青森1012-1913大宮/東大宮‥上野2300-821青森
青森1640-1915盛岡2130-2354青森
M'nMn×3 Tnc×2 Tn×1 Ts×1 Td×1
1985.3.14の新幹線東京乗り入れの改正を前に、
サハネ581-15はクハ418-1への改造のため、転出
サロ581-24が大ムコより転入
モハネ583-1,2,3 が大ムコに転出 となりました。この改正で、食堂車を抜かれた583系12連(9連)が本格的に盛岡~青森間の「はつかり」運用に投入された感があります。
TncM'nMnM'nMnTsM'nMn(M'nMnT)Tnc×13 所要9(臨時+3)
ゆうづる(1)(臨時+1)、はくつる(2)、はつかり(5)(臨時+2)
青森2359-918上野‥東大宮
東大宮‥上野1950-508青森
青森930-1203盛岡1335-1601青森
青森727-1000盛岡1236-1510青森2111-640上野‥東大宮
東大宮‥上野2300-821青森
青森2150-658上野‥東大宮
東大宮‥上野2220-715青森
青森1234-1459盛岡1635-1909青森
青森449-719盛岡1136-1402青森1435-1700盛岡2136-009青森
青森1032-1303盛岡/盛岡1106-1341青森1945-636上野
上野2102-710青森
青森1103-1333盛岡1532-1811青森
Tnc×2 Ts×2 Td×14
1986.3.31付けて抜かれたサシ581 7,9,12,13,14,22,23,28,31,32,33,35が大量廃車となりました。
サシ581形には編成全体のMGからの電源を切り換える3相切替SWが装備されていましたが、サシの廃車前にサロ581形に移設し同機能はサロが担うことになりました。
1986.12から1987.3にかけて
モハネ583/582 7,13,23,29,30 が廃車
サハネ581 37
サロ581 4 が廃車 となりました。さらに
サハネ581 14~19, 36 が札幌に転出しました。これらは当初、改造の目的でもあったのかと思いますが、結局1990年6月にそのまま廃車となりました。
(追記:このサハネのうちの台車2個がキハ183系5100番台のキサロハ182-5101の台車として再利用されたのですね)。
1988.3.13の青函トンネル開業の改正では編成は9連となり、臨時も含めて11.5往復となりました。
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×14 所要8(臨時+6)
ゆうづる(2)、はくつる(1)、はつかり(4)(臨時+7.5)、あけぼの(臨時1)
青森2148-637上野‥東大宮
東大宮‥上野2220-715青森
青森1131-1356盛岡1429-1652青森2055-636上野‥東大宮
東大宮‥上野2130-621青森
青森1030-1255盛岡1334-1557青森2118-640上野‥東大宮
東大宮‥上野2303-821青森
青森1807…1842蟹田1848…1927青森
青森525-750盛岡819-1045青森1330-1555盛岡1629-1857青森
青森521-734盛岡933-1153青森1301-1524盛岡1735-1955青森
青森701-925盛岡1037-1300青森1426-1648盛岡1900-2129青森
青森1025-1251盛岡/青森921-1147盛岡1300-1523青森1723-1948盛岡2035-2251青森
青森1106-1352盛岡/盛岡1338-1603青森
弘前1749-612上野
上野2300-1024弘前
M'nMn×5
Tn×5
1990.2.11に仙台駅構内で発生した寝台特急「ゆうづる1号」の事故により、
モハネ583/582 -59,-95 サハネ581-53が同年7.23日付けで廃車となりました。事故の詳細は「12両編成の寝台特急6001M「ゆうづる1号」が仙台駅を時速約85kmで通過しようとしたところ、ポイントが電車区側に切り替わっており高速度のまま進入、前から7両が脱線。運転士は「本線信号は進行現時だったのにポイントが電車区側だった」と証言。原因は直前に近くで信号試験が行われていたことで信号が本線・分岐が電車区側になる異常な表示がされていたため。乗員乗客158人にケガはなかった。」とのことです。(出典)
すっかり盛岡~青森間の特急として定着したころの583系特急「はつかり」
1993.3の時点が特急「はつかり」の最後の定期運用となりました。
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×14 所要7(臨時+7)
ゆうづる(2)、はくつる(1)、はつかり(3)(臨時+9.5)、あけぼの(臨時1)
青森2157-637上野‥東大宮
東大宮‥上野2217-715青森
青森1031-1253盛岡1345-1604青森2124-639上野‥東大宮
東大宮‥上野2300-815青森
青森1131-1354盛岡1439-1702青森2057-636上野‥東大宮
東大宮‥上野2204-700青森
青森1331-1555盛岡1638-1904青森
青森519-737盛岡847-1114青森1125-1351盛岡
青森621-846盛岡942-1205青森1219-1432盛岡1543-1824青森
青森804-1037盛岡1048-1312青森1345-1623盛岡1736-1958青森
青森916-1149盛岡1158-1429青森1522-1746盛岡1844-2113青森
盛岡1313-1540青森/盛岡1348-1625青森1724-1946盛岡2036-2255青森
青森1825-624上野
上野2106-920青森 (盛岡~青森 斜体が定期、後は臨時)
M'nMn×3 Tn×4
1993.12.1のダイヤ改正で特急「はつかり」の定期運用がなくなりました。
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×14 所要4(臨時+9)
はくつる(2)、はつかり(臨時6.5)、ゆうづる(臨時1)、あけぼの(臨時1)、津軽(臨時1)
青森2100-608上野‥東大宮
東大宮‥上野2317-714青森
青森1309-1550盛岡‥青森2200-637上野‥東大宮
東大宮‥上野2300-815青森
青森817-1043盛岡1048-1313青森1407-1629盛岡1747-2010青森
青森913-1149盛岡1158-1429青森1523-1746盛岡1914-2137青森
青森1200-1430盛岡1443-1717青森(TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnM'nMnTnc)
青森1010-1240盛岡1347-1616青森2124-639上野
上野2203-700青森
弘前1754-602上野
上野2106-847弘前
青森1647-552上野
上野2234-1128青森
M'nMn×3 Tn×4
1994.12.3の改正で寝台特急「はくつる」が客車編成に替わったことで583系の定期運用が消滅しました。時代の要請から3段寝台は特急に相応しくなくなってしまったのですね。
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×12 所要臨時11
はくつる(臨時1)、はつかり(臨時6.5)、あけぼの(臨時1)、いなほ(臨時1)、津軽(臨時1)
青森1309-1550盛岡‥青森2200-637上野
上野2200-700青森
青森817-1035盛岡1048-1313青森1354-1626盛岡1739-2004青森
青森913-1153盛岡1154-1413青森1525-1747盛岡1910-2132青森
青森1145-1428盛岡1543-1841青森
青森1010-1237盛岡1347-1616青森
弘前1753-558上野
上野1941-846弘前
酒田1137-1404新潟1430-1706酒田
青森1647-552上野
上野2234-1157青森
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×2
M'nMn×3
Tn×4
1995.2から8にかけて
モハネ583/582 10,31,61,64,65,92,93
クハネ583 10,18,19,24
サハネ581 20,57
サロ581 1,22 が廃車に
1995.12から1996.3にかけて
モハネ583/582 4.24.27.56,81,91
クハネ583 2,7,11,14
サロ581 2,28 が廃車に
1996.11から12にかけて
モハネ583/582 28,57,80
クハネ583 16,30
サロ581 23 が廃車に
1998.2に
モハネ583/582 58,104
クハネ583 1 が廃車に
1998.11に
モハネ583/582 97,103
クハネ583 21,29
サロ581 6 が廃車に
1998.12に
モハネ583/582 96,105
クハネ583 25
サロ581 5 が廃車に
1999.12から2000.3にかけて
モハネ583/582 9,11,14,15,16,84
クハネ583 6,13,15,26
サロ581 24,35 が廃車に
2000.3.15の改正時の運用は
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×2 所要臨時2
はくつる(臨時1)、はつかり(臨時1)
青森1111-1331盛岡1346-1612青森2100-558上野
上野2145-658青森
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×3
M'nMn×2
Tn×2
2000.9から2001.2にかけて
モハネ583/582 5,8,25,26,60,62,63,80,99
クハネ583 3,4,9,12,22,23
サロ581 3,7,31 が廃車に
その結果,2002.12.1の時点で
モハネ583/582 6, 12, 79, 83, 94, 98, 100,106
クハネ583 5, 8,17,20
サハネ581 46,52
サロ581 32,33 というメンバーが残存し、
TncM'nMnM'nMnTsM'nMnTnc×2
M'nMn×2 Tn×2
の2編成が波動用として残されました。
これらのうちから
2002/12/3 付けで
モハネ583/582 6, 12, 79
クハネ583 5, 20
サロ581 33 は秋田へ転出し、
青森千刈踏切で撮影した秋田編成 2010/10/24
2003/2/24 付けで
モハネ583/582 100, 106
クハネ583 8, 17
は仙台に転出しました。
東北本線松川駅で偶然会った仙台編成 2009/8/9
残りは2003.8から9にかけて廃車となりました。
2003.9以降、盛アオの583系の配置はなくなりました。
2011.9.22付けで秋田に転属した編成は廃車となり,仙台に転属した編成が新たに2011.8.20.付けで秋田に転属しました。
今回も青森運転所の583系配置をhttp://www5.big.or.jp/~hagi/rail/index.html のサイトのデータを参考に纏めました。
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