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2013年2月10日 (日)

1976/1 福島へ 1 485系特急 4 「はつかり」

今回からは青森系の特急で行きたく思います。

まずは特急「はつかり」です。東北新幹線の愛称への継承はありませんが、「はつかり」と言えば東北を代表する特急ですね。しかも、客車特急からの名称ですから、東海道の「つばめ」「はと」「かもめ」に匹敵する歴史がありますね。

485_481200_2
盛アオの象徴的クハ481-200番台を最後尾に西日暮里付近を行く 485系特急「はつかり」

まずは、その歴史から見てゆきましょう。

1958年10月1日:ダイヤ改正により上野駅 - 青森駅間(常磐線経由)で「はつかり」(1・2列車)が運転開始。しかし、台風の影響で実際の運行開始は10日からとなった。

使用車両は尾久客車区(東オク)のスハニ35×1・スハ44×3・マシ35×1ナロ10×2・スハフ43×1の8両編成。 上野駅 - 仙台駅間はC62蒸気機関車、仙台駅 - 青森駅間はC61蒸気機関車、盛岡駅 - 青森駅間は補機としてC60蒸気機関車が使用された。使用車両が固定クロスシート車であった為、編成ごと方向転換する必要性が生じ   以下の時刻で方向転換が行われました。尚、1レの牽引機のC62は別途、尾久から上野に直接回送されます。

【 上野の方向転換 】  上野 17:20発-推回5002レ→尾久17:32着  尾久→田端(操)10:52発-5003レ→隅田川11:06着11:26発-5001レ→上野11:39着  

 

1レ 上野 12:20 仙台 17:43/17:48 盛岡 20:47/20:51 青森 0:20
2レ 青森  5:00 盛岡  8:34/8:38  仙台 11:30/11:35 上野17:00

【 青森の方向転換 】  青森  0:40発-5004レ→滝内 0:44着 0:49発-5005レ→青森(操) 0:55着 3:50発-5002レ→青森3:57着  

1960年12月10日:「はつかり」使用車両を新開発のキハ81系気動車に置換え。日本初の気動車特急列車となったが、当初は習熟運転と称し客車時代のダイヤで運転された。しかし、十分な試験走行を行わずに運転を開始したため初期故障が続発。新聞には「はつかりがっかり事故ばっかり」などと書き立てられた。

尾久客車区のキハ80系の陣容は
キハ81  1~6
キハ80  1~12
キロ80   1~5
キサシ80  1~3

DcDsDsTdDDDDDc×2 所要2
はつかり(1)
 上野12302358青森
 青森5001630上野

Dc×2 D×4 Ds×1 Td×1

1961年3月1日:「はつかり」は所要時間を10時間45分に短縮し、同年10月にはさらに短縮し所要時間は10時間25分になる。

DcDsDsTdDDDDDc×2 所要2
はつかり(1)
 上野13152358青森
 青森5001545上野

Dc×2 D×4 Ds×1 Td×1

1963年4月20日: 「はつかり」が10両編成になる。

DcDsDsTdDDDDDDc×2 所要2
はつかり(1)
 上野13302355青森
 青森5051535上野

1968年9月9日:東北本線全線の電化にあわせたダイヤ改正に先立ち、青森運転所(現在の青森車両センター)の583系電車に置き換え。改正当初はクハネ581が担当し、クハネ583が先頭に立ったのは1970.10.1の改正以降ですが、その点は583系特急の記事で触れるつもりです。
     10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、「はつかり」は東北本線経由に変更し所要時間が8時間30分に短縮。増発して2往復になる。

1970年8月:旧盆時期の急増する帰省客へ対応するための臨時列車として、「はつかり」51号が常磐線経由で運転される  10月:ダイヤ改正により、「八甲田」の1往復が「はつかり」に格上げ。「はつかり」は1往復増発されて3往復になる。

1972年3月:1往復が東京駅に乗入れ開始。

1973年3月:臨時列車の「はつかり」が1往復増発されて4往復になる。青森運転所の485系電車が使用開始。

盛アオに485系が配置されたのは1972年5月下旬のことで、その時のクハは全て-100番台(109, 110, 113, 114, 123, 124, 125, 126)でしたが、彼らは200番台登場とともに大ムコに転出して行き、1973.4の時点では全て200番台(201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 213, 214, 215, 216, 217, 218, 219, 220, 221, 222, 223, 224, 227, 228, 229, 230, 235, 236, 237, 238 32両)になっていました。

MM'は
モハ485: 59, 60, 61, 68, 69, 70, 71, 75, 76, 77, 78, 79, 80, 81, 89, 90, 91, 92, 93, 94, 95, 96, 97, 98, 99, 100, 101, 102, 103, 104, 105, 106, 107, 108, 109, 110, 111, 112, 113, 114, 115, 116, 117, 118, 119, 120, 126, 127, 128, 129, 133, 134, 135, 136, 144, 145, 146, 160, 161, 162 

モハ484: 59, 60, 61, 68, 69, 70, 71, 75, 76, 77, 78, 79, 80, 81, 89, 90, 91, 92, 93, 94, 95, 96, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 213, 214, 215, 216, 217, 218, 219, 220, 221, 222, 223, 224, 230, 231, 232, 233, 237, 601, 238, 239, 247, 602, 248, 262, 263, 264

(以上60ユニット)

Ts: 40, 43, 44, 45, 50, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57, 58, 59, 64, 67, 72, 73  (18両)

Td: 29, 32, 34, 35, 38, 39, 40, 41, 42, 43, 44, 45, 48, 50, 54, 55 (16両)

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×12 所要11(臨時+1)
いなほ(2)、やまびこ(3)(臨時+1)、ひばり(4)、はつかり(1)
 青森7301739上野‥東大宮

4月:東北・上越新幹線建設工事に伴う東京駅 - 上野駅間の回送線使用停止措置により、東京乗入れが中止。

1973.9に10月のダイヤ改正に向けた新製配置があり、

モハ485: 183, 184, 185, 186, 187, 188, 189, 190, 191, 192, 193, 194, 195, 196, 197, 198, 199, 200, 201, 202, 203, 204, 205, 206

モハ484: 285, 286, 287, 288, 289, 290, 291, 292, 293, 294, 295, 296, 297, 298, 299, 300, 301, 302, 303, 304, 305, 306, 307, 308

(以上24ユニット)

Tc: 254, 255, 256, 257, 258, 259, 260, 261, 262, 263  (以上10両)

Ts: 99, 100, 101, 102, 103  (以上5両)

Td:  68, 69, 70, 71, 72 (以上5両)

10月:「はつかり」が1往復増発されて、5往復になる。

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×19 所要16
いなほ(2)、やまびこ(5)(臨時+1.5)、ひばり(5)、はつかり(2)

1974.4 には札幌に配置予定の485系1500番台の借り入れがありますが、これらの車輌は特急「白鳥」専用で運行されます。1975.3に札幌に返却されています。

485_481200

 

485系特急「はつかり」と言えばクハ481-200番台、盛アオの代名詞のような車輌ですが、その中でも試作の自動解結装置付きのクハもいました。 上野

1975.3.10の改正では Ts: 130, 133が新製配置、  Td: 64が大ムコから転入します。

1975.3に Tc: 249,250 が大ムコから転入
1975. 5にTc 311,313,315, 332,333,334, 335,336,337, 342 が新製配置
1975. 5にTc  209,211,214,250, 213,249    Ts 98 が門ミフへ転出
1975.9に Tc 201,202,203,204,205, 206,207,208,210,212が秋アキへ転出
1976.5に Tc 345, 346, 347, 348, 349, 350, 351, 352 が新製配置
同期間に モハ485: 251, 252, 253, 254, 255   モハ484:  610, 611, 612, 613, 614
       (以上5ユニット)も新製配置

200番台クハから300番台クハに転換した頃ですね。隙間風の問題があったからでしょう。秋アキ、門ミフ転出分を新製配置で補った様です。

485_481300
西日暮里を行く300番台クハの特急「はつかり」
485_481300_760102
郡山に到着する485系クハ481-300番台先頭の特急「はつかり」 今でも同じ風景が残っています。画面奥には磐越西線のED77 牽引旅客列車も見えます。

この後、1978年10月のダイヤ改正に向けて大量の1000番台の増備が行われ、従来の車輌が仙セン、金サワに転出となります。

1978年10月:「はつかり」が1往復増発され、6往復になる。普通車自由席を設置し、「はつかり」はエル特急に指定される。

485_4811000_790505
HMは絵入りに変わり、先頭のクハは1000番台となった特急「はつかり」 尾久 1979/5/5

TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)

1980年8月から9月にかけて、札幌より、485系1500番台が盛アオに転属、今回は「白鳥」限定ではなく「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「いなほ」などに使用される。

485_4811500
川口付近を行く485系1500番台使用の特急「はつかり」

1982年11月15日:ダイヤ改正により、盛岡駅 - 青森駅間に運行区間が短縮。 青森運転所所属の583系13両編成(食堂車は営業休止)、485系9両編成、秋田運転区所属の485系6両編成(モノクラス編成)での運行。
なお、週末のみ1往復が青森駅 - 弘前駅間を延長運転していた。しかし、東北自動車道経由で盛岡と弘前を結ぶ高速バス「ヨーデル号」が運転を開始し、弘前市周辺の住民に東北新幹線へのアクセスとして高速バス利用が定着した。そのため、延長運転は廃止された。

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)

1985年3月14日:583系から食堂車を外して13両から12両に減車。485系使用列車は青森運転所モノクラス6両編成に統一。

TcM'MM'MTc×15 所要12(臨時+1)
いなほ(6)(臨時+1)、はつかり(7)(臨時+0.5)、つばさ(1)、むつ(1)

1986年11月1日:2往復増発。583系使用列車が12両から9両に減車(ただし、繁忙期は12両で運転)。

1987年10月6日:485系使用列車に半室グリーン車を連結開始、モノクラス編成を順次解消。

1988年3月13日:青函トンネルの開業により、「はつかり」2往復が函館駅まで延長される。

1990年3月1日:「たざわ」の間合いで、盛岡駅 - 青森駅間1往復(27・28号)に南秋田運転所所属の485系3両編成が充当される。

485_4811000_911112
青森でキハ40系気動車と並ぶ 1991/11/12

1992年7月1日:南秋田運転所所属の485系3両を5両に増結(慢性的な混雑から実際にはこれ以前から増結が日常化していた)。

1993年3月18日:485系使用列車が再び青森所属車に統一される。
     12月1日:583系が定期運用から撤退。以後、定期列車の代走または臨時列車でのみ使用される。

1996年3月:「はつかり」にリニューアル工事を施した485系3000番台の使用を開始。

2000年3月11日:速達型列車「スーパーはつかり」の運転開始。新しく開発されたE751系電車を使用。盛岡 - 青森間が最速1時間58分となり10分短縮される(途中停車駅は八戸・三沢のみ)。また、「はつかり」のエル特急の指定を解除する。

2002年12月1日:東北新幹線八戸延伸により廃止。

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コメント

管理人さん、こんにちは。

480番台系統の特急シリーズも、見事な編集ですね☆。
写真の多さもそうですが、管理人さんの解説(車輌プロフィル)にも驚いてます。本当によくご存知ですね。使う線区や、時代に応じた使用変更とかも明確なな解説付きで興味深く拝読させて貰ってます。


その国鉄型特急群も新幹線開業と共にバトンタッチするかのような運行終了の波がつい最近押し寄せてきてたような気がします。色々な列車が運転されてたのにね。

それらを強く感じたのは、こちらではやはり「75.3ダイヤ改正」ですね。少年の頃、山陽新幹線が在来線特急群を終わらせてしまった★と思ってましたが、撮り鉄の熱も冷まされたような気持ちになってた少年時代を思い出させて貰った素晴らしい特集に感謝致します。ありがとうございました。

ps: 弊ブログ:60特集、ご高覧頂きありがとうございました。


ゴンパパ さま、こんばんは。

コメントありがとうございます。またEF60量産1次タイプの特集もありがとうございます。

私はゴンパパ様が、1975.3改正前の山陽路特急の全盛時代の写真を多く撮られているのを大変うらやましく思っております。 やはり地元でないと日々の昼行特急や寝台特急の変化は追えないと思います。
例えば製造直後の489系が臨時特急として山陽路の特急に活躍した姿などはなかなか写真で見ることもありません。もしお持ちでしたら,魅せて下さい。

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