1981/11 北陸へ 8 客車列車
1981年11月の北陸から関西への旅行、最後はこれまでの特集で取り上げていない写真について触れたく思います。
まずは客車列車です。
当時の北陸本線には、かつての長距離鈍行(大阪~青森)間の名残ともいえる機関車牽引の客車列車が残っており、その編成には急行列車を彷彿させるような郵便車や荷物車が連結されていました。
EF70が牽引する旧客で構成された列車 金沢 1981/11/26
さらにネットで調べると1972年3月と1980年3月改正におけるこれら上り列車の時刻が載ってました。 http://homepage3.nifty.com/jnrpc/P-train/longdistancePC/hokuriku-u-47-55.html
1972年には新潟~金沢だった列車が1980年には長岡~金沢に短縮されていますね。
一方、旧客から電車によるサービスの変化の間にレッドトレインと呼ばれた50系客車が導入されたことがありましたが、http://www.mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/044-hokuriku-50kei.html のサイトの掲示板のやりとりを拝見すると北陸地方はあまり50系客車が活躍せずに電車化されたようですが、私は偶然、金沢駅で
このような50系客車を写しておりました。1981/11の写真です。
一方、寝台特急の方は、「日本海」「つるぎ」が走っており、宮原区の客車を使用していた「つるぎ」は1976.2に25系二段ハネ化されており、それまでの20系は初の急行運用となる「銀河」に転用されました。
二段ハネ化された「つるぎ」 1976/2 新大阪
このときに登場したオハネフ25は、1974.4の「あかつき」「彗星」が二段ハネ化されたときに登場したバージョンのマイナーチェンジ版で、それまで妻面にあったジャンパ栓受けが台枠のレベルに下げられました。2012年11月5日の記事における「彗星」の写真と見較べれば違いが明らかです。
その後、1979年頃にはテールサインは絵幕入りになりました。 1979/12/23 大阪
寝台特急化されてから、国鉄民営化までの「日本海」の歴史を、見てみましょう。
1968年10月1日:ヨンサントオの改正により急行「日本海」が廃止され、「きたぐに」に改称。大阪駅 - 青森駅間に寝台特急「日本海」が運転開始。当初は青森運転所(現在の青森車両センター)所属の20系客車が用いられた。
1969年12月6日:「日本海」が、北陸トンネル内で列車火災事故(寝台特急日本海北陸トンネル列車火災事故)が発生。 当時の規則では「火災が発生した場合は速やかに停車させなければならない」と規定されており、これに従えばトンネル内でただちに停車すべきところを、機関士が「トンネルを走り抜けてから消火した方が良い」と機転を利かせてトンネルから脱出して消火し、鎮火させたため死傷者は皆無であった。当時の国鉄は規則を無視した点を指摘して機関士を処分した。その3年後に「きたぐに」で同様の火災事故が発生し、30名の死者を出す惨事となった。「きたぐに」の事故後、規則に捉われずトンネルを脱出した「日本海」の機関士の判断が正しかったことが国鉄の実験で証明され、当該機関士への処分は撤回され、国鉄の規則も改正された。
大阪駅で並んだ14系寝台客車による「日本海」と「まつかぜ」 当時、門ハイの14系の佐世保から青森までの超広域運用は有名だった。
1975年3月10日:湖西線開業によるダイヤ改正により、「日本海」が湖西線経由に変更。車両は14系寝台客車に変更され、食堂車の連結が廃止。14系座席車が使用された季節列車として、大阪駅 - 青森駅間で「日本海」1往復が運転開始。「日本海」は2往復になる。国鉄業務合理化の一環として「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出が取りやめ。
1976年3月15日:季節列車の「日本海」の使用車両が宮原客車区(現在の宮原総合運転所)の24系25形客車に変更。
1978年10月2日:季節列車の「日本海」が定期列車に変更。24系客車・24系25形客車各1往復に変更し、早岐客貨車区所属の14系客車の運用(佐世保から青森までの超長距離広域運用)が終了。同時に下り2号を3号、上り1号を2号、上り2号を4号に変更。
大阪駅に到着し「まつかぜ」と並ぶ24系24形客車の「日本海」 1979/12/23
24系24形でも特徴的であった妻面のジャンパ栓が台枠レベルに下ろされていることが分かります。
1975年3月の改正で増発され、最初は14系座席車を使用していた列車が1976年の改正で宮原の客車を利用した二段ハネに 福井にて 1981/11
1982年11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により、「日本海」のA寝台車の連結が廃止。「日本海」の使用車両が24系客車・24系25形客車各1往復から、24系25形客車2往復(所属は宮原客車区2往復)に変更。同じ区間を走る急行列車「きたぐに」が大阪駅 - 新潟駅間の運転に変更されたため、大阪駅 - 青森駅間を運転する唯一の夜行列車になる。
1984年2月1日:「日本海」2・3号の受持ちが宮原客車区から青森運転所に変更。
1985年3月14日:「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出を再開。
1986年 夏季期間中のみ「日本海」1・4号にマニ50形荷物車を連結し「日本海モトとレール」として、オートバイ搬送が実施。
1993年8月にも見ることができたマニ50を繋げた「日本海」 鶴形~富根
1987年4月1日:国鉄分割民営化に伴い、「日本海」1・2号をJR西日本が、「日本海」3・4号をJR東日本がそれぞれ客車の管轄をする共同運行列車となる。
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