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2013年3月27日 (水)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線C57牽引旅客列車 その1

1974年、1975年の北海道旅行で今でも最も印象に残っているのは、現役SLとして最後の旅客列車牽引に頑張っていた岩見沢第一機関区のC57達でした。

当時、C57で車籍があったのは梅小路蒸気機関車館で動態保存されていた1号機と、岩見沢区の5両で、番号は38, 44, 57, 135, 144でした。これら5両は当時、5淑女と呼ばれていたことは今回の調査で知りました。

C57は毎日2両ずつが仕業に就いていたようで1974年8月の北海道旅行の最終日に登別で撮影した際は57144の日で、1975年8月に同所を再度訪問した際も同じ釜でした。

登別を撮影ポイントに選んだ理由は特急停車駅であり、函館~札幌を結ぶ「北海」以外の全てのキハ82系特急が停車すること、比較的平坦な室蘭本線の中でも上り線は登別駅発車後、上り勾配となっており、煙が期待できることを事前に雑誌の情報で知っていたからでした。

当時、NHK特集などでも最後の旅客牽引蒸機として室蘭本線のC57の活躍ぶりが取り上げられており、その際に登場したのは135号機で、最後の旅客牽引蒸機として一躍有名になり、引退後、交通博物館、大宮の鉄道博物館に展示されていますが、僚機だった57号機は東京の世田谷区立大蔵運動公園に、144号機は岩見沢市九条東ミナミ公園にて保存されているようです(Rail Magazine 日本の蒸気機関車 1994/1)。

今回はC57 57号機について触れたく思います。

まず国鉄蒸気機関車C57型のプロフィールですが、

以前、宮崎で逢ったC55の記事で紹介しましたが、C57形は1937年C55形の63号機として製造が始められた機関車です。改良箇所が多岐に及んだため、検討の末に新形式とすることが決定され、C57形蒸気機関車として誕生をしています。

1947年までの間に201両が量産されました。信頼も高く、C51形に始まるライトパシフィック機の決定版となりました。

製 造 所  川崎重工業・汽車製造・三菱重工業・日立製作所
製 造 年  1937 年
軸   配  2C1T2-2
重   量  67.5t
使 用 圧  16.0㎏/㎠ (それまでのC55の14.0㎏/㎠に較べて高められました)
火格子面積  2.53㎡
全伝熱面積  127.4㎡
汽   筒  500×660㎜ (シリンダー直径はC55の510mmから小さくなっています)
車 輪 径  860㎜+1750㎜+860㎜-T860㎜ (C55のスポークタイプからボックスタイプへ)
水   槽  17.0㎥
炭   庫  12.0t
弁 装 置  ワルシャート

57号機は1~138号機までの第1次形に属し、その履歴は以下の通りです。

川崎重工兵庫工場=1921           
1938-05-03 S67.50t2C1T(1067)
車歴;1938-05-03 製造→ 納入;国鉄;C5757→
配属[達363];大阪局→1938-05-03 使用開始→
配置;大阪局 →1942-09-30 現在;
    宮原→1945-04-01 現在;
    岡山→1949-09-08 現在;
    金沢→1954-10-01 現在;
    小樽築港→1964-04-01 現在;
    小樽築港→苗穂→1974-07-15 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→
保存;東京都世田谷区「大蔵総合運動場」;C5757

以上のデータは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

C57_57_222_751005
登別を発車した上り222レ 1975/10/5

C57_57_224_7508_2
登別に到着する上り224レ 1975/8 絶気状態

C57_57_227_7508_2
C57_57_227_7508_2_6
登別を発車した227レ 下り列車の出発シーンも結構煙が上がっていました。 1975/8
C57_57_229_7508
229レの出発 俯瞰で 1975/8

C57_57_227_7408
最後は岩見沢に到着する227レ 1975/8

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蒸機C57」カテゴリの記事

コメント

おはようございます‼
いつも素晴らしい記録、写真の共有ありがとうございます‼

博物館のSLの僚機の北海道での活躍、感慨深いもの有りますね。

まだ私がヨチヨチ歩きの頃、まだまだ蒸気健在でしたか(^_^)

teru さま、早速コメントありがとうございます。

私も辛うじて、現役SL最後の旅客列車に間に合いましたが、貨物の方はD51があの頃はかなり高頻度で走っていたように記憶しています。その辺もこれからご紹介できればと思っております。

そういえば、BSフジで土曜日の夜やっていた鉄道伝説も今週で終わりのようですね。

クハ415-1901さん、新シリーズを拝見しました。
C57の最後の雄姿・・・北海道の大地を行く姿・・・たいへん美しいですね。
「5淑女」とはなるほどなあと思いました。
1975年まで蒸気機関車運転が行われたのは北海道が最後だったでしょうか。
私も当時NHKで放映された『さようなら蒸気機関車』を視聴しています。

やぶおさま、こちらにもコメントありがとうございます。

我が国の現役蒸気機関車の最後の運転はなんと追分機関区の9600だったと記憶しています。

一番多くの両数製造されたD51ではなく、なんと大正生まれの釜だった9600が最後まで残ったのは驚きでした。

そして追分機関区で保存が決まっていた釜が1976年3月の最終運転終了後、4月13日のランドハウスの火事で焼けてしまったのですね.その時にはSLのみならず、新製配置されたDLも罹災してしまったのですね。私も、以前掲示板の方でご紹介しましたが、その時に消失したD51241を撮っていましたのでこちらでも紹介しようと思います。

火事に関する詳細は http://homepage3.nifty.com/EF57/topic/topic17.htm などでも記載されています。

【滝川機関区】なぜか?蒸気機関車の最終運用(昭和50年12月)機関区の話題で、追分機関区、岩見沢第一機関区ばかりで滝川機関区がほとんど無いのが残念です。

滝川機関区といえば有名なD51 603が12月5日まで。担当線区の歌志内線、上砂川支線も12月5日まで運用されていた機関区なのにね。地味で話題性ないので無視されていたのかな。 

訂正です。上砂川支線の蒸気最終運用は昭和50年11月4日でした。(D51 603が担当)

なおきさま、はじめまして。
コメントありがとうございます。

既に45年も昔のことですが、根室本線滝川~根室間を受け持っていたのが滝川機関区だったのですね。
http://d51791.com/pg26takigawa.html こちらのサイトを拝見して、滝川機関区の配置状況を知りました。
手許の国鉄車両配置表によると1975年3月31日時点では9600形式8両、D51形式14両となっていました。
D51603に関しては1975年11月国鉄最後の検査出場、保存予定であったものの、追分機関区の火災で焼損、解体されるが前頭部がSL収集家のもとに保存され、2002年11月突如情報が知れ渡り、2003年春に公開 嵯峨野観光鉄道 19世紀ホールにて 第3動輪は北海道 三笠市 幌内町2-287 三笠鉄道記念館 なんですね。

1974年75年の夏・秋の北海道旅行では室蘭本線登別での撮影のみが可能でした。

B767-281(クハ415-1901)さま。

根室本線の全線無煙化日。昭和50年(1975年)12月9日。

前日の12月8日に根室本線 滝川-芦別間でひっそりと、蒸気最終列車5481列車が運行されました。5481列車の牽引機関車は滝川機関区の19667でした。https://imahamayatomi.at.webry.info/201101/article_31.html

9800型の本線最終運用(入換え除く)は19667と29657で根室本線のようです。幌内線ではないようです。https://imahamayatomi.at.webry.info/201101/article_25.html

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