1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引旅客列車 D5153 D51 59 D51 60他
1974~75年当時、貴婦人C57の陰に隠れる形であまり注目はされていませんでしたが室蘭本線にはD51牽引の旅客列車も走っていました。
1枚しか撮っていませんが、岩見沢に到着したナメクジドームのD51 53号機牽引の225レの写真を載せます。
D51といえば前照灯の後ろに枕木方向に給水暖め器が載っているのがトレードマークですので、それがレール方向に配置されているナメクジスタイルは正面から見るとちょっと変わって見えますね。
この写真は同じ列車が引き上げて行くところだったと思います。
まずはD51形のプロフィールです。
製 造 所 国鉄浜松工場・国鉄大宮工場・国鉄鷹取工場・国鉄小倉工場・国鉄長野工場・国鉄土崎工場・
国鉄郡山工場・国鉄苗穂工場・川崎重工業・汽車製造・日立製作所・日本車輌・三菱重工業
製 造 年 1936 年
軸 配 1D1-T22
重 量 77.6t
使 用 圧 15.0㎏/㎠
火格子面積 3.27㎡
全伝熱面積 157.1㎡
汽 筒 550×660㎜
車 輪 径 860㎜+1400㎜+860㎜-T860㎜
水 槽 20.0t
炭 庫 8.0t
弁 装 置 ワルシャート
D51形は同じ軸配置(2-8-2:Mikado)のD50形の三缶胴構成の燃焼室を持たない広火室構造のストレートボイラーを搭載し、棒台枠を採用するなどの基本設計は共通でした。この辺は先日の鉄道伝説「D51]の回の放送でも強調していましたが、技術的には決して新しいものには飛びつかず従来からの技術の延長線上で新たな車輌を開発して行く島秀雄設計主任者のポリシーの現れだったようですね。
ボイラー使用圧力は当初D50形の13 kg/cm²に対して14 kg/cm²と1 kg/cm²昇圧、シリンダー径を縮小しつつ牽引力の若干の増大を図っています。また、リベット接合部を電気溶接で置き換えるなど、構造と工法の見直しを行って軸重の軽減と全長の短縮を実現したため、全国配備が可能となりました。最大動軸重を14.3 tに引き下げ、これによりD50形では入線が困難だった丙線への入線が可能とされました。ただし、標準形以降は最大・平均共に動軸重が増大し、特に最大動軸重は最終的に15.11 t(第4動軸)とD50形(14.99 t(第1動軸))以上の値となっています。
全長は初期形でD50形より571 mm短縮されました。フロントオーバーハングの大きいD50形は、退行運転や推進運転時に、軽量な二軸車を中心として連結相手を脱線させてしまう事故をしばしば起しましたが、この問題は前部デッキと先台車の設計変更により改善が図られました。その反面、先台車周辺の保守が困難になり、検修陣からは嫌われたようです。
先台車からテンダーの第4軸までの長さが17 mを、前部端梁からテンダー後部端梁までが19 mを、それぞれ超過するD50形は60フィート (18.3 m) 転車台での転向が難しく、通常は20m転車台での転向を必要としていましたが、この短縮により亜幹線クラス以下の路線に多数存在した60フィート転車台での転向が可能となったことは、本形式の運用範囲拡大に大きく貢献しています。
戦時形ではボイラー使用圧力15 kg/cm²への引き上げがなされ、動軸重の増加も行って牽引力を増大しました。初期形、標準形についても戦後に缶圧の引き上げと輪重増大改造が行われました。
残念ながら番号は識別不能ですが、追分区で休んでいたナメクジスタイルのD51 1975/10
初期形
D51 1 - 85・91 - 100
先台車:LT126、従台車:LT154B、テンダー:8-20・8-20A(8-20Aは91 - 96のみ)、動力逆転機搭載
初期に製造された95両は、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水暖め器をレール方向に置き、それらを覆う長いキセ(着せ=覆い)持つことが外観上の特徴で、その後の通常形ドームとの区別のため「半流線形」、略して「半流形」と呼ばれるようになり、その形状から「ナメクジ」とも呼ばれました。また、汽車製造会社製の22・23号機はドームがさらに運転台まで延びているため、「おおナメクジ」、「スーパーナメクジ」と呼ばれています。この両機は後に保守上の都合等から通常の「ナメクジ」型に改装されています。また、このグループは運転台の奥行きが標準形に比して短かかったそうで、その理由はD50形よりも前頭部を短くしたために後部が重くなってしまい、そのバランスをとるために小型化したものだったそうです。
第1動軸から順に軸重が14.99t・14.80t・14.79t・14.21tと第1動軸を重く第4動軸を軽く配分してあり、牽き出し時に重心が後へ移動することで各動軸の軸重が平均化されるため空転が発生しにくい設計だったD50形と比較して動軸の重量配分に明らかな不備があり、動軸重が第1動軸から順に13.17t・14.30t・14.23t・14.30tで列車牽き出し時などの過荷重状態で第1動軸の軸重が低下し額面上の性能向上にもかかわらず空転が頻発する傾向が強かったため、乗務員の評価は良くなかったそうです。
ナメクジ形は、構造上汎用形の集煙装置が取り付けられないため、配置が区別されており、標準形と同仕様へ改造された例もあるそうです。
岩見沢第一機関区で休むナメクジスタイルのD51 1975/8
初期形の特徴として,一般的なねじ式の逆転機ではなく蒸気動力方式による動力逆転機の搭載がありますが、この写真の釜では通常の逆転機に改造されています。動力逆転機は2~3%の微妙なカットオフが出来ないため現場からが敬遠されたそうです。また炭水車の8-20は石炭8t,水20tの搭載能力を意味します。
最後に冒頭の写真で紹介したD51 53号機の履歴です。
川崎重工兵庫工場=1811 1937-08-07 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1937-08-07 製造→ 納入;国鉄;
D5153→ 配属;東京局→1937-08-07 使用開始→
1937-08-14 配置[東鉄達810];田端→1944-05-14 水戸→1944-08-05 借入;
田端→1944-08-19 返却→1949-07-05 田端→1955-02-08 岩見沢→
1955-05-14 耐寒工事施工→1964-05-11 第一缶胴交換→1965-06-06 借入;
富良野→1965-06-17 返却→1966-06-18 借入;
富良野→1966-06-22 返却→1958-04-01 現在;
岩見沢→尻内? →1968-10-12 直方? → 岩見沢→1976-03-01 廃車;岩見沢一
1975年3月31日時点での蒸気機関車(D51ナメクジ)の配置状況をみると
岩見沢第一 15▲、53,59,60
滝川 38,68,96
追分 4,70, ▲は第二種休車 となっていました。
苫小牧駅で車中から撮影した59号機 1975/8
川崎重工兵庫工場=1817 1937-08-17 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1937-08-17 製造→ 納入;国鉄;D5159→ 配属;札幌局→1937-08-17
使用開始→
配置[札鉄達833];札幌局→ 追分→1937-08-28 借入;
稲沢→1937-12-02 返却→1941-03-31 現在;
追分→1948-07-01 現在;
追分→1961-09-12 金沢→1962-06-22 追分→1962-10-09
耐寒工事施工→1968-02-17 小樽築港→1973-10-04 北見→1975-07-31 現在;
岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→
保存;長野県伊那新町「荒神山スポーツ公園」;D5159
へたくそな写真で恐縮ですが登別を通過する60号機 1975/8
川崎重工兵庫工場=1818 1937-08-20 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1937-08-20 製造→ 納入;国鉄;D5160→ 配属;
札幌局→1937-08-00 借入;吹田→1937-00-00 借入;
稲沢→1937-00-00 借入;仙台→1937-11-01
使用開始;札幌局→1937-12-01 配置[札鉄達833];
追分→1940-06-23 借入;尻内(一般検査出来栄審査)→1940-07-03 借入;
青森→1940-07-10 返却→1941-03-31 現在;
追分→1945-09-30 現在;
追分→1947-12-02 旭川→1952-09-00 名寄→1963-03-26 運転室特別整備(含キャブ密閉化)→1975-01-07 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一
(機関車のプロフィールと履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)
次回は,これらの中から羽幌線や登別で逢ったD51 4号機について記述します。
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