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2013年3月31日 (日)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 2 D51 241

北海道のD51の話題、今回からはちょっと変わった煙突の話題で行きます。

 

所謂、ギースルエジェクターと言われる誘導通風装置が組み込まれたエキゾーストシステムで、もともとはオーストラリアで考案されたものです。10%程度の燃費節約効果があったそうです。外観は上から見るとレール方向に長い楕円形、横から見ると逆台形の形状の煙突が特徴でした。1963年に輸入され、349,357号機でテストが行われ、効果が見られたため1966~1968年に秋田、追分所属機計33両に実施されたそうです。

 

ギースルエジェクター装備機(35両)

 

117, 120, 167, 226, 232, 241, 276, 285, 293, 308, 315, 328, 343, 345, 349, 357, 371, 391, 413, 457, 492, 509, 539, 570, 605, 711, 725, 733, 742, 842, 952, 953, 1037, 1042, 1119

 

(データは蒸気機関車 形式D51 伊藤久巳著より引用)

 

太字の3両は私も北海道で撮影しておりますので、紹介したします。

 

今回はD51 241号機ですが、この釜はギースルエジェクター装備機と言うよりは、D51として最後の貨物列車を牽引し、追分町鉄道記念館での保存も決まっていたのに1976年4月13日の追分機関区の火事で焼失してしまった悲劇のD51として有名な釜です。

 

この火災では運転が終了して保存予定であった蒸気機関車だけでなく、これから活躍するはずだった新鋭DD51、DE10 もこの火事の犠牲になったのですね。

 

D51-4両 (241 603 465 1083),
9600-1両 (79602),
DD51-7両 (DD51-682 683 684 1079 1103 1144 1169),
DE10-1両(1744) の13両が被災しました。

 

詳しくはこちらに記載されています。

 

D51_241_1297_7510_1
煙を上げながら追分構内に入ってきたD51 241号機牽引の1297レ
D51_241_1297_7510_1a_3
ギースルエジェクターと分かる煙突です。

 

D51_241_1297_7510_4_2
エンジンを若干後ろから見ると特徴的な煙突に気付きます。

 

D51 241号機の履歴です。

 

国鉄苗穂工場=[5]              1939-12-27 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1939-12-27 製造→ 納入;国鉄;D51241→
配属;札幌局→1939-12-28
配置[札鉄達7];追分→1939-12-29 竣工→1941-03-31 現在;
追分→1945-09-30 現在;追分→1959-07-24 運転室特別整備→1962-03-12
旋回窓取付→1962-04-12 借入;
富良野→1962-04-21 返却→1968-01-19 借入;
小樽築港→1968-03-11 返却→
1975-12-24/SL 貨物最終列車牽引(夕張線夕張発19 時10 分発追分行第6788 列車)→
      1976-03-10
廃車;追分→1976-04-13 追分機関庫火災により焼失

 

(履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

 

火災による焼失のため、その後の機関車としての保存は叶いませんでしたが、部品は保存されており、第三動輪、ナンバープレート入りの煙室扉が、追分町鉄道資料館前に設置してあり、 第二動輪クランクピン鍔は小樽交通記念館 蒸気機関車資料館に保存されているそうです。
2000年11月21日「第三動輪」「ナンバープレート」は追分町文化財指定第2号に指定されたそうです(こちらのサイトから引用)。

 

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2013年3月30日 (土)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 1 D51 4

昨日、予告しましたように今回はD51初期形のなかでも1974年1975年の北海道旅行でじっくりと見る機会があったD51 4号機にスポットを当てたく思います。

 

まず、同機の履歴ですが、

 

川崎重工兵庫工場=1646            1936-03-27 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1936-03-27 製造→ 納入;国鉄;D514→ 配属;
名古屋局→1936-04-25 使用開始→
1947-10-00 現在;静岡→1948-07-01 現在;
静岡→1953-06-00 現在;
中津川→1953-07-20 借入;木曽福島→1953-07-31 返却→1961-11-28
特別塗装→1966-07-07(7/2?)深川→1966-09-27
耐寒工事施工→1967-02-02 旋回窓取付→1975-02-06 追分→1975-12-03
廃車;追分

 

(沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

 

名古屋局からスタートして中央西線などで活躍した後、1966年に北海道に渡り、1975年2月まで深川区に所属し,留萌・羽幌線で働き、最後の活躍の場が追分機関区だったことが分かります。

 

1974年の夏、留萌から羽幌線で羽幌に向かっていたときに,どの駅だったか忘れましたが逆向き牽引でやってくる対向列車がD514の牽引でした。

 

D51_4_7407
このときは、蒸気機関車の時代もまもなく終わろうとしているのに,1115両も造られたD51にしては随分若い番号が残っていたんだなぁと感じました。

 

1975年の夏、追分に移った同機との再会は1295レを牽引してやって来たときでした。

 

D51_4_12957510
下り勾配のため、煙も吐かず,静かに下り線をやって来る4号機の姿です。D51の無骨なイメージではなく、今で言えばC61のようなイメージです。

 

D51_4_1295_7510
1295レは登別の中線に入って入れ換えを行う貨物だったようで、その入れ換えをシーンをじっくりと見ることができました。

 

D51_4_1295_7510_2
とくにナメクジドームとして当時人気の高かった部位をじっくり見ることができました。

 

D51_4_1295_7510_3
やがて入れ換えも終わり編成が整えられて,出発の時が来ました。

 

D51_4_1295_7510_2_2
昨日の記事のようにナメクジタイプは動輪上の軸重配分に問題があって重量貨物の引き出しは大変だったようですがこれくらいの貨物ならば問題なく発車して行きました。

 

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2013年3月29日 (金)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引旅客列車 D5153 D51 59 D51 60他

1974~75年当時、貴婦人C57の陰に隠れる形であまり注目はされていませんでしたが室蘭本線にはD51牽引の旅客列車も走っていました。

 

1枚しか撮っていませんが、岩見沢に到着したナメクジドームのD51 53号機牽引の225レの写真を載せます。

 

D51_53_2257510
D51といえば前照灯の後ろに枕木方向に給水暖め器が載っているのがトレードマークですので、それがレール方向に配置されているナメクジスタイルは正面から見るとちょっと変わって見えますね。

 

D51_53_2257510_2_2
この写真は同じ列車が引き上げて行くところだったと思います。

 

まずはD51形のプロフィールです。

 

製 造 所  国鉄浜松工場・国鉄大宮工場・国鉄鷹取工場・国鉄小倉工場・国鉄長野工場・国鉄土崎工場・     
国鉄郡山工場・国鉄苗穂工場・川崎重工業・汽車製造・日立製作所・日本車輌・三菱重工業
製 造 年  1936 年
軸   配  1D1-T22
重   量  77.6t
使 用 圧  15.0㎏/㎠
火格子面積  3.27㎡
全伝熱面積  157.1㎡
汽   筒  550×660㎜
車 輪 径  860㎜+1400㎜+860㎜-T860㎜
水   槽  20.0t
炭   庫  8.0t
弁 装 置  ワルシャート

 

D51形は同じ軸配置(2-8-2:Mikado)のD50形の三缶胴構成の燃焼室を持たない広火室構造のストレートボイラーを搭載し、棒台枠を採用するなどの基本設計は共通でした。この辺は先日の鉄道伝説「D51]の回の放送でも強調していましたが、技術的には決して新しいものには飛びつかず従来からの技術の延長線上で新たな車輌を開発して行く島秀雄設計主任者のポリシーの現れだったようですね。

 

ボイラー使用圧力は当初D50形の13 kg/cm²に対して14 kg/cm²と1 kg/cm²昇圧、シリンダー径を縮小しつつ牽引力の若干の増大を図っています。また、リベット接合部を電気溶接で置き換えるなど、構造と工法の見直しを行って軸重の軽減と全長の短縮を実現したため、全国配備が可能となりました。最大動軸重を14.3 tに引き下げ、これによりD50形では入線が困難だった丙線への入線が可能とされました。ただし、標準形以降は最大・平均共に動軸重が増大し、特に最大動軸重は最終的に15.11 t(第4動軸)とD50形(14.99 t(第1動軸))以上の値となっています。

全長は初期形でD50形より571 mm短縮されました。フロントオーバーハングの大きいD50形は、退行運転や推進運転時に、軽量な二軸車を中心として連結相手を脱線させてしまう事故をしばしば起しましたが、この問題は前部デッキと先台車の設計変更により改善が図られました。その反面、先台車周辺の保守が困難になり、検修陣からは嫌われたようです。

 

先台車からテンダーの第4軸までの長さが17 mを、前部端梁からテンダー後部端梁までが19 mを、それぞれ超過するD50形は60フィート (18.3 m) 転車台での転向が難しく、通常は20m転車台での転向を必要としていましたが、この短縮により亜幹線クラス以下の路線に多数存在した60フィート転車台での転向が可能となったことは、本形式の運用範囲拡大に大きく貢献しています。

 

戦時形ではボイラー使用圧力15 kg/cm²への引き上げがなされ、動軸重の増加も行って牽引力を増大しました。初期形、標準形についても戦後に缶圧の引き上げと輪重増大改造が行われました。

 

D51_7510
残念ながら番号は識別不能ですが、追分区で休んでいたナメクジスタイルのD51 1975/10

 

初期形

 

D51 1 - 85・91 - 100

 

先台車:LT126、従台車:LT154B、テンダー:8-20・8-20A(8-20Aは91 - 96のみ)、動力逆転機搭載
初期に製造された95両は、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水暖め器をレール方向に置き、それらを覆う長いキセ(着せ=覆い)持つことが外観上の特徴で、その後の通常形ドームとの区別のため「半流線形」、略して「半流形」と呼ばれるようになり、その形状から「ナメクジ」とも呼ばれました。また、汽車製造会社製の22・23号機はドームがさらに運転台まで延びているため、「おおナメクジ」、「スーパーナメクジ」と呼ばれています。この両機は後に保守上の都合等から通常の「ナメクジ」型に改装されています。また、このグループは運転台の奥行きが標準形に比して短かかったそうで、その理由はD50形よりも前頭部を短くしたために後部が重くなってしまい、そのバランスをとるために小型化したものだったそうです。
 第1動軸から順に軸重が14.99t・14.80t・14.79t・14.21tと第1動軸を重く第4動軸を軽く配分してあり、牽き出し時に重心が後へ移動することで各動軸の軸重が平均化されるため空転が発生しにくい設計だったD50形と比較して動軸の重量配分に明らかな不備があり、動軸重が第1動軸から順に13.17t・14.30t・14.23t・14.30tで列車牽き出し時などの過荷重状態で第1動軸の軸重が低下し額面上の性能向上にもかかわらず空転が頻発する傾向が強かったため、乗務員の評価は良くなかったそうです。
ナメクジ形は、構造上汎用形の集煙装置が取り付けられないため、配置が区別されており、標準形と同仕様へ改造された例もあるそうです。

 

D51
岩見沢第一機関区で休むナメクジスタイルのD51 1975/8

 

初期形の特徴として,一般的なねじ式の逆転機ではなく蒸気動力方式による動力逆転機の搭載がありますが、この写真の釜では通常の逆転機に改造されています。動力逆転機は2~3%の微妙なカットオフが出来ないため現場からが敬遠されたそうです。また炭水車の8-20は石炭8t,水20tの搭載能力を意味します。

 

最後に冒頭の写真で紹介したD51 53号機の履歴です。

 

川崎重工兵庫工場=1811            1937-08-07 S77.60t1D1T(1067)

車歴;1937-08-07 製造→ 納入;国鉄;
D5153→ 配属;東京局→1937-08-07 使用開始→
1937-08-14 配置[東鉄達810];田端→1944-05-14 水戸→1944-08-05 借入;
田端→1944-08-19 返却→1949-07-05 田端→1955-02-08 岩見沢→
1955-05-14 耐寒工事施工→1964-05-11 第一缶胴交換→1965-06-06 借入;
富良野→1965-06-17 返却→1966-06-18 借入;
富良野→1966-06-22 返却→1958-04-01 現在;
岩見沢→尻内? →1968-10-12 直方? → 岩見沢→1976-03-01 廃車;岩見沢一

 

1975年3月31日時点での蒸気機関車(D51ナメクジ)の配置状況をみると

 

岩見沢第一 15▲、53,59,60
滝川      38,68,96
追分      4,70,      ▲は第二種休車   となっていました。

 

D51_59_7508
苫小牧駅で車中から撮影した59号機 1975/8

川崎重工兵庫工場=1817            1937-08-17 S77.60t1D1T(1067)

車歴;1937-08-17 製造→ 納入;国鉄;D5159→ 配属;札幌局→1937-08-17
使用開始→
配置[札鉄達833];札幌局→ 追分→1937-08-28 借入;
稲沢→1937-12-02 返却→1941-03-31 現在;
追分→1948-07-01 現在;
追分→1961-09-12 金沢→1962-06-22 追分→1962-10-09
耐寒工事施工→1968-02-17 小樽築港→1973-10-04 北見→1975-07-31 現在;
岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→
保存;長野県伊那新町「荒神山スポーツ公園」;D5159

 

D51_60_7508_2
へたくそな写真で恐縮ですが登別を通過する60号機 1975/8

 

川崎重工兵庫工場=1818            1937-08-20 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1937-08-20 製造→ 納入;国鉄;D5160→ 配属;
札幌局→1937-08-00 借入;吹田→1937-00-00 借入;
稲沢→1937-00-00 借入;仙台→1937-11-01
使用開始;札幌局→1937-12-01 配置[札鉄達833];
追分→1940-06-23 借入;尻内(一般検査出来栄審査)→1940-07-03 借入;
青森→1940-07-10 返却→1941-03-31 現在;
追分→1945-09-30 現在;
追分→1947-12-02 旭川→1952-09-00 名寄→1963-03-26 運転室特別整備(含キャブ密閉化)→1975-01-07 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一

 

(機関車のプロフィールと履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

 

次回は,これらの中から羽幌線や登別で逢ったD51 4号機について記述します。

 

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2013年3月28日 (木)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線C57牽引旅客列車 その2

1970年代、室蘭本線で旅客列車を牽いて最後の活躍をしていたC57,今回は144号機です。

C57_144_224_751005
224レ登別駅出発シーン 1975/10/5

まずはいつものように履歴から見てみましょう。

三菱重工業神戸造船所=314          1940-10-19 S67.50t2C1T(1067)
車歴;1940-10-19 製造→ 納入;国鉄;C57144→
配属[達814];東京局→1940-10-19 使用開始→1940-10-19 配置;
高崎→1952-03-26 金沢→1952-00-00 富山→
1962-06-00 室蘭→1964-04-01 現在;
室蘭→1968-00-00 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→
保存;北海道岩見沢市「九条東みなみ公園」;C57144

C57_144_227_7508
1975/8 227レ 出発シーン

昨日の57号機と同じく、登別駅周辺と岩見沢駅で撮影していますが、当時の時刻表から列車の時刻を書き出してみると

227レ 室蘭1104→登別1145/1146→苫小牧1242/1252→追分1335/1339→岩見沢1433
229レ 室蘭1405→登別1453/1454→苫小牧1611/1631→追分1719/1724→岩見沢1820

222レ 岩見沢0550→追分0650/0709→苫小牧0752/0806→登別0928/0929→室蘭1014
224レ 岩見沢0915→追分1012/1018→苫小牧1102/1124→登別1222/1224→長万部1456

となっています。あの当時の普通列車によくあるように大きな駅での停車時間はかなり十分に取ってあったようですね。

C57_144_2297508
229レ 登別出発シーン 1975/8

C57_144_227
岩見沢に到着した227レ 1975/10

C57_144_7508
同じ227レでも到着ホームが違いました 1975/8

C57_144_7508_2
貴婦人と呼ばれる所以となったスマートな煙突とボイラー 1975/8 岩見沢

履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

<追記>

C57_38_7408_2

C57の写真、57号機と144号機しか撮っていないと申しましたが、列車内からのスナップ写真ですが、苫小牧で発車待ちをしている38号機の写真もありましたので、載せます。

C5738号機の履歴です。

日立製作所笠戸工場=946           1938-01-26 S67.50t2C1T(1067)
車歴;1938-01-26 製造→ 納入;国鉄;C5738→ 配属[達65];
名古屋局→1938-01-26 使用開始→
配置;名古屋局→1945-04-01 現在;
水戸→1955-08-01 現在;平→1957-08-26 借入;
宇都宮→1957-09-13 返却→1961-06-00 金沢→1962-06-00 室蘭→1964-04-01 現在;
室蘭→ 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一

C57_144_7508_3
到着後機関区に引き上げた44号機 1975/8 岩見沢

さらに144号機だとばっかり思っていましたが、この機関車44号機ですね。

44号機の履歴です。

三菱重工業神戸造船所=228          1938-03-20 S67.50t2C1T(1067)
車歴;1938-03-20 製造→ 納入;国鉄;C5744→
配属[達244];東京局→1938-03-30 使用開始→
配置;高崎→1943-09-29 尾久→1947-12-21 仙台→1958-05-00(1956 年?)小樽築港→
      1964-04-01
現在;小樽築港→1965-00-00
現在;室蘭→1969-00-00
現在;岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→
保存;愛媛県西条市「市民公園」;C5744

結局、5淑女のうち、撮っていなかったのは135号機だけでした。

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2013年3月27日 (水)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線C57牽引旅客列車 その1

1974年、1975年の北海道旅行で今でも最も印象に残っているのは、現役SLとして最後の旅客列車牽引に頑張っていた岩見沢第一機関区のC57達でした。

当時、C57で車籍があったのは梅小路蒸気機関車館で動態保存されていた1号機と、岩見沢区の5両で、番号は38, 44, 57, 135, 144でした。これら5両は当時、5淑女と呼ばれていたことは今回の調査で知りました。

C57は毎日2両ずつが仕業に就いていたようで1974年8月の北海道旅行の最終日に登別で撮影した際は57144の日で、1975年8月に同所を再度訪問した際も同じ釜でした。

登別を撮影ポイントに選んだ理由は特急停車駅であり、函館~札幌を結ぶ「北海」以外の全てのキハ82系特急が停車すること、比較的平坦な室蘭本線の中でも上り線は登別駅発車後、上り勾配となっており、煙が期待できることを事前に雑誌の情報で知っていたからでした。

当時、NHK特集などでも最後の旅客牽引蒸機として室蘭本線のC57の活躍ぶりが取り上げられており、その際に登場したのは135号機で、最後の旅客牽引蒸機として一躍有名になり、引退後、交通博物館、大宮の鉄道博物館に展示されていますが、僚機だった57号機は東京の世田谷区立大蔵運動公園に、144号機は岩見沢市九条東ミナミ公園にて保存されているようです(Rail Magazine 日本の蒸気機関車 1994/1)。

今回はC57 57号機について触れたく思います。

まず国鉄蒸気機関車C57型のプロフィールですが、

以前、宮崎で逢ったC55の記事で紹介しましたが、C57形は1937年C55形の63号機として製造が始められた機関車です。改良箇所が多岐に及んだため、検討の末に新形式とすることが決定され、C57形蒸気機関車として誕生をしています。

1947年までの間に201両が量産されました。信頼も高く、C51形に始まるライトパシフィック機の決定版となりました。

製 造 所  川崎重工業・汽車製造・三菱重工業・日立製作所
製 造 年  1937 年
軸   配  2C1T2-2
重   量  67.5t
使 用 圧  16.0㎏/㎠ (それまでのC55の14.0㎏/㎠に較べて高められました)
火格子面積  2.53㎡
全伝熱面積  127.4㎡
汽   筒  500×660㎜ (シリンダー直径はC55の510mmから小さくなっています)
車 輪 径  860㎜+1750㎜+860㎜-T860㎜ (C55のスポークタイプからボックスタイプへ)
水   槽  17.0㎥
炭   庫  12.0t
弁 装 置  ワルシャート

57号機は1~138号機までの第1次形に属し、その履歴は以下の通りです。

川崎重工兵庫工場=1921           
1938-05-03 S67.50t2C1T(1067)
車歴;1938-05-03 製造→ 納入;国鉄;C5757→
配属[達363];大阪局→1938-05-03 使用開始→
配置;大阪局 →1942-09-30 現在;
    宮原→1945-04-01 現在;
    岡山→1949-09-08 現在;
    金沢→1954-10-01 現在;
    小樽築港→1964-04-01 現在;
    小樽築港→苗穂→1974-07-15 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→
保存;東京都世田谷区「大蔵総合運動場」;C5757

以上のデータは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

C57_57_222_751005
登別を発車した上り222レ 1975/10/5

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登別に到着する上り224レ 1975/8 絶気状態

C57_57_227_7508_2
C57_57_227_7508_2_6
登別を発車した227レ 下り列車の出発シーンも結構煙が上がっていました。 1975/8
C57_57_229_7508
229レの出発 俯瞰で 1975/8

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最後は岩見沢に到着する227レ 1975/8

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2013年3月26日 (火)

1974,1975 北海道へ 5 ED76 500番台

1968年に北海道地区の電化開業用としてED76 500番台が開発されました。車軸配置と列車暖房方式が共通であることを理由としてED76形の一区分番台とされていますが、解説書などによるとこれは労働組合との約束上、形式が異なると研修等を行う必要が生じるので、上記の理由で枝番とされたと聞いております。

1968年から1969年にかけて22両(501 - 522号機)が製造されました。九州のED76基本番台がED75の60Hz版である300番台のSG搭載量産型とするならば、こちらはサイリスタ制御の試作機ED75501号機のSG搭載量産型といえるように思います。

Ed76_501_7510
札幌駅で客車列車を牽いて出発待ちをするED76501号機 1975/10

外観上の特徴は大容量 SG 搭載に伴う水と灯油タンクの大型化・下枠交差型パンタグラフの装備・特別高圧機器のない屋根上・7列に配置された専用エアーフィルタールーバー・前面の貫通扉とタイフォン設置などです。これら北海道向け装備の搭載や大容量化により、車体長は基本番台より1m延長されてF級機並みの 18.4 m となりました。

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同じく札幌駅 1974/8/4

制御装置は無電弧低圧タップ切換を踏襲しましたが、位相制御は磁気増幅器に代わりED75形500番台(S形)で採用されたサイリスタとしました。S形では全サイリスタ制御方式が採用されていましたが、ED76500番台では誘導障害対策からタップ間電圧の位相制御に留まりました。電源周波数は50Hz専用です。重量貨物列車運用を考慮した重連総括制御が採用されており、スカート部には重連総括制御用のジャンパ連結器が設置されています。制動装置は重量貨物列車けん引時の制動距離短縮のため単機増圧機能を持っています。

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SGの煙を出しながら札幌駅に到着した512号機 1975/10

酷寒地での運用にあたって耐寒・耐雪対策が特に強化されており、冷却風の車内循環や自然通風による粉雪の侵入防止・特別高圧機器の室内配置・各部への凍結防止ヒーターの追加・鋳鉄制輪子を軽くあて続ける耐雪ブレーキの装備など重装備となっています。投入線区である函館本線小樽 - 旭川間は電化にあわせ軌道強化が済んでおり、全区間軸重16tでの運転が可能であったことと低規格線区への入線もないため、中間台車TR103F 形による軸重調整は重量列車起動時の抜重と冬季のSG運転に伴う水と灯油の消費に合わせた調整のみに用いられました。後に、50系51形客車連結の普通列車において出発合図を送るためのブザー回路も追加されています。
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白石駅に進入する旅客列車 1991/8/20

ED76500番台も北陸のEF70と同じように使用パンタは小樽方面固定でした。

客車列車の電車化が進展して運用が減少し、1994年までに551号機に改造された514号機を残して全車が廃車となりました。Ed76_519
小樽駅にて 519号機 1975/10

<配置・運用>

空知運転所(旧・岩見沢第二機関区)に配置され、函館本線の電化区間で急行「大雪」をはじめとする客車列車の牽引に使用されました。

旅客列車は721系電車の投入により電車化が推進されたことで運用範囲は漸次縮小しました。貨物列車などはDD51形DF200形等のディーゼル機関車を電化区間へも直通させる運用方針が既に採られており、貨物機への転用もなされませんでした。末期は5両が残存し小樽 - 岩見沢間1往復の運用に充てられていました。1994年に全車が廃車となり、同時に所属していた空知運転所も閉鎖されました。
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札幌駅にて 521号機 1975/10

1991年に改造された551号機は青函運転所(現・函館運輸所青函派出所)に転属し、津軽海峡線で快速「海峡」をはじめとする客車列車の牽引にあたりました。ED79形よりも車体長が長く、駅構内での停止位置が異なるなど運用上特段の注意を要したため「トワイライトエクスプレス」など特定の列車に集中して使用されたが、1両のみの存在ということもあって2001年に廃車となりました。

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ラストナンバー522号機 札幌駅

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2013年3月25日 (月)

1974,1975 北海道へ 4 731系

北海道初の通勤形電車として1996年から運用に就いているのが今回ご紹介する731系です。

1968年から札幌都市圏の近郊輸送に使用されていた711系電車の老朽取替とスピードアップを目的として導入された、JR北海道では初の本格的な通勤形車両です。1996年12月24日に営業運転を開始しました。

711系電車721系電車のデッキ付き・クロスシート構造ではラッシュ時の乗降に時間を要し、特に片側2扉構造の711系はダイヤ遅延の大きな原因となっていたほか、国鉄末期からの新駅増設により平均駅間距離が短くなったため、性能不足と老朽化が目立つようになってきていました。そこで731系電車では、オールロングシート、デッキを廃止した客室構造、キハ201系気動車との協調運転機能など、従来の北海道仕様の車両にはない数々の新機軸が盛り込まれました。鉄道友の会より1997年度ローレル賞を受賞しています。

1999年までに3両編成19本(57両)が製造された後、2006年に3両編成2本(6両)が一部仕様を変更して増備されました。製造メーカーは川崎重工業と日立製作所の2社です。721系電車・733系電車・735系電車・キハ201系気動車と相互に連結することが可能で、キハ201系との併結では現在日本で唯一の電車と気動車による協調運転が行われています。

車体は軽量ステンレス製で、車体傾斜装置を持つキハ201系気動車と共通の構体を用いているため、車体断面は上方窄まりの台形断面となっています。片開き式の客用扉(有効幅1,150mm)を片側3箇所に設けました。車体側面の帯色は萌黄色(ライトグリーン)+赤です。

先頭車は高運転台構造として視認性を向上し、衝撃吸収構造を採用しました。前面中央部が前方に突出する独特の形状をもち、冬季対策として全6灯の前照灯(腰部の2灯はHIDランプ)、スノープラウ兼用の大型スカート、高速ワイパーを装備しています。正面貫通扉には、増解結時間短縮のため自動幌が採用されました。また、運転台には721系や785系などと同様の左手操作式ワンハンドルマスコンを搭載し、モニタ装置はタッチパネル式のカラー液晶ディスプレイとなりました。

運転台正面窓(助士席側のみ)・側面窓はポリカーボネート製で、冬季間に車体に付着した氷塊が走行中に落下し、跳ね上げたバラストが窓を破損させる事故を防ぎます。前面上部の種別表示器・側面の行先表示器はともに幕式で、2007年には前面種別表示の英字併記・側面行先表示の列車種別併記などのデザイン変更がなされました。

<制御方式・ブレーキ・台車>

主回路の制御方式はVVVFインバータ制御で、制御素子にIGBT を採用しました。主電動機は新開発のかご形三相誘導電動機 N-MT731形 (定格出力230kW) を中間電動車のモハ731形に搭載しました。両端に制御車クハ731形を連結し、編成はクハ731-100+モハ731-100+クハ731-200の3両を1単位として構成されています。

ブレーキ装置は電気指令式空気ブレーキ(応荷重装置付き)です。電力回生ブレーキを併用するため、屋根上に発電ブレーキ用の抵抗器は装備しません。基礎ブレーキ装置は両抱き式踏面ブレーキで、制輪子はJR北海道苗穂工場製の特殊鋳鉄制輪子を使用しており、凍結した線路上でも最高速度から600m以内での停止が可能です。パンタグラフは当初、721系と同一の下枠交差型を搭載しましたが、後に着雪防止対策として、全車がシングルアーム型(N-PS785形)に交換されました。

台車は軸梁式、ヨーダンパ付のボルスタレス台車(N-DT731・N-TR731形)で、床面高さを下げるため車輪の直径を小さくし、810mm径としています。

2006年製の G-120・G-121編成は一部仕様が変更され、バリアフリー対応として従来の和式トイレに代わって車椅子対応の大型洋式トイレを設置したため、クハ731形の後位客用扉が中央寄りに移されました。パンタグラフは当初からシングルアーム式を搭載し、主変換装置の仕様も変更されています。

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731系 G-101編成 2010/6/24 南千歳

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731系 G-102編成 2002/8/27 札幌 まだパンタグラフが下枠交差の頃の写真

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731系 G-103編成 2010/6/26 恵庭

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731系 G-104編成 2008/3/21 平和 731系同志の併結

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731系 G-105編成 2008/3/22 上野幌

といった具合に今のところG-107編成以外はすべての写真を撮っておりますが、残念なことにキハ201系との併結シーンはまだ撮っておりません。

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731系 G-115編成 721系との併結シーン 2010/6/26 北広島

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731系 G-120編成 2006年に増備された2本のうちの1本 2008/3/21 上野幌

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731系 G-121編成 2006年に増備された2本のうちの1本 2010/6/26 サッポロビール庭園

以上、731系でした。721系に較べると編成番号の構成なども極めてシンプルでわかりやすいです。さらに札沼線の電化開業などで733系、735系がデビューしていたことは今回の緒調査で初めて知りました.また北海道に行く機会があればその際に撮影したく思います。今回もWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年3月24日 (日)

1974,1975 北海道へ 4 721系 その2

些か間が開いてしまいましたが、再開したく思います。

721系の現在の編成と写真ですが、
今回はまずF-1009編成です。

1001 - 1008 は2003年の編成変更で8次車を混成し、6両固定編成(4101-4204)となった。

2003年に編成変更されず残存した唯一の1000番台編成であり、新千歳空港方先頭車の全室が「uシート」に改造されています。

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721系 F-1009編成 2010/6/26 上野幌

続いて、F-5001編成です。2003年の編成組替で捻出された1000番台の先頭車2両に、8次車の電動車 モハ721-5001 を組成した3両編成です。 番号の新旧対比 はクハ721-1005・2006 → クハ721-5001・5002となっています。個人的な感想ですが、5000番台と大きな番台をふっているには1編成しかないため、編成番号が雑多になってしまっている感もありますね。

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721系 F-5001編成 2010/6/26 上野幌 運用上は上記のF-1009編成と6連を組むことが多いようです。

以上が現在、活躍中の3両編成で、23本在籍します。

続いて、6両編成です。721系の6連の特徴は前後の3連で編成番号が異なることで、世の中で編成番号を2つ持つ6連はここだけではないでしょうか(笑)。

まずはF-3222 + F-3123編成です。
1992年、3両編成であった4次車 F-22 編成に中間車3両(5次車)を組み込み、6両固定とした編成です。2002年の 130 km/h 対応改造で F-3022・F-3023 編成と改められ、更に2011年の制御系更新改造により現在の編成番号となりました。

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721系 F-3022編成 2010/6/24 南千歳

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721系 F-3023編成新札幌 2008/3/21
2010年以降北海道に行っていないため2011年の改番前の写真ですが、解説を見るまでは前後で編成番号が異なることを知らず、クハが何かの理由で交換されたものかと思っていたものでした。

続いて5次車からの6連で、
2002年に全車が 130 km/h 対応改造を受け、車両番号は3000番台(原番号+3000)に変更された。

F-3101-F3201からF-3103-F3203までの3編成が存在します。uシート車が付いていますが、2000年設置当時は半室の設定でしたが、2003年に全室に改められました。

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2002/8/27 uシート車が半室だったときの写真 南千歳

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721系 F-3101編成 2002/8/27 南千歳

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721系 F-3201編成 2008/3/20 北広島 uシートは全室に

続いてはF-4000番台のF-4101-F4201などのグループで4本が在籍し、2003年の編成変更で、1000番台の6両(3+3両)編成3・4両目の先頭車を8次車の付随車2両に組み替え、6両固定とした編成です。 電動車は従来の1000番台仕様で、ブレーキ遅れ込め制御を持たないため編成の全車を4000番台として区分しました。

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721系 F-4101編成 2008/3/22 上野幌

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721系 F-4201編成 2010/6/26 北広島

最後はF-5100-F5200番台グループで、3本在籍し、2003年の編成変更で、4000番台編成の組成で捻出された1000番台先頭車2両に、8次車の中間車4両(電動車2両+付随車2両)を組み込み6両固定とした編成です。 新製した電動車の制御システムが従来車と異なり、ブレーキ遅れ込め制御を行うため編成の全車を5000番台として区別しました。

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721系 F-5101編成 2010/6/26 南千歳

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721系 F-5201編成 2010/6/24 南千歳

といったように6両編成版は11本在籍し、全部で135両(23x3+11x6)が活躍中です、

以上、721系の編成と写真、テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年3月19日 (火)

1974,1975 北海道へ 4 721系 その1

721系電車は、JR北海道が1988年から2003年まで製造した交流近郊形電車です。

北海道内の電化区間、特に札幌近郊においては輸送需要の増加が著しく、新駅の設置や列車増発などの対応がとられてきましたが、複線ではあるものの待避設備をもつ駅が少なく、かつ、特急列車から回送列車まで多様な種別の列車が同一の線路を往来することから、列車運転頻度を向上するためには加速・減速性能に優れた車両が必要でした。 また、バス・自家用自動車など競合交通機関の存在も無視できず、高品質の旅客サービス提供も課題とされました。従来から使用してきた711系電車や50系(51形)客車はこの条件に対応しきれず、内外装の仕様を一新した新形式として開発された車両が721系です。 1988年11月3日に営業運転を開始しました。

当初はサイリスタ位相制御を用いた3両編成を基本とし、札幌駅を中心とする近郊区間で使用されました。 1992年には空港アクセス輸送(「新千歳空港駅乗り入れ)に対応する6両固定編成が製作され、翌1993年からはVVVF インバータ制御を採用するなど仕様の変更を重ね、2003年まで製作されました。

製作は川崎重工業・日立製作所・東急車輛製造にて行われたほか、苗穂工場でノックダウン生産された車両もあります。

<車体>

軽量ステンレス製で、正面窓直上部に設けた灯火類を保護ガラスで覆った前面形状はキハ183系500番台に類似しています。 客用扉は片開き式を片側3か所に設けました。北海道の普通列車用車両として初めて冷房装置を装備し、各車の屋根上に集中式冷房装置 N-AU721 形(23,000 kcal)を1基搭載しました。 側窓は大型の固定窓で、8次車以外は冷房故障時の換気のため一部が開閉できるようになっています。 車体の帯色は、一般車が萌黄色(ライトグリーン)、uシート車は側窓下部のみ濃青+赤です。

運転席にはプラズマディスプレイ単色表示のモニター装置を装備し、 JRグループの車両としては初めて、ワンハンドルマスコンを採用しました。

制御系は5次車までがサイリスタ位相制御による直流電動機駆動(N-MT721・150kW、歯車比4.82)、 6次車以降は VVVF インバータによる交流電動機駆動(N-MT785・215kW、歯車比5.19)を行っています。

<台車>

台車は211系電車などの DT50 系ボルスタレス台車を基本に、高速走行時の蛇行動を防ぐヨーダンパを設け、 氷雪対策として基礎ブレーキ装置を鋳鉄制輪子両抱き方式とした N-DT721形・N-TR721形で、枕バネは空気バネ、軸箱支持は DT50 系と同様の円錐積層ゴムを用いています。 1000番台(6・7次車)からは支持方式を軸梁式に変更し、台車形式は N-DT721A 形・ N-TR721A 形とされました。

<内装>

室内は寒冷対策として両開き式の仕切扉を設けたデッキがあり、客室は前後2室に分かれます。座席は 2+2 列の転換クロスシートで、デッキ隣接部のみは 1+1 列となります。指定席「uシート」として使用される車両にはフリーストップ式のリクライニングシートを設置しました。 8次車では蛍光灯カバー及びデッキ仕切扉を廃止し、扉隣接部の座席を2人掛けロングシートとしています。

<形式の構成>

サイリスタ方式の場合はMcM'Tc、VVVF制御ではTcMTcとなり、さらに6連用のサハも存在し、かなり複雑です。

クモハ721形 (Mc)車 (1-6・8-14・3015-3021・3201・3202)
サイリスタ位相制御車編成の制御電動車で、小樽方の先頭車として組成されます。制御系更新改造により、電装を解除しクハ721形 (Tc2)車 に編入された車両もあります。

モハ721形
1. (M')車 (1-6・8-14・3015-3021・1009・4101-4104・4201-4204)
編成の中間に組成される電動車で、2両目(3両編成)2両目と5両目(6両編成)に組成されます。1次車から7次車まで製作され、サイリスタ位相制御仕様とVVVFインバータ制御仕様のいずれも存在します。制御系更新改造により、(M)車に編入された車両もあります。

2.(M1)車 (5101-5103・5201-5203)
編成の中間に組成される電動車で、小樽方から2両目と5両目に組成されます。731系電車と同様のデッキなし客室・エアカーテンおよび車外スピーカが装備されています。IGBT 素子を用いた主変換装置を搭載する VVVF インバータ制御仕様で、8次車でのみ製作されました。

3.(M2)車 (5001)
編成の中間に組成される電動車で、3両編成を組成する必要から1両のみ(モハ721-5001)製作されました。F5001編成の中間に組成されます。IGBT を用いた主変換装置はM1車と同一ですが、編成を組むクハ721形6次車・7次車の仕様に合わせ、室内は片開き式の客室仕切戸を持ちます。

4.(M)車 (2107・3103・3203・3222・3123)
サイリスタ位相制御車編成から更新改造されたM'車がこれに該当し、2両目(3両編成)2両目と5両目(6両編成)に組成されます。IGBT 素子を用いた主変換装置を搭載する VVVF インバータ制御仕様で、731系電車などと編成の車両形式記号を統一するために新設されました。

モハ720形 (M)車 (3101・3102)
中間電動車で、クモハ721形から運転台を省いた基本構成を持ちます。集電装置は搭載しません。F3100番台編成(6両編成)の小樽方から4両目に組成されます。5次車で製作されました。制御系更新改造により、サハ721形(T)車に編入された車両もあります。

クハ721形
1. (Tc)車 (1-6・8-14・3015-3021・3101・3102)

サイリスタ位相制御車編成の制御車で、滝川・苫小牧方の先頭車として組成されます。後位デッキにトイレを装備します。制御系更新改造により、(Tc1)車に編入された車両もあります。

2.(Tc1)車 (1009・2107・3103・3122・4101-4104・5001・5101-5103)
VVVFインバータ制御車編成の制御車で、滝川・苫小牧方の先頭車として組成されます。後位デッキにトイレを装備します。F-1009編成に組成される車両(クハ721-1009)のみ座席がuシートです。

3.(Tc2)車 (2009・2207・3203・3222・4201-4204・5002・5201-5203)
VVVFインバータ制御車編成の小樽方の先頭車として組成されます。

サハ721形
1.(Tu)車 (3222・3201-3203・4201-4204・5201-5203)
編成の中間に組成される付随車で、滝川・苫小牧方デッキに車掌室があり、客室はuシートを装備します。6両編成の小樽方から3両目(uシート車)に組成されます。5次車と8次車で製作され、5次車では小樽方デッキにトイレを装備します。

2.(T)車 A.8次車 (4101-4104・5101-5103)
編成の中間に組成される付随車で、6両編成の小樽方から4両目に組成されます。8次車で製作され、デッキなし客室・エアカーテンおよび車外スピーカの装備などはM1車と同 一の仕様です。小樽方車端部に車椅子対応の大型トイレを装備します。

B.制御系更新車(3103・3123)
編成の中間に組成される付随車で、6両編成の小樽方から4両目に組成されます。5次車で製作された(M)車から電装を解除し編入された車両です。トイレの設備はなく客室仕様も5次車のままです。

<製造年次的な区別>

721系の場合、1988年から1年ごとに年次が増える呼び方をしており、1988年から1992年までの1~4次車は基本番台として製造されました。

1 - 4次車

クモハ721形 (1 - 22)
モハ721形 (1 - 22)
クハ721形 (1 - 22)

1988 - 1992年に製作されました。サイリスタ位相制御で、主電動機は直流電動機の N-MT721 形 (150 kW) です。 屋根上に発電ブレーキ用の抵抗器を設置しました。最高速度は 120 km/h で、3両編成で使用します。

15 - 222002年130 km/h 対応改造を受け、車両番号は3000番台 (3015 - 3022) に変更されました。

5次車

クモハ721形(201 - 203)
クハ721形(101 - 103)
モハ721形(23, 101 - 103, 201 - 203)
モハ720形(23, 101 - 103)
サハ721形(22, 201 - 203)


6両固定編成用の車両で、新千歳空港アクセスの快速「エアポート」用として1992年に製作されました。

基本仕様は4次車と同一で、新たに中間車のモハ720形・サハ721形が製作されました。モハ720形は本次車のみに存在する形式で、4両のみ製作されました。4号車となるサハ721形にトイレと車掌室を設けました。

番号は 100・200 番台を付番して区別しますが、4次車の F-22 編成に組み込まれた中間車3両(モハ720-23+モハ721-23+サハ721-22)のみは在来車の続番で付番されました。

2002年に全車が 130 km/h 対応改造を受け、車両番号は3000番台(原番号+3000)に変更された。

6・7次車

モハ721形(1001 - 1009)
クハ721形(1001 - 1009, 2001 - 2009)


1993年から製作された。785系電車の制御システムを採用し、制御装置は GTO 素子を用いた VVVF インバータ、主電動機は かご形三相誘導電動機の N-MT785 形(215 kW)である。 主電動機の出力増大によって、電動車は編成中に1両のみ組み込む 1M 方式とされた。 このためクモハ721形の設定はない。番号は1000番台に区分された。

車体の基本構造は5次車までと同一であるが、客室窓が熱線吸収ガラスに変更され、厚さは従来より 1 mm 薄い 4 mm となった。

上記の3両編成を基本単位とする。最高速度は 130 km/h である。

1001 - 1008 は2003年の編成変更で8次車を混成し、6両固定編成(4101-4204)となった。

1994年製作の モハ721-1009 を含む F-1009 編成は次期近郊形車両(→731系電車)のシステム試験に供され、VVVF インバータの半導体素子を IGBT に変更したほか、 抑速装置を発電ブレーキから電力回生ブレーキに変更し、屋根上のブレーキ用抵抗器は廃止された。 2003年の編成組替を受けず、1000番台として唯一残存する編成である。

8次車

モハ721形(5001, 5101 - 5103, 5201 - 5203)
サハ721形(4101 - 4104, 4201 - 4204, 5101 - 5103, 5201 - 5203)


快速「エアポート」編成変更のため、2003年に製作した車両である。731系の制御システムを採用し、IGBT 素子を用いた VVVF インバータで主電動機 N-MT731 形 (230 kW) を制御する。抑速装置は電力回生ブレーキを装備し、屋根上にブレーキ用抵抗器は設置しない。 最高速度は 130 km/h である。モハ721形のパンタグラフは当初よりシングルアーム式を装備する。

製作はモハ721形・サハ721形の中間車のみで、先頭車は1000番台編成(6・7次車)を組み替えて充当した。 編成に組成する電動車の仕様で車両番号を区別し、1000番台の電動車を組成した編成は4000番台(ブレーキ遅れ込め制御なし)、5000番台の電動車を組成した編成は5000番台(ブレーキ遅れ込め制御あり)を付番する

戸袋窓・非常窓が廃止され、従来車と窓配置が変わっている。側面窓は当初からポリカーボネート製である。防雪および氷塊落下事故防止のため、床下には789系電車などと同様の、全体を覆う機器カバーを設置する。

一般座席車の室内はデッキ仕切扉を廃止し、扉隣接の座席をロングシートに変更して大型の袖仕切を設けた。座席の配色は青を基調とする。 扉周辺の配置や配色は731系に類似しており、客用扉の上と横から温風を送り込み冷気を遮断するエアカーテン、遠赤外線暖房装置、ボタン開閉式の半自動ドアを装備する。 冷房装置は容量を増大した N-AU722 形 (30,000 kcal) に変更された。

トイレは車椅子対応のため大型化し、3号車となるサハ721形(一般座席車)に設置する。uシート車のサハ721形はデッキ扉を片開き式自動ドアとし、座席等の内装も大幅に変更された。
モハ721-5001 の1両のみは編成組替で余剰となった先頭車と組成し3両編成とするため、制御装置や電動機および客室座席は他の8次車と同一であるが、片開き式のデッキ仕切扉が設けられ、客用扉の半自動機能は装備しないほか、8次車の付随車が組み込まれていないため、ブレーキ遅れ込め制御は行わない。そのため他の8次車電動車が(M1)車であるのに対し、(M2)車と区別されている。

1000番台から5000番台まである理由が分かりましたが、実に複雑です。復習するとVVVFで1000と2000番台、130km/h化で3000番台、6連化に伴い編成変更されたとき、従来の1000番台と組成されたものは4000番台、新たな6連は5000番台となったと言うことですね。

<編成と運用>

全135両が札幌運転所に配置され、「エアポート」・「いしかりライナー」の快速列車に充当されるほか、普通列車として以下の区間で運用される。
•函館本線(小樽 - 滝川)
•千歳線・室蘭本線(札幌 - 苫小牧・新千歳空港)
•札沼線(学園都市線)(桑園 - 北海道医療大学)

5次車まではサイリスタ制御、6次車以降は VVVF インバータ制御であり、編成番号は中間電動車の番号に識別記号「F」を付加した番号で、3両単位で付番される。6両固定編成は前後の3両が各々別の編成番号をもつ。

それでは写真を載せますが、これまでの記述の通り、721系の場合、製造年次、さらに改造、そして編成組成の変更であまりに編成が複雑なので、今回はサイリスタ方式で製造された4次車までの写真と、その改造後の姿をメインに載せます。

F-1 - F-6 ・ F-8 - F-14
初期の 1・2 次車の編成で、3両編成13本(39両)が在籍します。
区間快速「いしかりライナー」と普通列車に運用されています。

これまでの北海道訪問でこのグループではF-1, F-12に逢っていません。

721_f02_100626
721系 F-2編成 2010/6/26 恵庭

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721系 F-8編成 2008/3/23 上野幌

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721系 F-14編成 2008/3/22 上野幌

F-3015 - F-3021
3両編成7本(21両)が在籍する。2 - 4 次車を2002年に 130 km/h 対応改造した3000番台の編成である。現在では F-1 - F-14 編成と共通に運用されている。 2003年までは札幌・小樽方の3両として「エアポート」運用があり、F-3015・3017・3019 編成は新千歳空港方先頭車の半室を「uシート」としていた。2003年の運用変更で「uシート」は普通席に戻されたが、当該車両は床の模様が他の車両と異なるため識別は容易である。一時的に「エアポート」の運用に用いられ、「uシート」のない新千歳空港方の3両の運用に入ることがある。

これまでの北海道訪問でこのグループではF-3016に逢っていません。

721_f3015_080322_2
721系 F-3015編成 2008/3/22 上野幌
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721系 F-3017編成 2010/6/26 サッポロビール庭園

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721系 F-3021編成 2002/8/27 南千歳

F-2107

3両編成1本(3両)が在籍する。2010年に F-7 編成を改造した編成で VVVF インバータ制御仕様である。 区間快速「いしかりライナー」と普通列車に運用されている。

2010年6月が今のところ最後の北海道訪問のため、F-2107編成には逢ってませんが、改造前のF-7編成は何度も観ていますのでそちらの写真を載せます。

721_f07_080320_2
721系 F-7編成 2008/3/20 新札幌

今回はここまでです。Wikipediaの記事を参考に纏めました。次回は5次車以降の写真を中心に記述の予定ですが、明日から国内出張の予定のため、次回は23日以降になるかも知れません。

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2013年3月18日 (月)

1974,1975 北海道へ 4 我が国初の交流電車711系 その2

昨日の記事に続き、711系です。 

711902_910820
1991/8に北海道に行ったとき、711系の塗装が大きく替わっているのに驚きました。そして試作編成が3両化されてはいましたが、依然健在だったのには安心しました。

<試作車>

1967年に製作されました。クモハ711形+クハ711形の2両編成とされ、仕様の異なる2本が用意されました。
クモハ711-901+クハ711-901(S-901編成)
汽車会社製で、客用扉は4枚折戸両開き式、客室窓は16mm厚複層ガラス(1重)2段式のユニット窓でした。

クモハ711-902+クハ711-902(S-902編成)
日立製作所製で、客用扉は一般的な片開き式引戸、客室窓はキハ56系と同様の開閉可能な1段上昇式二重窓でした。 クハ711-902はディスクブレーキ装備のTR208Y形台車を装備し、室内天井には電気ヒーターを組み込んだ温風式送風機を設置しました。クモハ711-902の床下には防雪のため全体を覆う機器カバーを設けました。

1980年の第3次量産車製造時にクハ711形100番台を追加して3両編成とし、クモハ711形は編成の中間車として使用することとなりました。1999年10月までに運用を終了し、2編成とも廃車されました。S-901編成のみが苗穂工場構内に残存するそうです。

<第1次量産車>
モハ711形(1 - 9)
クハ711形(1 - 16)


函館本線の小樽 - 滝川間電化開業用として、1968年に製作されました。 3両編成を基本単位とし、運転台をもたない中間電動車モハ711形が新たに設定されました。電気機器類は軽量化と製作価格低減のため仕様を変更し、主変圧器はTM13A形に、主制御器はCS35形に形式を変更しました。パンタグラフは下枠交差式のPS102B形です。「雪切室」は点対称配置に変更され、車体側面向かって左側(2 - 3位)に配置しました。
モハ711-9は2両編成の試作車を3両で使用するための増結用として製作され、主に901編成に組み込んで使用されました。同車は 1980年にクハ711-118 - 218と編成を組成し、以後は通常の3両編成として使用しました。
クハ711形は試作車の902とほぼ同一構造とされたが、屋根上の通風器は一般の押込式に変更され、洗面所窓の形状も変更された。車両間の引き通しは「両渡り」構造に変更されました。台車は密封コロ軸受・ディスクブレーキ装備のTR208形です。

<第2次量産車>

モハ711形(51 - 60)
クハ711形(17 - 36)

函館本線の旭川電化用として、1969年に製作されました。
モハ711形は誘導障害対策のため各電気機器の仕様を変更し、主変圧器は2次側巻線を2分割したTM13B形、主制御器は主電動機の直並列接続化に対応したCS38形を装備しました。車両番号は50番台を付番して区別しています。
クハ711形は循環式汚物処理装置の準備工事がなされた程度で大規模な仕様の変化はなく、番号は第1次量産車の続番とされた。

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S056編成 1991/8/19 まだ千歳空港駅だった頃の現在の南千歳駅 

<第3次量産車>

モハ711形(101 - 117)
クハ711形(101 - 120、201 - 218)


千歳線 - 室蘭本線(札幌 - 苫小牧 - 室蘭)電化用として、1980年に製作されました。各部の仕様が変更され、100番台に番号区分されました。 車体は難燃化構造とされ、客用扉はステンレス製です。側面に字幕式行先表示器を装備したため、その位置の窓は固定式となりました。クハ711形では当初から前照灯を4灯構成とし、正面上部にホイッスルを装備しました。車体前部の雨樋は40系気動車同様、ステンレス製の外付式に変更しました。 本区分では車両間の引通しが「片渡り」とされ、クハ711形は奇数向き(100番台)・偶数向き(200番台)で仕様が異なります。100番台はトイレ・洗面所を設けず、定員は96名(うち座席70名)に増加しました。200番台にトイレ・洗面所を装備し、循環式汚物処理装置も当初から装備します。
クハ711-119・120は2両編成の試作車を常時3両編成で使用するために製作され、クモハ711形の前位に追加組成して使用されました。 モハ711形は電気機器類が781系電車と同様のPCB不使用構造とされ、主変圧器・主整流器をそれぞれTM13D形・RS39B形に変更しました。主制御器は水銀不使用構造のサイリスタを搭載するCS48形です。
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S108編成 1991/8/19

<改造>

1.試作車の量産化改造

試作車(900番台)について、量産車と仕様を統一するための改造が2度実施されました。 1回目の改造は1968年に行われ、制御機器類の誘導障害対策・量産車との併結対応がなされました。客用扉横の戸閉スイッチは撤去、クモハ711形ではパンタグラフが量産車と同一の下枠交差式PS102B形に換装され、902の床下機器カバーは撤去されました。 2回目の改造は1970年度に行われ、S-901編成では冬季の取扱に難のあった4枚折戸を通常の引戸に変更しました。主回路の各機器も変更され、試作車特有の装備は二段窓を除き量産車とほぼ同一の仕様に改められました。

2. 前照灯増設

降雪時の視界確保のため、前照灯を増設する改造が行われました。 正面上位の種別表示器直上部に砲弾型外装のシールドビーム2灯を増設し4灯化するもので、1973年にクハ711-3・4に試験取付を行い、1977年からクモハ711形・クハ711形に施工されました。1979年に全車への対応を完了しています。

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前照灯増設改造されたS-059編成 2002/8/26 札幌

3.主変圧器などの非PCB化改造

従来より変圧器の絶縁油として使用されてきたポリ塩化ビフェニル (PCB) は1972年に製造が禁止され、本系列の第3次量産車(100番台)や 781系電車では絶縁油にシリコン油を使用した非PCB仕様の主変圧器・主整流器が採用されました。本系列の第2次量産車までに使用されたPCBを使用する機器についても非PCB機器への取替えが検討され、1976年にモハ711-8 - モハ711-51に試験交換を実施しました。 試験結果を踏まえ、第1次・第2次量産車の全車を対象とする交換工事が1977年から開始された。1982年に全車の交換を完了しています。

4.客用扉増設改造

札幌周辺での乗降客の増加に対応するため、客用扉を増設する改造が行われました。クハ711形の車体中央部に同一仕様の片開き式扉を設けるもので、クハ711-1・2を1987年9月に先行改造の後、同年12月から第3次量産車のクハ711形を対象に改造が行われました。721系同様、中央扉にもきちんとしたデッキがあり、客室との間には両開きの仕切り扉が備わりました。 施工車は扉の帯上下に同色の細帯を付して区別しました。 クハ711-1・2・106・111・115 - 117・206・211・215 - 217
モハ711形は重量の関係で台枠強度の確保が困難なため、各番台とも客用扉の増設改造は行われていません。

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3両のうち、モハを除く両端クハが3扉改造されたS-106編成 2002/8/27 札幌

5.室内設備仕様検討用改造(S-112編成)

731系電車開発に伴う仕様検討のため、1995年に苗穂工場で1編成3両が改造された。 S-112編成(クハ711-112+モハ711-112+クハ711-212)全車を対象とし、室内諸設備の仕様変更(デッキの撤去・半自動装置・ドア開閉ボタン設置(後に撤去)・クールファンの設置・モハ711-112のオールロングシート化)が施工され、クハ711形では比較のため座席配置変更(一部ロングシート付き・ロングシート無し、片側ボックス席の1人掛け化)を施工しました。改造は座席等の接客設備が主で、外観上の差異はほとんどありません。 改造後は一般車と共通に使用されましたが、クールファン取付部から室内に水が侵入するなど、改造に起因する不具合が多発したそうです。2006年7月以降は使用されず、同年11月に廃車となりました。

6.冷房装置搭載改造

2001年より分散式冷房装置の搭載工事が苗穂工場で行われました。対象は後期製作の100番台で、客用扉増設未実施11編成33両のうち、S-110・S-114の2編成を除く9編成27両に施工されました。 モハ711-101 - 105・107 - 109・113
クハ711-101 - 105・107 - 109・113・201 - 205・207 - 209・213

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冷房装置搭載改造がなされたS-101編成 2002/8/27 札幌
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同じくS-102編成 2008/3/23 上野幌

7.パンタグラフ換装

着雪による離線を防ぐためと補給部品を社内で統一する目的で、モハ711形のパンタグラフをシングルアーム式に換装する工事を2004年秋から2005年秋にかけて実施しました。

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シングルアーム式パンタグラフに換装されたS-114編成 2010/6/26 上野幌

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2013年3月17日 (日)

1974,1975 北海道へ 4 我が国初の交流電車711系 その1

今回は北海道シリーズでこれまでにも何回か登場してきている711系について触れます。

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1974/7 深川駅で乗り換えの際に初めて遭遇した711系

国鉄が1967年に設計・開発した、日本初の量産交流近郊形電車で、函館本線の電化事業と並行して、徹底した耐寒耐雪機能を考慮して開発された北海道内初の国鉄電車です。本系列は在来線営業車初の交流専用で設計され、かつ1M方式を採用した量産車となりました。

1967年に試作車2編成4両が完成し、各種試験が行われました。量産車は1968年から製作され、同年8月28日の小樽 - 滝川電化開業時に営業運転を開始しました。1969年の旭川電化、1980年の千歳線 - 室蘭本線室蘭 - 沼ノ端電化と道内の電化区間が延長される度に増備されました。

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711系試作S-902 編成 まだ2連で活躍していた頃 1975/8/9 岩見沢
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同じくS-902編成が貨車に挟まれ回送されるシーン 1975/10/5 札幌

汎用的に使用できる車内設備を有し、普通列車のみならず「かむい」「さちかぜ」の急行列車にも使用されました。

1987年の国鉄分割民営化では全車が北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継されましたが、後継の721系 - 731系の製作により、1990年代後半からは淘汰が進んでいまする。なお、2014年度末をもって営業運転を終了させる方針であることが2012年11月に報道されました。

<車体>

構体は普通鋼製で、1,000mm幅の片開き引戸を車体両端の片面2か所に配しました。客室と出入口を扉で仕切ったデッキを備え、455系などの急行形電車に類似する構造です。客室窓は1,080mm × 680mmの1段上昇式で、内外2組の窓枠をもつ二重窓とし、内側の窓枠をFRP製とするなど、冬季の車内保温を重視した構造をもっています。

電動車のモハ711形には、大容量の「雪切り室」が客室内2位、3位側の2か所に設置されており、吸気口も車体側面の高い位置にあります。これは主電動機冷却のための外気を一度室内に導いたうえで雪を分離し、機器類への雪の侵入を防ぐためのものです。雪切り室と主電動機の間は床下の風洞と蛇腹でつながれています。

特急用として北海道に導入された485系1500番台が北海道の雪による故障続発で撤退したのに対し、北海道用に設計された711系などは冷却空気系に負圧を生じない設計を貫き、北海道特有の細かい粉雪の進入を防いだことで安定運用となりました。

電動機冷却用の風洞は床下の空間に設けられ、断熱材を収容する必要もあるため、床面は暖地向け車両に対して50mm(レール面基準)高い位置にあります。床面高は電動機を持たない制御車クハ711形も同一寸法とされ、このため前面の運転台窓・貫通扉・種別表示器は本州向け電車より高い位置となっており、屋根から前頭部へかけての傾斜もありません。

前照灯はシールドビームを正面中位の左右に各1灯、標識灯・タイフォンは正面下位に設ける。灯火類は国鉄電車の規定位置にあるため、相対的な取付位置は低く見え、標準的な「東海形」の前面とは印象が異なります。前部の排障器(スカート)はエゾシカやヒグマなどの大型動物や、氷塊との衝突を考慮し、耐衝撃性を向上した大型のもので、板厚も厚くなっています。

車両間の貫通幌は車体側と幌枠側の両方に固定用クランプを持つ独特の仕様で、国鉄新性能電車では唯一のものです。

外部塗色は車体全体を赤2号(えんじ色)、先頭車の前面下部をクリーム4号とした配色でしたが、1985年から塗色変更が実施され、明るめの赤1号の地色に、前面と側面窓下にクリーム1号の帯を配したものに変更されました。室内の化粧板も暖地向け近郊形のような淡緑ではなく、新幹線0系や特急・急行用車両などと同じ薄茶色4号です。

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1975/8の札幌駅でのS54編成 電車もですが、駅の構造も大きくかわっていることが分かります。

<制御系>

日本の電車では初めてサイリスタ位相制御を採用しました。着雪による故障の起こりやすい接点(スイッチ)類を極力排除し、冬季のトラブル回避とシステムの小型化を図りました。主電動機は永久並列の構成で、電圧制御のみを行い弱界磁制御は用いていません。

勾配区間での走行がなく、また力行時に起動抵抗器を使用しないため、さらに多くの抵抗器を必要とする発電ブレーキは装備しません。常用ブレーキは電磁直通空気ブレーキのみを装備しました。

機器構成の簡略化で軽量化が図られ、電動車は1両で主回路を構成する1M方式が採用されました。

量産車ではモハ711形1両の両端に制御車であるクハ711形を組成し、1M2Tの3両編成を基本構成としました。これはサイリスタ位相制御の採用で高い粘着性能が得られたことと、主電動機MT54の端子印加電圧を高くしたことにより、定格出力が標準の120kW → 150kWで弱界磁制御を排して単純化し、定格速度が同一歯車比の抵抗制御車の52.5km/h → 73.0km/hへとそれぞれ向上したことで可能となったもので、コストを抑えつつ、輸送力を確保することに貢献しています。反面、3両編成中に電動車が1両のみでMT比が低く、公称の起動加速度値1.1km/h/sは一般の特急形電車をも下回りました。

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まだ塗装は登場時の塗装ですが、前照灯は4灯になった1983年夏の姿 1983/8/23 札幌

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札幌駅で781系特急「ライラック」と並ぶ 

<台車>

台車は本系列専用のDT38形・TR208形で、それぞれDT32形・TR69形をベースとし、インダイレクトマウント式空気バネの枕バネと円筒案内式の軸箱支持装置、密閉形円錐コロ軸受をもつ。軸バネはゴムで被覆され、凍結による減衰機能喪失を防止します。基礎ブレーキ装置はDT38形が両抱き式踏面ブレーキ、TR208形がベンチレーテッドディスクブレーキです。軸受け、軸箱支持共に、国鉄量産形電車では初採用の方式です。

主電動機は直流直巻電動機のMT54A形(第2次量産車まで)・MT54E形(第3次量産車)を用いています。これは国鉄新性能電車が広汎に使用する電動機MT54形(120kW、印加電圧375V)を基に、印加電圧を500Vに上げ、電圧比例的に出力150kWの交流電車用定格としたものです。冷却は独立した送風機を使用する他力通風方式で、車体の「雪切り室」と床下風道の循環気流を併用する方式として、氷雪の進入を防いでいます。この副次作用で、他形式に比べ、同じ主電動機を装備しながら、冷却ファンの音がしないことも特徴となっています。

動力伝達は中空軸平行カルダン駆動方式で、歯車比は近郊形標準の4.82に設定されました。

次回は試作、量産車、そして改造について触れます。

以上、Wikipediaの記事を参考にしました。

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2013年3月16日 (土)

1974,1975 北海道へ 3 電車特急 789系基本番台

特急「いしかり」以来、北海道の電車特急は道央の札幌~旭川、そして千歳空港、室蘭の連絡を中心に整備されてきました。1988年3月の青函トンネル開通以来、津軽海峡線関係は本州側のJR東日本の車輌による「はつかり」、JR北海道の快速「海峡」で運用されていましたが、2002年12月の東北新幹線延伸開業(盛岡駅 - 八戸駅)を契機に、八戸駅 - 青森駅 - 函館駅間の列車体系を再構築し、同区間の運転系統を特急列車として統一する方針が採られました。

当初は、道央地区のエル特急「ライラック」などで使用されていた781系電車の転用も検討されましたが、20km以上におよぶ連続勾配や高湿度など青函トンネル内の過酷な走行条件に鑑み、新形式の特急形電車を開発する方針が採られ789系が製造されました。2002年12月1日のダイヤ改正より、特急「スーパー白鳥」として営業運転を開始しました。2005年と2011年にも追加製造され、対本州連絡運用の主力車両として用いられています。

<車体>

ステンレスを用いた軽量構体で、運転台を含む前頭部のみ普通鋼製です。ダルフィニッシュ加工が施された平板を用い、従来のステンレス車体に見られたビード加工はされていません。車体断面はキハ261系気動車と共通で、客室窓下辺から上方が台形状に窄まる形状です。客用扉は中間車では片側1箇所、先頭車では片側2箇所に設け、中間車では客用扉を2箇所に増設可能な準備工事がなされています。

前頭部の形状はキハ261系の意匠を基本としますが、中央下部はキハ283系気動車に類似する絞込みの大きい形状を持ちます。増解結を頻繁に行うことから前面に貫通扉を設け、車両間の通り抜けが容易に行える構造です。前照灯・補助灯はキハ261系の横配列から縦配列に変更されました。標識灯は運転室の風防内に左右各1灯を設けました。正面の愛称表示器は幕式、車体側面の行先表示器は3色LED式です。

2両または3両単位の編成を複数組成して使用するため、中間車のうち編成の端になる車両には、構内運転のための簡易運転台を設けました。 先頭車となる車両には車掌スイッチと連絡ブザーをドア横に設置しました。

外部塗色は前頭部と客用扉を含む部分がJR北海道のコーポレートカラーである萌黄色(ライトグリーン)、前頭部の塗装境界部にはマゼンタの帯、客用扉の塗装境界部には津軽海峡の地形図をデザインした帯を配しました。前頭部側面には "HEAT789"のロゴマークが配されています。

常時高湿かつ騒音の大きい環境の青函トンネルを走行するため、車体は板厚を増して防音防湿が図られているほか、客用扉などの気密性を強化しています。また、トンネル内は12‰の勾配が続くことから、編成中の電動車の比率を多くして列車全体の出力を確保し、上り勾配区間でも最高速度140km/hでの連続走行を可能としているほか、万一1組の電動車が故障してもトンネルからの脱出が可能な構成としています。また、同区間の下り勾配走行に備え、抑速装置として回生ブレーキを装備しました。

制御機器は731系電車のシステムを用いています。シングルアーム型パンタグラフを搭載し、IGBT素子を用いたVVVFインバータ装置でかご形三相誘導電動機N-MT731形 (定格出力230kW) を制御します。床下は防雪カバーで覆われ、車両端部の連結面直下にも着雪防止のカバーを設けました。車体傾斜装置は装備しないが、装備のための準備工事がなされています。
台車も731系電車のものを基本とした軸梁式ボルスタレス台車 N-DT789形・N-TR789形で、車輪径は 810 mmです。

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特急「スーパー白鳥」の運用に入った789系 2010/10/24 奥羽本線 千刈踏切

<運用>

40両全車が函館運輸所に配置され、
特急「スーパー白鳥」(函館駅 - 新青森駅)
回送列車として、新青森駅 - 津軽新城駅間の奥羽本線を走行します。

HE-100 番台編成と HE-200 番台編成で構成される6両編成が基本ですが、多客期には青森方に HE-300 番台編成を増結し、8両編成で運転されます。この増結車には785系300番台(NE-303編成)も共通で使用されます。また、HE-300 番台編成の代用として HE-100番台 編成からサハ789形を外し、これに HE-200 番台編成を2編成増結した 2+3+3両 の旧形態の編成で使用することもあります。

増結は必ず青森方に行われ、函館・新青森方のクロハ789形は常に編成の端となります。

編成番号は2両・3両単位で付番され、識別記号「HE」を冠し「HE-104」のように表します。
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こちらは2010/12/3の改正で廃止された「つがる」の運用に入った789系 2010/10/24

2006年3月18日の編成増強時に、本州内のみの運行となる特急「つがる」(青森駅・弘前駅 - 八戸駅)の運用が設定されましたが、東北新幹線の全線開業に伴うダイヤ改正により2010年12月3日限りで同列車は運転を終了し、本州内のみの運用は消滅しています。

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2013年3月15日 (金)

1974,1975 北海道へ 3 電車特急 789系1000番台

今回は785系に続いて、781系の置き換え用に登場した789系1000番台について触れたく思います。本来は「スーパー白鳥」用の789系基本番台から先に紹介すべきですが、話の流れから1000番台から先に行きたく思います。

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789系1000番台 HL1001編成 2008/3/19 南千歳

まず789系1000番台についてですが、2002年12月1日の東北新幹線八戸開業によるダイヤ改正で運転を開始した789系基本番台をベースに2007年10月1日のダイヤ改正から、エル特急「スーパーカムイ」として主に新千歳空港駅 - 札幌駅 - 旭川駅の区間で785系電車と共通運用されています。

<車体>

常時5両の固定編成で運用されることから中間車の簡易運転台はなく、先頭車前頭部の貫通扉も廃止されました。一方で新たに乗務員用の側扉を設け、灯火類の意匠もシャープな形状となりました。客用扉は当初より片側2箇所とされました。前面の愛称表示器はフルカラー表示の、側面行先表示器は3色表示のLED式で、号車表示・設備表示は共通運用される785系電車と同様、ピクトグラム表示のステッカーを客用扉付近に貼付します。

外部塗色も785系のカラースキームを継承したもので、客室窓直下に濃淡バイオレット+萌黄色の帯を配し、前頭部付近で下方に弧を描くデザインです。前頭部はシルバーメタリック塗装で、正面中央には黒色の帯を縦位置に配します。

普通車のみの編成でありグリーン車は連結されませんが、4号車のモハ789形はグレードアップ指定席「uシート」となっており、客室窓を座席と同間隔の小窓としています。

電動車の構成は基本番台と異なり、785系や西日本旅客鉄道(JR西日本)の681系電車などと同様の「MTユニット」構成を採用しており、付随車であるサハ788形(3号車)にシングルアーム型パンタグラフと主変圧器を装備し、両隣の電動車モハ789形(2・4号車)に電力を供給する構成となっています。制御方式・台車は基本番台と同一仕様ですが、歯車比と主回路構成を変更し、走行性能を維持しつつ編成中の電動車数およびパンタグラフ数を削減しています。編成のMT比は2M3Tの構成であるが、3M2T構成の785系と同等の走行性能を有します。

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2008/3/19 南千歳

現在の運用と走行線区は30両全車を札幌運転所に配置され、 エル特急「スーパーカムイ」(札幌駅 - 旭川駅) 快速「エアポート」(札幌駅 - 新千歳空港駅) 「ホームライナー」(札幌駅 - 手稲駅・小樽駅) エル特急「すずらん」(札幌駅 - 東室蘭駅 - 室蘭駅)に充当される場合もある。 その他、回送列車として、旭川駅 - 旭川運転所間の宗谷本線を走行します。

続いてこれまでの運用の歴史ですが、

2007年2月14日:同年10月に「ライラック」に使用されている781系電車に代わって、789系1000番台が投入され、札幌駅 - 旭川駅間の電車特急全列車が130km/h運転となることから、名称を統合することが発表される。同時に、新列車の愛称を公募。

5月9日:新しい列車名を「スーパーカムイ」に決定したことを公表。
9月30日:「スーパーホワイトアロー」「ライラック」の運転を終了。
10月1日:「スーパーホワイトアロー」と「ライラック」を統合し「スーパーカムイ」が運転開始。「スーパーカムイ」は全列車が785系と新装投入された789系1000番台により、最高速度130km/hで運行可能となる。
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2008/3/22 上野幌

2010年1月29日:函館線で旭川発札幌行き特急「スーパーカムイ」24号とダンプカーが衝突、列車が全車両脱線・転覆して乗客ら25人が負傷する事故(函館本線踏切事故」)が発生。

<函館本線踏切事故>

2010年1月29日 12時20分頃(列車脱線事故(踏切障害に伴うもの)) 深川市深川町の函館本線の踏切で、ダンプカーが雪道をスリップして踏切内に進入。踏切にある列車停止警報装置を作動させて発報したが間に合わず、そこに旭川発札幌行き特急「スーパーカムイ」24号(789系5両、HL-1005編成)が衝突した。ダンプカーは運転台部分と荷台部分が引きちぎられ、荷台部分が20mほど飛ばされ、電車も全て脱線・転覆、原型をとどめないほどに破壊された。これだけの大事故にもかかわらず、幸い死者は出なかったが、特急の運転士・車掌・乗客42人とダンプカーの運転手の計45人が病院に搬送されました。残りの乗客はバスで代替輸送を行いました。この事故により、午後6時までに54本の列車が運休し、約8200人の足に影響が及びました。 原因はダンプカーがスリップしたことにより踏切内に侵入したためですが、当日は風速4 - 5mの吹雪が吹いており、ダンプカーの運転手の証言によると、踏切の警報機の音が聞こえなかったそうです。 その後789系HL-1005編成は、2011年3月24日付で正式に全て廃車となり、引き続き苗穂工場に留置されていたものの、2011年8月末までに全て解体されました。 その後、2011年4月時点では代替新造が行われていません。

789系電車は、1991年の日高本線での踏切事故を教訓に、JR北海道が採用してきた高運転台仕様と衝撃吸収構造のため、運転台へのダメージや客室への衝撃が最小限に抑えられました。 この事故を受けて、JR北海道は安全対策として、キハ261系・281系・283系などにも存在する、同様の高運転台タイプ特急形車両にある貫通路や、クリスタルエクスプレスなどの臨時列車にある先頭車両座席を全て立入禁止とし、座席も撤去されました。

12月4日:「スーパーカムイ」4往復の運転を取りやめ。なお、「スーパーカムイ」21号は、「サロベツ」に統合。

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2013年3月14日 (木)

1974,1975 北海道へ 3 電車特急 785系

今回は781系に続いて登場した785系です。
785系電車は、JR北海道が1990年から運用している交流特急形電車です。まさに、JR北海道の期待を背負った第一期生の特急車両だったわけですね。

国鉄分割民営化後、1990年10月に札幌 - 旭川間の高速道路が全通することから、JR北海道では高速バスやマイカーとの競争力向上のため、所要時間の短縮と増発を図ることとなり、最高速度130km/hでの運転を可能とする線路改良および新型車両の開発がなされ、1990年5月に785系電車が完成しました。JR北海道発足後、初の新型特急形電車であるとともに、JRグループの量産型車両としては初めてVVVFインバータ制御を採用した車両です。この辺の周辺状況は783系が登場したときのJR九州の状況とよく似ていますね。先日の『鉄道伝説』でも放送されていました。国鉄からJR九州に民営化されたとき、九州内の全ての路線が赤字状態で、高速バスから客を奪い返せる特急電車の開発が差し迫った経営改善の要件だったそうですね。

<車体>

車体は軽量構造のステンレス製で、客用扉は片開き式のものを片側2か所、両車端部に設ける。先頭車前面は傾斜し、中央下部が突出した曲面構成を持ちます。正面には貫通扉を設け、増解結に対応します。外部塗色は正面および側面の窓周りが黒色、客室窓上にはラベンダーバイオレット、客室窓下には萌黄色(ライトグリーン)およびラベンダーバイオレットのツートンの帯を配しました。客室窓は781系より大型化され、窓柱を黒くした連続窓風のデザインです。

列車名などを表示する愛称表示器は3色LED式で、正面右側の運転台直下に設置されています。側面の行先表示器は電照式方向幕で、客用扉横の号車表示・設備表示は差し替え可能なサボを使用しています。各車の客用扉付近には列車名をあしらった" SWA"(Super White Arrow) のロゴマークが配されています。

781系と同様に全車普通車のモノクラス編成とされ、グリーン車は連結されていません。4両の基本編成と2両の付属編成を需要に応じて組み合わせ、4両または6両編成として使用されていました。

<制御系>

制御機器は、781系と同様に電動車と付随車の2両でひとつの電気回路を構成するMTユニット」方式を採用しており、付随車に下枠交差型パンタグラフと主変圧器を装備し、電動車に電力を供給する構成となっています。制御装置はVVVFインバータ制御方式とされ、インバータ装置の整流素子にはGTOを用いました。主電動機は定格出力 190kW のかご形三相誘導電動機 N-MT785形を装備しました。発電ブレーキを用いるため、屋根上にブレーキ抵抗器を装備しました。

<台車>

台車は、721系電車の N-DT721形・N-TR721形を基本に、一部仕様を変更したボルスタレス台車 N-DT785形・N-TR785形で、枕バネに空気バネを用い、軸箱支持は積層ゴム支持方式です。

続いて運用の歴史です。

1990年9月1日のダイヤ改正から、エル特急「スーパーホワイトアロー」として札幌駅 - 旭川駅間136.8kmを所要1時間20分、表定速度102.6km/hで結びました。日中時間帯は781系を使用する特急「ライラック」(所要1時間30分)と各1時間間隔で運行され、両列車あわせて30分間隔での運転となり、速達化と利便性の向上に寄与しました。

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785系電車で運用される特急「スーパーカムイ」 3+2両のNE-500 番台編成 2002/8/27 南千歳 3両編成にはオリジナルの基本番台2両とu-シート装備のモハ785-500番台から構成されています。

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南千歳 2010/6/24

2002年にはグレードアップ指定席「uシート」車両を組み込んだ編成に組み替えられ、同年3月のダイヤ改正から従来の781系に代わり、快速「エアポート」として新千歳空港駅まで直通運転されるようになりました。

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特急「すずらん」にも投入された785系 南千歳 2010/6/26 NE-1編成は5両編成で4両の基本番台とモハ789-500から構成されています。

2007年10月のダイヤ改正からは、札幌駅 - 室蘭駅間のエル特急「すずらん」でも使用を開始するなど、本系列はJR北海道の都市間高速輸送の主力として重用されています。

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上野幌を通過する785系 2008/3/21

785系にはモハ789-500番台組み込みによる編成変更時に余剰となり、長期に亘り保留車となっていたNE-105編成2両を、2010年4月に苗穂工場にて、津軽海峡線の特急「スーパー白鳥」用789系基本番台の増結用編成に改造した-300番台も存在します。編成番号はNE-303へ改められています。現時点では撮影しておりませんが、遭遇する機会があれば載せたく思います。

以上、Wikipediaの記事を参考にまとめました。

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2013年3月13日 (水)

1974,1975 北海道へ 3 電車特急 781系

今回は781系電車とそれを使用した特急「ライラック」「ホワイトアロー」「すずらん」について触れようと思います。

まずは781系の車輌に関してですが、国鉄が北海道用として1978年に設計・製造、2007年まで運用された交流専用特急形電車です。

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1991/8/20 苗穂にて

交直流・交流車両の主変圧器の絶縁油として一般的に用いられていたポリ塩化ビフェニル (PCB) は1972年、公害防止のための製造が禁止となり、代替品の確保が課題となりました。北海道最初の交流式電車であった711系の主変圧器も例外ではなく、新形式車両の計画は頓挫しました。暫定策として、当時PCB対策が完了していた485系の各部を酷寒地向けに仕様変更した485系1500番台1974年に製作し、昨日の記事で記述したように1975年7月に特急「いしかり」として運用を開始しました。

485系1500番台は冬場において北海道特有の零下10度を下回る低温や、乾燥した細かい雪質に起因する故障が電気、機械関係ともに頻発し、L特急の運行そのものが危機的状況に追い込まれるに至り、恒久的な耐寒対策を備えた特急形車両の開発は喫緊の課題となりました。その後、PCB不使用に関する技術的問題も解決され、北海道総局の要望をできる限り盛り込んだ、気候に適応した車両として製作されたのが781系です。

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1991/8/20 苗穂にて

<車体>

耐寒対策として車内保温のため窓を小型化し、断熱材と主電動機冷却風洞の空間を確保するため、711系の仕様に準拠する設計をとりました。客用扉は他の特急形電車と同様、幅 700mm の片開き扉を片側1箇所に設け、ステップやドアレールのヒーターは強化されています。

先頭車両の前面運転席窓下部分は走行中の着雪を防ぐため、485系より丸みを帯びています。灯火類は正面下部左右に前照灯・標識灯を各1灯設けるほか、運転台上部中央に2灯の前照灯を設けました。灯火類は着雪による「隠ぺい」を防ぐため、露出形で、電球交換も外ハメ式とされました。

電動車のクモハ781形・モハ781形では、車体側面向かって左側(1・4位側)側面上部に「雪切室」(ゆききりしつ)を設けました。主電動機冷却風取入時に雪を分離するためのもので、車体床面下部の風道を経由して主電動機を冷却する構造は711系と同一のものです。

空調故障など非常時の換気のため、客室窓の一部は開閉可能とされました。各車両の両側車端から2番目の窓上部 1/3 が内側に開く内傾式の機構であったが、アルミサッシによる冬季の結露が避けられないことと、保守や見栄えの観点から、量産車では採用されず、試作車も後に一般的な固定窓に改造されています。

室内換気は屋根上に2基搭載した、雪切機能を備えた「新鮮外気導入装置」を用いる強制換気方式で、各車の車体側面幕板部に設けられた外気取入口(片側2箇所)から吸気し、天井長手方向に設けられた吹出口から空気を室内に供給します。車内の気圧を高め、雪の吸い込みを防止するための仕様で、従来車両にあった自然通風式の通風器は装備しません。冷房装置は集中式ユニットクーラーのAU78形を屋根上に1基搭載し、電源は主変圧器の3次巻線から直接供給されます。

外部塗装は他の国鉄特急形車両と同様、クリーム4号地に窓回りなどを赤2号としているが、前照灯・標識灯部横の赤帯は高い位置に配し、正面愛称表示器まで回して雪中での被視認性を向上させました。

<電装機器・制御系>

国鉄新性能電車の標準構成である電動車のMM'ユニット方式を採らず、「電動車・付随車ユニット」(MTユニット)を組みました。パンタグラフ・主変圧器・主整流器など電源供給に関する機器を付随車側に搭載し、電動車側には制御装置などを設けています。これは特急列車用として車体設備や機器設計を再検討した結果、711系に比して重量増となったこと、および 床下に機器を極力配置しないとする耐雪設計のためで、「Alternating Current」(交流)の頭文字である「A」を含んだ「TAc'」と「TA」の記号(「'」は偶数形式を表す)が、国鉄で初めて用いられています。このことから、新造特急形車両としては初めての制御電動車である、クモハ781形が設定されています。

主変圧器(TM13D形)主整流器(RS39B形)は非PCB仕様として新たに設計され、主電動機は711系と同様の他力通風方式で、417系電車で採用された絶縁強化仕様の直流直巻電動機MT54E形を用いました。

制御方式は711系を基本とするサイリスタ位相制御です。同制御方式では力行制御用の抵抗器は不要で、711系では発電ブレーキを省略していた。本系列では屋根上にブレーキ専用の抵抗器を搭載して高速域から強力に作用する発電ブレーキを装備し、711系で問題のあった制輪子・車輪の摩耗低減を図りました。

なお、北海道の深刻な雪害の対策は、冷却気循環系に負圧部を作らないことで実現しています。485系1500番台ではそれが不徹底で、北海道の乾燥した粉雪に対応しきれず、隙間から舞い込んだ雪が機器の熱や装備されたヒーターで解ける浸水絶縁不良で運行できなくなったが、本州転属後は問題は発生しませんでした。

<台車>

台車は711系のものに小改良を施した DT38A形・TR208A形で、インダイレクトマウント式空気バネの枕バネと円筒案内式の軸箱支持装置、密閉形円錐コロ軸受けは共通の仕様です。

<量産車での変更点>

試作車で結露の原因となった開閉窓を廃止したほか、正面の愛称表示器・側面の行先表示器・客用扉のガラス支持方法をHゴムから押え金に変更した。クモハ781形・クハ780形では運転台直後の屋根上排気口を廃止しています。台車は形式の変更はないが、ボルスタアンカーの高さを変更して振動特性を改善しました。

続いて、781系の運用の歴史です。

1978年11月3日試作車(900番台)6両編成1本が完成し札幌運転区に配置され、翌1979年3月19日から「いしかり」として運用を開始する。

1980年6月に量産車6両編成3本(18両)が製作され、同月中に485系を完全に置き換えました。

同年10月1日に室蘭本線・千歳線(室蘭 - 白石間)の電化が完成し、本系列は6両編成4本(24両)が追加製作されました。同日のダイヤ改正で「いしかり」に代わり「ライラック」が室蘭 - 札幌 - 旭川間を直通運転する列車として設定されました。

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国鉄特急塗装でデビューした頃の781系 特急「ライラック」 1983/8/23 札幌

1984年2月1日:急行「かむい」「なよろ」を「ライラック」に格上げし3往復増発。「ライラック」は札幌駅 - 旭川駅間で10往復運転。

1985年3月14日:「ライラック」の東室蘭駅 - 室蘭駅間が各駅停車に変更。

1986年3月3日:千歳空港駅 - 札幌駅 - 旭川駅間で「ホワイトアロー」が運転開始。 特急「ホワイトアロー」設定当時は781系電車で運行。
781系は中間車2両の先頭車化改造を実施し、6両編成5本+4両編成3本の体制で列車本数の増加に対応した。 

11月1日:今回のダイヤ改正までに6両の先頭車化改造を追加実施し、6両編成はすべて4両編成化(12本)されました。これにより座席指定席は半室のみとなった。「ライラック」は札幌 - 旭川間を1時間等間隔(14往復)とする運行体制が採られました。ただし、多客時には2編成連結の8両編成が充当されることもありました。「ホワイトアロー」は大半の列車を苫小牧駅発着とする。停車駅は千歳空港駅と札幌駅のみとした。「ホワイトアロー」がエル特急に指定される。

1987年4月のJR発足では、試作車6両・量産車42両の総数48両がJR北海道に承継された。

1988年3月13日:「ライラック」に千歳空港駅(現在の南千歳駅)発着系統の設定がなされる。

1990年9月1日:新型車両785系電車運用開始に伴い「ホワイトアロー」を新型車両を投入して「スーパーホワイトアロー」に名称を変更。 これにより、781系による「ホワイトアロー」の運転は終了しました。

1992年の新千歳空港駅開業にともなうダイヤ改正で「ライラック」は新千歳空港 - 札幌 - 旭川間の「ライラック」と札幌 - 室蘭間の「すずらん」に系統分割された。「ライラック」の札幌 - 新千歳空港間では、一部の列車を快速「エアポート」として運行しました。

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781系 特急「すずらん」 2002/8/25 札幌

1998年4月11日:785系の「ライラック」が定期運用を終了。これに伴い、「ライラック」は12往復、「スーパーホワイトアロー」は15往復となり「スーパーホワイトアロー」が運転本数の上で逆転しました。

2001年7月1日:「ライラック」の指定席としてuシートを全列車に導入。

2002年3月16日:新千歳空港駅へ乗り入れる列車を、それまで札幌駅 - 旭川駅間の運行であった「スーパーホワイトアロー」と入れ替え。「ライラック」は札幌駅 - 旭川駅間のみの列車となりました。 「スーパーホワイトアロー」の編成を自由席車4両とuシート車1両の5両編成へ統一されました。 781系での「エアポート」運用は終了しました。

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ボディの赤い線はuシート装備の車輌
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札幌駅に進入、出発する781系 JR北海道塗装の特急「ライラック」 2002/8/25

2003年には「ドラえもん海底列車」に使用するため、6両が札幌運転所から函館運輸所に転属しました。

2005年8月2日 - 7日、2006年8月2日 - 6日には、青森ねぶた祭に合わせて臨時特急「ねぶたエクスプレス」を函館 - 青森間で運転しました。函館運輸所の6両編成を充当し、東日本旅客鉄道(JR東日本)エリアに乗入れました。本州での781系による営業運転の唯一の事例となりました。

2006年3月18日
:夜行特急「利尻」「オホーツク」9・10号の季節列車への変更に伴う代替置として「スーパーホワイトアロー」・「ライラック」を増発。

本系列の老朽化による取替用として789系電車(1000番台)2007年に製作され、同年10月のダイヤ改正から使用を開始しました。これに伴う785系電車などの転配により、本系列は「ライラック」「すずらん」などの定期運用をすべて終了しました。同年10月28日のイベント列車運用を以って営業運転での使用を終了し、函館運輸所の「ドラえもん」編成を含め11月27日までに全車が廃車されています

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2013年3月12日 (火)

1974,1975 北海道へ 3 北海道初の電車特急「いしかり」

1975年7月に登場した「いしかり」は札幌~旭川間の特急でしたが、この区間を中心とした所謂、道央連絡優等列車の歴史を見てみましょう。

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485系1500番台を使用した道内初の電車特急「いしかり」 デビューしたての頃 1975/8 札幌

1949年9月15日:小樽駅 - 旭川駅間を運行する不定期準急列車2005・6列車が運行を開始する。

1950年10月1日:2005・6列車の運行区間を旭川駅 - 宗谷本線名寄駅間を延長。ただし、延長区間は普通列車扱い。

1951年4月1日:2005・6列車を定期列車に昇格し、「石狩」の名称が与えられる。運行区間は小樽駅 - 名寄駅間。

1954年5月1日:従来函館駅 - 小樽駅 - 札幌駅間を運行していた急行列車「あかしや」と「石狩」の小樽駅 - 札幌駅間が重複することから、「石狩」の札幌駅以東を「あかしや」に併合し、「あかしや」運行区間を函館駅 - 小樽駅 - 旭川駅間とする。ただし、小樽駅 - 旭川駅間は準急列車とした。

1956年11月19日:「あかしや」を「アカシヤ」に改名。

1959年9月22日:小樽駅 - 旭川駅・根室本線上芦別駅間を運行する気動車準急列車「かむい」運転開始。また、気動車による準急列車「かむい」が設定されたことにより、「アカシヤ」は全区間で急行列車として運行される。

1960年7月1日:「かむい」を札幌駅 - 旭川駅間で1往復増便し、2往復での運行となる。また当初運転されていた根室本線乗り入れ区間を富良野駅まで延長する。

1961年10月1日:北海道初の特急列車として室蘭本線・千歳線経由で函館 - 旭川間に「おおぞら」が運転を開始する。「アカシヤ」を急行「オホーツク」に統合。

1962年10月1日:「かむい」を札幌駅 - 旭川駅間で1往復増発。「かむい」3往復体制とする。

1963年12月1日:小樽駅 - 増毛駅間で運行されていた「ましけ」を「かむい」に編入。「かむい」4往復体制となった。

1964年3月20日:「かむい」の富良野駅発着編成を独立させ、新たに「そらち」の名称を与える。なお、「そらち」は新規に2往復増発したため、3往復体制となった。10月1日:「かむい」で名寄駅発着の1往復を増発し、4往復体制とした。また、「そらち」下り1本を廃止し、下り2本上り3本の運行となる。

1965年10月1日:「かむい」増毛駅発着列車を分離し「ましけ」の名称を与える。「そらち」を2往復に減便。「かむい」は「そらち」の減便した1往復と合わせて6往復に増便。

1966年3月5日:準急制度改変に伴い、「かむい」「そらち」が急行列車に昇格。3月25日:「かむい」の1往復を「なよろ」に分割。「かむい」は小樽駅・札幌駅 - 旭川駅間の5往復のみとなる。なお、「かむい」には根室本線内を普通列車として運行する列車が1往復設定されていた。

1968年10月1日函館本線小樽駅 - 滝川駅間交流電化に伴うヨンサントオのダイヤ改正により、小樽駅 - 札幌駅 - 滝川駅間運転の「かむい」のうち、下り4号・上り3号(列車番号 801M・802M)に711系電車を使用。これが北海道での電車による優等列車の起源となる。気動車「かむい」は5往復体制であった。 「そらち」の上り1本廃止。

1969年10月1日:旭川駅までの電化区間の延伸に伴うダイヤ改正。「かむい」1往復を除き電車化、8往復に増便。 電車「かむい」は運転区間を旭川駅まで延長、加えて札幌駅 - 旭川駅間運転の下り1・2・3・4・5号、上り1・4・5・7号(列車番号 801M・803M・805M・809M・811M・802M・808M・810M・816M)の4往復を新設。

1971年7月1日:「かむい」の1往復を小樽駅 - 旭川駅間の「さちかぜ」に変更する。 「さちかぜ」は札幌駅 - 旭川駅間は無停車、快速列車として運行した。小樽駅 - 札幌駅間の停車駅は南小樽駅・手稲駅・琴似駅のみであった。 上りが旭川駅発7時00分、下りが札幌駅発18時00分のビジネスダイヤで設定され、同区間の136.8kmを1時間36分で運行した。その表定速度は国鉄急行列車としては最速の85.5km/h に達し、当時の特急列車に比肩する速度であった。なお、列車名として抽象名の風を用いるものは、設定当時には特急列車に用いる事例が多く、実際に「さちかぜ」の名も1957年から1958年まで東京駅 - 長崎駅間運転の寝台特急列車に用いられたことがあった。このため、この列車の運行は特急用電車を登場させるための試金石とも言われた。「そらち」の1往復が廃止され、小樽駅→富良野駅間の下り列車のみとなる。

1972年3月15日:ダイヤ改正に伴い「かむい」を2往復増発し、10往復の運行となる。 10月2日:「そらち」を廃止。

485_1500_750800
旭川駅での「いしかり」 6連モノクラスのL特急としてのデビューでした 1975/7

1975年7月18日:急行「かむい」および「さちかぜ」を特急化し、エル特急「いしかり」が札幌駅 - 旭川駅間で運転開始(7往復)。また、「かむい」も気動車列車を含む7往復が存置され、「いしかり」の補完にあたる。 当初は7月1日からの運転開始を予定していたが、労使紛争の関係でこの日からの運転となった。
「いしかり」は北海道初のエル特急で、ほかの北海道特急が全列車座席指定だった時代に、普通車のみの6両、そのうち5両が自由席という編成で、異彩を放った。また、当時はグリーン車の連結がない唯一の国鉄昼行特急でもあった。また、7往復のうち1往復は、それまでの急行「さちかぜ」を継承し、ノンストップ運転の設定となった。

←札幌
TcM'MM'MTc1×3 所要2
いしかり(7)
 休
 手稲‥札幌800943旭川10001143札幌12001343旭川14001543札幌16001743旭川18001943札幌20002143旭川
 旭川800937札幌10001143旭川12001343札幌14001543旭川16001743札幌18001936旭川20002143札幌‥手稲

M'M×1 Tc×2

485系1500番台は冬場において北海道特有の零下10度を下回る低温や、乾燥した細かい雪質に起因する故障が電気、機械関係ともに頻発し、L特急の運行そのものが危機的状況に追い込まれるに至り、恒久的な耐寒対策を備えた特急形車両の開発は喫緊の課題となった。

485_4811500_7510
雨の札幌駅の特急「いしかり」 1975/10

485系1500番台といえば、このblogでも何回か登場しており、最初の九州一周旅行においても往復の関西立ち寄りで、「白鳥」に試験的に投入された姿を写しており、また北海道での運行には向かないとして盛アオになった後に、活躍する姿を東北特急の特集「はつかり」「やまびこ」「ひばり」で紹介致しました。

485_4811500_7508_3
485_4811500_7510_4
岩見沢付近を通過する特急「いしかり」
485_4811500_7508_2_2

夜の札幌駅での特急「いしかり」

1979年3月19日
:北海道専用の極寒地向け仕様車である781系電車が落成する。「いしかり」は1年半後の「ライラック」移行前までに順次781系電車に置き換えられる。

1980.10 盛アオの配置と運用

TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)
 


 青森4531343上野14332101盛岡
 盛岡6401313上野14301845仙台‥岩切
 岩切‥仙台7581219上野13001715仙台18282243上野‥東大宮
 東大宮‥上野13332225青森
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪10182350青森
 青森11202009上野‥東大宮
 東大宮‥上野9331601盛岡
 盛岡9161543上野16332259盛岡
 盛岡8161443上野1530013青森
 青森12552142上野‥東大宮
 東大宮‥上野6331301盛岡14162043上野‥東大宮
 東大宮‥上野10001415仙台15582013上野‥東大宮
 東大宮‥上野10502145青森
 休
 青森8071833上野‥尾久
 尾久‥上野9001315仙台14581913上野‥尾久
 尾久‥上野8331725青森

M'M×1 Tc×2 Ts×1

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2013年3月11日 (月)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 6 「スーパー宗谷」

北海道のDC特急、キハ82系の時代はありませんでしたが、キハ261系特急として新設された「スーパー宗谷」を紹介致します。

昨日の特急「サロベツ」でも触れましたように宗谷本線、天北線経由の列車の歴史となりますが、

1960年7月1日に準急「宗谷として札幌駅 - 稚内駅間で運転開始し、札幌駅 - 旭川駅間では「オホーツク」を併結していました。

1961年10月1日には急行列車となり、函館駅発着で運行されるようになりましたが、

1981年10月には札幌駅発着に戻されました。

1964年10月1日から単独運転を開始し、

1989年5月1日の天北線廃止に伴い、札幌駅 - 稚内駅間で運行されていた「天北」を統合しました。

1992年7月1日からは昼間の1往復を別愛称の「サロベツ」に変更しました。

その後、JR北海道と北海道、名寄市などが出資する第三セクター・北海道高速鉄道開発が主体となり、宗谷本線のうち旭川駅 - 名寄駅間の高速化改良事業(路盤強化、新型車両の投入など)が実施され、

2000年3月11日より「宗谷」に新型車両261系気動車を投入して、特急「スーパー宗谷」として運行されるようになり、同時に「礼文」を統合した。また「サロベツ」も特急に格上げされた。
261_se202_080321
平和駅を通過する特急「スーパー宗谷」 2008/3/21

「スーパー宗谷」「サロベツ」の走行距離は396.2kmに及び、これは日本で運行されている気動車特急で一番長いものです。

<キハ261系気動車>

これまでJR北海道が開発した特急用気動車としては、「スーパー北斗」用のキハ281系気動車、「スーパーおおぞら」等向けのキハ283系気動車があり、いずれも制御付自然振子機構を搭載し、曲線区間での大幅な速度向上を実現した高性能車両でしたが、寒冷地向けに特化した複雑な車両構造等の要因もあり製造・保守コストが高額でした。キハ261系では「北斗」「おおぞら」両系統よりも大幅に輸送需要の小さい宗谷本線系統の高速化に際して開発されたことから、本格的な制御付振子機構ではなく、先に通勤型車両キハ201系気動車で実用化されていた車体傾斜装置を搭載することとし、その他エンジンなどの基本構造もキハ201系気動車をベースとするなど、製造コスト低減を図っています。

261_020825

                  Tilt 261 のロゴ 2002/8/25 札幌駅

大出力のディーゼルエンジンと前述の車体傾斜装置を搭載し、最高速度130km/h運転および曲線通過速度の向上を可能とした本系列の投入により、札幌 - 稚内間の所要時間は以前の旧急行「宗谷」などで約5時間50分を要していたところが、最速4時間58分にまで大幅に短縮されました。全14両が製造されました。

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札幌駅で出発を待つ特急「スーパー宗谷」 2002/8/25

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札幌駅に入線する特急「スーパー宗谷」 2002/8/27

2006年にはキハ183系気動車の老朽化に伴う置き換えおよび石勝線系統の特急列車高速化のため、一部の仕様を変更した1000番台が製造され、翌2007年10月1日のダイヤ改正より、札幌駅 - 帯広駅間の特急「スーパーとかち」で運用されています。

<車体>

軽量構造のステンレス製構体を採用するオールステンレス車両で、前頭部のみ普通鋼製です。本格的な振子装置(最大傾斜角度5 - 6度)を持たず、車体傾斜制御装置(同3度)の搭載に留めた本系列は車体の上部絞込みが小さく、客室窓下辺から上方が台形状に窄まる車体断面を持ちます。客用扉は先頭車が片側2箇所、中間車が片側1箇所に設けられています。氷雪の侵入凍結による開閉不良を防止するため、客用扉は新幹線車両などと同様に空気シリンダーで車体外側に向かって押圧密着させて気密性を高める構造です。

先頭車はキハ281系気動車・キハ283系気動車と同様、前面に貫通扉を設けた高運転台式とし、踏切事故などに備えた衝撃吸収構造としていますが、前頭部の造型は両系列に比較し正面下部の絞り込みや後退角が小さく、下部スカートはキハ201系気動車同様の幅の広い形状である。灯火類は前照灯(HIDランプとシールドビームを並列配置)を正面下位の左右に設けるほか、運転台直上にも2灯を設け、尾灯は運転台の風防内部に左右各1灯を設置しています。

外部塗色は前頭部と客用扉周囲がコバルトブルー、塗装境界部にはJR北海道のコーポレートカラーである萌黄色(ライトグリーン)の縦帯を配し、客用扉の窓周りから車体の戸袋部までの部分は黄色です。前頭部側面には "Tilt261 Active Air Suspension System " のロゴマークを配しており、正面の愛称表示器・側面の行先表示器はともに幕式で、号車表示・設備表示を一体化したサボ式プレートが客用扉付近に設置されています。

客室窓は製造当初は複層ガラスのみの構造でしたが、冬季間に車両に付着した雪氷が走行中に落下して線路のバラストを跳ね上げ、窓に当たり破損する事故が頻発したことから、後にガラス外部にポリカーボネート製の透明保護板を追設する改造を行いました。

なお、本系列の内外装デザインは、JR北海道と提携関係にあるデンマーク国鉄 (DSB) との共同制作です。

<走行装置>

設計段階において、函館本線内(札幌 - 旭川間)で785系電車エル特急「スーパーホワイトアロー」)と併結運転を行う構想があったことから、785系電車と同等の走行性能を確保すべく、駆動機関は定格出力 460ps/2,100rpmの N-DMF13HZH形ディーゼルエンジンを各車に2基、キハ260形100番台には1基を搭載する。液体変速機は変速1段・直結4段、パワーオン制御(自動車の半クラッチと類似の機構)付きの N-DW16A形です。基本の4両編成での定格出力は 3,220ps(約 2,400kW)に達します。

ブレーキ装置は電気指令式空気ブレーキで、機関ブレーキと排気ブレーキを併用します。基礎ブレーキ装置は両抱き式踏面ブレーキで、制輪子はJR北海道苗穂工場製の特殊鋳鉄制輪子を使用しており、凍結した線路上でも最高速度から600m以内での停止が可能です。

台車は軸梁式、ヨーダンパ付のボルスタレス台車 N-DT261形・N-TR261形で、枕バネの空気バネに車体傾斜装置をもちます。この車体傾斜装置(傾斜角2度、最大3度)を搭載することで、半径600m以上の曲線では本則 +25km/h、同 600m 未満 400m 以上で +20km/h、同 400m 未満 220m 以上で +15km/hでの通過が可能です。なお、重心を下げるため、車輪径は810mmとしています。

<1000番台での変更点>

2611000_st1102_080323
南千歳に進入する特急「スーパーとかち」 2008/3/23

車体外板はダルフィニッシュ仕上げが施され、ビード加工は省略されています。前頭部の形状は789系電車基本番台とほぼ同一の、正面下部の絞込みを大きくした意匠に変更されました。灯火類は前照灯を縦に配置する789系電車と同一の配置です。前頭部以外の車端部には転落防止幌が設置されました。車体の外部塗色は、客用扉窓 - 戸袋部周囲の配色を基本番台の黄色からオレンジ色に変更しています。

先頭車 + 中間車の2両を1ユニットとする構成は基本番台と同一ですが、本区分の車両増結は編成の端ではなく中間に挿入する運用形態をとります。増結用の中間車は6両まで連結でき、最大10両編成での運用が可能です。先頭車を介した増結は考慮されていないため、本区分では先頭車の自動幌と中間車の簡易運転台は共に準備工事のみとしている。先頭車キハ261形・キロ261形の前位側客用扉に隣接して車掌台を設け、戸閉スイッチなどの車掌用操作機器を備えます。これは789系などと同様の構造です。

グリーン車は1両全車に拡大され、普通車の座席モケットは赤色と青色の2種類となりました。その他の室内設備は基本番台とほぼ同一です。客室窓は当初から強化ガラス板とポリカーボネート板を一体化した複層構造のものを装備します。

正面の愛称表示器は幕式だが、側面の行先表示器は3色LED式に変更され、列車名・行先・号車表示・設備表示を一体で表示します。

駆動機関は定格出力 460ps/2100rpm の N-DMF13HZJ形にマイナーチェンジされ、燃焼効率を向上させ有害排出物の低減を図っています。運用区間の石勝線には、トマム駅付近の標高543mをサミットとする最急12‰の長距離連続勾配が存在するため、機関は全車とも2基搭載としています。変速機は基本番台と同一の N-DW16A形です。台車は軸受の設計を変更し、140km/h走行対応とした N-DT261A 形とされました。

なお、本区分は連結幌取付部形状や、モニタ装置の伝送方式が基本番台と異なるため、基本番台車との混結はできません。

以上、Wikipediaのスーパー宗谷、キハ261系気動車の記事を参考に纏めました。

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2013年3月10日 (日)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 5 「オホーツク」 他 その2

今回は183系時代の特急「オホーツク」と特急「サロベツ」の歴史を見てゆこうと思います。

183
キハ183系 国鉄色による特急「オホーツク」 1983/8 札幌

1986年11月1日:夜行列車を除く「大雪」が「オホーツク」に統合され、「大雪」は夜行列車のみになる。「おおとり」「オホーツク」の食堂車連結が終了。

DcDDDDsDc×5 所要4
 オホーツク(3)、北斗(1)
 網走6421217札幌17102233網走
 札幌9261425釧路15502041札幌
 札幌7021227網走13461918札幌2035022函館
 函館442829札幌9281504網走16532219札幌

1988年3月13日:「おおとり」は札幌駅を境に系統分割。札幌駅 - 網走駅間を「オホーツク」、函館駅 - 札幌駅間を「北斗」とする。これにより函館駅から札幌駅以北に直通する定期列車は姿を消した。当列車の補完列車快速きたみ誕生。

183_910819_3
DcDDDsDDc×4 所要3(臨時+2)(Ds500番台)
おおぞら(1)、オホーツク(2)
 札幌9571454釧路15272014札幌
 札幌7031225網走13571915札幌19241941手稲
 札幌9301450網走17172234札幌
 札幌11201714網走(DcDDDsDc)
 網走11331704札幌(DcDDDsDc)

DcDDDsDDc×2 所要2
オホーツク(2)
 網走6431209札幌17302256網走
 網走9301453札幌16052121網走

1992年3月14日:夜行急行列車「大雪」が「オホーツク」に統合され、「大雪」が廃止。

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JR北海道塗装のスラントノーズキハ183系特急「オホーツク」 札幌 2002/8/25

2006年3月18日
:「オホーツク」9・10号(夜行)の通年定期運行が廃止され、冬季限定の臨時列車になる。札幌駅 - 旭川駅間については代替輸送として特急「ライラック」「スーパーホワイトアロー」に振り替えられた。

2008年3月17日:「オホーツク」の夜行列車が廃止。82号は3月16日発、81号は3月15日発が最後の運転であった。

続いて、特急「サロベツ」です。

183_080321
稚内行き 特急「サロベツ」の表示 2008/3/21 札幌

宗谷本線には、樺太が日本の統治下だった時代に、東京方面との速達のために函館駅と稚内駅を結ぶ急行列車が運行されていました。

1924年6月1日に、函館・稚内港(現在の南稚内)間の1・2列車(当時はのちの天北線ルート)が、それまで滝川駅以南だった急行区間を名寄まで伸ばしたのが発端で、

1926年9月25日のダイヤ改正で、現在の宗谷本線経由になるとともに、夏季は全区間が急行列車となりました。

1928年9月10日には通年で全区間が急行になるとともに、時間短縮を優先させ、札幌駅を通らず室蘭本線経由で運行されました。

1937年6月1日以降は再び函館本線経由に戻っています。しかし、太平洋戦争後に樺太が日本の施政を離れたため、戦後、優等列車の運行が再開されるまでには13年を要しました。

1958年10月1日:札幌駅 - 稚内駅間で夜行準急「利尻」(りしり)が函館本線・宗谷本線経由で運転開始。

1992年7月1日:「宗谷」3・4号を「サロベツ」として分離。4両編成のうち、最後部車両は名寄駅で切り離されました。

183500_080321
札幌駅で発車を待つ183系500番台 特急「サロベツ」 2008/3/21

2000年3月11日
:「宗谷」にキハ261系気動車を導入し、特急「スーパー宗谷」に変更。「礼文」は札幌 - 旭川間を延長し「スーパー宗谷」に吸収。「サロベツ」にキハ183系気動車を導入し特急格上げ。「利尻」が特急列車に昇格し、座席車両をキハ183系気動車に変更。

183_080321_2
札幌駅に進入する183系特急「サロベツ」 2008/3/21

6月 - 8月:「利尻」「サロベツ」に期間限定で「ゴロ寝カー」としてお座敷車両(キハ183系6000番台)の連結を開始。
1836000_020825_2
サロベツに連結されたお座敷車輌 2002/8/25 札幌

2007年9月30日:稚内発の「はなたび利尻」を最後に宗谷本線の夜行列車が事実上の廃止。また、「サロベツ」のお座敷車両の連結を終了。

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2013年3月 9日 (土)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 5 「オホーツク」 他 その1

キハ82系特急として、最後に登場し、しかも函館ではなく札幌発の特急として登場したのが今回ご紹介する「オホーツク」です。

82_7510_2
1975/10 札幌駅で発車を待つキハ82系特急「オホーツク」 

1949年9月:函館駅 - 旭川駅間の夜行急行列車である1・2列車の運行区間を石北本線網走駅まで延長。旭川駅以東は普通列車とした。また、函館駅 - 網走駅間に夜行準急列車 503・504列車が運行開始。この503・504列車は当初夜行区間となる札幌駅 - 北見駅のみが準急列車として運行された。

1951年4月
:1・2列車に「大雪」の列車愛称が与えられる。

1955年6月:函館駅 - 網走駅間を函館本線・石北本線経由で運行する準急列車「はまなす」が運行開始。これに伴い、「大雪」は旭川駅 - 網走駅間を分離し、函館駅 - 旭川駅間の運行になる。

1956年11月
:「大雪」の運行区間を再び函館駅 - 網走駅間に変更。ただし、石北本線内は普通列車として運行。

1958年10月:503・504列車に「石北」(せきほく)の名称を与える。

1959年9月:旭川駅 - 網走駅間で準急「オホーツク」が運行開始。「大雪」の旭川駅以北乗り入れを廃止。

1960年7月:「オホーツク」が札幌駅発着になる。なお、札幌駅 - 旭川駅間は稚内駅発着の「宗谷」と併結していた。

1961年10月:.「オホーツク」が函館駅発着の急行列車に変更。根室本線に直通する釧路駅発着の「摩周」も連結し、3階建て列車になる。「はまなす」が旭川駅 - 網走駅間の急行列車に変更し、札幌駅発着の列車も増発された。なお、札幌駅 - 滝川駅間は根室本線経由で釧路駅着の「狩勝」、札幌駅 - 旭川駅間は天北線経由で稚内着の「天北」と併結運行していた。「石北」の下り列車の始発駅を札幌駅に変更。

1962年5月:「はまなす」の旭川駅発着列車を札幌駅発着に延長。2往復とも札幌駅発着の単独運行になる。

1963年6月:「はまなす」の1往復を小樽駅発着とし、札幌駅発着の1往復を「大雪」に変更。

1964年10月1日:函館駅 - 網走駅間で特急「おおとり」が運行開始。 「おおとり」は「おおぞら」の増発を兼ねており、編成の半数を滝川駅で分割し、根室本線釧路駅まで直通していた。また、食堂車は釧路駅発着編成に連結された。.急行「オホーツク」は札幌駅発着となり、札幌駅 - 深川駅間は「はぼろ」、札幌駅 - 旭川駅間は「紋別」を併結。旭川駅 - 網走駅間を運行する準急列車「あばしり」運行開始。

1965年:「石北」の下り列車始発を函館駅に変更。

1966年3月:準急列車制度廃止に伴い、「あばしり」「石北」が急行列車に変更。

1968年10月1日:石北本線経由の急行「大雪」「石北」「あばしり」「はまなす」「オホーツク」が「大雪」に統合。「オホーツク」は名寄本線経由(旭川駅 - 遠軽駅 - 興部駅 - 名寄駅間)の急行列車(興部駅 - 名寄駅間は普通列車)になる。

1970年10月1日:.「おおとり」の釧路駅発着編成を「おおぞら」に分離し、函館駅 - 網走駅間の運行になる。 2.急行「オホーツク」の名寄本線内は普通列車となる。

1972年10月2日:「オホーツク」が札幌駅 - 網走駅間の特急列車に変更。函館駅を発着としない初の特急列車になる。従来の名寄本線経由の急行列車は「大雪」に変更するが、遠軽駅 - 名寄駅間は普通列車として運行。

82_7510_3
1975/10 札幌駅 HMの表記はロシア語のアルファベット表記 OKHOTSK

82_7510_3_2
編成は札サウの7両編成

札サウ

DcDsDdDDDDc×3 所要3(臨時+1 函館車を組み込み)
北斗(2)、オホーツク(1)、北海(臨時1)
 札幌7351155函館14251836札幌
 札幌10201445函館16152038札幌
 札幌7001243網走16102154札幌
 札幌2320510函館2355515札幌

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

82_7508_2
82_7508_2_4
網走から札幌に向かう列車に乗車中に常紋信号所で交換があり、対向列車を撮影したら特急「オホーツク」でした。札幌側のHMは赤文字のものでした。当時の常紋信号所には腕木式信号機があったのですね。1975/8

1981年10月1日:札幌駅 - 釧路駅間(釧網本線経由)の「大雪」1往復が廃止され、特急「オホーツク」に昇格。網走駅 - 釧路駅間は「しれとこ」に変更。

DcDsDdDDDDc×4 所要2
オホーツク(2)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌

DcD×4 所要2
オホーツク(付属2)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌

Dc×3 D×5 Ds×5 Dd×1

1982.11.2 キハ183系気動車が使用開始。

DcDDDD'DsDDDc×3 所要2
オホーツク(2)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌

Dc×4 D×3 D'×2 Ds×1

1985年3月14日:「大雪」の1往復が「オホーツク」に変更。

キハ183系 札サウ 
DcDDDDsDDc×5 所要4
オホーツク(2)、おおぞら(3)
 札幌9301520網走16372219札幌
 札幌7001245網走13281915札幌
 札幌8001302釧路14111918札幌19432245帯広
 帯広7201024札幌10561612釧路17062206札幌

Dc×2 Ds×1

キハ82系 函ハコ
DcDdDsDDDDc×4 所要3
おおとり(1)、オホーツク(1)
 函館11382147網走
 網走6201216札幌17102307網走
 網走9051925函館

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2013年3月 8日 (金)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 4 「北海」

北海道のキハ82系特急として、4番目に登場したのは「北海」でした。函館から旭川を結ぶ特急として登場しましたが、それまでの室蘭本線経由ではなく、函館本線山線経由の特急としてスタートを切りました。82_7510_5

2013/3/1のおおぞらの記事で1便接続で函館駅で待つ「おおぞら 1D」の写真を紹介しましたが、反対側のホームには山線回りの特急「北海 11D」の姿がありました。 1975/10

まずは「北海」が登場するまでの小樽経由の列車の歴史を見てみましょう。

1946年2月11日:連合軍専用列車 (Yankee Limited) が小樽駅経由に変更される。11月5日:同列車が東室蘭駅経由に戻される。

1947年6月29日:函館駅 - 旭川駅間で夜行急行列車7・8列車が設定される。11月1日:7・8列車に二等車が連結開始。

1948年7月1日:7・8列車の列車番号が1・2列車に変更される。

1951年4月:1・2列車に「大雪」、函館駅 - 釧路駅間の急行列車に「まりも」の列車愛称が与えられる。

56_202_7407_b
1975/10 札幌駅で出会ったキハ56形 急行「大雪

1964年10月1日:急行「宗谷」が小樽経由に変更。1等車連結開始。

1967年3月1日:函館駅 - 旭川駅間(小樽駅経由)で初めて特急「北海」が運転開始。「北海」はその後、夏季には網走駅まで延長運転されることもあった。

DcDsDdDDDDc×8 所要7
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)
 函館4101450釧路
 釧路1330005函館
 函館11152155釧路
 釧路8051855函館
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館
 函館4151110旭川17002346函館

82_830824
小樽駅に到着した特急「北海」 1983/8/24

82_830823_2
札幌駅での特急「北海」 山線経由なので、札幌駅でのスイッチバックはなく、そのまま函館本線を北進。 1983/8/23

82_7507_2
旭川に到着した特急「北海」 本来はここが終着駅ですが、夏の期間は網走まで延長運転 1975/8

82_7507
延長運転の特急「北海」、駅名は忘れましたが、乗車中の急行列車が待避をするとのことで、特急の通過を撮影 1975/8

82_7508
夜の札幌駅で 上り特急「北海」 札幌19:25発、函館23:55 1975/8

1981年10月1日:「北海」の運転区間が函館駅 - 札幌駅間に短縮されるが、従来函館駅 - 稚内駅間の急行「宗谷」の系統分割により1往復増発され、「北海」は2往復になる。同時に1往復がキハ183系気動車に変更。

キハ183系 函ハコ

DcDDDDDsD'DDDc×5 所要4
おおぞら(2)、北海(1)
 函館9401915釧路
 釧路7201640函館
 函館11451627札幌17152214釧路
 釧路10251540札幌19202355函館

Dc×2 D'×1 Ds×1

1986年11月1日:特急「北海」廃止。急行「ニセコ」は夏季のみ運転の臨時列車に変更され、小樽駅を経由する定期の優等列車が消滅。なお、臨時「ニセコ」はキハ56系気動車で1993年夏まで運転。

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2013年3月 7日 (木)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 3 「北斗」 その3

今回はキハ281系、キハ283系による「スーパー北斗」の話題です。
281_020825
2002/8/25 高架の札幌駅に進入する281系 特急「スーパー北斗」

1994年3月1日
:振子型気動車キハ281系による「スーパー北斗」5往復が運行開始。同時に「北斗」は2往復減となり6往復になりました。 このうち1往復は2時間59分で運転され、表定速度が在来線で日本一になりました。

<キハ281系>

1991年から着手された函館駅 - 札幌駅間の高速化事業にあわせてJR北海道が開発した特急形振子式気動車です。先行してJR四国が1989年から導入していた2000系気動車の仕様を基に設計され、試作車として1992年1月に先頭車2両、同年10月に中間車1両が製造され長期試験に供されました。1993年から富士重工業と日本車輌製造で量産に移行し、1994年3月1日のダイヤ改正から特急「スーパー北斗」として営業運転を開始しました。

日本国内の在来線気動車において、最高速度130km/hでの営業運転を初めて行った系列です。曲線通過速度は本則 + 30km/hで、函館 - 札幌間の最短所要時間は従来のキハ183系気動車による特急「北斗」の3時間29分から2時間59分へと大幅に短縮しました。最速達列車の表定速度は日本の在来線列車で最も高いです。

なお、その後のJR北海道における振り子式気動車の増備は、改良型であるキハ283系気動車に移行したため、本系列の製造は27両で終了しました。

<車体>

前頭部は高運転台構造で、波動輸送対応で増結しやすいよう貫通路付とされました。高運転台は重心位置の点で振子車両には不向きとされますが、見通しの向上と踏切事故時の運転士保護のため採用したもので、JR北海道が本系列以降に開発した特急形車両は、全てこの前頭形状を採用しています。先頭車の出入台は前頭部貫通路に接続しており、貫通扉には作業時の前方監視用にワイパー付の扉窓を設けています(試作車はワイパーを装備していません)。かつては貫通路と出入台との間は開放されており、乗客が前面展望を楽しむことも可能でした。運転台には721系電車・785系電車と同様、左手操作式のワンハンドルマスコンとモニタ装置を装備しています。

<走行機関>

コマツ製の直列6気筒ディーゼルエンジン SA6D125H-1(JR形式:N-DMF11HZA・355ps/2100rpm)を各車に2台装備し、液体変速機は直結3段式のN-DW15形を使用しています。

<台車>

台車はヨーダンパ付ボルスタレス式の N-DT281A形で、制御付自然振子機構を装備し、重心を下げるため車輪径を 810 mm に小径化しています。振子機構は、キハ281形試作車では381系電車や2000系気動車で実績のある「コロ式」を用いたが、耐寒耐雪能力向上のため、後に製作されたキハ280形試作車ではJR四国8000系電車試作車に用いられた「曲線ベアリングガイド式」を採用し、この方式で量産された。振子作用時の車体最大傾斜角は 5度で、曲線通過速度は本則 + 30km/hに向上しました。

<ブレーキ装置>

電気指令式空気ブレーキで、制動距離の短縮のために機関ブレーキ・排気ブレーキを併用しています。基礎ブレーキ装置は踏面ブレーキ方式で、制輪子はJR北海道苗穂工場製の特殊鋳鉄制輪子を使用しており、凍結した線路上でも最高速度から600m以内での停止が可能です。

前頭部側面には車両形式名と振子機能をイメージした「FURICO 281」のロゴマークとリサージュ図形が配されています。

なお、前頭部側面のロゴマークは、以下の変更を経ている。

HEAT 281 - Hokkaido Experimental Advanced Train 1992年 - 1994年。試作車落成時から営業運転開始まで。

281_020825_3
HEAT 281 - Hokkaido Express Advanced Train 1994年 - 2002年。営業運転開始時にロゴデザインと共に変更されました。

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FURICO 281 2002年 - 現在。789系電車の投入を機に、キハ283系気動車と共通のデザインとなりました。

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キハ281形試作車900番台を先頭に長都を通過する特急「スーパー北斗」 2010/6/26 試作車は貫通扉の窓にワイパーが装備されていない

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新札幌に停車中の281系特急「スーパー北斗」 2008/3/22 こちらはワイパーの装備された量産車

1998年4月11日:「スーパー北斗」の2往復にキハ283系を導入し、「北斗」1往復を「スーパー北斗」に置き換えました。12月8日:「北斗」1往復を「スーパー北斗」に置き換えました。
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札幌駅で発車待ちをする283系特急「スーパー北斗」 2002/8/25

2000年
3月30日:有珠山の火山活動に伴い、室蘭本線の一部が運転見合わせ区間となったため、「北斗」「スーパー北斗」が全列車運休。その後、函館駅 - 札幌駅間(函館本線・小樽駅経由)6往復、東室蘭駅 - 札幌駅間7往復の臨時特急が運行されました。

3月31日:有珠山で噴火が始まりました。八雲町付近を走行中だった札幌行き臨時特急を長万部駅で運転打ち切り(乗客は代行バス輸送)、虻田町町民の避難列車として使用。
6月1日:一部の特急について室蘭本線経由の運行を再開。8日より平常ダイヤに復帰。

2012年1月9日 - 10月13日:「スーパー北斗」全列車において、函館駅 - 南千歳駅間の単線トンネル内で減速運転を実施。

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2013年3月 6日 (水)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 3 「北斗」 その2

今回はキハ183系「北斗」の話題です。

183_het_080321
キハ183系 貫通タイプの前頭部サイドに入れられたHETのロゴ Hokkaido Express Trainの略であることはよく見なければ分からないかもしれません。左下の120は120km/h運転対応車輌の意味ですね。 2008/3/21 札幌

183_910819
キハ183系0番台 使用の特急「北斗」 1991/8/19 この頃は千歳空港駅だったのですね。

まずキハ183系の先行試作車から量産車、N183系、NN183系といった流れは前回の「おおぞら」の記事で取り上げました。特急「北斗」への導入は1983年からです。

183100
特急「北斗」にも使用されたキハ183-100番台 札幌 1991/8/20

1983.5にキハ183系10両が新製配置

1983.6.1 函ハコ

DcDDDDDsD'DDDc×6 所要5
おおぞら(2)、北海(1)、北斗(1)
 函館940-1915釧路
 釧路720-1640函館1900-2325札幌
 札幌723-1153函館
 函館1145-1627札幌1715-2214釧路
 釧路1025-1540札幌1920-2355函館

Dc×2 D'×1 Ds×1

183_020827
札幌駅に進入する183系特急「北斗」 2002/8/27

1988年3月13日:津軽海峡線開業により、青函連絡船との連絡の兼ね合いで運行されていた函館駅を早朝・深夜に発着する列車を寝台特急(いわゆるブルートレイン)「北斗星」に振り替える。 「北斗星」の函館駅以北に関しては、B寝台の一部を普通車扱いとするいわゆる“ヒルネ”と称される用法であったが、函館駅を早朝に乗車する乗客が多く、それを寝台特急である「北斗星」ではさばくことが難しいことから、「北斗星」の直後に臨時「北斗」の続行運転を行ったり、「北斗星」に函館駅から座席車を増結した事もあった。
「おおとり」を札幌駅を境に系統分割。札幌駅 - 網走駅間を「オホーツク」、函館駅 - 札幌駅間を「北斗」とする。これにより、函館駅始発列車で札幌駅より先へ行く定期列車は運転されなくなる。
「北斗」一部の列車にはキハ183系500番台を投入し速達性を高め、函館-札幌間を3時間29分で結ぶようになった。

1831500_080319_2

1989.3.11 キハ183系44両が札幌から函館に転出し、「北斗」を担当 この車両には130/120と表記されており、両用対応のようですね。 2008/3/19 新札幌

函ハコ

DcDDDDsDDc×4 所要3(500番台)(Dsは札幌所属)
北斗(4)
 函館7341103札幌11371521函館17002038札幌
 手稲723742札幌8011145函館12201556札幌16392108釧路
 釧路9001325札幌17002034函館

DcDDDDsDDc×3 所要3(Dsハイグレード)(Dsは札幌所属)
北斗(4)
 函館8201206札幌12491640函館18572245札幌
 小樽755838札幌8541243函館13321717札幌17291741手稲‥札幌19042259函館
 函館9591346札幌14581848函館

Dc×2

札サウ

DcDDDc×3 所要臨時2
北斗(臨時3)
 札幌6501059函館11171520札幌15452014函館
 函館8251253札幌13111733函館18102231札幌

1831500_080321
上野幌を通過するキハ183系「北斗」 2008/3/21

183_100626_2
2010/6/26 上野幌 新札幌の次の駅とは思えないくらい、いきなり雄大な風景が展開します。

183_100626
北広島 駅名は広島出身の方が多く移住されたとか 2010/6/26

1994.3.1の改正でキハ281系が導入され「スーパー北斗」ととして走り出したため、キハ183系は登場後15年にしてエースの座を譲ることに。キハ183系の一部はキハ281系のイメージに合わせて内外装をリフレッシュするとともに130km/h運転に対応する改造がなされました。

130km/h 対応改造車
キハ183-1563~1566 => キハ183-3563~3566
キハ182-551~562 => キハ182-2551~2562
キロ182-501~503 => キロ182-2551~2553

130km/h および130nm/h/120km/h運転両用対応改造車
キハ183-1558~1562 => キハ183-4558~4562

183_020827_3
南千歳 2002/8/27
183_100624_2
南千歳 2010/6/24

2002年:「北斗」の一部車両がコンサドーレ札幌のラッピング塗装となる。2003年に元のHET色に戻る。

183_020827_4
183_020827_2_2
このようなサッカーチームとのコラボによるラッピング塗装車もいました 南千歳 2002/8/27   必ずしも編成内の全車両がそうであったのではないようですが。

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2013年3月 5日 (火)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 3 「北斗」 その1

北斗」の名称は元々1950年から1965年まで上野駅 - 青森駅間を常磐線・東北本線経由で運行する夜行急行列車に使用されていました。これは当時の列車愛称命名方法の基準であった「夜行列車名は天体名にちなむ」が元になっています。

1950年10月 日本人用列車で201・202列車が運行再開。11月には201・202列車が「みちのく」、203・204列車が「北斗」の東北本線・常磐線の日本人用列車では初の列車愛称を命名されるとともに、「みちのく」では1等寝台に限り函館 - 札幌間急行1・2列車からの青函連絡船客車航送連絡を開始。

1959年9月 「北斗」を寝台車中心にした寝台列車化の編成変更を行い、「十和田」は座席車主体の組成に変更。

1965年10月1日 青函連絡船就役船の津軽丸型置換えに伴い運航時間を4時間30分から3時間50分に短縮。「はくつる」は尾久客車区移管と12両編成に増強し、一ノ関が通過になる。共通運用として「北斗」を格上げする形で常磐線経由寝台特急「ゆうづる」(5・6列車)を運転開始。

東北・常磐線の夜行急行は20系寝台特急に格上げされ、「ゆうづる」となり、「北斗」の名称は北海道のキハ82系特急(名称としては3番目)になりました。

82_7508_2
登別を行くキハ82系特急「北斗」 1975/8

「北斗」の名称は北斗七星に由来し、北斗七星が北極星を指し示す星座とされることから、「北都 = 札幌行きの列車」とのイメージが重なり、青函連絡船からの旅客を受けて北へ向かう特急列車の愛称として採用されたといわれています。ただし、当初の運行区間は函館駅 - 札幌駅 - 旭川駅間であり、純粋な函館駅 - 札幌駅間の特急列車には、当初「エルム」と別名称が与えられました。

1965年10月1日:函館駅 - 旭川駅間を函館本線・室蘭本線・千歳線経由で運行する特急列車として「北斗」が1往復運転開始。

DcDsDdDDDDc×7 所要6
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)
 函館4101455釧路
 釧路1320005函館
 函館11152203釧路
 釧路7551855函館
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館

DcD×3 所要2
北斗(付属1)
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館

1968年10月1日:急行「すずらん」の1往復を特急「北斗」に格上げし、函館駅 - 札幌駅間を運行。旭川駅発着列車と合わせて2往復となる。

函ハコ

DcDsDdDDDDc×8 所要7
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)
 函館4401451釧路
 釧路1400010函館
 函館11352200釧路
 釧路9001925函館
 函館9301557旭川
 旭川10201640函館
 函館4451116旭川17102345函館

DcDsD×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(付属1)
 函館440855札幌12201640函館
 函館9301355札幌1950010函館

DcDDDsTdDDDDc×1 所要1
北斗(1)
 札幌7301155函館16252046札幌

ここで特筆すべきは、尾久から転属したキサシ80-1が耐寒工事のみを施工されて、キサシの状態で北斗専用編成に組み込まれて約1年間活躍したことですね。同車は、1969年12月27日に五稜郭工場(現・五稜郭車両所)で改造され、キシ80-903になり、1975年3月13日に廃車になっています。

82_7508
特急「北斗」の編成は函館よりに3両の付属編成が着いています。 1975/8 登別

1969年10月1日:特急「北斗」の札幌駅発着列車の名称を「エルム」に変更。急行「すずらん」の1往復を特急に格上げし、函館駅 - 旭川駅間の特急「北斗」を増発(「北斗」自体は2往復のまま)。 なお、「北斗」増発列車には奥羽本線特急「つばさ」をキハ181系特急用気動車に置き換えて、捻出したキハ82系気動車を使用する計画であったが、「つばさ」用キハ181系の落成が1970年2月にずれ込んでしまい本改正に間に合わず、増発した「北斗」には急行用気動車であるキハ56系気動車によって運行された。このため、特急料金の100円引きがなされた。この措置はキハ82系気動車が導入されたことで解消される。

DcDsDdDDDDc×9 所要8
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)、エルム(1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館
 函館11452205釧路
 釧路8551925函館
 函館9401600旭川
 旭川10201640函館
 函館4501110旭川17302400函館
 札幌7351200函館16252053札幌

DcDsD×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(付属1)
 函館445900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館

DcD×1 所要1
エルム(付属1)
 札幌7351200函館16252053札幌

1971年7月1日:特急「エルム」が「北斗」に吸収され廃止。「北斗」3往復となる。また「北斗」の1往復を函館駅 - 札幌駅間の運行に短縮。

DcDsDdDDDDc×10 所要9(臨時+1)
おおぞら(2)、北斗(3)、北海(1)、オリンピア(臨時1)
 函館4401456釧路
 釧路1405025函館
 函館11452215釧路
 釧路9001925函館
 函館9401555旭川
 札幌10301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14201850札幌
 旭川10251640函館
 函館4451110旭川17302400函館
 函館9251356札幌2110230函館

DcDD×7 所要6
おおぞら(付属2)、北斗(付属3)
 函館440900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館
 札幌10301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14201850札幌
 函館11452215釧路
 釧路9001925函館

1972年3月15日:函館駅 - 旭川駅間(函館本線・室蘭本線・千歳線経由)の特急列車を「おおぞら」に移行。「北斗」は函館駅 - 札幌駅間のみ2往復となる。この改正で札幌運転区(札サウ)開設。

函ハコ担当分

DcDsDdDDDDc×10 所要9(臨時+1 札幌車と運用)
おおぞら(3)(臨時+1)、おおとり(1)、北海(1)(臨時+1)、北斗(臨時1)
 函館4451455釧路16352235札幌
 札幌7001253釧路1420020函館
 函館11402147釧路
 釧路9101930函館
 函館9351945釧路
 釧路6401640函館
 函館11452146網走
 網走9001905函館
 函館4501105旭川17252355函館
 札幌2320510函館7001121札幌17002125函館2355515札幌

DcDsDDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(臨時1)
 函館9351539旭川1940220函館
 函館155820旭川10301640函館

DcDD×5 所要4(臨時+1)
おおぞら(付属2)、北斗(付属2)(臨時+1)、北海(臨時1)
 函館445855札幌10201445函館16152038札幌
 札幌2320510函館7001121札幌17002125函館2355515札幌
 札幌7351155函館14251836札幌2005020函館
 函館11402147釧路
 釧路9101930函館

札サウ担当分

DcDsDdDDDDc×2 所要2
北斗(2)
 札幌7351155函館14251836札幌
 札幌10201445函館16152038札幌

Dc×1 D×1 Ds×1

1972年10月に秋アキより、元「はつかり」用キロ80をキハ82に改造したキハ82-901, 902が転入 
キハ82-901は1968年10月改正で特急「はつかり」の運用終了後、12月に大宮工場でキハ82に改造し、大ムコに転属、1972.3に秋アキに転属、1972.10に札サウに転属

キハ82-902はキロ80-5のまま、1969.5秋アキに転属、1970.2にキハ82-902に改造され、鹿カコに配置、9月に天ワカに転出、1972.3に秋アキに、1972.10に札サウに転属
82_901_7508
82_902_7508

当時 札サウに配置された元特急「はつかり」用のキロ80 1、 5からの改造によるキハ82-900番台(901, 902)を組み込んだ特急「北斗」

1973年10月1日
:急行「すずらん」の1往復を特急「北斗」に格上げし、「北斗」が3往復に増発。

函ハコ担当分

DcDsDDDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(臨時1)
 函館9351535旭川2000220函館
 函館155820旭川10351640函館

DcDD×6 所要5
おおぞら(付属2)、北斗(付属2)、北海(付属1)
 函館445850札幌10251445函館16152028札幌
 札幌7371155函館14251832札幌2010020函館
 函館11402142釧路
 釧路9201930函館
 函館4501105旭川17352355函館

札サウ担当分

DcDsDdDDDDc×3 所要3
北斗(2)、オホーツク(1)
 札幌7371155函館14251832札幌
 札幌10251445函館16152028札幌
 札幌7001243網走16152200札幌

DcDsDDDDc×1 所要1
北斗(1)
 函館7401158札幌17002125函館

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

1981年10月の改正で札サウのキハ82系による担当は消滅

82_7507_2_2
札幌駅で出発待ちをする特急「北斗」 1975/8

1981年10月1日:特急「おおぞら」の1往復を札幌駅で系統分割し、札幌駅以南を「北斗」としたことにより、「北斗」が4往復となる。

函ハコ

DcDsDdDDDDc×7 所要6
おおぞら(1)、おおとり(1)、北海(1)、北斗(3)
 函館445857札幌9421414函館19002325札幌
 札幌8051326釧路17152240札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402157網走
 網走8581924函館
 函館450922札幌13551858函館

DcDsDdDDDc×2 所要1
北斗(1)
 函館7401159札幌17362200函館

DcD×7 所要6
おおぞら(付属1)、おおとり(付属1)、北海(付属1)、北斗(付属3)
 函館445857札幌9421414函館19002325札幌
 札幌8051326釧路17152240札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402100北見
 北見9561924函館
 函館450922札幌13551858函館

Dc×8 D×18 Ds×3 Dd×2

1983年6月1日:「北斗」1往復にキハ183系を投入。食堂車の連結なし。

DcDsDdDDDDc×6 所要4
おおとり(1)、北海(1)、北斗(2)
 函館445857札幌9451414函館14551916札幌2000020函館
 函館11402157網走
 網走8581924函館
 函館450922札幌13551858函館

DcDsDdDDDc×2 所要1
北斗(1)
 函館7401159札幌17362201函館

DcD×6 所要4
おおとり(付属1)、北海(付属1)、北斗(付属2)
 函館445857札幌9451414函館14551916札幌2000020函館
 函館11402100北見
 北見9561924函館
 函館450922札幌13551858函館

Dc×2 D×6 Ds×3
82_830823_2
183系も進出する中、老体にむち打って活躍していたころのキハ82系 特急「北斗」 1983/8 札幌

1985年3月14日
:臨時急行「すずらん」を特急「北斗」に統合し、「北斗」が5往復に増発。 ただし、この1往復は1986年10月31日まではキハ82系を使用し、列車番号が6000番台の季節列車の扱いであった。

DcDsDDDc×1 所要1
北斗(1)
 札幌8451319函館16302047札幌

1986年11月1日:特急「北海」の廃止および「おおぞら」1往復の系統分割により、「北斗」が3往復増発され8往復となる。なお、このとき「北海」の代替の「北斗」1・16号は、青函連絡船深夜便との連絡の兼ね合いから他列車より停車駅を少なくして速達性を高め、全車座席指定席制とした。

今回はここまでです。キハ183系、キハ281、283系による「北斗」「スーパー北斗」は明日以降の記事で。

今回も、Wikipediaの東北線優等列車、特急北斗の記事、「キハ80系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」を参考に纏めました。

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2013年3月 4日 (月)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 2 「おおとり」

おおとり」という名称はキハ82系「おおぞら」の記事、冒頭でご紹介しましたように、1961年10月のサンロクトウダイヤ改正で東京~名古屋間に登場した151系電車特急に与えられた名称です。

準急「新東海」を速達化し、特急「おおとり」に昇格させたもので、 下りは東京駅 - 大阪駅間の特別急行列車群の終了後、上りは大阪駅発の特急到着前に到着するダイヤで、東京駅 - 名古屋駅間の特急設定は初めてでした。

1964年10月1日:東海道新幹線開業によるダイヤ改正により、特急「おおとり」は廃止となり、名称は新設の函館駅 - 網走駅・釧路駅間特急へ転用されました。「おおとり」は「おおぞら」の増発を兼ねており、編成の半数を滝川駅で分割し、根室本線釧路駅まで直通していました。また、食堂車は釧路駅発着編成に連結されました。

82
キハ82系 特急「おおとり」 1975/7 旭川

DcDsDdDDDDc×5 所要4
おおぞら(1)、おおとり(1)
 函館4551525釧路
 釧路13202400函館
 函館10402130釧路
 釧路7201810函館

DcDsDDDc×3 所要3
おおぞら(付属1)、おおとり(付属1)
 函館4551128旭川17252400函館
 函館10402115網走
 網走7401810函館

Dc×1 D×1 Ds×1 Dd×1

1970年10月1日:「おおとり」の釧路駅発着編成を「おおぞら」に分離し、函館駅 - 網走駅間の運行になりました。

DcDsDDDDc×3 所要2
おおとり(1)
 函館11502213網走
 網走8401900函館

1972年3月15日:「おおとり」に食堂車が連結開始。

DcDsDdDDDDc×10 所要9(臨時+1 札幌車と運用)
おおぞら(3)(臨時+1)、おおとり(1)、北海(1)(臨時+1)、北斗(臨時1)
 函館4451455釧路16352235札幌
 札幌7001253釧路1420020函館
 函館11402147釧路
 釧路9101930函館
 函館9351945釧路
 釧路6401640函館
 函館11452146網走
 網走9001905函館
 函館4501105旭川17252355函館
 札幌2320510函館7001121札幌17002125函館2355515札幌

82_7508
登別付近を行く特急「おおとり」 1975/8

82_7507_10
札幌に到着した下り網走行き特急「おおとり」 1975/10 
当時、下り特急「おおとり」は函館発11:45、札幌着15:55 で青函連絡船5便に接続し、特急「おおぞら3号」(函館11:40、札幌15:45)を補完する形で走っていました。

1986年11月1日:「おおとり」「オホーツク」の食堂車連結が終了。両特急の運用は札サウのキハ183系が担当。

DcDDDDsDDc×10 所要9
おおぞら(3)、おおとり(1)、北斗(7)
 札幌7501153函館13021659札幌17202125函館
 函館11352057網走
 網走10001921函館
 函館8111210札幌12421641函館19002258札幌
 札幌8541301函館14301828札幌19212319函館
 函館9311325札幌14271839函館
 函館456853札幌9351341函館17122111札幌
 札幌8041245釧路14071906札幌19542250帯広
 帯広7251016札幌11301629釧路17172205札幌

1988年3月13日:「おおとり」は札幌駅を境に系統分割。札幌駅 - 網走駅間を「オホーツク」、函館駅 - 札幌駅間を「北斗」とする。これにより函館駅から札幌駅以北に直通する定期列車は姿を消しました。

廃止になる直前の1年3ヶ月間、キハ183系「おおとり」の時代があったようですが、この期間に北海道は訪れていないため、写真は撮り逃がしていたようです。

以上、Wikipediaの記事、「キハ80系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 函館」「キハ183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 札幌」のデータを参考に纏めました。

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2013年3月 3日 (日)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 1 「おおぞら」その3

今回はキハ283系による特急「スーパーおおぞら」の話題です。

283_furico_100626_4
キハ283系は石勝線・根室本線(南千歳駅 - 釧路駅間)の高速化事業に合わせ、キハ281系気動車の発展形として開発された振子式気動車です。営業最高速度は130km/h、設計最高速度は145km/hです。1995年に試作車が完成し、翌1996年から量産され2001年まで製造されました。

1997年3月22日のダイヤ改正から特急「スーパーおおぞら」として営業運転を開始し、札幌駅 - 釧路駅間の最短所要時間は、従来のキハ183系気動車による特急「おおぞら」の4時間25分から3時間40分へと大幅に短縮されました。製造メーカーは試作中間車のキハ282-2001のみJR北海道苗穂工場、他は全車富士重工業です。

車体はキハ281系と同様の軽量ステンレス製で、前頭部のみが普通鋼製。見通し向上と踏切事故時の運転士保護のため、前面貫通扉付きの高運転台構造としているほか、客用扉に気密性の高いプラグドアを採用している点もキハ281系と同様です。霧の発生日数が多い根室本線を走行するため、前照灯は計9灯(内2灯はHID)に増やされ、その他、空調装置が屋根上から床上に移されるなど、車体は徹底的な低重心化が行われ、乗り心地を大幅に改善しています。

車体外部の配色は前頭部と客用扉周囲はコバルトブルー、ステンレス地の無塗装部分との境界は萌黄色(ライトグリーン)、客用扉の窓周囲は赤としました。側窓周囲はキハ281系と異なり無塗装のままである。前頭部側面には形式称号と振子機能をイメージした「FURICO 283」のロゴマークとリサージュ図形が配されています。

台車は制御付自然振子式の諸機構を装備するN-DT283形で、傾斜機構はキハ281系と同様の曲線ベアリングガイド式です。本系列では根室本線の急曲線と脆弱な路盤に対応するため、車体支持機構に枕梁を介在させるボルスタ付台車としたうえで、自己操舵(セルフステアリング)機構を組み込みました。これは前後の軸箱に繋がれたリンクが曲線通過時に伸縮し、車軸を常に軌道と直角に保つもので、あわせて、車体の傾斜角度をキハ281系の5度から6度に拡大しました。
 これらの改良により、半径 600m以上の曲線では本則 + 40 km/hでの通過が可能です。振子動作を制御・指令するコンピュータは、摩耗による車輪径の減少によって生じる車輪回転数の誤差を自動補正し、振子動作開始地点のずれを解消する機能も有しています。また、運用開始当初は1編成の最大連結可能両数が9両であったが、乗車率の高さから増結が常態化したためコンピュータを改良し、現在では最大11両編成までの組成が可能です。

駆動系はコマツ製の直列6気筒ディーゼルエンジン N-DMF11HZA(SA6D125-H、排気量11.04L、定格出力 355ps/2,100rpm)を各車とも2台搭載し、キハ281系と同様のものですが、本系列の液体変速機は変速1段直結4段・パワーオン制御(自動車の半クラッチと類似の機構)を採用したN-DW18形を装備しています。これにより、中速域からの加速性能と登坂性能の向上、変速ショックの軽減が図られています。

ブレーキシステムは機関ブレーキ・排気ブレーキ併用の電気指令式空気ブレーキで、高速からの安定したブレーキ性能を有します。「マルチモードブレーキ制御システム」を搭載しており、基礎ブレーキ装置は踏面ブレーキ方式で、制輪子はJR北海道苗穂工場製の特殊鋳鉄制輪子を使用しており、凍結した線路上でも最高速度から600m以内での停止が可能です。

283900_020825
2002/8/25 札幌
特急「スーパーとかち」に使用される283系900番台試作車 量産車との区別はライトのケーシングが長方形であることと連結器回りのスカートの切り込みの形態です。

1995年に先頭車2両、1996年に中間車1両が試作車として製造され、長期試験に供されました。同年に量産車20両(1次車)が製造され、1997年3月22日のダイヤ改正から特急「スーパーおおぞら」として営業運転を開始しました。

1998年に「スーパー北斗」増発用に12両(2次車)が増備されたほか、同年下期に「スーパーおおぞら」増発用として4両(3次車)が、1999年に4両(4次車)が増備されました。2000年には「スーパーとかち」にも投入されました。

2001年には20両(5次車)が増備され、札幌駅 - 釧路駅間の特急列車は、夜行列車を除いてすべて本系列による「スーパーおおぞら」に置き換えられた。この増備を最後に、本系列の製造は終了しました。これは、構造が複雑で製作や保守にかかるコストが大きいことや、製造メーカーの富士重工業が鉄道車両部門から撤退(新潟トランシスに事業譲渡)したことなどが理由とされます。なお多数が残存するキハ183系気動車の置換えは、近年では運用コストの最適化を図ったキハ261系気動車によって賄っています。

運用開始以来全車を札幌運転所に配置してきましたが、2007年10月に半数の31両が釧路運輸車両所に転配されました。

それでは特急「おおぞら」の歴史の続きです。

1997年3月22日キハ283系気動車を導入し、これによる列車を「スーパーおおぞら」として運転開始。「スーパーおおぞら」3往復・「おおぞら」4往復(うち夜行列車1往復)の体制となる。
283_020827
札幌駅を発車した特急「スーパーおおぞら」8連 2002/8/27

1998年12月8日:「おおぞら」1往復を「スーパーおおぞら」に変更する。

283_080322_2
上野幌を通過する特急「スーパーおおぞら」 2008/3/21

2001年7月1日:「おおぞら」の昼行全列車を「スーパーおおぞら」に変更し、「おおぞら」13・14号を「まりも」に変更する。

283_100626_11
同じく上野幌を通過する特急「スーパーおおぞら」 2010/6/26

2009年10月1日:ダイヤ改正により、「スーパーとかち」と「スーパーおおぞら」2・13号の基本編成が6両となる。
283_080319
南千歳に到着した釧路からの特急「スーパーおおぞら」7連 2008/3/19

2010年10月
: 「スーパーおおぞら」1・6・7・8・9・14号の基本編成が6両に戻される。

2011年5月27日:「スーパーおおぞら」14号が、清風山信号場内で脱線・炎上し、乗客と乗務員あわせて39人が負傷する事故(石勝線特急列車脱線火災事故)が発生。
7月21日:5月の事故の影響で、キハ283系気動車の機材繰りがつかなくなったため、当面の間、「スーパーおおぞら」1往復(2・13号)と「スーパーとかち」1往復(5・8号)の編成が、繁忙期をのぞいてグリーン車なしの5両編成に変更される。また、これ以外の列車についても当面の間、バリアフリー対応設備車両を連結しない編成で運行する場合がある。

キハ283系の形式番号は、製作当初は運転台の有無にかかわらずトイレ付きを283形式トイレなしを282形式として、同形の車両であっても編成内の連結位置によって番台区分していました。これは、登場当初のキハ283系が1編成単位での運用を前提としていたことによります。

しかし、「スーパーおおぞら」は列車の増結が常態化したことや、「スーパー北斗」「スーパーとかち」等への車両運用の拡大によって1編成単位での運用が次第に困難となり、2001年に運転台付き車を283形式に、運転台なし車を282形式に改め、異番台の同仕様車は通し番号に改番しました。

<キハ283形>
編成の先頭または中間に組成される、運転台付の普通車。客用扉は片側2箇所に設置。 900番台(901・902) 先行試作車。試運転時はそれぞれ釧路向き、札幌向きに分かれていたが、「スーパーおおぞら」運転開始後は、2両とも札幌向きになっている。定員48名。客用扉周囲の塗装パターンが量産車と異なり、ライトグリーンと赤を交互に配した塗り分けとしていた。 前照灯ケーシングの形状も量産車と異なる。内装ではトイレのドアの色が黄緑色、客室の床の模様が異なる。 洋式トイレと男子用のトイレを設置している。

基本番台(1 - 21) 1 - 5・12・14 - 17 が釧路向き、6 - 11・13・18 - 21 が札幌向きの先頭車である。基本的には試作車と同じで、洋式トイレと男子用のトイレを設置している。定員48名。 6 - 14は旧形式「キハ283 101 - 109」から改番された。 4・5・9・10 は1998年製の2次車で、紫色の座席モケットで落成した。 2007年10月改正での札幌運転所から釧路運輸車両所への一部転属に伴い、14・16・19の方向転換を実施した。

<キハ282形>
編成の中間に組成される、運転台のない普通車。客用扉は片側1箇所。一部は切妻形運転台を設け、番号で区分される。

基本番台(1 - 8) 車椅子対応の車両で、札幌側に車椅子対応の座席とトイレがある。ほかに、男子用トイレ・多目的室・テレホンカード式公衆電話(2009年9月30日まで設置)がある。定員51名。 1 - 5 は 旧形式「キハ283 201 - 205」から改番された。 4 は1998年製の2次車で、紫色の座席モケットで落成した。

100番台(101 - 111) トイレ・洗面所はない。札幌側に荷物置き場と喫煙コーナー兼ミニラウンジを設ける。定員64名。 103 - 105は旧形式「キハ282 1 - 3」、106・107は旧形式「キハ282 1001・1002」から改番された。 キハ280形100番台よりも定員が4名多いため、「スーパー北斗」で使用される機会は少ない。

2000番台(2001 - 2009) 途中駅等における付属編成の増解結を想定し、釧路側に保安装置付きの簡易運転台を備える。このため、付属編成の先頭車として本線での運転が可能である。 トイレ・洗面所はない。札幌側に荷物置き場と喫煙コーナー兼ミニラウンジを設ける。定員60名。他の設備は100番台と同一である。 2001 は本系列唯一の苗穂工場製。 2003・2004 は1998年製の2次車で、紫色の座席モケットで落成した。

3000番台(3001 - 3004) 2000番台と同一の車体構造であるが、易運転台は準備工事のみで、運転台窓部分に塞ぎ板が填められている。札幌側に荷物置き場と喫煙コーナー兼ミニラウンジを設ける。定員60名。他の設備は2000番台と同一である。 全車とも1998年製の2次車で、紫色の座席モケットで落成した。基本的に「スーパー北斗」の中間車として使用されている。

<キロ282形>
(1 - 8) 中間に組成される、運転台のないグリーン車。 座席数は26席で、配置は横1+2列、中央で配置が逆転する。各座席はリクライニング、レッグレスト、カーテンなどの操作が電動化され、ヘッドホン式オーディオ、パソコン用電源(1人がけ座席のみ)などの装備も搭載する。荷物棚には蓋を設けたが、使い勝手の面および荷棚蓋取扱時の安全上の問題等から後年に順次撤去された。 車端部には、車内販売準備室・車掌室・男子用および共用洋式トイレ・喫煙コーナーがある。 1 - 5は旧形式「キロ283 1 - 5」から改番された。

<特急「おおぞら」が関係したこれまでの事故>

*特急おおぞら脱線転覆事故*
1994年2月22日 JR北海道根室本線西新得信号場 - 広内信号場間で釧路発札幌行き特急「おおぞら10号」(キハ183系7両編成)が強風にあおられて、前3両が脱線・転覆・大破して28名が負傷した。この事故でキハ183-502、キハ184-11、キハ182-33が廃車となった。現場付近の風速計の故障を半年間放置し、状況が把握できない中で徐行運転を実施したからという指摘がある。 この事故をきっかけに防風フェンスを設置したほか、基準を超える風速を記録した場合運転を停止する措置を取っている(2013/8/15 一部記述を修正)。

**石勝線特急列車脱線火災事故*
2011年5月27日21時56分頃(列車脱線事故、列車火災事故) 北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線占冠駅 - 新夕張駅間を走行中の釧路駅発札幌駅行きの特急「スーパーおおぞら」14号(キハ283系、札幌方からキハ283-9 + キハ282-101 + キハ282-1 + キロ282-7 + キハ282-3001 + キハ283-1の6両編成)が清風山信号場内で脱線・転覆、同場構内の第1ニニウトンネル内で全車炎上した。 248名の乗客は車掌の指示で発煙があった車両から別の車両に避難したが、その後乗務員が状況確認や運輸指令との連絡に手間取り、車内に煙が充満した。乗客が勝手な判断で非常ドアコックを使用して外へ避難。煙を吸い込むなどして39名が病院に搬送された。運輸安全委員会鉄道事故調査官並びに北海道警察本部富良野警察署による事故原因調査も実施されている。 その後行われた、JR北海道による事故現場調査では、3号車(キロ282-7・札幌方先頭から4両目)の列車車両下部の減速機を支える金属部品「つりピン」(車で言えばプロペラシャフトに該当)が脱落しており、次位の2号車(キハ282-3001・先頭から5両目)についてはトンネルに入る以前から脱線していたことが判明している。事故二日前に行われた目視検査では、異常が発見されていなかった。道警は事故後、釧路−札幌間を捜索したが、脱落した部品は事故から1年以上経過した2012年現在も見つかっていない。 なお、乗務員の指示を待たずに勝手に非常ドアコックを使用して外へ避難した乗客に対して職員が激怒したことが問題になったが、これは当時の異常時マニュアルで運輸指令の指示が無いと乗客を外へ避難させることが出来なかったことが理由とされている。しかしながら、このマニュアルが皮肉にも避難誘導が遅れた原因になった。さらにこうした異常時マニュアルが部署別に多数作成されており、内容もそれぞれ異なっていることが発覚したため、国土交通大臣より事業改善命令を受けている。後にマニュアルは改訂・一本化され、現場の判断での避難も可能とされた。

以上、Wikipediaの記事(特急おおぞら、283系気動車、日本の鉄道事故 (2000年以降))を参考に纏めました。

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2013年3月 2日 (土)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 1 「おおぞら」その2

今回はキハ183系時代の特急「おおぞら」さらに帯広発着の特急として命名された「とかち」の歴史です。

キハ80系気動車は長らく北海道の特急として用いられて来ましたが、1975年頃から接客設備の陳腐化と酷寒地運用ゆえの故障多発・損耗が顕在化し、取替えが喫緊の課題とされました。後継車両の計画に際しては北海道内での使用に留意し、厳しい気象条件に適合した「雪と寒さに強い」特急形気動車として開発が進められ、1979年キハ183系先行試作車が完成しました。1980年から1年半の試用の後、1981年10月から量産車の使用を開始しました。

1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、各部の大規模な設計変更がなされた500番台(N183系)が投入され、キハ80系を完全に淘汰しました。JR移行後の1988年には走行性能の向上に留意した550番台(NN183系)を投入し、道内特急列車の高速化と設備水準向上を実現しました。

2001年から経年の進んだ車両が順次淘汰されつつありますが、使用路線の実情を考慮した仕様変更や改造も多数なされ、現在に至るまで道内各路線の特急列車に使用されています。

前回の記事と一部重複しますが、まずは特急「おおぞらの」歴史を見てみましょう。

1979年9月 函館運転所(函ハコ)にキハ183系先行試作編成が配置されます。

キハ183 901, 902, 903, 904
キハ182 901, 902, 903, 904, 905, 906
キハ184  901
キロ182 901

←札幌
DcDDDDDsD'DDDc×1 所要1
おおぞら(1)
 函館11402155釧路/釧路9201930函館(キハ80と隔日運用)

Dc×2

<キハ183系900番台試作車>
1979年12両が製作され、基本編成を7両、必要に応じ中間電源車を含む3両を挿入して最大10両編成とする運用方式が採られました。特急気動車としてはキハ181系以来11年ぶりの新形式でしたが、保守の省力化と信頼性の確保に鑑み各部仕様は先行形式で実績のある構造を主軸に採用する方針が採られました。
 車体は同時期に試作された781系電車の仕様を踏襲した耐寒耐雪設備を有し、客室窓の天地寸法は本州以南向け特急形車両に比べ小さく、客用扉は各車とも片側1か所に片開きのものを設けました。 
 分割併合を前提とせず、先頭車は特急形電車同様の高運転台式非貫通型で、着雪防止のため、直線と平面で構成され正面中位が前方に突出した「スラント形」と称される独特の前頭部形状を有し、灯火類は正面下部左右に前照灯と標識灯を設けるほか、運転台直上部中央にも2灯の前照灯を設けました。外部塗色はクリーム4号+赤2号の国鉄特急形車両の標準配色としました。
 車体側面には非常時脱出用の非常扉を設け、客室窓は冷房故障時換気用の内傾式窓を片側2か所に装備しました。
 キハ183形・キハ184形は床下に最大4両分の給電能力を有する電源装置を設置し、客室床上に機器室を設けました。

エンジンは、各車に1基のディーゼル機関を搭載し、発電設備の搭載・非搭載で駆動系の仕様が異なり、2種の系統がありました。

発電設備をもつ形式(キハ183形・キハ184形キハ40系気動車の駆動系を基本とした直列6気筒機関を搭載し、動力台車は1軸駆動の DT47 形でした。発電設備のない形式(キハ182形・キロ182形)にはキハ66系気動車の駆動系を基本とした大出力の水平対向12気筒機関を搭載し、動力台車は2軸駆動の DT48 形でした。

台車は車体直結式の空気バネ台車で、円筒案内式の軸バネには雪の侵入を防ぐゴム被覆を設けました。動力台車は駆動軸数の異なる DT47 形・ DT48 形の2種があり、付随台車は各形式とも TR233 形でした。

最高速度は基本番台と共に新製時は100km/hでしたが、後に対応工事がなされ110km/h運転を可能となりました。

トイレ・洗面所はキハ183形以外の全形式に設置し、キハ183形には業務用室、キロ182形には車掌室を設置していました。

冷房装置は集中式の AU79X 形を屋根上に1基搭載し、通風・換気は各車の屋根上に2基設置された新鮮外気取入装置によって行いました。

量産移行後は仕様を統一する量産化改造がなされて量産車と完全に混用されていましたが、老朽化や余剰のため2001年9月までに全車が廃車となりました

1980年2月10日:「おおぞら」5・4号に新型気動車キハ183系を導入。
1980年10月1日:それまで函館中心のダイヤ体系を札幌中心に変更し、本州との連絡は航空機との協調をメインとするため、室蘭本線室蘭~沼ノ端と千歳線の電化完成、千歳空港駅(現:南千歳駅)が開業したダイヤ改正です。電化を機会にこれまでの特急「いしかり」を延長する形で特急「ライラック」9往復が誕生しました。

「おおぞら」のうち、5・4号は札幌駅 - 釧路駅間とし、3・2号の旭川駅発着編成を廃止。これ以降「おおぞら」の滝川駅以北乗り入れはなくなりました。

1981年8~9月キハ183系量産車42両が函ハコに新製配置されます。

キハ183 1~8
キハ182 1~24
キハ184 1~5
キロ182  1~5

←札幌、釧路
DcDDDDDsD'DDDc×5 10連 所要4
おおぞら(2)、北海(1)
 函館9401915釧路
 釧路7201640函館
 函館11451627札幌17152214釧路
 釧路10251540札幌19202355函館

Dc×2  D'×1 Ds×1

<183系基本番台量産車>
1981年 - 1983年に4形式合計89両が製作されました。消火装置は自動1系統のみに簡略化され、燃料タンクは使用距離を考慮して容量を削減しました。1982年の増備車からはトイレに循環式汚物処理装置を搭載しています。
 外観はキロ182形およびキハ184形に大幅な変更があった以外は試作車に準じたものとなりました。キハ80系から特急気動車に装備されていた外開きの非常扉は廃止されました。内傾式の換気用窓も腐食や結露の誘発などの問題があるため廃止されました。また、車端ダンパも廃止されました。石勝線の長大トンネル対策として新鮮外気取入装置の性能向上が行われ、外気導入ルーバーの形状が大型化されました。駆動系の変更はありませんが、台車は軽量化されたDT47A・DT48A・TR233Aに変更されました。

1981年10月1日石勝線千歳空港駅(現在の南千歳駅) - 新得駅間開業に伴うダイヤ改正に伴い、「おおぞら」全列車を石勝線経由に変更し(滝川経由に較べると46.4kmの短縮)、1往復を除き札幌駅 - 釧路駅間の運行とする。 1往復は函館駅発着であったが、苫小牧駅 - 千歳空港駅 - 札幌駅 - 千歳空港駅 - 追分駅と停車し、千歳空港駅に重複して停車する珍しい列車となった。岩見沢駅・滝川駅・富良野駅の停車駅を取り消し。2往復をキハ183系、1往復をキハ82系による運転となりました。

1982年10月6日 札サウにもキハ183系37両が新製配置されます。(当初は特急「オホーツク」のみ担当)

キハ183 9~18
キハ182 25~42
キハ184  6^10
キロ182   6~9

←札幌
DcDDDD'DsDDDc×3 9連 所要2
オホーツク(2)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌

Dc×4 D×3 D'×2 Ds×1

1982年11月15日:「おおぞら」の全列車がキハ183系に変更。同時に食堂車の営業も終了。このときから、札幌運転所(札サウ)が「おおぞら」の運用の一部を担当。

札サウ

←札幌
DcDDDD'DsDDDc×3 所要3
オホーツク(2)、おおぞら(1)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌
 札幌8051325網走17152236札幌

Dc×4 D×3 D'×2 Ds×1

1983年6月1日 函ハコにキハ183系基本番台10両 第2次新製配置

キハ183 19,20
キハ182 43~48
キハ184  11
キロ182  10

←札幌、釧路
DcDDDDDsD'DDDc×6 所要5
おおぞら(2)、北海(1)、北斗(1)
 函館9401915釧路
 釧路7201640函館19002325札幌
 札幌7231153函館
 函館11451627札幌17152214釧路
 釧路10251540札幌19202355函館

Dc×2 D'×1 Ds×1

183
新しい特急「おおぞら」の顔となったキハ183系 900番台 (スカートの折れ曲がりから) 1983/8 札幌

1984年2月1日:「おおぞら」を札幌駅 - 釧路駅間で1往復増発。4往復体制となりました。

1985年3月14日:「まりも」の昼行列車を特急に格上げして「おおぞら」に統合し、札幌駅 - 帯広駅間2往復増発。「おおぞら」6往復体制となり、札幌駅 - 帯広駅間1往復にキハ82系が復活しました

この改正を前に編成短縮に伴い不足する先頭車を補うため、キハ184 1,4,3,5 を改造して キハ183 101~104 が誕生しています。またグリーン車の不足を補うためキハ184-901がキロ184-901に改造されています。写真はありませんが、キハ183 100番台のスタイル、塗装はあまり評判が良くなく、特に登場時のキハ183スラントノーズ車のように下半分を赤く塗った塗装はたいそう不評を買い、1ヶ月もおかずに塗り替えられたそうですね。キロ184-901はキロ182形の半分しか出力がなかったため、速度定数の変更を余儀なくされ、「オホーツク」限定で使用されました。
183100_020825
後年の写真ですが、このときの改造で登場したキハ183形100番台 2002/8/25 札幌

札サウ

←札幌
DcDDDDsDDc×5 7連 所要4
オホーツク(2)、おおぞら(3)
 札幌9301520網走16372219札幌
 札幌7001245網走13281915札幌
 札幌8001302釧路14111918札幌19432245帯広
 帯広7201024札幌10561612釧路17062206札幌

Dc×2 Ds×1

函ハコ

←札幌
DcDDDDsD'DDDc×5 9連 所要4
おおぞら(2)、北斗(2)
 函館9301848釧路
 釧路11131618札幌17062158釧路
 釧路7351645函館
 函館445855札幌9351351函館14301841札幌2012025函館

DcDDDDDc×2 6連 所要2
北斗(2)、北海(1)
 函館8001210札幌13511830函館19002310札幌
 札幌7301145函館12201657札幌17352147函館

Dc×2 D×1 D'×2 Ds×1

1986.11の改正を前に函ハコのキハ183系はすべて札サウに転属となります。さらにキハ183系500、1500番台(N183系)の札サウへの増備が始まります。

キハ183 501~507 1501~1507
キハ182 501~514
キロ182 501~508

183500_910819
苗穂を通過する特急「おおぞら」 1991/8/20 当時の塗装が懐かしい

<キハ183系500番台(N183系)>
国鉄分割民営化後のJR北海道の経営基盤整備を主目的とし、1986年に新潟鐵工所および富士重工業で36両が製作されました。車体は同時期に四国に導入されたキハ185系の鋼製車体版となりました。 道内特急の短編成化を実施するにあたって基本番台の中間電源車キハ184形の運用方が再検討され、本区分のキハ183形は2種類が製作されました。電源機関付きのトイレ・洗面所なしキハ183形1500番台、電源機関をもたず大出力の走行用機関を搭載、トイレ・洗面所つきのキハ183形500番台です。電源装置のないキハ183形500番台はキハ184形との組で運用し、既存の電源装置を活用しました。新製時の最高速度は 110 km/h とされましたが、将来の速度向上に備えて機器類は最高速度 120 km/h に対応した設計とされてました。

先頭車のキハ183形は高運転台非貫通構造をやめ、増結・切離しが臨機応変に行える貫通型の前頭部構造としました。室内空間の 1/3 を占めていた発電装置は小型化して床下に移され、客室空間が拡大しました。灯火類は正面中位左右に前照灯を、正面上部左右に保護ガラスで覆われた前照灯・標識灯を設けました。

駆動系も仕様変更され、大出力の12気筒機関は直噴化された DML30HSJ形、6気筒機関は新仕様の DMF13HS 形[7]を搭載しました。液体変速機はダイナミックブレーキの装備空間を確保するため小型軽量化され、形式は DW12・DW13 に変更されました。

台車は積層ゴム支持構造の軸箱装置をもつボルスタレス台車で、動力台車は DT53 形(1軸駆動、6気筒機関用) DT54 形(2軸駆動、12気筒機関用)の2種を駆動系に合わせて装備し、付随台車は各車共通の TR239 形です。

ブレーキ装置は従来車と同様の CLE 方式(応荷重式電磁自動空気ブレーキ)を装備し、高速運転に対応するためダイナミックブレーキの準備工事がなされました。これは高速域から踏面ブレーキを使用する場合の踏面への熱影響とフラット防止のため、電子制御によりコンバーターブレーキやエンジンブレーキを併用するものでした。現在はN183系全車がダイナミックブレーキの本工事を施工され、120 km/h 運転対応となっています。

1986年11月1日:国鉄最後のダイヤ改正に伴い、「おおぞら」を札幌駅 - 釧路駅間で1往復増発。また、札幌駅 - 帯広駅間の1往復を釧路駅まで延長するが、全列車を札幌駅始発・終着とする。この時点で「おおぞら」7往復となり、全列車がキハ183系で運行されるようになる。

←札幌
DcDDDDDsDDc×4 8連 所要3
おおぞら(3)
 釧路7481227札幌17382220釧路
 釧路9031328札幌14331928釧路
 釧路11201604札幌16282057釧路

仕業番号1~3のN183系使用列車で釧路からスタート

DcDDDDsDDc×10 7連 所要9
おおぞら(3)、おおとり(1)、北斗(7)
 札幌7501153函館13021659札幌17202125函館
 函館11352057網走
 網走10001921函館
 函館8111210札幌12421641函館19002258札幌
 札幌8541301函館14301828札幌19212319函館
 函館9311325札幌14271839函館
 函館456853札幌9351341函館17122111札幌
 札幌8041245釧路14071906札幌19542250帯広
 帯広7251016札幌11301629釧路17172205札幌

仕業番号11~19の183系 1号車にN183系組み込み

DcDDDDsDc×5 6連 所要4
 オホーツク(3)、北斗(1)
 網走6421217札幌17102233網走
 札幌9261425釧路15502041札幌
 札幌7021227網走13461918札幌2035022函館
 函館442829札幌9281504網走16532219札幌

仕業番号21/22~24 4号車にキロ182 500番台組み込み 21はオホーツク5/2号限定

Dc×4 Ds×1

1988年3月の改正はJRとして最初のダイヤ改正で、この改正を前にキハ183系550,1550番台が増備されました。

キハ183 1551~1554
キハ182  551~554

←札幌
DcDDDDsDDc×5 7連 所要4(500番台)
北斗(4)、おおぞら(1)
 札幌10071350函館15001844札幌
 札幌8011145函館12201556札幌16352104釧路
 釧路9001325札幌17002034函館
 函館7341103札幌11371521函館17002038札幌

仕業番号1~4

DcDDDDsDDc×3 7連 所要3(Dsハイグレード:キロ182のHG改造)
北斗(4)
 函館9581343札幌14581846函館
 函館8201205札幌12491640函館18572245札幌
 小樽755手稲822839札幌8541243函館13301715札幌17251740手稲‥札幌19042259函館

仕業番号5~7

DcDDDDsDDc×2 7連 所要2
おおぞら(3)
 手稲735752札幌8041246釧路13331820札幌20002255帯広
 帯広7271015札幌11151615釧路17102154札幌

仕業番号8,9

DcDDDDsDDDc×3 8連 所要2
おおぞら(2)
 釧路7471235札幌14111907釧路
 釧路10301512札幌17582240釧路

仕業番号10,11

DcDDDsDDc×4 6連 所要3(臨時+2)(Ds500番台)
おおぞら(1)、オホーツク(2)
 札幌9571454釧路15272014札幌
 札幌7031225網走13571915札幌19241941手稲
 札幌9301450網走17172234札幌
 札幌11201714網走(DcDDDsDc)
 網走11331704札幌(DcDDDsDc)

仕業番号12~14

DcDDDsDDc×2 所要2
オホーツク(2)
 網走6431209札幌17302256網走
 網走9301453札幌16052121網走

DcDDDc×3 所要臨時3
北斗(臨時4)
 札幌5491026函館11161520札幌15482014函館
 函館8251253札幌13101733函館18092243札幌
 札幌7001124函館15041921札幌

Dc×2 Ds×1

<キハ183系550番台(NN183系)>

550番台はJR移行後の1988年3月改正から函館本線で最高速度 120 km/h 運転を行うため、1988年 - 1990年に28両が富士重工業で製作されました。キハ183形・キハ182形のみで、グリーン車の製作はない。内装は500番台と大きな差異はありませんが客室仕切り扉の窓を大型化している。1991年には2階がグリーン座席1階が普通個室のキサロハ182形4両が日立製作所で制作されました。
車体構造は500番台とほぼ同様ですが、500番台で非装備であった新鮮外気取入装置を再度屋根上に設置しました。これはトンネル通過時の客室内への煤煙侵入防止のためです。外部塗色はN183系と同一の配色ですが、台車・床下機器は当初より黒色です。
 駆動機関は6気筒・12気筒とも過給器のインタークーラー追設などで出力を増大し、変速機は減速比を変更した DW12A・DW13A を搭載しました。台車は基本構造に変更はありませんが、高速走行のためヨーダンパ・滑走検知装置が追設されました。またブレーキ装置も500番台と同様ですが、当初から120km/h運転を実施するためダイナミックブレーキは新製時より取付けられていました。

キハ183 1555~1558
キハ182     555~558

1988年11月3日 

←札幌
DcDDDDDsDDc×4 所要3
おおぞら(3)
 釧路7481227札幌17382220釧路
 釧路9031328札幌14331928釧路
 釧路11201604札幌16282057釧路

DcDDDDsDDc×10 所要9
おおぞら(3)、おおとり(1)、北斗(7)
 札幌7501153函館13021659札幌17202125函館
 函館11352057網走
 網走10001921函館
 函館8111210札幌12421641函館19002258札幌
 札幌8541301函館14301828札幌19212319函館
 函館9311325札幌14271839函館
 函館456853札幌9351341函館17122111札幌
 札幌8041245釧路14071906札幌19542250帯広
 帯広7251016札幌11301629釧路17172205札幌

DcDDDDsDc×5 所要4
 オホーツク(3)、北斗(1)
 網走6421217札幌17102233網走
 札幌9261425釧路15502041札幌
 札幌7021227網走13461918札幌2035022函館
 函館442829札幌9281504網走16532219札幌

Dc×4 Ds×1

1989年3月11日 この改正を前に「北斗」の運用担当のため、再び函ハコにキハ183系の一部(普通車のみ)44両が転属となっています。

←札幌
DcDDDDsDDc×1 所要1(500番台)
おおぞら(1)
 札幌10071351函館15001844札幌

DcDDDDsDDc×3 所要2
おおぞら(3)
 手稲733752札幌8041246釧路13301821札幌20032256帯広
 帯広7271015札幌11151614釧路17132155札幌

DcDDDDDsDDc×3 所要2
おおぞら(2)
 

1988.11~と同じ

DcDDDsDDc×4 所要3(臨時+2)(Ds500番台)
おおぞら(1)、オホーツク(2)(臨時+1)
 1988.11~と同じ

DcDDDsDDc×2 所要2
オホーツク(2)
 1988.11~と同じ

DcDDDDsDDc×4 所要3(500番台)(Ds以外は函館所属)
北斗(4)
 函館7341103札幌11371521函館17002038札幌
 手稲723742札幌8011145函館12201556札幌16392108釧路
 釧路9001325札幌17002034函館

DcDDDDsDDc×3 所要3(Dsハイグレード)(Ds以外は函館所属)
北斗(4)
 函館8201206札幌12491640函館18572245札幌
 小樽755838札幌8541243函館13321717札幌17291741手稲‥札幌19042259函館
 函館9591346札幌14581848函館

DcDDDc×3 所要臨時2
北斗(臨時3)
 札幌6501059函館11171520札幌15452014函館
 函館8251253札幌13111733函館18102231札幌

Dc×2

1989.4 キハNN183系 新製配置 
キハ183 1559~1562
キハ182  559~562

1990.5  キハNN183系 新製配置
キハ183 1563~1566

1990年9月1日:「おおぞら」のうち、帯広駅始発・終着の列車を「とかち」に変更。これに伴い、「おおぞら」6往復に縮小。
特急「とかち」は5往復の運行。使用車両はキハ183系気動車0番台。

←札幌
DcDDsDDDc×7 所要5
おおぞら(6)
 札幌7301224釧路13031755札幌18302316釧路
 釧路11081555札幌16242053釧路
 釧路9201345札幌14451930釧路
 釧路7051138札幌12261712釧路17462232札幌
 札幌9421430釧路14541941札幌

DcDDDDc×4 所要3
とかち(5)
 手稲757813札幌8331130帯広11521449札幌19552246帯広
 帯広7131012札幌10441343帯広14061655札幌17342029帯広
 帯広9511249札幌13301627帯広18082105札幌

DcDDsDDDc×5 所要4(臨時+2)
オホーツク(4)(臨時+1)
 札幌7051223網走13521910札幌19241939手稲
 札幌9401509網走17192234札幌
 網走6431209札幌17152236網走
 網走9301448札幌15152042網走
 札幌11141651網走(DcDDsDDc)
 網走11511752札幌(DcDDsDDc)

DcDDDc×3 所要臨時3
北斗(臨時4)
 札幌6211025函館12111610札幌17152132函館
 函館8031156札幌13411752函館18112208札幌
 札幌9301353函館16192039札幌

Dc×3 D×2 Ds×1

183_020827_2
帯広始発、行きの列車名として新たに登場した特急「とかち」 南千歳 2002/8/27
183_020827_3
キロハ182形500番台を連結した特急「とかち」 2002/8/25 南千歳
1831500_080321
キハN183系による特急「とかち」 2008/3/21 上野幌

1991.7 キハNN183系 新製配置

キサロハ182  551~554 

1991年7月27日:「とかち」の全列車に2階建車両「キサロハ182形」を連結。(個室の営業を開始)従来の「とかち」と区別するため、「スーパーとかち」とする。 付随車連結のため当初高出力のキハ182形550番台2両を含む6両編成、のちに同車の他列車転用によりキハ183形0番台およびキハ182形0番台を出力増強改造し200番台とした。
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ダブルデッカーキサロハ182を組み込んだスーパーとかち 編成 南千歳

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キサロハ182 南千歳

1993年3月18日:夜行急行「まりも」を吸収し、「おおぞら」13・14号に変更する。
1994年2月22日:西新得信号場 - 広内信号場間で「おおぞら」10号が強風にあおられて脱線転覆し、28名が負傷する事故(特急おおぞら脱線転覆事故)が発生。

1997年3月22日キハ283系気動車を導入し、これによる列車を「スーパーおおぞら」として運転開始。「スーパーおおぞら」3往復・「おおぞら」4往復(うち夜行列車1往復)の体制となる。

キハ183系500番台の編成による(2階建車両を連結しない)列車を「とかち」とする。 キロ182形500番台は「おおぞら」と「とかち」の分離以来の石勝線復帰。使用車両は「おおぞら」は釧路方がキハ183形1500番台、札幌方がキハ183形500番台中間車0番台、「スーパーとかち」は両端キハ183形200番台、中間車キサロハ182形と0番台(200番台を含む)、「とかち」は両端キハ183形1500番台、中間車500番台。

2000年3月11日:ダイヤ改正により、キハ283系を投入し、同系を使用する1往復を「スーパーとかち」に変更。
2.キハ183系気動車は2階建車両連結車を含めて、すべて「とかち」に統一。
3.2往復に減ったキハ183系「おおぞら」に、キサロハ182形を連結。2階建車両連結「とかち」とともに釧路方がキハ183形200番台、札幌方が500番台となった。

2001年7月1日:「スーパーとかち」(基本編成5両)を2往復に増発。「とかち」は4往復になり、2階建車両の全列車連結を終了。使用車両は帯広方がキハ183形200番台、札幌方が1500番台または500番台、中間車は混用。

2007年10月1日:1.「スーパーとかち」7号、「とかち」4号を帯広駅 - 釧路駅間延長運転し、「スーパーおおぞら」に変更。
2.キハ261系による「スーパーとかち」を2往復、キハ283系による「スーパーとかち」を1往復 、キハ183系による「とかち」を2往復とする。
3.札幌発の終発を1時間繰り下げ。
4.キハ283系運行の「スーパーとかち」の基本編成を7両とする。
5.キハ183系「とかち」は基本的に500番台以降のN183系、NN183系での運用となる。

2009年9月30日:札幌発帯広行きの「とかち」3号と、帯広発札幌行きの「とかち」2号、「とかち」6号の出発をもってキハ183系車両での定期列車としての運転を終了
10月1日:キハ261系1000番台が追加投入され、列車名を「スーパーとかち」に統一。編成は5両編成から4両編成に変更され、自由席も1両に減少。
2.キハ283系で運行される列車は、7両編成から6両編成に変更。

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2013年3月 1日 (金)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 1 「おおぞら」その1

北海道の特急を挙げるとき、一番に出すべきはなんといってもサンロクトウの改正でデビューした「おおぞら」ではないかと思います。

82_7510
1975年10月 連絡船1便でまだ夜の明けきらぬ函館についてホームを歩くと札幌から釧路へ向かうキハ82系特急「おおぞら」と「北海」が出発待ちをしていました。

これまでも再三出てきましたが、1961年10月の改正は東海道線全線電化の1956年11月改正以来の大改正であり、1957年4月に開始された国鉄の第一次5カ年計画の総まとめ的な改正でした。

この改正までの国鉄の特急列車は、東海道系統の「こだま」(2往復)・「つばめ」(2往復)・「ひびき」(不定期)、東海道 - 九州系統の「あさかぜ」・「はやぶさ」・「さくら」、関西 - 九州系統の「かもめ」、そして東北系統の「はつかり」しか存在しませんでした。

この改正では、特急列車の運行を、四国を除く北海道・本州・九州に拡大させ、全国的な「特急ネットワーク」が構成されるようになりました。

この改正で運行を開始した特急列車は
富士」(2往復) 東京 - 神戸、宇野
はと」 東京 - 大阪
おおとり」 東京 - 名古屋
第2ひびき」(不定期) 東京 - 大阪(「ひびき」の増発)
みずほ」(毎日運転の不定期列車、翌1962年10月1日に定期列車昇格) 東京 - 熊本
うずしお」 大阪 - 宇野
みどり」(運転開始は12月15日) 大阪 - 博多駅
へいわ」 大阪 - 広島
まつかぜ」 京都 -松江(福知山線経由)
ひばり」(不定期、運転開始は翌1962年4月27日 1963年10月1日に定期列車昇格) 上野 - 仙台
つばさ」 上野 - 秋田
白鳥」 大阪 - 上野・青森
おおぞら」 函館 - 旭川 であり、「おおぞら」は道内最初の特急としてデビューしました。

いつものようにその歴史を見てみると、

函館本線・根室線の列車の歴史から見てゆくことになりますが、

1949年9月15日:函館本線・根室本線経由で函館駅 - 釧路駅間を運行する急行列車3・4列車が設定される。 この列車は、札幌駅以東を準急列車として運行された。また、運行区間が長距離となったため、同区間は夜行列車として運行された。

1950年10月1日:3・4列車の運行区間を根室駅まで延長。ただし、釧路駅以東は普通列車として運行される。また、函館本線・根室本線経由函館 - 釧路間を運行する準急列車405・406列車が設定される。この列車は小樽駅以東は普通列車の扱いとなる。

1951年4月1日:3・4列車に「まりも」の名称が与えられる。

1955年6月1日:405・406列車、列車番号を407・408列車に変更し、全区間を準急列車化。これに伴い、石北本線網走駅発着編成を連結。 なお、この列車は函館本線内を夜行列車として運行されていた。

1958年7月15日:407・408列車の釧路駅編成に「狩勝」の列車名が与えられる。
1959年9月22日:釧路駅 - 根室駅間運行の準急列車「ノサップ」の運転開始により、「まりも」運行区間を函館駅 - 釧路駅間に短縮。

1961年4月15日:「狩勝」にキハ56系気動車が導入。これに伴い、急行列車に昇格し運行区間を札幌駅 - 釧路駅間に変更する。
6月15日:「狩勝」に函館本線経由函館駅 - 根室駅間を毎日運行の季節列車を1往復増発する。

以上が特急「おおぞら」誕生前の函館本線、根室本線の優等列車の歴史です。

1961年10月1日:サンロクトオのダイヤ改正に伴い、.北海道初の特急列車として室蘭本線・千歳線経由函館駅 - 旭川駅間に「おおぞら」がキハ82系気動車で運転を開始する。

ここからは、特急「おおぞら」の歴史とその担当区であった函館運転所(函ハコ)のキハ80系配置の歴史を見てゆこうと思います。

1961年8月からキハ80系が新製配置され、10月の時点で以下の15両体制でスタートがきられました。因みに同じ改正で尾久客車区は34両向日町運転所は78両体制でした。

キハ82 6, 7,12,13,16, 17
キハ80  25, 26, 28, 29
キロ80   6, 15, 17
キシ80  1, 10

編成と運用は以下の通りです。

←函館
DcDsDdDDDc×1 所要1
おおぞら(1)
 函館4551125旭川17302400函館

DcDsDDc×1 所要1
おおぞら(付属1)
 函館455925札幌19302400函館

Dc×2 D×1 Ds×1 Dd×1

82_7508
特急「おおぞら」というと釧路行きというイメージが強いですが、登場時は函館~旭川(あさひがわ)間の設定で、1980年10月まで旭川まで来ていたのですね。 1975/8 旭川

82_3d_7508_2_3

登別駅に進入する下り特急「おおぞら2号 3D」、この列車は旭川編成と釧路編成の併結の13連 1975/8 

1962年10月1日:「おおぞら」に釧路駅発着編成を連結開始。

釧路編成の追加で新製配置と大ムコから転入{平和の電車化(つばめ)による}があり、

←函館
DcDsDdDDDc×3 所要2
おおぞら(1)
 函館4551551釧路
 釧路13002400函館

DcDsDDDc×1 所要1
おおぞら(付属1)
 函館4551128旭川17252400函館

1964.10.1  おおとり」の運用開始により、新製配置による増備が行われ

←函館
DcDsDdDDDDc×5 所要4
おおぞら(1)、おおとり(1)
 函館4551525釧路
 釧路13202400函館
 函館10402130釧路
 釧路7201810函館

DcDsDDDc×3 所要3
おおぞら(付属1)、おおとり(付属1)
 函館4551128旭川17252400函館
 函館10402115網走
 網走7401810函館

Dc×1 D×1 Ds×1 Dd×1

1965.10 北斗」の運用開始でさらに増備が行われ、

←函館
DcDsDdDDDDc×7 所要6
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)
 函館4101455釧路
 釧路1320005函館
 函館11152203釧路
 釧路7551855函館
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館

DcDsDDDc×4 所要3
おおぞら(付属1)、おおとり(付属1)
 函館4101045旭川1730005函館
 函館11152158網走
 網走8151855函館

DcD×3 所要2
北斗(付属1)
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館

D×1 Dd×1

1967年3月1日:「おおぞら」の旭川駅発着編成を分離。「おおぞら」は室蘭本線・千歳線経由函館駅 - 釧路駅間での運行となる。「北海」の運用開始でさらに増備が行われましたが、このときの増備がキハ80系として最後の増備になりました。

←函館
DcDsDdDDDDc×8 所要7
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)
 函館4101450釧路
 釧路1330005函館
 函館11152155釧路
 釧路8051855函館
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館
 函館4151110旭川17002346函館

DcDsDDDc×4 所要3
おおぞら(付属1)、おおとり(付属1)
 函館410840札幌1935005函館
 函館11152158網走
 網走8151855函館

DcD×3 所要2
北斗(付属1)
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館

Dc×1 D×1 Ds×1 Dd×1

1968.10.1 「北斗」の増発や「おおぞら」の増結のため、特急「やまばと」の電車化で不要となった車輌が転入しました。

←函館
DcDsDdDDDDc×8 所要7
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)
 函館4401451釧路
 釧路1400010函館
 函館11352200釧路
 釧路9001925函館
 函館9301557旭川
 旭川10201640函館
 函館4451116旭川17102345函館

DcDsDDDc×3 所要2
おおとり(付属1)
 函館11352200網走
 網走9001925函館

DcDsD×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(付属1)
 函館440855札幌12201640函館
 函館9301355札幌1950010函館

DDc×3 所要2
おおぞら(付属1)
 函館4401451釧路
 釧路1400010函館

DcDDDsTdDDDDc×1 所要1
北斗(1)
 札幌7301155函館16252046札幌

D×2 Dd×1

1969.10.1 この改正では「北斗」の札幌発着の列車を「エルム」とし、急行「すずらん」1往復を格上げして「北斗」としているので、実質1往復増となっています。

←函館
DcDsDdDDDDc×9 所要8
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)、エルム(1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館
 函館11452205釧路
 釧路8551925函館
 函館9401600旭川
 旭川10201640函館
 函館4501110旭川17302400函館
 札幌7351200函館16252053札幌

DcDsDDDc×3 所要2
おおとり(付属1)
 函館11452205網走
 網走9001925函館

DcDsD×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(付属1)
 函館445900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館

DDc×2 所要2
おおぞら(付属1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館

DcD×1 所要1
エルム(付属1)
 札幌7351200函館16252053札幌

D×4 Td×1

1970.3.1 付属編成の増結。「つばさ」のキハ181系化で捻出された車輌の転入によるものです。

←函館
DcDsDdDDDDc×10 所要9
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(2)、エルム(1)、北海(1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館
 函館11452205釧路
 釧路8551925函館
 函館9401600旭川
 旭川8301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14202045旭川
 旭川10201640函館
 函館4501110旭川17302400函館

DcDsDDDDc×3 所要2
おおとり(付属1)
 函館11452205網走
 網走9001925函館

DcDD×5 所要4
おおぞら(付属1)、北斗(付属2)、エルム(付属1)
 函館445900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館
 旭川8301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14202045旭川

DsDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館

Dc×1 D×2 Dd×2

1970年10月1日:「おおとり」の釧路駅発着編成を分離し、「おおぞら」を1往復増発。2往復体制となる。

有明」に583系化による鹿カコからの転属による増備で対応

←函館
DcDsDdDDDDc×10 所要9
おおぞら(2)、北斗(2)、エルム(1)、北海(1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館
 函館11452205釧路
 釧路9001925函館
 函館9401555旭川
 旭川8351455函館16252053札幌
 札幌7301200函館14202045旭川
 旭川10251640函館
 函館4501110旭川17302400函館

DcDsDDDDc×3 所要2
おおとり(1)
 函館11502213網走
 網走8401900函館

DcDD×7 所要6
おおぞら(付属2)、北斗(付属2)、エルム(付属1)
 函館445900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館
 旭川8351455函館16252053札幌
 札幌7301200函館14202045旭川
 函館11452205釧路
 釧路9001925函館

DsDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館

Dc×1 D×2 Dd×2

1971.7.1 特急「オリンピア」の運行開始

←函館
DcDsDdDDDDc×10 所要9(臨時+1)
おおぞら(2)、北斗(3)、北海(1)、オリンピア(臨時1)
 函館4401456釧路
 釧路1405025函館
 函館11452215釧路
 釧路9001925函館
 函館9401555旭川
 札幌10301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14201850札幌
 旭川10251640函館
 函館4451110旭川17302400函館
 函館9251356札幌2110230函館

DcDsDDDDc×3 所要2
おおとり(1)
 函館11502213網走
 網走8401900函館

DcDD×7 所要6
おおぞら(付属2)、北斗(付属3)
 函館440900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館
 札幌10301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14201850札幌
 函館11452215釧路
 釧路9001925函館

DsDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)
 函館4401456釧路
 釧路1405025函館

Dc×1 D×2 Dd×2

1972年3月15日:.「北斗」1往復の運行区間を延長して「おおぞら」に変更。「おおぞら」は1往復増発して3往復となるが、増発した1往復には旭川駅発着編成を再度連結するようになる。

この改正から札幌運転所が開設となり、一部車輌が転属。札幌運転所の配置の歴史は「北斗」「オホーツク」の記事で記述します。

←函館
DcDsDdDDDDc×10 所要9(臨時+1 札幌車と運用)
おおぞら(3)(臨時+1)、おおとり(1)、北海(1)(臨時+1)、北斗(臨時1)
 函館4451455釧路16352235札幌
 札幌7001253釧路1420020函館
 函館11402147釧路
 釧路9101930函館
 函館9351945釧路
 釧路6401640函館
 函館11452146網走
 網走9001905函館
 函館4501105旭川17252355函館
 札幌2320510函館7001121札幌17002125函館2355515札幌

DcDsDDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(臨時1)
 函館9351539旭川1940220函館
 函館155820旭川10301640函館

DcDD×5 所要4(臨時+1)
おおぞら(付属2)、北斗(付属2)(臨時+1)、北海(臨時1)
 函館445855札幌10201445函館16152038札幌
 札幌2320510函館7001121札幌17002125函館2355515札幌
 札幌7351155函館14251836札幌2005020函館
 函館11402147釧路
 釧路9101930函館

DsDDc×2 所要2
おおぞら(付属1)
 函館4451455釧路
 釧路1420020函館

Dc×2 D×3 Dd×2

1975..7.18 道内発の電車特急「いしかり」が走り始めた改正にて

←函館
DcDsDdDDDDc×10 所要9
おおぞら(3)、おおとり(1)、北海(1)
 函館4451452釧路
 釧路1425020函館
 函館11402142釧路
 釧路9201930函館
 函館9351937釧路
 釧路6451640函館
 函館11452149網走
 網走9051905函館
 函館4501105旭川17352355函館

DcDsDDDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(臨時1)
 函館9351535旭川2005220函館
 函館155820旭川10351640函館

DcDD×6 所要5
おおぞら(付属2)、北斗(付属2)、北海(付属1)
 函館445850札幌10251445函館16152028札幌
 札幌7371155函館14251832札幌2010020函館
 函館11402142釧路
 釧路9201930函館
 函館4501105旭川17352355函館

DsDDc×2 所要2
おおぞら(付属1)
 函館4451452釧路
 釧路1425020函館

Dc×3 D×2 Ds×1 Dd×2

82_7507_3
札幌に到着した下り特急「おおぞら2号 3D」ここでスイッチバックして函館本線を滝川まで 1975/8

82_7508_2
岩見沢をゆく特急「おおぞら」 1975/8 

82_7507
函館から10時間、700km超の行程を走って釧路に到着した特急「おおぞら1号 1D」 1975/7

1980年2月10日:「おおぞら」5・4号に新型気動車キハ183系を導入。
10月1日:「おおぞら」のうち、5・4号は札幌駅 - 釧路駅間とし、3・2号の旭川駅発着編成を廃止。これ以降「おおぞら」の滝川駅以北乗り入れはなくなる。

←函館
DcDsDdDDDDc×10 所要7
おおぞら(3)、おおとり(1)、北海(1)
 函館4451513釧路
 釧路9001450札幌16102217釧路
 釧路1410020函館
 函館9401956釧路/釧路6401640函館(キハ183と隔日運用)
 函館11402153網走
 網走8581924函館
 函館4501113旭川17292355函館

DcDD×12 所要9
おおぞら(付属3)、おおとり(付属1)、北斗(付属2)、北海(付属1)
 函館4451513釧路
 釧路9001450札幌16102217釧路
 釧路1410020函館
 函館9401956釧路/釧路6401640函館(キハ183と隔日運用)
 函館11402055北見
 北見9561924函館
 函館4501113旭川17292355函館
 札幌10101441函館19002325札幌
 札幌7231153函館15302007札幌

Dc×5 D×1 Ds×6 Dd×2

1981年10月1日石勝線千歳空港駅(現在の南千歳駅) - 新得駅間開業に伴うダイヤ改正に伴い、「おおぞら」全列車を石勝線経由に変更し、1往復を除き札幌駅 - 釧路駅間の運行とする。 1往復は函館駅発着であったが、苫小牧駅 - 千歳空港駅 - 札幌駅 - 千歳空港駅 - 追分駅と停車し、千歳空港駅に重複して停車する珍しい列車となった。岩見沢駅・滝川駅・富良野駅の停車駅を取り消し。2往復をキハ183系、1往復をキハ82系による運転となる。

←函館
DcDsDdDDDDc×7 所要6
おおぞら(1)、おおとり(1)、北海(1)、北斗(3)
 函館445857札幌9421414函館19002325札幌
 札幌8051326釧路17152240札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402157網走
 網走8581924函館
 函館450922札幌13551858函館

DcDsDdDDDc×2 所要1
北斗(1)
 函館7401159札幌17362200函館

DcD×7 所要6
おおぞら(付属1)、おおとり(付属1)、北海(付属1)、北斗(付属3)
 函館445857札幌9421414函館19002325札幌
 札幌8051326釧路17152240札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402100北見
 北見9561924函館
 函館450922札幌13551858函館

Dc×8 D×18 Ds×3 Dd×2

1982年11月15日:「おおぞら」の全列車がキハ183系に変更。同時に食堂車の営業も終了。このときから大量廃車が始まりました。そして函ハコ配置の80系の「おおぞら」運用が一旦消えました。

←函館
DcDsDdDDDDc×6 所要5
おおとり(1)、北海(1)、北斗(3)
 函館445857札幌9451414函館19002325札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402157網走
 網走8581924函館
 函館450922札幌13551858函館

DcDsDdDDDc×2 所要1
北斗(1)
 函館7401159札幌17362201函館

DcD×6 所要5
おおとり(付属1)、北海(付属1)、北斗(付属3)
 函館445857札幌9451414函館19002325札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402100北見
 北見9561924函館
 函館450922札幌13551858函館

Dc×7 D×12 Ds×3

1984年2月1日:「おおぞら」を札幌駅 - 釧路駅間で1往復増発。4往復体制となる。

1985年3月14日:「まりも」の昼行列車を特急に格上げして「おおぞら」に統合し、札幌駅 - 帯広駅間2往復増発。「おおぞら」6往復体制となり、札幌駅 - 帯広駅間1往復にキハ82系が復活する

1986.年3月3日 キハ82系現役として最後の運用となった改正です。

←函館
DcDdDsDDDDc×4 所要3
おおとり(1)、オホーツク(1)
 函館11382147網走
 網走6201215札幌17102305網走
 網走9061925函館

DcDsDDDDc×2 所要1
北海(1)、おおぞら(1)
 函館440909札幌9401304帯広14421802札幌19212355函館

DcDsDDDc×1 所要1
北斗(1)
 1985.3~と同じ

DcD×3 所要2
おおとり(付属1)
 1985.3~と同じ

Dc×2 D×3 Dd×3

1986年11月1日:国鉄最後のダイヤ改正に伴い、「おおぞら」を札幌駅 - 釧路駅間で1往復増発。また、札幌駅 - 帯広駅間の1往復を釧路駅まで延長するが、全列車を札幌駅始発・終着とする。この時点で「おおぞら」7往復となり、全列車がキハ183系で運行されるようになる。80系は配置はあるものの定期運用は消滅しました

DcDdDsDDDDc×4
DcDsDDDDc×1
DcDsDDDc×1
DcD×3
Dc×1 D×1 Ds×1 Dd×2

1987年4月 函ハコにおけるキハ80系の配置がなくなりました

キハ82系は1961年10月から1986年10月末まで途中2年半のブランクを挟んで、25年に渡って「特急おおぞら」に使用されたのですね。

以上、函館・根室本線優等列車の歴史、特急「おおぞら」の歴史はWikipediaの記事をキハ80系の函ハコ配置の歴史は「キハ80系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」の内容を参考に纏めました。

次回は特急「おおぞら」の歴史に沿って、キハ183系の話題にしたく思います。

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