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2013年4月14日 (日)

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ22 

昨日に続き、北海道の気動車シリーズですが、今回は急行型が登場する以前から各停・準急などの運用に活躍していた一般形気動車です。

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バス窓スタイルなのでキハ12形かと思いましたが、番号が59と書かれているのでキハ22形の初期タイプかと思います。 1975/10 池北線のどこかの駅

<キハ10系に関して>

国鉄キハ10系気動車は、国鉄が液体式試作気動車として開発されたキハ44500形の実績を基に1953年に開発した気動車のグループで、1957年までに728両が製造され、日本全国で使用されました。

国鉄の量産形気動車としては初めて液体式変速機を実用化し、複数車両の総括制御を容易としたことで、日本におけるその後の気動車普及の途を開いた極めて重要な系列として位置づけられています。

車体は鋼板および鋼板プレス材により構成された軽量構造であり、車体重量を可能な限り軽量化するために車体断面を小さく設計されており、当時の電車や客車に比べても車体幅が小さく2,600mmとなっています。設計全般には、当時の車両火災などへの考慮から、難燃・不燃材料などが多く取り入れられています。

外観の最大の特徴は、正面貫通式運転台を採用したことです。運用にフレキシビリティを持たせるためで、以後の国鉄気動車は特急形も含めほとんどがこれを踏襲し、結果1両単位での自由な増解結が可能となり、車両運用上多大な利便性を有することになりました。

側面形状は車体両端にステップ付の客用ドアを配置し、客室側窓は1953年製のキハ44000形2次車と同様、上段をHゴム支持固定、下段を上昇式とした、いわゆる「バス窓」です。窓下には補強帯(ウインドウ・シル)を備えた古い形態を残します。車体中央部壁の面に排気管を立ち上げる屋上排気方式を標準としました。

機関・変速機・逆転機はDMH17B形ディーゼル機関(160PS/1,500rpm)にTC2液体変速機とDT19形台車を組み合わせています。変速機は後にDF115も用いられました。

エンジンと変速機は車体床下に吊り下げられた機関台枠に搭載されており、ここから取り出された動力は、プロペラシャフト(ユニバーサルジョイント)、ギアボックスと一体化の上で台車のトランサム(横梁)に2本の平行リンクで結合して支持される、ベベルギアと平ギアによる逆転機、およびこれと一体化された平ギアによる最終減速機を経て、台車の車体中央寄り1軸を駆動する構造でした。

キハ17形(キハ45000形)

キハ17形は、便所付き片運転台車で、1953年から1957年にかけて402両が製造された本系列の基幹形式であり、日本初の本格的量産型液体式気動車でした。

初期車は全座席がボックス式クロスシートでしたが、1954年製の206以降は、乗客の乗降の円滑化を図るため、客用扉付近のクロスシートがロングシートに変更されるとともに、シートの背ずりが高く改良されました。また、1956年製の321 - については、車体強度の向上が図られた関係で、トイレの窓がHゴムによる固定式となり、トイレおよび水タンク室の補強帯(シル・ヘッダー)が省略され、客室幅が12mm広げられました。客室の拡幅に関する設計変更は、同時期に製造されていた他形式でも行われています。

形式間改造については、11両がキユニ17形に、5両がキニ17形に改造されました。老朽廃車については1973年から始まり、1981年までに全車が除籍されました。

キハ16形(キハ45500形)

キハ16形は、便所なし片運転台車で、1954年から翌年にかけて99両が製造されました。日本各地に配置・運用されました。車内は全車がキハ17 206 - と同様の、客用扉付近にロングシートを配した背ずりの高いタイプとなっています。定員は106名(座席82人、立席24人)です。

形式間改造については、8両がキハユニ18形に改造され、そのうち6両がキユニ18形に再改造されています。廃車は1974年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。

キハ12形(キハ48200形)

キハ12形は、酷寒地向けの便所付き両運転台車で、1956年に22両が製造され、全車が北海道内で使用されました。キハ11形100番台との相違は、側窓が二重構造となったことです。当初は、デッキ部の仕切り壁は設置されませんでしたが、後年の改造により設置されました。定員は、基本的な車体構造が同じキハ11形と同一です。

老朽廃車は1976年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。形式間改造車および譲渡車は存在しません。

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キハ22-136 1974/7 深川にて

<キハ20系について>

キハ10系気動車は当時の一般的な20m級客車と比較して車体断面が小さいために居住性が犠牲となっており、乗り心地の点でも問題がありました。

それは当時のDMH17形エンジンでは車体サイズを小さくしたり、乗り心地を犠牲にした軽量化に務めても出力が足りなかったからです。

1955年ナハ10形軽量客車の完成で状況は一変し、スイス国鉄流の準モノコック構造車体と、プレス鋼板による溶接組立台車の導入により、十分な強度を維持したまま、従来比3/4程度の大幅な軽量化が可能となり、これにより、非力な既存エンジンのままでも大型車体を備える気動車の製造に目処が立ちました。

こうして、10系客車の設計ノウハウを有効活用する形で、翌1956年に大断面車体を備える20m級気動車の第1陣として、準急形気動車であるキハ55形(当時はキハ44800形)が製造され、ここに初めて電車・客車と同等の車体(車内設備)を備える気動車が実現しました。

その後、キハ55形の成功を受ける形で、普通列車に用いる一般形気動車についても大型車体へ移行することが決定され、同形式に準じた設計で新たに開発されたのがキハ20系です。

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キハ22-19 留萌にて 1974/7 羽幌線の列車として留萌で出発待ちをしている様子

キハ22形

酷寒地向けの耐寒仕様車として1958年から製造開始され、北海道および東北地方に配置されました。製造会社はキハ21形の帝車と新潟に加え、富士重工業と日本車輌製造が加わっています。

乗降口を車体両端へ配置して、客室との仕切り扉を備えたデッキ付きとし、側窓を小型の一段上昇式二重窓として保温性を高めています。暖房装置はエンジン冷却水利用の温水暖房として強化し、かつ放熱フィンを大型化して効率を良くしました。床は雪が融けて濡れた時の滑りにくさや、雪靴・雪下駄の滑り止め金具(スパイクなど)への対策から木張りとされ、さらに断熱材の厚さを増したため、暖地向けの標準車に比べ、レール面基準で50mm高くなりました。そのため、客室窓、乗務員用扉、運転台窓、貫通路扉(幌枠高さは標準車と同じ)、尾灯の位置もキハユニ25 7を除くキハ20系他車よりも高くなりました。また、警笛は前照灯脇から、温水管の取り回しが楽な乗務員室床上(助手席足元)に変更されました。

室内色も暖色系の薄茶色4号とされ、車端部がロングシートであること、窓側に肘掛けがないことを除けば、準急形のキハ55系に遜色ない水準であり、急行列車にも用いられました。

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この車輌はいまだに正体不明なんですが、羽幌線内ですれ違った対向列車でキハ55だったのかも知れません 1974/7

床下機器のカバーリングや冷却水による保温をはじめ、補器類に至るまで徹底した耐寒・耐雪措備が施され、北海道の酷寒地での実用上も十分な能力が確保されました。

1960年代から1970年代に北海道のローカル列車の多くは本形式が投入されていました。また、循環急行「いぶり」、函館本線の「らいでん」、「せたな」や羽幌線の「はぼろ」など道内のローカル急行にも数多く使用され、これらは「遜色急行」として鉄道ファンに注目されたそうです。

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防寒の徹底した二重窓が特徴的だったキハ22 1975/10 札幌

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白石駅で撮影した首都圏色のキハ22形2連 1991/8/20

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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