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2013年4月14日 (日)

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ22 

昨日に続き、北海道の気動車シリーズですが、今回は急行型が登場する以前から各停・準急などの運用に活躍していた一般形気動車です。

22_59_7510
バス窓スタイルなのでキハ12形かと思いましたが、番号が59と書かれているのでキハ22形の初期タイプかと思います。 1975/10 池北線のどこかの駅 (2021/6/12追記:コメント欄の犬山いずみ様のメッセージにありますが、これはキハ21のようです。)

1975年の配置表データによると
キハ21 釧路 15 16 18 64 83
     深川 23
            苗穂 3 7 8 20 21 25 38 39 40 41 42 51 54 55 56 57 69 77 101 102 103
    苫小牧 6 9 19 24 29 30 31 32 33 34 43 44 53 59 60 61 62 71 73 74 75 76 78 81 82
    函館 1 2 4 5 10 11 12 13 14 17 22 27 28 36 37 45 79 80
    長万部 46 47 48 49 50 84
    一ノ関 65 66 67 68 70 72  に配置されていました。
84両が製造され、26、35、52、58、63は欠番ですが、52、58、63は新聞輸送のため、荷物車部分改造ロングシート化改造(1968年苗穂工場)され、101-103に26と35はキユニ21に改造(1969年旭川工場)されています。

<キハ10系に関して>

国鉄キハ10系気動車は、国鉄が液体式試作気動車として開発されたキハ44500形の実績を基に1953年に開発した気動車のグループで、1957年までに728両が製造され、日本全国で使用されました。

国鉄の量産形気動車としては初めて液体式変速機を実用化し、複数車両の総括制御を容易としたことで、日本におけるその後の気動車普及の途を開いた極めて重要な系列として位置づけられています。

車体は鋼板および鋼板プレス材により構成された軽量構造であり、車体重量を可能な限り軽量化するために車体断面を小さく設計されており、当時の電車や客車に比べても車体幅が小さく2,600mmとなっています。設計全般には、当時の車両火災などへの考慮から、難燃・不燃材料などが多く取り入れられています。

外観の最大の特徴は、正面貫通式運転台を採用したことです。運用にフレキシビリティを持たせるためで、以後の国鉄気動車は特急形も含めほとんどがこれを踏襲し、結果1両単位での自由な増解結が可能となり、車両運用上多大な利便性を有することになりました。

側面形状は車体両端にステップ付の客用ドアを配置し、客室側窓は1953年製のキハ44000形2次車と同様、上段をHゴム支持固定、下段を上昇式とした、いわゆる「バス窓」です。窓下には補強帯(ウインドウ・シル)を備えた古い形態を残します。車体中央部壁の面に排気管を立ち上げる屋上排気方式を標準としました。

機関・変速機・逆転機はDMH17B形ディーゼル機関(160PS/1,500rpm)にTC2液体変速機とDT19形台車を組み合わせています。変速機は後にDF115も用いられました。

エンジンと変速機は車体床下に吊り下げられた機関台枠に搭載されており、ここから取り出された動力は、プロペラシャフト(ユニバーサルジョイント)、ギアボックスと一体化の上で台車のトランサム(横梁)に2本の平行リンクで結合して支持される、ベベルギアと平ギアによる逆転機、およびこれと一体化された平ギアによる最終減速機を経て、台車の車体中央寄り1軸を駆動する構造でした。

キハ17形(キハ45000形)

キハ17形は、便所付き片運転台車で、1953年から1957年にかけて402両が製造された本系列の基幹形式であり、日本初の本格的量産型液体式気動車でした。

初期車は全座席がボックス式クロスシートでしたが、1954年製の206以降は、乗客の乗降の円滑化を図るため、客用扉付近のクロスシートがロングシートに変更されるとともに、シートの背ずりが高く改良されました。また、1956年製の321 - については、車体強度の向上が図られた関係で、トイレの窓がHゴムによる固定式となり、トイレおよび水タンク室の補強帯(シル・ヘッダー)が省略され、客室幅が12mm広げられました。客室の拡幅に関する設計変更は、同時期に製造されていた他形式でも行われています。

形式間改造については、11両がキユニ17形に、5両がキニ17形に改造されました。老朽廃車については1973年から始まり、1981年までに全車が除籍されました。

キハ16形(キハ45500形)

キハ16形は、便所なし片運転台車で、1954年から翌年にかけて99両が製造されました。日本各地に配置・運用されました。車内は全車がキハ17 206 - と同様の、客用扉付近にロングシートを配した背ずりの高いタイプとなっています。定員は106名(座席82人、立席24人)です。

形式間改造については、8両がキハユニ18形に改造され、そのうち6両がキユニ18形に再改造されています。廃車は1974年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。

キハ12形(キハ48200形)

キハ12形は、酷寒地向けの便所付き両運転台車で、1956年に22両が製造され、全車が北海道内で使用されました。キハ11形100番台との相違は、側窓が二重構造となったことです。当初は、デッキ部の仕切り壁は設置されませんでしたが、後年の改造により設置されました。定員は、基本的な車体構造が同じキハ11形と同一です。

老朽廃車は1976年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。形式間改造車および譲渡車は存在しません。

 

22_136_7407_2
キハ22-136 1974/7 深川にて

<キハ20系について>

キハ10系気動車は当時の一般的な20m級客車と比較して車体断面が小さいために居住性が犠牲となっており、乗り心地の点でも問題がありました。

それは当時のDMH17形エンジンでは車体サイズを小さくしたり、乗り心地を犠牲にした軽量化に務めても出力が足りなかったからです。

1955年ナハ10形軽量客車の完成で状況は一変し、スイス国鉄流の準モノコック構造車体と、プレス鋼板による溶接組立台車の導入により、十分な強度を維持したまま、従来比3/4程度の大幅な軽量化が可能となり、これにより、非力な既存エンジンのままでも大型車体を備える気動車の製造に目処が立ちました。

こうして、10系客車の設計ノウハウを有効活用する形で、翌1956年に大断面車体を備える20m級気動車の第1陣として、準急形気動車であるキハ55形(当時はキハ44800形)が製造され、ここに初めて電車・客車と同等の車体(車内設備)を備える気動車が実現しました。

その後、キハ55形の成功を受ける形で、普通列車に用いる一般形気動車についても大型車体へ移行することが決定され、同形式に準じた設計で新たに開発されたのがキハ20系です。

 

22_19_7407_1
キハ22-19 留萌にて 1974/7 羽幌線の列車として留萌で出発待ちをしている様子

キハ22形

酷寒地向けの耐寒仕様車として1958年から製造開始され、北海道および東北地方に配置されました。製造会社はキハ21形の帝車と新潟に加え、富士重工業と日本車輌製造が加わっています。

乗降口を車体両端へ配置して、客室との仕切り扉を備えたデッキ付きとし、側窓を小型の一段上昇式二重窓として保温性を高めています。暖房装置はエンジン冷却水利用の温水暖房として強化し、かつ放熱フィンを大型化して効率を良くしました。床は雪が融けて濡れた時の滑りにくさや、雪靴・雪下駄の滑り止め金具(スパイクなど)への対策から木張りとされ、さらに断熱材の厚さを増したため、暖地向けの標準車に比べ、レール面基準で50mm高くなりました。そのため、客室窓、乗務員用扉、運転台窓、貫通路扉(幌枠高さは標準車と同じ)、尾灯の位置もキハユニ25 7を除くキハ20系他車よりも高くなりました。また、警笛は前照灯脇から、温水管の取り回しが楽な乗務員室床上(助手席足元)に変更されました。

室内色も暖色系の薄茶色4号とされ、車端部がロングシートであること、窓側に肘掛けがないことを除けば、準急形のキハ55系に遜色ない水準であり、急行列車にも用いられました。

 

55_7407
この車輌はいまだに正体不明なんですが、羽幌線内ですれ違った対向列車でキハ55だったのかも知れません 1974/7

(2021/6/12 追記:こちらも犬山いずみさまのコメントからキハ55 5だそうです。)
1956年製の1次車(1~5)で登場当初はキハ44800~キハ44804と付番されていましたが1957年4月の気動車称号改正でキハ55 1~5に改められました。下の配置表では高知、鹿児島、郡山、苗穂に残存していました。バス窓といわれるスタンディングウインドウの側窓(1次から3次車~46まで)で正面窓が小型であり、雨樋縦管が露出していることが識別点となっています。

1975年当時のキハ55形の配置は

苗穂 5 10 24 164 222
一ノ関 181 227
盛岡 16 17 20 130 131 132 160 197 198 199 239
山形 11 15 18 21 28 37 46 112 118 135 140 147 148 149 217 252
郡山 3 101 103 104 110 133 145 146 208 209 210 212 260
小牛田 113 188 232 233 234
新潟 204 215 230 231 240 241 242 243 244 245 246 247 267
水戸 19 27
中込 163 167 182 185
長野 12 13 25 156 157 159 161 165 166 187
名古屋 179 201 228 229
美濃太田 107 108 136 143 144 150
富山第一 105 120 126 152 153 155 172 184 186 202 213 214 221
七尾 111 151 154 183 205 206 207
亀山 109 218 223 248 250 257 259
豊岡 256
鳥取 253
米子 224 225 249 263
浜田 251 255
岡山 7 102 106 180 203 211 254 258 261 262
松山 237 238
高知 2 226 235 264 265 266 268 269 270
広島 191 236
長崎 119 123 124 193 200
竹下 171 196
直方 6 9 22 23 26 29 35 36 38 40 41 43 127 128 129 194 195
大分 33 125 142 168 169 170 178 189 192
熊本 8 32 34 39 42 45 114 115 116 117 121 122 137 138 139 158 162 173 174 220
鹿児島 4 30 31 44 175 219

床下機器のカバーリングや冷却水による保温をはじめ、補器類に至るまで徹底した耐寒・耐雪措備が施され、北海道の酷寒地での実用上も十分な能力が確保されました。

1960年代から1970年代に北海道のローカル列車の多くは本形式が投入されていました。また、循環急行「いぶり」、函館本線の「らいでん」、「せたな」や羽幌線の「はぼろ」など道内のローカル急行にも数多く使用され、これらは「遜色急行」として鉄道ファンに注目されたそうです。

 

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防寒の徹底した二重窓が特徴的だったキハ22 1975/10 札幌

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22_910820_2_5
白石駅で撮影した首都圏色のキハ22形2連 1991/8/20

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

 

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コメント

初めまして。検索でここにたどり着きました。

まず最初の写真ですがキハ21だと思われます。キハ20の初期型を二重窓にしたタイプで、当該の59号は1975年当時は苗穂にいたようです。

あと4枚目のキハ55 5ですが貴重な写真です…。運転席の小窓でピンと来ました! 1両だけ北海道にいたんですね。

犬山いずみさま、はじめまして。

貴重なコメントありがとうございます。
当時の配置表データを参考にしながら、後で追記しようと思います。

これからも宜しくお願い致します。

突然の書込失礼します。私も検索でたどり着きました。私が初めて渡道したのは1982年なので、1970年代の写真を興味深く拝見させていただきました。掲出していただき、ありがとうございます。
ところで、犬山いずみ様がキハ21とコメントされた最初の写真ですが、2番線正面の出発信号機が2基並んでいるように見えます。ひょっとして分岐駅ではないでしょうか。池北線には途中分岐駅はありませんし、池田も北見ももっと大きな駅のはずです。
写っているキハ2159が苫小牧の配置だとすると、この規模の分岐駅として日高本線の鵡川が思い当たります。航空写真で見ても似た感じの配線です。
貴サイトの画像がそう見えるというだけで、私の憶測に過ぎませんので、もし間違っていたらご容赦ください。

あんみつ坊主さま、はじめまして。
貴重なコメントありがとうございます。

私も今となっては記憶がかなりあやふやなんですが、1975年秋の北海道旅行では苫小牧、襟裳岬、広尾、そして帯広から池田のワイン城の宿泊施設に泊まり、翌日、周辺を散策した際に駅で撮影した写真と記憶しています。確かに信号機や分岐線が写っていますので分岐駅のようです。池田ではなくご指摘のように日高本線の鵡川かもしれません。当時のネガが見つかれば前後関係からわかる気もします。

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