1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ40系とその仲間達
現在でも日本中の非電化路線で多く活躍しているキハ40系(キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式)は1977年から1982年にかけて計888両が製造されました。因みにキハ40形の初代とは、昨日ご紹介したキハ08系のうちの改称される前の一形式名でした。
電車に近い車体構造の大型気動車で、客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られていますが、その一方で、それ以前の在来型気動車と比較してエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はほとんど向上していません。
客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別されますが、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、便所の有無などによって番台区分されています。国鉄分割民営化後は、各社毎に使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、派生形式や区分番台が多くなっています。当 Blogにキハ40系が登場するのは初めてですが、全バージョンについて記述するとあまりに長くなるので今回は北海道向け酷寒地バージョンについて記述します。
<国鉄時代の区分番台>
北海道用にはキハ40 100番台が1977年上期より製造されました。キハ40系では最初に就役したグループです。
車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、トイレ、空気バネ台車を装備します。床材は北海道向け従来形式のキハ22形などが用いた鋼板+木材板張りを廃し、1.2mm厚SPA鋼板と断熱材+リノリウム張りで構成されています。1982年までに150両 (101 - 250) が製造されました。
1977年製の16両 (101 - 116) のみ、角型水タンクキセ、4人掛けクロスシート12組、客室の小窓の配置が両端、室内の化粧板が濃い肌色、軸ばね式空気ばね台車 (DT44・TR227) などの特徴を持ちます。1978年以降に製造された117 - 250は設計が変更され、水タンクキセ、座席配置と窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台一次形車と同様になりました。室内の化粧板はクリーム色になり、台車は乾式円筒案内式空気ばね台車のDT44A・TR227Aに変更されました。
1988年に9両(141 - 149)がキハ400形に改造され、残りの全車も1990年から1995年にワンマン化のため700番台に改造され、廃区分番台となりました。
さらにキハ48 300、1300番台が北海道向け酷寒地仕様車として、1982年にごく少数が製造されました。デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形に酷似しています。空気ばね台車を装備。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくいこともあり、トイレ付きの300番台車は4両 (301 - 304)、トイレなしの1300番台車は3両 (1301 - 1303) の製造に留まりました。304と1300番台全車が1988年にキハ480形に改造され、1300番台は廃区分番台となりました。
301 - 303の3両は、JR北海道に承継された後も改番されずに使用されていましたが、2012年6月1日のダイヤ改正で札沼線(学園都市線)の一部区間(桑園駅 - 北海道医療大学駅間)が電化開業したことで運用を外れ、3両ともミャンマー国鉄に売却されたため、300番台も廃区分となりました。
キハ48 301 - 303を除くすべての車両には、ワンマン運転対応、エンジン換装、冷房装置搭載など、線区の事情に応じた改造が実施され、それに伴う改番が行われました。キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設(一般放送回路との区別のため、赤色により識別)が挙げられます。
<キハ400形、キハ480形>
宗谷本線の高速化に向け急行「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車を置き換えるため、1988年にキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を急行列車用に改造した形式です。それぞれ新形式のキハ400形・キハ480形に改められ、両形式を総称してキハ400系と言います。
エンジンをDMF13HZ (330PS/2,000rpm) に、変速機を直結2段式のN-DW14B形に交換して加速力の向上を図り、特急列車頻発でダイヤ密度の高い函館本線での高速運転や、宗谷本線の勾配区間に備えました。車内には洗面所を新設し、座席もキハ183系500番台と同等のリクライニングシートへの交換されました。また、電動式の冷房装置 (N-AU400) を屋根上に1基搭載、その電源となるディーゼル発電機はキハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置し、キハ400形自車とキハ480形へ三相交流220V を給電する方式としました。そのため、キハ480形は単独では冷房装置を使用することができません。キハ480形の種車のうち1両はトイレ付きの300番台車ですが、トイレは改造時に撤去されています。
<キハ400形500番台>
老朽化したお座敷気動車(キロ29形・キロ59形)を置き換えるために、1997年から1998年にかけてキハ400形3両をお座敷車に改造したものです。
2002/8/25に偶然、札幌駅で出会ったキハ400-500番台のお座敷列車「くつろぎ」
客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装も深い赤と黒のブロックパターンに改められました。室内は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30cmの掘り炬燵構造として、乗客が足を伸ばしてくつろげるようにするとともに、床面をフラットにすることも可能です。2003年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施されました。
番号対応 キハ400-141・142・149 → 501 - 503
<キハ40形700番台>
1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造されました。番号は竣工順に付番されており、原番号との関連性はありません。ただし、1次車 (101 - 116) が種車の車両だけは元番号に725を足した連番になっています。
今は延命工事で1700番台になってしまったかと思いますが、2002/8/27に南千歳で撮影した700番台 キハ40-772
<キハ40形300番台>
1996年に学園都市線(札沼線)の列車増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台に対して行ったもので、4両が改造されました。
機関はN-DMF13HZB (330PS/2,000rpm) に換装され、出力増強が図られました。サービス向上のため機関直結式冷房装置 (N-AU26) やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされ、客室とデッキの間の仕切り壁も撤去されています。客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより、車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式の半自動ドアを装備しています。
番号対応: キハ40 702・748・773・782 → 301 - 304
<キハ40形400番台>
1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と老朽化したキハ53形500番台の置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものです。
番号対応: キハ40 769・770 → 401・402
札沼線列車の札幌到着 2008/3/21 キハ40-401
<キハ40形350番台>
日高本線で使用されていたキハ130形の老朽化による置き換えのため、1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造したものです。「優駿浪漫」という愛称がつけられているそうです。
番号対応:キハ40 710・713・717 - 719・728・731・743・753・794 → 351 - 360
<キハ40形330番台・キハ48形1330番台 >
2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴い、余剰となったキハ400形・キハ480形を学園都市線に転用するために再改造したものです。
番号対応:
キハ400 143 - 148 → キハ40 331 - 336
キハ480 1301 - 1303 → キハ48 1331 - 1333
キハ40-332 札沼線で活躍する姿です。 2002/8/25 札幌
先頭はキハ480-1332 急行「宗谷」などの運用を降りた後、札沼線で活躍する姿 2002/8/27
<キハ40形1700番台>
今後の長期使用を見越し、キハ40形700番台に延命改造を実施したものです。
2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2012年4月現在延べ82両が落成し、苗穂運転所に5両、苫小牧運転所に18両、釧路運輸車両所に25両、函館運輸所に20両、旭川運転所に14両が配置されています。改造内容としては、駆動用エンジンのN-DMF13HZI (243kW (330 PS)/2,000rpm) への換装およびそれに伴う液体変速機の直結3段式(N-DW40)への換装、その他の付随する機器の交換、客室の床材の張替え、扇風機のクールファンへの交換、ワンマン運転用機器の更新などです。屋根上の水タンクは撤去され、車内設置に変更されました。改造車の番号は原番号に1000が加えられています。
2008/3/23 キハ40-1780
2008/3/23 キハ40-1783
2010/6/24 キハ40-1786
いずれも南千歳で撮影したもので、石勝線夕張方面のローカル列車として運用される1700番台
今回、この記事を纏めることで北海道のキハ40、キハ48の歴史を理解することが出来、また複雑な枝番の体系に自分がこれまでに撮った写真を当てはめることが出来ました。
Wikipediaの記事が纏める上で大変参考になりました。
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クハ415-1901さん、北海道の一般気動車特集・・・興味深く拝見しました。
こうして順次拝見させていただくと、
JR北海道色というのはグレー地に、
緑と青帯という塗装が一貫として使われていることがわかりました。
私は国鉄色ファンですが、
この北海道色ももう四半世紀の歴史があるのだと思いました。
スノーホワイトに、
緑の大地に海や大空を表した青・・・北海道らしい配色だと思いました。
北海道の車両は小窓というお約束があるものの、
一両だけバス窓のキハ55が登場したのはびっくりしました。
投稿: やぶお | 2013年4月16日 (火) 20時09分
やぶおさま、おはようございます。
いつもコメントありがとうございます。
北海道の気動車のスタイル、やはりあの酷寒に耐えるために生み出されたスタイルなのですね。
一方で、謎のキハ55、確かにあの当時、苗穂(札ナホ)には5, 10, 24, 164, 222などの配置記録があり、夏場だけだったのかも知れませんが、羽幌線あたりで活躍していたのかも知れません。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年4月17日 (水) 05時44分